FC2ブログ

争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

2020.06.14 Sun 山本太郎さん、あなたは全国の窮民の最後のよりどころです。都知事選には出ないでください。

yamamototarou.jpg

 山本太郎さんが都知事選に立候補するかもしれないと報じられています。
 わたしは「れいわ新選組」を戦後生まれのわたしがやっとたどりついた政治的よりどころと思っています。とくに、前回の参議院選挙で2議席をつかみ取ったこの政党が、重度と言われる2人の障害者を国会に送り込んだことは画期的なことだと思います。
 しかしながら、好意的なひとの中にも重度障害者の議員が存在するだけで意味があるという意見も多くあり、彼女彼らの議員活動を真正面から受け止めていないと感じてしまいます。とくに、木村議員の提案は「福祉の牢獄」の中に閉じ込められてきた障害者の労働を、はじめて政治の場で「障害者の人権と労働の権利」として制度の確立を要求するものです。彼女は在宅福祉制度の「重度訪問介護」の拡大もしくは弾力運用を訴えていますが、わたしはそこはちがっていて障害者の労働の権利を保障する、本来の労働行政の抜本的な改革を求めるべきだと思います。
 それにしても以前にも書きましたが、彼女がみずからの議員活動の介護保障という具体例を通じて、障害者の労働に伴う介護保障を訴えたのに対して、日本維新の会の代表・松井一郎大阪市長が自己負担で賄うべきだと発言しました。政治家は高額所得者で個人事業主だからと、世間の高額所得者と国会議員への妬みを誘発し、巧妙に障害者差別をかくすこの人の発言は人権感覚と国際感覚を研ぎ澄まさなければならないはずの政治家として許しがたいと強く思います。
 国会議員は選挙で国民から請託をうけたミッションを実行してもらうために必要とされる所得を得ているのであって、むしろ絶対に自分の介護保障などに使ってもらってはいけないという、ごく当たり前のことを忘れていると思います。極論ですが、もし松井氏が言うように議員報酬から介護費用を支払うのであれば、それを払わなくてもよい健全者議員の所得が高すぎるわけで、「身を切る改革」を党是とされるのならその相当分を返上してもらわなければ筋が通りません。このひとの発言は重度障害を持つ議員を選挙で選ばれた対等な国会議員として認めない、はなはだ人権侵害にかぎりなく近い発言だと思います。

 ところで、わたしは山本太郎さんが都知事選に出馬しないことを強く望みます。はっきり言って今の小池百合子知事に勝てる候補はなかなかいないと思うからです。今回のコロナウイルスショックで安倍内閣が揺らいでいる中、小池さんや大阪府知事の吉村さんを「実行力のある政治家」として支持する人たちがわたしの地域でも急増する一方、れいわ新鮮組への熱い心が影に隠れてしまった感があります。
 ここはむしろ、宇都宮健児さんに結集し、太郎さんの力を存分にその応援につぎ込んでほしいのです。それでなくても、前回の都知事選で、宇都宮さんを差し置いた野党共闘の失敗がまだ記憶にあたらしいところです。ある意味、ほとんど勝ち目のない選挙では、より信ずるにたるほんとうの政治家に結集することで、わたしたちもまた納得できるのではないでしょうか。そして、共産党と社民党との強い共闘関係をつちかい、育てることで「れいわ新鮮組」もまた国政への新しい一歩を得ることになるでしょう。願わくば自民と維新が手をつなぎ、闇夜の政治が始まる前に…。

Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

Bob Dylan - Hard Times Come Again No More

"My Back Pages" Bob Dylan / the best version you've ever heard.
web拍手 by FC2
関連記事

2020.06.13 Sat 学校はこどもたちの学びあう場? それとも子どもたちを調教する場? 2

kazenomata.jpg

 中学2年の時、わたしたちの学校にひとりの教師がやってきました。度のきつい丸い黒ぶちメガネをかけた彼の授業は一風変わっていました。教科書そっちのけで議論を始め、いつも脱線してしまうのでした。
 その日の授業はアメリカの南北戦争でした。「みなさん、リンカーンは偉い人だと思いますか」と彼が言いました。わたしたちが「偉い人です」と答えると、「なぜ、偉い人なんですか」と質問しました。「奴隷解放をしたからです」と言うと、「奴隷解放したリンカーンは偉い人なのか、議論しましょう」と教科書を閉じ、フリートークになるのでした。
 そうなるきっかけはいつも、教科書に書いてあることがほんとうにそうなのかと彼が問いかけるところからはじまりました。わたしたちはそれまで、教科書に書いてあることは正しいと信じていました。ですから教師である彼が教科書を否定するような発言をするのに、ほんとうにびっくりしてしまいました。
 教師対生徒全員という形でにぎやかな議論をしているうちにあっという間に時間がすぎ、授業が終わってしまうことが何度もありました。どうもそんなことになるのは私のいたクラスだけで、その教師は「このクラスはとてもいいです」と満足していたようですが、まわりのクラスからは「いつもやかましく言いあいばかりして、授業が進まないクラス」と言われていました。
 結局その教師は、ひとりの生徒の親に「かたよったことを子どもに教える」と言いつけられ、学校を去っていきました。1961年春、街も社会も民主主義も第二次世界大戦後の一枚目の服を脱ぎ、新しい服に着替えようとしていました。

 ずっと後にドイツの革命家、ローザ・ルクセンブルグから、黒人奴隷がアメリカ南部の綿農場に送り込まれたのはイギリスの綿織物工業のためだったと知りました。事実、南北戦争の時、イギリスは南軍に荷担しました。リンカーンが「人民の、人民による、人民のための政治」をかかげ、民主主義国家としてのアメリカ合衆国をつくるために奴隷解放を真に願ったことはまちがいないのだと思います。けれどもイギリス資本から独立しようとするアメリカ北部の資本主義が、最下層の労働者として黒人奴隷に目をつけたという、もうひとつの側面を持っていたことも事実としてあったのでしょう。
 1861年にはじまった南北戦争は、リンカーンが「奴隷解放宣言」を出したことで国内外の支持をあつめた北軍が優勢になり、1865年に北軍の勝利に終わりました。黒人が人権を獲得していく大きな一歩だったのはたしかなことなのでしょうが、その後のたたかいが過酷なものだったことは公民権運動をはじめ、長い歴史が教えてくれています。
 ブルーズは南部の黒人たちの過酷な暮らしの中から生まれ、奴隷解放後の最下層の労働者としての黒人が職をもとめて南部の農場を渡り歩き、やがてシカゴやデトロイト、ニューヨークなど北部の都市に移動する中で発展していったといいます。黒人霊歌、ブルーズ、R&B、ロックンロール、ハードロック、ヒップホップと、アメリカの壮大な音楽の歴史は、マイノリティの切なくもいとおしい心が踏み分け、突き進んできた荒野とともにあったことを、海をへだてたわたしたちもやがて知ることになります。

 長い時を経て今ふりかえると、授業のおくれも気にせず議論にあけくれたその教師との時間が、とてもたいせつなものだったと思います。
 教科書に書いてあることを疑ってみることで、教科書や書物に記述された歴史の下にその時代を必死に生き、そして死んでいった無数のひとびとの悲しみや怒りや夢や希望があったことを、その教師の授業を通じてわたしは学びました。
 そしてそのもうひとつの歴史は今を生きるわたしたちがページを開くことを待ちつづけていること、そして感じたことを率直に話し合うことで、一つの事実にかくれたたくさんのひとびとの真実を発見するたいせつさを、その教師はわたしたちに教えてくれたのだと思います。

 子どもたちが友だちと出会い、どれだけちがった個性と共に生きることができるかを学び合う場としての学校が牢獄と化し、どれだけの子どもたちが学校に行くことを恐怖ととらえているかを、わたしたち大人は知らなければならないと思います。
教育のコストパフォーマンスは経済効果をはかるのとはちがいます。親でもまわりの大人でもなく、ましてや国家や社会でもなく、子どもたち自身にとって教育とは何か、いい教師とはどんな教師なのかは、教育という制度が生まれた近代以来、はっきりとした答えが出ていませんし、これからもその答えはないのかもしれません
 効率が悪いかもしれないけれど、テストではかるような成果がないかも知れないけれど、何十年たった後に、学校で学んだことが一人の人生を変えることがあることを、わたしは豊能障害者労働センターとの出会いで学びました。
 学校を社会や産業にとって優秀な人材をつくる工場とみなし、教師を従業員とする橋下徹さんや維新の会がすすめてきた「教育改革」は、こどもたちを傷つけるだけだとわたしは思います。
 学校のランクづけはこどもたち心を傷つけます。当時、多くの子どもたちから「僕の点数が悪いせいで学校がなくなるの?」と聞かれたそうです。
 子どもたちにこんな悲しい言葉を言わせる教育とは学校とは、誰のためにあるのでしょう。

舞台『唐版 風の又三郎』公開ゲネプロ 窪田正孝 柚希礼音 風間杜夫
わたしはどもりの対人恐怖症で、登校拒否で小学1年生はほとんど行かず、2年3年も休みがちで、4年生からようやくふつうに学校に行くようになりました。それでも、「こいつと話すとどもりがうつる」とからかわれ、本読みを当てられないかと緊張しながら教室にいました。実は今でも会議などではあまり変わらないでいます。
宮沢賢治の「風の又三郎」は学校の持つ不気味さと転校生というストレンジャーが重なっていました。
唐十郎の芝居「風の又三郎」は原作とほとんど関係ないのですが、学校の不思議さと恐怖感は原作とおなじです。
 この芝居はわたしがはじめて生で状況劇場を見た芝居で、今はもうない天王寺の野外音楽堂で、台風が過ぎ去った直後だったと思います。根津甚八、小林薫が人気絶頂だった時でした。

2012年3月13日 朝日新聞夕刊 「君が代、口元もチェック」

2012年3月4日 アサヒ新聞朝刊 「落ちこぼれゼロ 夢の果て 大阪に先行10年 NY150校淘汰」
web拍手 by FC2
関連記事

2020.06.07 Sun 学校はこどもたちの学びあう場? それとも子どもたちを調教する場? 

nakahara.jpg

 昨年の7月の終わりから地域の子どもたちの通学路に立っています。といっても能勢は子どもの数も少なく、親御さんが車で送って行かれる場合もあってせいぜい小学生は20人ぐらいです。今回のコロナウイルス感染の防止対策で休校が長く、先日にやっと学校が再開し、久しぶりに子どもたちを見ると、みんな結束力が高くなっているように感じました。「学校楽しい?」と聞くと「うん、楽しい」と答える子供たちの表情は、大人の喜びそうな答えを言う感じではなく、本当に楽しそうでした。家にいるのも結構たいくつしていたようで、「やれやれ」という感じなんだろうと思いました。
 ところでひとつだけうれしいことに、今までお母さんが車で学校に送っていた障害をもつ女の子が、みんなと一緒に歩いていくようになったことです。素敵なその子はいつも一生懸命にみんなに話しかけていて、わたしにも屈託なく話しかけてくれるのです。
 きっとこれから何年も、今回のことはひとりひとりの子どもたちの人生に大きな思い出となることでしょう。その思い出が良い思い出でなくてもせめて悪い思い出にならないようにと願うばかりです。
 さて、吉村洋文氏のTシャツなどの関連グッズが大人気だそうですが、ここでもう一度橋下氏と維新の会が成果としている教育改革は失策というよりも、もっと根本的なところでこどもの未来を壊してしまいかねないとわたしは思います。
 橋下氏が大阪府知事になった2008年からはじまった大阪維新の会による「教育改革」は子どもたちの学力をテストではかり、その点数で教員の「指導力」を採点し、「指導力」がないとみなされた教員を処分し、学区をなくし「学力」の向上が見込める学校に子どもを追い詰め、人気のない学校は廃校にし、校長の民間人公募制の導入、学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付けなど、戦後社会が守ってきた教育の自立性を侵し、教育委員会や学校現場への政治介入をすすめました。
 中でも目玉とされた校長の民間人公募は、2012年に合格した民間人校長は11人でしたが、市立小学校校長となった50代男性の経歴詐称が発覚し罷免免職、しかもこの男性はその後、女性から現金をだまし取ったとして詐欺の疑いで逮捕されました。
 さらに、公募で市立小学校の校長となった別の50 代男性が、児童の複数の母親に体を触るなどのセクハラ行為をしたとして懲戒処分になりました。また授業妨害する生徒を指導せず、若い女性教職員6人に「なぜ結婚しないの」「なぜ子どもをつくらないのか」などセクハラ質問をした市立中学校長が任期を1年残して辞任するなど次々と問題が発覚。結果、11人中、7人が任期中に離職してしまいました。
 「国際競争力に勝てる人材を育てる教育」をめざす維新の教育政策の背後にあるのは民間活力と民間委託を絶対視する新自由主義の思想ですが、子どもは工業製品ではありません。
 公立私立にかかわらず、教育は等しく子どものためのものであり、自らの利益を追求する私企業的な発想のみでは成り立たないことが、これらの不始末が明らかにしています。
 私立高校への授業料無償化を評価するひとたちもいますが、北朝鮮との政治外交問題を持ち込んで朝鮮学校の子どもたちを排除するならば、この国に生まれ育つ子どもたちを選別することですべての子どもたちの心を著しく傷つけることになるとわたしは思います。

 2012年、大阪府立和泉高校(岸和田市)の卒業式で、橋下徹大阪市長の友人の弁護士で橋下氏が府知事時代に登用された中原徹校長が「君が代」斉唱の際に教職員の口元を見て歌っているかどうかを監視し、チェックしていたことがわかりました。
 大阪府では2011年6月、「大阪維新の会」(代表・橋下市長)府議団提出の「君が代」起立強制条例が強行されました。これを受けて、府教委は今春の卒業式にむけ、府立学校の全教職員に「君が代」斉唱時に起立・斉唱するよう初めて職務命令をだしていました。
 このニュースを知り、わたしはその場にいた子どもたちは何を思っただろう、と心が痛くなりました。子どもたちの出発の場、別れの場が先生たちの調教の場になる恐怖…、その日まで友と学びあい、先生への信頼を持ち続けた子どもたちも少なくないと思います。その積み重ねてきた信頼と友情が踏みにじられ、学校の主人公が子どもたちではなかったことにがくぜんとしたはずです。先生たちが「君が代」を歌っているかをチェックされている光景は地獄そのもので、維新の狙いとは裏腹に「君が代」が嫌いになってしまった子どももいたのではないかと思うのです。
 結局のところ、大人たちの意のままにされる子どもたちの受難は終わることはないのでしょうか。学校が子どもたちの学び合う場になることはこれからもないのかもしれません。もし、そうであるならば学ぶ権利を教育に求めることは絶望的となります。教育のありようが大人たちの都合にふりまわされるとしたらとても不幸なことだと思いますし、生身の人間としての子どもたちの心を深く傷つけてしまうのではないでしょうか。
 そして、どんな歌であっても起立斉唱を強制されることは子どもたちだけでなく、歌そのものにとっても不幸だとわたしは思います。歌は歌を必要とするだれかの心に届けたいと願う心で生まれ、巷を流れてこそ歌であり、歌う心と心がかさなりあった時、はじめてひとりからふたりへ、ふたりから3人へ、3人からみんなへと合唱されるのではないでしょうか。
 わたしは1947年に生まれましたので、日本国憲法と同い年ということになります。
 1947年という年に大人たちが何を思い、どんな社会を望み、どう生きようとしたのか、ほんとうのところはわたしにはわかりません。
 ずっとのちに障害を持つ友だちと出会い、障害を持つ子は学校に来なくていいのではなく学校に来てはいけないと、就学免除という名で学校から排除されてきた歴史を知り、実は学校は子どもたちが学びあう場ではなく、子どもたちを調教する場だったのかも知れないと思いました。そして、だれかを排除することで成り立つ学校も社会も、ほんとうのところ先生が教えてくれた民主主義が育ってはいなかったのだとも…。
 大震災で犠牲になったひとたちと同じぐらいのたくさんのひとたちが毎年自殺してしまう社会に、国家や社会に都合のいい人材や国際競争力に勝てる人材をつくるための教育が意味のあることなのか、新自由主義のもとで競争することばかりに熱心だったわたしたちは、新型コロナ感染で無数の命が奪われる中にいる今こそ、助け合うことこそが革命であったことをもう一度思い出し、友情と純情と一切れのパンと切ない夢と埃まみれの希望を胸に、「愛しあっているかい?」(忌野清志郎)と身近な誰かから語り合いたい!
 子どもの頃に熱中した少年探偵団が追いかけたものが怪人二十面相ではなく、民主主義という見果てぬ夢なのだとしたら、子どもたちが学び合う学校を子どもたちとともにつくりだすことが大人になったわたしたちの役割なのではないかと思うのです。

忌野清志郎 with Booker T & the M.G.'s / トランジスタラジオ

宮沢賢治・星めぐりの歌・遊佐未森

木村充輝 天王寺

web拍手 by FC2
関連記事

2020.06.05 Fri 英雄を必要とする時代は不幸だ。吉村知事の人気沸騰に隠れる民主主義の危機

yoshimura.jpg

 新型コロナウイルスの感染の第1波がようやく落ち着いた状況ですが、北九州市や東京都、北海道などでは早くも第2派の恐れもあり、全国的にいずれ来るといわれる秋から冬の第2派に備えて、特に医療体制の充実が求められるところです。
 わたしたちはわたしたちで、不要不急の外出自粛、社会的ディスタンスの徹底、手洗いとうがいとマスク着用などは一過性でなく続けていかなければならないと自覚する一方で、息が詰まる窮屈な生活がこれからも続くと思うと心と身体から元気がなくなってしまうんじゃないかと不安になれます。
 それはさておき、つい先日まで自信にあふれ、どや顔だった安倍総理が何かおびえているようで覇気も元気もなくなる中、先を走った東京都の小池知事までも追い抜き、わが大阪の吉村知事の人気が急上昇で、大阪はもとより全国からも「大阪に住みたい」といった声に混じり、気の早い人からは「首相になってほしい」と雄たけびが上がるほどです。
 しかしながら、わたしには「大阪モデル」と称して国よりも先んじて英断をくだすと賞賛される彼の対策は、先行き多く見て3割のリスクはあるものの、いずれ国が対策を進めるだろう7割にかけるカジノならぬ賭けに出る勇気は讃えられたとしても、テレビバラエティーで日に日に人気が高まっていくほどのことでもないと思います。
 維新の元祖・橋下徹氏が提唱、実行した「公務員叩き」と「民間委託」による行政コストのカット、新自由主義による構造改革などが世界的にも医療体制の貧困を進め、今回のコロナショックに対応できなかったことなどは棚に上げ、以前の民主党政治、今は安倍内閣を断罪する「決まられない政治」に対するいら立ちと強いリーダーを求めるサイレントマジョリティーを喜ばせる術を知っている、さすが橋下さんの申し子としての面目躍如といったところでしょう。
 彼の人気をうまく引き出しているのはやはり橋下さんで、今年になってからすべてのメディアに「信頼のおけるコメンテイター」として引っ張りだこになっている彼の戦略は、実は以前の大阪都構想直後から緻密に計算されたものでした。
政界への橋下復帰待望論をうまく誘導し、橋下さんと松井さんがヒールの役を担い、全国版にふさわしいスマートさを吉村さんに託す戦略はさすがと言えます。
 吉村さんを前面に出すことで、橋下さんたちはいよいよ最大の野望である国の権力を獲りに行く覚悟を決めたのではないかと思います。
 大阪での維新政治の実態をいくら暴いても、今の安倍内閣の不条理さにぼつぼつ嫌気をさしてきた大阪人にとって自民よりも維新という勢いは止まらず、維新の政治は「妬みの政治」からニュー大衆翼賛による「希望の政治」として、全国に躍り出ようとしていると思います。
 ほんとうに怖くて危険なのはヒットラーではなくヒットラーユーゲントだったように、SNSまでも路上にあふれだした英雄待望論にあるとわたしは思います。
「英雄のない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」とかつて寺山修司は言いました。それから何度も英雄待望論が現れては消えていきましたが、民主主義が危機に瀕する今、この言葉が心に刺さります。

三上寛 ひびけ電気釜

【寺山修二が三上寛に憑いた夜】三上寛/東京だよおっかさん

三上寛 パンティストッキングのような空
web拍手 by FC2
関連記事

2020.05.30 Sat 管楽器でも弦楽器でもない、玉置浩二の歌唱は繊細な気鳴楽器 島津亜矢の「メロディー」

main-image_TECE-3537.jpg

 島津亜矢という歌手はわたしにとって「歌姫」というよりは「シャーマン(巫女)」で、島津亜矢がいま歌いたい歌はどんな歌なのか、歌うことを宿命づけられた歌はどんな歌なのか…、コンサートであれ音楽番組であれ、CDの収録であれ、カバー曲であれオリジナル曲であれ、その歌がつくられる(歌いなおされる)瞬間に立ち会いたいと願う数少ない歌手の一人です。
 その曲がカバー曲の場合、ひとつひとつの楽曲には歌自身が隠している記憶があり、そのひとつひとつの記憶をたどり、その記憶を追体験しながら今の時代の新しい物語を作り出す力、それを歌唱力と呼んでもいいのかもしれません。
 歌の記憶をたどり、歌が生まれる瞬間に降り立てば、すべての歌は歌われた瞬間からオリジナル歌手の肉体からも書かれた譜面からも遠く離れた歌の荒野に解き放たれ、ある歌は忘れ去られ、ある歌は時代を越えて歌い継がれるのだと思います。
 はるか遠く、人間が言葉を発明する前に川のせせらぎや鳥の鳴き声とともに、自らの肉体から声という音をだすことで他者に自分の存在やメッセージを伝えるところから、音楽が生まれたといわれます。若かりし唐十郎の演劇論ではないですが、歌をつくるのは作詞家や作曲家ではなく、歌手の特権的肉体によって歌われ、つくられてきたのだとしたら、わたしにとって島津亜矢は歌うことを宿命とされたこの時代のシャーマンだと言えるのかもしれません。
 そういえば、小椋佳は島津亜矢のためにつくった「歌路遙かに」で、「歌の一つで心洗われたりもしませんか 歌のひとつで命救われたりしませんか」と歌わせています。

あんなにも好きだった 君がいたこの町に
今もまだ大好きな あの歌は聞こえてるよ
あのころはなにもなくて それだって楽しくやったよ
メロデイーいつのまに 大切なものなくした

 さて、今回は玉置浩二の「メロディー」について感じたことを書こうと思います。わたしは彼女のポップスの歌唱はたしかに完成しているものもたくさんあると思いますが、いまはまだエチュードの段階だと思うものも少なからずあります。
 もとより、人それぞれの個性と才能、向き不向きがあるのは承知していて、島津亜矢もその例外ではありえないでしょう。また、わたしの好みや感じ方もあり、そういう意味では歌の善し悪しなどは突きつければ歌詞と楽曲はもとより、歌い手の声質や声量や表現とあわせて、聴く者の好みやその歌と出会ったシチュエーションで決まるものなのかもしれません。ですから、わたしがこの歌に限らず玉置浩二の楽曲を歌いなおしてほしいと思ったとしても、それぞれの感じ方の問題と割り切ってしまえばいいのかもしれません。
 「メロデイー」は日本一のボーカリストといわれる玉置浩二の歌の中でも特に難しい歌だと思います。島津亜矢は玉置浩二が好きで、いままでこの歌の他にも「行かないで」、「じれったい」、「田園」、「ワインレッドの心」などをカバーしています。いずれも名曲といわれる歌ばかりですが、実は玉置浩二が歌うことで名曲になったというのがほんとうのところだと思います。その中でも「メロディー」は短くてシンプルで音域も高くないのに、ひとつひとつの言葉が心にしみわたる楽曲で、たしかに彼以外には歌えないと言われるゆえんです。
 しかしながら島津亜矢がボーカリストとして演歌と同じかそれ以上に多くの人々を魅了する天賦の才能と実力を備えた歌手と確信するわたしにとって、この歌はまだ完成していないエチュードで、玉置浩二とはちがった場所で音楽的冒険をつづける島津亜矢の旅の途中で立ち止まり、彼女の進化を測る貴重な楽曲だと思います。
 というのも、以前からわたしは島津亜矢の管楽器のようにやや硬質でナチュラルな声質が魅力と思っていて、演歌では「影を慕いて」や「悲しい酒」、ポップスでは森山直太朗の「桜」や、「帰らんちゃよか」以来、新解釈で島津亜矢のオリジナルとして完成させた「時代」など、弦楽器系の声質では表現しにくい直接性と、歌でなければ伝えられない切実さが彼女の声質を生かしていて、ジャンルにとらわれずたくさんの歌を彼女が歌える理由のひとつになっています。
 ところが、玉置浩二の場合は管楽器でも弦楽器でもなく、強いて言えば彼の喉と身体全体が気鳴楽器といわれるアコーディオンやバンドネオンの蛇腹のふいごのように膨らんだり縮んだりする空間楽器になっていて、そこから来る独特の歌唱は歌詞も曲もとてもシンプルなのに、のどから外に出るビブラートではなく、のどから体の中で震えるビブラートがかすかに漏れるような繊細さといとおしさで歌い語り、やさしい沈黙までもが心に届けられるのです。
 もう二度と帰らない青春、大人になることでなくしてしまった夢と友情と恋、もしかすると、大切な友人や恋人が亡くなったと知らされ、通夜や葬儀で心の中で弔辞を一言、また一言かみしめて読んでいるような、悲しみと、もしかするとちょっとした裏切りと、懐かしい人と町、そこに流れる青ざめた時をいつくしむように聞こえてくる歌は…。
 願わくば島津亜矢の管楽器的で官能的な刃のような発声法に加えてあとひとつ、玉置浩二の気鳴楽器のような発声法を加えたら、存在感を増す肉感的な低音がより生かされ、これまでやや不得手だったかも知れない楽曲へのチャレンジも可能になり、フィールドが一気に広がるのではないかと想像します。
 これも最近、強く感じることですが、島津亜矢の演歌の歌唱はずいぶん前に完成していたはずが、すでに10年ほど前から獲得したゾクッとする肉感的な低音がポップスの歌唱によって磨きがかかり、最近の彼女の演歌歌唱はかつてのような若さに任せて(それもまた魅力的でしたが)歌い切るのではなく、歌い残すことで聴く者の心にいつまでも甘美なやけどを残します。
 演歌で獲得できた歌を詠む力をポップスで発揮するようになるには、あと少しの時間が必要なのかもしれません。歌に隠された記憶と物語を引き出すために、演歌・歌謡曲とは比べ物にならない無数の楽曲を歌うことで、もう一度丁寧に歌を詠む力と新しく多彩な発声法にチャレンジしてほしいと願っています。
 もちろん、今の歌唱でなにか問題があるのかと言われれば最終的に好みの問題とされるでしょうし、たしかに今のところ彼女がどれだけ努力をしてもいまだに「演歌歌手・島津亜矢」のレッテルをぬぐえないのも事実で、それならば演歌歌手のポップスとして高い評価を得ていることで満足すべきなのかもしれません。
 彼女の小さな成功例が刺激となったのか、最近の若い演歌歌手がポップスを歌う機会が増えましたが、ファンのひいき目からくる失礼方を承知で言えば、かろうじて市川由紀乃を除いてほとんどは島津亜矢のポップスとは似て非なるもので、かつては島津亜矢もそうであったかもしれない「演歌歌手のお座敷芸」の域を出ないと思います。それだけでなく彼女彼らがポップスを歌う姿勢に「演歌歌手は何でも歌える」といったある種の思い込みを感じて、がっかりしてしまいます。
 その意味でも「孤高の歌手・島津亜矢」の苦闘はまだまだ続きそうで、だからこそ音楽の女神にいざなわれ、道なき道を歩く島津亜矢をいとおしく見守り、あとを追いかけようと思うのです。

島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル

島津亜矢『メロディー』

玉置浩二 『メロディー』Live at Tokyo International Forum 1997/11/22

web拍手 by FC2
関連記事