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2020.07.11 Sat エレーン 生きていていいですかと誰も問いたい。山本たろうさんの都知事選と大西つねきさんのこと

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 都知事選は小池百合子さんの圧倒的な得票数による再選という結果になりました。もちろん、誰もがこの結果を予想していたことかもしれないのですが、それでもわたしは、れいわ新選組と山本太郎さんへの「もしかして」という淡い期待に胸を膨らませていたことを告白しなければなりません。もちろん、政界の女傑といっていい小池さんにかなうはずがないのはわかっていましたし、わたしの「もしや」は山本太郎さんが小池さんをしのぐと思っていたわけではありません。
 新型コロナウイルス感染予防の対策では、小池都知事は安倍政権と同じく東京オリンピックの開催が来年になった途端に「ロックダウン」、「都市閉鎖」などのメッセージとともにマスコミで強い政治家を自演し、大阪の吉村知事といっしょに安倍政権に「緊急事態宣言」を催促するなど、安倍政権の失策を逆手にとった政治的パフォーマンスを発揮しました。それも、地方都市・大阪の吉村知事に花を持たせながら、国家を脅かせる権力を行使できる強い政治家として、初めての女性首相をめざす彼女にはおあつらえ向きの状況でした。
 欲望の都市・東京は、アメリカに依存し東アジアの盟主でありつづけようとする国民国家・日本を置き去りにして、世界市場経済のセンターとしての居場所を確保しようとしていると思います。結局のところ、都市型の経済成長幻想を地方の町や村に押し付け、自らはコロナ後と称する世界でより早くより強くより大きな富の強奪へと突き進むクールなメガポリス・東京の姿は変わらないのかもしれません。
 大阪に住むわたしは橋下徹さんの時代からすでに12年も維新政治の元で暮らしてきましたが、住民の公務員や教師へのねたみを利用した身を切る改革と称して公務員と教師とその労働組合をたたき、公的な事業を民間委託し、病院を減らし保健所をへらし、医療費と社会保障費を削減してきたことは成果といえるのでしょうか。これは何も維新の政治だけのせいではなく、日本社会全体がわたしたちに自己責任を迫り、税金を納める人だけを市民とし、国際競争に打ち勝つ能力を身に着けるだけの教育を子どもたちに押し付けてきました。
 維新が念願とする都構想とは大阪のためではなく、東京中心の都市型の社会、格差をより進める新自由主義の暴走を大阪にも持ち込むことなのでしょう。昨年の維新の躍進を象徴する「成長を止めるな」というキャッチフレーズは、大阪独自の豊かさではなく、東京に負けない第2のビジネスセンターとしてインバウンドに助けられながらバブルの時の経済成長の夢を見続けることにほかなりません。
 そして、世界全体が新自由主義とグローバリズムが格差を産みだし、富めるものだけの豊かさが世界中に途方もない貧困と環境破壊を広げることに数多くの人々が気づき始めたところに、今回のコロナショックが襲い掛かりました。
 今もまだおびただしい命が奪われている中で、こんなに理不尽な犠牲を強いられてもまだ、わたしたちは暴走する新自由主義にストップをかけられないのでしょうか。
 山本たろうさんが周囲にあったであろう慎重論をおしのけて都知事選に出馬をした結果を見て、さまざまな批判があるのを承知していますが、わたしは彼とその仲間たちが甘ったるい理想主義と言われても扇情的といわれても、組織的な未熟さを指摘されても、都知事選に出馬せざるを得なかったのだと思っています。彼自身が出馬の記者会見で語ったように、政治的な戦略や空気を読む賢さから言えば都知事選では宇都宮健児さんの応援に力をつくし、解散風が吹き始めた衆議院選挙をターゲットにした準備を整える方がスマートでいいに決まっていたとしても、いま目の前で倒れているひと、倒れようとしているひとたちの前を通り過ぎることができなかったのだと思うのです。政治の世界にそんな青臭い正義感が通用しないといわれても、独善的かつ一歩間違えれば偽善的と言われても、彼とその仲間たちは本気でそう思ったにちがいないのです。
 というのも、彼女彼たちはそんな青臭くいつまでも心を痛めたり憤りを感じたりしてしまう青春や愛や純情など、およそ政治家には無用と一蹴されてしまってきたことが、今のひらがなで語れない不毛な政治とあくなき党利党略をくりかすえ政治不信を生み出してきたことを、そして政治屋という専門家によって当事者の生々しい肉声の叫びが消し去られてきたことを知っているからでした。
 それがゆえに、まずは障害を持つというだけで理不尽な仕打ちを受けてきた木村さんと船後さんをまっさきに国会におくりこんだのだと思います。
 この記事を書いている途中で、大西つねきさんのユーチューブで「命の選別」発言が飛び出し、非難が殺到し、本人の謝罪と動画の削除、対応のまずさから山本たろうさんとれいわ新選組へのここぞとばかりに批判が集中しています。わたしは大西さんの発言の部分的な切り取りが問題で、全体の趣旨は違うという意見にはくみしません。おそらくどこを切ってもつないでも、発言の趣旨は変わらず、絶対に正当化されるはずもないと思います。
 それは木村議員と船後議員の人間としての存在を否定し、抹殺することにほかなりません。
ただ、わたしが悔しく思ってきたこととして、暗に役立たずと差別丸出しの言葉を投げつける意見のみならず、障害者議員は存在しているだけで意義があると主張する方にも、彼女彼の人権にたいしても議員活動にたいしてもとても失礼で、差別的だと思うのです。
 人間は生きているだけで十分であるはずはなく、他者からそう見えるひともまた、一生懸命生きているのだと思うのです。かつて青い芝の障害者たちが働けないことを働かないと言い換え、健全者の都合でつくられた労働のシステムを拒否し、「生きているだけで労働だ」と生存権を主張しましたが、その主張と今の時代によく言われる「生きているだけで価値がある」という人権感覚とはずいぶん違うのではないかと思っています。
 音喜多議員が、船後さんがコロナ感染症の影響で国会を休んだことに「議員報酬を返せ」と暴言を吐いたり、松井一郎大阪市長が「介護費用を自分で出せ」と平然と言ってのけるのはある意味正直に世間の差別感を表しているのかも知れませんが、そもそも国会はこうあるべき論にとらわれ、新しい現実と未来に心新たに向き合えば、彼女彼らが「存在しているだけ」ではなく、まったく新しい提案を国会にしていることに気付かないのです。気付かないから、ほんとうの議論にならないのです。それにしてもあからさまな差別発言をくりかえすのが維新の議員であることは、維新という政党が障害者に対して根強い差別感を持っていると思わずにはいられません。
 大西つねきさんの論旨はある意味とても明快で、医療のキャパシティーがない時、年寄りはもう十分に生きたのだから若い人の命を救うという、究極の政治判断があるということですが、切り捨てられる命への人権侵害はもちろんのこと、そんな究極の選択に医療従事者を追い込まないことこそが政治のもっとも大切な責務だとわたしは思います。今回も保健所や病院を減らし、公共的な医療体制を民間委託することで成果としてきたコスト削減によって救えなかった尊い命の重さを身を持って主張できるのが木村さんと船後さんであることは、れいわ新選組のほこりだと思います。
 れいわ新選組は大西さんを除籍にするそうですが、新しい政治集団である以上、もし完璧に大西さんが差別発言の撤回とその発言が出る健全者社会の差別の構造にむき合い、大西さんが望むならば、わたしはれいわ新選組が既成の政党ではなく新しい政治集団としての前向きの決断があってもいいのではないかと思います。
 一般的に順風満帆と思われたれいわ新選組がはじめて迎えた難局ではありますが、わたしは新自由主義の草刈り場から取り残されたたくさんのひとたち、いままで政治に見放されてきたひとたちの最後の拠り所として、れいわ新選組はわたしにとってもっとも大切な政治集団であることに変わりはなく、いままで政治的な行動とかけ離れたところで生きてきたわたしが苦手としてきた政治と向き合わなければと教えてくれた山本たろうさんとその仲間たちに感謝の言葉しかありません。

今夜雨は冷たい
行く先もなしにお前がいつまでも
灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
ひとつずつのぞいている
今夜雨は冷たい
エレーン 生きていていいですかと誰も問いたい
エレーン その答えを誰もが知っているから誰も問えない
(中島みゆき「エレーン」)

『エレーン』 中島みゆきカバー First Step
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2020.06.30 Tue 「街を未来する」子どもたちの夢と大人たちの希望。 中西とも子さんのタウンミーティング

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 6月28日、箕面市議会議員・中西とも子さんのタウンミーティングに参加しました。中西さんは議会が終了するたびに議会報告のニュースを発行するとともに、タウンミーティングを開いて議会報告をされています。彼女の支持者だけでなく誰もが参加でき、質問したり、別の議題でも今気になっていることを発言できる場となっています。
 今回は新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされる中、箕面市立病院の経営課題やオンライン学習、学校のトイレの改修、教室、体育館の換気扇設置、コロナ禍による弱者への影響と課題、この時期に国民健康保険料の値上げ問題など、市民生活を直撃する様々な課題における中西議員の見解と議会質問の内容が報告されました。
 中でも、4か所の都市計画道路案が都市計画審議会でも本会議でも大きな議論となり、そのうちの箕面池田線~萱野東西線間の道路案は箕面4丁目・5丁目の住宅街の中を貫いていて、約1800名の反対の署名が市に提出され、パブリックコメント(市民意見)も600を超える反対意見が寄せられ、再度丁寧な説明会を開くことになったそうです。
 人口減少時代に、落ち着きのある成熟した街並みを壊してまで必要な道路なのかと問えば、将来に禍根を残す計画だと思います。わたしもまた、かれこれ20年箕面市で暮らし、その中でも17年間箕面4丁目で暮らしましたので、他人事とは思えません。
8月には選挙があるので、今回参加された方は中西さんを支援するひとたちばかりだと思うのですが25名の参加があり、それも中西さんに議員をつづけてほしいと思う人たちが、箕面市の課題をそれぞれ発言され、活気に満ちた集いでした。
 4年に一度選挙の時にだけ支持者を集めて支援を訴える議員さんも多い中で、議員としてごく当たり前の活動でありながら、彼女の地道な活動は特筆もので、こんな生真面目な議員を議会に送りだす箕面市民も立派ながら、暮らしの場からあふれ出る箕面市民の肉声を聞くことのできる中西さんもまた、とても幸せな議員なのだと思います。

 わたしは子どもの頃、日曜の夜に英語を習いました。わたしたちの町にやってきた「洋行帰り」のきざな紳士が町の青年団の寄り合い所を借り、無料で子どもたちに英語を教えてくれたのでした。
来る者拒まずという無料の英語塾でしたが、懐中時計を持ち、名探偵ポアロか赤塚富士夫の漫画に出てくる「いやみ」にそっくりのへんな怪人だったため、集まってきたのは10人ぐらいでした。
 わたしはその塾に通うのをとても楽しみにしていました。風貌とはうらはらにとても暖かくやさしいその人は、わたしたち子どものどんな事情も呑み込み、ひとりひとり、それぞれの未来が輝けるものであることを願って無償のボランティアを自らかってでたのだと思います。
 子どもたちの様子をうかがい、それとなく気を配り、懐中時計に時々目をやりながらいろいろな話をしてくれました。クリスマスにはわたしたちひとりひとりにプレゼントを用意し、みんなで「きよしこの夜」を英語で歌いました。この歌はわたしが最初に覚えた英語の歌になりました。
 それから約十年後、わたしが20才になった頃、わたしはその町を離れていましたが、彼は市会議員に立候補しました。その選挙は彼がリヤカーに乗り、英語塾の歴代の教え子がリヤカーを引いては辻々で演説するというものでした。
 見事に当選し、何期か市会議員をしていた彼は、一回もかかさず市議会の様子を達筆の墨字で書き、町のいくつかの場所に張り紙をしました。無党派のほんとうの「市民派」議員として活躍した彼が英語塾を開いたり市会議員になったのは、ほかならぬ町の未来をつくるのは市民自身であるという、いまわたしが切実に感じる心情からだったのだと思います。
 以前の記事で、わたしに民主主義を教えてくれた中学校の教師のことを書きましたが、市会議員となったそのひと、「あんどうりいち」さんはわたしに、民主主義は暮らしの真ん中で「街を未来する」ひとりひとりの子どもたちの夢とおとなたちの希望を耕すことなのだと教えてくれたのでした。
 時代は大きく変わり、今では町の板塀に張り出す伝言板では伝えられない様々な課題が街の未来を複雑にしていますが、中西さんのタウンミーティングは現代版の動く伝言板のようで、今コロナ以後ますますデジタル化へと突き進むことはどうにも止められないとしても、肉声で語り合い、困ったときに助け合える、アナログによるまちづくり、コロナや自然災害に襲われても誰一人取り残されない箕面の街を育てるために、中西とも子さんのような議員を必要としていることを強く感じました。

中西とも子のビデオ通信Vol.21 2020.5.29(金)
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2020.06.27 Sat 97歳と3か月・清洲辰也さんのメッセージ ピースマーケット・のせ

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 ピースマーケット・のせ実行委員会委員長の清洲辰也さんからメッセージをいただきました。
 今年は新型コロナウイルス感染防止のため、中止せざるを得なかった「ピースマーケット・のせ」は、2016年から毎年開催してきました。
 「平和を考えよう!つくろう!わかちあおう!たのしもう!」を合言葉に開催することになったのは、高齢者住宅に住む清洲辰也さんの熱い呼びかけがきっかけでした。清洲さんは先の戦争の折、学徒出陣で出征し、戦後の混乱から現在まで、日本の戦前戦中戦後をかいくぐってきた生き証人と言えます。
 その清洲さんが、孫やその先の世代に戦争のない平和な世界を残したいという必死の願いでチラシを書き、能勢町全域の新聞に何度も折り込み広告をしました。それは清洲さんの命をかけたといっても大げさではない、せつない手紙でした。清洲さんの訴えに応えようとさまざまな立場の人たちが集まり、日本と世界の平和を呼びかけることになりました。
 清洲さんからは2016年、17年と協賛金もいただき、それがなければもっと早い段階で資金が足りなくて中止していたかもしれません。
 まだコロナウイルスの影響がなかった時に清洲さんに会いに行きました。今年で5年目となるこのお祭りをする意味があるのかと清洲さんに言われ、今までの成果を伝えながらも5回目を節目に、今年で最後になるかもしれないと話しました。
そして、清洲さんの思いを受け止め、このお祭りの原点を見つめなおし、新たな試みを模索するお祭りにすることを清洲さんに誓い、今年も実行委員長をお願いしました。
 それから後に、新型コロナウイルス感染が爆発的になり、お祭りの中止は電話で伝えたものの、清洲さんご自身のこともとても気がかりでした。
 そして、ともかくも第一波の感染が終結した今、清洲さんから送られてきたメッセージに驚きと感激を抑えられません。日本中が、 世界中がパンデミックにさらされているさなかに、清洲さんはご自身の体に気を配りつつも、世の中の同調圧力や自粛圧力にあらがい、いのちの炎を燃やしながらこの国を憂い、この国を質し、わたしたちに思いを託す言葉を送ってくれました。
 電話でお話しすると、もう少ししっかりした形の提言をまとめるとのことで、その手伝いをさせていただこうと思っています。
 2020年夏、97歳の清洲辰也さんのメッセージです。


令和2年6月25日
清洲 辰也

 すべてがひっくり返っている。
 この国は、社会は、世界をゆるがすコロナという大問題に目下必死である。目の前の大問題である。ほかのことを考える余裕は全くない。

 すべては、一段落してからのことである。
それは、よほどの先のことになる。何年先のことであろうか。
 なぜなら、この国の社会の体制(文化・生活習慣までもを含む)の大改革、大改革までをも視野に入れなければならないからである。コロナ体制が確立できた国、社会ということである。
 それを肝においてのことである。

 きょうでちょうど97歳と3か月。
 最後の痛切な思い-子どもたちのこと、孫たちのこと、次の時代のことを強く強く考える。
 どんな国を、社会を譲ろうとするのか。
 自分の子どもたちなら、将来、せめて30年先のこと(平成の時代が30年である)を考えたことがあるのであろうか。考えたことをまとめたことがあるのであろうか。
 残念ながら全くないように見える。カケラも見えない。
 それでよいのかということである。
 よいはずは全くない。その故に、またも空振りであろうとも、誰一人聞く耳を持たなくも、しつこく、しつこく言い続ける。たかがヨレヨレの終わるまぎわの無名の一人のジジイがである。
 「目の前の現実」も真剣に考えてみようという「ただそれだけのこと」である。それをしっかりやろうではないか。

小室等「道」 詩・黒田三郎 作曲・小室等 2014.9.4 @日比谷野音「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動9.4」

小室等「死んだ男の残したものは」 作詞・谷川俊太郎 作曲・武満徹
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2020.06.19 Fri 山本太郎と入部香代子さんの思い出と…、彼が今都知事選にでなければならない過酷な現実と見果てぬ夢がある。

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 彼女はぽつぽつと話し始めました。
 車いすを利用するわたしは障害者の立場から、ほんとうに困っているひとに届く福祉と、だれもが安心して暮らせる町づくりをめざして選挙に出て、たくさんの市民に応援してもらって市会議員になったんやけど…。
健全者の議員さんやったら、こんな大災害が起こったら真っ先に避難所に駆けつけて、「大丈夫」、「しばらくの辛抱です、私にまかせてください」とか言うて、握手したり肩を抱いて、被災者をなぐさめたりできるやんか。
誰もが安心して暮らせる町づくりと言いながら、わたしは余震におびえ、恐怖と不安で夜も眠られへん。こんな時なんの役にも立たへんと、自分の無力さをつくづく思い知らされたんや。
 せやけどな、わたしの議員活動もサポートしてくれる友だちが、「脳性まひの障害者として、子どものころから今まで数えきれない困難と何度も死ぬ目にあったんやろ。それをひとつずつ解決して今のあんたがあるんやろ、何にもできないと落ち込んでる場合やないで、とにかく避難所に見舞いに行こうや」と言って、わたしを連れ出してくれたんや。
 それでも、こんな何の役にも立たんわたしが被災者にどんな声をかけたらいいんかと、おずおずと避難所に入ったら、「入部さんやないか、よう来てくれたな」と声をかけてくれたんよ。わたしは率直に「すぐには役に立つことはでけへんけど」と口ごもると…、
 「何いうてんねん、今のわたしたちに何かを助けてくれる人もありがたいけど、わたしたちと同じ怖さを、いや、わたしたちも想像できないそれ以上の怖さを経験したあんたと、こわかったなぁ、と慰めあえることがうれしいねん。それはあんたとしかでけへんねん」。

 1995年、阪神淡路大震災から1か月以上すぎていたでしょうか。その年の4月の豊中市会議員選挙のために集まった会議で、入部香代子さんはこんな話をしてくれたのでした。実は、震災直後から、わたしたちは兵庫県の被災障害者の救援活動の真っただ中にいて、大阪の障害当事者も選挙どころか救援活動にも余震が怖くてびくびくしていた時でした。みんな、真っ青な顔でどこからみても「さあ、今から選挙や」と元気な掛け声がとびかうようなことはない中、言いだっしぺの河野秀忠さんの呼びかけで、やっと集まった会議でした。
 入部さん本人ですら二期目の立候補を断念しかねないほどのよどんだ空気が漂い、なんとも元気の出なかったわたしたちは、ぽつぽつと話す彼女の話を聞いているうちに血が逆流するほどの戦慄と、体と心のどこにまだそんなものが隠れていたのかとびっくりするほど、勇気と情熱がわいてきました。
 最近の政治家と称されるひとたちの中には、政治家になったら最初にまず何か不祥事がばれたらその言い訳・謝罪をする訓練からはじめるのかと思うほど、政治への夢も希望も理想もなく、賞味期限の切れた既成の権力にしがみついて自分だけおいしいものを食らうような、わたしたちをますます政治不信にしてしまう人たちが少なからず居座っていますが、あの時の入部香代子さんのように、同じ場所で同じ方向を向き、被災者といっしょに恐怖を体験し、うろたえ、悲しみ、苦しみ、切ない夢を共有できる政治家が少なくなったと思います。
 この時の選挙で、箕面でも豊中でも、また全国の障害者運動の伴奏者だった河野秀忠さんは「電気・水道・ガス・福祉」という素晴らしいキャッチフレーズをつくりました。未曽有の災害を経験し、生き延びたわたしたちだからこそ生まれた切実な言葉でした。
 コロナショックのただ中で、福祉や医療、保健が社会の最重要のインフラで、そのコスト削減は「いのちの削減と選別」につながっていたことを痛感する今、わたしはもう一度このキャッチコピーにこめた河野秀忠さんの誰一人取り残さないという思想をかみしめています。フレディー・マーキュリーが残してくれた「これは人類最後の挑戦なんだ。だからぼくたちは負けるわけにはいかないのだ」(「We ARE THE CHNPIONS」)という言葉とともに「電気・水道・ガス・福祉」はわたしたちの選挙の矜持となりました。

 山本太郎さんが都知事選に立候補しました。事情も知らずにわたしは当初は野党統一候補の宇都宮健司さんの応援に回ったほうが良いと思ったのですが、16日の山本太郎さんの会見を聴いて彼の行動はもっともだと思いました。野党共闘に痛手を与えるとか、小池百合子さんを利するだけだとか、国政選挙のためのパフォーマンスで売名行為だとか、さわぐだけのホピュリストだとか何と言われようとも、参議院選挙に先立ち、「れいわ新選組」を立ち上げた思いがまったくぶれていないと思いました。
 会見の最初に立候補のいきさつを説明してくれたのですが、立憲民主党が野党共闘で山本太郎さんを統一候補に擁立しようと働きかけ、無所属での立候補をせまったのですが、立候補するなられいわ新選組の公認で立候補したいとする山本太郎さんとの間で調整ができなかったこと、共闘の条件として出した国政での「消費税5パーセント」(本来は諸費税の廃止としたいところを譲歩して)も受け入れられず、また「れいわ」の宣伝になるからと無所属でないとだめということで、統一候補の話がなくなったそうです。
 おそらく立憲他野党は前回の過ちをかえりみず、タレントとしての山本太郎さんを担ぐために「無所属」での働きかけだったのでしょう。でも山本太郎さんにとってはタレントしてではなく、ほんとうに生真面目にも「れいわ新選組」というアナーキーで、およそ政党とはもっともかけはなれたこのグループでなければ意味がないのだと思います。
 そもそも野党共闘が強大な相手と対置するための数合わせでしかないのならその時点ですでに勝負が決まっているとも言えます。いろいろあってもわたしは共産党を柱とする共闘はありえても、立憲や国民主導の共闘は腹に一物手に荷物で、そこに切実さが感じられません。
 参議院選挙の時、山本太郎さんも含めて10人の素晴らしい仲間の総意として、障害者議員2人を国会に送りこんだこのグループの心意気と見果てぬ夢の大きさにリスペクトします。今回の記者会見を見て聞いて、山本太郎さんひとりの夢が「れいわ新選組」としてたくさんの人々の見果てぬ夢へとつながっていることを知りました。そして、政治力学とは無縁のわたしの夢もまた、その中に確かにあることを確認しました。
 そしてわたしはなぜか25年前の入部さんの言葉と、彼女と共に選挙をたたかった遠い記憶が山本太郎さんの切羽詰まった話と重なり、震える心を抑えきれませんでした。
 衆議院選挙まで力を温存したほうがいいという考えもあるでしょうが、たとえその選挙で議席を獲得できたとしても、今困っているひと、今倒れかけているひとに手を差し伸べられなければ意味がないと時々言葉を詰まらせながら話す山本太郎さんを見ていてもう一つ思ったのは、ああ、彼やその仲間たちは宮沢賢治の「雨にも負けず」を本当に実行し続けているのだと思いました。
 宮沢賢治のあの詩を甘い理想だとかまやかしとか言っている間に、わたしたちの社会は取り返しのつかないところに来てしまいました。山本太郎はもしかすると政治家とは無縁の夢想家なのかもしれません。しかしながら、この閉塞した空気を風の又三郎のように吹き飛ばし、銀河鉄道の車窓に振り落ちてくる星たちに見守られながら、次の一瞬に心許せる友・あこがれのカムパネルラと別れて現実に引き戻されたジョバンニのように、これまで政治も福祉も何もかも専門家によって夢をもがれ、かけがえのない願いや希望を質屋に流してきた「当事者」というわたしたちこそが、まったなしの時代と歴史を再構築する時なのだと、山本太郎さんと「れいわ新選組」は教えてくれたのでした。
 そして今回はボタンの掛け違いになってしまったけれど、わたしが最近ファンになった共産党と社民党とれいわ新選組が対等につながっていくことを心から願っています。

出馬の経緯から動機まで 山本太郎 東京都知事選 出馬表明 記者会見 2020年6月15日

唐十郎「さすらいの唄」 大唐十郎展「21世紀リサイタル」

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2020.06.14 Sun 山本太郎さん、あなたは全国の窮民の最後のよりどころです。都知事選には出ないでください。

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 山本太郎さんが都知事選に立候補するかもしれないと報じられています。
 わたしは「れいわ新選組」を戦後生まれのわたしがやっとたどりついた政治的よりどころと思っています。とくに、前回の参議院選挙で2議席をつかみ取ったこの政党が、重度と言われる2人の障害者を国会に送り込んだことは画期的なことだと思います。
 しかしながら、好意的なひとの中にも重度障害者の議員が存在するだけで意味があるという意見も多くあり、彼女彼らの議員活動を真正面から受け止めていないと感じてしまいます。とくに、木村議員の提案は「福祉の牢獄」の中に閉じ込められてきた障害者の労働を、はじめて政治の場で「障害者の人権と労働の権利」として制度の確立を要求するものです。彼女は在宅福祉制度の「重度訪問介護」の拡大もしくは弾力運用を訴えていますが、わたしはそこはちがっていて障害者の労働の権利を保障する、本来の労働行政の抜本的な改革を求めるべきだと思います。
 それにしても以前にも書きましたが、彼女がみずからの議員活動の介護保障という具体例を通じて、障害者の労働に伴う介護保障を訴えたのに対して、日本維新の会の代表・松井一郎大阪市長が自己負担で賄うべきだと発言しました。政治家は高額所得者で個人事業主だからと、世間の高額所得者と国会議員への妬みを誘発し、巧妙に障害者差別をかくすこの人の発言は人権感覚と国際感覚を研ぎ澄まさなければならないはずの政治家として許しがたいと強く思います。
 国会議員は選挙で国民から請託をうけたミッションを実行してもらうために必要とされる所得を得ているのであって、むしろ絶対に自分の介護保障などに使ってもらってはいけないという、ごく当たり前のことを忘れていると思います。極論ですが、もし松井氏が言うように議員報酬から介護費用を支払うのであれば、それを払わなくてもよい健全者議員の所得が高すぎるわけで、「身を切る改革」を党是とされるのならその相当分を返上してもらわなければ筋が通りません。このひとの発言は重度障害を持つ議員を選挙で選ばれた対等な国会議員として認めない、はなはだ人権侵害にかぎりなく近い発言だと思います。

 ところで、わたしは山本太郎さんが都知事選に出馬しないことを強く望みます。はっきり言って今の小池百合子知事に勝てる候補はなかなかいないと思うからです。今回のコロナウイルスショックで安倍内閣が揺らいでいる中、小池さんや大阪府知事の吉村さんを「実行力のある政治家」として支持する人たちがわたしの地域でも急増する一方、れいわ新鮮組への熱い心が影に隠れてしまった感があります。
 ここはむしろ、宇都宮健児さんに結集し、太郎さんの力を存分にその応援につぎ込んでほしいのです。それでなくても、前回の都知事選で、宇都宮さんを差し置いた野党共闘の失敗がまだ記憶にあたらしいところです。ある意味、ほとんど勝ち目のない選挙では、より信ずるにたるほんとうの政治家に結集することで、わたしたちもまた納得できるのではないでしょうか。そして、共産党と社民党との強い共闘関係をつちかい、育てることで「れいわ新鮮組」もまた国政への新しい一歩を得ることになるでしょう。願わくば自民と維新が手をつなぎ、闇夜の政治が始まる前に…。

Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

Bob Dylan - Hard Times Come Again No More

"My Back Pages" Bob Dylan / the best version you've ever heard.
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