FC2ブログ

ホーム > 子どもたちの民主主義 > 山本太郎と入部香代子さんの思い出と…、彼が今都知事選にでなければならない過酷な現実と見果てぬ夢がある。

2020.06.19 Fri 山本太郎と入部香代子さんの思い出と…、彼が今都知事選にでなければならない過酷な現実と見果てぬ夢がある。

tarou10.jpg

 彼女はぽつぽつと話し始めました。
 車いすを利用するわたしは障害者の立場から、ほんとうに困っているひとに届く福祉と、だれもが安心して暮らせる町づくりをめざして選挙に出て、たくさんの市民に応援してもらって市会議員になったんやけど…。
健全者の議員さんやったら、こんな大災害が起こったら真っ先に避難所に駆けつけて、「大丈夫」、「しばらくの辛抱です、私にまかせてください」とか言うて、握手したり肩を抱いて、被災者をなぐさめたりできるやんか。
誰もが安心して暮らせる町づくりと言いながら、わたしは余震におびえ、恐怖と不安で夜も眠られへん。こんな時なんの役にも立たへんと、自分の無力さをつくづく思い知らされたんや。
 せやけどな、わたしの議員活動もサポートしてくれる友だちが、「脳性まひの障害者として、子どものころから今まで数えきれない困難と何度も死ぬ目にあったんやろ。それをひとつずつ解決して今のあんたがあるんやろ、何にもできないと落ち込んでる場合やないで、とにかく避難所に見舞いに行こうや」と言って、わたしを連れ出してくれたんや。
 それでも、こんな何の役にも立たんわたしが被災者にどんな声をかけたらいいんかと、おずおずと避難所に入ったら、「入部さんやないか、よう来てくれたな」と声をかけてくれたんよ。わたしは率直に「すぐには役に立つことはでけへんけど」と口ごもると…、
 「何いうてんねん、今のわたしたちに何かを助けてくれる人もありがたいけど、わたしたちと同じ怖さを、いや、わたしたちも想像できないそれ以上の怖さを経験したあんたと、こわかったなぁ、と慰めあえることがうれしいねん。それはあんたとしかでけへんねん」。

 1995年、阪神淡路大震災から1か月以上すぎていたでしょうか。その年の4月の豊中市会議員選挙のために集まった会議で、入部香代子さんはこんな話をしてくれたのでした。実は、震災直後から、わたしたちは兵庫県の被災障害者の救援活動の真っただ中にいて、大阪の障害当事者も選挙どころか救援活動にも余震が怖くてびくびくしていた時でした。みんな、真っ青な顔でどこからみても「さあ、今から選挙や」と元気な掛け声がとびかうようなことはない中、言いだっしぺの河野秀忠さんの呼びかけで、やっと集まった会議でした。
 入部さん本人ですら二期目の立候補を断念しかねないほどのよどんだ空気が漂い、なんとも元気の出なかったわたしたちは、ぽつぽつと話す彼女の話を聞いているうちに血が逆流するほどの戦慄と、体と心のどこにまだそんなものが隠れていたのかとびっくりするほど、勇気と情熱がわいてきました。
 最近の政治家と称されるひとたちの中には、政治家になったら最初にまず何か不祥事がばれたらその言い訳・謝罪をする訓練からはじめるのかと思うほど、政治への夢も希望も理想もなく、賞味期限の切れた既成の権力にしがみついて自分だけおいしいものを食らうような、わたしたちをますます政治不信にしてしまう人たちが少なからず居座っていますが、あの時の入部香代子さんのように、同じ場所で同じ方向を向き、被災者といっしょに恐怖を体験し、うろたえ、悲しみ、苦しみ、切ない夢を共有できる政治家が少なくなったと思います。
 この時の選挙で、箕面でも豊中でも、また全国の障害者運動の伴奏者だった河野秀忠さんは「電気・水道・ガス・福祉」という素晴らしいキャッチフレーズをつくりました。未曽有の災害を経験し、生き延びたわたしたちだからこそ生まれた切実な言葉でした。
 コロナショックのただ中で、福祉や医療、保健が社会の最重要のインフラで、そのコスト削減は「いのちの削減と選別」につながっていたことを痛感する今、わたしはもう一度このキャッチコピーにこめた河野秀忠さんの誰一人取り残さないという思想をかみしめています。フレディー・マーキュリーが残してくれた「これは人類最後の挑戦なんだ。だからぼくたちは負けるわけにはいかないのだ」(「We ARE THE CHNPIONS」)という言葉とともに「電気・水道・ガス・福祉」はわたしたちの選挙の矜持となりました。

 山本太郎さんが都知事選に立候補しました。事情も知らずにわたしは当初は野党統一候補の宇都宮健司さんの応援に回ったほうが良いと思ったのですが、16日の山本太郎さんの会見を聴いて彼の行動はもっともだと思いました。野党共闘に痛手を与えるとか、小池百合子さんを利するだけだとか、国政選挙のためのパフォーマンスで売名行為だとか、さわぐだけのホピュリストだとか何と言われようとも、参議院選挙に先立ち、「れいわ新選組」を立ち上げた思いがまったくぶれていないと思いました。
 会見の最初に立候補のいきさつを説明してくれたのですが、立憲民主党が野党共闘で山本太郎さんを統一候補に擁立しようと働きかけ、無所属での立候補をせまったのですが、立候補するなられいわ新選組の公認で立候補したいとする山本太郎さんとの間で調整ができなかったこと、共闘の条件として出した国政での「消費税5パーセント」(本来は諸費税の廃止としたいところを譲歩して)も受け入れられず、また「れいわ」の宣伝になるからと無所属でないとだめということで、統一候補の話がなくなったそうです。
 おそらく立憲他野党は前回の過ちをかえりみず、タレントとしての山本太郎さんを担ぐために「無所属」での働きかけだったのでしょう。でも山本太郎さんにとってはタレントしてではなく、ほんとうに生真面目にも「れいわ新選組」というアナーキーで、およそ政党とはもっともかけはなれたこのグループでなければ意味がないのだと思います。
 そもそも野党共闘が強大な相手と対置するための数合わせでしかないのならその時点ですでに勝負が決まっているとも言えます。いろいろあってもわたしは共産党を柱とする共闘はありえても、立憲や国民主導の共闘は腹に一物手に荷物で、そこに切実さが感じられません。
 参議院選挙の時、山本太郎さんも含めて10人の素晴らしい仲間の総意として、障害者議員2人を国会に送りこんだこのグループの心意気と見果てぬ夢の大きさにリスペクトします。今回の記者会見を見て聞いて、山本太郎さんひとりの夢が「れいわ新選組」としてたくさんの人々の見果てぬ夢へとつながっていることを知りました。そして、政治力学とは無縁のわたしの夢もまた、その中に確かにあることを確認しました。
 そしてわたしはなぜか25年前の入部さんの言葉と、彼女と共に選挙をたたかった遠い記憶が山本太郎さんの切羽詰まった話と重なり、震える心を抑えきれませんでした。
 衆議院選挙まで力を温存したほうがいいという考えもあるでしょうが、たとえその選挙で議席を獲得できたとしても、今困っているひと、今倒れかけているひとに手を差し伸べられなければ意味がないと時々言葉を詰まらせながら話す山本太郎さんを見ていてもう一つ思ったのは、ああ、彼やその仲間たちは宮沢賢治の「雨にも負けず」を本当に実行し続けているのだと思いました。
 宮沢賢治のあの詩を甘い理想だとかまやかしとか言っている間に、わたしたちの社会は取り返しのつかないところに来てしまいました。山本太郎はもしかすると政治家とは無縁の夢想家なのかもしれません。しかしながら、この閉塞した空気を風の又三郎のように吹き飛ばし、銀河鉄道の車窓に振り落ちてくる星たちに見守られながら、次の一瞬に心許せる友・あこがれのカムパネルラと別れて現実に引き戻されたジョバンニのように、これまで政治も福祉も何もかも専門家によって夢をもがれ、かけがえのない願いや希望を質屋に流してきた「当事者」というわたしたちこそが、まったなしの時代と歴史を再構築する時なのだと、山本太郎さんと「れいわ新選組」は教えてくれたのでした。
 そして今回はボタンの掛け違いになってしまったけれど、わたしが最近ファンになった共産党と社民党とれいわ新選組が対等につながっていくことを心から願っています。

出馬の経緯から動機まで 山本太郎 東京都知事選 出馬表明 記者会見 2020年6月15日

唐十郎「さすらいの唄」 大唐十郎展「21世紀リサイタル」
関連記事

web拍手 by FC2

Comments

name
comment
comment form

Trackback

FC2Blog User

  1. Trackback