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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

2022.02.02 Wed 世紀を刻んだ歌-ヘイ・ジュード・革命のシンボルとなった名曲

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 2002年、大きな反響を呼んだドキュメンタリー番組「世紀を刻んだ歌-ヘイ・ジュード・革命のシンボルとなった名曲」が2月7日午前9時より、NHK BSプレミアムでアンコール放送されます。わたしはこの番組をリアルに観ていて、再放送を楽しみにしています。

 1968年、ほんの短い間チェコスロバキアに実現した自由な政治体制(人間の顔をした社会主義)「プラハの春」は、8月20日、旧ソ連軍の戦車によって踏みにじられました。
 「プラハの春」の短い期間に「マルタの祈り」でデビューし、国民的歌手になったマルタ・クビショヴァは、はじめてのアルバムの最後の曲にビートルズの「ヘイ・ジュード」を収録したいと思いました。
 当時、オノ・ヨーコと新しい人生をはじめていたジョン・レノンとシンシアとの離婚問題の最中、ふたりの子供・ジュリアンをはげますために、ポール・マッカートニーはラブソングに仕立てた曲を作りました。8月に発売された「ヘイ・ジュード」は、ビートルズ最高のシングルヒットとなりました。そしてチェコのつかのまの自由が押しつぶされようとする時、この歌は高い国境の壁を越え、マルタ・クビショヴァに届いたのでした。ラブソングは女性が女性に語りかける歌詞へと変わり、自由と平和を求める民衆の歌となりました。
番組はそのために歌うことをやめさせられ、レコードをすべてこわされされたことや、その後の21年にわたる苦難の時代を、彼女へのインタビューを交えながら語っていきます。
 1989年、ベルリンの壁の崩壊から一挙に東欧諸国の民主革命が実現します。チェコでは11月17日に自由を求めた学生デモを機動隊が弾圧し、学生が虐殺されたことからはじまりました。24日、26日と数十万人の集会が開かれ、27日のゼネストをへて、12月10日新政権の誕生まで、たった3ヵ月のことでした。
 チェコの革命は実に静かに非暴力的に行なわれたことで、「ビロード革命」(やわらかな革命)といわれています。そしてその革命を裏でささえたのは学生と音楽家たちでした。集会やデモの演説の間に、ロックやフォークの人気歌手が歌いました。その集会の場にマルタも立っていました。「マルタの祈り」を歌いだすと、80万人の大合唱になったと言います。
 何人かの学生が「マルタさん、わたしたちの大学で歌ってください」と、彼女に声をかけました。その時彼女は革命の象徴となった「マルタの祈り」を歌うのだと思いました。しかし、学生たちは「ヘイ・ジュード」を歌ってほしいと言うのです。「あの歌はレコーディングの時しか歌っていないので自信がない」と言う彼女に、学生たちは言いました。
「だいじょうぶです。ぼくたちが知っています。いっしょに歌いましょう」。
 ポール・マッカートニーがラブソングに仕立て、ジュリアンのためにつくった「ヘイ・ジュード」は、チェコの長い21年の時を革命の歌として、多くの人々の心から心へとひそやかに歌い継がれていたのでした。
 できすぎた物語といえるこの実話が伝える音楽のすごさにわたしは圧倒されました。
 
 1968年は世界でも日本でも激動の年でした。1月・東大紛争のはじまり。2月・成田空港(東京国際空港)反対運動、金嬉老事件。3月・南ベトナムのソンミ村でアメリカ軍による村民大虐殺事件。4月・キング牧師暗殺。5月・フランスの五月革命。6月・ロバート・ケネディがロサンゼルスで狙撃され、翌日死亡。小笠原諸島が日本に正式復帰。10月・スエズ全域でアラブ・イスラエル戦争。国際反戦デーに全学連が防衛庁や国会構内に乱入・新宿駅に放火(新宿騒乱事件)。12月・3億円強奪事件、米宇宙船アポロ8号による世界初の月面テレビ生中継…。
 そのころのわたしは体をこわし、貯金を取り崩しながら友だちと6人で暮らしていました。社会とかかわることがまったくできない孤独感をいきがりでごまかし、大学紛争に参加している同世代の若者に「内なる国家、内なるファシズムこそが問題や」とか屁理屈を言っていました。
 そんなぼくにも青い時というのがあったとしたら、やはりこの時代を思い出してしまうのです。時代の匂いは否応なくわたしの心をはげしくゆらしていました。
 自分の人生が他人の人生と共にあることを、テレビに映されるさまざまな出来事がわたしにも関係があることを知るにはまだ長い時が必要でしたが、それでも言葉にできないむなさわぎがいつもふつふつとわいてくるのでした。そんな青い時に流れた歌が「ヘイ・ジュード」だったのです。

 ビートルズはわたしがはじめて聴いた英語の歌でした。1962年、初のシングル「ラブ ミー ドゥー」でレコードデビューしたビートルズの波は、北大阪の片隅でうずくまるわたしの上にも押し寄せてきました。1966年の日本公演のさわぎは大変なもので、「日本武道館をそんな連中に使わせるな」、「青少年を不良化するビートルズを日本から叩き出せ!」と大人たちは大合唱しました。警視庁は「ビートルズ対策会議」を開いて、ビートルズ来日公演に機動隊など延べ3万5千人を動員することを決定しました。竹中労の名作「ビートルズ・レポート」が伝えたように、70年安保闘争の最終局面の予行演習をもくろんだのだと言われています。
 ビートルズとファンがつくる社会現象が大人たちの反感を買うたびに、ますますわたしは大人の社会と対決しなければならないのだと思いました。それは大学紛争や安保闘争に参加する形でかかわれないわたしまでもが参加する、「自由であること、自分らしくあることを求める、もうひとつのかくめい」だったのです。
 いまふりかえってみると、すでに解散へと向かっていたビートルズにとって「ヘイ・ジュード」は単なるラブソングではなく、別々の道を進もうとするビートルズ自身と、世界中のわたしたちへのメッセージでもあったのだと思います。くしくもそのB面には「レボリューション」が入っています。
 時代が激しく燃え上がりながら転がり落ちることを準備していた1968年。それはわたしが6人の「隠れ家」から出て、もう一度最初から社会とかかわっていくことを教えてくれた年でもあったのです。
(2003年4月、豊能障害者労働センター機関紙「積木」掲載記事を加筆修正しました。)

Paul McCartney - Hey Jude Live at Hyde Park

>Marta Kubišová - HEY JUDE (DLOUHY PUST M.K.) - @tubasarecords2

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2022.02.01 Tue たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える。



 1月22日、難波希美子さんの呼びかけで、「タネを考えよう」の集まりを能勢町淨瑠璃シアター研修室で開催しました。
コロナ感染症オミクロン株が広がる中、開催をどうしようかと思い悩みましたが、わたしたちなりに感染対策を万全にしながらの集まりでした。

たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える。

 この有名なマルチン・ルターの名言は、「世界がどんなに絶望の淵にあっても、かならずやってくる未来の世代に希望を託し、あきらめないで今日できることをしよう」という意味と思ってきました。そこには、人の世はよくも悪くも変わっていくけれど、森や山や川や海がいつまでも変わらずわたしたちを見守ってくれているという思いが込められています。
 しかしながら、利益を増やし成長するために倒れるまで走り続けなければならない人の世の資本主義の宿命は、わたしたちを見守ってくれていたものまで商品に変えてしまいました。水や空気までもが商品になり、地球そのものから宇宙までも私有化の終着駅へと驀進する今、人間が途方もない時を地球と共に耕し、分け与えられてきた恵みとしての種や苗もまた、長い歴史の末に「誰のものでもなくみんなのもの」から「特定の誰か」のものになってしまおうとしています。

 2018年、主要農作物種子法が廃止されました。種子法とは1952年、戦後の食糧難の折、コメや大豆、麦などの普及を促進するため、命の要である主要食料のその源である種は民間に任せるのでなく国が責任を持ち、国がお金を出して都道府県がいい種を開発し農家に安く提供する法律でした。
 種子法廃止により種子を公的に守る政策が放棄されたことにより、一部企業による種子開発や品種の独占など、多国籍企業に日本の食料を支配されることにつながります。
 そこで農業が主要産業である地方自治体では、種子法が廃止された後も独自のシステムで原種の保管などこれまでの取り組みを継続するために、種子法と同様の趣旨の内容を盛り込んだ種子条例を制定しており、2021年4月現在、北海道と27県に達しています。
 さらに昨年の国会で種苗法の改定が決まりました。種苗法とは、野菜やくだもの、穀物、きのこや花などのすべての農作物の種や苗に関する法律で、新たに開発された品種を農水省に出願して、それが認められて「登録品種」となると、その独占的販売権が25年(樹木の場合は30年)認められます。これまでは農家は自分の作った作物から次の作付けのために自家採種してもよかったのですが、今回の改定で育成者に許諾を得なければ自家採種ができなくなります。
 主に日本の種を海外に取られないための改定とされていますが、種苗法で自家採種に制限をかけるだけでは海外流出の歯止めには不十分だと言われています。むしろ、「種は買う」ものとなって、日本の農家がグローバル種子企業に譲渡されたコメなどの種を買わざるを得ない状況になり、表面上の意図とは逆に日本の種を海外企業に取られ、支配されてしまいかねません。
 各地域の在来種は地域農家と地域全体にとって地域の食文化とも結びついた一種の共有資源であり、個々の所有権は馴染まないのではないかと思います。企業がそれを勝手に素材にして品種改良して商品化を進め、その種を買わなければ作物を作れないとすると、それでなくても高齢化と後継者不足に悩み、先行きに自立した経営が困難な小規模農業や家族農業に追い打ちをかけることになります。

 わたしは能勢町に移住して10年半になります。それまでは妻の母親と吹田市の緑地公園駅の近くに住んでいたのですが、都会暮らしより地元の米や野菜をふんだんに味わえるところで暮らしたいと妻が提案し、妻の母親と3人で能勢に移住してきました。
 当初は近所にある道の駅で買っていたのですが、その内に農家の人たちと知り合いになり、また若い頃に知り合った能勢農場や産直センターとの付き合いも再開し、地元の農家などから直接野菜を買うことも多くなりました。そして、農業の大変さ知り、消費者の目線だけで値段を気にしたり安全な農作物を買うことに疑問を持つようになりました。地元農家に分けてもらう野菜はほんとうに安くて新鮮で、年金生活のわたしたち夫婦にはとてもありがたいのですがその一方で、そのことが農家の生計が成り立たない厳しい現実とかなしく釣り合っていることを痛いほど感じます。
 地産地消という形で地域の間で生活経済が回っていくためにも、また食料自給率の極端の低さからみても、さらには里山に囲まれた小さな土地を有効に利用するためにも、わたしは土地を集約し、流通コストをかけて成長する大規模農業への道より、長年の政策によって追い詰められ、苦しめられる小規模農業が持続可能になるための経済的支援、人的支援が求められていると思います。そしておそらく、無農薬栽培など有機農法や自然農法は、生産者のすぐそばにいる子どもたちの顔が見える小規模農業によってしか広がっていかないのだと思います。
 種子を公的に守ってきた種子法の廃止や、自家採種を制限する種苗法の改定は、遠い昔は「みんなのもの」であっただろう種子をかぎりなく私有物にする道なのでしょう。少し大げさに言えば最初は土地の収奪から始まり、工業化によるイノベーションの道を時速300キロで走ってきた末に、最後のフロンティアとしてわたしたち人間の身体と心を対象にし、商品化する一方、環境ビジネスの対象として地球そのものをターゲットにしようとする市場経済的野望のひとつの現れなのだと思います。
 今わたしたちの手元にある種たちの中には、自生を繰り返してきた種も、また人間と自然が時には争いながらも共に育ててきた種も、何年、何十年、何百年、そしていくつもの世紀を渡り、人類誕生から始まる途方もなく長い時をくぐりぬけ、次の世代へと命と希望と切ない夢をつないできた先人たちの愛おしい記憶がいっぱい詰まっているのだと思います。

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2022.01.20 Thu 1798年の若きベートーヴェンと2022年の若き演奏者たち 桜の庄兵衛ギャラリーにて

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 新型コロナのオミクロン株が猛威を振るい、2022年の始まりもまたもや恐怖と不安に囲まれました。その中で、桜の庄兵衛ギャラリーの新春コンサートが16日に開催され、友人2人と参加させていただきました。
 感染対策が厳重になったものの今年最初のコンサートということで、どこか華やいだ雰囲気が漂い、開演前から主催者スタッフの方々もお客さんも心が弾んでいるように思いました。
 今回は「初春に夢の音を聴くコンサート」と題し、「佐渡裕スーパーキッズ・オーケストラ」の卒業生を中心にしたユニットの若々しい演奏を楽しむことができました。
「佐渡裕スーパーキッズ・オーケストラ」は2003年の兵庫県立芸術文化センターの開館前に佐渡裕が設立した、小学生から高校生までを集めた弦楽器によるオーケストラで、メンバーは毎年、厳しいオーディションを経て全国各地から集められます。毎年9月には兵庫県立芸術文化センター大ホールで2日間にわたる定期公演を行っている他、東日本大震災と熊本地震のそれぞれの被災地でも毎年鎮魂演奏会を開いています。
 おそらく子どもの頃から気が遠くなるような時間をひたすら楽器とともに生きてきた彼女彼らの演奏は、音楽的なテクニックもさることながら心と身体から音楽への情熱とエネルギーに満ち溢れていて、新春にふさわしい演奏会になりました。

 一部はヴァイオリンの堀江恵太さんと柳楽毬乃さん、ヴィオラの丸山緑さん、チェロの堀江牧生さんによる弦楽四重奏で、L.Vベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 作品18-3」、G.ロッシーニの「弦楽のためのソナタ第2番 イ長調」、同じくG.ロッシーニの「弦楽のためのソナタ第3番 ハ長調」を演奏しました。
 休憩をはさんだ第二部は、ヴィオラの丸山緑さんとコントラバスの松本友樹さんが交代し、G・オンスロウの「弦楽五重奏曲第28番 ト短調 作品72」を演奏しました。
 第1部のロッシーニの曲も第2部のオンスロウの曲も、それぞれの演奏家が奏でる音楽に重なり、もう一つの妙なる音楽が聴こえて来るようで、素晴らしい演奏でした。
 わたしはたまたまドイツで演奏活動をしているYさんが出演したのがきっかけで、桜の庄兵衛さんにたびたび来させてもらうようになりました。クラシックを聴くのも恥ずかしながらほとんどこの会場に来た時だけで、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲もこの日はじめて聴きました。ほとんど名前しか知らない作曲家の音楽をすぐそばで聴ける幸運は、それまで全く知らなかった演奏家たちとの出会いと心を動かされる演奏によってもたらされるのでした。何度かそんな稀有の体験をさせてもらっているうちに、クラシックに造詣の深い方々には失礼極まりないと思いながらも、この会場でいつも音楽を発見(?)できる感動と喜びをいつしかこのブログに書きとめるようになりました。
 今回もまた多くのことを学び、感じることができた演奏会でしたが、なによりも何気なく聴いてきた弦楽四重奏や五重奏が、例えば私には敷居の高い交響楽やオペラ、さらには一見よく似ているピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲ともちがう、独特の演奏形式であることを知りました。
 4人もしくは5人の演奏者がそれぞれの力量と表現力を発揮するのはもちろんですが、それにもましてそれぞれの演奏者が対等な関係というか、おそらくリハーサルを丹念に終えた後でも本ステージで対話し続けるといった感じで、「ああ、音楽にも民主主義があるんだ、いや音楽だからこそ自由と民主主義があるんだ」と唐突に思いました。
 「ジャズと自由は手をつないでやってくる」と言ったのはセロニアス・モンクでしたが、弦楽四重奏や五重奏はわたしにとってクラシックよりはなじみのあるジャズにとてもよく似た演奏スタイルで、実際それぞれの奏者が自分の楽器とプレイスタイルを持ちながらも音で対話し、しばしば顔を見合わせて「音楽の冒険」を楽しんでいるのでした。
 その冒険の先に何が待っているのかは、わたしにも、そしてもしかすると演者にもわかっていないのかも知れませんが、誰が主役になるわけでもなくそれぞれの楽器で交わす演奏者たちの心の会話が聞こえてくるようなのです。
 わたしは思わずある言葉を思い出しました。私の好きな詩人の言葉をもじって、以前私が口癖のように言っていたのですが…、「ひとは楽器を持つことで自由になる。楽器を持つことでなくしてしまう自由とひきかえに…」。ひとはなにかを失うことでしかなにかを得ることはできないのかもしれません。失ったものが何かはわからないにしても、彼女彼らが聴かせてくれた演奏は、もしまた同じユニットであったとしても二度とおなじものではない、一回限りの音楽なのだと思いました。
 それが際立っているのは、なんといっても彼女彼らが圧倒的に「若い」からだと思います。ベートーヴェンは1798年、28歳の時に初めての弦楽四重奏であるこの曲をつくったそうですが、今回の演奏者たちとほぼ同じ若さで、音楽をつくる喜びと野心にあふれていたことでしょう。今回の演奏では、これはクラシックを知らないわたしが感じたことなのでまったくの間違いかも知れないですが、2楽章までは若い演奏家たちの情熱がほとばしり、やや前のめりでそれぞれの演奏者の心のざわめきが聴こえてくるようでした。
 しかしながら、それこそが若きベートーヴェンが宮廷音楽から飛び出して、広く民衆に音楽を届けようと荒野を駆け抜けた風のざわめきで、一つの音楽が時も場所もちがいながら共鳴し、吹く風の行方を追いかけるようでした。
 これが音楽の奇跡なのでしょうか。人生に一度しか吹かない若い風が年老いたわたしの頬をもかすめて行きました。これから先のごく近い未来に彼女彼らが演奏家として一段と大きく羽ばたき、進化していく姿が目に浮かびました。
 そして、桜の庄兵衛ギャラリーがこれまでにどれほどの若い演奏家たちを育て、背中を押してきたのかと思うと、ほんとうにこの場所は大切な場所なのだと思います。
 観客として参加させていただくわたしもまた、彼女彼らの疾走に立ち会えた幸運に感謝します。クラシックの奥深さを感じるとともに、新春にふさわしく春の訪れを予感するコンサートでした。

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2022.01.17 Mon 映画「IP5」 純情だけをかばんに入れて 追悼・ジャン・ジャック・ベネックス

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 1980年代のフランスを代表する映画監督ジャン・ジャック・ベネックスさんが亡くなりました。81年に発表した初長編「ディーバ」で、独創的な映像美を評価され、86年の「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」では、愛のために破滅していく男女を大胆なタッチで描き、仏映画界に旋風を巻き起こしました。
わたしは豊能障害者労働センター在職時の2000年6月3日に、今は廃館となった箕面市民会館で、彼の1992年の名作「IP5」の上映会をしました。
その縁で、当時の豊能障害者労働センターの機関紙「積木」で何度か紹介記事を書きました。その中の一文を、追悼文の代わりに掲載します。


純情だけをかばんに入れて、その映画はやってくる
村上春樹とジャン・ギャバンとイブ・モンタンと魚の腹
「IP5」上映会によせて
2000年2月24日発行 豊能障害者労働センター機関紙「積木」

 村上春樹の小説「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、「世界の終わり」の街から「夢読み」という仕事を与えられた「ぼく」は、毎日夕方に図書館に行く。
 その図書館の書庫にあるのは本ではなく、なぜか一角獣の頭骨が無数に並んでいる。「ぼく」がそれらの頭骨に手を触れ、目を閉じると、その透谷に映される人間たちの「古い夢」がかすかにあらわれ、消え去るのだった。
ぼくはこの小説を読みながら映画のことを思った。いくつもの映画館で映され、役目を終えた無数のフィルムたちが眠る倉庫。世界の果てのいたるところにそんな映画たちの墓場があるのだと思った。一度は通り過ぎた小さな映写窓で身を焦がし、光にあこがれ、恋をしたフィルムたち。その中には、一度もまばゆい光に裸身をさらしたこともなく、お蔵入りになってしまった映画もあることだろう。
 ぼくはそんなに映画にくわしいわけではない。ただ、日曜日に仕事をした後、夕方にちょっと出かけるだけで休んだという気分を味わわせてくれる、そんな映画館が大好きなのだ。
 ぼくの子どものころ、どの街の映画館も立ち見が出ていた時代、それでも映画館に行くお金もない人々もまた、たくさんいた。当然、ぼくもそのひとりだった。
 ある日、幸運がやってきた。母がしていた飯屋の前にポスターを張る代わりに、街の映画館のただ券をひと月4枚もらえるようになった。そんなわけで、ぼくが見た映画と言えば場末の映画館に流れ流れてくる傷だらけの3本立て。波が岩にあたり、三角マークが出る東映映画と、新しくもないニュース映画。これが映画との最初の出会いだった。
 高校生の時、はじめて洋画のおもしろさを知った。「映画は東映と日活や」と思っていたぼくに、「細谷、映画は洋画だよ」と同級生が言った。「言葉がわからん」というと、「おまえな、字幕っちゅうのがあるんや。洋画のおもしろさを教えたる」と、映画代をおごってくれて見た映画がジャン・ギャバンとアラン・ドロンのギャング映画「地下室のメロディー」だった。盗んだ札束が水に次々と浮かんでくるラストシーン。それを見つめるジャン・ギャバン…。そのとき、ぼくはもう一度映画と出会った。

 「世界の終わり」の図書館は、レンタルビデオが整然と並ぶヒデオショップのたとえの方があたっているかも知れない。見逃した映画や、むかし映画館で見た感動をもう一度味わいたくてビデオを借りる習慣が、ぼくにもある。けれども見逃した後悔がより大きくなり、映画館で見た感動がよみがえるどころか消えてしまうこともしばしばある。
ビデオが映し出す夜はうす明るく、朝はどこかうす暗い。かつて映画が持っていた圧倒的な暗闇と突き刺さる光のナイフは、どこに行ってしまったのだろう。
 ビデオショップもまた、映画の墓場なのだと思う。光と闇をなくしてしまった時代を生きるぼくたちは、その墓場から頭骨を取り出し、「古い夢」という映画の記憶を読み取らなければいけないのだ。

 今年、映画会をするならこの映画と決めていた。深い森の湖に入るレオン老人の美しい裸体。唇がすこし斜めにめくれるようなトニーの顔。死んでしまったレオン老人にそっとサングラスをかけるジョジョ。いかにもフランス映画らしく、この映画の登場人物は車をおどしとったり盗んだりする悪いやつなのだが、それぞれの孤独と絶望がなければ決して生まれなかった「純な心」を持っている。愛を探す旅はそれ自身が世代をこえた友情、愛、コミュニケーションなのだと教えてくれる。
「IP5―愛を探す旅人たち」をぼくは1993年2月、梅田テアトルで見た。忘れていたこの映画の記憶が、ぼくの心にあざやかによみがえる。
 あの映画はいま、どこに行ったのだろう。あれからぼくがたどった7年の間にいくつの街に行き、どれだけの人々の心をせつなく染めたのだろう。公開直前に死んでしまったイブ・モンタンはスクリーンの中でいつ旅を終え、どこの倉庫で静かに眠っているのだろう。
 映画会を企画する幸運に恵まれ、何本か新しい映画ばかりをやってきたが、2000年の今年、この映画でなくちゃだめだと思った。
 倉庫に閉じ込められた映画が、ぼくたちを待っている。映写機のジリジリという音。小さな映写窓、光のナイフに泳ぐ暗闇、ちょっと照れながら、ぼくたちの前に再び現れる銀幕のスター。夜の海で一瞬白く光る魚の腹のように、この古い映画がぼくたちによって上映されるのを待っているのだと思った。
 ぼくにとってこの上映会は、映画との3回目の出会いになるだろう。
 「IP5」! 純情だけをかばんに入れて、その映画はやってくる。

*いまはすでに映画館の上映もDVDになり、見逃した映画もネット配信で見られるようになりました。20年で時代は大きく変わりました。そして、わたしも今は能勢に移り住み、フートワーク軽く映画を観に行くことでできなくなりました。

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2022.01.14 Fri 孤立と分断の社会から助け合い社会へ 『相棒season20』元日スペシャル『二人』

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12歳の少年が心の底にある悲しみや憤りをはき出すように言うのでした。
「貧乏人といると、一緒に恐ろしいはめにあうか、おそろしいことをする羽目になるかどっちかだって。うちには祖母ちゃんしかいないし、塾とかにも行けないし、あと住民税が免除されているし…」
「そんなの君の責任じゃない」
「じゃ、誰の責任なんだよ、世の中みんな自己責任なんだよ。俺たちみたいなのは、どこまで行っても努力がたりないんだよ」
(『相棒season20』元日スペシャル『二人』)

わたしはテレビドラマ「相棒」のファンで、元旦に放送される正月スペシャルも毎年見てきました。優秀なキャリアだが変人で、警視庁の追い出し部屋と揶揄される「特命係」に所属している杉下右京とその相棒が難事件の捜査を展開し、謎を解き明かしていきます。特に正月スペシャルでは警察組織との摩擦や、それらに複雑に絡み合う官僚・政治家の陰謀など、日本の政治的・社会的な問題を対国家権力の視点で「ここまでやるか」というところまで描くこのドラマがつづく限りは、まだもう少し日本も大丈夫かなと思わせます。

 「あなたのいう国益とはいったい誰のための益でしょう。一部の官僚や為政者がこのような親子から奪い取った利益を国益とはいえません。ジャーナリストの核にあるのは、ふつうの人々に対する信頼です。この苦しみを知ればほっておけないはず、この理不尽をしれば怒りを感じるはず、その想いが世の中を変えていく、そう信じるからこそ、彼らは銃弾の飛び交う戦地にも立って報道をつづけているんです。そして、桂木りょうさんもまたこの国の前線に立っていました。ふつうに生きている人々のために、この国の巨大な権力を敵に回して、たたかいました!!」
 この長いセリフは2014年「相棒 元日スペシャル」で杉下右京が犯人の公安幹部に向かっていうセリフです。権力の犯罪をあばく物語がマンネリだというひともいますし、反感を感じる人たちもいるようです。しかしながら、わたしは毎回その時々の社会問題を積極的に取り上げ、それを娯楽大作としてプロデュースするこの番組にいつも共感しています。
この時は前年暮れに成立した特定秘密保護法を背景にしていることはあきらかで、シングルマザーの貧困問題とそれにからんだ国家の犯罪を暴こうとするジャーナリストとそれを封殺、隠ぺいするために殺人まで犯す警察権力との攻防を娯楽作品にまとめ、とてもたいせつなメッセージを届けてくれたことを今も記憶しています。

 今回のドラマは、自分の置かれている状況を「自己責任」だと思わされ、それでも必死に生きる子どもを通して、非正規雇用や低賃金労働によって成り立つ新自由主義経済に痛烈な警告をしました。低賃金で働く人々を「国民」ではなく「もの」としか考えないと政治家に放った杉下右京の言葉は、多くの人々の心に届いたのではないでしょうか。

袴田代議士「警察官ごときに何がわかる。この国の経済を動かすには、低賃金で働く労働者が不可欠なのだ。」
杉下右京「国の経済…、僕にはあなたとあなたのお友だちの経済としか思えませんがね。」
袴田「国力を高め、国を豊かにするために必要なものを確保する。それが為政者の仕事だ」
右京「なるほど、あなたがたにとって低賃金で働く労働者は国民ではなく、ものというわけですか。たしかに彼らはあなた方のように何かあれば病院の特別室に入れるわけではない。しかしそんな人々にも大事な家族や生活がある。どんな人にも守りたいと願う、それぞれの幸せがあるんですよ」
袴田「それこそ自分でどうにかしたらいいんじゃないのか」
右京「そうでしょうか、12歳の少年が何もかも受け入れてあきらめて、この世は自己責任だという。困ったときに助けを求めることすら恥ずかしいことだと思い込まされている。それが豊かな国だといえるでしょうか。公正な社会と言えるでしょうか。
袴田さん、あなたのように自分たちの利益しか考えない愚かな権力者たちがこのようなゆがんだ社会をつくったんですよ。」
(『相棒season20』元日スペシャル『二人』)

 実際、「分配から成長」という「新しい資本主義」を岸田政権が形だけでも掲げざるを得ないほどに経済格差は広がる一方です。安倍政権から菅政権と、新自由主義のもとで非正規雇用が4割に達し、低賃金で「景気」の調整弁のように働くひとを使い捨てにしてきたことで、わたしたちの社会は引き返せないほどの経済格差による「分断」と「孤立」と「自己責任」という言葉に引き裂かれました。そして、他者への想像力を欠いたいじめや憎悪や妬みがうずまき、幼い子どもが輝くはずの未来から滑り落ちて自殺してしまう、悲しい社会になってしまいました。
 世界を見渡せばこの20年の間に賃金が上昇し、雇用も進んでいるのに、日本では実質賃金も一人当たりGDPのランクも下がり続けている現実を見れば、利益を海外に移転する企業の内部留保は増えても、日本の国内は低賃金のまま国内消費にはお金が回りません。
 昨年の衆議院選挙では、まさに岸田政権が新自由主義に修正を加えようとした間隙を縫って、さらなる構造改革によってこそ成長できるとした維新の会が躍進しました。
 しかしながら、「失われた30年」を取り返すためにと新自由主義を掲げ、構造改革を正義としたリストラ、非正規雇用を推し進め、外国人を研修という名目で低賃金と劣悪な労働環境に貶め、公的サービスを削減し、そのつけを民間委託に回した結果、豊かで幸せで安心できる社会になったのでしょうか。2年にわたる新型コロナ感染症の猛威によって大切なひとをなくして生き延びたわたしたちは、こんなに大きな犠牲を払ってもまだ、新自由主義の悪夢から醒めることができないのでしょうか。
 人件費をコストとする経営ではなく、人件費を経営成果とする経営を、わたしは障害のある人もない人も共に経営を担い、給料を共に分け合う豊能障害者労働センターで学びましたが、それだけではなく、競い合う社会より助け合う社会、奪い合う経済より共に分け合う経済こそが、たとえGDPなどの経済指標では成長しなくても、豊かで公正で安心できる社会だと学びました。
 今回の「相棒」は、まさにそのことを強く訴え、今の経済や社会の仕組みに警鐘を鳴らしたドラマでした。
 今回のドラマではプラカードを掲げ、拡声器で「格差をなくせ!」と企業に抗議する場面があり、脚本を書いた太田愛さんが「非正規雇用の人々をヒステリックな人々として描かれるとは思ってもいなかった」と異例の記事をご自身のブログに発表しました。
 そして、「今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います。どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います。」とつづけています。
 わたしはこの脚本家がテレビドラマという枠の中で、一人でも多くの人たちに現実を知ってもらい、共感してもらいたいという強い願いを持って脚本を書かれたのだと思いました。ただ、現実問題として労働者が企業を相手に闘うことは強い決意が必要なこともまた事実で、実際の抗議行動はもっと切実ではげしいものになると想像します。
 それでも、わたしは「相棒」の脚本を書いている太田愛さんが大好きです。彼女が描く「相棒」では、政治家や官僚や国家の不正や犯罪を暴く時、必ずひとりの市民、それもしばしばいたいけな子どもの心の奥のひだにこぼれる一粒の涙を決して無駄にしない物語となり、それを水谷豊演ずる杉下右京に託します。現実にはほとんどそれらが暴かれないまま闇に葬られることを痛いほど知っているからこそ、そこに彼女の強い願いが込められているのだと思います。
 ですから、今回の件で、彼女が「相棒」から降板しないかとても心配しています。
 そして、個人的には和泉聖治が監督に復帰し、太田愛脚本というゴールデンコンビが復活することを切に願っています。

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