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2011.05.31 Tue 貧乏神と福の神

 1975年から25年も続いた人気番組「マンガ日本昔話」でも取り上げられた、「貧乏神と福の神」という昔話があります。

 むかしむかし、働き者の夫婦が住んでいました。働けど働けど生活はいっこうに楽になりませんでしたが、ふたりして一生懸命働いたので、その年の大晦日にはわずかながらお正月のお餅をつくことができました。
 すると天井の隅っこの方ですすり泣く声がするので、若者はびっくりして天井にあがってみると、やせ細ったヒゲぼうぼうの貧乏神がいたのです。
 なんでも貧乏神はこの家にずっと住んでいたが、今晩、福の神と交代するためこの家を出ていかなければならない。それで悲しくて泣いているというのでした。
 「元気をお出し!この餅とさかなをたらふく食べなさい。」と夫婦は貧乏神を励ましました。
 そこへ福の神がゆっくりと家の前までやってきました。「われこそ、福の神じゃ。この家に福を与えにやってきた。貧乏神はさっさと立ち去りたまえ。」
 「いやじゃ。この家からは一歩も離れないぞ。この家の主がずっといてもいいと言ってくれた」。
 貧乏神が出ていかないと言い張るので、貧乏神と福の神がとっくみあいのケンカになりました。負けそうになった貧乏神をふたりで加勢したので、福の神は負けてその場にバタンと倒されてしまいました。
 「こんな家には二度と来てやらないぞ。」と、福の神はプリプリ怒り、行ってしまいました。そして「打ちでの小槌」を忘れていきました。
 貧乏神が「これは、打ちでの小槌というものです。望みをかなえてくれます。何か欲しいものはありませんか」と言い、2人の望みをかなえてやると、「われは今日より福の神。」と言って屋根裏に戻っていきました。
 2人はその後も一生懸命働いて、末永く幸せに過ごしました。
 いっしょうけんめい働いたら「打ちでの小槌」が手に入り、金銀ざくざくお金持ちになって幸せにくらしたという、調子のいい話です。
 なけなしのお餅まで貧乏神にあげるというのは年貢をとことんとりあげることだろうし、きっとどこにもない「打ちでの小槌」という餌をぶらさげて民衆を押さえつけてきた支配の構造があぶり出される話でもあります。

 それでもわたしは、この話に可能性を見つけています。最後に手に入る「打ちでの小槌」は別にして、わたしたちがつくりだし、つながっていこうとしている「障害者市民事業ネットワーク」はまさしく貧乏神の経済、貧乏神の思想なのだと思います。
 それに対してお金がお金を生み、世界各地で貧乏を再生産することで富が蓄積されていくグローバル経済は福の神の思想なのかも知れません。
 この物語ができた背景はその頃の支配構造そのものであるとしても、貧乏神のいとおしさと福の神の傲慢さに表現されているものは「助け合い」の思想、文化だとわたしたちは思います。だからこそこの物語はきっと多くの民衆によって支えられつくりかえられ、伝えられてきたのだと思います。
 そして、わたしたちはわたしたちなりに「貧乏神の経済」を実現していきたいと思います。わたしたちには、福の神が忘れていった「打ち出の小槌」はありません。「打ち出の小槌」がなくても、つつましやかであっても、貧乏神の経済が助け合いの文化に支えられ、生きがい、夢、恋、友情がいっぱいつまった豊かな経済であると信じて、新しい出発をしようと思うのです。

経済もまた夢を見る、貧乏神と福の神(恋する経済&障害者市民事業ネットワーク)
豊能障害者労働センター


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2011.05.27 Fri 被災地の障害者作業所とつながっていくために

 昨日、京都府相楽郡の相楽作業所で「東日本大震災関西障害者応援連絡会」の会議があり、参加させていただきました。
 相楽作業所は16年前の阪神淡路大震災で、豊能障害者労働センターが障害者救援活動の救援物資ターミナルを担当した時、救援物資を何度も運んでくださったことを思い出します。今回の震災でも相楽作業所と京都、奈良のグループが集まり、被災地の友人グループの紹介で福祉避難所に入り、支援活動をされてきました。
 昨日の会議は現地の支援活動の報告と今後の活動について話し合われ、わたしは「ゆめ風基金」の事務局長が会議に出席するのに同席させていただきました。
 「直後の支援活動は知り合いや友人などそれまでにつながりのある所から支援を始めないと、いま困っているひとたちを助けられない」と現地にいち早く入り、支援活動をして来られた行動力に頭が下がりました。

 今後はいままでの支援活動をつづけながら新しい支援として、被災地で障害者作業所が作っている商品をネットワークでの販売を始めることになり、すでに会議室の横の和室に宅配便の段ボールがいっぱいありました。このグループは何をするにもフットワークが軽く、福島県の作業所が風評被害で困っていると聞くと、すぐに現金で商品を買って来た他、岩手にも商品販売のために調査に行き、商品カタログといっしょにたくさん送ってもらったそうです。
 テレビなどで被災地支援の一つとして被災地物産フェアーやイオンなどが支援プロジェクトをはじめたと報道ざれていますが、わたしたちは被災地の復興の過程で障害者や高齢者が対象となるのではなく、復興の担い手として参加していくことの大切さを訴えていきたいと思います。
 障害者作業所の物づくりは長い間「福祉」の枠の中でしかとらえられて来ませんでしたが、実はいま注目されつつある「社会的企業」の経済活動として評価される時が来るとわたしたちは思っています。今度の復興は、日本社会全体のありようが問われる中で進めなければなりませんが、障害者が福祉の対象ではなく、福祉の担い手として、さらには社会の構成員として参加していくことで、よりやわらかく豊かな社会を実現する役割を果たすひとつの方法として、まずは被災地の障害者作業所の物づくりを支援していくことが必要ではないでしょうか。

 わたしはかねてより、全国の障害者団体が作っている商品をそれぞれの地域で販売するだけでなく、生産余力がある時に他の地域で販売していくようなネットワークができないものかと考えてきました。この震災をきっかけにして、被災地の作業所がつくる商品からそれを実行したいと思っています。
 すでに豊能障害者労働センターでは5月14日の「障害者救援バザー」で宮城の作業所の商品を販売し好評を得たところで、これからの通信販売や移動販売などでより広げようとしています。
 これらの作業所はほとんどが福祉法人で、障害のあるひともないひとも共に給料を分け合っている豊能障害者労働センターとは福祉制度上の位置づけも運営の在り方もまったくちがいます。しかしながら、これらの商品の販売による収益は「授産分配金」とか「工賃」とかいわれ、障害者の手にお金がのることもたしかなことです。
 そこで運営のちがいをこえて被災地の障害者作業所の方々とネットワークを組み、他の地域のグループにもよびかけて作業所の復興に参加していきたいと思っています。

 しかしながら、この活動をより広げるためには解決しなければならない問題があります。
 豊能障害者労働センターは地域で7つのお店を運営してはいるものの、対面販売だけではそんなに多く販売できないのが現状です。豊能障害者労働センターは地域での日常活動だけでは給料をつくりだせないため、通信販売でオリジナルのTシャツや雑貨を販売しています。被災地の商品の場合、とくに加工食品は2割程度の利益しかなく通信販売では送料で利益がなくなるか赤字になってしまいます。「被災地支援だからそれでいい」という考え方もありますし、現に豊能障害者労働センターでは救援バザーの売り上げはすべて支援金にしています。
 けれども、豊能障害者労働センターでは通信販売など事業の収益をみんなの給料としてわけあって暮らしていて、利益がなかったり赤字になることは許されないのです。
 それらの問題をこえて、障害者が作業所での生産活動に参加するだけでなくそれを販売したりその事業のマネージメントもにない、グループ全体の経営までもになう豊能障害者労働センターが息長く被災地の障害者作業所の商品を販売していくことは、被災地の復興だけではなく実は日本社会全体の在り方をも提案する一つではないかと思うのです。

 そこで、わたしの夢ですが、たとえば利益率が低い商品の場合は対面販売もつまりお店での販売や地域での物産展を始めとするイベント販売にシフトしなければなりません。
 そこで、被災地障害者市民事業支援基金を設立し、被災地にいくつかお店を開く。その店員を被災地の障害者がになう。
 つぎに、全国のデパート、量販店に協力してもらい、販売スペースを有料無料で貸していただき、被災障害者市民事業物産展や物産コーナーで販売する。そのスタッフに障害者も担う。
 宅配便業者に協力してもらい、送料を安くしてもらえないか。
 通信販売の会社にも協力してもらい、カタログ上での被災障害者市民事業物産展や物産コーナーをつくってもらえないか。
 それらにどうしてもコストがかかる場合、公的助成金を要望する。助成金に頼るのかと言われると思いますがそれはまちがいで、この助成金は障害者の就労のための助成金であり、生活保護に頼らないで障害者の自立生活をすすめるためにも、また通常の福祉助成金のように管理費につかわれるのではなく障害者の所得を保障していくためにも、もし事業仕分けに対象になった場合、ていねいに調査すればもっと大きくしていかなけれはならないものと評価されるはずです。
 しかしそうなると、障害者作業所の生産能力をこえてしまわないか。そうなれば、いよいよ生産メーカーの協力を得て、共同生産体制をつくれないか。
 これらの活動を通じて、いつも障害者が工場や市場や暮しの場にいることになり、被災地から新しい日本の社会の風景の一つがみえるのではないかと思うのです。
 
 少し夢が妄想になってきましたが、もしかすると思わぬところで応援してくれる人や会社やグループが声をかけてくれるかもしれません。
 夢は大きく、行動は地道に、できることから始めていけたらと思います。
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2011.05.19 Thu ほんまもんの研究者は、簡単な技術で人々を幸せにできる

 少し前の朝日新聞に、「土のうを使った、日本発の道路整備の技術が、アジアやアフリカの途上国に広がっている」という記事がありました。道路の建設は農産物の流通市場や医療サービスをつなぐもっとも大切な基盤整備の一つです。
 道路を高度な土木技術と高価な先進の機械で作るのではなく、安くて簡単な工法で住民が自ら道を造り、道を補修することができる方が、自分たちの道路という意識も高くなり、現地の住民たちにとって持続可能な開発技術として定着していくということです。

 「木村亮・京都大教授が理事長を務めるNPO「道普請人」(ミチブシンビト)が作業を指導する。まず、木村教授が手本を見せる。50センチ四方の土のう袋に砂利を詰めて並べ、木製の器具で叩いて固める。土のう袋は一枚25円。土のうを使って道の弱い部分を補修すると、アスファルト舗装の20分の1で、現地調達できる材料で、安く簡単に直せる。」

 土のうによる道路建設はケニア、ウガンダなどアフリカ、アジア11カ国におよび、道を直した後、市場への農作物の運送費が3割減り、農民の収入は5割増えたと言います。
 木村教授が土のうによる道直しに取り組むようになったきっかけは「ほんまもんの研究者は、簡単な技術で人々を幸せにできる」という12年前の恩師の言葉だったそうです。
 まったく同じ例として、アフガニスタンでの中村哲医師は「蛇篭(じゃかご)」という道具で鋼線や竹で編んだ篭に石を詰め、土嚢のようにして護岸を作るという方法で、現地の住民が補修できる持続可能な用水路建設に成功しています。
 機械をほとんど使わず、現地調達できる簡単な材料道具で作る道路や用水路の方が、機械が故障したりそれを動かす技術者がいなくなれば補修できなくなるハイテク技術で作られたものより持続可能で安上がりで、なおかつ住民の暮しをより良くするという真実があります。
 この、ひとにやさしいというか、そこに住む人々にわかりやすく、そこに住む人々に役に立つ技術、ほんとうの意味で持続可能な技術、木村教授が言った「簡単な技術で人々を幸せにできる」技術と正反対の位置に原発があるのではないでしょうか。
 それを開発した科学者が「開発してはいけなかった」と言わせた科学、それを利用する技術を開発した技術者ですら制御できない技術によって成り立つ社会をわたしたちは選んでしまったのではないか。この大震災によってたくさんの命を理不尽にも失い、今なおたくさんの人びとが困難な状況におかれている現実の中で自然の暴力性にたじろぐ一方で、原発という人間にも自然にも制御できない、とてつもない高度で難解な技術の暴力性に気付いたというよりは、いままで見ないふりをしてきたのではないのか。

 これからのわたしたちにもしやり直すチャンスがあるとすれば、「専門家」というひとたちになにもかもゆだねてしまうのではなく、簡単な技術で人々を幸せにできる土のうの技術で補修できるような部分をできるだけ増やす社会に近づくために、助け合うことではないかと思います。
 そして、わたしたちの求める「恋する経済」は貧しくて、とても小さなものかも知れないけれど、土のうの技術のように「ひとを幸せにする経済」でありたいと思うのです。

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2011.04.01 Fri 助け合い、共に生きる社会へ

 もしかすると聞きまちがいかもしれないのですが、被災地のがれきを片づけるのに被災者を雇用するというニュースを聞きました。とてもいいアイデアで、どんどんその方向で復興を実現できるように政治のちからを発揮してほしいと思いますし、わたしたち市民も力を合わせていきたいと思います。

 いまはまだ復興どころではなく、いのちもあやういところで孤立している被災者がたくさんいらっしゃることは承知していますし、現にわたしがお手伝いさせてもらっている障害者救援活動の事務局に入ってくるニュースはほんとうに切迫しています。
 しかしながら、阪神淡路大震災の時に経験した事ですが、必死に救援活動をする毎日をばたばたと通りすぎている間に、世の中は助け合うよりも競い合う市場原理主義のもとでバブルがはじけ、負け組は負け続け、勝ち組は一瞬の油断で負け組へと転落してしまう社会へとスピードを上げて行きました。
 今回の大震災の悲惨な状況から復興へとたどる道はそうであってはならないし、またそうなろうとしても無理であることを多くの人びとが感じていると思います。
 それを大不況と見るのか、それとも新しい経済、新しい政治、新しい暮しへの出発と見るのかで、ずいぶんちがってくると思うのです。 
 16年前もそうであったように、いま、日本中で多くのひとびとが被災地のひとびとに何かできることがないかと心を寄せ、助け合うことに積極的にコミットしていこうとしています。その思いを積み重ねると、いままでとはちがった社会のありようが見えてくるのではないでしょうか。
 被災地の復興を被災地の人々がにない、その過程で被災地の雇用が進んでいくことは、一般の経済がソーシャルな経済になっていくことでもあります。市場原理主義のもとで過去の遺物とされたケインズの提案が、あたらしくよみがえってもふしぎではないと思います。

 わたしたちはソーシャルな経済といったらいいか、助け合う経済の現実の姿を、アフガニスタンでの中村医師とペシャワール会に学ぶことができます。中村医師たちが荒廃した土地に井戸を掘るところからはじめ、長い年月をかけて用水路をつくるプロセスで毎日600人の人々が雇用されていました。ついさっきまで敵味方だったようなさまざまな部族のひとが集まり、その日の日当はすべてペシャワール会に寄せられた寄付金でまかなわれたそうです。
 もうひとつ画期的なのは、一般的な開発援助で購入されるハイテクな機械をほとんど使わず、スコップやくわなど、ローテクな道具で時間をかけて作っていくことです。そうすることで、もしハイテクな機械が故障したりそれを動かす技術者がいなくなればたちどころにお手上げになってしまうやり方ではなく、現地の人々で修復できることです。用水路ができていくプロセスで、荒廃した土地は耕され、ふたたび豊かな農地へとかわって行きます。
 その土地を愛し、その土地を耕す人々が自分たちの土地のために用水路をつくっていく姿こそ、わたしたちが夢見る「助け合う経済」そのものだと思います。
 被災地の復興のプロセスがそのように進んでいけば、日本社会全体の姿もかわっていくはずです。

 柄谷行人氏がアメリカのウェブ新聞「カウンターパンチ」で、被災地においてひとびとが助け合う多様なつながりの形成を通じて、資本主義に代わる低成長型の経済と、新しい市民社会のあり方とが、大きく育ってゆく可能性を語っていると、3月31日の朝日新聞で刈部直氏が紹介していました。
 わたしたちはその考えに賛同します。わたしたち自身が高度経済成長のただ中で30年前にそんな社会を夢見て活動をはじめ、ようやく最近になってわたしたちの活動を説明できる思想と出会えるところに来ていると感じます。
 ただ、こんな大震災によってそんな社会の実現に近づくチャンスが来てほしくなかった。福島原発の惨状を目の当たりにして、むしろそんな社会が実現していれば、あるいはせめてそんな社会の実現にむかっていれば、この震災の被害も少なかったと思うのはわたしたちだけでしょうか。
 もしかすると3万人の犠牲者が出るとも予想される中で、そのおひとりおひとりの無念を思うと、今度こそささやかであってもみんなが助け合い、地の糧を共に分かち合う社会に向かって舵を切らなければと思うのです。
 ほんとうに、時間はあまり残されていないのだと…。
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