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2021.09.27 Mon カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」 ラストストーリー

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2006年版から17年に及ぶ長い間、たくさんのひとたちに愛されてきたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」は2022年版が最後になりました。ほんとうに長い間、毎年毎年の想いをこめてイラストを描き続けてくださった松井しのぶさんに、感謝の気持ちをどう伝えればいいのか言葉が見つかりません。

毎年6枚で17年間、102枚ものイラストを描いてくださったことになります。その間、本来のイラストのお仕事も数多くされていたと思いますし、毎年の構想から作成・校正まで、長い時間を拘束することになり、最初に声掛けさせていただいた者として大変申し訳なく思っています。
松井しのぶさんのライフワークは絵本などもう少し違った世界にあると思っていましたから、ずいぶん創作の芽を摘んでしまったと後悔しています。

しかしながら、松井しのぶさんの世界感が広く豊かであるからこそ、描き残してくださった102枚は単なるカレンダーのイラストにとどまることはありません。
世界のいたるところから聞こえてくる子どもたちの悲鳴と理不尽に失われていくおびただしい命に心痛めながら、だれひとり傷つけない平和と、自然との共生を願う松井しのぶさんのイラストは、わたしをはじめ数多くの人々に勇気を届けてくださいました。
 松井しのぶさん、ほんとうに長い間ありがとうございました。

「やさしいちきゅうものがたり」のラストストーリーとともに、
2022年が誰にとっても良い年でありますように…。                       
                                     細谷常彦

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2022年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」
1100円
お申し込みは
豊能障害者労働センター
TEL072-724-0324

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2020.12.25 Fri 豊能障害者労働センターのリサイクル事業は、箕面市民のコモンウェルス(共的な富)

 ずいぶん前になりますが、豊能障害者労働センターの障害者スタッフとその親御さんなど、箕面の友人たちと滋賀県の余呉湖へ旅行に行ったことがあります。その時、わたしはすでに労働センターを退職し、妻の母親と同居していました。妻の母親は車いすを利用していて、そのうえ家のガレージで妻が始めたリサイクルショップが思いのほか繁盛し、母親もわたしたちも長い間旅行に行けないのを見かねて、箕面の友人たちが誘ってくれたのでした。
 その時に、豊能障害者センターと一般企業の違いを教えてほしいと言われました。福祉作業所との違いもふくめて、福祉行政と労働行政の問題から話すとますますわからなくなりそうで、どう説明したらいいか迷いました。
 豊能障害者センターは一般企業から排除された障害者が自ら経営を担いながら、障害者の就労を進めるためだけに事業をします。それをつきつめれば一般企業では人件費は経費・コストで、もちろん収益は人件費を含むコストを差し引いて計算されますが、豊能障害者労働センターでは障害者の人件費は最終的な利益で経営成果になるのです。
 友人たちはそれぞれ一般企業で働いていて、中には経営陣に参加しているひともいたのですが、「あっ、そうか。やっとわかった」と言ってくれました。人件費をコストではなく、経営成果ととらえることは、豊能障害者労働センターを含む箕面の障害者事業所制度の根幹にかかわることなのです。
 もともと、豊能障害者労働センターは1981年の国際障害者年を機に、障害者市民の奪われた人権を取り戻し、障害者が当たり前の市民として受け入れられる地域社会をめざす市民運動の中から誕生しました。そして、障害者の就労が困難な現実を変えていくために、市役所の福祉の窓口に応援してもらえないかと話をしに行きました。すると「素晴らしい取り組みだけど、それは福祉ではありません」という返事が返ってきました。「障害者の就労問題を考えるのは福祉ではなく労働行政で(当時は)、市町村行政ではないんです」。
授産施設(現在の障害者就労継続支援事業A型、B型)では、指導するされるの関係であっても一緒に仕事をしているのに、健全者職員は指導員として給料を得て、障害者はそのころで月1万円ほどの工賃(授産分配金)しか手に入らないのはおかしいのではないか。
 障害者も健全者も指導するされる関係ではなく、給料を分けあってみんなで助け合って給料を分け合い暮らしていこうという考え方はまっとうだと思うのですが、その当時も今も、障害者を保護訓練指導する健全者の給料やその他の管理費にしか福祉助成金は出ないだけでなく、そのお金を障害者に配ると違反行為になります。
 従来の福祉施設ではない豊能障害者労働センターは、当初は行政からの助成なしで活動をはじめました。脳性まひで車いすを利用している2人の障害者を含む5人で粉せっけんの配達から始め、たこ焼き屋から衣料品の店、お好み焼きと定食の店、ファンシーグッズの店、箕面市広報の点訳、そして一大事業となったリサイクル事業とカレンダーやTシャツの通信販売、国際NGOと自然災害の被災地と人たちとの提案型コラボ商品開発、畑事業などなど業態を拡大、変化させながら箕面市内を中心とした地域社会に認知され、現在では45人の障害者スタッフがどの事業においても働くだけでなく、事業経営に参加しています。
 1990年の箕面市障害者事業団の設立を経て、ほかの障害者事業所も合わせて障害者の就労を進めるためだけに活動する障害者事業所制度が誕生し、現在に至っています。
 前回の記事でも書きましたが障害福祉制度としては独自かつ画期的な制度で、国の労働政策が変わらない中で箕面市ひとりが背負うのが限界だというのも理解できないわけではありせん。しかしながら障害者事業所の活動は障害者が運営をにない、地域の生活の場のただ中で市民と直接つながることで生まれる助け合い経済は、生活支援の事業所や福祉的就労の場では実現しない社会的な波及効果を生んでいることもまた事実なのです。
 その波及効果を、例えば豊能障害者労働センターのリサイクル事業について検証しようと思います。
 リサイクル事業においては市民からのリサイクル商品の提供にはじまり、それらを仕分けし、値つけをし、それを各店舗に展示し、販売するプロセスのどの分野においても障害者スタッフがその役割を果たし、売り上げ金は4000万円に達しています。
 その波及効果は
1. 市民からの提供品は日常で使用せずゴミとして放出されるものも多く、リサイクル事業はごみ収集の軽減とデッドストックを市民経済によみがえらせる二重の効果がある。
2. 市外からの提供品も数多く、それらは送料まで提供者が負担する良質の品物で、換金率の高い品物が多く、収益に寄与している。
3. 四か所のお店と移動販売と、今年は断念したが春の大バザーなど、市民がもたらした売り上げは4000万円にのぼる。市民がゴミになってしまう寸前の品物を提供し、それらの品物を市民が買うことで生み出した4000万円は、市民参加の事業で「無」から生み出されたものである。
4. お店や倉庫の家賃も総額500万円を越えていて、障害者の事業所への協力を惜しまない地主、家主に還元している。
5. 以上のことから、市民の貴重な税金が投じられた障害者事業所への助成金は、単なる障害者の賃金を保障するだけでなく、リサイクル事業への参加によって税金とはちがう市民の直接投資により地域経済の原資を生み出す。

 リサイクル事業で動く大きなお金は、どこから生まれるのでしょう。ここには一般経済にはない、多様なかけがえのないひとびとが共に働き、共に生きる地域経済、顔の見える助け合い経済がもたらす果実が小さいながらも実を結んでいます。
 箕面市行政は福祉施策として障害者の就労をすすめる障害者事業所への助成金を出していますが、直接障害者に給付される個人給付や生活支援の助成金と違い、障害者事業所への助成金はそれ自体が社会的投資の意味を持っています。事業所の経営主体でもある障害者はその助成金をそのまま受け取るのではなく、自らの事業資金として市民社会に投資します。その事業によって市民はデッドストックを地域経済に生かし、ごみを減らし、その商品を買うことで障害者の給料をつくりだすのです。その事業にかかわるコストは障害者の給料の他、共に働く健全者の給料までつくりだし、さらには家賃など地域経済に貢献します。そして、残ったお金はさらに市民事業に再投資されるのです。
 こここから生まれるコストも再投資する事業資金も、行政から出る助成金から生まれた、いわば市民社会全体の富・財産、つまり「コモンウェルス」(共的な富)と言えるのではないでしょうか。
 ここ数十年の間、地域社会の共有財産はことごとく私有化と公的化に奪われてきました。民間委託や民間の活力を生かすといわれる公共政策は私有化されてはいけないものまで、時にはいのちにかかわるものまで私有化され、一方では私的な富から共的な富まで、強力な国家が公的な富として奪ってきました。
 わたしは、箕面市の障害者事業所制度が市民社会の共通の富を生み出し、その富を市民社会に生かす結果になっていることを、リサイクル事業が証明していると思います。
 ただ、残念なのはその大切な富の一部を、障害者の労働施策を遅々として進めない国によって奪われていることです。もし、今自立生活している障害者が別の手段で生活費を得るとすれば、福祉的就労では生活できず、一般企業はやとわないのですから生活保護を受けるしかありません。その金額はかなりのものだと思います。また、家主もまた家賃収入による所得税を国に納めますし、そのうえ、豊能障害者労働センター自身が所得税を収めているのです。
 わたしは、箕面市はこの制度を見直す前に、箕面市の長年の努力を何もしない国が吸い上げることに抗議し、「障害者就労特区」を要求すべきではないかと切実に思います。

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2020.12.20 Sun 民間委託による コスト削減の犠牲になるのは誰か? 箕面市の改革プラン

 新型コロナウイルス感染症はここ冬場に至って世界的に深刻な状況になっています。高齢者としては、ほんとうに早く収まってほしいと思いながら、急ごしらえのワクチン接種には臆病になってしまいます。

 わたしがかつて住んでいた大阪府箕面市では大阪維新の会の新市長が誕生し、早速(仮称)箕面市新改革プランを発表し、コロナ禍により市税収入が減り、財源不足になることから行財政改革を進めると宣言しました。
 その骨子は
改革の柱1 新アウトソーシング計画
改革の柱2 施設の再配置構想
改革の柱3 市有財産の活用
改革の柱4 全事業の点検
改革の柱5 各種団体の見直し
 ということで、公立の保育所や幼稚園の民営化、ゴミ収集の100%民営化、新市立病院の民営化、病院跡地の学校建設の見直し、公共施設の再配置計画、公益財団法人国際交流協会とメイプル財団の統廃合など多岐にわたり、全事業をゼロベースで見直し、障害者団体への助成金もその対象になっているようです。前市長時代の「改革」で持ち直したもののコロナ禍もあり財政が危機的状況であるとその理由を説明しています。
 12月16日に70名ほどの市民が参加し、説明会を開きましたが、その1回とパブリックコメントだけで決定するということですが、多様な市民の声に耳を傾け、丁寧に議論し実行することを強く望みます。
 わたしは財政のことがよくわからないですが、今もなお民間委託がコスト削減の切り札とされていることに大きな違和感を持ちます。古くは中曽根政権に始まり、小泉政権で大きく日本の針路を新自由主義へと舵をとり、安倍前政権へとつづいた自民党政権や大阪維新の会がほこる実績として、「構造改革」や「規制緩和」のもと、民間委託によって公務員の給料の減額や人員削減によってコストが大幅に削減されただけでなく、民間の活力と知恵によってサービスが向上したと言われています。
 それを信じるといいことずくめのようですが、事業委託された企業が公的サービスにかかっていた人件費も人員も減らし、また使い捨てになる非正規のひとをどんどん増やし、結局のところたくさんの労働者の過酷な犠牲の上にコスト削減が成り立っていて、イノベーションとかAI革命とかDXとかのカタカナ英語にごまかされた「成長神話」の裏側で着々と進められる国内植民地政策に命までも追いつめられていく恐怖を感じます。
 今回の新型コロナ感染症による恐怖はその奥に広がる真の恐怖をあぶりだし、最終段階にまで来てしまった新自由主義の暗闇がとても深いことを教えてくれていると思うのです。
 もちろん、未知のウイルスの脅威と立ち向かうことは様々な失敗や後悔を伴い、無数の犠牲を生み出してしまうことの責をすべて内外の政権や行政に押し付けられるとは思いませんが、民間委託や公的機関の統廃合などで実現したとされるコスト削減の裏側で、目先の成果を求めて削ってはいけないものをけずってしまった医療体制や保健体制の脆弱性がより深刻な事態を招いたこともまた事実だと思います。
 箕面市の「改革」が.箕面市民にとってとりかえしのつかないことにならないか心配です。特に国際交流協会とメイプル財団の統廃合は、これからますます外国人市民が増え、多様な市民社会を共につくりだす拠点として実績豊富で大きな影響力を持ち、たくさんの市民が参加している国際交流協会は地域経済を活性化するものして行政としてさらなる力を注ぐべきで、一方で箕面市独自の市民文化を育ててきたメイプル財団との統廃合はどちらにとってもよくない結果をもたらすと思います。

 それはさておき今回の改革ではわたしが在職していた豊能障害者労働センターなど「障害者雇用助成事業所」(箕面市独自の社会的雇用事業所)への助成見直しも検討されるとのことで、かかわりのあった者として記事を書いておきたいと思います。
 1990年に設立された箕面市障害者事業団の事業対象となる障害者の社会的雇用とは、一般企業への就労を拒まれる障害者は、日中活動のひとつといえる福祉的就労の場ではおおむね3万円以下の工賃(労働の報酬ではなく、就労指導による福祉分配金)で年金と合わせても自立生活を送るには程遠く、その現実を変えるために一般企業が雇わない障害者を雇用し最低賃金を保障する福祉事業所に対して助成し、障害者の自立を進めるためのものです。この制度により、たとえば豊能障害者労働センターの障害者スタッフは、近年活動をはじめたグループホームに数多く入所し、親元から自立した生活を送っています。
 この助成制度の最大の特徴は、福祉的就労の場のように障害者を指導訓練するのではなく、共に働く仲間として雇用するだけでなく、その経営に障害者が参加することが求められ、そのうえで最低賃金を保障する事業所としての経営努力と共に、障害者問題など人権・福祉問題の啓発を求めるなど一般.の企業に流用されないようにハードルを高くしています。
 障害者の自立をすすめるために福祉政策として一般就労をこばまれる障害者の雇用を実現する箕面市の試みは当時も今も画期的で、たとえばこの制度のもとで豊能障害者労働センターの障害者スタッフは生活保護を受けなくても親元から独立し、グループホームで自立生活をしているひとが数多くいます。
 ただ、国も時代もまだまだこの画期的な試みに追いつけず、現在でも単独事業になっていて、箕面市は国の予算を獲得するために一見よく似た障害者就労支援継続事業のA型へと移行したいと考えているようで、今回の改革ではいよいよその方向へと舵を切ることになるかも知れません。
 障害者就労支援継続事業のA型は最低賃金を保障する雇用契約を結ばなければならず、箕面市の障害者雇用制度と変わらないように見えますが、障害者事業所の助成は障害者スタッフの給料を保障するためのものですが、障害者就労支援継続事業のA型の助成は他のの福祉事業所と同じように指導員の給料などのための管理費として助成するもので、障害者の所得補償に使用すると制度違反になります。
 つまり、A型事業所では障害者は共に働く仲間として雇用されているのではなく、あくまでも福祉サービスの利用者でしかありません。この違いはとてもおおきなもので、もちろん事業所の経営に参加することも、共に働く仲間としての身分保障もありません。
 もともと、ひとりの市民として自立生活を送るために所得を得る権利を保障するための障害者雇用制度は、障害者を市民生活の場から切り離された領域に閉じ込めることになる障害者就労継続事業A型とは制度の方向が真逆で、国のお金を得るためにA型へと移行すれば、1990年代から継続してきた箕面市の画期的な試みはここで終わってしまうのです。いわゆる「世を忍ぶ仮の姿」として旧来の福祉制度を受け入れたとしても、結局は制度がめざす「器」がかわれば、必ず器通りになることは今までの歴史が証明してきたことです。
 ともあれ、この制度は人権福祉施策として継続してきたもので、今回の「改革」も福祉施策の見直しという次元で決定されることでしょう。しかしながら、この福祉制度が地域経済にもたらしたものは計り知れず、最近話題の渦中にある斎藤幸平氏も提言する「コモンウェルス」(共的な富)、私的資源でも公的資源でもない富を生み出す市民事業の視点から箕面市の障害者雇用制度と豊能障害者労働センターの冒険の足跡を、次回の記事にしたいと思います。

(報道資料)「(仮称)箕面市新改革プラン」について

箕面市における障害者事業所が行う社会的雇用の今後のあり方について 最終報告
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2020.12.13 Sun 世界の果てはわたしたちの夢の中にある。豊能障害者労働センター機関紙「積木」300号を祝う。

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豊能障害者労働センター・積木屋


 わたしが在職していた豊能障害者労働センターから、機関紙「積木」が300号を迎えるにあたり、一文を寄せてほしいと依頼がありました。
 退職してから17年がたち、その後も現在に至るまでリサイクルの衣料や雑貨をいただいたり、去年まで開いてきた「ピースマーケット・のせ」に協賛していただいたりと、何かと世話になっているものの、はるか遠く現場を離れたわたしに声をかけてくれた「積木」編集部と豊能障害者労働センターに感謝します。
 わたしにとって「積木」は豊能障害者労働センターの機関紙というだけでなく、障害者の問題をはじめとするさまざまな出来事について語り、書いてくれるひとを探し、文章を寄せてもらうことでどれだけ幅ひろい読者を持てるかという「メディア」としての冒険の場でした。また、自分自身も文章を書くことで世の中に発信することを学び、育ててくれたのも「積木」でした。今もまがりなりに言葉を紡ぐことの楽しさや苦しさを味わえるのも「積木」のおかげで、それを許してくれた豊能障害者労働センターにあらためて感謝します。
 300号と聞き、そのうちの約半分を「積木」と格闘した様々なことを思い出し、胸がいっぱいになるのですが、とにもかくにも「ありがとう」と、竹中労がよく言っていた「イエローストリート・ジャーナリズム」の旗手として、これからの「積木」の活躍を期待しています。
 積木300号に寄せた一文です。

時のランプをかざしながら
豊能障害者労働センター機関紙「積木」300号を祝う

 1982年、豊能障害者労働センターは一人の少年の「どこにもいくところあらへん」という叫びを受け止め、障害のある人もない人も給料を分け合い、生きる場をつくろうと箕面市桜井の民家を拠点に静かな出発をしました。その38年に及ぶ労働センターの歴史は理不尽な差別と絶望を乗り越え、ほこりまみれの希望と切ない夢に彩られたものでした。
 「積木」はその格闘の日々の目撃者でもあり、遠くでうずくまる同時代のまだ見ぬ友の悲鳴を聞き逃さず、たった一粒の涙もむだにしない未来からの使者でもありました。
 わたしは開所当時より運営委員として、さらに1987年から2003年までの専従スタッフ在職期間を通じて21年間、「積木」の編集に関わらせていただきました。振り返ると「積木」の編集にかかわれた時間はかけがえのない宝物で、わたしの誇りでもあります。
 「積木」にまつわる笑い話がたくさんあります。そのうちのひとつとして開所当初は機関紙の発行が遅れがちで、ある年などは初代代表の河野秀忠さんの年頭所感が6月になってしまい、「6月に年頭所感というのもなぁ」とため息をつかれたことを覚えています。
 それでも「誰のために養護学校はあるのか」という特集や、箕面市庁内の部落差別落書き事件に抗議する署名を呼びかけると、読者から大きな反響があったことを思い出します。

●世界の果てはわたしたちの夢の中にある
 1988年、わたしたちはカレンダーの通信販売を始めました。もともと事務所で何か仕事をつくりだす必要に迫られ、オリジナル事業を展開し、「積木」で発信しようと考えました。その少し前に、障害者の働く場・生きる場をつくろうとする団体が集まって「障害者労働センター連絡会」を結成し、カレンダーの共同制作を始めていました。通信販売の実績は全くない中、障害のある子もない子も共に学ぶ教育のための「障害児教育自主教材」と一緒に、全国の学校の人権教育担当の先生にお願い文を添えて積木特集号を送りました。
 また、朝日、毎日、サンケイ、読売だけでなく、全国の地方新聞もカレンダーのことを掲載してくれました。障害者を保護、管理、訓練する福祉ではなく、障害のあるひともないひとも給料を分け合う労働センターそのものに強い関心を持ってくれました。
 そして、1995年の阪神淡路大震災がわたしたちの活動を大きく変貌させました。被災した障害者が取り残される現実を前にして、後に被災障害者支援・ゆめ風基金につづく障害者救援本部が立ち上がり、豊能障害者労働センターは救援物資の拠点となりました。
 「積木」で救援金を呼びかけると全国から600万円の救援金が送られ、救援バザーの売り上げ400万円とあわせて1000万円を救援本部に届けることができました。
 これをきっかけにリサイクル事業が立ち上がり、今では大衆食堂「キャベツ畑」以外のすべての店がリサイクルショップになり、地域での商品の回収、全国から送られる品物の値段付け、各お店での販売と、障害者スタッフがすべてを担う大事業になりました。
 1998年からは、「積木」が発信する春夏の事業として、Tシャツの制作販売をはじめました。この年にTシャツに込めたメッセージは「プラスWe」で、「違うことこそ力」というサブメッセージも加え、脳性まひの現代表・小泉祥一さんが描く渾身のロゴTシャツ・「プラスWe」は大ヒットし、翌年のゆめ風基金のイベントに出演された筑紫哲也さんが「『積木』でこのTシャツを見て感動したんだよ」と、ステージで着てくださいました。
 さらに2001年のアメリカ同時多発テロとアフガニスタン爆撃とイラク戦争、東日本大震災など世界各地の理不尽な仕打ちと悲惨な現実を前に、豊能障害者労働センターの活動もまた世界各地で眠れぬ夜に身を隠す子どもたちの悲鳴と共にあることを実感しました。

●わたしたちのロンググッドバイ
 それらの日常活動から救援活動に追われるスタッフを見守り、時代の予感に心を傾け、水先案内の役目を果たしてきた「積木」は、豊能障害者労働センター機関紙という枠組みを越えた「希望と再生のメデイア」としてこれからも多くの人々に愛されることでしょう。
 それを予感していたのは一昨年に亡くなった初代代表の河野秀忠さんでした。彼ほど「積木」を愛してくれたひとはいなかったかも知れません。河野さんは目線を遠く伸ばし、日本社会から世界にまで視野を広げ、障害者問題の普遍的な意味を伝えようとしました。
 彼は1990年の「積木」年頭所感で、1989年11月、ベルリンの壁が市民の手によって壊され、共産主義国家が次々と崩壊し、「共産主義VS民主化」という構図で世界が歓喜に包まれたその時に、ベルリンの壁をハンマーで壊す市民が手にする自由が、同時に障害者を差別してきた暗い歴史をも内包していると鋭く指摘しました。
 わたしはこの文章を読むたびに、豊能障害者労働センターも、そして退職してから17年が過ぎたわたしも、まだ河野秀忠さんの遺産の中にいるのかも知れないと思うのです。
 しかしながら、障害者がすべての事業に参加、「積木」の印刷から発送まですべてを担い、被災地と国際NGOをつなぎ、障害者が入力できる受注販売システムの開発をすすめるなど、たゆまず進化する豊能障害者労働センターと「積木」が、河野秀忠さんの遺産から一歩も二歩も踏み出し、未来の重い扉を開く時がすぐそこに来ていることを実感します。

細谷 常彦(ほそたに つねひこ)
ホップ・ステップ・のせ代表
1947年生まれ。73歳。
1987年から2003年まで、豊能障害者労働センターに在職。
2011年から2015年まで、被災障害者支援「ゆめ風基金」にアルバイト勤務。
2016年より大阪府能勢町の住民有志と「ピースマーケット・のせ」実行委員会に参加。

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2020.12.13 Sun 松井しのぶさんとの出会い 2021年カレンダーーやさしいちきゅうものがたり」

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2021年3月4月

 松井しのぶさんとの出会いは、2004年の5月でした。このカレンダーの前身のカレンダー「季節のモムたち」のイラストレーターで、障害者運動の仲間・応援者でもあった吉田たろうさんが前年の9月に急死しました。
その悲しみに打ちひしがれる間もなく、全国の障害者団体の運営資金作りの助けになっていたカレンダー制作を継続するために、とっておきのイラストレーターを探さなければなりませんでした。次のカレンダーは例えばジョン・レノンの「イマジン」のように、かけがえのない地球を傷つけることで成長を奪い合うのではなく、また銃や核兵器ではなく鍬や楽器で分かち合い、助け合う平和をつくりだす、そんな持続可能な地球への思いを伝えるカレンダーにしたいと思いました。
なんのあてもないまま、わたしたちはその頃から本格的な機能を持ち始めはじめたインターネットの荒野をさまよい、奇跡的に松井しのぶさんを発見したのでした。
 2004年5月、わたしはとても長いメールを松井しのぶさんに送り、カレンダーのイラストをお願いしました。断られる可能性が高いと思いながら待ち続け、「いいですよ」と快諾の返事をいただいた時は、本当に飛び上がるほどうれしくて、興奮気味に仲間に伝えたことを思い出します。
 そして2006年版から、カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」の長い旅が始まったのでした。
 今年、特別な一年をくぐりぬけることになったわたしたちに、2021年版のカレンダー制作を通してよせてくださった松井しのぶさんのメッセージです。

やさしいちきゅうものがたり
松井しのぶ

 空を見上げることが大好きな私。双眼鏡で覗くと都会でも普段は見えない数多くの星がこの空にある事を実感します。
私の大好きなオリオン座のペテルギウスは六四〇光年も地球から離れていて、今見える光は640年前にその星を旅立った光。なんと鎌倉時代!気の遠くなる時間を旅して私たちのもとに届いたなんて考えるとすごく愛おしくなります。
 そして、その光が届いた46億歳の地球、その地球の上で生きさせてもらってる私たち人間。地球が育むいろんな物、生きている物、そうでない物、有機物、無機物…多種多様にこの地球に存在してる。
 宇宙からそして太陽から生まれた地球の長い歴史、そこから生まれる物たちはちゃんと地球なりの理由があって生まれてきた物たち。
 多くを育み、行き着く先はどこなんだろうと思いつつ、ふと私たちの日常を脅かしているウイルスのことを思ったりします。
きっと地球には無駄がない、その理由があって生まれてきた物たち、ウイルスもその一つ…。
 現在、世界中の人間を苦しめているこのウイルスだけど、地球にしてみれば必要があってきっと生まれてきたもの。
どんな必要な理由があるにしても日々生活している私たち人間には脅威ですよね。
 やさしいちきゅうものがたり……そんなタイトルの私のカレンダーですが、やさしいと単純に言ってしまう事の難しさ。地球は自分のレシピ通り、地球を育んでいるだけの存在でそこに少しの感情もない存在だと私は思っています。
でも、そこにやさしさを見るのは私たち自身の心。地球の優しさを作っていくのは私たち自身。地球が見せる様々な美しい景色に感動し、その中に見える優しさに触れて生きる喜びを知る。いろんな人たちの生活、苦しさや憤り、病気や災害、生きている中で出会ういろんな辛い事、その中で出会う一滴のやさしさが人の夢を育み、救う事になるかもしれない……そんな、わずかな希望を持ってやさしいちきゅうものがたりを描いているのかもしれないと思う今日この頃。
 何百光年もの遠い宇宙から来た光、それを愛おしく思う心。やさしいちきゅうのものがたりを作っていくそれぞれの人の心、いろんな試練があるとしても、それを乗り越える人の心がいつも地球の上にありますように…

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2021年7月8月

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