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2020.07.21 Tue 市民である前に市民になる運動をしなければならなかった 中西とも子さんを応援します。 

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市民である前に市民になる運動をしなければならなかった
障害を持つものも持たないものも、共に働き、ともに生きる町をめざして

 1982年、養護学校を卒業する脳性まひの青年がきっかけで豊能障害者労働センターは活動を始めました。当時の箕面市には身体障害者が通う通所の福祉施設もなく、広域の居住施設か在宅しか選択式はありませんでした。
 わたしたちは箕面市役所の福祉課に行き、「障害を持つ人も持たない人も一緒に働いて給料を分け合い、障害者の所得を作り出す活動を始めます」といいました。
 「それは素晴らしいけれど、福祉の活動ではありません」という答えが返ってきました。
「なんで?!」、わたしたちは耳を疑いました。「障害者を保護、訓練するなら福祉ですが、一緒に働いたら労働者ですから福祉ではないのです」。一般企業に就労できる障害者は少なく、今でも通所の施設か在宅で、親元の生活基盤が壊れたら居住施設しか行き場所がないというのがほとんどの障害者の現実なのです。一方で今でも障害者年金は親に頼らないで生活していくには十分ではありません。就職もできてふつうに暮らしていけるのなら、わたしたちの活動は必要ないのです。
 福祉施設の形をとれば得られた助成金もなく、指導員と利用者という関係ではなく、障害をもつひとも持たないひとも「働く仲間」とするわたしたちのありようから福祉関係の人たちからは「一般企業」と言われ、一般企業からは「福祉団体」と言われ、長い間孤立した存在だった豊能障害者労働センターを設立からずっと支えてくれたのは箕面の市民・町のひとたちでした。
一般企業が雇わない障害者を福祉でフォローする事業所をつくり、障害を持つものも持たないものも給料を分け合い、障害者の給料を作り出す活動は、やがて全国的にも珍しい箕面市障害者事業団の設立へと実をむすびました。
 なによりも障害者スタッフが直接市民の暮らしの真ん中で生きることで障害者が学んだのみならず、箕面の市民が「共に生きる豊かさ」を実感してくださったことが後押しとなったのでした。
 中西とも子さんは、そんなわたしたちのつたない活動をいつも応援してくれたたいせつな市民のおひとりです。環境、教育、人権などなど、ほんとうにオールラウンドで箕面の町を見守り、市民の側から町の未来を想像し、箕面の町を愛し、その信念のもとで毎日毎日地道に活動をつづける人であることはもちろんのことですが、それらの多様な活動のいちばん深い場所で、「誰ひとり置き去りにしない箕面」を夢見て、わたしたち市民の思いを受け止めてくれる、箕面の町にいてもらわなければならない大切な議員さんだと思います。
 お願いの手紙に変えて、駄文を綴りました。おゆるしください。

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箕面市議会議員【中西とも子】公式ホームページ

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