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2021.08.11 Wed 日本固有のソウルミュージック 美空ひばりと竹中労、島津亜矢



 ずっと以前にも書いたことがあるのですが、村上春樹がアメリカの友人に勧められて美空ひばりのジャズのレコードを聴いたエピソードを書いています。

 以前、アメリカ人の家で美空ひばりの歌うジャズ・スタンダード曲集を、ブラインドフォールド(誰が歌っているのかわからないようにすること)で聴かされたことがあった、「誰だかわからないけど、なかなか腰の据わったうまい歌手だな」とは思ったのだが、何曲か聴いていると、その「隠れこぶし」がだんだん耳についてきて、最終的にはやはりいくぶん辟易させられることになった。ジャズ・スタンダードをきっちりと自分なりに歌いこなせてしまう、美空ひばりという歌い手の実力には感心させられたけど、それは「ジャズ」とちょっと違った次元で成立した音楽だった。もちろん、そういう音楽の存在意味や価値を否定しているわけではまったくない。
(村上春樹「意味がなければスイングはない」)

 わたしは村上春樹ファンですが、このエピソードを読んだ時、彼が耳についたという「隠れこぶし」にこそ、美空ひばりのジャズの神髄があるように思いました。
 美空ひばりのジャズは当初はパティ・ページなどの白人のジャズをお手本にしていたようですが、竹中労は日本人固有の音楽の記憶を体現し、庶民によるもうひとつの戦後民主主義を歌謡曲で表現する美空ひばりは、黒人のブルースやソウル、ゴスペルとつながっていると考えました。

 私はひばりのジャズのLPを聴いているうちに「もし彼女に黒人ジャズをうたわせたらと、ふと思ったのである。「マヘリア・ジャクソン 神と愛の讃歌」を彼女に贈ったのは、ひばりが群馬、長野の地方巡業に出発する2週間前であった。そして福岡音協のリサイタルで歌う、ひばりの「ダニーボーイ」をきいて感嘆した。
それから、せっせとジャズのレコードを美空ひばりにつぎこんだ。週刊誌や月刊誌にひばりの記事を書いた原稿料は、そっくりレコードに化けていた。(竹中労「美空ひばり」)

 実際、最後の方のジャズのアルバムには竹中労の思い入れが表現されているようで、楽譜も英語も読めないのに、絶対音感というのでしょうか、レコードを聴くだけで音程もリズムも英語も完璧で、アメリカ人でもアメリカの歌手が歌っていると勘違いするほどでした。
 それでも、どれだけその音楽を理解し歌いこなしても残るざらざらごつごつしたフィーリングというべきか、村上春樹には受け入れられなかった美空ひばりの独特の感性こそが、海を渡りアメリカ大陸の音楽のルーツとつながっていく…、もしかすると音楽でしか実現しない奇跡がおきたのだと言えるかもしれません。
 竹中労は美空ひばりとの出会いを次のように語っています。

 1952年5月30日、淀橋警察署襲撃事件の首謀者と目されて現場で逮捕、2か月後に釈放され、あてもなく日盛りを歩いていった。
 そこへ、歌が聞こえてきたのだ。歌は心に落ちてきた。私は急に切なくなった、涙がこぼれてとまらなかった。
 リンゴの花びらが風に、散ったよな…。(「リンゴ追分」)
 パチンコ屋の店先であった。美空ひばりとの出会いだった。意識しなかったが、その時アナキズム、「窮民革命」へのわたしの回心は確実におとずれていたのだ。
(竹中労「美空ひばり」)

 さて、長々と美空ひばりについて書いたのは、島津亜矢もまた、時代をこえてとてもよく似た運命を背負っていると思うからです。美空ひばりは長い間蔑まれてきた大衆音楽こそが「芸術」だと自負し、最後まで戦後のがれきの上におかれたリンゴ箱がステージだったことを忘れませんでした。戦後の日本社会とともに歩いてきた時代の巫女として稀有の才能を開花させた一方で、それがゆえにアメリカの支配のもとで始まった戦後民主主義の「明るい未来」の底でうごめく暗闇を一身に引き受けた彼女の歌は、どこか悲しく切なく、時には光るナイフで時代を切り裂くテロリズムを秘めていました。
 島津亜矢はそれほど時代にほんろうされる歌手人生ではなかったと思いますが、美空ひばりが最後に閉じ込められた演歌の重い扉の中から出発し、大きな芸能事務所の後ろ盾もなくたったひとりでその重い扉を開いて音楽の冒険に身を委ねました。
 わたしは彼女の歌手としての稀有の才能がショービジネスの世界では評価されるよりも疎まれてきたのではないかと思います。デビューした当時に夢見たスター街道は厳しい現実の闇にかき消され、それでも彼女の歌うことへの情熱と特別な才能を受け止める限られた人たちによって、歌手・島津亜矢は独自の道を切り開いてきたのでしょう。
 そんな彼女にもここ数年大きな波がやってきて、「歌怪獣」という異名のもと一時はテレビ番組を席巻しそうな勢いをえました。わたしはこのブームは5年ぐらいで、その間に違う展開があればいいと思っていましたが、トップの人気を誇る演歌歌手がポップスを歌いはじめた時点で島津亜矢のポップスの冒険はいったん終わったと思っています。
というか、もともと彼女自身何も変わったわけではなく粛々とジャンルレスに歌を歌い続けてきただけで、社会の写し鏡としての音楽シーンが一瞬彼女を際立たせただけだったのかもしれません。
 わたしは島津亜矢に、Jポップでもなく、また演歌でもない、日本独自のジャズ、ソウルミュージックやゴスペル、リズム&ブルース、民謡、歌謡など日本の大衆音楽の再来へと冒険してもらいたいと思います。そして、演歌の重荷から解放された島津亜矢が美空ひばりのやり残したであろう音楽的冒険を引き継いでほしいと切に願っています。
 「さくらの唄」は、異彩をはなつ日本のソウルミュージックです。この歌には演歌や歌謡曲やJポップが得意とする「定型」がありません。なかにし礼個人の人生への深い絶望と孤独、生からこぼれ落ちる時の刻みと心臓の早鐘。自分の悲しみと世界の悲しみが重なり合い、もう運命の歯車が死への誘惑へとたどり着いた果てに、やがて少しずつ心が温かく静まり、もう一度生きてみようと醒めた眠りから立ち上がる青春の光…。
 日本語で語り、日本語で祈る日本のソウルがたしかにある。「さくらの唄」はそんな歌で、島津亜矢はこの歌を本来の歌詠み人として真正面に受け止め、その魂を見事に救い上げてくれました。そして、わたしはあらためて、彼女が時代のどんな大きな悲しみも希望に変える歌手のひとりであることを教えてらいました。

もしもぼくが死んだら ともだちに
ひきょうなやつと 笑われるだろう
笑われるだろう

美空ひばり「さくらの唄」

島津亜矢「恋人よ」

島津亜矢「冬の蛍」
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2021.08.06 Fri 美空ひばりを演歌の牢獄から解き放つ名曲「さくらの唄」・島津亜矢

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 7月11日だったと思います。NHK・BSプレミアム放送番組「新・BS日本のうた」は美空ひばり特集で、島津亜矢が出演しました。収録された6月24日は美空ひばりの命日で、毎年この時期にはどこの放送局でも美空ひばり特集を放送していましたが、さすがに最近はこの番組などBS放送ぐらいになりました。
 美空ひばりといえば「演歌の女王」という先入観のもと、演歌歌手が歌い継ぐという構図で歌われ、語られることが多いのが残念です。わたしはオールラウンドの美空ひばりを「演歌」の枠に閉じ込めてしまったことで演歌そのものを衰退させ、さらには日本の大衆音楽をゆがめてしまったと思っています。ある意味、演歌・歌謡曲の時代から長い桎梏をへてようやくJポップの才能が何人も現れるようになった今、彼女彼らによって新しい美空ひばりが発見されるのではないかと思います。
 わたしは正直最近のJポップのヒット曲を歌う島津亜矢を見るたびに、何とも言えない寂しさを覚えます。もちろん、ずいぶん前から彼女が歌うポップス歌唱のすばらしさが高く評価されていましたし、わたしもオリジナルのポップスを歌ってほしいと思ってきました。その思いは今も変わっていません。
 しかしながら、今のJポップはかつて阿久悠が言ったような日常の感情をぶつけるだけのものから進化していて、たとえば唐十郎のテント芝居が劇場に閉じ込められた劇的空間を路上にぶちまけることで時代と対置して来たように、彼女彼らの音楽の直接性が日常の現実原則を突き破り時代そのものの悲しみを見事に体現しているようにわたしは思います。
ただ単にその場しのぎの「歌うま」を押し付けるバラエティー番組の中では、メインストリートからは程遠い時代の袋小路にあふれるストリートミュージックの悲しみや怒りやあきらめや裏切り、その暴力性や悲劇性を表現するのは困難ですし、またそんな歌の冒険を求められてもいません。
 その意味でも「さくらの唄」という、歌い手の才能や矜持、さらにはその人の人生の光と影がそのまま引き出されてしまうこの曲を島津亜矢に依頼した番組のスタッフは、彼女の現在の状況に思いを馳せ、精いっぱいのエールを送ってくれたのだと思います。
 この歌を作詞したなかにし礼は1970年代に入ってまもなく、実の兄の莫大な借金をまるごと抱え込んで失意の底にありました。現実のあわれな自分の身代わりに、もう一人の自分をあの世に送り出すため、いわば遺言歌として書いたのが「さくらの唄」だといいます。作曲した三木たかしはこの歌に惚れこんで、自らが歌ってレコードにしましたが、まったく売れなかったようです。うずもれたこの曲をふたたび世に出そうと思ったのが、「時間ですよ」など数々のドラマで一世を風靡した稀代のプロデューサー・久世光彦でした。

 こんないい歌が誰にも知られずに眠っている。どうにかしてこの歌をよみがえらせたい。ドラマで流してみよう。この歌は地獄を覗いて、そこから命からがら、這うように逃げかえった卑怯未練の歌なのである。それなら、美空ひばりしかいない。(久世光彦「マイ・ラスト・ソング」)
 
 歌謡界の女王が他の歌手の曲なんか歌うわけがないとコロンビアレコードから断られてもあきらめない久世にコロンビアも根負けし、「では、ご自分でお嬢に交渉してみたら…」と譲歩、そこで大きなテープレコーダーを抱えてひばりが公演中だった名古屋の御園座まで出向き、楽屋で三木の「さくらの唄」を流したのでした。
 
 もう一度聴かせてください」。美空ひばりの声はすっかりつぶれていた。老婆のようにかすれた声だった。私はテープを頭に戻してボタンを押した。
何もかも僕はなくしたの
生きてることがつらくてならぬ
 ひばりは目をつぶって歌っていた。ひばりはポロポロと涙をこぼして歌っていたのである。そしてテープが終わると、私に向かって座り直し、「歌わせていただきます」としゃがれた声で言って、それから天女のようにきれいに笑った。
「本当は、こういう歌を私の最後の歌にすればいいのでしょうが、まだ死ぬわけにはいかないので…」(久世光彦「マイ・ラスト・ソング」)

 久世光彦はこの歌と同名のドラマ「さくらの唄」の脚本をその時代、倉本聰と競うように数々のドラマを世に送り出していた山田太一に依頼しました。
 舞台となるのは、東京の下町・蔵前の小さな整骨医院。男気があり、すぐに怒鳴る主人の伝六(若山富三郎)。心臓を患い、平穏な毎日を送りたいと願う妻の泉(加藤治子)。この夫婦をいつも悩ませているのは、2人の娘の行く末のことでした。長女(悠木千帆・樹木希林)は会社員の中西(美輪明宏)の子供を身ごもるが籍を入れる気配がない。また次女(桃井かおり)は妻のある牧師の朝倉(田村正和)を密かに愛し、実らぬ恋に身を焦がしていました。ほかに篠ひろ子や岸辺一徳、由利徹など、今振り返るととんでもないキャスティングです。
 山田太一のドラマは「岸辺のアルバム」に代表されるように、高度経済成長のスピードに振り落とされる家族の孤独と不安のありようを鋭く描いたドラマが多く、下町を舞台にしたこのドラマでも、下町の予定調和的な人情ものとはちがい、山田太一らしいやさしい毒が仕組まれていた記憶があります。
 それはともかく、わたしにとって衝撃的だったのはこのドラマで流れた美空ひばりの「さくらの唄」でした。以前にも書きましたが、わたしは長い間美空ひばりが苦手でした。というより、「演歌・歌謡曲」が嫌いでした。そんなわたしに、競馬も歌謡曲も3分間の死への疾走だと教えてくれたのは寺山修司でした。畠山みどりの「出世街道」に自分を重ねて「口に出せない」から「口には出さず」と歌う時、どもりを逆手に取った変革へと自らを生きなおすのであり、それは革命への道の第一歩なのだと言ってくれた寺山修司は、わたしにとっては自殺を思いとどまらせたといっても過言ではない「神の声」でした。
 そこからわたしの歌謡曲人生が始まったのですが、森進一、青江三奈、都はるみなどは簡単に受け入れられたのですが、美空ひばりだけは長い間受け付けませんでした。
 そのわけを考えてみると、粘着質で通俗的で、どこか暗い闇をかくしたカリスマ性、いま思うと美空ひばりの最大の魅力であり、魔性に憑りつかれてしまうような恐怖に近い感情が湧き上がるからでした。
 そんな毛嫌いを一新させたのが「さくらの唄」でした。くしくも寺山修司によって歌謡曲開眼したわたしは、寺山の友人だった山田太一のドラマによって美空ひばりとはじめて向き合ったのでした。わたしはこの歌のどうしようもない暗さと同時に、この短い歌が終わったところから立ち上がり、ふたたび生きていこうとする静かな意志を限りない細やかで繊細に丁寧に歌いあげる美空ひばりに感動しました。
 この歌もドラマも結局ヒットしなかったものの、わたしは美空ひばりという昭和のスーパースターがとても繊細な感受性といじらしいほどの純情な心と、そしてなによりも心の奥深くこの歌を受け止め、歌うことに魂を使い果たしてもいいという矜持に圧倒されます。
 そしてもし、美空ひばりが歌い継がれるものなら、島津亜矢しかいないと思っています。彼女よりはるかに才能に恵まれた歌い手さんはたくさんいるでしょう。しかしながら、美空ひばりの歌への情熱、歌うことへの執念、歌に呪われ、歌に囚われ、歌に翻弄され、そして歌に愛された彼女の人生は、わたしの個人的な主張であることを承知の上で、島津亜矢にこそ引き継がれるものであると信じているのです。
 長い文章になってしまいますので、次回の記事でもう一度、美空ひばりのこと、そして島津亜矢について書かせてもらおうと思います。(つづく)

美空ひばり「さくらの唄」

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2021.05.12 Wed 新しい救済の物語を語る歌とめぐりあうために、島津亜矢の巡礼の旅はつづく

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 5月9日の島津亜矢の新歌舞伎座公演は、新型コロナ感染症対策で緊急事態宣言が発出されたため中止になりました。わたしも楽しみにしていたのですが、これで昨年から3回もチケット払い戻しになってしまいました。実際、この状況下ではあと1年、コンサートはむずかしいかもしれません。
 島津亜矢の場合、全国に散在するファンにできるだけ近い場所でコンサートをすることはマネージメントとしてだけでなく、ファンとともに音楽の旅を続けたいという思いが強い彼女にとってもっとも大きな活動だと思われますので、今とても困難な状況にあることでしょう。
 テレビなどの音楽番組や音楽バラエティー番組の出演もたしかに一時ほどの露出度がなく、気が付けば2015年以前のポジションにもどったと思われます。この年の紅白をきっかけに、マキタスポーツが名付けた「歌怪獣」でポップスシーンにも躍り出た時、わたしはこのブームはせいぜい5年だと思われるので、その間に新しいステージに行くことを願っていました。
 しかしながら、新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延に見舞われ、わたしたちの社会がよくも悪くも維持してきた昨日今日明日という連続的な約束事が壊され、パラダイムの大変換を余儀なくされつつあります。来るべき社会がわたしたちの暮らしをどのように変えるのか、コロナ禍でより鮮烈になった格差が取り返しのつかないところにまで進み、自己責任と自粛監視につつまれた暗い未来が待っているのか、それとも暴力と抑圧に身をさらされながらもつながろうとする孤独なネットワークによって、誰もがかけがえのない人間として助け合い、共に生きる社会がつくりだされるのか、わたしたちは歴史の瀬戸際に立っているのだと思います。
 そのプロセスの途上にいる今、島津亜矢に限らず芸能・芸術に身をささげてきた人々の受難は想像をこえたものであることでしょう。何万人も終結するスタジアムやドームで繰り広げてきたエンターテイナーから少人数のファンと肉声による手触りのある表現にこだわってきたライブミュージシャンまで、これまでの表現の場がなくなってしまっただけでなく、マネージメントが難しくなり生活の不安さえ押し寄せる現実にもがいている人々に対して、この国はますます冷酷な仕打ちを繰り返しているとわたしはおもいます。
 ひとがパンのみでは生きられないとしたら、切ない夢やはかない希望や悲しい勇気を見守り支える音楽や芸術が救える人の数は計り知れないもので、人々がスポーツをきらいになってしまうようなオリンピックよりも、軍拡のもとでますます開発競争が止まらない爆撃機よりも、それらに湯水のごとくつぎ込むお金の一部でも「不要不急」と言われてしまいかねない文化活動に支援してほしいと思います。減反政策などで国が破壊してしまった食料自給率を大幅に上げていくことと同じように、ヨーロッパの国々に学び、「文化自給率」を高めることは、わたしのすきな言葉ではありませんが「もうひとつの防衛政策」だと思うのです。
 亡くなったかけがえのない命のひとつひとつを膨大な数で数えることを強いる新型コロナウィルス感染症の蔓延は、「不要不急」と決めつけて保健所や病院を減らし、医療をはじめ公的なサービスを民間に委託し、目先のコスト削減を進めてきた数十年の新自由主義への痛い警告であることを、わたしたちは学ばなければならないのだと思います。
 ともあれ、島津亜矢の音楽的冒険が頓挫してしまったことは、とても残念です。
 ここからはファンの方々に叱られることを承知で書いてしまいますが、「歌怪獣」という異名でポップスの領域に進出できた半面、最近のように音楽番組もバラエティー化する中で、島津亜矢に求められるものはどんな歌でも歌いこなせる「歌うま」を演じることなのでしょう。しかしながら、わたしには歌いこなすことが困難と言われるJポップの歌を難なく歌ってしまうがゆえに、島津亜矢がとてもかわいそうに思えるのです。
 特に最近、「歌のうまい歌手」云々の音楽バラエティー番組で歌ったKing Gnuの「白日」とYOASOBIの「夜に駆ける」が評判になっていますが、わたしにはどうしても島津亜矢がこの歌を歌いたいと思って歌っているように思えません。もちろん、カバー曲の歌唱である以上、オリジナルとは別の解釈による独自の歌唱があるはずですが、たとえば「白日」をもっとも難曲のJポップという触れこみで、カラオケ番組でよくある「コメンテイター?」のひとたちのオーバーなリアクションで「歌うま」の演歌歌手という賛辞を送るという、約束された番組構成で歌わされる島津亜矢は気の毒としか言いようがありません。
 今までのポップス歌唱は、番組プロデューサーと島津亜矢との間で「新しい音楽的体験」を共有しようという気概と信頼を感じられました。たしかに今彼女がおかれている状況を思うとしかたがないのかもしれませんが、島津亜矢が歌う歌はポップスでも歌謡曲でもシャンソンでもジャズでもブルースでも、もっと他にたくさんあるように感じます。
 King GnuもYOASOBIもわたしの好きなグループでこの2曲は若い人たちの追い詰められた今を表現した素晴らしい曲ではありますが、彼女彼らがつくる音楽や歌は、かつて阿久悠が言い当てたように、歌が一本の映画のように物語を歌うのではなく、自分の感情をそのまま直接的に表現していて、心が張り裂けそうな「痛い歌」がほとんどです。そのため、オリジナルでなければ伝わらない、若い人たちのある種の方言といってもいい音楽で、宇多田ひかるや玉置浩二までの音楽とはよくも悪くも進化していると思います。すでにSNSから音楽が生まれる時代をわたしたちは生きていて、阿久悠のいう「直接的な感情」は、わたしには叫びというよりは悲鳴に聞こえるのです。
 コロナウィルスと共存することを強いられ、歌がますます直接的な悲鳴にならざるを得ない今、島津亜矢にとっては更なる厳しい歌の道が用意されているのかもしれません。
 しかしながら一方で、若い人たちの絶望的な状況が新しい音楽シーンをけん引する中、青春という激しい嵐がおさまった後の砂浜に残された取り返せない時を回収し、起こらなかった歴史もまたもうひとつの歴史として時代の記憶と未来を語り歌う、そんな歌があってもいいのではないでしょうか。
 Jポップの悲鳴から解放された歌、それはおそらくかつての歌謡曲にもどるのではなく、新しい物語を歌うことになるでしょう。いつの時代も歴史的な事実よりも先に、来たるべく次の時代の予感を大衆芸能はかくしてきました。戦後、多くの作曲家とともに戦争に協力したと批判された古賀政男の「影を慕いて」が個人の失恋や絶望を歌いながら軍靴の響きを忍ばせ、数多くの人々の死と悲しみの果てに戦後の荒野とがれきから生まれるせつない希望をかくしていたように、新しい救済の物語を語る歌の誕生が待ち望まれます。
 そんな歌と巡り合うために、島津亜矢の歌の巡礼はこれからもつづくことでしょう。
 今こそ歌を、そして、歌いながら醒めよ!

島津 亜矢『恋人よ』
作詞・作曲 五輪真弓
島津亜矢は、この歌の持つ奥深い物語を特別な覚悟をもって歌ったのだと思います。彼女が獲得した低音の歌唱力がこれほど身を結んだ歌も少ないのではないかと思われる導入部から、「恋人よそばにいて こごえるわたしのそばにいてよ」という心の底から絞り出した激しい感情表現へとつづく特別な歌唱力で臨んだ「恋人よ」は、まさしく後々に語り継がれる一曲になったのではないかと思います。

島津亜矢 『君と見てるから』
作詞・作曲 今井了介
Jポップにありがちな「歌い上げるだけの名曲」とはちがう、深く静かに心の地下室へと続く階段をひとつひとつ降りていくような内省的な調べ、他者へのまなざしを愛と友情へと導く祝歌、同時代を生きるわたしたちに、共に泣き共に笑い共に生きる勇気を育てる希望の歌…、この歌は手垢のついた名曲とは程遠く、島津亜矢に歌われることによって名曲になるのでした。
島津亜矢のポップスのオリジナル曲の作り手として、このひとは注目すべきひとだと思います。かつて阿久悠はひとりの歌手のために最低3曲はつくるという了解のもとでヒット曲を生み出したといわれています。時代とともに音楽シーンも様変わりになったとはいえ、島津亜矢へのプロデュースもそれぐらいの冒険をこころみてほしいと思います。

島津亜矢 [北の蛍」
作詞:阿久悠 作曲:三木たかし
2003年、島津亜矢が30代初めのころの歌唱で、このころはほんとうに怖いもの知らずというか、彼女の才能があふれんばかりの歌唱に圧倒されるものの、最近の彼女の歌にはその歌が同時代であれ過去の時代であれ、いまも変わらない声量と安定した音程に加えて、その歌唱の奥に暗闇を隠していて、その暗闇が歌に奥行を持たせ、時代の記憶を次の時代に伝える力を持っていると思います。そこでは歌のうまさなどはもうどうでもいいもので、彼女のほんとうの魅力は、歌の墓場から何度でも眠っている歌をよみがえらせることができるメッセーンジャーとしての才能にあると思います。

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2021.01.14 Thu 島津亜矢「傘がない」

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 久しぶりに、島津亜矢について書こうと思います。
 1月7日に放送されたTBSの「UTAGE!」に島津亜矢が出演し、「傘がない」他3曲を歌いました。島津亜矢のことと言えば今更過ぎたことをほじくってもと思われることを承知で、やはり昨年の紅白歌合戦の不出演についても書いておかなければならないでしょう。
 昨年はどの歌い手さんやアーティストにとってそうであったように、全国各地のコンサート中心の島津亜矢の活動はコロナ禍で中止となり、残念なことになったと思います。
わたしも春と秋の2回楽しみにしていましたので、とても残念でした
ただ、わたしは紅白についてはぼつぼつ出演が途切れるのではないかと思っていました。むしろ、2015年より5年も、紅白のプロデューサーが島津亜矢を出演させてくれたものと思っています。
 もちろんこの数年間、「歌怪獣」という異名の元で「うたコン」などの番組に出演し、高い評価を得てきたことがあります。しかしながら、最初の頃は名付け親のマキタスポーツが証言したように、彼女の培ってきたオールレンジの歌唱の魅力がJポップや海外ポップスの領域にまで及び、「こんな(演歌)歌手がいたのか」という驚きをもって受け入れられました。
 しかしながらある時点で、正確には固有名詞を出して申し訳ないのですが、氷川きよしのポップスへの進出とジェンダーレスの生き方が話題を一気にさらってしまった時、やはりメジャーな発信力にはかなわないと思いました。
 島津亜矢の長年のボーカリストの実力はそれとは何の関係もないものの、島津亜矢を取り囲む世論?は、彼女により「歌怪獣」としての実力を求めるようになりました。
 そのため、Jポップの中でもバラードの名曲で豊かな声量を必要とする歌や、最近のJポップの早いテンポのヒット曲を依頼されることも多くなり、もとより器用な彼女は求められるまま難曲と言われる歌を歌いこなし、それがまた話題となることでその傾向に拍車をかけることになりました。コロナ禍の下でテレビの歌番組自身もあまり盛り上がらないまま、歌をじっくりと聴くというよりはすさまじい勢いで今の時代を生きる若者の心の裏側にピッタリと寄り添う若き才能たちが躍動する音楽シーンが、スマホを駆使したユーチューブなどで配信される大きな市場から、島津亜矢もまたどんどん遠ざかっていくように感じます。
 紅白に出場することを悲願としたり、「あの歌手が出てるのにあの歌手が出ないのはおかしい」とか、さまざまな批判、意見が飛び交うのもNHKが準国営放送だからですが、昔とは違い、年末の大型の音楽番組としてNHKがめざす音楽シーンの姿を自由にプロデュースしてくれたらいいとわたしは思います。その意味で、島津亜矢の合計6回、連続5回の出場は結構大変なことで、これからは呼ばれたら紅白に出演するというスタンスで、おそらくまだまだ厳しい状況が2年はつづくことを覚悟して、島津亜矢らしい独自の音楽活動を深めてくれたらと願っています。

 TBSの「UTAGE!」は中井正広が司会で不定期に放送される歌番組で、実力派のボーカリストがカバー曲をソロやコラボで披露し、オリジナル曲に最大のリスペクトを捧げながら自分なりに歌うパフォーマンスが魅力の番組です。
 この番組の更なる魅力は、「宴」というタイトル通り、実力歌手が安全に自分の領域で歌いこなす予定調和より、時には批判が飛び交うことになってもそれぞれの歌い手の今以上の領域に足を踏み入れる音楽的冒険と、様々なコラボによってそれぞれの領域を越えた新しい表現への強い渇望、そして出演者がライバルとしてではなく共に番組を作っていく同志としての信頼があることです。この番組に出演することは歌唱力や表現力は最初からあるものとしてお互いがお互いの表現を認め合い、新しい発見や才能に驚きわくわくできる番組として、今の島津亜矢にとってとてもありがたい番組なのだと思います。
 実際、最近の隠れた名曲「君と見てるから」の今井了介がプロデュースした「ベイビー・アイラブユー」の大ヒットで知られるTEEは「UTAGE!」の常連で、島津亜矢のポップス観を刺激し、わたしがこの番組で聞き逃せないシンガ・ソングライターです。
 さて、島津亜矢の「傘がない」は、単にその声量のすごさ以上に素晴らしい歌唱だったと思います。「傘がない」は井上陽水の1972年のアルバム「断絶」からシングルカットされ、初期の代表曲といわれるようになりましたが、世代を越えて数多くの歌手がカバーしているだけでなく、陽水自身も年代に応じて歌唱は変わっていったもの、セルフカバー以上の思いがあるようです。
 発売当時が連合赤軍のあさま山荘事件により、70年安保闘争を中心とした学生運動の終焉が決定的となったことで、それ以後の若者の政治離れや無関心、社会問題より個人の恋愛などに重きを置く風潮を「ミーイズム」と言い、嘆きとある種の断罪を交え、皮肉にも社会問題となった歌でした。それについては今回の記事の余白が少なく、当時のリアルな世代だったわたし自身のことと、後に被災障害者支援ゆめ風基金のイベントで箕面に来たもらった筑紫哲也さんのことを含めて次回に書こうと思います。
 今回の島津亜矢の歌唱に、この歌をリアルに聴いていたわたしにはもしかすると若い井上陽水自身も説明ができなかった感情…、日本社会がまるで荒波が大きな罠が仕掛けられた不確かな未来へと一瞬にして去ってしまった後の胸のうずきそのもののように思えた、あの頃の風景がよみがえるようでした。
 過去のいくつかの名曲を誰が歌うかに興味がわくコーナーで、過去の映像で中島みゆきの「時代」が流れ、またかと少しがっかりしていた時、画面のネクストソングに「傘がない」と出て、普通ならこの歌を歌えるそうそうたる歌手がずらりといる中で、もしかするとこの番組ならではの音楽的冒険があるかも知れないと思ったそのままに、島津亜矢が大声量で「都会では…」と歌い始めました。このまま大声量病に取りつかれてしまうのでないかと心配していたら、「自殺する…」と声を落とし、この歌の源流に一気に私を連れて行ってくれました。正直、涙が出てきました。若かった井上陽水の、そして若かった同世代のわたしの、二度と戻らない、取り返しのつかない、ほぼ同じ世代の村上春樹のいう「損なってしまった」大きな大きなさよならがあの頃の街角に取り残されているような、意味不明の涙でした。
 最近の島津亜矢をとりまく世間の重圧に嫌気がさし、彼女のせいではないのにわたしが求める歌から離れていくように思えて、島津亜矢の記事を書くことができなかったわたしに、もう一度彼女の厳しすぎる歌の道を後ろからついていこうと思いました。

島津亜矢「傘がない」 1月7日TBS「UTAGE!」
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2020.10.25 Sun  島津亜矢の「This Is Me」は「瞼の母」で爆発させた魂の叫びが時を越え、ジャンルを超えて届けられた。

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 先日、NHK・BSプレミアムで再放送された「映画音楽は素晴らしい」で、久しぶりに島津亜矢の歌を聴きました。島津亜矢のコンサートもコロナ禍の影響で春の大阪新歌舞伎座も秋の京セラドーム公演も中止になり、わたし自身も2か月以上テレビの歌番組も見ず、この番組の本放送も見逃していました。
 久しぶりに歌番組を見ていると、コロナ禍以前にはなんとなく習慣で見ていた頃とはちがう、どこか切なく、それでいて心安らかにいられる自分をとても幸運に思います。
実際、感染症にかからないまでも体調をくずされたり仕事を追われたりと、歌どころではない切迫した毎日を送られている方もたくさんおられることでしょう。
 ひとはパンのみで生きられないといえども、歌舞音曲のたぐいは不要不急の最たるもので、今年のショービジネスの世界では過酷な選別にさらされ、数多くの才能がうずもれたまま消えてしまうかもしれません。
その中で島津亜矢もまた、彼女の最大の活動の場であるコンサートの相次ぐ中止はとても痛手で、歌を届けられないばかりではなくマネージメントも大変だと思います。

 この番組で彼女は「I Will Always Love You」と、「This Is Me」を歌いました。「I Will Always Love You」は、島津亜矢の洋楽歌唱がはじめて注目された曲です。この曲はバラードの名曲として数々のボーカリストが競って歌っていますが、わたしは島津亜矢がホイットニー・ヒューストンの悲劇的な最後に想いを寄せ、ホイットニーへの追悼歌として歌い続けてくれることを望みます。久しぶりの歌唱はより豊かなものになっていて、島津亜矢のとどまらない努力を感じました。
 驚いたのは「This Is Me」でした。この楽曲は2017年アメリカ映画「グレイテスト・ショーマン」の主題歌で、ゴールデングローブ賞を受賞しました。
 わたしは大阪の北端・能勢町に引っ越してから、緑地公園駅近くに住んでいた頃は頻繁に見ていた映画をほとんど見なくなってしまいました。鉄道が通っていない能勢では一時間に一本あるかないかのバスで最寄りの駅に出なければならず、車を運転できないわたしには大阪に出ていくことは以前ほど簡単ではなく、ついつい見たいと思う映画も見逃してしまうのです。
 まして、わたしはハリウッド映画のようなメジャーな映画は好みではなく、いわゆる単館ロードショーにかかる映画ばかりを見てきましたので、この映画もわたしのアンテナには引っかからずで、この映画の主題歌「This Is Me」も一度も聴いたことがありませんでした。
 ヒュー・ジャックマンの主演最新作「グレイテスト・ショーマン」は、ショービジネスの原点を築いた伝説の興行師、P.T.バーナムをモデルにしたミュージカル映画です。
 この映画では小人、巨人、髭の生えた女性、毛むくじゃらの少年、黒人などこれまで蔑みの目を向けられていた個性の強いメンバーによるサーカスショーが繰り広げられます。
 当時も、そして今でも、人前に出るだけで差別を受け、迫害される彼女彼らのコンプレックスを魅力へと昇華させたバーナムのショーは人気を博します。バーナムは彼らを「みんなと違うから面白い」と、いわゆるオンリー・ワンの個性を持つ人々として讃えていきます。一方で、それを不快な見世物として上から目線で批判するマスコミや、さらには彼らを激しくののしり迫害するひとたちも登場します。障害者を見世物にする興行はかつて日本でも盛んにおこなわれていましたが、まさしく障害者差別以外の何物でもなく、今はなくなりました。
 障害者のサーカスショーの映画と言えば、1932年の問題作「フリークス」を思い出します。この映画では実際の障害者自身が登場し、直視できない観客が次々と席をたったと言われています。 
 わたしは「フリークス」を国際障害者年の一年前だったか、当時の京大西部講堂で障害者運動が主催した「国際障害者年をぶっつぶせ」という企画で、原一男監督作品「さよならCP」との二本立てで視覚障害者の女性と観に行きました。
 彼女彼らの主張は「障害者に対する差別は健全者社会に深く刷り込まれていて、その元凶といえる国や行政主導の『道徳』ではなくなるどころかより陰湿化する」、というようなものでした。このすばらしい企画による映画会は、わたしの人生を変えた大きな事件でした。また、「見られる」障害者差別から「見せる」という反時代的な舞台表現で国家や社会への反逆を試みた寺山修司率いる劇団天井桟敷の初期作品「青森県のせむし男」や「大山デブコの犯罪」を思い出します。
 ハリウッド映画のすごいところは、このようなマイノリティといわれる人々の問題を圧倒的な説得力でエンターティンメント化できるところにあるのでしょう。
 島津亜矢が歌う「This Is Me」を聴いていて、心が震えました。その震えは彼女がいわゆる名曲とされる歌を見事な歌唱力で歌い上げることにあるのではなく、彼女の歌唱ではじめて聴くこの歌にぎっしりつまっている何かが、わたしの心を動かしたのでした。
以前、島津亜矢が座長公演をしていた時の演出家・六車俊治が、「島津さんの歌声に感じる悲しさ、しかし、明るい力強さ、そして、そのまっすぐな心」と、島津亜矢を絶賛した言葉を思い出しました。
 歌怪獣と呼ばれるほどの歌唱力が広く認められるようになった今でも、彼女が歌うポップスも洋楽もややもするとどんな歌でも歌いこなすことにのみに関心が向けられる傾向があります。
 しかしながらわたしは唐十郎がきっかけで演劇の世界に入ったという六車俊治がいみじくも言った「悲しさ」、たったひとりの人間の悲しさを時代の悲しさへと普遍化し表現できる才能こそが、オールラウンドなボーカリストへと進化しつづける島津亜矢の真骨頂だと思います。
 「This Is Me」はまさしく、かつての「瞼の母」で爆発させた魂の叫びが時を越え、ジャンルを超えて届けられた島津亜矢の珠玉の一曲でした。
 映画「グレイテスト・ショーマン」がどんな映画なのか、また「This Is Me」がどんなシチュエーションで歌われたのか、おくればせながらこの映画を見たいと思います。

島津亜矢「This is me」

The Greatest Showman Cast - This Is Me (Official Lyric Video)

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