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2019.11.04 Mon 「村っこ太鼓」と映画「萌の朱雀」・ 奈良県十津川村 二村小学校の思い出2

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二村小学校講堂

 川沿いのバス道から山の斜面を登り、学校に着きました。車いすに乗っているKさんを玄関までサポートしたはずなんですが、今ネットに上がっている二村小学校跡の学舎を見るとかなりの階段なので、おそらく別の入り口であまり段差のないところがあったのかも知れません。
 ともあれ、会議室のようなところに案内されると5人分の弁当が用意されていました。さっそくごちそうになり、その後、校長先生が教頭先生を紹介してくださり、教頭先生から二村小学校の話を聞かせてもらいました。
 1年生から6年生まで合わせて33人の子どもたちと11人の先生で、十津川村の中でも特に普通の勉強以外に、子供たちのお父さんやお母さんをはじめ、村のおとなたちに来てもらって村の暮らしの歴史を学んだり、学校の外に飛び出して味噌づくり、キノコの勉強、野鳥の勉強、木工所で昔のおもちゃづくりなど、子どもたちの生き生きした体験学習の写真が所狭しと貼ってありました。年に一度、各学校の校外学習の発表会もあるということで、教頭先生が誇らしげに話されたのを今でもおぼえています。
 わたしたちも箕面での活動をひととおり話した後、職員室の先生たちにカレンダーのお礼ともどもあいさつしました。こんなに小さな学校に毎年40本もカレンダーを届けていたことに申し訳ないやらありがたいやらで、なんとお礼を言えばいいのか言葉が見つかりませんでした。
 「歓迎の準備ができましたので、講堂に行きましょう」といわれ、何のことかあまり理解できずに言われたまま講堂に入りました。
 するとどうでしょう、子どもたち33人全員が太鼓を前に勢ぞろい、頭にハチマキをしてわたしたちを迎えてくれました。見れば先生方も全員講堂に集まってくれました。たった5人のわたしたちのために通常の授業を返上し、歓迎の太鼓をたたいてくれるというのです。
 6年生らしき子どもの、「二村小学校、村っこ太鼓」という大きな掛け声に合わせて、子どもたちの太鼓が講堂中に響き渡りました。わたしたちは感激しすぎて涙も出ませんでした。ただただびっくりして、ドキドキしました。
学校挙げての歓迎太鼓の音が緑いっぱいの山々と谷深い清流、厳しい冬の風と透き通る空を突き抜けていきます。お腹の底まで響く振動は、講堂の床を伝ってわたしたちの心臓と共振しました。子どもたちの太鼓から立ち昇るいのちの鼓動が心を奮い立たせ、わたしたちが思いもしなかった何か、それは生きる勇気のようなとても大切なものを、山里の小さな小学校の子どもたちからもらいました。
 わたしの住む能勢でも小・中学校が統合され、ひとつの小学校とひとつの中学校になってしまいましたが、それまではそれぞれの学校が地域のコミュニティーの拠点になっていました。
 二村小学校は2010年に統合されたということですが、わたしたちが大歓迎を受けたこの頃は、間違いなく1年生から6年生までの33人の子どもたちが11人の先生たちと奇跡のような学校で学んでいたことでしょう。(もっとも、統合された十津川第一小学校も現在全校生徒数が48人だそうで、この20年に過疎化が進むのは止められないのかも知れません。)その奇跡は太鼓によって結ばれた子どもたちと村のおとなたちのきずなが生み出したものにちがいないと思いました。
 事実、十津川村では太鼓に力を入れていて、毎年8月4日に谷瀬のつり橋の上で地元OMC十津川太鼓倶楽部「鼓魂」のエキサイティングな太鼓の演奏が行われる「吊り橋まつり(揺れ太鼓)」が開かれています。
もしかするとわたしたちに太鼓を聞かせてくれた子どもたちの中で、大人になって太鼓をたたいている人がいるかも知れません。また、十津川村から都会に出てきて、故郷を心の奥にしまいながら暮らすひとが年に一度あるかないか十津川村に帰郷した時、廃校になった二村小学校のみんなで叩いた太鼓の鼓動とともに、村での暮らしが豊かな時間だったことを懐かしく思い出すかもしれません。
 わたしたちもまた、あの時の太鼓の音と子どもたちの真剣な顔が今も心に残っています。
 いずれは消えていく運命にあった奇跡のような学校で、奇跡のような子どもたちが太鼓を叩く様子を、わたしの妻が買ったばかりのビデオで撮影したつもりでしたが、撮影ボタンを押し忘れて何一つ写っていないという大失敗のおまけがついた二村小学校の子どもたちとの出会いと別れの旅でした。

 事務所に戻ると、年末大詰めに来ているカレンダーの発送に追われているうちに仕事納めとなり、年内最後の会議を待つ夕方、わたしは映画の配給会社に電話しました。この年のカンヌ映画祭で「萌の朱雀」の河瀬直美監督がカメラドール(新人監督賞)を受賞したという新聞記事を読み、わたしはこの映画の上映会をしたいと提案し、みんなの了解を得ていました。
 「萌の朱雀」は林業の低迷で暮らしが成り立たなくなった奈良県西吉野村を舞台に、少女とその家族のつつましい暮らしを通して、幾世代も受け継がれてきたいのちの営みと、家族が山を去って行くまでを静かに描く、哀しくもいとおしい映画です。
 その年の11月に公開された映画を見て、誤解を恐れずに言えば今までのわたしたちの活動がいわゆる「都会の運動」で、「富の分配」の権利要求が正当なものであったにしても成長神話に基づいたものであったことを痛感しました。
 経済成長のおこぼれを要求する「富」が都会でしか通じないのではと感じ始めていたわたしたちは、バリアフリーも困難で雇用の創出も難しく、過疎化が進む山里や海辺の村、経済成長から取り残されたように思える地域では、自然の厳しさと折り合いをつけて暮らしてきた先人たちの知恵を生かした、いわば里山障害者運動があるのではないか?
 その思いは能勢に住むようになってより強く感じるのですが、残念ながらそれをどうすれば実現できるのかいまだにわからず、わたしの生きている間に見つけることも不可能なのかなとも思っています。かろうじて2人の障害者議員を生み出した「れいわ新選組」の活動に最後の期待とシンパシーをもっているのですが…。
 ともあれ、わたしたちは「萌の朱雀」をたくさんの人々に見てもらいたいと思いました。
 まだ公開が始まったばかりなので難しいかなと思ったのですが、翌年の7月からは市民の上映運動でも配給できるということで、1998年7月18日、映画「萌の朱雀」上映会を開催しました。
 わたしはうかつにも今回の十津川村への旅で、はじめて「萌の朱雀」の西吉野村は十津川村よりずっと五條よりですが、新宮までのバス道から山間に入って行ったところで、同じ風土・地形であることを知りました。今から思えば、二村小学校の子どもたちの奇跡の太鼓が、「萌の朱雀」という映画にわたしたちを誘い込んだのかも知れません。
 わたしの住む能勢も例外ではなく、村おこしや地方再生が喫緊の課題と叫ばれて久しいですが、日本全体が人口減少を避けられない中、個々の村や町もまた過疎化を止めることはできないのかも知れません。しかしながら、それゆえに未来へつなぐ最後の希望としての教育の役割がとても大きいことを、消えゆく小さな学校の子どもたちの奇跡が教えてくれたのでした。

たおやかな木立、むせぶ陽のにおい、あふれる哀しみ。
そして、家族たちは心に深く緑をしまい、山を去って行った。
(「萌の朱雀」上映会パンフレットより)

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映画「萌の朱雀」


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