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2019.11.01 Fri 奈良県十津川村 二村小学校の思い出

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十津川村・谷瀬のつり橋

 10月27日、28日と、奈良県十津川村に行きました。朝早くに能勢を出てバスと電車を乗り継ぎ、奈良五條駅に到着。近鉄大和八木駅からやってきたバスに乗りました。
 そこから日本一長い長距離路線バスの旅。山高く谷深い渓谷を縫うように続くバス道を走り、JR新宮駅に至る全長168キロ。バスは五條を出発しておよそ2時間半、天辻(てんつじ)峠を超え、十津川村役場前に到着しました。
 このバス路線は2014年に一度存続が危ぶまれましたが、この地域の人々の生活を支えるたったひとつの交通手段であることから県や周辺自治体の助成もあり、また、ちょうどこのころから観光客の利用も徐々に増えはじめ、今に続いています。
 車窓をなでる透き通った風、そびえたつ山の緑、深い谷底を流れる川のきらめきに心がおどりながらも、厳しい自然と寄り添い、たたかい、取り戻せない記憶と果たせなかった夢を抱きながら生きてきた人々の矜持と歴史を感じさせる2時間半のバスの旅でした。
 十津川村は、和歌山・三重両県に接する奈良県最南端、紀伊半島のほぼ中央に位置し、面積は672.38k㎡と、琵琶湖とほぼ同じ大きさです。奈良県全体の約1/5を占め、村としては日本一の広さで、その96%が山林で中央部を十津川が南流しています。
 紀伊山地の急峻な地形のため、周囲とは隔絶した村落共同体として存在し、独特の文化、気風があり、日本の三大秘境の一つといわれていました。 2004年にユネスコ世界遺産登録された二つの道「熊野参詣道小辺路」、「大峯奥駈道」や「日本の滝百選」に選ばれた滝川渓谷の上流にある「笹の滝」など史跡や名勝も数多く点在しています。

 実は、わたしが十津川村を訪れるのははじめてではありませんでした。
 1997年12月22日、箕面の豊能障害者労働センターに在職していた時、Kさん、Yさん、Hさん、細谷しず子(ひろ子)さん、そしてわたし・細谷の5人で、2010年に廃校となった十津川村の二村小学校に、カレンダー40本を届けに行ったのでした。通常は宅急便で送るところ、40本のカレンダーを届けるために十津川村の小学校に箕面からはるばる配達することになったのは、その数年前から校長先生と約束していたからでした。
 豊能障害者労働センターは、「指導員」の給料や作業場の家賃、車の維持費を助成対象とされる障害者作業所ではありません。障害のあるひともないひとも共に働き、給料を分け合ってきた豊能障害者労働センターは、「指導員」として保障される主に健全者の給料だけが確保され、事業によって得たお金を「工賃」として分配する作業所制度(今の「障害者雇用支援継続事業」)ははっきり言えば差別的制度としか思えず、制度の枠に入ることを拒否したのでした。そして後に、箕面市との長い協働の成果として、障害者作業所では禁じられている助成金をどれだけ障害者に分配してもかまわない、全国でも珍しい「障害者事業所制度」を箕面市に誕生させました。
 1988年、豊能障害者労働センターは今まで地域で販売してきたカレンダーの通信販売を始めました。当時このカレンダーは大阪を中心とした障害者の自立をめざす障害者運動グループによって共同制作していて、販売もまたそれぞれの地域に限定されていた事情がありました。わたしたちは地域に縛られずに販路を広げるため、障害のある子もない子も共に学ぶ教育運動で利用してもらう障害児教育自主教材と抱き合わせで全国展開することにしたのでした。
 助成金もなかったこの頃、わたしたちは貧しいながらも障害者も健全者も生活に応じて給料を分け合うために、地域でお店の運営やバザーだけでなく、カレンダーの通信販売でもっと多くの収入を得る必要がありました。
 もちろん、通信販売ははじめてのことでどのように営業すればいいのかもまったくわからない中で、障害児教育自主教材との抱き合わせで、全国の学校に働きかけることを思いつきました。
 全国の教員組合や自治労などの労働組合だけでなく、わたしたちは機関紙の見本を全国津々浦々の学校に送りました。それは郵送料などの費用がかかりすぎる無謀ともいえる営業活動で、突然送られてきた北大阪の小さな障害者団体からの手紙を読んでくれる可能性も少なく、たとえ読んでくれたとしてもそれぞれの地域の障害者団体を差し置いてわたしたちの販売するカレンダーに協力してくれる可能性はほとんどないと覚悟していました。
 それでもわたしたちには夢がありました。障害児教育自主教材ともども、このカレンダーがわたしたちの知らない地域の知らない学校に届けられ、障害があるということで普通に学ぶことからも普通に働くことからも遠ざけられる理不尽な現実を変えていくきっかけになれたら…、と、そんな夢を手紙に託したのでした。
 すると、どうでしょう。手紙を送った全国の学校からぽつりぽつりと返事が返ってきました。都会の学校、山里の学校、海辺の学校、大きな学校、小さな学校…、周りの風景も学校の校舎も、子どもたちの笑顔も知らないけれど、ひとつひとつの手紙の封を開けるとそれぞれの学校の空気が飛び出しました。そして、障害のあるひともないひとも給料を分け合うわたしたちの活動を応援するメッセージを添えて、カレンダーの注文数が書かれていました。
 その中に、十津川村立二村小学校からの手紙もありました。前の年に注文を頂いた学校には次の年からは電話でお願いするようになり、毎年注文してくださるのが校長先生と知りました。そして、山深いところにある小さな学校で子どもたちが自然の厳しさもやさしさも学びながら生き生きと育っている、その姿をぜひ見に来てほしいと言ってくださいました。
 お誘いを受けながら日々の活動に追われてなかなか行けなかったのですが、翌年に校長先生が定年退職されると聞き、今までの感謝の気持ちを伝えたいという思いもあって、この年の冬、ほぼ仕事が終わった年末ぎりぎりに二村小学校を訪れたのでした。
 おそらく、今回バスで行ったのと同じ道を走ったと思います。川に沿った曲がりくねった道とトンネルをいくつか越えて、校長先生との約束通り、昼頃に二村小学校に到着しました。(つづく)

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十津川村立二村小学校跡 2010年、上野地小学校、三村小学校と統合され、十津川第一小学校となり、廃校となるが、保存されている。


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