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2020.09.22 Tue 歴史がもう一度歩みを始める瞬間に立ち会っているかのように。田島隆と池田安友子の「二人でうち合わせ」・桜の庄兵衛ギャラリー

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 ひとは長い歴史の途上で、いつ音楽を発見し、発明したのでしょうか。
 その起源についてさまざまな説があるものの確実な確証がないまま、音楽はわたしたちの暮らしになくてはならないものになっていきました。
 最近のコロナ禍のさ中、もっともその活動が困難なジャンルの一つとして音楽活動があります。人はパンのみで生きられないと知ってしまったわたしたち人間にとって、自由と隣り合わせにある音楽がどれだけかけがえのないものであるかを思い知ったこの世界的・歴史的な大惨事は、後世のひとびとに代々語り継がれることになるでしょう。
 9月20日、桜の庄兵衛ギャラリーで開かれた田島隆のタンバリンと池田安友子のパーカッションは、たとえば世界中の大地ががれきに埋め尽くされてしまった後、歴史がもう一度歩みを始める瞬間に立ち会っているかのように、静かに、とても静かに始まりました。
 「はじめに言葉ありき」になぞらえて言うならば、「はじめに沈黙あり」といえばいいでしょうか。言葉による音楽ではなく、田島隆が世界のいろいろなタンバリンをたたき、こすり、ゆすり、はじくと、このひとの指はどうなっているのかとびっくりしてしまう超高度な指さばきからこぼれ、湧き上がる音たちが長い眠りから覚めた沈黙の空間を繊細に震わせます。そこに池田安友子のコンボやジャンベや法輪などから生まれたいとおしい音たちがまるで待ち合わせしていたかのようにタンバリンの音たちと出会い、楽しくおしゃべりするのでした。
 それは愛の歌を朗々と歌い上げるよりも深く、言葉では決して届かない恋する者たちのコミュニケーションへの渇望が、壊れてしまった世界をもう一度つくりだそうとするようなのです。
 わたしたちは子どもの頃、親からも学校の先生からもまわりのおとなちたちからも、大きな声でさわいではだめ、静かにしなさいとか、物音を立ててはいけないとか言われてきましたが、二人の演奏を聴いていて、物音を立ててもいいんだと教えられたような気がします。二人の演奏は音楽のルーツを旅しながら、こんな音出そうかなとか、この楽器はこんな音が出るんだとか、まわりすべての物音は生きる喜びに満ち溢れていて、世界中のそんなプリミティブな音楽を発見することこそが、武器を持つことでは決してかなえられない平和への道につながるのだと実感したのでした。

 以前に一度、桜の庄兵衛ギャラリーでピアノ・宮川真由美、アコーディオン・佐藤芳明とトリオで演奏した田島隆のタンバリンを聴いた時もびっくりしたのですが、今回の池田安友子との夫婦共演による打楽器同士の演奏は、バイオリン、ギター、ピアノなどの楽器と共同でつくりあげる音楽とは別次元の、余分なぜい肉をそぎ落としたシンプルで緊張感にあふれたものでした。
 ずっと以前に、NHK・Eテレ「スコラ・坂本龍一 音楽の学校 アフリカ音楽」を観ていて、人類誕生の地ともいわれるアフリカで音楽も誕生したのではないかという仮説が真実かも知れないと思いました。
 広大なアフリカ大陸のかけ離れた集落で、さまざまな民族の宗教行事などで歌われ、奏でられた歌や音楽が共通のリズムを持っていて、それをポリリズム(複数のリズム)と呼ぶそうです。統一したリズムを五線譜にとじこめていく音楽ではなく、同じリズムを遅らせて重ねたり、ちがうリズムを同時に刻みながら高めていくような、ある種の祝祭性を持っていて、それは奴隷貿易によって南北アメリカにも伝播していったようです。
 人間が誰かに何かを伝えようとしたとき、あるいは「わたしはここにいる」と他者に伝えようとする時、例えば最初は人骨や動物の骨を叩いたり穴をあけて笛にしたり、森や山や大地や川と、鳥や風がかなでる地球の音楽を発見したのだとしたら、叩いたりはじいたりする行為で人間の心臓の鼓動を真似たとされる打楽器を発明したことは音楽そのものを発見したこととつながっているのだと思います。
 そして、タンバリンなど世界の打楽器の打面や三味線などに、猫や蛇やヤギや牛など、さまざまな動物の皮をはいで使われていることは、ある種の音楽が人も含むいきものたちの生死と深くむすびついていたり、祝祭や儀式や祈りから音楽が誕生したことを教えてくれます。だからこそ人は切実に愛と希望と夢に満ち溢れた、生きるための音楽を発明したのだと思います。
 音を出す楽しさとともに緊張の糸がはりめぐらされた桜の庄兵衛ギャラリーに身を置きながら、わたしはなぜかずっと以前にNHKで放送された初代高橋竹山のドキュメンタリーを思い出していました。「三味線はけもののいのちをいただいてできたものだから」と、いのちある三味線とふたりで何十年ものあいだ彷徨をつづけた高橋竹山もまた、生と死を大きくつつむ広大な音楽の荒野を旅したのだと思いました。
 二人の演奏は、そんな音楽のルーツや成り立ちをたどり、人間の殺伐とした争いと支配と征服の血塗られた歴史の地下深く、幾億ものひとびとが時も場所も違っていても、たったひとつの願い…、幸せでありたい、自由でありたいと願い、ここよりほかのもうひとつの場所、そこでは生と死、現実と想像、過去と未来、伝達可能なものと不可能なもの、高い所と低い所、そうしたものがもはや互いに矛盾したものとしては知覚されなくなるような、精神のある一つの点(アンドレ・ブルトン)へとたどり着き立ち戻る旅に、わたしたちをいざなうのでした。

 この日はわたしに音楽を教えてくれた豊能障害者労働センターの石原さんと行ったのですが、わたしよりも30歳も若い彼をライブなどに誘っていく時は、彼がどう感じるのかなとか、楽しんでくれているのかなとか心配してしまうのですが、コンサートが終わった後、普段は決してしないアンケート用紙に何か書くほど喜んでくれたことをうれしく思いました。
 そのあと、酒を飲みながら、「こんなひとたちがいたんやね。災害を呼び起こすような演奏はやめてほしいわ」と、仕事のかたわら自然災害による被災障害者救援活動を続ける彼なりの変化球で最高の褒めことばを語ってくれました。
 こんな素敵な時間と場所を用意してくれた、桜の庄兵衛さんに感謝します。

 二人で打ち合わせ 池田安友子,パーカッション 田島隆,タンバリン

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2020.09.05 Sat 「上を向いて歩こう」は世界のどこの地域のどこのひとびとにも届く夢と希望と自由と愛への渇望としてのジャズ

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 朝のニュース番組で、9月1日、韓国の超人気グループ「BTS(防弾少年団)」が「ビルボード1位」の快挙を成し遂げたと報道されました。アジアの音楽シーンとしては、日本の坂本九が1963年、名曲「上を向いて歩こう」の英語タイトル「SUKIYAKI」でビルボード1位になって以来の快挙で、韓国のエンターテインメントが日本はもちろんのこと世界の音楽シーンを席巻する象徴的な出来事だと思います。
 しかしながら、それにもまして1963年から57年間、日本をはじめとするアジアの音楽シーンが目覚ましい進化を遂げてきたにもかかわらず、「上を向いて歩こう」に並び立つことがなかったこともまた特筆すべきことだと思います。

 1961年に発表された永六輔作詞・中村八大作曲による「上を向いて歩こう」は、NHKの伝説的な番組「夢で逢いましょう」で放映されると爆発的なヒットになりましたが、当時不良の音楽とされたロカビリー出身の坂本九の独特の歌い方から、当時の日本の保守的な歌謡界での評価は高くなかったそうです。
 ところがこの歌は海を渡り、最初はイギリスで「SUKIYAKI」というタイトルのインストルメンタルとしてヒットします。アメリカでは、あるラジオ番組でこの曲を流したDJのもとにスナーの高校生から坂本九の原盤が贈られ、「SUKIYAKI」というタイトルで紹介すると、ティーンエイジャーから一気に火がついて大ヒットになったそうです。
 いまのように用意周到に仕組まれ、ドラマの主題歌にしてもらうために2、3百万円のお金がいるという話もあるぐらい、楽曲も歌手もすべてがぎちぎちにプロデュースされてしまう今とはちがい、まだ巷に流れるひとつの歌が一気に海を渡り、世界的なヒット曲になる夢にあふれた時代がたしかにあったのです。
 「上を向いて歩こう」が阪神淡路大震災、東日本大震災と大きな災害が起きるたびに誰からともなく、どこからともなく歌いつがれるのは、何よりも稀有のピアニストで作曲家・中村八大のジャズテイスト、世界のどこの地域のどこのひとびとにも届く夢と希望と自由と愛への渇望としてのジャズがあるからだと思います。そのメッセンジャーとして、坂本九は恐らく日本ではじめてジャズやリズム&ブルースやロックを日本語で世界に届けたボーカリストだったことをあらためて知りました。
 1963年当時のアメリカ人にとって戦争で敵対した日本人が謎めいた民族ではなく、自分達と同じく美しく繊細な感情を表現できる人達と気付かせてくれた曲と評されたこの歌は、憲法9条とともに日本の戦後民主主義を曲がりなりにも世界に発信した最初で最後の楽曲だったのかもしれません。

 1961年、わたしは中学2年生でした。中古テレビの灰色のブラウン管の中で、坂本九が「上を向いて歩こう」を歌っていました。60年安保闘争の嵐の忘れ物のようなつむじ風が路地を走り抜け、貧困と欲望と希望と後悔が渦巻き、時代は墜落しそうになりながら重たい翼を明日に向かって必死に持ち上げていました。母と兄とわたしの3人は、雨露をしのぐだけのバラックで身を寄せて暮らしていました。わたしと兄を育てるために朝六時から深夜1時まで一膳飯屋を女ひとりで切り盛りし、必死に働いていた母のせつなさと反比例するように、そして日本全体がそうであったように、わたしたちは圧倒的に貧乏でした。そしてわたしはといえば、この暮らしから脱出することを夢見ていました。
 「上を向いて歩こう」は単なる流行り歌という以上にどもりの少年にすぐそこまで来ている青春の甘い夢と根拠のない野心を駆り立て、「ここよりほかのもう一つの場所」へと心を急がせました。隣近所から街中が、日本全体が「戦後」から離陸しようともがいていた1961年、雑音だらけのラジオと、画面がゆれては時々真っ黒になるテレビから聴こえてきたその歌は、摂津市千里丘の暗い路地から見上げた空の青さを希望に変えてくれたのでした。
上を向いて歩こう なみだがこぼれないように
なきながら歩くひとりぼっちの夜…。

 1995年の阪神淡路大震災をきっかけに永六輔さんの話を間近に聞く機会に恵まれ、「あの歌は明るい歌なんかじゃない。60年安保の挫折感から作った歌なんだ」と聴かされ、永さんの挫折感が戦後日本社会の挫折感とつながり、世界の音楽シーンを席巻したこの歌には切ない感情とささやかな希望が込められていることを知りました。
 永さんは、大災害の時にこの歌がまた歌われることに少し違和感を感じておられたようですが、一方で理不尽にも悲しみに打ちひしがれる時にこそ多くのひとに生きる勇気を届けられる歌として、「上を向いて歩こう」が世界のひとびとの心に深く広く届けられてきたのだと思います。

 そして今年、コロナ禍のなかで「上を向いて歩こう」がオンライン発信で制作されています。実はわたしは、今回に限っては「ステイホーム」と自粛を呼びかけることに使われてしまう歌の怖さを感じるのです。わたしたちの心のファシズムは監視や強制、拷問によらず、微笑みながらそっとささやくようにやってきます。
 底抜けに心やさしい永さんでしたが、政治的な問題よりも大衆芸能の中に潜む体制翼賛的な権力、権威に対して最後まで鋭く糾弾しつづけた人でした。
 今回は演歌・歌謡曲の歌手が一堂に揃った動画も公開され、島津亜矢も参加しています。以前から国内外のさまざまなカバーの中で、欧米のアーティストはもとより、日本でもポップスやブルーズ、リズム&ブルースの歌手は中村八大のメロディーラインとリズムがその人なりの表現で歌われているのですが、なぜか演歌・歌謡曲の歌手のカバーにはほとんど中村八大の音楽的野心を読み取れず、世界のスタンダードとしての匂いを感じることができません。それはきっと歌い手さんのせいではなく、その時代からずっと続く歌謡曲の古い体質のせいだとわたしは思います。
 残念ながら島津亜矢もその鎧を脱ぎ捨てるところまでは至っていないと思われますが、かろうじてこの動画の中でやや異質に感じるのは、これからの島津亜矢のブルーズやジャズとの深い出会いを暗示するもののように思います。ちなみに、演奏は歌謡曲のアレンジのままなのに、美空ひばりだけは世界に通じるジャズのような歌になっています。
 島津亜矢のためにつくられた今回のオリジナル曲「君と見てるから」は、その意味でも彼女を安易なJポップではなく、本格的なジャズやブルーズのボーカリストに進化させる可能性を秘めていて、今井了介との出会いがしらのちょっとした違和感とおそるおそるの歌唱から、やがて大きくはばたくことになるとわたしは思います。

上を向いて歩こう - 'Sukiyaki' - Kyu Sakamoto (坂本 九) 1961.avi
作詞した永さんですら「なんだその歌い方は。絶対にヒットしない」と言ったこの歌が坂本九の独特の歌い方で世界的ヒットにつながりました。
上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト
忌野清志郎が「日本の有名なロックンロール」とリスペクトをこめてこの歌を紹介して歌いだすと、わたしはなぜか涙が出てきます。
上を向いて歩こう / 美空ひばり
美空ひばりはこの曲をジャズとして歌っていると思います。演奏はもちろんスタンダードジャズそのものです。
上を向いて歩こう / 近藤房之助
これはまた素晴らしいブルーズで、わたしは箕面に小島良喜のゲストとして来ていただいた時、この歌をリクエストしたところ、「了解です。僕の歌い方は永六輔さんから許しを得ています」と言われたことを覚えています。
上を向いて歩こう /宇多田光 Utada Hikaru
これはまたびっくりでした。「SUKIYAKI」の英語版歌詞で歌っていると思うのですが、ブレイクしてすぐの10代で、リズム&ブルスがアメリカ在住の彼女の身体的文化になっているのでしょう。
上を向いて歩こう /SEKAI NO OWARI
これもまた不思議で、もっとも伝統的な歌謡曲として歌っているのに、なぜか深瀬くんの透明な声が宮沢賢治の「やまなし」の世界から聞こえてくるようで、永さんと八大さんの世界観とかさなって聞こえるのです。
上を向いて歩こう /島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル
島津亜矢の進化がはっきりわかる歌唱だと思います。彼女のこの歌のお手本が昔ながらの歌謡曲にあるのはやむをえないと思います。しかし、そこから出発してどちらかと言えばブルースではなく、ジャズになっていると思います。彼女がこの分野で大きく化けることを夢見ています。

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2020.08.31 Mon 同時代の予言と予感に満ちた希望の歌 島津亜矢の「君と見てるから」

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 楽しみにしていた9月28日の京都の島津亜矢コンサートも中止になってしまいました。
 彼女の場合、全国津々浦々のコンサートを長年地道に開くことで固定ファンが生まれ育ち、支えられて今年35周年を迎えたわけで、コンサートができないというのは経済的な問題もさることながら、彼女のコンサートを待ちわびる各地のファンに歌を届けられない切なさがいかほどのものか、思いはかるすべもありせん。
 またテレビの音楽番組も3密をさけるため再開できず、しばらくは過去の記録資産を活用するしか仕方がない状態が続きましたが、最近やっとコロナウイルス感染予防対策を施し、無観客で放映できるようになりました。
 しかしながら当然のこととしてひとつの番組で出演者数に限りがあるため、島津亜矢の出演機会もおのずと少なくなるのはやむをえないことでしょう。コンサートがない上に音楽番組への出演も限られ、また彼女の場合、ポップスの歌唱も望まれるとなれば、35周年記念曲「眦」(まなじり)のプロモーションもおぼつかない状況が続いています。
 そのような状況から、島津亜矢自身が開いたYouTubeチャンネル「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」は、コンサートが開けない島津亜矢にとって、彼女のファンとの絆を深めながら、最近のポップスの歌唱で興味を持ったひとにパフォーマンスを提供できる新しいメデイアになりました。
 わたしは当初それだけのものではなく、島津亜矢が新しい楽曲の発表やカバーを含む楽曲への新しいアプローチなど、ステージや音楽番組では挑戦できない冒険を試みる場としての可能性を夢見ていたのですが、まだ、わたしが当初期待したほどには刺激的なものにはなっていません。それはやむをえないことで、これだけ今までの表現手段が閉ざされ、それがどれだけ続くかわからない状況では、YouTubeチャンネルがファンのよりどころとして重要な位置を占めることになり、そうなれば新しい冒険よりもまずはファンの渇望を満たせるような彼女の定番曲にウェイトが置かれることにならざるを得ないのでしょう。
 当然、ジャンルとしては演歌・歌謡曲が中心にならざるを得ませんが、幸か不幸かそのおかげで、デビュー曲の「袴を抱いた渡り鳥」や「出世坂」、「大器晩成」、「海鳴りの詩」、「感謝状~母へのメッセージ~」、「帰らんちゃよか」など、若いころから何度も歌ってきたこれらの歌に今、島津亜矢の歌心はどんな物語を感じ、どんな物語を綴るのか、その進化が過去の映像の記録と照らし合わせることができます。
 また、「歌路遙かに」や「想い出よありがとう」などの隠れた名曲や「月がとっても青いから」、「桜」、「アイノカタチ」、「糸」、「木蘭の涙」などの定番のカバー曲、さらにはCDに収録されたものの、コンサートでは歌われないままの楽曲を再発掘し、聴くことができる喜びもあり、ファンにはたまらないサプライズを提供できる場になっていると思います。

 ファンの方々には叱られそうですがわたしは最近、彼女のポップス歌唱が大きな反響を呼ぶ中、そのことだけが取りざたされることにやや満たされないものを感じています。
 若かりし頃、彼女の演歌の歌唱に多くの方が度肝を抜かれたように、最近のポップスでもその歌唱力に衝撃と共に高い評価が与えられています。しかしながら、ポップスの領域は奥深く、実は演歌よりもはるかに長い歴史があり、楽曲の数もさることながらそれらの無数の楽曲と格闘し、歌ってきた数々の歌手たちが今も燦然と輝いています。
 島津亜矢のボーカリストとしての才能が底知れないことはわかった上で、オリジナル曲がほとんどない現状では選曲の段階で予定調和的な名曲になってしまい、カラオケ文化が要求する高音で歌いあげる高揚感と自己陶酔を求められる中、わたしが一番期待している美空ひばりに通じるソウルやブルーズになかなかたどり着かないジレンマがあります。ないものねだりのわがままファンの独り言ですが、演歌で培ったソウルの魂はカラオケ文化に凌駕されたJポップでは発揮されず、出口が見つからないように思います。
 また最近の人気演歌歌手によるポップス歌唱が、ポップスのボーカリストとして島津亜矢が地道に鍛錬し、独自の音楽性を獲得しようとしてきた努力を見えなくさせ、またぞろ「演歌歌手のポップス歌唱」へと世間の評価が逆戻りする印象があり、とても残念です。

 そんなときに、とても刺激的な楽曲が彼女にもたらされました。今井了介作詞作曲「君と見てるから」です。この楽曲はNHKラジオ第1「ラジオ深夜便」(月~日曜午後11時5分)の6~7月の曲として制作されたもので、安室奈美恵の「HERO」やLittle Glee Monster「ECHO」などで知られるヒットメーカーの今井了介氏が書き下ろしたものです。
 島津亜矢は「直接お目にかかったのはレコーディングの当日となってしまいましたが、今井さんの熱量が伝わり、この歌に大きな可能性を感じました。コロナ禍の状況だからこそ、求められる“歌”がある。深夜のラジオを通して、お聴きいただく“君”に何かを届けたい。そんな思いを共有させていただき、吹き込みに臨みました」とコメントしています。また、今井了介も自身のツイツターで「なんと、島津亜矢さんの楽曲を書かせて頂きました! 演歌では無いのですが、島津さんの『歌ヂカラ』というものを強く感じた素晴らしい体験となりました。今の時代を生きる全ての人々に贈るつもりで書かせて頂きました。」とコメントしています。
 1995年よりプロデューサーとしてヒップホップ、R&Bを中心に数多くの作品を生み出してきた今井了介をわたしは不明にも知しりませんでしたが、「君と見てるから」を聴き、これは最近のJポップにありがちな「歌い上げるだけの名曲」とはちがう、深く静かに心の地下室へと続く階段をひとつひとつ降りていくような内省的な調べ、自分へのまなざし、他者へのまなざしを愛と友情へと導く祝歌、時代の予言と予感にあふれ、心の底のもっとも柔らかい部屋から明日への夢を切なく願う恋歌、そしてそれらを大きく含みながら同時代を生きるわたしたちに、共に泣き共に笑い共に生きる勇気を育てる希望の歌…、たかだか数分の時を旅するだけの歌に込められた今井了介の想いは、島津亜矢の心と体の中で共鳴し、そのたぐいまれな人間楽器から時代の隅々までを照らし、取り残された悲しみと不安を拾い集めながら「だいじょうぶ」と語りかけるのでした。この歌は手垢のついた名曲とは程遠く、島津亜矢に歌われることによって名曲になるのでした。
 この歌に関してはまだまだ思うことがたくさんありますので、続きの記事を書こうと思います。

島津亜矢 『君と見てるから』
作詞作曲:今井了介

TEE - ベイビー・アイラブユー
作詞作曲:TEE、MIHIRO、今井了介 プロデュース:今井了介



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2020.08.19 Wed 「我々はかわら乞食」と金森幸介は言った。能勢のCafe気遊にて、有山じゅんじとの2人ライブ

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 8月15日、わたしが住んでいる大阪府能勢町のCafe気遊で、金森幸介と有山じゅんじのライブがありました。
 コロナ禍のただ中ということもあり、要予約、人数を制限してのライブでした。
 わたし自身、島津亜矢の新歌舞伎座公演も9月8日予定の京都でのコンサートも中止、また毎年楽しみにしていた唐組の芝居も中止、時々観に行っていた映画も大阪に出ていくのがおっくうになり、引きこもり状態が続いていました。その中で先日、久しぶりに大阪で開かれた小島良喜のライブに行き、今回のライブはコロナショック後2度目の参加となりました。
 もっとも、気遊ではコロナショックの前、昨年の12月に金森幸介とピアノの渋谷毅のライブ、そして非常事態宣言直前の3月末にも金森幸介ライブがあり、2度とも参加しました。
 12月のライブの報告で書きましたように、わたしはこの歳になるまで不明にも金森幸介をライブでもCDでも全く聴いたことがなく、どの歌もはじめて聴いた歌ばかりでしたが、独特の歌い方と、激しい心を隠した繊細でシンプルな歌詞と、胸震わせるギターで一気に彼の世界に引き込まれてしまいました。
 2度目のライブの時は、新型コロナ感染症拡大に怯える世の中の自粛への同調圧力にあらがうように、金森幸介も10人ぐらいの観客もある種の潔さと言えばいいのか、なくしてしまったらいけない何かを共有する時間でもありました。
「不要不急のライブによく来てくださいました」と金森幸介は言いましたが、コロナショックのもとで、専門家や国、行政の示す「新しい生活」にとって、音楽や芝居は不要不急のものということなのでしょう。
 「ひとはパンのみでは生きられない」とする文化が、いざとなればあっさりと切り捨てられてしまう理不尽な現実は、夢を見なければいのちのバトンを繋いでこれなかった何千年の人類の歴史を捨ててしまうことでもあるとわたしは思います。
ともあれ、わたしたちは自粛警察という言葉が生まれるほどの相互監視と、心が柔らかい牢獄に閉じ込められたような閉塞感が続く日々の中、ライブを主催する気遊さんの万全を期した感染予防対策に助けられ、一瞬であるにしても心が解放され、至極の時間を共にすることができました。

 そして、3度目の今回は有山じゅんじとの2人ライブでした。
 開演時間になり、ひょうひょうと現れた金森幸介は、いつものように肩ひじ張らないMCの後、歌い始めました。このひとの歌を聴いていると、歌はいつ、どこからやってきたのだろうと思います。うれしい時にも悲しい時にも、そしてさびしくてさびしくて心のよりどころを見失った時にも、歌はいつもすぐそばにあった…、たしかに今聞こえてくる歌は金森幸介の心から生まれた歌に違いないのでしょうが、その一方で彼の心の回路に紛れ込んだ遠い時代の流行り歌、いくつもの時代を通り過ぎ、消えていった無数の歌たちがこの星のどこかにある歌の墓場からよみがえり、金森幸介という稀有の歌うたいの心と身体に憑りついたようなのです。
 その憑依の現場に立ち会ってしまったわたしは、世界で一番遠い場所にあるわたし自身の心のもっとも柔らかいところへとたどり着く…、まさしく、金森幸介の音楽はわたしを惑わせる媚薬なのです。

 休憩をはさんで現れた有山じゅんじは、金森幸介とはまたちがう歌の回路を通って、わたしの前に現れました。金森幸介と同じく、わたしはほぼ同時代の風にさらされていたのに彼の音楽を一度も聴いたことがありませんでした。
金森幸介とおなじように有山じゅんじも「五つの赤い風船」に参加し、その後「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成し、いくつもの名盤とライブシーンを残しました。
 ソロ活動をスタートさせてからも独特のギターと歌で多くのファンを魅了してきた有山じゅんじのギターは、例えればその音の連なりだけで大きな荒野が迫ってくるようで、その荒野はブルーズの誕生の地へとつながっていくようなのです。
 最近、長年中東で活動していた「心優しい革命家」が近くに引っ越してきて、朝のゴミ出しの後に彼の家に立ち寄ると、ロバートジョンソンのCDがかかっていてとてもうれしくなったのですが、そういえば50年代後半から60年代にかけてだったでしょうか、「日本人には本物のジャズやブルーズやロックはわからないし、ましてや演奏できるはずがない」とよく言われました。たしかに理不尽を通り越した差別と弾圧の長く黒い歴史の淵から生まれた黒人音楽の奥深さを前にしては、そうなのか知れません。
 しかしながら、有山じゅんじのギターからは、そんなせせこましい考えは音楽とはまったく関係ないのだと教えてくれるようです。伝説となったロバートジョンソンのブルーズは全米各地でその土地土地の土の匂いと空気に溶け込んで少しずつ変質しながらも、怒りと悲しみだけではない出会いや恋やはかない夢を取り込みながら広がり、やがて大陸からはみ出した音楽は海を渡り、日本にもたどりついたことを、有山じゅんじのギターと歌が教えてくれました。
 彼のギターの圧倒的な高揚感とどこまでもフレンドリーな歌声が、今回のようなコロナショックの元でもわたしたちに「だいじょうぶ」とささやいてくれているようでした。
 そして、金森幸介と有山じゅんじのコラボでは、とくに金森幸介の音楽がドラマチックになりました。実際、金森幸介のソロは辻々で歌う吟遊詩人のようでしたが、有山じゅんじのギターはその音楽が本来隠し持っている「演劇性・物語性」を引き出し、二人の音楽は対話しながら高揚し、もうひとつの音楽が生まれるのでした。
 最後に歌った金森幸介の「もう引き返せない」ではその高まりは頂点に達し、感極まって、思わず涙があふれそうになったのはもわたし一人ではなかったと思います。

 コロナショック後の社会がどうなっていくのかと誰もが不安を抱える中、音楽やライブのありようも先が見えない状態が続いています。たくさんの集客を求めるショービジネスでは韓国の超人気グループ「BTS」のインターネット配信の大成功にみられるように、今後はネット配信が一定以上の役割をになうことになるでしょう。
 しかしながら、肉声と生身の身体で表現してきたライブのだいご味をわたしたちは捨てることができるのでしょうか。金森幸介が「我々はしょせんかわら乞食」と言ったように、芸能のルーツに立ち戻れば、これまで自己増殖してきた巨大なエンターテインメントではなく、気遊さんが用意してくれる小さなライブの大切さに気付くことになるのかもしれません。今回のライブはその可能性を秘めた、いとおしいライブとなりました。
 こんな素敵な時間を用意してくれた金森幸介さん、有山じゅんじさんと、お二人が絶賛されたPA(音響)の村尾さん、そして「気遊」のオーナー、スタッフに感謝します。

もう引き返せない 金森幸介 with 有山じゅんじ

金森幸介 - 心のはなし (Official Video)

有山じゅんじ - Think of You
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2020.07.31 Fri ひとつひとつのいおしいいのちたちに捧げるラブソング 小島良喜ピアノソロライブ

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 7月27日の夜、小島良喜のピアノソロライブに行きました。
 小島良喜もコロナウイルスの影響でコンサート、ライブの中止が相次ぎましたが、ようやくごく最近、感染予防対策を施したライブハウスなどで活動を再開したところです。
 久しぶりに大阪に来るということで、感染者数も増え始め、出歩いたら行けないといわれる高齢者で、しかもライブハウスに行くのですから、「自粛警察」に断罪されることを覚悟して参加することにしました。珍しく妻も行きたいとのことで、田舎の能勢に住んでいますのでライブハウスの上のビジネスホテルに泊まることにしました。

 小島良喜は自身のピアノはもちろん、アレンジにもプロデュースにも定評があり、また井上陽水のツアーなど、数々のライブシーンやスタジオセッションで活躍するピアニストです。わたしは1990年に豊能障害者労働センターが主催した、今は亡き桑名正博のチャリティコンサートの時にはじめて出会いました。その時はロックのピアニストだと思いこんでいたのですが、2002年に再会した時にはジャズ・ブルースのピアノを聴かせてくれて、音楽のことはさっぱりわからないわたしですが彼のピアノの虜になってしまったのでした。
 この日のお店はいつもとちがい3密をさけて予約した20人ぐらいのお客さんで、お店もミージシャンもお金にはならないけれど、少しでもライブを楽しんでもらおうという心意気だけで開かれたという感じでした。その代わり、聴く側のわたしたちにとってはめったにない特別に贅沢なライブになりました。

 いつも感じるのですが、小島良喜のピアノは海のようです。砂浜に置き忘れられたピアノを彼が弾き始めると、荒れた海に向かい沖へ沖へ、太平洋を渡りジャズ発祥の地・ニューオーリンズやブルース発祥の地と言われるミシシッピー州へと還っていくようです。
 最初に出会った1990年頃の小島良喜のピアノは、軽やかで明るくてきらきらしていました。夕暮れの浜辺、銀色の波と沈みゆく太陽が溶け合い、波に取り残された貝殻や小石や砂粒たちが思い思いの音楽を奏で、夜の訪れを待っている…、といった雰囲気でした。
 それからずっとのち、2002年にあった時にはかなりちがったピアノに感じました。アンドレ・ブルトンの著書「ナジャ」の中で、マルセイユの旧港の埠頭で日没のすこし前、ひとりの画家がカンヴァスにむかい、沈みゆく太陽と闘っている。彼が描くよりも早く太陽はより沈み、それを追いかけている間に日が暮れ、水面の光もなくなり、やがてキャンバスは真っ黒になって完成するというエピソードがあります。
 ブルトンはその絵をとても悲しく、美しいものに思ったと書いていますが、小島良喜のピアノからはわたしの人生を追いかけてくる、真っ黒なキャンバスに塗り込められた空と海と「もうひとつの永遠」と悲しみと叶わぬ夢と堕ちていく失楽の恋と裏切りの青春…、その無数のひとつひとつに閉じ込められた音楽が黒い媚薬となってあふれ出て、わたしは落ち着いて聴くことができなくなるのでした。
 小島良喜のピアノに乗って海を渡り、ニューオーリンズから戻ってきた黒い音楽は、遠く長いアドリブを経て少し危ないにおいを漂わせながら今、バーボンに溶けていきます。わたしは世界中の海の中で涙の次に2番目に小さなその海をゆっくり飲み干します。
せきたてるように小島良喜が一段と厳しくそして柔らかく楽曲のテーマを弾きながら、昔と変わらずピアノに笑いかけるように何やら呻きながら語りつづけます。
 その時ふと気づくとここはもう海ではなく、わたしたちはいつのまにかどこかの教会の中にいるのでした。
この半年の間に世界中の墓場という墓場に向かって70万人の死者のたましいが走り抜け、しかもその数は日を追って増え続けることでしょう。この非情な世界がいつ静かな朝を迎えるのか見当もつきません。
 ほんとうに久しぶりに聴いた小島良喜のピアノはゴスペルソングのようで、奪われたいのちと引き裂かれたいのち、去り行くいのちと残されたいのち、それらのひとつひとつのいおしいいのちたちに捧げるラブソングのようでした。
 そして、世界中のピアニストが世界中のピアノの前で、無数のさまようたましいたちの止まることのない涙とあふれつづける音粒たちを拾い上げるように鍵盤をたたいていることでしょう。小島良喜もその中のひとりなのだと思いました。

 それにしても、これも何度も思い何度も書いてきましたが、ピアノはとてもエロチックなものだとあらためて思います。子どもの頃に同級生の女の子の家にあったきらきら輝く黒い肌のピアノを、見てはいけないものを見てしまった初めての性的な体験としてずっと心に残っていました。
 大人になって小島良喜のピアノに始まり、ジャズやクラシックの何人かのピアニストの演奏を聴くたびに、なまめかしい88の鍵盤がピアニストのしなやかな指と交わり、からみつき、重なり、ひとつにつながっていく快楽の場に立ち会っている錯覚に陥ります。
 普通は身体ひとつで全国を飛び回るピアニストと、全国いたるところ、たとえそこが裏町酒場の片隅でほこりをかぶったままのピアノであっても、恋人たちの一夜の逢瀬と刹那の恋にふるえるラストソングが聴こえてくるのでした。

少女の母親が死んだ日もあの曲がきこえました
少女の父親が死んだ日もあの曲がきこえました
少女が学校で叱られた日もあの曲がきこえました
少女が少年に心をうちあけて わらわれた日もあの曲がきこえました
少女はピアニストを撃てとつぶやいて
じぶんの耳にピストルをあてました
                       「ピアニストを撃て」 寺山修司

小島良喜&小林エミ kojima solo〜"A" Cat called "C"

コジカナヤマ(島英夫). Truth In Your Eyes .Live at ミスターケリーズ 2014.1/28

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