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2020.06.07 Sun 学校はこどもたちの学びあう場? それとも子どもたちを調教する場? 

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 昨年の7月の終わりから地域の子どもたちの通学路に立っています。といっても能勢は子どもの数も少なく、親御さんが車で送って行かれる場合もあってせいぜい小学生は20人ぐらいです。今回のコロナウイルス感染の防止対策で休校が長く、先日にやっと学校が再開し、久しぶりに子どもたちを見ると、みんな結束力が高くなっているように感じました。「学校楽しい?」と聞くと「うん、楽しい」と答える子供たちの表情は、大人の喜びそうな答えを言う感じではなく、本当に楽しそうでした。家にいるのも結構たいくつしていたようで、「やれやれ」という感じなんだろうと思いました。
 ところでひとつだけうれしいことに、今までお母さんが車で学校に送っていた障害をもつ女の子が、みんなと一緒に歩いていくようになったことです。素敵なその子はいつも一生懸命にみんなに話しかけていて、わたしにも屈託なく話しかけてくれるのです。
 きっとこれから何年も、今回のことはひとりひとりの子どもたちの人生に大きな思い出となることでしょう。その思い出が良い思い出でなくてもせめて悪い思い出にならないようにと願うばかりです。
 さて、吉村洋文氏のTシャツなどの関連グッズが大人気だそうですが、ここでもう一度橋下氏と維新の会が成果としている教育改革は失策というよりも、もっと根本的なところでこどもの未来を壊してしまいかねないとわたしは思います。
 橋下氏が大阪府知事になった2008年からはじまった大阪維新の会による「教育改革」は子どもたちの学力をテストではかり、その点数で教員の「指導力」を採点し、「指導力」がないとみなされた教員を処分し、学区をなくし「学力」の向上が見込める学校に子どもを追い詰め、人気のない学校は廃校にし、校長の民間人公募制の導入、学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付けなど、戦後社会が守ってきた教育の自立性を侵し、教育委員会や学校現場への政治介入をすすめました。
 中でも目玉とされた校長の民間人公募は、2012年に合格した民間人校長は11人でしたが、市立小学校校長となった50代男性の経歴詐称が発覚し罷免免職、しかもこの男性はその後、女性から現金をだまし取ったとして詐欺の疑いで逮捕されました。
 さらに、公募で市立小学校の校長となった別の50 代男性が、児童の複数の母親に体を触るなどのセクハラ行為をしたとして懲戒処分になりました。また授業妨害する生徒を指導せず、若い女性教職員6人に「なぜ結婚しないの」「なぜ子どもをつくらないのか」などセクハラ質問をした市立中学校長が任期を1年残して辞任するなど次々と問題が発覚。結果、11人中、7人が任期中に離職してしまいました。
 「国際競争力に勝てる人材を育てる教育」をめざす維新の教育政策の背後にあるのは民間活力と民間委託を絶対視する新自由主義の思想ですが、子どもは工業製品ではありません。
 公立私立にかかわらず、教育は等しく子どものためのものであり、自らの利益を追求する私企業的な発想のみでは成り立たないことが、これらの不始末が明らかにしています。
 私立高校への授業料無償化を評価するひとたちもいますが、北朝鮮との政治外交問題を持ち込んで朝鮮学校の子どもたちを排除するならば、この国に生まれ育つ子どもたちを選別することですべての子どもたちの心を著しく傷つけることになるとわたしは思います。

 2012年、大阪府立和泉高校(岸和田市)の卒業式で、橋下徹大阪市長の友人の弁護士で橋下氏が府知事時代に登用された中原徹校長が「君が代」斉唱の際に教職員の口元を見て歌っているかどうかを監視し、チェックしていたことがわかりました。
 大阪府では2011年6月、「大阪維新の会」(代表・橋下市長)府議団提出の「君が代」起立強制条例が強行されました。これを受けて、府教委は今春の卒業式にむけ、府立学校の全教職員に「君が代」斉唱時に起立・斉唱するよう初めて職務命令をだしていました。
 このニュースを知り、わたしはその場にいた子どもたちは何を思っただろう、と心が痛くなりました。子どもたちの出発の場、別れの場が先生たちの調教の場になる恐怖…、その日まで友と学びあい、先生への信頼を持ち続けた子どもたちも少なくないと思います。その積み重ねてきた信頼と友情が踏みにじられ、学校の主人公が子どもたちではなかったことにがくぜんとしたはずです。先生たちが「君が代」を歌っているかをチェックされている光景は地獄そのもので、維新の狙いとは裏腹に「君が代」が嫌いになってしまった子どももいたのではないかと思うのです。
 結局のところ、大人たちの意のままにされる子どもたちの受難は終わることはないのでしょうか。学校が子どもたちの学び合う場になることはこれからもないのかもしれません。もし、そうであるならば学ぶ権利を教育に求めることは絶望的となります。教育のありようが大人たちの都合にふりまわされるとしたらとても不幸なことだと思いますし、生身の人間としての子どもたちの心を深く傷つけてしまうのではないでしょうか。
 そして、どんな歌であっても起立斉唱を強制されることは子どもたちだけでなく、歌そのものにとっても不幸だとわたしは思います。歌は歌を必要とするだれかの心に届けたいと願う心で生まれ、巷を流れてこそ歌であり、歌う心と心がかさなりあった時、はじめてひとりからふたりへ、ふたりから3人へ、3人からみんなへと合唱されるのではないでしょうか。
 わたしは1947年に生まれましたので、日本国憲法と同い年ということになります。
 1947年という年に大人たちが何を思い、どんな社会を望み、どう生きようとしたのか、ほんとうのところはわたしにはわかりません。
 ずっとのちに障害を持つ友だちと出会い、障害を持つ子は学校に来なくていいのではなく学校に来てはいけないと、就学免除という名で学校から排除されてきた歴史を知り、実は学校は子どもたちが学びあう場ではなく、子どもたちを調教する場だったのかも知れないと思いました。そして、だれかを排除することで成り立つ学校も社会も、ほんとうのところ先生が教えてくれた民主主義が育ってはいなかったのだとも…。
 大震災で犠牲になったひとたちと同じぐらいのたくさんのひとたちが毎年自殺してしまう社会に、国家や社会に都合のいい人材や国際競争力に勝てる人材をつくるための教育が意味のあることなのか、新自由主義のもとで競争することばかりに熱心だったわたしたちは、新型コロナ感染で無数の命が奪われる中にいる今こそ、助け合うことこそが革命であったことをもう一度思い出し、友情と純情と一切れのパンと切ない夢と埃まみれの希望を胸に、「愛しあっているかい?」(忌野清志郎)と身近な誰かから語り合いたい!
 子どもの頃に熱中した少年探偵団が追いかけたものが怪人二十面相ではなく、民主主義という見果てぬ夢なのだとしたら、子どもたちが学び合う学校を子どもたちとともにつくりだすことが大人になったわたしたちの役割なのではないかと思うのです。

忌野清志郎 with Booker T & the M.G.'s / トランジスタラジオ

宮沢賢治・星めぐりの歌・遊佐未森

木村充輝 天王寺

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