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2019.08.18 Sun 福祉的就労の場の組織改革と、「社会的雇用」の場の制度化を

 れいわ新選組の舩後員靖彦議員と木村英子議の議員活動中の介護保障について、参院議運委理事会は当面参議院が費用を負担することとし、政府に対し速やかな制度見直しを求めることになりました。維新の会の松井一郎氏や吉村氏をはじめ、ネットでの書き込みなどで障害者議員の介護保障は議員報酬で負担せよという主張がありますが、選挙で国民から請託をうけたミッションや約束を実行してもらうための議員報酬と経費を自分の介護保障などに使ってはいけないとわたしは思います。
 一方木村英子議員は、当面の対応として参議院で費用負担することに「致し方ない」と理解は示しつつも、すべての障害者に就労や就学を権利として認め、「重度訪問介護」制度を見直し、就労や就学にも利用できるようにという趣旨の質問主意書を提出しました。
 これを受けて厚生労働省は、7月9日に障害福祉課と障害者雇用対策課で、障害者雇用福祉連携強化プロジェクトチームを立ち上げ、障害を持つ人の通勤・就労中の支援のあり方をどうするかの検討を始め、重度訪問介護の見直しまでは手をつけていないが、今後の議論次第で、重度訪問介護以外の新たなサービスを作るのか、重度訪問介護の中で対応することになるのか、検討していくことになるとしています。

 わたしは木村議員の提案は正論とは思うのですが、「重度訪問介護」を就労にも適用することでは解決できない、障害者の就労の権利にかかわる根本的な問題があると思います。
 「重度訪問介護」は24時間介護を保障し、重度障害者の生活を支える重要な制度ではありますが、「訪問」という名前にあるように在宅サービスの制度には違いないからです。もともと高齢者の介護サービスとの関係で、時間に区切られた介護ではなく24時間の介護保障を要求して闘ってきた当事者の長い運動によって実現した制度でもあります。
 ほんとうは、就労や就学もふくめた重度障害者の生活すべてに24時間の介護保障を求めるべきと思います。今回の論議で、障害者の就労に公的な介護保障がないということをはじめて知った方もおられると思います。
 障害者の就労について国は「障害者雇用促進法」に基づき、法定雇用率(昨今国自体が水増ししていたと問題になりました。)によって障害者の雇用を義務付けし、雇用率を達成していない企業からは障害者雇用納付金(法定雇用率に不足する数一人につき月額50,000円)を徴収し、雇用率を越えている企業に障害者雇用調整金(一人に付き月額27000円)を支給しています。実際のところ、雇用率を達成している企業は50パーセントに満たない状態です。
 障害者の就労をささえるための制度はそれ以外に介護保障や環境整備、仕事のサポートなどがあり、充実しているように見えます。しかしながら、雇用率を達成している企業が50パーセントに満たず、就労している数は50万人という現状からわかるように、就労から遠ざけられた在宅障害者が就労を希望すれば作業所などの福祉的就労の場しか用意されていません。言い換えれば国は、ほとんどの障害者を「働く権利」のあるひととは考えていないのです。
 障害者権利条約の批准により、障害者の就労に差別をしてはいけないことになったと思うのですが、そもそもなんの運動もなしに介護を必要とする障害者が企業の就職試験を受けることはほとんどありません。わたしが豊能障害者労働センターに在職していた時、市役所への就労の交渉では、ごくあたりまえに自立通勤できて、職場で特別な介護を必要としないなど、いわゆる軽度の障害者の就労ですら運動の中で勝ちとらなければならなかったのですから、重度の障害者の一般就労は夢のまた夢でした。
 もともと一般企業への就労を拒まれるわけですから、障害者の就労に公的な介護保障がないというのは、その必要がなかったと言うわけです。重度障害者といってもそれぞれ違うわけですが、それでも生活を支えるために24時間介護保障を必要とするひとが就労の場で介護を必要としないはずはなく、その意味では木村議員の提案を掘り下げれば、就労の場においても「重度訪問介護」と同等の介護保障を就労の権利として制度化することなのではないでしょうか。重度障害者を排除してきた企業と国ですから、そう簡単に制度化するとは思えないので、もしそれよりは安易な「重度訪問介護」を就労の場でも認めるとすれば、今度は職場で仕事をすることへのサポートはしてはいけないということにならないか心配です。
 ともあれ、一人の障害者が生活に必要とする介護保障と就労の場で必要とする介護保障が、必要とする障害者の要求にこたえるという意味では違いはないのですから、就労の場で必要となる介護は身辺介護とともに仕事のサポートも入って当然です。
 そして、就労の場の介護保障は企業が負担すべきと言う旧来の原則の下では、企業が介護を必要とする重度障害者を積極的に迎え入れるはずがありません。障害者の一般就労が極端に少ない理由はそこにあり、一般就労を増やすには企業と公的セクションが協力しあい、就労の場の介護保障と環境整備に大胆な公的な助成が必要なのではないでしょうか。
 さて、船後議員と木村議員の問題提起から、一般企業での障害者の就労支援や介護保障の在り方を検討することになったことはすばらしいことで、今回ほど政治の力をダイレクトに感じたことはありません。願わくばこの制度改革によって障害者の雇用が進むことを期待してやみません。

 わたしは今回の議論をさらに深め、一般就労の介護保障の制度化と合わせて、一般企業への就労が困難とされる障害者が通う作業所(就労継続支援事業B型の事業所・旧授産施設)などの「福祉的就労の場」の組織改革をして、月14000円の工賃から施設利用費を徴収され、生活の基盤を高齢の親など家族に頼らざるを得ない重度障害者の「働きたい」という願いに応える労働の場、一般企業に拒まれる障害者をありのままに受け入れながら、生活していける給料を共につくり出す労働の場、一般就労でもなく福祉的就労でもない新しい第三の雇用の場へと制度化できないものかと思います。
 わたしが在職した豊能障害者労働センターは、1982年から「福祉か雇用か」という制度の壁も知らないまま福祉的就労の場の認定を受けず、ただがむしゃらに障害のあるひともないひとも共に働き、給料を分け合いながら活動を続けてきました。その活動は国際的にはILOの示す「保護雇用」と呼ばれたり、また箕面市が豊能障害者労働センターの活動を認知し、障害者の賃金補助を含む「障害者事業所」を制度化した「社会的雇用」のモデルと呼ばれるようになりました。
 わたしは障害者の就労支援が福祉から雇用という一般就労をめざすだけでなく、福祉制度と雇用制度が協働して重度障害者の就労に大きな道を開く「社会的雇用」の制度化を強く望みます。

障害者に対する「社会的雇用」の課題と展望
     東アジア諸国における保護雇用の取り組みをとおして
社会政策学会誌「社会政策」第7巻第1号(2015年07月25日)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/spls/7/1/7_KJ00010030832/_pdf

障害者の働く権利を確立するための 社会支援雇用制度創設に向けての提言(案)
日本障害者協議会(社会支援雇用研究会) 2015年12月

http://www.jdnet.gr.jp/report/15_12/teigen.pdf

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2019.08.11 Sun 芸術はアーティストが生み出す作品だけで完結するのではなく、鑑賞者が創造的行為に加わることによって作品が完成する 「表現の不自由展・その後」

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 「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が開始3日後に中止になった事件は、様々な表現者団体が次々と抗議声明を出すなど、反響が広がっています。今事件が「脅せば表現は封印できる」という前例となり、同様の事件が急増する恐れがあり、またそれを恐れて萎縮が広がることが予想されます。
 「表現の不自由展・その後」の企画の趣旨は、これまで公共の施設などで展示拒否にあった作品を実際に見てもらい、それをもとに表現の自由・不自由について議論をしようというものだったのですが、その展示自体が中止になってしまうという不幸な事態になりました。
 「表現の不自由展・その後」は今回のトリエンナーレでゼロから企画されたものではなく、2015年に東京・江古田の小さなギャラリーで行われた「表現の不自由展~消されたものたち」で扱われた作品と、この4年間で新たに展示が不許可となった作品を加えて構成されています。
 抗議の大きな矛先は、慰安婦問題をテーマにした「平和の少女像」をめぐってで、韓国との緊張関係が続いている時にけしからんという政治的反発が起き、河村たかし名古屋市長や菅官房長官ら政治家の発言がそれに火をつけて抗議電話が殺到するという状況になり、大村秀章知事と芸術監督の津田大介氏が安全に運営できないとして実行委員会での協議を待たずに企画展の中止を決めました。
 もともと公的な施設から排除されたアート作品を展示することで表現の自由について考える企画なのですから、異論百論が噴出するのは覚悟の上だったはずで、「平和の少女像」はまさにこの企画にぴったりの展示だともいえるわけです。
 奇しくも河村市長の主張どおり、「行政の立場を超えた展示が行われている」という理由でこの展示そのものが中止に追い込まれたことで、「表現の自由」が危機に瀕していることを証明してしまいました。
 もちろん、河村市長や吉村大阪府知事、松井大阪市長などの発言や、電話やFAX、SNSなどによる抗議や脅迫によって表現行為が封殺されてしまうことは許しがたいことで、その暴力に毅然と立ち向かうべきだと批判があって当然です。
 しかしながらこの事件は、抗議の的になった「平和の少女像」の作者の製作意図がどうあれ、その展示行為そのものが「日本人の心を踏みにじる行為」と言えるのか、ここでいう「日本人」とはだれを指すのか、また国や地方行政が主催、もしくは補助金を交付する展覧会に行政の意向が反映されていいのかなどの議論もさることながら、そもそも地方行政による町おこしの道具にアートが安易に利用されることの危険に警鐘をならすものでもあると思います。
 というのも、制作者が作品に込めた政治的メッセージに反発する人にとっても賛同する人にとっても、作品そのものが放つべきメッセージを表現されているのか、またそのメッセージは議論されているような一つだけのメッセージなのかは問われることがなく、その政治的メッセージの賛否のみが先鋭化してしまうからです。
 とくに今回の作品群は政治的メッセージが理由で展示を阻まれたものが多く、そのために「表現の自由」も政治的なメッセージをめぐって論議されてしまいます。
 今回の事件は、行政主導のアート展が少しエッジを利かせて、「表現の自由」のふり幅を試してみようとあまり強くない毒薬を少々口に含んでみたというのが実情で、主催者は多少の抗議はあってもセンセーショナル・かつジャーナリスティックな刺激によって行政主導のアート展でもここまでできると証明する画期的な企画となることをもくろんでいたのだと思います。
 いいかえれば、「平和の少女像」の展示に反発する側も援護する側も同じ向こう岸に立っていて、表現の自由も不自由もかっこ付で共有しているとも言えます。そして、表現行為に理由付けや政治的意味付けがなければならないという恣意的な力が「大衆に受け入れられる」という言い方で時の権力に迎合していく、かつてのスターリニズムに陥らないという保証はないのです。
 事実、最近の吉本の事件やジャニーズのスマップ騒動、クールジャパンや時の総理が吉本新喜劇に「出演」し、オリンピックから万博までエンターテインメント化したスポーツや芸術や表現がわたしたちの足元をくずし、かつての大政翼賛体制がつくられつつあるのではないでしょうか。
 今回の事件はわたしたちひとりひとりの心の中の「検閲」と「仲間外れになる恐怖」、「バスに乗り遅れるな」とあせる煽情的な暴力が、同時代を生きる他者の存在を打ちのめし、想像する力をもぎ取っていく怖さをリアルに教えてくれました。

 論点がずれるかも知れませんが、今回の論議の的となった作品が「平和の少女像」ではなく、もしも、あの「ろくでなし子さん」が自らの女性器を型どりデコレーションしたアート作品「デコまん」であったら、どうだったのだろうと考えます。
 「デコまん」は芸術かわいせつかで裁判をふくめて物議をかもしましたが、「表現の自由・不自由」に敢然と立ち向かう彼女には予定調和的な思惑はなく、現代アートの真っただ中でわたしたちに表現とは何かという古くて新しい問題を投げかけていると思います。
 わたしたちの体の一部である性器は腕や足とどうちがうのか、社会が「わいせつ」という言葉で片付けてしまうことができないきわめて現代的で悩ましい命題と、性器というすでにあるものを型どりする作品はアンディ・ウォーホールなどポップアートを彷彿させ、わいせつかどうかの判断を越えて、マルセル・デュシャンが1917年に発表したレデイメイドアート、「泉」と題された便器を思い出します。
 韓国の日本大使館をはじめとする各地に製作者の意図通りに設置された「平和の少女像」が、「表現の不自由展・その後」に展示されることで作品の存在感やメッセージがどう変化するのか、そしてまた「デコまん」や「泉」とどうつながっていくのか、若い頃に親しんだ現代アートの冒険の現在に立ち返らせてくれたという意味で、わたしは「表現の不自由展・その後」がたとえ再開されなくても意味はあったのではないかと思います。
「芸術はアーティストが生み出す作品だけで完結するのではなく、鑑賞者が創造的行為に加わることによって作品が完成する」(マルセル・デュシャン)

 蛇足ですが今回の騒動で公的な施設利用にあたって行政の職員がますます萎縮するのは必至でしょうが、それでもこの際言っておきたいのは、公的な施設の建物が市民の共有財産であることはもちろんのこと、イベントを企画して施設利用を申し込みに行く時にいつも感じる違和感は、担当職員が「市民・住民」という時、その施設を借りようとするひとしか見ない事です。
 実はそれは大きな間違いで、職員と施設利用する市民・住民が協働して、そのイベントに参加するひとりひとりの市民・住民にどれだけ開かれたサービスを提供できるか、そのイベントの企画がたとえ特定のひとたちに深くかかわる問題へのアプローチであっても、将来にわたり多様な人々が共に生き、共に耕すこの町が「だれひとり取り残されない町」になるための試みとして職員と住民が協働する、そんな文化行政であってほしいと思います。それこそが「表現の自由」を住民みんなのものとしてより広くより深めることと思うのです。

「表現の不自由展・その後」展示中止の現場を訪れ考えたこと
コラムニスト・石原壮一郎(NEWSポストセブン)

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2019.06.22 Sat 助け合う勇気が新しい国家を未来する。 豊能障害者労働センターの慰安旅行

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 少し前になりますが、6月8日、9日、豊能障害者労働センターの慰安旅行に誘っていただき、神戸の「しあわせの村」に行きました。
 退職して16年も経つのに今でも誘ってくれる豊能障害者労働センターに感謝しかなく、少し気後れするところもあるのですが、みんなの好意に甘えて参加させていただきました。
 16年も経てば、わたしが活動していた頃の人もいるものの、新しい人たちがほとんどです。この集団はいわゆる健全者はほとんど変わらず、障害者スタッフがどんどん入ってきて、現在障害のある人約40人を含めて約60人が活動しています。
 一般の会社なら最近はやった映画「終わった人」ではありませんが、10年ひと昔のごとく、やめた会社に出入りすることはないと思うのですが、障害者運動を担う労働センターの場合は専従スタツフをやめても年に一度の大バザーの手伝いをしたり、機関紙の発送作業を手伝ったりする人も多く、わたしもそのひとりです。
 新しいスタツフはほとんど障害者で、彼女彼らはほんとうに屈託がなく、めったにセンターに顔を出さないわたしにも実にやさしい声をかけてくれるのでした。
 労働センターの障害者スタッフは1982年の設立当時からのベテランから新人まで、「障害」というそれぞれの個性を十二分に発揮し、ベテランへの気遣いや新人への心配りをしながら対等に「助け合う」ことが日常になっていて、昔わたしや前代表の河野さんの口癖だった、「来るもの拒まず、去る者追わず」といった運営方針が理念をこえて彼女彼らの日常の行動指針になっているのでした。
 その根本には多岐にわたって自己責任論が声高に求められる今の時代に逆らい、圧倒的に他人を信じ、自分を信じ、他者(友人、仲間)に依存することでひとりひとりの人生を肯定し、助け合ってともに生きる勇気を持つという思想があります。
労働センターの慰安旅行は創設時からあり、最初の旅行は障害者2人、健全者3人のスタッフと周りの支援者を入れてせいぜい15人ほどの旅行でしたから、能勢農場や部落解放同盟北芝支部のマイクロバスを借り、河野さんが運転し、運営委員の浜辺さんの世話で全電通の白浜保養所に一泊しました。それからも毎年近辺の観光地に行きましたが、とにかくトイレを探すのが一番の目的でした。その頃は労働センターにもそれぞれ個人にもお金と言うものがなく、有料の観光施設に入ったことはなく、宿泊所で酒を飲むのだけが楽しみでした。もちろんカラオケもなく、みんなアカペラで歌い、さわいだものでした。
 結構長い間、脳性まひの小泉さんも梶さんも屈強な若者(私もまだその若者のひとりでした)が交代で抱っこしてバスの乗り降りをしたものですが、それが今ではどうでしょう、リフト付きの最新のバスで運転手さんの操作で乗り降りでき、それぞれに「箕面市障害者の生活と労働推進協議会」からは派遣されたヘルパーさんが同行し、カラオケ設備も充実しているれっきとした観光旅館に泊まることができるようになりました。まさしく、イリイチの名言どおり、貧困もまた近代化したのだとつくづく実感します。
 そして、発足当時と今との決定的な違いは、旅行の計画から当日の段取りやアナウンスまで、障害者スタッフ数名の幹事さんたちが世話してくれることや、カラオケもまた障害者スタッフが歌いまくるのですが、もちろん演歌などはほぼなく、AKBなどのJポップとアニメソングで、わたしなどにはさっぱりわからない歌ばかりなのです。
 豊能障害者労働センターは一般的な障害者作業所のようにサービスを提供する健全者スタッフとサービスを利用する障害者のように内部的にも外部的にも別れていません。
一般的な福祉作業所などではサービスを利用する障害者は「労働者」ではなく、給料ではなく「工賃」としていくばくかのお金が支払われます。
  箕面市独自の制度を利用した事業所である労働センターの場合はリサイクルや通信販売、大衆食堂などの事業で得たお金と市独自の助成金を合わせたお金を障害者も健全者もみんなで分け合っています。
昨今、国が障害者の就労を水増ししていたことが発覚し、国は障害者手帳の有無を厳格にし、障害者雇用を増やしました。そのことで軽度と言われる障害者の雇用が進んだことは評価できるのでしょうが、豊能障害者労働センターの場合は一般企業や行政機関への就労を拒まれる障害者、一般企業が雇わない重度と言われる障害者、働くことは無理とされ、福祉サービスを受けるだけと言われる障害者の就労を実現しています。
 福祉作業所でせいぜい2万円程度の工賃しか得られない障害者が、労働センターでは親元から通う人で9万円、自立した人で12万円の給料が得られるわけは、年間1億円の売り上げがある事業収益と、健全者の給料が指導員と言われる作業所の健全者より格段に低く、自立する障害者の給料と同程度だからです。「共に助け合う」と言われますが、開所した時の赤貧状態の時も、事業所として成り立っている現在も、お金をみんなのお金として分け合うことが労働センターの障害者と健全者の対等性を担保しているのです。
 全国でもあまり例のない運営を約40年も続けてきた結果、障害者は自分自身を「労働者」と自覚することを通り越して、「経営者」として日常的に傾きがちな労働センターの経営を担うようになりました。この「経営を担う」という考えは一般企業の労働者と比べてもよりスキルが高いと言えるのではないでしょうか。しかも、労働センターの障害者は事業を通して箕面市内での露出度は高く、一億円を売り上げる事業は市民が買い手であるだけでなく、その事業に参加することによって成り立つ市民事業にまで成長しました。

 そんな労働センターの活動は事務所を含め4つのリサイクル店と食堂、それに移動販売と各所に別れていて日常ではわからないのですが、年に一度の慰安旅行の時にその全貌が現れます。事業と経営を障害者自身が担うという、彼女彼らにとって当たり前の日常はそのまま、「旅行」という事業をプロデュースすることになり、だれひとり取り残されないそのプロデュース力は素晴らしいもので、彼女彼らに任せればはっきり言ってそんなに豪華な旅行でなくても、飛び切り楽しい特別の時間に変貌するのでした。
ひとりひとりの障害者が旅行と言うサービスの利用者にとどまらず、幹事だけに任さず全員が年に一度の大事業を最後まで事故の起こらないように助け合う姿は、4割を超す非正規労働者の切ない権利を踏みにじり、移民として日本社会に迎え入れないで外国人労働者を使い捨てしようとする国に抗して、国家・集団・組織運営の未来の在り方への究極の提案の一つと言えるのではないでしょうか。
 そんなことを感じながら、こんないとおしいひとたちがいるかぎり地域社会も国家もまだ捨てたものでもないなと勇気をもらった旅行でした。
 こんな素敵な体験をプレゼントしてくれた豊能障害者労働センターのみなさん、ありがとうございました。

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2018.11.15 Thu 再録記事2016.11.04 映画「ストロベリーショートケイクス」と壁掛けカレンダーの役割

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 わたしは豊能障害者労働センターと関連団体在職時にまたがった20年ほど、カレンダーの企画販売にかかわっていました。
 当初はただただ障害者スタッフをふくむ全員の給料と年末一時金をつくり出すためのお願いをするだけでしたが、企画を続ける間に、一年間カレンダーを壁にかけてくださるひとびとがどんな思いでカレンダーを見つめ、一年の間の大きな出来事や小さな出来事のさ中にもカレンダーの次のページにどんな夢を重ねてくださっているのだろうかと、想いを馳せるようになりました。
 また一方で世界のいたるところで悲鳴を上げている子どもたちが、ささやかでもいい、安心して暮らせる平和な日々が送れるために、北大阪の片隅で生きる非力で貧乏なわたしたちに何ができるのだろうと思ってきました。
 そして今、世界の子供たちの悲鳴は、豊かで平和に暮らしているはずのわたしたちの社会の子どもたちの悲鳴でもあると強く感じます。誰も傷つかず、誰も傷つけず、このかけがえのない地球でいきるすべてのひとがその日の糧を分け合い、明日への希望をたがやすために平和を願うことは夢物語でも理想でもなく、さまざまなひとびとが助け合って生きるための厳しい勇気をともなうことを、カレンダーにたずさわった20年が教えてくれました。そのあいだに書いてきたカレンダーへの想いを再録記事とさせていただきました。

2016.11.04の記事
 棺おけをベッドにした風変わりな部屋。マウンテンバイクと大きな水槽。薄暗い部屋に影絵のように忍び込む柔らかい光。デリヘルの仕事用の靴と、好きな男に会いに行くためのズック。そしてトランクに無造作に放り込まれた札束。
 デリバリーヘルス店「ヘブンスゲート」のNO.1デリヘル嬢・秋代は、その仕事とは裏腹に、専門学校の同級生・菊池に一途な片思いを募らせている。 
 かけられたカレンダーは月の満ち引きのデザインで、そこに一日だけ「きくち」と書き込まれている。
 「スペシャルな人のスペシャルになりたい」と恋の訪れを願う里子。好きな男に告白もせず、「ともだち」でいることをかたくなに守りながら、デリヘルの仕事をしている秋代。自分らしく生きようと必死になるために過食と嘔吐をくりかえす塔子。やりがいのある仕事もなく、自分の居場所を男に求める結婚願望の強いちひろ。
 魚喃キリコのコミックス原作、矢崎仁司監督の映画「ストロベリーショートケイクス」は、少し極端ではありますが、きっと女性ならだれでも共感できる4人の女性の日常を切り取っていきます。イチゴケーキのようには甘くはない現実をうけとめ、淡々と生きる彼女たちの日常は痛々しいがとてもいとおしく、思わず抱きしめたくなるのです。
 そして幸せを求める彼女たちの日常がそのままわたしたちの日常に紛れ込み、切ないイチゴケーキとなって残る、そんな映画でした。
 この映画を観ていて、わたしの目に焼きついたのが秋代の部屋のカレンダーでした。一途に思いつづける「きくち」に電話をかけ、田舎の実家からトマトを送ってきたからあげるといって約束し、近所のスーパーでトマトを買います。
 仕事のときとはうって変わり、洗いざらしのTシャツとジーンズ。化粧もせず、黒ぶちのめがねをかけて坂道を自転車で走る後姿は、純愛に心焦がす彼女の本当の姿なのです。
 「きくち」には彼女がいて、決して報われないことを知っているからこそ「友だち」を装い、居酒屋でわざと乱暴な言葉づかいで飲んでいる後姿もまた、肩のふるえが伝わってきます。
 こんないとおしくせつない彼女の恋の記念日が、カレンダーの一ヶ月分に一回あるかないかの「きくち」というメモに記されています。それ以外のメモはいっさい書かれていないのでした。持ち歩く手帳や携帯電話のカレンダーにはない、壁掛けカレンダーの切実な役割がそこにはあります。

 わたしはといえば高校を卒業して友だちとアパートに住みはじめ、それから何度となく引っ越しをしました。
 一人暮らしをしたり、友だち何人かと暮らしたりしてきましたが、不思議にその頃はカレンダーにかかわる思い出はありません。定職にもつかず、ビルの清掃などで貯めたお金で1年間は昼と夜が逆転する生活をしていました。そんな暮らしにカレンダーなど必要なかったのでした。
 この映画に登場するひとたちと同じように、無垢ともいえる青い時を通りすぎた後、自分の暮らしやこれからのこと、かなわなかった恋、ふるいにかけられて残った友だち、心のひだにしみこんだ後悔…、そんな切ない日々を通り過ぎた部屋には、いつのまにかカレンダーが掛かっていました。
 世界の現実に目を向ければ、悲しい記念日に埋めつくされ、カレンダーのどの1日からも悲鳴が聞こえてきます。1995年1月17日や2001年9月11日、たくさんの世界の悲しい記念日は特別であるはずのひとりひとりの死をかくしたまま、何千、何万、何百万と死者の数を数え、おびただしい血で書き込まれた記念日を積み重ねてきたのでした。
 その血塗られた瓦礫となった壁にもまた、カレンダーは掛かっていたことでしょう。この世界の誰彼にとって特別に悲しい記念日が1年365日では足るはずもない現実もまた、たしかにあります。
 けれどもその一方で、この世界に生きる70億の人々の、だれかの誕生日でない日などないのではないでしょうか。さよならを数えるカレンダーもあれば、いのちと出会いと愛を数えるカレンダーもまた、たしかにあります。わたしだけの大切な記念日があるように、わたしの知らない、世界でたったひとりの誰かの特別な記念日もまた、カレンダーにはかくれているのだと思います。
 そんなことを思うと、わたしたちと松井しのぶさんと多くの関係者がつくりあげたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」が、どんなひとのどんな部屋に掛けられ、どんな日々をみつめることになるのか、期待と不安とせつなさでいっぱいになります。
 そして、いろいろなひとがちがった思いでちがった日に書き込みを入れてくれることを願います。このカレンダーが2万人の方々に届いたならば、1年365日のうちの1日だけでもいいから2万の特別な記念日になることを願ってやみません。
 そして…その1日がもし悲しい記念日になったとしても、このカレンダーがその日をやさしく抱きしめてくれることを願っています。
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2018.10.20 Sat 2019年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」イラスト作者・松井しのぶさんの手紙

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2019年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」5月6月のイラスト

「みんなどこかに痛みを持っている」              松井しのぶ

 どんなに幸せそうな人でも、大なり小なり差はあるにしても、どこかに悲しみや苦しみや痛み、ほんの少しの不幸の種を持って生きている、そんな事を思う日々。
 そんな不幸の種は決して悪いものでは無くて、だからこそ幸せになりたい、笑顔でいたい、そう思いながら毎日を精一杯生きる力に変えるものであるような気がします。
 そういったものを心に抱えているからこそ、他者の痛みに共鳴し、心を動かされ優しくありたいと思ったり、また同じく、それぞれが抱えた悲しみや苦しみや痛みの分だけ他者の優しさがわかるものだと思います。
 2018年は次から次へと自然災害が続き、災害と一言で言い切ってしまうにはあまりにも沢山の人の痛みが伴っていて、想像に余りあります。
 不幸の種の話と自然災害は少しニュアンスが違うかもしれませんが、「やさしいちきゅうものがたり」を私は毎年綴っていて、これも人の心の中と同じように現実には「やさしいちきゅうものがたり」は「やさしくないちきゅうものがたり」も内包しているんだなって、カレンダーを見ながらふと思うのです。それぞれのお家でカレンダーにつけられた様々なメモ書きには「やさしいちきゅうものがたり」に綴られる「やさしくないちきゅうものがたり」があるのかもしれない、あなたのカレンダーにどれほどのそういったものがたりが綴られているのでしょうか?
 あなたが綴ったカレンダーの中に「やさしくないちきゅうものがたり」があったとしても、その綴られた悲しい記憶、不幸の種から新しい優しさが生まれて来る、そんな風に思いたいです。「やさしくないちきゅうものがたり」を「やさしいちきゅうものがたり」に変えてゆくのはあなた自身だとも。
 2019年がどんな年になるのか、想像ができないですが、もしも来年の「やさしいちきゅうものがたり」に悲しい記憶が綴られてしまったとしても、良い事や悪い事にめぐり合うのも一つの縁であるなら、たとえそれが痛みを伴うものだったとしても、できればそこから幸せが生まれて来るような縁になりますように、未来へと繋がるそれぞれの優しいものがたりが綴られてゆく事を願ってやみません。
 それぞれが胸の中に抱えた不幸の種には優しい花を咲かせる力を持っている、それは美しい花でありますように、幸せな花でありますように…。

2019年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」
illustration 松井しのぶ(C)SHINOBU MATUI 1100円

カレンダーのご購入は
豊能障害者労働センター
TEL072-724-0324 FAX072-724-2395
E-Mail info@tumiki.com
豊能障害者労働センター・積木屋のサイトからもご注文できます。

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2019年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」7月8月のイラスト

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