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2020.04.27 Mon さよならだけが人生ならばまた来る春は何だろう はるかなはるかな地の果てに咲いてる野の百合何だろう

stay home

 毎日ニュースを見ていると、コロナウイルスの魔の手が少しずつわたしの周りを取り囲んでいるような恐怖を感じます。たしかに感染が見つかって数日で同年代の人が亡くなるケースもあり、恐怖心が募るばかりですが、一方で身を守るため、またもし感染していた場合は他人にうつさないためにと政府や専門家の言うことを守っていると、次第に「かかったらおしまい」と思い込んでしまう恐怖の方が先にやってくるようなのです。
 著名人が感染するとその行動がマスコミに細かく詮索され、謝罪する記者会見が開かれたりもしますが、感染することが加害者のように取り上げられることに強い違和感を感じます。誰でもかかる可能性があるのに感染症にかかったひとや医療従事者への人権侵害は、自分が感染した時の無意味な絶望をかきたてるだけだと思います。
 今はコロナによる感染がひろがらないように、これ以上かけがえのないいのちが奪われないようにすることが最優先であることは当然です。しかしながら外出自粛や他人と社会的距離を保ち、他人と会わないことがコロナウイルスに勝つための「正義」となってしまう…、人と人、人と自然が共存する世界の希望をこわすだけでなく、この絶対的強権的な正義のもとでの相互監視社会を、わたしたちが自ら望み、自らつくりだしてしまう危うさを感じるのです。
 強いリーダーシップを政治家に求めたり、欧米のような都市封鎖・ロックダウンなど、戒厳令に近い拘束力を政治に求める風潮がコロナウイルス対策のもとで正当化され、憲法に「緊急事態条項」を設けることにもあまり抵抗を感じなくなる…、社会全体にそんな空気が漂い、そのやわらかい圧力がわたしの心と体にぴったりへばりつく恐怖が新型コロナウイルスそのものへの恐怖の背後に潜んでいると強く感じます。
 これこそが高度資本主義のもとで最後のフロンティアを貪り食うわたしたちの社会を理不尽な暴力でなぎ倒す「恐怖-テロル」で、わたしたちひとりひとりの心を恐怖によって支配する真のテロリズムなのでしょう。
 ミシェル・フーコーの著書「監獄の歴史」によると、近代になって囚人を体罰や死刑のように身体でつぐなわせることから、権力に従順な人間へと再教育・調教する刑務所をつくることになったそうです。それは一方でこどもたちの調教の場として学校を誕生させることともつながっていました。
 そして、究極の刑務所としてジェレミー・ベンサムが考案した「一望監視装置」(パノプティコン)を紹介しています。この刑務所は円形になっており、中心部に監視塔が配置され、そこを中心に円状に独房が配置されています。囚人からは監視員が見えない一方、監視員は囚人を観察できる仕組みになっています。囚人は、常に監視されていることを強く意識するために、規律化され従順な心と体を持つようになります。そして、究極にはたとえ監視員がいなくても監視されていることがあたりまえになり、いわば「期待される囚人」へと自分で自分を訓練するようになるのです。囚人を主体化するこの機構は、近代の学校や、病院、工場、軍隊など監獄以外の施設にも応用されているといいます。
 わたしは今、日本社会全体がこの理想的な刑務所によく似ているのではないかと思うのです。安倍政権とそれにしたがう国家官僚の数えきれない不正・背任が明るみに出ても政権交代するわけでもありません。見果てぬ夢となった経済成長のおこぼれを期待しているのか、それともあきらめているのか国民の半数が政権を支持し、助けを求める切実で悲痛な叫びも届かず、激烈な批判にも痛烈な異議申し立てにも反応せず、知らず知らずにいわゆるサイレントマジョリティーは現状維持を求め、他者に同調圧力を強めることで自分自身も拘束するという、期待される囚人像へと限りなく近づいているように思います。
 しかしながら批判を承知で言えば、今回の新型コロナウイルスの拡大を止めるための都市封鎖やロックダウン、外出禁止など外国の対策に比べて生ぬるいとされる日本政府が戒厳令に近い強権発動ではなく、あくまでも国民に自粛要請するという対策でウイルスを封じ込め、医療崩壊を避けようとする姿勢には賛成です。もちろん、「アベノマスク」は論外として、休業要請や外出自粛要請にはもっと格段の補償と救済があって当然だと思いますし、検査数が少なくて今頃ようやく検査数を増やそうとするなど、国の対策が遅くて不十分だとする指摘はそのとおりだと思います。
 けれどもわたしはむしろ、権力を持つ為政者が強権発動するのではなく、ただひたすらお願いをしつづけるのは世界の中でも特異で、もしこの姿勢を貫いて困難を克服できれば世界に例を見ない壮大な実験に成功したといえるのではないでしょうか。それはまた不完全なものであっても、わたしたちひとりひとりが担ってきたはずの戦後民主主義の数少ない証しの一つでもあります。
 いつ終焉に向かうのか見当もつかない新型コロナウイルスの恐怖が、それでもいつかは収まるであろうそのあとに、元の社会や人間関係に戻れないことを知ってしまった今、強力なリーダーシップを行使する権力を求めたり、自分で自分を縛り、お互いがお互いを監視しあう社会ではなく、あらためて他者を信じ、他者を信じる自分を信じ、どうすればこの「見えないがれき」がつづく広大な荒野から人と人が、人と自然が共に生き、助け合える社会を作り直せるかが問われているのだと思います。
 そのためにも、今は一日でも早く新型コロナウイルスの感染がおさまり、長いたたかいになるでしょうが、大切ないのちが奪われることのないように自粛を続けようと思うのです。

さよならだけが人生ならば
またくる春はなんだろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてるの野百合なんだろう
(寺山修司による森進一の「花と蝶」の替え歌)

友部正人 MASATO TOMOBE - 愛について

三上寛「夢は夜ひらく」

浅川マキ 「 朝日楼 (歌詞付) 」

島津亜矢「風雪ながれ旅」
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