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2021.09.19 Sun 護送されるサービスでない、夢見る移送サービスを。難波希美子さんと能勢ルネッサンス

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 少し前になりますが、8月2日、能勢町地域公共交通会議」が開かれました。
 以前にも記事にしましたが、能勢町では4月より阪急の路線バスが大幅に減便・廃止されました。わたしは能勢に来てちょうど10年になりますが、その間に路線バスはどんどん減便になりました。能勢電鉄は実は能勢町を走っておらず、交通手段は路線バスが走っていますが、人口減少と高齢化の波は路線バスを直撃し年々利用者が減る中、運転手不足という構造的な問題も重なり減便や廃止が進んでいるのです。
 今回のような大幅な減便と能勢電鉄妙見口からの東能勢線の休日廃止は能勢町民にとって交通アクセスの崩壊そのもので、ますますマイカー通勤となり、能勢の素晴らしい自然環境を求めて移住しようと考えていた人々も断念することになりかねません。
 能勢町は、路線バスと連携できる能勢町内の地域交通網の確立に向けて、路線バスとタクシー事業者、国交省近畿運輸局の担当者、都市デザインの学識経験者、豊能警察と能勢町職員、住民代表などを構成委員とする「能勢町地域公共交通会議」を立ち上げました。
 昨年10月の第一回会議から今年2月まで3回の会議が開かれ、その間に住民アンケートを実施したものの、住民への説明会など情報の周知が十分でないまま、4月からの大幅減便と一部路線廃止が阪急バスから通告され、初めて多くの住民が知ることになりました。
通勤・通学や通院、買い物など直接影響を受ける住民にとって、今回の減便・廃止は大きな問題で、ここに至るまで広く住民に知らせ、意見を聞く説明会もないことに行政への不信を募らせることになりました。
そこで能勢町は今年度から住民代表を2人公募し、6月の書面決議を経て、今回初めての顔合わせになりました。選ばれた2人の委員は多くの住民の不安や憤りを会議で吐露し、私は傍聴できませんでしたが昨年度とは様変わりの白熱した会議になったようです。
 町はこの会議でデマンド型乗り合いタクシーに絞り、運行区域と目的地(買い物、通院などの対象施設、医療機関など)を設定する方向で提案しましたが、2人の住民代表は路線バスの減便・廃止でどれだけの住民が困っているか、暮らしに直結する大問題を住民に知らせる説明会も意見をすくい上げる機会も用意せず、行政が勝手に決めていいのかと詰め寄りました。
 どこの町でも同じなのかはわかりませんが、まちづくりの企画をコンサルタントに任せ、住民に知らせることも意見を聞くことも一回のアンケートとパブリックコメントですまし、決められた原案を通してしまう手法は住民だけではなく行政職員も育たないのではないでしょうか。
 ともあれ、今回の会議では住民代表の委員から、住民への説明会と意見を拾い上げる機会を開いてほしいという猛烈な要望で町の思惑通りには行かず、デマンド乗り合いタクシーの導入までは(半ば強引に)かろうじて決まったものの、実証実験の運行区域や主な目的地にまでは議論が届きませんでした。
 立往生になった会議で、学識経験者でこの会議のまとめ役の副会長の大学教授は住民代表が提案した「分科会」の設置に賛同し、事務局である町に10月に開かれる次の会議までに幅広い住民の訴えをくみ取る新たな分科会の設置を検討することを指示しました。
 今回の出来事は、住民の代表委員が異議申し立てをすることで審議会やアンケートやパブリックコメントがアリバイになる危険性をはらむ今までの町の施策づくりの手法に一石を投じ、住民が主役のまちづくりへの一歩を踏み出した画期的な出来事だと思います。
 これから先、路線バスの減便・廃止を補完するだけでなく、バス停が遠いなど移動手段が困難な住民のための地域交通のあり方を検討するにあたり、この会議自体の在り方そのものが住民参加によって進められることが求められています。そのためにもこの会議の傍聴が5人しか認められないのも大きな問題で、広い会場を用意して傍聴人を制限しないところから始めていただきたい。
 また、町議会はまちづくりのすべての施策の最終的な決定をする場として、それぞれの議員が審議会の諮問の中にうずもれた課題までをも掘り起こし、徹底的な情報公開と住民参加のまちづくりをより進めてほしいと思います。その意味でも2人の新人議員井上加奈子さんと難波希美子さんが6月議会の報告会を開いたように、9月議会の報告会もぜひ開催していただきたい。
 
 交通問題に限らず企画を請け負うコンサルタント会社の仕事は決して悪いものではないと思いますが、おしゃれでそつのない資料をみていてひとつのことに気づきます。
 それは「夢がない」ということです。それは当たり前のことで、どんなにスキルが高くても能勢町の住民のほんとうに困っている現状を業者が肌身に感じられるはずはありません。
 結局のところ、夢がないのは町行政自身で町行政がほんとうに困っている住民の現状を知らないか、知る必要がないと思っていると言わざるをえません。地域交通の在り方においても人口減少の予測からこの新たなサービスも計画の段階から縮小していくことが前提で、サービスを利用する住民を増やしていく気がないのだと思います。
 ですから、本来「ドアからドアへ」は誰一人も移動困難な住民をつくらないという人権施策であるにも関わらず、既存の交通サービスと競合しないことを優先し、買い物や通院などの特定の目的に限ることを示唆していて、これでは既存の移動サービスを越えたものにはならず、サービスにふたをしているとしか思えません。
 たとえばアンケートで天王地区の住民がバスを利用しないと答えたことを「ニーズがない」ととらえてしまう行政のおごりと想像力のなさに愕然とします。ニーズがないのではなく、行政をあてにできないというあきらめや怒りまでもがその答えにあることは専門家でなくてもわかるはずです。家にこもりがちになってしまう住民が外出する楽しみを増やしていくようになる新しい地域交通サービスが、切実にもとめられているのです。
 そして、能勢町から山下駅や妙見口へと他市町村へと交通サービスを伸ばさなければ通院も買い物はもちろんのこと、もっとも問題となる通勤通学のための移動手段が保障されません。また、今は分断されている東能勢と西能勢の行き交いが深まる取り組みもまた、地域交通サービスに求められます。
 
 ずいぶん前でわたしの記憶違いかも知れませんが、台湾映画の名作・ホウ・シャオシェン監督の「悲情城市」でトニー・レオンが大きな旅行行李を持ってバスを待つシーンがありました。
 バスを待つトニー・レオンと妻が悲しみを湛えた表情が、1945年の日本からの解放から1949年の中華民国建国までの台湾の4年間、おびただしい台湾人が国共内戦から逃れてきた中国本土の人間に殺された悲しい歴史を物語っているようでした。
移動することは現実の心と身体を別の場所に移すだけではありません。変わらない自然と変わりゆく自然、壊れてしまった町と人々の記憶の中に残される町…、単なる移動の手段というだけではない、地域の人々の暮らしや心情、隠れた希望、思わぬ出会いと別れまでもが過去から現在、未来へとつながっていく、そんな夢見る交通システムが強く望まれているとわたしは思います。

Koji Tamaki「田園」

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2021.05.29 Sat 普段着の自然を堪能できる能勢に感謝!

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先日、妻と能勢農場が開いているいちご狩りに行きました。梅雨に入ってすぐで、前日まで強い雨が2、3日続き、やっと晴れ間になった時で、私たち以外は数人の女性のグループと子ども連れのグループの2組でした。
 実はこの半年余り、難波希美子さんの能勢町議会議員選挙で七転八倒の日々で、また昨年からの新型コロナ感染症の蔓延もあり、ゆっくりとどこかに出かけることがまったくありませんでした。春に桜を眺める間もなく、梅雨から初夏を迎えようとしています。
 そんなわけで、少し寂しいいちご狩りでしたが、露地植えのいちごはそんなに甘くはなかったのですが、土の下の水をいっぱい含んだ瑞々しい味がしました。
 こうして久しぶりに能勢の里山を眺めていると、わたしのように農業がまったくできない者にでも、自然はわけへだてなくとっておきの恵みを与えてくれます。
 観光の自然ではなく、普段着の自然を堪能できる能勢に感謝!です。

The Beatles - Strawberry Fields Forever

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2021.02.19 Fri 能勢町民を面でつなぐ地域交通 「能勢ルネッサンス」・難波希美子さんとともに 

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 わたしの住む能勢町は大阪府の北端の小さな町で、全国の地方の町と同じく人口減少と高齢化、町の主な産業である農業を担う後継者不足にあえいでいます。
 関西で知られる能勢電鉄は実は能勢町を走っておらず、交通手段は路線バスが走っていますが、人口減少と高齢化の波は路線バスを直撃し年々利用者が減る中、運転手不足という構造的な問題も重なり減便や廃止が進んでいます。その結果として住民の移動手段は圧倒的に自家用車に依存している状態です。
 わたしはずいぶん前に合宿での運転免許の取得にチャレンジしたものの、精神的につらくなり、結局断念した苦い経験をしています。2011年に能勢に引っ越してきたとき、隣近所の人たちから「自動車の運転ができないのに能勢に来るなんて信じられない」と言われましたが、それでも「なんかあったら声かけてや」と親切に言ってくれました。
 わたしはそのころはまだ新大阪で働いていましたので、40年ぶりに路線バスで通勤することになりました。能勢電鉄の山下駅までたった10分ほどの時間がとても新鮮でわくわくしながら、その時間帯はほぼ満員で吊革を持ちながら窓の外の風景を見るのが仕事前の貴重な時間となりました。
 それまで北大阪急行の緑地公園駅の近くに住んでいましたから、マンションと会社のビルが立ち並ぶところとちがい、見渡す限り山に囲まれた能勢の風景は終の棲家にふさわしいワンダーランドと思いました。能勢電鉄山下駅に着くまでに何本もトンネルを通り過ぎ、最後に山下の町に出る最後のトンネルを通り過ぎると景色はがらりと変わり、それまでの木々のひそひそ話や鳥たちのはしゃぎ声から一転、地方の町の息遣いとともに人々の声が絡み合い、どこに急ぐのか車のざわめきが飛び交う空間に入る一瞬もまた、そのころよく見ていた中国や香港、韓国映画のワンシーンを見るようで、「今日も仕事がんばろ」と背中を押してくれているようでした。
 そのころも減便・廃止がつづき、不便になっていきましたが一方で乗客がないまま「空気を運んでいる」と揶揄されるほどの状況は深刻になり、ますます減便になるという悪循環が続いています。
 能勢町は路線バス事業者に赤字補填として今年度は当初3500万円の助成金を出していて、2019年3月に路線バス事業者より今後の運行について協議の申し入れがある中で、当初は1月より減便のところ助成金を急遽1700万円追加し、今年の3月までは現状を維持することになったのですが、4月からは大幅な減便が避けられない状況です。
 能勢町が昨年実施したアンケート調査によると、サンプリングの少なさは気になりますが、おおむね路線バスを利用するひとは2割にとどまり、残りの8割のひとはほとんど乗らないか全く乗ったことがないと応えています。そしてどちらも運行本数が少ないこと、バス停が遠いこと(乗っている人13.5%、乗らない人24.4%)、利用したい時間に走っていないことなどを改善してほしいと応えています。
 また、路線バスを維持、充実させるために町が経費を負担することについては、9割以上の人が容認し、一方で運賃の値上げや減便もやむをえないという回答もある中、6割の人が「今後も可能な限り財政負担すべき」と応えています。路線バスなど公共交通の必要性については若い人たちは通勤・通学、休日の外出に必要と応え、日中の外出に利用する高齢者をはじめ、今は自家用車の移動で困らなくても将来のことを思うと必要であると回答しています。
 しかしながら今後の改善どころか、今回のような大幅な減便は能勢町民にとって交通アクセスの崩壊そのもので、一時は半減かと思われましたがなんとか3分の2ほどの減便におさまりそうですが、それでも日中は約2時間に1本になり、通勤に影響を少なくすると言っても朝の通勤時間の1、2本と、最終バスが9時台になりそうで、これでは通勤での利用にも大幅な制限がかかることになります。そうなれば既存の住民はますますマイカー通勤となり、能勢の素晴らしい自然環境を求めて移住しようと考えていた人々も断念することになりかねず、それでなくても「大阪の孤島」と言われてきた能勢が孤立することは避けられないでしょう。
 わたしたち住民にとっては切実な問題で、減便を思いとどまってほしいと願っても、公共交通とはいえ私企業である以上、毎年の赤字の累積に耐えられないということであればその赤字分をすべて能勢町が補填するだけの財力も乏しく、また利用しない、利用したくてもバス停が遠く利用できない町民に思いをはせれば、それも現実可能な解決策ではないと思うのです。
 そこで能勢町は昨年の秋、路線バスとタクシー事業者、国交省近畿運輸局の担当者、都市デザインの学識経験者、豊能警察と能勢町職員、住民代表などを構成委員とする「能勢町地域公共交通会議」を立ち上げ、路線バスと連携できる能勢町内の地域交通網の確立に向けて動き出しました。
 能勢町においても、営業が目的でなく能勢町内に限り移動サービスを提供する「公共交通空白地有償運送」と、障害者、高齢者のみが町外の目的地でも利用できるドア to ドアの「福祉有償運送」があり、これらのサービスをボトムに乗合タクシー、コミュニティバスなどの併用により路線バスやタクシーと連携していくことで、今までは点と線だったものを能勢町全体を面にしたきめこまやかな交通網ができればいいなと思います。
能勢の場合、歴史も古く農耕文化の宝庫ともいえる東地区と、かつて能勢の中心・「森上銀座」といわれたと聞くところの交通・物流・庶民文化の拠点の面影を残す西地区との行き来が自由になり、町民同志の交流もふえ、車の運転ができなくなっても障害を持ってもだれひとり取り残されず、先人が守り、遺してくれた里山の自然と共に生きる「能勢ルネッサンス」が花開くことを夢見ています。
 わたしはこの会議を立ち上げると知ったとき、とても夢のある計画と思い、会議の傍聴に行きました。しかしながら、どこの町でもおそらく同じだと思うのですが、交通事業者の既得権を決して侵さない形で会議の内容もこれから作られる地域交通網のシステムの在り方も検討されていることを実感しました。それはもっともなことで、とくに今のようなコロナ禍で外出そのものが激減する中で、経営の困難を耐えて能勢町の公共交通を守っている事業者に感謝しつつ、それでも町行政と住民と事業者が助け合い、知恵を出し合って能勢町内の新しい地域交通網を作り上げることは能勢町のまちづくりのすべての課題とつながる夢の計画だと信じています。
 国交省も昨年改定した「自家用有償旅客運送ハンドブック」で、公共交通事業者が積極的に協力する「事業者協力型自家用有償旅客制度」を創設し、運行管理や車両整備管理、交通安全に精通する交通事業者(バス・タクシー)がそのノウハウを活用して協力し、住民ドライバーが運転する交通空白地域有所運送の在り方などを提案しています。近くでは猪名川町の試みのほか、兵庫県養父市では全体の運営管理をタクシー業者にゆだね、住民ドライバーのコーディネートまで一貫したサービスをしている例が紹介されています。
 能勢町にどの交通システムがいいのかはこれからの会議で検討されることになりますが、能勢町に限らず、これからの日本、いや世界の目指すものは「住民参加による助けあいと共に生きる社会」の実現とわたしは思っていて、まずはわたしたちの住む能勢町で、この町をこよなく愛し、自然を守り自然に助けられながら住民が助け合える能勢町をめざして行動する難波希美子さんとともに両手いっぱいの希望と切ない夢を分け合っていきたいと思います。

「心の四季」より「1.風が」「2.水すまし」「3.流れ」  詩・吉野弘 作曲・高田三郎 豊中混声合唱団第53回定期演奏会 2013年7月6日

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2020.09.17 Thu 能勢の景観は先人たちが100年も200年も自然と向き合い、守り抜いてこられた宝物

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 40年以上も前になると思います。豊中市北部の少路地区にある自然の宝庫・羽鷹池が埋め立てられるという話があり、「羽鷹池を守る会」が結成され、わたしも参加させていただきました。その頃、よつば牛乳の会員だった私の妻が箕面にはじめてつくられた産直センターでアルバイトをしていた関係で、産直センターグループや能勢農場の人たちと親しくなり、グループの長老の一人だったSさんに誘われたのでした。
 会には豊中で書店をされていた野鳥の会のひとや粉石けんの運動を進めていたひとなど、自然保護に尽力されている地域のひとたち二十人ほどが集まりました。
 最初の集まりで、これまでの経緯の説明を聞きました。周辺ではすでに宅地開発が進み、マンションもたち始めていました。高度経済成長からバブルの時代で、豊中市に限らずどこの市町村で沼や池を埋め立て、公共施設の整備のための土地を確保していたようです。
 また、もう一つの切実な理由として、羽鷹池は農業用水地で周辺の田畑への水の供給の役割をになっていましたが、後継者不足と土地バブルで農家が農地を手放し、開発業者によるマンション建設など開発ラッシュのさ中でもありました。
 少路地区は豊中市の中でもまだ開発の手が入らず、農村時代の豊中の姿をそのまま残していました。わたしはその頃、少し離れた野畑小学校や野畑保育所、野畑図書館などの近所に住んでいて、たまたま羽鷹池周辺に行った時、まだ人間の手が入らず豊かな自然が残っていてびっくりしたことを思い出します。
 この運動は、豊中市の阪急電車の駅や北大阪急行の千里中央駅などでパネル展示をしたりチラシをまいたりする一方、何度も現地に行き、また豊中市との交渉をつづけました。
 そして、今まさに池に砂が入った瞬間に、埋め立ては中止となりました。
わたしはこの運動にかかわり、最初は羽鷹池の自然が残されることのみを願っていたのですが、周辺の農地が宅地開発された時点ですでに羽鷹池は自然の宝庫ではなくなってしまったことを知りました。そして、この池の自然を守ってきたのは他ならぬまわりの農家の人たちで、農業を営むことで少しだけ自然を壊し、反対に自然に脅かされながら共生してきた彼女彼らの何百年もの暮らしそのものだったのだと教えられました。農業の将来に希望を持てないまま後継者不足に悩む農家の人たちが土地を手放すことになってしまう苦渋の心情に思いをはせることもなく、自然を守ることが正義のように思ってしまっていたわたし自身を恥じました。
 もちろん、それはわたし自身の思慮のなさから来るものであって、長年自然環境を保護し守ることの難しさと向き合い、一生懸命活動されてきた人たちにとっては自明のことだったにちがいありません。
 ともあれこの運動がきっかけになり、豊中市行政と市民との協働で羽鷹池の自然を活用した環境保全型の公園として整備することになりました。池周辺には、既存の樹木を生かしつつ幅3mの散策路を設置し、ユーカリ材を使った木舗装のデッキや水辺が望める休憩場を整備するなど、池周辺をゆったりと散策できるようになっていて、自然に配慮した公園になっているようです。
 
 つい最近になって、日本の棚田百選に選ばれている長谷の棚田の下の「岐尼ん田」と呼ばれる水田に、面積5ヘクタールのスプラウト工場をつくる計画があることを知りました。スプラウトとは主に穀類、豆類、野菜の種子を人為的に発芽させた新芽で、発芽野菜または新芽野菜ともいいます。
 この水田地域は能勢でもっとも優良と言われる農地ですが、高齢化と後継者不足が深刻で、農作業を肩代わりする人材を確保することも困難な状況です。そこで、国の制度変更で農地を農地のままで工場をつくることができるようになったため、能勢町は国の地方創生推進交付金を活用した「能勢町高度産業化推進プロジェクト」を立ち上げ、この計画を進めています。
 水田をコンクリートでかためて工場をつくる計画を知った町民からの見直しの声が上がる中、農家の後継者不足を解消しかつ税収獲得をねらい、能勢町はこの計画を皮切りに農地を使った企業誘致を進めようとしています。
 わたしはこの計画を知り、40年前の豊中の羽鷹池のことを思い出したのでした。

 能勢を訪れた誰もが感動する豊かな自然は、先人たちが100年も200年も自然の脅威とたたかい、また自然に助けられながら田畑を耕すことで守り抜いてこられたおかげたと思います。
 しかしながら、高齢化や後継者不足で、個々の農家の努力だけでは農業がなりたたなくなった今、個々の農家の農地を含む能勢町の自然財産の保全を町行政と住民が協働して担わなければならないと思います。能勢町は国の地方創生推進交付金を活用する農地の転用による企業誘致を打ち出しましたが、コロナ禍のもとで企業活動の在り方が大きく変わり、今後企業誘致はますます困難になると思います。
 むしろどの企業もテレワークを進める方向にあり、それならば都会の職場に通勤するよりも自宅で仕事をして、豊かな自然環境で子育てをしたいと郊外への移住を考える現役世代が増えつつあります。能勢町は大阪市内から1時間という立地条件から今後、移住先として注目を浴びる可能性があります。また、能勢町の農家にとっても新規に農業をしたいという若者にとっても、週に何日かは企業活動、後の何日かは農業をすることが可能になります。現在でも、能勢には若い就農者が近隣の地域よりも多いと聞いています。
 企業誘致に力を入れるよりも移住と定住を支援し、後継者不足に苦しむ農家の田畑を就農を希望する若者に肩代わりするための支援と、農産物の販路の拡大への支援策が求められるのではないでしょうか。
 地域の問題と向き合い、解決していく担い手を能勢の若い人たちにゆだね、町行政はそれを全面的にバックアップする施策の方は時間がかかり、また町の経済効果もすぐには表れないかもしれませんが、企業誘致よりも「顔の見える改革」として、これからの日本社会の地域創生のひとつの道筋になるのではないかと思うのです。
 農業を営むひともそうでないひとも能勢町行政も、能勢の農地を守るために共に汗をかき、能勢の未来づくりに参加、投資する仕組みをつくりだしたいものです。

「心の四季」より「4.山が」「5.愛そして風」「6.雪の日に」「7.真昼の星」
豊中混声合唱団第53回定期演奏会 2013年7月6日 ザ・シンフォニーホール


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2019.04.30 Tue ちがう扉から集まって来れる場所「せーのっ!」で開いた居酒屋「三日坊主」

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 リサイクルとフリースペース「せーのっ!」では、27日、28日、29日の3日間、居酒屋「三日坊主」を開きました。歩いて来れるごく近所に声かけのチラシをまき、後は口コミで知らせただけで、お客さんが来てくれるものやらわからないまま開店しましたが、3日間で60人を超えるお客さんが来てくださいました。
 2階もふくめて何とかテーブルを用意し、また以前箕面で居酒屋をしていた経験があるものの、にわか仕立てで段取りが悪く、お客さんに来てくれた人が急遽手伝ってくれて、やっと料理が出るありさまでした。
 お店を開いてから約6か月、月に一度の飲み屋をしてほしいとか、一週間に一度でいいから食べ物屋をしたらどうかとか、お客さんのアドバイスをいただく中で、やっと実現した三日坊主の飲み屋さんでした。
 歩くのもよちよちなのに懲りないしづ子さんを見かねた人生の達人3人に叱られ、指導を受けながらの怒涛の3日間ですが、日ごろ話したことがないひと同士で話に花が咲き、なかなかいい感じで終わりました。
 地域の自治会に入っていない人たちもふくめて、地域に住む人びとがちがう扉から集まってこれる場所として、うまく機能していけるきっかけになれたらと思います。
 もともとアウトローのわたしたちが地域に密着した活動をするには、ややもすると地域の常識とぶつかることもあるのですが、反対にわたしたちと同じようなアウトローが集まりやすい空気感が利点となることもあるのでしょう。
 また飲み屋さんながら、夕食を食べに来てくれた小さなお子さん連れの家族にも喜ばれました。フリースペースで開かれている絵画教室や英会話教室のメンバーがこぞって来てくれたのも、とてもうれしいことでした。
  「これからも月に一度開いてほしい」と熱いラブコールを受けながら、懲りない、ひたすら懲りないしづ子さんは、飲み屋だけでは酒が飲めないひとや子どもたちは参加しにくいので、これとは別に「一日子ども食堂」を開こうと企んでいます。
 わたしはただただその後ろを歩いていくだけですが、わたしもしづ子さんも箕面で20年やって来た活動のおさらいというか復習というか、就活のひとつなのだろうと思います。
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