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2020.03.09 Mon 「レット・イット・ビー」はわたしの青い時との別れ歌・「うたコン」と島津亜矢と歌に隠れている時代の記憶

aya let it be

 3月3日のNHK「うたコン」は新型コロナウイルス感染症への対応のため、無観客で開かれました。ビートルズ解散から50年ということで、「ビートルズ&春うたスペシャル」と題したこの日はややとってつけたような演出で冒頭にビートルズの楽曲3曲の後は、aiko、JUJU 、清塚信也、ダイアモンド☆ユカイ、スキマスイッチ、ゆずから、城田優、柏木由紀、足立佳奈、つばきファクトリーから橋幸夫、 千昌夫、平浩二、堀内孝雄、市川由紀乃、竹島宏、金沢明子、真田ナオキ、朝花美穂など、ポップスから演歌・歌謡曲まで、いつにもまして幅広い出演者で総花的かつバラエティに富んだ番組になりました。
 その中で島津亜矢は番組冒頭に「レット・イット・ビー(Let It Be)」を熱唱しました。
 正直に言うとわたしはポップスのジャンルに足を踏み込んだ最近の島津亜矢に少し危惧というか、取り越し苦労なのでしょうが危機感をもっています。それは何も彼女のポップスのボーカリストとしての力量を問うものではなく、かつて「BSにほんの歌」で演歌・歌謡曲を完璧に歌い、誰もよりつけないほどのオーラをはなっていた頃の彼女がわたしにはどこかひとりぼっちのように思えて痛々しく感じていたからです。もちろんショービジネスの世界はそれが当たり前で、究極の孤独と後悔と寂寥と、そして嫉妬が付きまとう職業であることは事実だと思います。
 大きな事務所に属さず、彼女自身の才能だけが頼りの決して順風満帆とはいえなかった不遇の時代、彼女を支えるファンはもとより、おそらく天童よしみや坂本冬美、そして星野哲郎、北島三郎など数少ない友や師の支えで長い歌手人生をなんとかぶれずに進んできたのでしょう。
 いま、振り袖姿のボーカリストとしてポップスを歌う彼女はたしかにその歌唱力が高く評価され、ポップスのジャンルの歌い手さんたちにも注目される存在となっています。ポップスの世界は演歌の何十倍もの裾野の広さと、新人もベテランもそれぞれの事務所の営業のもとでわたしなどその名前も知らない人たちがそれなりのファンを獲得しています。
 彼女彼らは演歌歌手が切実に望む「紅白」出演などはとくに関心がなく、チームのプルデュースのもとでドーム公演も満杯にできる環境にいる人たちも数多くいます。ですから、演歌のジャンルから飛び込んできた島津亜矢にたいしても、「UTAGE!」や「うたコン」の雰囲気を見る限り、好意的に受け入れられているのだと思います。
 しかしながら、それでもなお、わたしは島津亜矢の立ち位置がとても不安定でひやひやしながら音楽番組を見ています。周りからは絶好調と思われているかも知れないこととは裏腹に、あらゆる意味で大海に身を投げ出した彼女は自分の進むべき道に惑い、相談できる先輩や星野哲郎にかわる師を求めているようにも思えるのです。今年の新曲を北島三郎に依頼したことは、その現れなのかもしれません。
 今回の「レット・イット・ビー(Let It Be)」の歌唱には、思いまどいながらもひたむきに突き進もうとする彼女の心の叫びが聴こえてきたと思うのは、わたしの穿った見方かもしれません。
 というのも、島津亜矢のアルバム「SINGER」シリーズではJポップの名曲がたくさん収録されていて、音楽番組やライブで歌う場合もそれらの曲を歌うことになってしまいます。実際のところ、演歌・歌謡曲が著しく衰退している以上に、和製ポップスの世界もまた疲弊していて、はやりのダンス音楽やアイドルの歌が消費される一方で、それほど音楽的な冒険を伴わず、おのずと声量と歌唱力で、阿久悠がいみじくも言ってのけた主に男女の恋愛をテーマにしたいわゆるこじんまりした名曲が歌われている現実があります。
 その現実に島津亜矢がすっぽりとはまっていて、かつての演歌・歌謡曲のカバーと同じようにJポップの「名曲」ばかりを歌い、オリジナルと比較されたり他の歌手のカバーと比較されてしまうだけで終わってしまわないかと心配になるのです。
 わたしは島津亜矢はそんな目先の名曲主義で終わらず、古今東西あらゆるジャンルの音楽を体感し、共に聴き共に歌い、歌が生まれた時代と個々人の人生が合わせ鏡になった「歌の記憶」をたどる至高の旅を続けてほしいと折に思うのです。
 「レット・イット・ビー(Let It Be)」はビートルズが解散する1970年3月に発売された最後のシングル曲です。ビートルズの楽曲はジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作になっていますが、この曲はポールの作詞作曲となっています。
 ご存じのように、最後までグループとしてのビートルズを愛し、活動を続けていきたいと思うポールの悲しく寂しい心情があふれたこの曲は、同時にそれがかなわない現実からポールがビートルズに精いっぱいの別れを告げる曲でもあります。
 ポール自身はすでにビートルズとしての明日がないことに絶望的な夜を何度も何度も潜り抜けるさ中、早くに亡くなった母親が降りてきて、「あるがままにすべてを受け入れる」と告げた啓示から、この曲をゴスペル風に作ったと証言しています。
 わたしは友だちのビートルズ包囲網にあらがって森進一の熱烈なファンでしたが、1966年6月、台風とともに彼らが空港に降り立ち、ブルーバードに乗ってホテルへと向かうときに流れた「ミスター・ムーンライト」のジョンの第一声でたちまちビートルズのとりこになってしまいました。それから1970年の解散までの4年間、大島渚のテレビドラマ「青春の深い淵より」さながらに高校卒業後半年で建築事務所を辞め、3年間ビルの清掃をしながら見失いそうな自分の生きる道を探しあぐねていました。同年代の大学生が学園紛争と70年安保闘争で「国家」と対置していた間、わたしはといえば違う形でドロップアウトしていた若者たちに心を寄せて、曽根崎商店街のいかがわしい「ゴーゴー喫茶」に入り浸っていました。
 風采の上がらないどもりの少年にとって、世の中はそれに従う若者もあらがう若者も、どちらもわたしには遠い存在でした。それでも、わたしの人生にとってその4年間は青春そのもので、ビートルズはロックバンドをこえたわたしの生き方の道しるべそのもので、ここからわたしは寺山修司も唐十郎も竹中労も平岡正明も小田実も知ることとなり、死んでしまったKさんやわたしの妻とその友人たちとの小さなユートピアを夢見て共同生活をつづけていました。
 ビートルズが解散に向かってひた走るのと同じくして、わたしたちもまた世界から身を隠すためのユートピアがどこにもないことを知ることになりました。そして、「レット・イット・ビー(Let It Be)」が巷に流れる頃、わたしたちもまたそれぞれ別々の道を歩き出そうとしていました。
 ビートルズの解散は予見できたこととはいえ、わたしはさみしかった、そしてふたたび忘れていた孤独と絶望感に襲われました。思えば彼らの解散とともにわたしの青春が終わっただけでなく、戦後民主主義の光と影があらわになり、日本全体がとても大切なものを時代の記憶のかなたに捨てることで高度経済成長へとアクセルを踏んだ一瞬だったのだと今では思うのです。
 ビートルズ解散の翌年に生まれた島津亜矢は、この歌が一つの時代の鎮魂歌として世界の若者の心を通り過ぎて行ったことを知る由もないでしょう。しかしながら、歌が隠している時代の記憶をひもとき、彼女自身の心情と重ね合わせて熱唱する彼女の「レット・イット・ビー」は、わたしに若さが政治を切り開いた青春の時代とその決別を思い起こさせたのでした。

The Beatles - Let it be

島津亜矢 北国の春
この日はあと一曲「北国の春」を千昌夫と歌いました。この映像のころと違い、今の島津亜矢は演歌版ミュージカルのようなしなやかさと演劇的な歌唱で、千昌夫と見事なコラボを聞かせてくれました。




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