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2020.09.30 Wed 話し合い、分かち合い、助け合い、能勢の未来を共につくりだすために…。

ハガキ1

 10月18日投開票で、能勢町の町長選挙と町議会議員補欠選挙があります。
 その議員補欠選挙に、私たちのグループの難波希美子さんが立候補することになりました。突然なので丁寧に準備する余裕もありませんが、わたしたちには大きな夢があります。
 全国で24番目に消滅する町と指摘された能勢町ですが、その予測は都市集中型の成長至上主義の視点からであって、人口減少がもたらす税収不足を嘆くだけではなく、先人たちが100年も200年も豊かな農地と里山を生業の中で守ってきたからこそ能勢の自然はあり、自然を生かした能勢の未来は決して暗いものではないと確信します。
 コロナ禍の中、テレワークを導入する企業が増え、都会の職場に通勤するよりも自宅で仕事をし、豊かな自然環境で子育てしたいと郊外への移住を考える子育て世代が増えつつあります。大阪市内から1時間の、豊かな自然に抱かれた能勢の暮らしは、移住を考える人にとって大きな魅力であるとわたしたちは考えます。
 ところが能勢町は農地のまま工業用地にできるようにする国の法律改正に乗じて貴重な農地を提供し、企業誘致による税収の確保を求めています。その最初の計画が、棚田100選に選ばれている長谷の棚田の下に広がる一等地の水田の一部5ヘクタールをコンクリートでかため、企業による水耕栽培のスプラウト工場を建設するというものです。
 わたしたちはコロナ禍の元で企業誘致のありかた自体が変わらざるを得ない中、時代に逆行するこの計画に反対です。そして、高齢化と後継者不足に悩む個々の農家の頑張りだけでは農業が成り立たないところにある今、能勢町行政と能勢町民に提案します。
1. 後継者不足に悩む農家への支援
2. 若い就農者のネットワークづくりと農業政策提言の受け入れ
3. 就農をめざす移住希望者への農地のマッチングなどの支援
4. 移住希望者への積極的アプローチと、住宅のあっせんや福祉、教育・保育の充実
5. 地産地消をふくむ農産物の販路拡大、加工食品の開発
6. 環境景観条例の制定、気候危機宣言自治体に
7. 町議会のオンライン中継など、議会改革
 農業を営むひともそうでないひとも能勢町行政も、能勢の自然と農業を守るために共に助け合い、分かち合い、能勢の未来づくりに参加する仕組みをつくりだしたいものです。
 農業や里山林業への支援がなくては能勢のかけがえのない自然を守れないと切実に思う難波希美子さんが能勢町議会に入れば、町議会に風穴を開ける新しい風が吹くでしょう。
 能勢の自然への深い愛と純情な心と行動力を兼ね備えた難波希美子さんを候補者に持つことは、わたしたちの誇りです。そして、どんな打算も忖度もなく、難波希美子さんを議会に送り込みたいと必死に願うわたしたちもまた、とても幸せなのだと実感します。

ホップ・ステップ・のせ
細谷常彦
大阪府豊能郡能勢町149-1 090-9879-9994

難波希美子プロフィール
1961年、大阪市生まれ
公益社団法人大阪自然環境保全協会・里山保全管理・野生鹿調査能勢担当
一般社団法人縮小社会研究会理事
PEACE MARKET・のせ実行委員


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2020.08.27 Thu 「日本中が箕面を見ている。維新の会の「成長を止めるな」か、人権の街・箕面か

 1990年代はじめ、箕面市は「市内の障害者が働くことを拒まれる現実に対して、その行政責任はまず箕面市にあります」と言いました。市町村に労働施策の義務のない時代に、市町村行政が障害者の就労施策をすすめるという、全国に先駆けた画期的な宣言でした。
 当然、国や府からのお金が来ない、市単独の施策として、箕面市独自の障害者就労事業が始まりました。その時代は「教育の豊中、就労の箕面」と言われ、全国から視察が絶えず、箕面市に引っ越してきた障害児の家族も少なからずありました。
 倉田前市長は就任直後、国に対して箕面市独自の障害者就労施策を国の事業に発展させ、普遍化する提言をしましたが実現できず、「このままだと施策を打ち切る」と言ったものの市単独事業としての障害者就労政策は今も継続しています。
 箕面市独自の障害者就労施策はトータルには行政コストが極端に低いのですが、国や府からのフォローのない市単独事業のため、通り一本に予算書を見れば反対に極端に高く映ります。上島新市長が維新の会の「身を切る改革」をかかげ、森を見ず木を見る目先の人気取りに走れば、箕面市の大きな輝きをなくすことになるでしょう。
 かつて北芝地区に国連の教育研究チームが調査したことがきっかけで、被差別部落差別だけでなく、在日韓国朝鮮人をはじめとする外国人市民、女性、そして最近ではLGBTのひとびとなど、生きる困難に押しつぶされそうになる市民こそが担う「あらゆる差別をゆるさない」市民の活動の拠点として今でも若い人たちが集まり、新しい街づくりを進めています。
 箕面市における障害者市民活動もまた、その新しい街づくり一躍をになっていると思います。障害者市民が限られた枠の中でしか生きられない、そんな福祉ではなく、ドラえもんの「どこでもドア」のように市民生活の真ん中で必要なひとが必要な時にドアが開けられ、その向こうにはいとおしい街・箕面のたくさんの市民たちがともに助け合う「福祉の出前」を実現してきた箕面市に、わたしたちはかつて「行政もまた夢を見る」とエールを送ったこともありました。
 ところがここ数年、箕面市は北大阪急行の延伸誘致と、それにともない市立病院、市民会館、阪大箕面キャンパス移転誘致にともなう図書館、生涯学習センターの共同利用など、萱野新都心計画を進めています。そのプロセスで、長年市民との間で切磋琢磨してきた人権の街・箕面はどこにいったのかとため息が出ます。
 この際、批判をおそれずに言えば、「税金を納めているユーザー・消費者だけが市民で、税金を納めず、消費する人は市民ではない」と言わんばかりの維新の会の「身を来る改革」は、子どもたちや福祉サービスを必要とするひと、差別に苦しみ死を選んでしまうかもしれないひとびとから、税金をおさめる機会・権利を奪い、国の財政を負のスパイラルに貶めるということを、近い将来わたしたちは確認することになると思います。
 ともあれ、ほとんど維新の会の政策をなぞるだけのようなマニュアルしか書いてなかった上島新市長が「弱者の視点に立った行政をやっていきたい」という発言が本物なのか、かつて野坂昭如が田中角栄の選挙区に立候補したときの糸井重里がつくったキャッチフレーズ「日本中が新潟を見ている」にならって、「日本中が箕面を見ている」と、エールを送りたいと思います。もっともわたしは実は「弱者」という言葉が昔から好きでなくて、「弱者」とかたづけられる市民のくやしさ、悲しさを箕面で出会った障害者市民に教えられたのでした。

Bob Marley & The Wailers - No Woman, No Cry (Live At The Rainbow 4th June 1977)
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2020.08.24 Mon いちばん頑張ったのは箕面市民でした。箕面の市長選挙と市議会議員選挙。



 8月23日、箕面市長・市議会議員選挙の投開票が行われ、中西とも子さん、ますだ京子さん、神田たかおさん、名手ひろきさん、村川まみさんの、「箕面窮民ネットワーク」(私の造語です)5人が当選し、危なげな箕面の未来にかすかな光明を見ることができました。
 ご存じのように、大阪維新の会の圧倒的な勢いが市内を席巻する中で、5人とも苦しい選挙戦でしたでしょうが、声を届けるべきところ、希望を共に耕すところにしっかりと想いを届けるたたたかいとなりました。
 また、箕面市長選では、2度目の挑戦となった住谷のぼるさんが、維新の会の上島一彦さんの41180票という圧倒的な得票数に対して、たしかに前回よりも1000票少なく8468票という結果に終わりましたが、今回の異様な維新の会の勢いからして、決して負け惜しみではなく健闘されたと思います。
 告示前の箕面は維新の会の上島さんの街宣車が走り回り、「維新の会の代表代行の吉村です。わたしたちは箕面市長候補に上島一彦さんを立てることになりました」という旨の録音テープを流し続けていました。
今回のコロナ対策で本人のテレビ出演はもとより、関西のテレビ局が一斉に吉村さんをほめたたえる異様な状態が続きました。実際のところは、もたもたする国の対策を先取りしただけだったり、多少リスクを背負っても独自の対策として(どれだけたっても赤信号にはならない)大阪モデルやイソジン発言など、マスコミ受けしやすいパフォーマンスで安倍政権への不満を逆手にとった人気取りとしか思えませんし、最近はまた失言が目立ってきたにも関わらず、「いずれは首相に」という声があるほど相変わらずの人気を誇っています。 
 維新の会の政治戦略は巧みで、経団連など大企業に傾いた自民党を見放した中小企業や零細企業、個人事業主など、事業意欲がありながら「報われない」と感じている人たちを取り込み、維新の会をよりどころとする「報われる」経済圏を広げていき、選挙の時は層の厚い支援者が何かに取りつかれたように活動しているように思います。
 それにかぶさるように吉村さんへの異様な人気と、次は都構想と手を緩めず突き進む維新の会への雪崩現象は、トップから6位まで維新の会の候補者で占める結果をもたらしました。予想できたこととはいえ、市長選挙で上島さんが4万票を越えて当選したことと合わせて、維新の会の議員さんも市長さんも冷静な議会運営、行政運営ができるのかとても心配です。維新の会としても「勝ちすぎた」弊害を危惧するところがあるかも知れません(いや、あってほしいと思います)。
 上島市長の公約を見ると、北大阪急行の延伸と、それに伴い萱野地区に市立病院と文化会館、阪大の誘致、大規模な開発と水道行政の広域化など、維新の会の大阪都構想と連動するような政策がならび、20世紀型の経済成長幻想を募らせるものが並んでいます。
 そこではかつて箕面市がけん引してきたものでもあった、必要とするひとにしっかり届く社会保障や福祉サービス、あらゆる差別をゆるさない人権施策がどうなるのだろうと不安になります。

 「成長第一」と「身を切る改革」を錦の御旗に開発優先と民営化へ突き進む維新政治にNOを突きつけ、開発業者が喜ぶ町ではなく、コロナ禍のもとで困難な生活を強いられている市民に寄り添い、子どもも大人も安心して暮らせる町、誰ひとり取り残されることのない箕面市を一緒につくろうと呼びかける5人の候補者と彼女彼らと行動を共にするたくさんのボランティア市民が酷暑の中箕面中を駆け巡る様子はいとおしく、たのもしいものでした。選挙はたしかに声高に訴えなければ市民に届かないこともまた現実ですが、それでもなお辻々に立ち、語りつづけた無数の言葉を閉め切った窓の向こう側でひそやかに聞き入る人たちが少なからずいることを信じて…。
その結果、中西とも子さん、ますだ京子さん、神田たかおさん、名手ひろきさん、村川まみさんはたしかな信認を得て当選したのでした。
 まさしく、以前に書きましたが、フレディマーキュリーが「We Are The Champions」で歌ったように、「わたしたちは勝ちたいのではない、負けることができないのだ」、箕面の町を市民にとりもどすために。
そして、箕面市民がいちばん頑張りました。維新の会が圧倒的な票数で6議席を獲得し、維新の会の市長が誕生したのも現実なら、中西とも子さん、ますだ京子さんと共産党の神田たかおさん、名手ひろきさん、村川まみさんを箕面市民が市議会に送り込んだのもまた現実です。
 今回、それを可能にしたのは維新の突風に立ち向かって市長選をたたかった住谷のぼるさんだと思います。組織に頼らない市民派の2人の候補の矜持を認めながらエールを送り、演説会にも招待した共産党の柔軟さと、「誰一人置き去りにせず、明日に希望が持てる街」を願う住谷のぼるさんの箕面を愛する想いが、多様なひとびとを包み込み、わたしの言う「箕面窮民ネットワーク」という市民共闘を生み出したのだと思うのです。
 もちろん、よくも悪くも共産党ほど政党らしい政党はなく、綱領と中央の決定が優先されるのは承知していますが、共産党がさらにもう一段のしなやかさを持って、地域地域で広い範囲の市民や政党と手をつなぎ、共に考え共に行動してくれたらと思います。
 今回の選挙で、少なくとも箕面においては共産党の柔軟さが表れていて、大阪モデルならぬ「箕面モデル」として、今後は議会活動などでより一層の協働を期待できるのではないかと思いました。実際、維新政治と対置するためには「恩讐の彼方に」を教訓にいろいろな考えやいろいろな想い、いろいろな人々が助け合わなければと強く思います。

 みなさん、ほんとうにごくろうさまでした。お疲れが出ませんように体に気つけていただきますように。

Jacks - Love Generation

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2020.08.21 Fri 孤独と寂しさ、切なさに届く「動く伝言板」、「福祉の出前」 箕面の暑い選挙もあと一日

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 暑い日々が続く中、箕面の市議会議員選挙と市長選をたたかっている友人たちに申し訳ないと思いながら、能勢町の日常生活を過ごしています。
 去年の夏ごろから地域の子どもたちの通学路に立ち、見守り隊の活動をしています。小さな町の小さな地域なので、20人ぐらいしかいないのですが、元気のいい子、しんどそうな子、愛想のいい子、悪い子と、ほんとうにさまざまな子どもたちが急な坂を降りていく、その後ろ姿がいとおしくなるのは歳のせいなんでしょうか。
 こんな風に何年も子どもたちの後ろ姿が遠ざかっていく光景を、その時々の大人たちは見てきたのだと思います。やがて大人になり、この町を出ていった彼女彼らがどんな人生を生きているのかと思うと、いまこの子たちにどんな未来を用意できるのかはわたしたち大人にかかっているのだと強く感じます。
 大阪維新の会がすすめてきた大阪の教育行政は、教育長を首長が任命するなど、戦前の軍事教育の反省から教育を行政から独立させてきた努力をあっさりとこわし、行政による教育への介入を当然としてきました。そして、人々の公務員と教職員への妬みを利用し、新自由主義の進展と歩調を合わせた教職員の人数削減、学校の統廃合など「教育コストの見直し」を進めたことを自らの成果としています。
 そして、教育を「国際競争力に勝つ優秀な人材育成」の道具ととらえ、いわば企業の社員教育と変わらない論理で教育の成果を教員と保護者、子どもたちに押し付けてきました。
 学校を社会や産業にとって優秀な人材をつくる工場とみなし、教師をあたかも従業員とするような「教育改革」はこどもたちを傷つけるだけだとわたしは思います。
 子どもたちが友だちと出会い、どれだけちがった個性と共に生きることができるかを学び合う場としての学校が牢獄と化し、どれだけの子どもたちが学校に行くことを恐怖ととらえているかを、そして一年に2万人のひとが自殺する中に子どもたちも少なからずいることを、わたしたち大人は知らなければならないと思うのです。
 効率が悪いかもしれないけれど、テストではかるような成果がないかも知れないけれど、何十年たった後に、学校で学んだことが自殺を思いとどまらせたり、人生を変えることがあるような、そんな学校であってほしいと思います。
 頻繁に発生する自然災害につづき、今回のコロナショックにより、半世紀以上も席巻してきた新自由主義のもろさを目の当たりにして、より早くとひた走り続けてきた20世紀の町づくりから、よりゆっくり、誰もが安心して暮らせる心豊かな町づくりのありようを模索しはじめた世界の人々と、わたしたちはつながっていると感じます。
 小中学校の全学年を少人数学級にすることや、公的医療と保健所の再建、そして大学卒業から多額の借金の返済に追われる理不尽をなくすことが、ほんとうの意味の「新しい社会」への第一歩だと思うのです。
  「大阪の成長を止めるな」と、成長神話と幸福幻想をばらまき、一方で自己責任のもとで必要な公的サービスを削減してきた維新の政治は、東京集中の政治経済に対する大阪人の反発と妬みをたくみに利用した「悪者探し」に人々を巻き込み、「大阪を元気にしたい」という中小企業や零細企業、個人事業主を担い手として、橋下氏のカリスマ性に頼らず大阪府全域にネットワークをはり巡らせ、今回の箕面市長選挙をかちとれば残るは大阪の孤島と言われたわが能勢町に最後の一手を打つところまでになってしまいました。
 そして、化けの皮がはがれてきたアベノミクスに代わる大阪モデルを「新しい成長の矢」とする新自由主義の先鋒として、再度本格的に国政に躍り出て自民党と、なさぬ仲の公明党と手を結ぶ翼賛体制へと突きすすみ、日本社会を危ないところへと追い込むのではないかと危惧しています。そうなれば次の時代を担う子どもたちにとてつもなく大きく悲惨な負債を背負わせることになります。
 それにあらがえる唯一の方法は、誰ひとり傷つかない、傷つけない、だれひとり取り残されることのない箕面の町を願い、路石の下でうごめくせつない思いを受け止め、小さな声を拾い集めて訴える「動く伝言板」として、中西とも子さん、ますだ京子さん、日本共産党の神田たかおさん、名手ひろきさん、村川まみさんの議員候補、そして、「市民の市民による市民のための箕面」を願い、熾烈なたたかいをつづける住谷のぼるさんと、コロナショック後の新しい箕面の町をわたしたち市民が作り出す以外にないと思うのです。
 維新の会のひとびとも憑りつかれてしまった「成長」という呪縛から解き放たれ、格好悪くてもいい、埃だらけの希望を捨てないで、後1日となった箕面の夏を駆け抜けていってくれることを願うばかりです。

 最後に、まじめに選挙を必死でたたかっている方々に叱られることを承知で、1984年の選挙の時だったと思うのですが、笑えない喜劇のようなエピソードを思い出します。
 1982年に設立した豊能障害者労働センターは2人の脳性まひの障害者スタッフをふくむ5人で、桜井駅裏の路地深くの当時築30年の民家で活動を始めました。それから2年後には脳性まひの青年と、箕面市立旧あかつき園から2人の知的障害といわれるスタッフが加わりました。そのうちのひとり、Yさんは労働センターが彼女に適した仕事を用意できずに、畳のすり切れた事務所らしきところでごろごろしていました。
 選挙がはじまり、路地の向こうの表通りから街宣車の音が聞こえると、彼女はガバッと起き、そそくさと真っ赤な口紅を塗りはじめました。次の瞬間信じられないスピードで表通りに駆け出し、「頑張って」と街宣車に手を振ります。そのあまりにも熱烈な応援に街宣車も「応援ありがとうございます」と運動員が思わず握手を交わし、街宣車が遠ざかるまで、彼女は手を振り続けます。そしてまた横になっていると別の候補者の街宣車がやってきて、彼女はまた表通りの街宣車の運動員と握手を交わし、「頑張って」と手を振り続けるのでした。次から次へとやってくる各候補に応援し続ける彼女はとてもはつらつとしていて、とても元気で充実した1週間を過ごしたのでした。
 わたしは大きな音量でやってくる街宣車に正直のところうんざりしていたのですが、彼女の行動を目の当たりにして、彼女が長い間指導される対象でしかなく、ひとりの女性として誰かに声かけられることがなかったのだと知りました。ほんとうに各候補者の方々には申し分けなかったのですが、どなたでもよかったのです。だれかに頼まれる、あてにされているという初めての経験に酔いしれている彼女がいました。
 わたしたちはこの経験から彼女がお店に向いていると考え、たこ焼きと衣料品のお店「ふだんぎや」を開きました。労働センターの最初のお店でした。その後の彼女は、おそらく膨れ上がる夢と希望に労働センターが追い付かなくなり、去っていきました。とても大きな宿題を残して…。
 わたしがこのエピソードを書いたのは、SNSなどコミュニケーションツールが増殖しても、あの時の彼女の孤独、誰一人自分を必要とするひとがいない寂しさ、誰かに話しかけてほしいというせつなさは、今後デジタル化が進めば進むほど、年代を問わず増え続けると思うからです。
 そしてまた、その孤独と向き合い、寂しさとせつなさに届くものがあるとしたら、高度成長の夢を追い続ける人たちではなく、中西とも子さんたちの「動く伝言板」や「福祉の出前」、里山のおしゃべりに耳を傾けるひとたち、そして、誰ひとり取り残さない街を本気でつくろうとする住谷のぼるさんたちの他に誰がいるのでしょう。
 すでに期日前投票を済まされた方もいらっしゃると思いますが、今度の日曜日、投票用紙の小さな紙きれに、あなたとこの街の未来を描きませんか?

忌野清志郎「IMAGINE」

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2020.08.15 Sat この夏、特別な想いを持って疾走する中西とも子さん、だれひとり傷つくことのない街・箕面をめざして…。

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それはすべての人類に対する
きびしい挑戦といった方がいい
だから、決して負けるわけには行かないのだ
ぼくたちは頑張り続けなければならない
ぼくたちはチャンピオン 愛しき友よ
ぼくたちはたたかいつづける 最後まで
フレディ・マーキュリー(クイーン)「ウィ アー ザ チャンピオンズ」

 1991年11月24日夜、フレディ・マーキュリーは、エイズによる免疫不全に伴う気管支肺炎でこの世を去りました。45歳でした。
1992年4月20日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムに72000人が集まった追悼コンサートの最後に全員が歌ったこの歌は、今でもわたしの応援歌です。
 せみたちの鳴き声が夏を歌い、夏をうばっていったあの夏、フレデイ・マーキュリーの歌はわたしの足元でこの世を去った友人たちからの、いっしょうけんめいのラブソングでもありました。

何年も、時には10年以上も大地に抱かれ
ひと夏に新しいいのちを生むと死んでいく
わたしたちがうまれるずっと前から、せみは
さけぶことでいのちをつないできたのだと思います。
それを愛と呼んでもいいと思うのです。
無数の夏と無数の大地と無数の愛と…
死んでいった者たちが届けてくれる
いっしょうけんめいの、ラブソング
夢をみるまえに夢をつくらなければならなかった
市民であるまえに市民にならなければならなかった
だから夢がいとおしい
だからずっとこの街が好き
野に咲く花のいっしょうけんめいを友情に

この夏、特別な想いを持って疾走する中西とも子さん、夢見る街・みのお、だれひとり傷つくことのない助け合いの街・箕面をめざして…。

Queen - We Are The Champions (Official Live Video)

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