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2021.08.06 Fri 美空ひばりを演歌の牢獄から解き放つ名曲「さくらの唄」・島津亜矢

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 7月11日だったと思います。NHK・BSプレミアム放送番組「新・BS日本のうた」は美空ひばり特集で、島津亜矢が出演しました。収録された6月24日は美空ひばりの命日で、毎年この時期にはどこの放送局でも美空ひばり特集を放送していましたが、さすがに最近はこの番組などBS放送ぐらいになりました。
 美空ひばりといえば「演歌の女王」という先入観のもと、演歌歌手が歌い継ぐという構図で歌われ、語られることが多いのが残念です。わたしはオールラウンドの美空ひばりを「演歌」の枠に閉じ込めてしまったことで演歌そのものを衰退させ、さらには日本の大衆音楽をゆがめてしまったと思っています。ある意味、演歌・歌謡曲の時代から長い桎梏をへてようやくJポップの才能が何人も現れるようになった今、彼女彼らによって新しい美空ひばりが発見されるのではないかと思います。
 わたしは正直最近のJポップのヒット曲を歌う島津亜矢を見るたびに、何とも言えない寂しさを覚えます。もちろん、ずいぶん前から彼女が歌うポップス歌唱のすばらしさが高く評価されていましたし、わたしもオリジナルのポップスを歌ってほしいと思ってきました。その思いは今も変わっていません。
 しかしながら、今のJポップはかつて阿久悠が言ったような日常の感情をぶつけるだけのものから進化していて、たとえば唐十郎のテント芝居が劇場に閉じ込められた劇的空間を路上にぶちまけることで時代と対置して来たように、彼女彼らの音楽の直接性が日常の現実原則を突き破り時代そのものの悲しみを見事に体現しているようにわたしは思います。
ただ単にその場しのぎの「歌うま」を押し付けるバラエティー番組の中では、メインストリートからは程遠い時代の袋小路にあふれるストリートミュージックの悲しみや怒りやあきらめや裏切り、その暴力性や悲劇性を表現するのは困難ですし、またそんな歌の冒険を求められてもいません。
 その意味でも「さくらの唄」という、歌い手の才能や矜持、さらにはその人の人生の光と影がそのまま引き出されてしまうこの曲を島津亜矢に依頼した番組のスタッフは、彼女の現在の状況に思いを馳せ、精いっぱいのエールを送ってくれたのだと思います。
 この歌を作詞したなかにし礼は1970年代に入ってまもなく、実の兄の莫大な借金をまるごと抱え込んで失意の底にありました。現実のあわれな自分の身代わりに、もう一人の自分をあの世に送り出すため、いわば遺言歌として書いたのが「さくらの唄」だといいます。作曲した三木たかしはこの歌に惚れこんで、自らが歌ってレコードにしましたが、まったく売れなかったようです。うずもれたこの曲をふたたび世に出そうと思ったのが、「時間ですよ」など数々のドラマで一世を風靡した稀代のプロデューサー・久世光彦でした。

 こんないい歌が誰にも知られずに眠っている。どうにかしてこの歌をよみがえらせたい。ドラマで流してみよう。この歌は地獄を覗いて、そこから命からがら、這うように逃げかえった卑怯未練の歌なのである。それなら、美空ひばりしかいない。(久世光彦「マイ・ラスト・ソング」)
 
 歌謡界の女王が他の歌手の曲なんか歌うわけがないとコロンビアレコードから断られてもあきらめない久世にコロンビアも根負けし、「では、ご自分でお嬢に交渉してみたら…」と譲歩、そこで大きなテープレコーダーを抱えてひばりが公演中だった名古屋の御園座まで出向き、楽屋で三木の「さくらの唄」を流したのでした。
 
 もう一度聴かせてください」。美空ひばりの声はすっかりつぶれていた。老婆のようにかすれた声だった。私はテープを頭に戻してボタンを押した。
何もかも僕はなくしたの
生きてることがつらくてならぬ
 ひばりは目をつぶって歌っていた。ひばりはポロポロと涙をこぼして歌っていたのである。そしてテープが終わると、私に向かって座り直し、「歌わせていただきます」としゃがれた声で言って、それから天女のようにきれいに笑った。
「本当は、こういう歌を私の最後の歌にすればいいのでしょうが、まだ死ぬわけにはいかないので…」(久世光彦「マイ・ラスト・ソング」)

 久世光彦はこの歌と同名のドラマ「さくらの唄」の脚本をその時代、倉本聰と競うように数々のドラマを世に送り出していた山田太一に依頼しました。
 舞台となるのは、東京の下町・蔵前の小さな整骨医院。男気があり、すぐに怒鳴る主人の伝六(若山富三郎)。心臓を患い、平穏な毎日を送りたいと願う妻の泉(加藤治子)。この夫婦をいつも悩ませているのは、2人の娘の行く末のことでした。長女(悠木千帆・樹木希林)は会社員の中西(美輪明宏)の子供を身ごもるが籍を入れる気配がない。また次女(桃井かおり)は妻のある牧師の朝倉(田村正和)を密かに愛し、実らぬ恋に身を焦がしていました。ほかに篠ひろ子や岸辺一徳、由利徹など、今振り返るととんでもないキャスティングです。
 山田太一のドラマは「岸辺のアルバム」に代表されるように、高度経済成長のスピードに振り落とされる家族の孤独と不安のありようを鋭く描いたドラマが多く、下町を舞台にしたこのドラマでも、下町の予定調和的な人情ものとはちがい、山田太一らしいやさしい毒が仕組まれていた記憶があります。
 それはともかく、わたしにとって衝撃的だったのはこのドラマで流れた美空ひばりの「さくらの唄」でした。以前にも書きましたが、わたしは長い間美空ひばりが苦手でした。というより、「演歌・歌謡曲」が嫌いでした。そんなわたしに、競馬も歌謡曲も3分間の死への疾走だと教えてくれたのは寺山修司でした。畠山みどりの「出世街道」に自分を重ねて「口に出せない」から「口には出さず」と歌う時、どもりを逆手に取った変革へと自らを生きなおすのであり、それは革命への道の第一歩なのだと言ってくれた寺山修司は、わたしにとっては自殺を思いとどまらせたといっても過言ではない「神の声」でした。
 そこからわたしの歌謡曲人生が始まったのですが、森進一、青江三奈、都はるみなどは簡単に受け入れられたのですが、美空ひばりだけは長い間受け付けませんでした。
 そのわけを考えてみると、粘着質で通俗的で、どこか暗い闇をかくしたカリスマ性、いま思うと美空ひばりの最大の魅力であり、魔性に憑りつかれてしまうような恐怖に近い感情が湧き上がるからでした。
 そんな毛嫌いを一新させたのが「さくらの唄」でした。くしくも寺山修司によって歌謡曲開眼したわたしは、寺山の友人だった山田太一のドラマによって美空ひばりとはじめて向き合ったのでした。わたしはこの歌のどうしようもない暗さと同時に、この短い歌が終わったところから立ち上がり、ふたたび生きていこうとする静かな意志を限りない細やかで繊細に丁寧に歌いあげる美空ひばりに感動しました。
 この歌もドラマも結局ヒットしなかったものの、わたしは美空ひばりという昭和のスーパースターがとても繊細な感受性といじらしいほどの純情な心と、そしてなによりも心の奥深くこの歌を受け止め、歌うことに魂を使い果たしてもいいという矜持に圧倒されます。
 そしてもし、美空ひばりが歌い継がれるものなら、島津亜矢しかいないと思っています。彼女よりはるかに才能に恵まれた歌い手さんはたくさんいるでしょう。しかしながら、美空ひばりの歌への情熱、歌うことへの執念、歌に呪われ、歌に囚われ、歌に翻弄され、そして歌に愛された彼女の人生は、わたしの個人的な主張であることを承知の上で、島津亜矢にこそ引き継がれるものであると信じているのです。
 長い文章になってしまいますので、次回の記事でもう一度、美空ひばりのこと、そして島津亜矢について書かせてもらおうと思います。(つづく)

美空ひばり「さくらの唄」
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