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2020.01.30 Thu 落語の笑いは優しい笑い・桂九雀の落語 桜の庄兵衛ギャラリー

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 少し前になりますが1月19日、豊中市岡町の桜の庄兵衛ギャラリーに行きました。桜の庄兵衛ギャラリーは江戸時代の庄屋さんのお屋敷で、阪神淡路大震災で屋敷の一部が崩壊し、再建するにあたって大広間を100席ほどのギャラリーに改造し、年に何度かジャンルにかかわらず数多くのプレイヤーが客席のすぐ近くで演奏する場を提供されています。
 わたしは2015年にはじめて訪れ、今までほとんど縁がなかったクラシックの演奏に触れ、それ以後何度も訪れているのですが、いつも素晴らしい演奏を聴きながら、時間に追われるように行き急ぐ暮らしから解放され、心が洗われるのでした。
 桜の庄兵衛ギャラリーの出し物は音楽だけでなく落語もあり、これがまた不思議に古民家の風情にぴったりで、今回もとてもいい時間を過ごすことができました。
 今回の演者は桂九雀さんとお弟子さんの桂九ノ一さんで、お囃子も生演奏で岡野鏡さんでした。1979年2代目桂枝雀に入門と芸歴40年を超える九雀さんですが、落語以外に小劇場の演劇に出演しています。2018年にはわたしの住む能勢の淨るりシアターで、「桂九雀で田中啓文こともあろうに内藤裕敬」というユニークな芝居がありました。
 
 さて、昼の部の上演時間になり出囃子とともに、まずは桂九ノ一さんが登場しました。わたしの思い違いかも知れませんが、おそらくピアノを囲む形でつくられた高座は今までよりも高く感じました。演者さんは天井を気にしながらその名の通りの高座に上がりました。
 九ノ一さんの演目は「七度狐」で、旅の途中で狐にだまされる定番ともいえるお話でしたが、2016年に九雀さんの元へ弟子入りされた20代半ばの九ノ一さんは、修行をはじめてまだ5年のほんとうにフレッシュな落語を聞かせてもらいました。
 そして、九雀さんは「六文銭」、「風呂敷」と、どちらも庶民の暮らしの中のちょっとしたトラブルやよくある話を登場人物の会話と絶妙な語りで面白可笑しく演じてくれて、わたしのような初心者にも落語本来の面白さを教えてくれました。
 落語はたった一人の話芸だけで、聴く者を異空間に招き入れる総合芸術の極みと言えるでしょう。声質とセリフの抑揚などの表現力で登場人物を語り分け、扇子を箸に見立ててうどんやそばを食べるしぐさなど、芝居とはまったくちがう身体表現は落語でしか味わえないものです。その上に、落語特有の「間」は短いと演者の焦りが感じられ、反対に長いと間延びしてしまって緊張感をこわしてしまう、ほんとうに難度の高い落語ならではの芸だと思います。
 わたしは九雀さんの落語を聴いていて、わたしたちの日常会話や歌・ミュージカル、芝居のせりふ、選挙などの街頭演説、ニュースのアナウンス、テレビのバラエティー番組の言葉、そしてふたたびブームになっている漫才の言葉など、そのどれとも違う落語の言葉の不思議さを感じました。
 噺の内容も登場人物も語り手もお客さんもリラックスしていて、とことん追い詰められてしまう悲劇もありませんし、滅びゆくカタルシスもありません。時の権力が庶民を苦しめたり時には圧殺したりする理不尽なことがいっぱいあっても、それらのかなしみや怒りや絶望や勧善懲悪は浄瑠璃や歌舞伎に任せて、落語はもっぱら権力と直接立ち向かうことも、悲惨な事実をストレートに語ることもしません。
 落語は日々平穏な暮らしの中にあるちょっとした楽しみ、そんなに華やかではない日常の幸せ、平凡な暮らしの中にある小さな悪意など、ストレートに語ることができない実人生や本音を登場人物に語らせます。お客さんは心の中で「アルアル」とうなづき、見栄や建前でオロオロする登場人物たちを笑いながら自分自身にだぶらせるのでした。
 落語は、わたしたちがどこかで体験したことや選ばなかった人生を笑いとともに再現してくれるようです。そこでは肩の力を抜いて自分を追い詰めてしまわず、静かに笑いながら「だいじょうぶ、無理せずに」と一息つかしてくれるのです。
 「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と、ヘーゲルからマルクスへと語り継がれた名言は、まるで落語の持つ諧謔を指しているようです。

 一部が終わり、20分の休憩をはさんで二部は、一介の按摩が検校に出世する「三味線栗毛」という人情噺でした。
 角三郎は[酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)という大名の末っ子で父から疎まれ、下屋敷に遠ざけられていましたが、根っからの楽天家でそれなりに自分の境遇を楽しんでいました。ある日、肩凝りがひどいので按摩の錦木(にしきぎ)を呼ぶと、話がおもしろいので毎晩呼ぶようになります。あるとき錦木が角三郎の骨格は大名になる骨組みと言います。うれしくなった角三郎は、万一大名になったらお前を検校にしてやると約束します。
 錦木が大病にかかり屋敷に出入りしないうちに酒井家当主が隠居し、病身の長男に代わり、角三郎が雅楽頭の跡目を継ぐことになりました。
 これを聞いた錦木は起き上がり、むさい身なりのまま上屋敷へ駆けつけると、中へ招き入れた上、約束通り検校になるよう計らってくれた、という話です。
 総録に千両納めないとなれない検校は雲の上の存在ですが、それが実現してしまうのは、角三郎の不遇な時代にもみ療治をしながら励ました恩によるものだというわけです。
 九雀さんの落語では、わたしの聞き違いかも知れないのですが、殿様になった角三郎が寝込んでいる錦木の長屋に訪ねてくるとなっていたように思います。
 荒唐無稽ながらも思わぬ幸運であり得ない奇跡が起きることもあるというお話で、そんなに都合よく幸運が舞い降りるはずはないとわかっていても、人生それほど捨てたものでもなく、少しは自分にも運が向いてくるかも知れないと甘い期待を持たせてくれる話でもあります。
 落語の笑いはどんなに大笑いしてもそれほど人が傷ついたりいじめられたり自虐的になったり、だれかや何かを貶めたりする笑いではありません。また最近のなんでもバラエティー化する世の中の風潮から、笑いをとらなければとやみくもに必死になる「痛い笑い」、時には煽情的で暴力的と思えるような笑いではありません。
 どこか醒めていて、それでいて少しだけ胸が熱くなる「優しい笑い」、それこそが落語の神髄なのかなと思いました。
 寄席や演芸場に行かないわたしには、「桜の庄兵衛ギャラリー」で聴く落語はとても身近で楽しく、心地よい時間を過ごすことができました。

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