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2020.09.05 Sat 「上を向いて歩こう」は世界のどこの地域のどこのひとびとにも届く夢と希望と自由と愛への渇望としてのジャズ

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 朝のニュース番組で、9月1日、韓国の超人気グループ「BTS(防弾少年団)」が「ビルボード1位」の快挙を成し遂げたと報道されました。アジアの音楽シーンとしては、日本の坂本九が1963年、名曲「上を向いて歩こう」の英語タイトル「SUKIYAKI」でビルボード1位になって以来の快挙で、韓国のエンターテインメントが日本はもちろんのこと世界の音楽シーンを席巻する象徴的な出来事だと思います。
 しかしながら、それにもまして1963年から57年間、日本をはじめとするアジアの音楽シーンが目覚ましい進化を遂げてきたにもかかわらず、「上を向いて歩こう」に並び立つことがなかったこともまた特筆すべきことだと思います。

 1961年に発表された永六輔作詞・中村八大作曲による「上を向いて歩こう」は、NHKの伝説的な番組「夢で逢いましょう」で放映されると爆発的なヒットになりましたが、当時不良の音楽とされたロカビリー出身の坂本九の独特の歌い方から、当時の日本の保守的な歌謡界での評価は高くなかったそうです。
 ところがこの歌は海を渡り、最初はイギリスで「SUKIYAKI」というタイトルのインストルメンタルとしてヒットします。アメリカでは、あるラジオ番組でこの曲を流したDJのもとにスナーの高校生から坂本九の原盤が贈られ、「SUKIYAKI」というタイトルで紹介すると、ティーンエイジャーから一気に火がついて大ヒットになったそうです。
 いまのように用意周到に仕組まれ、ドラマの主題歌にしてもらうために2、3百万円のお金がいるという話もあるぐらい、楽曲も歌手もすべてがぎちぎちにプロデュースされてしまう今とはちがい、まだ巷に流れるひとつの歌が一気に海を渡り、世界的なヒット曲になる夢にあふれた時代がたしかにあったのです。
 「上を向いて歩こう」が阪神淡路大震災、東日本大震災と大きな災害が起きるたびに誰からともなく、どこからともなく歌いつがれるのは、何よりも稀有のピアニストで作曲家・中村八大のジャズテイスト、世界のどこの地域のどこのひとびとにも届く夢と希望と自由と愛への渇望としてのジャズがあるからだと思います。そのメッセンジャーとして、坂本九は恐らく日本ではじめてジャズやリズム&ブルースやロックを日本語で世界に届けたボーカリストだったことをあらためて知りました。
 1963年当時のアメリカ人にとって戦争で敵対した日本人が謎めいた民族ではなく、自分達と同じく美しく繊細な感情を表現できる人達と気付かせてくれた曲と評されたこの歌は、憲法9条とともに日本の戦後民主主義を曲がりなりにも世界に発信した最初で最後の楽曲だったのかもしれません。

 1961年、わたしは中学2年生でした。中古テレビの灰色のブラウン管の中で、坂本九が「上を向いて歩こう」を歌っていました。60年安保闘争の嵐の忘れ物のようなつむじ風が路地を走り抜け、貧困と欲望と希望と後悔が渦巻き、時代は墜落しそうになりながら重たい翼を明日に向かって必死に持ち上げていました。母と兄とわたしの3人は、雨露をしのぐだけのバラックで身を寄せて暮らしていました。わたしと兄を育てるために朝六時から深夜1時まで一膳飯屋を女ひとりで切り盛りし、必死に働いていた母のせつなさと反比例するように、そして日本全体がそうであったように、わたしたちは圧倒的に貧乏でした。そしてわたしはといえば、この暮らしから脱出することを夢見ていました。
 「上を向いて歩こう」は単なる流行り歌という以上にどもりの少年にすぐそこまで来ている青春の甘い夢と根拠のない野心を駆り立て、「ここよりほかのもう一つの場所」へと心を急がせました。隣近所から街中が、日本全体が「戦後」から離陸しようともがいていた1961年、雑音だらけのラジオと、画面がゆれては時々真っ黒になるテレビから聴こえてきたその歌は、摂津市千里丘の暗い路地から見上げた空の青さを希望に変えてくれたのでした。
上を向いて歩こう なみだがこぼれないように
なきながら歩くひとりぼっちの夜…。

 1995年の阪神淡路大震災をきっかけに永六輔さんの話を間近に聞く機会に恵まれ、「あの歌は明るい歌なんかじゃない。60年安保の挫折感から作った歌なんだ」と聴かされ、永さんの挫折感が戦後日本社会の挫折感とつながり、世界の音楽シーンを席巻したこの歌には切ない感情とささやかな希望が込められていることを知りました。
 永さんは、大災害の時にこの歌がまた歌われることに少し違和感を感じておられたようですが、一方で理不尽にも悲しみに打ちひしがれる時にこそ多くのひとに生きる勇気を届けられる歌として、「上を向いて歩こう」が世界のひとびとの心に深く広く届けられてきたのだと思います。

 そして今年、コロナ禍のなかで「上を向いて歩こう」がオンライン発信で制作されています。実はわたしは、今回に限っては「ステイホーム」と自粛を呼びかけることに使われてしまう歌の怖さを感じるのです。わたしたちの心のファシズムは監視や強制、拷問によらず、微笑みながらそっとささやくようにやってきます。
 底抜けに心やさしい永さんでしたが、政治的な問題よりも大衆芸能の中に潜む体制翼賛的な権力、権威に対して最後まで鋭く糾弾しつづけた人でした。
 今回は演歌・歌謡曲の歌手が一堂に揃った動画も公開され、島津亜矢も参加しています。以前から国内外のさまざまなカバーの中で、欧米のアーティストはもとより、日本でもポップスやブルーズ、リズム&ブルースの歌手は中村八大のメロディーラインとリズムがその人なりの表現で歌われているのですが、なぜか演歌・歌謡曲の歌手のカバーにはほとんど中村八大の音楽的野心を読み取れず、世界のスタンダードとしての匂いを感じることができません。それはきっと歌い手さんのせいではなく、その時代からずっと続く歌謡曲の古い体質のせいだとわたしは思います。
 残念ながら島津亜矢もその鎧を脱ぎ捨てるところまでは至っていないと思われますが、かろうじてこの動画の中でやや異質に感じるのは、これからの島津亜矢のブルーズやジャズとの深い出会いを暗示するもののように思います。ちなみに、演奏は歌謡曲のアレンジのままなのに、美空ひばりだけは世界に通じるジャズのような歌になっています。
 島津亜矢のためにつくられた今回のオリジナル曲「君と見てるから」は、その意味でも彼女を安易なJポップではなく、本格的なジャズやブルーズのボーカリストに進化させる可能性を秘めていて、今井了介との出会いがしらのちょっとした違和感とおそるおそるの歌唱から、やがて大きくはばたくことになるとわたしは思います。

上を向いて歩こう - 'Sukiyaki' - Kyu Sakamoto (坂本 九) 1961.avi
作詞した永さんですら「なんだその歌い方は。絶対にヒットしない」と言ったこの歌が坂本九の独特の歌い方で世界的ヒットにつながりました。
上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト
忌野清志郎が「日本の有名なロックンロール」とリスペクトをこめてこの歌を紹介して歌いだすと、わたしはなぜか涙が出てきます。
上を向いて歩こう / 美空ひばり
美空ひばりはこの曲をジャズとして歌っていると思います。演奏はもちろんスタンダードジャズそのものです。
上を向いて歩こう / 近藤房之助
これはまた素晴らしいブルーズで、わたしは箕面に小島良喜のゲストとして来ていただいた時、この歌をリクエストしたところ、「了解です。僕の歌い方は永六輔さんから許しを得ています」と言われたことを覚えています。
上を向いて歩こう /宇多田光 Utada Hikaru
これはまたびっくりでした。「SUKIYAKI」の英語版歌詞で歌っていると思うのですが、ブレイクしてすぐの10代で、リズム&ブルスがアメリカ在住の彼女の身体的文化になっているのでしょう。
上を向いて歩こう /SEKAI NO OWARI
これもまた不思議で、もっとも伝統的な歌謡曲として歌っているのに、なぜか深瀬くんの透明な声が宮沢賢治の「やまなし」の世界から聞こえてくるようで、永さんと八大さんの世界観とかさなって聞こえるのです。
上を向いて歩こう /島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル
島津亜矢の進化がはっきりわかる歌唱だと思います。彼女のこの歌のお手本が昔ながらの歌謡曲にあるのはやむをえないと思います。しかし、そこから出発してどちらかと言えばブルースではなく、ジャズになっていると思います。彼女がこの分野で大きく化けることを夢見ています。
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