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2016.03.10 Thu 東日本大震災から5年・成長しない豊かさ

 東日本大震災から5年が経ちました。阪神淡路大震災が発生した1月17日とおなじように、3月11日前後になるとマスコミを中心にそれぞれとの人の「あの時」と、奪われた命、そして時を経た現在の暮しと心のありようがつづられます。時が過ぎるにつれてその語りには、ひとりひとりの人生やひとつひとつの町のその後の足跡が少しずつ「語られる歴史」へとファイル化されていき、よくも悪くも整理整頓されていくジレンマを感じます。ひとりひとりの肉声は決して整理されないまま、「あの時」をかけめぐり、心の底をうごめいていて、その悲しみや悔恨や憤りは決して他者にわかるはずもなく、また伝えられないものなのかも知れません。
 わたしは阪神淡路大震災の時も東日本大震災の時も、被災地の障害者の支援活動にかかわりましたが、そのたびにそれをきっかけに「誰もが住みやすく、安全に暮らせる社会」へとわたしたちも社会も変わるはずだ、また変わらなければならないと思いました。
 そうでなければ、理不尽にも突然夢を絶たれ、命を奪われたひとびとに申し訳ないと思いました。
 しかしながら、そんな思いもまた被災した人々には失礼な言い分で、彼女たち彼たちが受けた理不尽な暴力を踏み台にして新しい社会のありようが描かれるはずもなかったのでした。

 それでも5年の時が過ぎた今だからこそ被災地のひとびととつながり、もう一度これからの社会のありようを共に考え、実行していくことは、生き残った者として未来をデザインし、こどもたちに一縷の望みをたくすことなのではないかと思うのです。
 最近になり、被災地の人々が自ら業を起こす活動が増えています。被災地と言っても地域によって状況は違いますし、個々のひとびとひとりずつ抱えている問題も違うわけですから、自ら業を起こすことが被災地全般、ひいては日本全体に共通した新しい取り組みとされてしまうことは少し危険です、しかしながら反対にそれが可能になって自立経済が立ち上げていくこともまたひとつの希望ではないでしょうか。
 起業といえばIT起業や最近大流行のスマホのゲームなど、若い人の華々しい活躍がよく報じられますが、地域に根差した農業など過疎地での若者の活動や、生活に密着した女性たちの地道な活動も伝えられるようになりました。
 被災地での起業はまさしく社会的起業で、地域で助け合いながら暮らしをつくり、少しずつ雇用を生み出す活動は震災前のコミュニティを再構築しながら、より地域を愛おしく支えていくことになると思います。そして、長い目で見れば「より早く、より遠く」と暴力的に突き進んできたこれまでの経済ではなく、「よりおそく、より近く、より寛容な」経済をめざす活動であり、それこそが被災地のみならず日本と世界の新しい政治経済のシステムの構築につながる冒険であると信じてやみません。願わくば被災地に芽生えるその愛おしいコミュニティに、障害者が参加し、担っていくことを…。
 新しい経済活動の形がどんなものになるのかはこれからのわたしたちの課題ですが、少なくともそのシステムに原発はまったく必要のない事は確かなことだと思います。
 くしくも9日、大津地裁で高浜原発3、4号機の運転差し止めの仮処分が下されました。運転中の原発の運転差し止めは画期的なことで、震災以後電力会社と国が再稼働をすすめ、最後のよりどころとしての司法もそれを容認してきた流れを断ち切った大津地裁の勇気と未来への冷静な判断に敬意を表するとともに、この間粘り強いたたかいをゆるめず仮処分を導き出した方々に頭が下がる思いです。

 国が原発をやめないのは、いや、やめられないのは成長神話を捨てられないからだと思います。「原発の問題は原発以外にある問題」で、日本の経済成長を支えてきた資本主義そのものにかかわる問題なのでしょう。戦後すぐの生まれのわたしは進歩や成長は善で、後退することは悪だと教えられてきたように思います。努力することや一生懸命働くことのすばらしさを、進歩や成長にすり替えてきた資本主義経済は立ち止まることを許さず、その成長を邪魔するひとびとを振り落としてきました。
 成長や発展をもとめて周辺の地域を開拓しつづけた結果、すでに開拓すべき「未開の地」がなくなると、だれかが昔言いましたが医療と保険とサプリメントで「資本主義の最後の植民地」であるわたしたち人間の体と心を開拓し、グローバリゼーションのもと金融とIT革命によって利益を求めるようになりました。
 そして、とうとうマイナス金利という、投資しても利潤どころか元金も減ってしまう(簡単にそうとは言えませんが)事態を、資本主義の終焉と宣言するひとたちも増えてきています。
 それでもわたしもふくめて、どこかで成長することで豊かになるという上がりっぱなしの凧のような幸福幻想の呪縛から抜け出せないため、アベノミクスというカンフル注射をうちつづける政権を支持し、いつかは自分のところにもそのおこぼれがやってくることを信じてやまないひとびとが数多くいらっしゃると思います。わたしは箕面の豊能障害者労働センターと出会うことで、わたし自身の100年の成長神話の悪夢からさめましたが、それでも仕事をやめ、一般の会社で定年を迎えていないため通常の半分程度の年金生活をはじめた今、いまだに成長神話のさ中にいた頃のサビをそぎ落とすまでには至っていません。
 ともあれ、東日本大震災と原発事故は100年の成長神話がとても危うく、東北にとどまらず誰かを踏み台にしてなりたっていたことを思い知らされました。
 とてもじゃないですが、福島のひとびとの災難という言葉では表せない窮状はこれからもますます過酷になっていくことが明らかなのに、原発を止められないわたしたちの社会は何なんでしょう。どうしても「経済成長」の悪夢から逃れることはできないのでしょうか。
 わたしは被災地の助け合い経済をはじめとする全国各地の地域経済の担い手のひとびとが求める「成長しない豊かさ」、「原発を必要としない豊かさ」が資本主義終焉の後の世界と日本の経済の希望となっていくのではないかと思っています。そして、わたしもそのひとりとして何かするべきことを見つけていきたいと思います。
 そして今回の大津地裁の英断は、未来からの使者としてわたしたちに勇気を届けてくれた愛おしいサイン・合図なのだと思います。

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