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2019.07.11 Thu 「わたしたちは自由であるだけでなく、自由に呪われている」(ジャン=ポール・サルトル) 「第14回ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの 自由」

ぼくはムギを知らない 粉のムギしか知らない
ぼくはムギを知らない 粉のムギしか知らない
(作詩・及川恒平/作曲・小室等「ぼくはムギを知らない」)

 7月6日、東京の板橋区立グリーンホールで開かれた「第14回ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの 自由」のボランティアスタッフとして参加させていただきました。
 この催しは被災障害者支援「ゆめ風基金」とカタログハウスの学校共催で、2002年から毎年開かれているイベントで、大阪を拠点にするゆめ風基金にとって東京方面での認知度を高める大切なイベントです。
 1995年、阪神淡路大震災を機に設立されたゆめ風基金の呼びかけ人を永六輔さんから引き継いでくださった小室等さんとカタログハウスの並々ならぬ想いと、時代の空気がよどみ、影をつくらない鈍い光に引き込まれる危うさに抗う切迫した感受性がなければ、このイベントがこれほど長く続くことはなかったでしょう。
 障害者市民のための基金活動が根底にあるものの、毎年その活動を通してあぶりだされる時代の危さに警鐘をならしてきたこのイベントは、今年もご来場くださったひとびとの心に深いメッセージを届けることができたと思います。

 第一部は小室等さん、及川恒平さん、四角佳子さん、こむろゆいさんによる新生「六文銭」のニューアルバム「自由」の発売記念コンサートでした。
 わたしは昨年の11月の大阪、今年の1月の京都につづき、3回目のライブでしたが、今まで小室さんのライブを観客としても関係者としても長く聴いていて、いまがいちばん「旬のバンド」と思います。
 というのも、小室等さんの場合はある意味で時代の証人のナレーションのおもむきがあり、及川恒平さんの場合は個人的な愛や恋や悲しみを時代の路地でよみがえらせる吟遊詩人のおもむきがあり、時にはまったく相いれない2つの個性がぶつかりもせずに溶け合い、ちょうどいい按配に混じりあう瞬間に今、立ち会っていることに興奮します。
 そして、わがまま坊やのような2人の無茶ぶりにも動ぜず、四角佳子さんとこむゆいさんがみずみずしいハーモニーでこの不思議なバンドが織りなす音楽を大きく包み込むのでした。
 ほんとうは4人とも、音楽的冒険を繰り返してきて、その中でつながったり別れたりしながら長い時を蓄えてきているはずなのですが、そんな過去や記憶の重い荷物はどこかに置いてきてしまい、真新しい音楽と身軽な心で時代の地平線に向かって歩き出す、そんな初々しさとアナーキーさと少しの異議申し立てと静かな抵抗を心に秘めて、「さあ、行こうぜ」とわたしたちの心を急がせる…。今まさに六文銭という事件がやって来たのでした。
 生まれた年も育った環境も違っていながら、それでも行き先のわからない同時代を共に生き抜く勇気と楽器と歌たちを拾い集め、彼女彼らはわたしたちをどこに連れて行こうとしているのでしょうか。
 実際、世の中がきびしい方向へと突き進む中で、「たかが音楽に何ができるのか」と自問自答することもたびたびあるのかも知れないけれど、「アーティスト」という予定調和的な称号をかなぐり捨てて歌いだす姿はとても凛々しく、六文銭の音楽がある限り世の中まだまだ大丈夫と思わせるのでした。
 かつて若松孝二が「俺は映画でたたかう」と言いましたが、六文銭もまた「われらは音楽でたたかう」と、わたしたちに強いメッセージを送ってくれているのだと思います。

てんでばらばら てんでばらばら
電動ミシンのうなり声が響く 路地の乾いた呪文よ
ここから先は海であり 海にひそむ民族であり
梅雨どきのトタン壁にしがみつく蔦の濃緑!
に目を射られてかがみこむほどの暑さだ!
いっそ裸足で歩いて 頭に長靴でもかぶせたらどうだ
(詩・佐々木幹郎/作曲小室等「てんでばらばら~山羊汁の未練~」)

 第二部はアーサー・ビナードさん、小室等さん、牧口一二さんの3人が、「自由」について語り合う鼎談でした。
 アメリカの大学で英文学を学び、卒業と共に来日、日本語で試作をはじめた詩人のアーサー・ビナードさんは、わたしたちが曖昧さの中でごまかしてしまう切実な感覚や本音、社会的な行動への意志や思想を日本語できちんと表現されていて、日本人と日本社会が言葉をもっと大切にしなければ滅びてしまうと警鐘を鳴らされていました。
 牧口さんはとても身近な出来事から、世の中が当たり前とする現実原則に鋭く異議申し立てをすることで、社会が自分を束縛するために押し付けてくる公用語としての日本語を、自分の感性を表現するための生きた言語に作りかえて来られました。
 この2人が「自由」について語る時、それはお互いの感性のするどさがジャックナイフのように光り、まとめ役を担われた小室さんはどこに行くのかわからない話の行方をさぐるのにとても苦労されたように思います。
 「自由」という言葉が「何々をする自由」といった卑近な使い方から、「何々を拒む自由」へとたどりつく時、六文銭の「自由」というアルバムが「プロテスソング」であることとつながったように思いました。
 手あかにまみれたように思われる「自由」という言葉が、実は世の中が今とてもキナ臭く生きづらくなり、自己責任という言葉でわたしたちの心を固く萎縮させてしまうことに抗い、異議申し立てをする勇気を育てる言葉であることに気づかせてもらいました。

「わたしたちは自由であるだけでなく、自由に呪われている」(ジャン=ポール・サルトル)

 珠玉の時間はあっという間に過ぎ、イベントは盛況のうちに終わりました。
 準備から後片付けまで、「障害児を普通学校へ全国連絡会」やわらじの会、ひょうたん島などのボランティアのみなさん、そして大活躍だったカタログハウスの若いひとたちに混じって、貴重な体験をさせていただいたゆめ風基金に感謝します。

 明くる日は永六輔さんの命日で、牧口さん、橘高さんと一緒に永さんのお墓参りに行きました。実家である浅草のお寺の墓地に眠る永さんのお墓は、永さんの直筆で「上を向いて歩こう」と彫られていました。案内してくださった方が永さんの妹さんで、言われてみれば目元など永さんにそっくりで、おもわず涙がこぼれそうになりました。
 ゆめ風基金だけでなく、数えきれないほどのグループや人々を励まし、生きる勇気を注ぎ続けてくださった永さんのお墓は限りなく優しく清楚で、今も大きなオーラでわたしたちの行方を教えてくれているようでした。「だいじょうぶ」…。

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2019.06.26 Wed 歌謡曲ルネッサンスでよみがえる美空ひばりと「波止場だよお父つぁん」・島津亜矢

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 6月23日に放送されたNHK-BS放送「新・BS日本のうた」に島津亜矢が出演しました。この日のスペシャルステージは没30年になる美空ひばりの特集ということで、島津亜矢にも声がかかったというわけです。
 いままでは演歌の大御所やベテラン歌手が「演歌歌手・美空ひばり」の名曲を総どりし、島津亜矢は「柔」に代表される「男歌」を歌ってきましたが、ここ直近のNHKの「うたコン」でもBS放送でも、いよいよ島津亜矢が前面に出てくるようになりました。
 最近の音楽シーンでは一段と「演歌」の退潮が著しく、「演歌のプリンス」として人気が高い氷川きよしまでもがアニメソングをはじめとするJポップに進出し、演歌歌手がJポップを歌う民放の特集番組「演歌の乱」が話題になるなど、ベテランも若手も演歌歌手がポップスを歌うことが多くなってきました。昨今の島津亜矢の「成功体験」が他の演歌歌手に焦りにも似た緊張と刺激を与えていると言えるでしょう。
 しかしながら、島津亜矢の場合は若い頃から国内外のポップスを地道に孤独に歌いこんで今に至っていて、その意味ではNHKの「うたコン」での島津亜矢の挑戦はめざましいものがあり、島津亜矢とNHKの音楽番組担当チームとの長年の音楽的冒険が「BS日本のうた」から「うたコン」に舞台を移したのだと実感します。
 さて、今回の放送では、織井茂子の「黒百合の花」、それから美空ひばり特集として「波止場だよ、お父つぁん」、「竜馬残影」の三曲を歌いました。
 直近の放送で島津亜矢がある覚悟をもって「美空ひばりを歌い継ぐ」と宣言し、NHKの音楽番組もまたそれを認知・証明するようなプロデュースをしました。それを受けて今回の放送がどのようになるのかとても楽しみでしたが、実際のところ半分はがっかりでした。というのも、五木ひろしの出演で忖度番組になることは予想できたものの、少しやりすぎの感がありました。
 しかしながら一方で、長年「演歌」の枠組みに閉じ込められてきた美空ひばりの偉大な全体像がよみがえる、没30年の節目にふさわしい番組でもあったと思います。
 この番組で歌われた美空ひばりの歌は例外もあるものの1950年代の歌が多く、この時代の歌こそ「歌謡曲ルネッサンス」と呼ぶにふさわしく、鉄条網とがれきの山から戦後の闇市まで、日本社会が希望と絶望の雲間を不安定なグライダーのように旋回していた時代、高度経済成長へと突入する前夜のうす明るい暗闇でうごめく暮らしの中で生まれた歌がひとびとをなぐさめ、はげました時代でした。
 そして、この時代の歌謡曲の中に記憶として封印された戦後日本とその時代を生きたひとびとの切ない夢こそが美空ひばりの遺産であり、美空ひばりを歌い継ぐとは世の中の空気がキナ臭く行き詰まり、長い戦後がいつのまにか戦前になるかもしれない不安が渦巻く今、美空ひばりの歌にかくれているひとびとの願いや祈りをよみがえらせることだとわたしは思います。
 その意味では、島津亜矢が「波止場だよお父つぁん」を歌ったことはとても意義深いことで、かつてNHKの「思い出のメロデイー」で彼女が歌った「東京だよおっかさん」とともに、船村徹が「右の立場(?)」から戦後社会を憂い、政治の回路ではなく個人の情念の回路から戦争で傷ついたたましいへの挽歌として世に送り出した歌なのだと思います。

 1956年発売の「波止場だよお父つぁん」は、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「私は街の子」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」などとともに1950年代に発表された膨大な楽曲のうちの一つです。戦後の政治・文化を席巻した「左の立場」の学者やジャーナリズムから「ゲテモノ」とののしられ、ものまねと蔑まれながら、美空ひばりはひとびとの圧倒的な支持によって「もうひとつの戦後民主主義」を体現していきました。
 船村徹もまた、盟友・高野公男とともに音楽のアカデミズムを批判し、「俺が茨城弁で詩を書くからお前は栃木弁で曲をつくれ」といった高野公男の名言の通り、大衆の声なき声を歌にしてきたのでした。
 この歌は一番の歌詞に「めくら」という差別語があるため、現在では歌われることが少なくなりました。ここで、差別語に関するわたしの思いを先に書いておこうと思います。わたしは障害を持つ人と出会う前は、たとえば「アホ・バカ」という言葉も相手との親密度によっては使ってもいいと考えていました。しかしながらその言葉によって傷つくひとたちの存在を想像できず、排除していることに気づき、使うことができなくなりました。そして、社会的な正義を標榜する人たちが無自覚に「狂っている」という言葉を使う時、とても悲しい気持ちになるのです。これらの差別語を使わなければ伝えられないものは何一つなく、かえってその言葉を使ってしまうことで物事の核心を逃がしてしまうとわたしは思います。
 その上で「波止場だよお父つぁん」の歌詞は、「めくら」や「おし」、「かたわ」という差別的な言葉を平気で使っていた時代の障害者差別もさることながら、戦前戦中を船員として生き延び、おそらく心も体もぼろぼろになったしまった父親の深い悲しみと隠された憤りまでもがこの歌の背景にあるように思うのです。あの戦争で民間船員は根こそぎ戦時動員され、記録されているだけでも6万2000人の先輩船員たちが過酷極まる戦場の海で戦没したそうです。その上で父親を「めくら」としたのは、傷痍軍人があふれていた世間の同情を得るために設定されたとしか思えません。そのために現在はほとんど歌われなくなってしまったこの歌のもっとも大切なメッセージが届けられなくなったのはとても残念です。
 それでも、「川の流れのように」や「乱れ髪」、「悲しい酒」など、だれもが歌われることを期待したであろう「演歌の名曲」ではなく、番組全体をほぼ1960年までの歌を選び、その中でも時代の空気を隠した「波止場だよお父つぁん」を島津亜矢に歌わせた演出は、死してなお美空ひばりの無限の可能性を求め、ほかならぬ島津亜矢に「歌謡曲ルネッサンス」を託したNHKの音楽番組チームの覚悟を感じるものでした。
 そして島津亜矢もまた、新しい演歌の息吹がこの時代から吹いていることを若い頃から感じているからこそ、この歌を美空ひばり本人にささげたのだと思います。
 「東京だョおっかさん」については、以前の記事を載せておきます。それぞれ理由はちがいますが、船村徹のこの2曲およびその一部が放送禁止になったのもまた偶然ではないのかも知れません。

島津亜矢「波止場だよ、お父つぁん」

美空ひばり「波止場だよ、お父つぁん」

島倉千代子「 東京だヨおっ母さん」

過去の記事2015.08.14 Fri 島津亜矢「東京だョおっ母さん」

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2019.06.21 Fri  再録 2015年8月16日の小室等・坂田明・林英哲その2

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 そのひと振りから響き渡る音はもはや太鼓の音と言い難く、長い年月開くことがなかった新しい時代の扉が開く音のように聴こえました。
2部は林英哲さんの太鼓から始まりました。
 以前にも書きましたが、わたしはまったく不明にも若いころに山下洋輔とのデュオを聴いた時には英哲さんの太鼓のすばらしさをあまりわからないままでした。山下洋輔についても大学紛争のバリケード内で演奏した音源を麿赤児がプロデュースしたLP「ダンシング古事記」を通信販売で求め、その後も1、2枚のアルバムを聴くだけでした。
 その後、わたしが箕面に住んでいた時に友人が箕面市民会館(現グリーンホール)で山下洋輔のコンサートをするというので手伝った時にはじめて彼のピアノを生で聴いたぐらいでしたから、今では伝説となっている二人の演奏をしっかりと受け止める感性がなかったのです。
 そのわたしが林英哲さんの太鼓に心をさらわれたのはちょうど一年前の、高山での「飛騨の夏祭り」の時の演奏でした。わたしは昨今、島津亜矢を知って以来、それまでなれ親しんできたロックやポップスから、彼女の「演歌」に傾倒してきました。手垢にまみれているように思ってきた演歌ではなく、心の背中から聴こえてくるというか、島津亜矢の歌にはわたしの生まれるずっと前から、おおげさに言えば人類が誕生した時から歌い継がれ、幾多の時代を時の権力とあらがい、次の時代へとつないできたいのちのリレーとしての「うた」、争いの血を流し続けてきた歴史の屍を越えてそのたすきを託してきた「傷つけあわない」社会への切ない願いとしての「音楽」が隠れていて、最後のたすきをわたしに手渡しているような錯覚にとらわれるのでした。
林英哲さんの太鼓を体験するとその錯覚は現実になり、まるで母親の胎内で生まれる準備をしていた時から聴こえていたような、いのちの音楽の誕生の地にいざなってくれるのでした。まるでなつかしい祭囃子の遠い太鼓のように…。

 わたしは長い間、太鼓に偏見を持っていました。元気よく勇ましく、大勢の人間がまるでマインドコントロールにあったように同じ動作を延々とつづけ、それを聴くわたしはただただ酔いしれることを要求されるような、一見ファシズムのようなにおいすら感じていました。その不遜で傲慢な想いは、英哲さんが太鼓を打つたった一振りで粉々になりました。
 英哲さんの太鼓は、何層にも重なる空間と時間のすきまから幾多の時代に生まれ、死んでいった無数のたましいを解放し、彼女たち彼たちに導かれるように光り輝く約束の地へといざなってくれるのです。
 ああ、太鼓は空間を破って未来へと突き進むのではなく、むしろ空間のほころびを縫い合わせ、次の未来への重い扉を力ではなく、祈りによって開く救済と希望の楽器なのだと知りました。
 
 次に登場した坂田明さんの「サマータイム」は突然の不意打ちで、涙が出ました。この曲を演奏する動画を見たことがあり、激しいアドリブで圧倒される、これぞ坂田明さんの音楽と言える感動のステージですが、この日の演奏は他の曲もふくめて抑え気味でメロディーをしっかりと押さえ、アドリブも控えめながらやや重厚でゆっくりと観客の心にしみこんでいくような演奏でした。
 「サマータイム」は、ジョージ・ガーシュウィンが1935年、黒人コミュニティの風俗をリアルに描いたオペラ「ポーギーとベス」のために作曲した劇中歌です。
1936年にビリー・ホリデイが歌ったものがヒットして以来、ジャズのスタンダードとなり、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルドなど数多くのミュージシャンが演奏し歌った他、ジャニス・ジョプリンがブルース・ロック風にアレンジしたものも有名で、クラシックと縁のない人間でもこの歌を若いころから知っているのはジャズのスタンダードとしてもポップスとしても数多くのミュージシャンに歌い継がれてきたからでしょう。
 わたしはこの曲を聴くと、河や池がきらきら光り、山が緑をくもらせる夏の終わりのけだるい夕暮れを思い出します。わたしの住む能勢がいままさにそんな風景ですが、夏が過ぎていくこの頃は、わたしにとって秋よりも一年でもっともさびしい季節でもあります。とりかえしのつかないことや後戻りできない人生の切なさにとらわれる一瞬の心の震えや揺らぎを、この日の坂田明さんのサックスは手のひらを夕陽にかざすように優しく愛おしく恋しく綴ってくれるのでした。
 その後、林英哲さんと坂田明さんのデュオが始まると会場はすでに恍惚と言っていいほどの感動に包まれました。
 先ほど林英哲さんの太鼓が未来への重い扉を力ではなく、祈りによって開く救済と希望の楽器だといいましたが、英哲さんの太鼓によって解放された無数のたましいは坂田明さんのサックスによってよみがえり、かくしつづけてきた夢や希望や歌わなかった歌や声に出せなかった叫びがサックスからあふれ出るのでした。
 林英哲さんがかすかな音から大きく響き渡る音まで大太鼓を打ち放ちながら、伸びのある透きとおる声で歌う「太鼓打つ子ら」も、坂田明さんが叫びのような唸りのような、人間が昔から持っていたはずの「原初の声」で歌う「音戸の舟歌」も、単に「いやし」という言葉では言い表せない、「悼む心」から発せられる人間と自然のものがたりを語り歌う壮大な叙事詩なのでしょう。そして、小室等さんも加わり、演奏した「死んだ男の残したものは」も「老人と海」も…。
 最後にもう一つのゆめ風基金応援歌「風と夢」を会場からもステージに上がり、会場みんなで歌い、コンサートが終わりました。
 このコンサートの1部がいろいろなひとに支えられたゆめ風基金の20年を振り返り、20年で惜しくもなくなったいのちたちを悼む心を共にする時間だったとしたら、2部は林英哲さんの太鼓と坂田明さんのサックスが時代の扉をこじあけ、新しい時代をめざし、どんな自然災害にも強い防災力で助け合える社会と、共に生きるすべてのひとの勇気をたがやすゆめ風基金を応援する希望のコンサートになりました。
 小室等さん、坂田明さん、林英哲さん、こむろゆいさん、英哲風雲の会の辻祐さん、田代誠さん、そして1年間このコンサートのための準備にかかわって下さった林英哲さんのマネージャーのOさん、Oさんが紹介してくださった音響、照明の方、そして妥協をゆるさず、お客さんに満足していただける舞台をつくるためにできるだけのことをしてくださった監督のWさん、坂田明さんのマネージャーのWさん、みなさん、ほんとうにありがとうございました。
 とくに小室さんは2部では完全に主催者の側に立って司会までしてくださいました。
 ほんとうにありがとうございました。

 私事ですが、わたしはこのコンサートの成功を見届け、ゆめ風基金を退職することになりました。思えば2011年3月の東日本大震災直後に短期の臨時スタッフとして勤務を始め、最初は3ヶ月の予定でしたが20年のイベントが終わるまで4年半お世話になりました。
 なにぶん、基金活動団体での勤務はわたしがいままでやってきた障害者の働く場運動とは少し色合いが違い、戸惑いとともに多くの方々にご迷惑をおかけしました。
 退職、引退は年齢的にも68歳となり、いい潮時でもう一度自分の人生を見つめ直すいい機会になると予感しています。また、そうしなければという思いもあります。
 このブログは親しいひとも読んでくれているようなので、本名にてお知らせしました。 
                                                              細谷常彦

小室等「死んだ男の残したものは」

坂田明「死んだ男の残したものは」

坂田明 「Summertime」

林英哲「海の炎 -UMI-NO-HONOH-」

林英哲&山下洋輔 「ボレロ」

小室等「老人と海」 

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2019.06.21 Fri  再録 2015年8月16日の小室等・坂田明・林英哲その1

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 8月16日、1年がかりで準備してきた被災障害者支援・ゆめ風基金の設立20年記念コンサート「ゆめ風で会いましょう」を開催しました。ゆめ風基金の呼びかけ人代表の小室等さんの声掛けで太鼓の林英哲さん、サックスの坂田明さんをお迎えし、大阪市の歴史的建造物の大阪市中央公会堂で開いたこのコンサートに約900人の方々がご来場くださいました。

 阪神淡路大震災を機に自然災害で被災した障害者への支援を続けてきたゆめ風基金の20年の節目に、このようなドリームコンサートを開いてくださった小室等さん、坂田明さん、林英哲さんに感謝の言葉がありません。
 ふりかえれば十年前に永六輔さんから引き継ぎ、小室等さんがゆめ風基金の呼びかけ人の代表になられた時から、このコンサートは長い年月をくぐりぬけ、たくさんのひとびとの夢にささえられながら、今日というこの日のために用意されてきたのだと思います。
 一般的にはジャンルがちがうと思われる3人ですが実は親交が深く、東京の方では3人そろってのライブやそれぞれ2人ずつのライブをされてきた間柄です。
 1970年代からフォークのジャンルを越えて表現の荒野を切り開いてきた小室等さん、山下洋輔トリオのサックス奏者として、フリージャズというジャンルにとどまらず音楽の領域を広げつづけてきた坂田明さん、先人のいない未開の大地に立ち、遠く聴こえる森羅万象の声ならぬ声を太鼓でよびさます林英哲さん、この3人の音楽に共通するものは生きとし生けるものたちへの限りない慈しみの心から生まれる音楽であり、彼らの音楽を聴くわたしたちは人類の誕生と同時に生まれた音楽の誕生に立会う幸福に恵まれるのでした。

 2部構成で始まったコンサートの1部は、牧口一二・ゆめ風基金代表理事と小室さんとのトークの後、小室等さん、こむろゆいさんの親子ユニット「ラニヤップ」によるゆめ風基金応援歌「伝えてください」から始まりました。

伝えてください あの日のことを
伝えてください 何があったかを
 ゆめ風基金の活動10年を記念して、永六輔さん、谷川俊太郎さんの共同作詞に小室さんが作曲し、CD制作したゆめ風基金応援歌は小室さんをはじめレコーディングに参加した小室さんの友人や大阪のミュージシャンによって今も歌い継がれている他、全国の中学校で自主的な合唱曲としても歌われているようです。
 この歌がゆめ風基金10年のつどいではじめて歌われた時、阪神淡路大震災で数多くの友人をなくし、命からがら大阪にやってきた阪神地区の障害者が「心斎橋の灯りが涙でにじみ、無性に腹が立った。神戸の街は真っ暗や」といった言葉を思い出しました。彼のその言葉から大阪を拠点に「障害者救援本部」が生まれ、救援から支援、復興から再生へと、障害者による障害者救援活動がはじまったのでした。
 わたしはロビー担当で1部はほとんど聴けなかったのですが、それでもこむろゆいさんが歌った「銀色のランナー」は心にしみました。この歌は関西フォークの旗手で「花嫁」の作曲者である坂庭省悟が亡くなった3年後の2006年に高田渡、茶木みやこ、有山じゅんじ、五十川清、平井宏、中川イサト他たくさんのミュージシャンが参加したトレビュートアルバムで、小室等さんとともにこむろゆいさんが歌った歌で、最近またライブでよく歌われている歌です。

ぼくは君と一緒に走る 銀色のランナー
キンジスという名のトロフィーを
背負って走るのさ どこまでも
 筋ジストロフィーの障害を持つ渡辺善行さんの詩に坂庭省悟さんが曲を付けたこの歌をゆいさんが歌うと、銀色に光る車いすに乗って夜明けの風が通り抜ける風景が浮かんできます。障害者の心情を歌う歌は暗くきびしい現実か、根拠のない「明るい未来」を歌う歌が多い中で、車いすも「障害」もかけがえのないもので、人生を共に生きる親友であることを歌うこの歌は、同じ時を生きるすべての人々に勇気をくれる歌だと思います。

 そして、「ここから風が」。この歌は1990年に制作された映画「しがらきから吹いてくる風」の主題歌としてつくられ、それ以後必ずと言っていいほどライブで歌われてきました。この歌が誕生してすでに25年が経ちますが、最近のこむろゆいさんとのデュオによる歌声はとてもみずみずしく、歌は歌い継がれることでよみがえることを実感します。

偉い人は日本を金持ちにした
そのぶんだけ 生きてるものたちは
生きてるものたちは 悲しい目にあったから
ぼくらの心がなさけない
心おさえて 心おさえて
 滋賀の信楽青年寮を舞台にしたドキュメンタリー映画をきっかけに、障害者の一見意味が解らない独り言をベースに綴られたこの歌に込められた悲鳴に似たメッセージは、この歌が誕生して25年も過ぎた今こそ時代へのより強烈で切実な告発となっているのではないでしょうか。

 1部の最後に歌った「ほほえむちから」は、糸賀一雄氏生誕100年式典に参加したミュージシャン、さきらジュニアオーケストラのこどもたち、そして滋賀県民を中心とした大合唱隊、総勢207名がレコーディングに臨んだライブ盤CDとして発表されました。

いまここにいきるわたしは
いのちのねっこでむすばれている
いまそこにいきるあなたと
 谷川俊太郎さんの作詞、小室等さんの作曲によるこの歌は、1965年の「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられた「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞・武満徹作曲)から40年、「ここから風が」から25年が過ぎたいま、世界の人々が共に生きる勇気を育て、平和をつくりだすのに必要なのは武力ではなく、「ほほえむちから」なのだと教えてくれたのでした。
 親子ユニット「ラニヤップ」の音楽を聴き、ラジカルな音楽はハードなロックにのみ宿るのではなく、しなやかで透明でゆるやかな風のようにひとの心の迷路にそっと忍び寄る音楽にもあることを感じます。
 いろいろなひとに支えられたゆめ風基金の20年は、多くのたましいが託してくれた夢と希望がぎっしりつまった20年でもあったことを振り返り、「悼む心」からあふれる挽歌につつまれ、コンサートの1部が終わりました。

銀色のランナー Lagniappe with 佐野岳彦

ラニヤップ「 ここから風が」

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2019.06.20 Thu 再録 小室等さんがゆめ風基金の事務所にやって来る!3

小室等さんがゆめ風基金の事務所にやって来る!3
2015年4月19日

 ライブの後の懇親会にはほとんどの人が残ってくださいました。いつものライブなら時間がほとんどなく、小室さんたちにゆっくりしてもらえないのですが、この日は夕方5時半に終了したことと、小室さんたちが新大阪のホテルに泊まられるということで、幸運にも時間が結構ありました。
 今回この催しにお声かけさせていただいたのはいつもゆめ風のイベントの時に手伝ってもらっていて、いつのイベントでもゆっくり小室さんの音楽を楽しむことができにくい方々でした。
 急にこのライブが決まったことや、手狭な事務所が会場と言うこともあり、お誘いできなかった方々にはほんとうに申しわけなく思っています。

 ささやかな食べ物と飲み物を用意し、乾杯をした後、こんな機会はあまりないということでおひとりずつ自己紹介をしてもらうことになりました。わたしは自己紹介が大の苦手で、名前を言っただけで次の方にお願いしました。
 8月16日のコンサートの前に、昼間にイベントを企画している人の顔合わせもできました。働くひとの金融機関「ろうきん」の方の自己紹介では、NPO法人にも格安の金利で借りやすい融資「ゆめのたね」をゆめ風基金のろうきんへの定期預金を原資として連携していることや、東日本大震災の年に復興支援の定期預金「サポートV」をつくり、預金者とろうきんが共同で、定期預金残高の0.10%~0.30%を10年間にわたって寄付し、向こう10年間に毎年約1000万円の基金が生み出されることなどが紹介されました。
 また、遠くは埼玉から、こむろゆいさんから情報を知り、駆けつけてくださった方、大阪の障害者団体の方などが、ゆめ風基金への思いを語ってくださいました。
 その中でもうれしかったのは、地域の自治会のみなさんが7人もきてくださり、懇親会にも残ってくださったことです。ゆめ風基金は障害者団体のネットワークは全国にありますが、もっとも大事な地域とのつながりという面ではなかなかうまくいかなかったのですが、2013年に地域の自治会から相談があり、自治会主催の防災の取り組みとして3月に映画「逃げ遅れる人々」の上映会をゆめ風基金も共催させていただくことになりました。
 それをきっかけにして、ゆめ風基金の障害者スタッフNさんの努力で地域や地域の学校の防災ワークショップや講演などを引き受けるようになり、とても親しい関係を築くことができたのでした。そのことを地域の方々がとても喜んでおられて、これからも連携して活動して行きたいと語られました。もちろん、8月16日のコンサートには連れだって来てくださることになりました。
 楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、小室さんたちもお疲れと思い、8時ごろでしたでしょうか、ホテルにお送りしました。その後、跡形付けを済まし、有志何人かで近くの居酒屋さんで飲んでいたところ、なんと小室等さんからゆめ風基金の事務局長のKさんに電話が入り、「いまどこにいるの?ぼくたちもそこに行く」と言われ、「ほんまかいな」と言っている間になんとなんとほんとうに来ちゃったのでした。
 わたしたちはびっくりするやらうれしいやらで盛り上がり、いま思えばあんな音楽のカリスマに対して失礼なことをたくさん言ってしまったんじゃないかと心配しています。
 この日の小室さんは居酒屋でも焼酎を2杯は飲んでおられたようですが、とても元気でお話もたくさんしてくださいました。ゆいさんともども、ゆめ風基金の事務所に来られたのは初めてで、今回、こういう機会を持てて事務所に来ていただけたことは、ほんとうによかったと思います。
 わたしは結構お酒を飲んでしまい、ついつい前から望んでいたことを言ってしまいました。それは唐十郎が作詞し、小室さんが作曲された状況劇場初期の数々の名作の中でも、「さすらいの唄」などは今の小室さんのライブのリストに入れてもおかしくないのではないかとお話ししたところ、なんとアカペラで歌ってくださいました。唐十郎の扇動的な声と違い、小室さんが歌うととてもロマンチックな歌に感じました。
  「ほほえむちから」については、小室さんとお話ししながらあらためて障害者の芸術表現と日経済的な自立についてあらためて考えました。
 わたしは日本社会ではジャンルを問わずそのひとの芸術的表現が優れていて、また数多くのファンがいる芸術家であっても、芸術表現を「仕事」としてその表現者の生活が経済的に成り立つような仕組みがなさすぎると思っていました。ましてや障害者の場合、施設や養護学校(現在は特別支援学校)における障害者のさまざまな表現行為は「アウトサイダー芸術」として国際的にも評価の高いのは事実ですが、そのことで彼女たち彼たちの施設での暮らしが変わるわけではなく、自立生活へとつながっていかないことに疑問を持っていました。結局のところ障害者の経済的な自立を保障するためにはその人個人の才能や「能力」に依存しない社会的な制度が必要なのだと思っていたのでした。
 その考え方は今でも間違いではないとは思っているのですが、一方でそれでは私が長年活動してきた障害者事業所で障害者の所得が保障されてきたのかと思うと、それもまた情けないけれど充分には目的を達成できていないのもまた事実です。
 日本に限らず近代は「働かなければ暮らしていけない」社会を現代にまで引き継いできました。しかしながら、人間は近代以前より「労働」に縛られない暮らしをしてきたところもあります。たとえばアジアではすべからく金持ちは貧しいひとに施しをすることが義務付けられている村社会が存在していたと聞きますし、村々で障害者に施しの食べ物を用意し、村のはずれのお堂などで眠る布団などを用意するなど共に生き、助け合うルールがあったとも聞きます。
  「ほほえむちから」は糸賀一雄生誕100年を記念してつくられた谷川俊太郎作詞・小室等作曲による歌で、「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」の最後に歌われました。「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」は糸賀一雄記念財団が障害福祉分野で顕著な活躍をされている方に「糸賀一雄記念賞」と「糸賀一雄記念しが未来賞」を贈るのに合わせて毎年開かれている音楽祭で、障害者をはじめ、音楽やダンスが大好きな人たちが集い、人が根源的に持つ「表現することの喜び」をともにわかちあうお祭りです。
 プロのナビゲーターを迎えて滋賀県内の7つのワークショップグループと、さきらホールで活動する「さきらジュニアオーケストラ」と高齢者のワークショップグループ「今を生きる」が出演し、ゲストミュージシャンとしてピアノの谷川賢作さん、パーカッションの高良久美子さん、バリトンサックスの吉田隆一さんが溶け込むように参加し、小室等さんが総合プロデュースを担当されていました。
 わたしはゆめ風基金の障害者スタッフのFさんと手伝いがてらこの音楽祭に観客として参加しました。開演の前から総勢数十人の障害者たちが思い思いに大小さまざまな太鼓をたたいていました。それぞれが自分勝手にばらばらにたたいているように思えるのですが、しばらくたつとそのばらばらの音の連なりの彼方から、ある意志を持った音の連なりが会場の空気を振動させ、わたしたち観客はフリージャズそのままに自由の風につつまれました。
 その至福の音とリズムは、わたしたちが日ごろある種の緊張感を共有することで成立している表現行為とはまったく真逆で、どこまでも自由でリラックスした人間関係からしか生まれないものなのでしょう。それは人類が誕生して以来、「おーい」と叫び、「わたしはここにいる」と伝えることから発明した言葉や楽器による原初的な表現そのものであることも…。そして、わたしたち人間はつながりを求めて言葉を発し、楽器を奏で、歌を歌うことをやめることができないことを、人間は武器を持つこともできるけれど、楽器を持ち、歌い踊ることもできることを彼女たち彼たちが教えてくれました。
 ステージ狭しと繰り広げられる合唱やダンスや打楽器や太鼓など、どのグループもその自由な表現はナビゲーターのプロの演奏家が「指導する」のではなく、彼女たち彼たちの表現行為の現場に立ち会い、その根源的な表現行為に感動し、そこからまだ見ぬ彼方へと手を携えながら進む音楽的冒険を彼女たち彼たちと共に体験しなければ実現しなかったのではないかと思います。
 それは総合プロデュースを担当された小室等さんにとってもまったく同じで、小室さんが真っ先に彼女たち彼たちの表現に圧倒され、感動され、ご自身の音楽的よりも底の深い表現行為なのではないかと自問自答されたのではないでしょうか。
 そして、200人を越えたかも知れない出演された障害者を取り巻く現実は40年前とあまりかわらないのではないかと思いながらも、「表現すること」への希求や生きがいはそれぞれの人生においてかけがえのないものであることもまた真実なのだと思います。
 それぞれの夢も希望も現実もちがうけれど、同じ空気を吸い、同じ時を生きたことを宝物とするこの音楽祭の意義もまた深く、ゆたかなものであることはまちがいありません。
 フィナーレで登場した小室等さん、こむろゆいさんも加わり、出演者全員と共に「ほほえむちから」を歌っていると、自然に涙が出てきました。ひとはパンのみでは生きられず、自分が自分であるために表現することをやめられず、表現し合うことで解き放たれる精神をだれも抑止できないことと、それは世界の平和へとつながる唯一といっていい道で、音楽はそのためにこそあることを「ほほえむちから」は教えてくれたのでした。
 昨年、ゆめ風基金のFさんと参加した「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」のことを思い出しながらそんなことをお話しできた時間は稀有の時間だったのだと思います。
 小室等さん、こむろゆいさん、ほんとうにありがとうございました。わたしは能勢の家には帰れませんでしたが、いただいたこの貴重な時間にいっぱい話ができたことを、決して忘れません。

2015年4月19日小室等
懇親会の記念写真。中央のゆめ風基金の代表理事・牧口一二さんを囲んで小室等さん、こむろゆいさん、地域の方々。
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