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2019.12.06 Fri 中村哲さんの箕面の講演会と「ピースマーケット・のせ」 中村哲さん追悼2

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アフガニスタンのこどもたち。
ぼくたちはあなたたちのことを知らない。
ぼくたちは思う。
あなたたちは、
いまどんな夢をみていのだろう。
ひときれのパンと、
つりあうだけの夢を見るために、
どれだけの暗い夜を、
くぐりぬけてきたのだろう。

ぼくたちは思う。
あなたたちの、
かなしみとえらみにあふれたひとみが、
ぼくたちにも向けられているのだと。

それでもぼくたちは思う。
いつの時代にも、
世界中のいたるところに、
あなたたちとつながりたいと、
必死に思うひとびとがいる。
あなたたちの村や町につながる、
せつない空をみつめている。
そしてぼくたちもそうであることを。

ぼくたちは思う。
爆弾といっしょに救援物資を落とす、
アメリカ軍のように、
助けるなんていえない。
ただ、生きていてほしい。

ぼくたちは思う。
あなたたちとつながれないかなしさと、
それでもつながりたいと願うこころを、
とどかぬこころを、
とどけたい。
(2001年11月 豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.140号)

 時はめぐり、2011年からの東日本大震災など自然災害の被災障害者支援「ゆめ風基金」のアルバイトを終えた2015年8月22日、大阪府箕面市のメイプルホールで「中村哲さん講演会 in 箕面」が開かれました。
 その年の春、中村哲さんの講演会に協力してもらえないかと箕面の友人から電話があり、わたしも実行委員会に参加しました。  
 実行委員の人たちの中に、わたしが箕面で働いていたころの旧知の人々が少なからずいて、なつかしさとともに箕面を離れてずいぶん時間がたちましたが、箕面の市民活動の広がりと豊かさを実感しました。
 講演会は準備期間が短かったにもかかわらず盛況で、500席ある箕面メイプルホールが満席になりました。
地元の人が何を求めているのか、そのためにできることを、現地に根を下ろして理解し、現地の人といっしょに活動してきた中村哲さんの言葉は深く、先入観や常識とされてきたことがいかに机上の空論かと思い知らされました。
 井戸掘りから始まり、渇水と洪水を繰り返す大地に川からの用水路を建設し、用水路を完成させました。その工法はハイテクではなく超ローテクで、先進的な機械による工法ではなくアフガニスタンのひとたちが得意とする石積みや、日本の伝統的な工法で堰をつくったりと、アフガニスタンの現地の人々で維持、補修できるものでした。それはまた、一日600人もの人々を雇用することになり、戦争の傭兵になることでしか生活が成り立たなかったひとびとの生活を支えることにもなりました。また用水路の建設が進むにつれて、建設に携わっていないひとびとも本来の農民となって帰ってきました。

 「アフガニスタンで事業をおこなうことによって、少なくとも私は日本、そして世界中を席巻している迷信から自由でいられるのです。一つには、お金さえあれば、幸せになれる、経済さえ豊かであれば幸せになれる、というものです。 
 もう一つは、武力があれば、軍事力があれば自分の身を守れるという迷信です。武力が安全をもたらすものかどうか、丸腰でおこなう用水路建設での私たちの経験が教えてくれます。このような実体験によって、私たちは幸いにも、この強力な迷信から自由です」

 わたしの子ども時代から70歳を超える今まで、政治家に限らず大人たちが「武力を持たないで平和を守るなんて空想だ」といわれつづけてきたけれど、紛争の地で活動する中村哲さんの「武力でつくれる平和なんかない、わたしは武力を持たないと宣言する日本国憲法のおかげで安全でいられる」という言葉に勇気づけられたものでした。
 そんな中村さんの死から、「やはり武力を持たないとだめ」という声が聞こえてくるようですが、わたしはむしろ長い年月ほんとうに危険な地域で武器を持たず、アフガニスタンの農地を再生する活動をつづけてきたからこそ、地域の人たちの深い理解と信頼を得て、今日まで無事に来られたのだと思います。
 しかしながら、その活動すら抹殺してしまう理不尽な暴力がアフガニスタンや周辺地域に広がっていることを、またその暴力を誇示し、ひとびとを支配し権力を誇示する力が世界をおびやかそうとしていることもまた、かなしみと憤りと恐怖とともに知らされました。
 講演会の後、中村哲さんを囲んで実行委員会の写真を写しました。
 今あらためてその写真を見ると、実行委員会のメンバーだったひとたちのそれぞれの想いが集まって、珠玉の時間を共にしたのだとつくづく思いました。
 講演後に記録を冊子にしようという話があり、わたしとSさんとNさんの3人で編集することになり、わたしは冊子の作成もさせていただきました。それが縁でSさんには能勢での活動を助けてもらっています。
 Sさんの他にもこの講演会で再会した箕面のひとたちとクラシックコンサートを開いたり、能勢のイベントに参加してくれたりと、ある意味豊能障害者労働センター在職時よりも親しくなったと感じています。わたしは豊能障害者労働センター在職時はかなり偏向していて、最近になってようやく箕面の友人たちそれぞれの想いを理解できるようになったのだと思います。
 ともあれ、中村哲さんへのリスペクトと再会した箕面の友人に教えてもらったことが心にずっと残っていて、翌年2016年から始まった「ピースマーケット・のせ」の活動に参加するきっかけになりました。
 「ピースマーケット・のせ」は実行委員がそれぞれのこだわりや想いを持ちながら続けているのですが、わたしの心の中では来年の「ピースマーケット・のせ」を、中村哲さんの追悼とすることを決めました。

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2019.12.05 Thu 「武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎だ」 中村哲さん追悼1

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 中村哲さんが銃弾に倒れ、亡くなられました。
 彼に銃を向けたひととその周辺の人たちに声を限りに言いたい。
 あなた方はもっとも向けてはならない人に銃をむけたのだと…。

 中村哲さんとぺシャワール会の活動を知ったのはそんなに前からではなく、2001年のアメリカでの同時多発テロと、その後のアメリカをはじめとする有志連合国軍のアフガニスタンへの爆弾投下などの攻撃が始まった頃でした。
 わたしはその頃箕面の豊能障害者労働センターに在職していて、ただひたすら一日一日を暮らしていくことに悪戦苦闘していて、世界各地の紛争で無数の人々が生活の基盤を奪われ、傷つけられ、命までも奪われる過酷な現実をほんとうに自分のこととして受け止める余裕がありませんでした。
 わたしはテロについては断固許せないとする一方、アメリカの「正義」をふりかざした空爆などの軍事攻撃によって、アフガニスタンの人々の命が奪われることにもまた断じて許せないと思いました。そしてなによりもわたし自身、このことがあるまでアフガニスタンの大かんばつや難民のことを知らなかった、知ろうとしてこなかったことにも申し訳なく、自分に対して腹立たしく思ったのでした。
 その時、中村哲さんの活動を知りました。中村哲さんは1984年から現地に入り、最初は医療活動を展開してきたものの、「病気を治す前に命を救わなければ」と、かつては豊かな作物でほぼ100%の食糧自給率だった瓦礫を農地へとよみがえらせる活動をはじめました。
 井戸掘りから始まり、渇水と洪水を繰り返す大地に川からの用水路を建設し、その建設に毎日600人々を雇用し、用水路を完成させました。建設に携わった人々だけでなく、戦争の傭兵になることでしか生活が成り立たなかったひとびとが本来の農民となって帰ってきました。
 やがて植えつけた野菜が収穫され、自給自足はもちろん、市場への出荷も始まったと聞きます。
 わたしたちは中村さんの地道な活動こそが、集団的自衛権や国際貢献の名のもとでの自衛隊の派遣による軍事力で押さえつける平和より、はるかに有効な平和活動だと思いました。
 そして、貧者の一灯でしかないわずかな支援金をペシャワール会に送金した他、機関紙「積木」紙上でペシャワール会の活動とわたしたちの思いを綴り、募金のよびかけをしました。
 下記の文章は、その時の豊能障害者労働センターの機関紙に寄せた記事です。


2001年11月 豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.140号より

アフガニスタンのこどもたち ぼくはあなたたちの顔を知らない
                                             細谷常彦

 9月11日の夜、ぼくはいつものように市民酒場「えんだいや」にいた。音のないテレビのブラウン管に、細長いビルの側面からあふれる煙が見えた。大変な事故が起こったと思った。それから1時間ぐらいして、それがテロであることを知った。
 ぼくはアフガニスタンのことをほとんど知らない。阪神淡路大震災の時にテレビにうつった風景と、被災地の立った時の風景がまったくちがったように、テレビにうつるアフガニスタンのひとびとのくらしを垣間見ただけでは、ほんとうのすがたはわかるはずがないのだ。アフガニスタンのこどもたちのひとみと、それを酒場で見ているぼくのひとみとの間には、とてもない距離が横たわっている。
 ぼくたちはこの日本で、この箕面の街で「しあわせになる」ために活動をつづけてきた。障害者がほんとうに一人の市民として暮らしていくことは難しい。しかしながら、19年前にくらべればたしかにほんの少し「豊か」になっているのだと思う。
 ぼくたちのほんの少しの「豊かさ」はぼくたちが「がんばってきたからかも知れない。けれども、その一方で日本の経済システムの中にいるぼくたちのほんの少しの「豊かさ」が、アフガニスタンのこどもたちの飢えをつくったのではないと言い切れるのだろうか。あのこどもたちのかなしみと恨みにあふれたひとみが、ぼくたちには向けられていないと言えるのだろうか。それが、ぼくの感じたとてつもない距離だった。
 それを承知で、ぼくたちはアフガニスタン難民支援金を送ることを決めた。ぼくたちはついこの間運営に行き詰まり、「積木」読者の方々に応援金をお願いしたばかりだ。いまも決して楽ではない。読者の方々から「そんなに余裕があるの?」と、お叱りを受けることを承知している。けれども、お許しいただきたい。どの大地の上でもどの空の下にいても、すべてのこどもたちがわくわくするはずの明日を恐れないですむように、ぼくたちはささやかな行動を起こしたいと切実に思った。
 それはそのまま、日本の村や町で、この箕面の地でだれもが自分らしく生きていくことを夢みるぼくたちの活動そのものだから…。そして、アフガニスタンのこどもたちへ、ただ、生きていてほしい。その思いをお金にかえることしかできないくやしさをかみしめ…。

 阪神大震災の時、わたしたちの救援活動は「助ける」ことではなく、被災障害者自身が町を復興、再生していくことにつながろうとした活動でした。
あの時、全国の「積木」読者の方々がわたしたちの行動を支援してくださいました。神戸の読者の方の家で、壊れかけている家に救援バザーの用品を取りにうかがったこともありました。
 遠い空の下で、いのちが危険にさらされているアフガニスタンのこどもたちとわたしたちが簡単につながれるとは思いません。わたしたちはわたしたちの地をはなれることはできません。でもわたしたちは祈っています。ただ、生きていてほしい。
 その思いをお金にかえることしかできない悔しさと一緒に、アフガニスタンで活動されているNGO「ペシャワール会」に支援金を送りました。


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2019.11.11 Mon わたしの憲法月間・誰がために憲法はある

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 10月17日は箕面文化センターで「檻の中のライオン」、24日は豊能町西公民館で服部良一さんの講演「もし憲法が変わったら・日本の未来を考える」、11月3日は扇町公園で「おおさか総がかり集会・輝け憲法!いかそう9条!」、そして、11月4日は箕面市民会館で映画「誰がために憲法はある」(みのおピースフェスタ2019上映会)と、憲法についてのイベントが続きました。それぞれの催し物の主催者が友人で、その準備に長い時間を費やし、呼びかけてこられた熱意に思いをはせれば、出不精のわたしでも参加しないわけにはいかないと思いました。

 「檻の中のライオン」についてはフェイスブックに掲載しましたように、「檻の中のライオン」の著者・楾(はんどう)大樹さんがイラストを交え、権力を憲法で縛る立憲主義を「権力」=ライオン、「憲法」=檻のたとえ話で解説し、時には落語のような軽快な語り口で話されるので、とても解りやすい講演でした。
 ただ、近々の事態は深刻で、たとえば「あいちトリエンナーレ」の企画展だった「表現の不自由展その後」に対して匿名の抗議や脅迫電話が企画展を中止に追い込んだだけでなく、国が負担すべき助成金の不交付という理不尽な事態まで引き起こすことなりました。この事件は匿名の検閲によって「表現の自由」が侵されただけでなく、その先にある戦前にも似た密告社会がすぐそばにまでやってきたことを証明して見せました。
 ライオンはすでに「檻」から出てしまっただけでなく、小さな権力をのれん分けされた匿名の小さなライオンが、反対にわたしたちを檻の中に閉じ込めようとする改憲派の政治家たちを支えているのだと思います。

 10月24日の豊能町西会館での服部良一さんの講演は、自民党結党以来の「悲願」とする改憲は、ひとえに「押しつけられた憲法」ではない「自主憲法」制定と、「誇れる日本」を取り戻し、歴史を修正・改ざんしようと戦後社会の底辺でうごめき、画策を繰り返してきたものであることを分かりやすく解説・検証してくれました。
  お話を聞いて、自民党新憲法草案はかつての天皇や軍部ではなく、「匿名のみんな」という漠然とした国民国家による支配体制のもと、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」という、日本国憲法の三原則を否定するものであるとあらためて思いました。
 そして、安倍さんの総裁任期の2021年9月、衆議院議員任期の同年10月をにらみ、これからの一年は新憲法制定を実現するためになりふりかまわず突き進む安倍政権と、それを阻止しようとする力が激突する一年になると話されました。
 わたし個人は9条に自衛隊を明記する重大な問題性は理解するものの、「緊急事態条項」がもっとも危険で、わたしたちの日常の隅々までを脅かすものと恐怖を感じます。
 ある意味、共謀罪や秘密保護法案、海外派兵を許してしまう安保法制など、憲法を変えなくてもすでに実力行使が進行する中、最後の仕上げが「緊急事態条項」と9条の形骸化なのでしょう。大災害が相次ぎ、自衛隊への好感度が増す一方、非常事態に国会を通さず、行政府がすべての権力を握り、国権を発動できる戒厳令の復活が現実味をましていると痛感します。
 直近の天皇即位やオリンピックのエンターテインメント化や、安倍首相が吉本新喜劇に出演するなど、あまり批判もなく吉本と政権との親密さがアピールされ、国家事業であることがおかしいかもしれない「さくらを見る会」やジャニーズ・AKBグループなどの芸能関係とメディアの体制翼賛的な同調圧力と排除圧力が蔓延し、とても息苦しく感じるのはわたしだけでしょうか。

 11月3日の扇町公園での「おおさか総がかり集会・輝け憲法!いかそう9条!」は、主催者発表で1万人参加と報じられましたが、その場にいたわたしにはとても1万人の人が参加したとは思えませんでした。外周の道路を右翼の街宣車がまわっていたのでしょうか、「君が代」がむなしく流れていました。
 香港や韓国では直接民主主義を貫こうとするのに対して、わたしたちの国では選挙による間接民主主義でしか事態が動かないのが現状です。しかしながら、世界の至るところで痛みを伴いつつも街頭行動が政権をひっくり返すなど、もっとも有効な民主主義である場合があり、かつてわたしたちの国でもそうであったことも事実で、サイレントマジョリィーがぐらっと動くことも必ずあると信じて、5月と11月の扇町公園の集会には必ず参加しようと思いました。

 そして、11月4日は箕面市民会館で映画「誰がために憲法はある」(みのおピースフェスタ2019上映会)をみました。
この映画は松元ヒロが舞台で演じ続けている1人語り「憲法くん」を女優の渡辺美佐子が演じながら、彼女が中心メンバーとなり、ベテラン女優たちが33年にもわたり続けてきた原爆朗読劇を追いかけ、日本国憲法とは何かを改めて見つめなおすドキュメンタリー映画です。2019年で幕を閉じる原爆朗読劇をふりかえり、鎮魂の思いを込めて全国各地を回り、公演を続けてきた女優たちのそれぞれの思いが語られます。渡辺美佐子は初恋の人が疎開先の広島で原爆により亡くなっていたことを知り、この原爆朗読劇をはじめたといいます。
 また、映画の冒頭とラストに、日本国憲法の大切さを伝えるために日本国憲法を擬人化し、松元ヒロにより20年以上も演じ続けている1人語り「憲法くん」を、渡辺美佐子が、戦争の悲劇が二度とこの国に起こらないよう、魂を込めて演じた様子が映されます。
この映画は監督も出演者もこの映画を見るわたしたちも、迫りくる大きな力に踏みつぶされそうになる危機感に追い立てられ、共に切羽詰まった現実と映画が伴走しているようでした。監督にとって、映画の完成度などはどちらでもよく、むしろその危機感からくる息遣いがスクリーンからあふれ出て、現実が先か映画が先か、竹中労が残した「わたしたちに最後に残る自由は、自由になろうとする自由である」土壇場の現実にまで追い込まれる前に、わたしたちが憲法について、自由について、表現について考えなければならない正念場なのだと教えてくれたように思うのです。
 映画が終わり、監督あいさつがありましたが、あいさつとは思えないミニ講演で、機関銃のようにほとばしる言葉にたじたじとなりながらその言葉を受け止め、結局のところわたしたち自身が危ない現実を変えていくために勇気を持たなければと思いました。
 監督が「若松孝二の弟子だ」と聞いて、わたしはこの監督・井上淳一氏が若松プロの一員で、先日見に行った「止められるか、俺たちを」の脚本を書いた人だと知り、こんなに熱っぽく語るわけも知りました。
 ピンク映画と言われながら、同時代のわたしたちの青春を容赦なく切り刻み、いとおしくすくいあげた若松孝二の数々の映画がよみがえりました。時代に追いこされまいと疾走し、「俺は映画でたたかう」といった若松孝二の言葉が心にしみます。
 映画を見終わった後、「ピースマーケット・のせ」でお世話になっている長野隆さんと森川あやこさんのライブを聴くことができました。
 今回のライブでは、わたしが大好きなボブ・ディランの「時代はかわる」を独自の訳で歌ってくれました。この歌はわたしが高校を卒業してから足繁く通った、大阪の東通り商店街にあった「オウ・ゴウゴウ」という飲み屋兼ライブハウスでいつもかかっていました。
50年も前の曲なのにまったく色あせない歌ですが、長野さんたちの日本語訳でよみがえると、根拠もなく勇気が湧いてきました。

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2019.09.18 Wed 映画「新聞記者」はまだ間に合うかもしれないわたしたちの国の病を食い止める一歩となるか

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 映画「新聞記者」を観ました。
 東京新聞記者・望月衣塑子による「第23回平和・協同ジャーナリスト基金賞」の奨励賞を受賞した同名ベストセラーが原案の映画「新聞記者」は、政権が隠す権力中枢の闇に迫ろうとする女性記者と理想を求め正義を信じるエリート官僚、本来なら対峙するはずの2人が共に国家権力の巨大な闇に踏み入り、隠された真実にたどりつく姿をサスペンスタッチで描いた作品です。
 日本人の父と韓国人の母のもと、アメリカで育った東都新聞社会部の若手女性記者・吉岡エリカは、総理大臣官邸における記者会見でただひとり鋭い質問を繰り返し、官邸への遠慮が蔓延する記者クラブの中で厄介者扱いされ、社内でも異端視されていました。
 そんなある日、東都新聞に医療系大学新設計画に関する極秘情報が匿名でFAXが届きます。吉岡は上司の陣野から大学新設計画に関する調査を任され、真相を突き止めるべく調査に乗り出します。そして、内閣府の神崎という人物にたどり着きます。
 一方、内閣情報調査室の若手官僚の杉原拓海は、政権に不都合なニュースをコントロールする任務に就いていました。ある日、 杉原は尊敬するかつての上司・神崎と再会しますが、神崎はその数日後に自殺します。
 神崎の通夜の場で、神崎の娘に無遠慮にマイクを向ける同業のマスコミに注意した吉岡は、遺族に寄り添う杉原と初めて出会います。
 神崎はなぜ死ななければならなかったのか、「医療系の大学の新設」という名目のもとに隠された真実を求める吉岡と政治の暗部に気付いた杉原、立場の違いを超えて2人は真実を求めて協働し、調査を進めます。
 政府による報道機関への同調圧力や忖度が横行し、マスメディアがバラエテイー化し、報道の存在価値が揺らいでいる今、ジャーナリズムに何ができるのかを自らに問い、社会に問い、わたしたちに問うこの映画は、モリカケ問題や元TBS記者による準強姦疑惑事件など、信じられない国家の暴力が日常化してしまった現実社会の時間軸と並走する2人の人間の葛藤の物語を紡いでいきます。それは近未来のフィクションようでもあり、また現実社会のドキュメンタリーのようでもあります。
 映画は「正義と理想」のもとで巨悪な国家犯罪を暴くという、スカッとするストーリーを用意してくれません。ゴールラインならぬふたりの間の渡れない横断歩道で向き合う2人の間にはハッピーエンドの結末も悲劇的な結末もなく、ただ青ざめた朝の不吉な空気と、もう取り返しのつかないところに来てしまったのかもしれないわたしたちの国の「もうひとつの病」が横たわっているのでした。
 劇中劇として原案者の東京新聞記者・望月衣塑子と、元文部科学省事務次官・前川喜平、新聞労組委員長の南彰、NYタイムズ日本支局長のマーティン・ファクラーが「同調圧力」をテーマに座談会をする映像がテレビ画面に映されています。同名の本とのコラボの意味もあるのでしょうが、その映像をチェックする新聞記者の吉岡たちと内閣府のエリート官僚の杉原たち、ひとつの事実や事件をそれぞれの立場から別々の物語がつくられ、その中に参加できないわたしたちは、力関係や忖度や同調圧力によってできあがる物語を情報として受け取るのですが、その時、吉岡の父が残したという「誰よりも自分を信じ疑え」という言葉が強く迫ってきます。
 吉岡の父はアメリカと日本で活躍したジャーナリストでしたが、政府がらみの不正融資について報じた記事を誤報とされ、責任を追及されて自殺に追い込まれた事実があり、新聞記者になった彼女は今もその真相を調べ続けているのでした。
 そういえば昔、大島渚の映画「新宿泥棒日記」で劇中座談会をするシーンがあったことを記憶しますが、その座談会では映画が現実の時間軸と幸せな関係でつながっていたのに対して、この映画では日本社会の現実をリアルに語り、警鐘を鳴らす座談会が映画の中ではフィクションで、吉岡も杉原もそしてわたしたちもまた映画の中の現実を生きるしかないのでした。そして、映画の中の現実はわたしたちが実生活でリアルな感覚で思っている現実よりはもう少し悪い方向へとわたしたちをいざなっているように感じます。
 スクリーン全体を覆う青く薄暗いこの映画の現実がどこに行くのかは映画は教えてくれず、映画を観終わった後にわたしたちにたくされた、まだひきかえすことができるかもしれない、間に合うかも知れないわたしたち自身が選ぶ現実なのだと思います。
 この映画は、内閣府の杉原の上司が言い放った「この国の民主主義は形だけでいい」という言葉と、吉岡の父が残したという「誰よりも自分を信じ疑え」という2つの言葉をわたしに残してくれました。

 吉岡を演じた韓国の女優、シム・ウンギョンのなんとも言えない強い存在感が映画を支えています。東京新聞記者・望月衣塑子をモデルにしながら、あえて日本人の父と韓国人の母のもと、アメリカで育ったという複雑な生い立ちが、日本社会の同調圧力や忖度への強烈な違和感を持つ吉岡の人物像を見事に生み出していて、プロデューサーと監督と出演女優の一貫した意志が映画を成立させ、勇気を与えたと思います。
 いま、特に中高年の人びとが「韓国を嫌い」と言い、それとちがう感じ方や意見を言えばよってたかって糾弾し、歴史的事実も捻じ曲げたストーリーを簡単に信じてしまう同調圧力に、戦前の「かつて来た道」が見え隠れする不安を持つのはわたしだけではないと思います。そんな中でシム・ウンギョンの「わたしたち、このままでいいんですか?」という問いかけは、映画を越えてわたしに迫ってきました。
 また、最近その演技力と人気が相まって実力派の俳優として数々の映画でひっぱりだこの松坂桃李は、若きエリート官僚としての矜持と理想をもちながら、映画の中で親になる生活者としての普通の感覚を併せ持った演技が光っていました。
 わたしはこの俳優の翳りにいつも驚かされるのですが、ある意味病的で自信のなさ、いつか壊れてしまうのではないかと心配させる不安定な部分が、安っぽい正義のヒーローになりがちな杉原を現実の暗さに押し戻す見事な演技だったと思います。
 あと、橋本亮輔監督の「ハッシュ!」、岸義幸監督の「ああ荒野」などバイプレーヤーとして映画や芝居で存在感を増す高橋和也が杉原の尊敬する元上司・神崎を好演する他、何といっても杉原の直属の上司・内閣参事官を演じた高橋哲司は、国家官僚の実像を思わせる迫真の演技で、国家権力やファシズムが極悪人によるものではなく、ごく普通のひとびとが少しずつ自分の役割を果たすことで権力システムがつくられることを教えてくれました。

映画「新聞記者」公式サイト

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2019.09.05 Thu 国家よりも友だち、国際よりも民際、検閲よりも手をつなぐ勇気を



 「もしわれわれに、フランスのなかまを殺すことが強制されるならば、われわれは断固としてノーといおう。」
ローザ・ルクセンブルク 第一次世界大戦前年1913年9月 兵士たちに呼び掛けて 

 いま、とても心配なのは修復不可能ともささやかれる日韓関係です。
 昨年秋の元徴用工訴訟で韓国の最高裁判所が原告の請求を認める判決を出し、それに対して日本政府は1965年の日韓平和友好条約の中で有償無償合わせて5億円の協力金(賠償に値するお金)を拠出したことで解決済みとし、今回の韓国の行為は国際的にも認められた国と国との約束を破ったと抗議、その撤回を求めています。
 一方で元従軍慰安婦と平和の少女像(従軍慰安婦像)などの問題もある中、日本政府が韓国に対して輸出管理の優遇国“ホワイト国”から除外し、それを受けて韓国が軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄するところまで突き進み、戦後最悪の関係悪化が一気に進んでしまいました。
 日本政府が元徴用工の個人請求権は日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決しているので認められない」とし、「韓国は、国家間の協定や合意を平気で反故(ほご)にする。正常な国際感覚を完全に失った」と断罪するのに対して、韓国政府はそもそも1910年の韓国併合から1945年までの日本統治時代に対する完全な和解と謝罪がなされていないとしています。
 謝罪を求めつづける韓国と「どこまで謝ったら韓国は気が済むのか」という日本との間で、それでも曲がりなりにも関係を修復しようと努力してきた両国政府の財産がこれほど簡単に崩れてしまうことに、政治的暴力の怖さを感じます。
 昨年の平昌オリンピックを機に北朝鮮との対話を進め、そこから一気に米朝会談が実現するプロセスで文政権は南北統一と、韓国、日本、アメリカという戦後の枠組みを見直し、韓国、北朝鮮、そして中国という枠組みの構築に向けて模索を始めたのでしょう。
 そのプロセスの間に、安倍政権は北朝鮮への圧力をアメリカよりも強調しつづけましたが、米朝会談が頭越しに実現したことで北朝鮮へのコンタクトの機会を逸してしまいました。本来ならそこで韓国との信頼関係に基づいて北朝鮮への働きかけをするべきだったと思いますが、安倍政権は中国・北朝鮮に対する軍事包囲網の前線に韓国を位置づけるアメリカの戦略のもと、朝鮮半島の緊張の上に砂上の楼閣を築いてきた戦後体制を見直すことはないようです。

 わたしは戦後すぐの生まれでいわゆる「民主教育」を学び、大人になりましたが、ほんとうに不思議なぐらい日本の「侵略戦争」の歴史は全く知らずに育ちました。
 朝鮮半島のことに限らず、子どもから大人になるまでに学ばなければならなかった大切なことを、わたしは少しずつ信頼する友人たちの肉声の言葉と尊敬できる人々の書物や映画、演劇、音楽に教えてもらいました。
 その中のひとりは、中学校時代の社会科の先生でした。ある日彼はわたしたち生徒に「リンカーンはえらい人だと思いますか?」と尋ねました。わたしは手をあげて「リンカーンは奴隷を解放したからえらい人です」と言いました。歴史学者の井上清の教え子だったその先生は、「それじゃあ今から教科書の勉強ではなく、みんなでディスカッションしましょう」といい、今でいうディベートを始めるのでした。
 わたしは小学生の時に読んだ偉人伝どおりにリンカーンはえらいと思っていましたが、この時どの程度掘り下げられたのかはわかりませんが、アメリカ南部のプランテーションが黒人奴隷に支えられていたことや、北部の資本主義のもとで工業が発達し、奴隷ではなく労働者をもとめていたこと、さらにはイギリス資本からの脱却をめざす北軍にとって奴隷解放が南北戦争の勝利へと導く戦略であったことなどをずっと後に知りました。
 そして、黒人奴隷によってアメリカ南部からアメリカ大陸全土、さらには海を渡り世界中に広がって行ったブルース、ゴスペル、ソウル、ジャズ、レゲエ、白人によるロックンロールなど、大衆音楽のルーツをたどる壮大な音楽の旅が、暗闇と光と大地と海と空を友とし、虐げられた幾多の人びとの自由と人権を求める壮絶な旅でもあったこともまた、何十年もたってから学び、感じることができました。
 もし朝鮮半島の歴史を同じように学んでいたら、韓国・朝鮮・中国のことだけでなく、戦後の日本社会の在り方についてもっと多くのことを学ぶことができたと思います。
欧米諸国からアジアを守り、安全保障と経済発展に資すると正当化された日本の侵略戦争の端緒となった日韓併合、朝鮮半島の植民地化、慰安婦・徴用工の問題、戦後の戦争処理と朝鮮戦争、朝鮮半島の分断を経て取り残された在日韓国・朝鮮のひとびとへの差別と抑圧…、すべてが政治的暴力とともに育てられたアジア諸国に対するわたしたち日本人のリアルな差別感によってさささえられ、増殖されてきた事実があります。
 敗戦を終戦と言い換えたまま今に至る日本の近代を学校で学ばなかったことはわたしたちの国際感覚を大きく歪めてしまいました。
 大人になってその歪みを気づかせてくれたのは在日韓国・朝鮮人の友達でした。生まれてから一度も外国に行ったことがなかったわたしにとって、在日韓国・朝鮮人のともだちと出会わなかったら、日本社会のゆがんだ鏡に映る自分の姿に気づかなかったと思います。
 高校を卒業する前に同級生とみさき公園に遊びに行った帰り道で、K君が「ぼく、韓国人やねん」と打ち明けてくれた時、「そうなん、せやけどそんなことどうでもいいやん」と気にもかけずに話題をかえたわたしは、彼がどれだけ日本社会で差別に苦しんできたのか、それを告げるためにどれだけの勇気を必要としたのか、またそれほどの勇気を持たなければカミングアウトできない日本社会の闇に想いをはせることができませんでした。
 そのことに気づいたのはそれから20年後、わたしが豊能障害者労働センターと出会い、障害のあるひとや在日韓国・朝鮮人、性的マイノリティなどそれぞれ出自がちがい、差別のありようもちがいながらも助け合い、わかり合い、未来と夢を分かち合う勇気を共に耕す友だちとの出会った時でした。
 いままで「同じであること」に汲々とし、「ちがいがあること」におびえてきたわたしでしたが、同じであるために社会がヒステリックで刹那的で暴力的になってしまうことに疑いを持ち、反対におたがいのちがいに気づくことからわたしも社会も過去や歴史を検証し、未来を共にすることができるのだと学んだのでした。
 わたしが今もっとも恐ろしいと感じるのは、韓国との対話を放棄し、強硬な姿勢を強めるほど安倍政権の支持率が上がる現実です。テレビもネットも韓国へのバッシング一色で、少しでも関係改善と対話を呼びかけるひとを寄ってたかって攻撃する…、それを言論の自由というならば、その言論の自由が「表現の不自由展」を中止させてしまう暴力へと変わってしまう笑えない喜劇の中にわたしたちはいるのでしょう。
 正体のはっきりしない漠然とした「みんな」の言う通りに韓国をバッシングし、「表現の不自由展」をバッシングし、次のいけにえを物色するテレビやネットや週刊誌に煽られるわたしたちは、オールラウンドにバラエティー化した社会が与える毒に心とからだを壊されてしまったブロイラーのようです。
 ほんとうにわたしたちの国はどうなってしまったのかと呆然とします。
 一方で森友学園や加計学園の不正や公文書書き換えなど、今までなら政権が何回倒れても不思議でないような理不尽なことを積み重ねても政権は倒れるどころか、反対に政権基盤がさまざまな不祥事を呑み込んで強くなっていくようです。
 わたしたちは「微笑む独裁」のもと、大衆の心に隠れている「小さな権力」が積み重なり増殖し、まわりまわって大衆を支配する恐怖国家の誕生につながる危険な道を決して歩いてはいけないと強く思います。

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