FC2ブログ

ホーム > 音楽

2019.10.23 Wed 「風雪ながれ旅」はワールドミュージック 島津亜矢大阪新歌舞伎座コンサート2

aya2019-2.jpg

 30分の休憩をはさんで第二部が始まると、尺八の素川欣也ともうひとり三味線奏者(ごめんなさい、名前はわかりません)が現れ、上手に尺八、下手に三味線の演奏、そしてバックバンドのイントロとともに中央のセリが上がり、島津亜矢が登場しました。
 そして、「津軽じょんがら節」、「風雪ながれ旅」、「津軽のふるさと」と、いわゆる津軽3部作から演歌歌手・島津亜矢のなじみのコンサートが始まりました。
 合間を縫うように会場のいたるところから「亜矢ちゃーん」と掛け声が響く中、会場の期待に応えるようにコブシをふり、体を前後左右にゆらしながら彼女は歌い始めました。
 わたしは一部の戸惑いがちの新鮮なステージとはまたちがう、久しぶりの演歌歌手・島津亜矢の舞台に心がゆすぶられ、思わず涙を流してしまいました。
 わたしはずっと以前から島津亜矢の今の姿、ポップスのボーカリストとして現在の大衆音楽のメインストリームに踊り出ることを願ってきましたが、それが現実のものになろうとする今、そのわたしでさえもポップスだけでは物足りず、ライブで島津亜矢の演歌を聴くことを心から待ち望んでいることに気づきました。
 演歌が大衆音楽の中ではごく限られた領域であることと裏腹に、音楽のメインストリームはすでに70年代からポップスに移っていて、その広大な領域からは若い才能が次々と現れ、新しいポップスが若者だけでなく、わたしのような高齢者にまですそ野を広げています。ずいぶん前から、いわゆる「懐メロ」と呼んできた歌が演歌・歌謡曲からポップスに移っていることでもあきらかです。
 島津亜矢のポップスは最近の演歌歌手の付け焼刃のような歌唱ではなく、おそらく歌手として活動をはじめたころからの努力が実を結び、すでに十分すぎるパフォーマンスを獲得していることは事実です。
 しかしながらそれでもなお、ファンの方には叱られるかも知れませんが、島津亜矢本人にとってポップスはまだエチュード(練習曲)の段階だとわたしは思います。歌唱力や声量、声質などのハード面では少なくとも他のポップス歌手に引けはとりませんが、まだもうひとつ、演歌を歌う時のように聴く者の心に突き刺さり、心のひだにいつまでも歌が残る情念のようなものが足りないと感じます。
 もちろん、それは彼女の一ファンであるわたしのわがままと承知していますが、彼女の稀有な才能はこの程度の開花で発掘されつくされるはずがないと思うのです。
 いまもてはやされている「歌怪獣」というニックネームがどこかで色あせてしまうときが必ず来るはずで、その時までにポップスのボーカリストとしての確たる立ち位置を獲得してほしいと願っています。
 それもまた、そんなに心配しないでいいのかも知れません。わたしは見逃したのですが、「さんまの東大方程式」という番組で、東京芸術大学音楽部生が選ぶ、歌が上手い歌手TOP10の9位に島津亜矢がランクインしたそうです。
 もともと、バラエティー番組の企画もので、深い意味のあるものではありませんが、それでもこの事実は若い人をターゲットとする音楽番組で、「歌怪獣」というニックネームとともに島津亜矢がブレイクしたことを意味しています。彼女彼らは島津亜矢の演歌を聴いたことはほとんどないと思われ、純粋に島津亜矢のポップスを評価した結果でしょう。ポップスを歌える演歌歌手ではなく、演歌を歌えるポップス歌手として島津亜矢が音楽シーンに躍り出た瞬間に立ち会えたことは一ファンとして何物にも代えられない喜びです。
 そして、彼女のポップスへの挑戦は演歌歌手としてのグレードをも高めることになりました。もともと演歌のジャンルでの彼女の歌唱力は高く評価されていたものの、演歌よりもはるかに広大なポップスの荒野には時代を超えたアーティストたちの格闘の記憶を蓄えた無数の歌たちが眠っていて、その多彩な表現をひとつひとついとおしくすくいあげるボーカリストもまた、歌唱力や声量、声質だけでなく、歌を詠み、歌を残すデリケートかつ大胆で多彩な表現が求められます。
 いま、島津亜矢が水を得た魚のようにしなやかさと大胆な表現力でポップスに挑戦することで、島津亜矢の演歌は大きく進化する途上にあります。以前にも書きましたが、自由詩のポップスから定型詩の演歌へのブーメラン効果から、長年夢みてきた新しい「島津演歌」が生まれようとしています。
 セットリストは忘れてしまいましたが、「愛染かつらをもう一度」、「帰らんちゃよか」、「海鳴りの詩」、「女にゃ年はいらないよ」、「大器晩成」、「凛」、「秋桜」、「娘に」「感謝状~母へのメッセージ~」など、長い歌手歴で蓄積されたオリジナルの「かくれた名曲」をうたいました。
 わたしはあらためて「風雪ながれ旅」に心を打たれました。
 「風雪ながれ旅」については何度か記事にしてきましたが、この曲は島津亜矢の恩師・星野哲郎が、門付けからカーネギーホール公演にまで昇りつめた初代高橋竹山をモデルにした作詞に、船村徹が作曲した渾身の名曲です。
 初代高橋竹山の生涯に演歌・歌謡曲のルーツを重ねることで壮大な詩を生み出した星野哲郎と、盟友・高野公男の死後、その友情と志を抱いて「演歌巡礼」と称して自ら全国各地で演歌を歌ってきた船村徹が人生の一つの到達点・集大成として生み出した「風雪ながれ旅」は、北島三郎の幾多のヒット曲の中でもとびぬけた名曲として後世に残ることになるでしょう。この歌に流れるものは川原乞食や門付け、瞽女と呼ばれた吟遊詩人たち、時代と社会の底辺でうごめきながらひとびとの悲しい夢や埃まみれの希望や切ない友情を歌い継いで来た大衆芸能の歴史そのものだと思います。
 島津亜矢は北島三郎と星野哲郎への最大のリスペクトを胸に、この魂の一曲をまさに歌の隅々、一つの言葉と一つの音にまで思いを巡らし、渾身の力で歌ってきました。
 わたしは島津亜矢がもし海外で公演することになった場合、北島三郎の許しさえ得られれば、彼女が尊敬する3人の先達の深く熱い思いを持って、日本の演歌を超えたワールドミュージックとして歌うことになるでしょう。
 あっという間に第2部のステージも歌謡名作劇場「おりょう」を最後におわりました。
 久しぶりにライブで聴いた島津亜矢は新鮮で、多少のぎこちなさはあったものの、とても大きくて大切な一歩を踏み出したすがすがしさと、さらなる可能性を感じさせたステージでした。
 この記事を書いている間にも「UTAGE!」、「新BS日本のうた」、「うたコン」と、島津亜矢が出演するテレビ番組があり、露出度が高くて追いかけられません。
 それらについては次の機会に報告します。

web拍手 by FC2

2019.10.17 Thu ロック編成のバックバンドと島津亜矢の覚悟 大阪新歌舞伎座コンサート

aya20.jpg

 10月13日、大阪新歌舞伎座で開かれた島津亜矢のコンサートに行きました。
 わたしにとって2017年6月以来、約2年ぶりのコンサートで、その間に大きくブレイクした島津亜矢がどんなステージパフォーマンスを繰り広げるのか、期待を胸に会場に入りました。
 率直に言って様変わりの舞台設営にびっくりしました。わたしが2年前まで足繁く見てきたコンサートは演歌中心で、その中で何曲かをドレス姿で歌うのがお決まりでした。
 最近のテレビの音楽番組で絶賛されるポップス歌唱やアルバム「SINGER6」の発売、今年で3回目となる「SINGERコンサート」など、ポップスのボーカリストへと音楽表現の翼を広げる彼女ですから、少しは変化があると予想したものの、これほどまで思い切ったステージになっているとは思いませんでした。
 会場に入り、客席からステージを見てまずびっくりしたのが、緞帳が上がったままで、照明を落とした状態で編成バンドの立ち位置に合わせて機材がセットされていました。
 下手はピアノ、ギター2本、ベース、ドラムス、上手はサックス、トランペット、キーボード、シンセサイザー(正確ではないかも知れません)とロックやポップスでは当たり前のセットですが、これまでの演歌のステージとはちがい、ポップス対応のバンド編成でどんな歌を何曲歌うのか、またオープニング曲は何かとより一層の期待でわくわくしました。
 やがてバンドの演奏者がそれぞれの演奏位置に座り、しばらくして下手から島津亜矢が現れました。
 オープニング曲は「時代」でした。1975年、中島みゆきの2作目シングルとして発表されたこの曲は、「今はこんなに悲しくて涙もかれ果てて、もう二度と笑顔にはなれそうもないけど」と、ひとりの少女が背丈をこえるかなしみと絶望に打ちひしがれながら、「そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ」と時代の写し鏡に映る自分を励ます…、その再生と転生の物語を23歳でつくってしまった中島みゆきの歌人生がたどった旅はすでにこの歌によって暗示されていたのでしょう。
 彼女の歌は心の闇や切ない夢、はかない恋の地平に時代の匂いを漂わせ、それでも必死に生きようとするひとびとの応援歌となりました。そして同時代に阿久悠がめざした「新しい歌謡曲」が中島みゆきをはじめとするシンガーソングライターにしっかりとひきつがれることになった記念碑的な歌が「時代」だったと思います。
 この歌は数多くの歌手がカバーしてきましたが、島津亜矢も2013年でしたでしょうか、NHKの「BS日本のうた」で歌ったのが最初ではないかと思います。その時は心の奥に秘めたものを感じさせつつ、ニューミュージックのテイストで歌っていました。
 今回、坂本昌之の斬新なアレンジで生まれ変わった「時代」は専門的にはヴァースというのでしょうか、その中でも変則的で歌の冒頭部の一回しかメロデイーが出てこないため、その余韻を効果的にするためにアカペラで歌っていて、島津亜矢の歌唱力と声量に圧倒されます。それは衝撃的で、絶望とかなしみにあふれた歌詞と相まって昨年の紅白では絶賛の嵐となりました。これまでたくさんの歌い手さんが好んで歌ってきましたが、島津亜矢の新しい「時代」を聴いてしまったら、新たにカバーするのに少し勇気を必要とするかも知れません。
 その評価は賛否両論で、この歌を「語りの歌」ととらえるひとにはその歌い出しでひいてしまうかも知れませんが、「平成最後の紅白」というステージで、島津亜矢はいくつもの批判を引き受ける覚悟でこの歌を彼女のもう一つのオリジナル曲として歌ったのでした。
 それは同時に、演歌歌手・島津亜矢が日本を代表するボーカリストへの険しい道に踏み入れる覚悟をすることでもありました。

 一部はラストの「I Will Always Love You」まで、30分のステージでしたが、今の島津亜矢にとって、ちょうどいいバランスだったと思いました。これ以上短いと前のままですし、これ以上長いと演歌ファンが欲求不満になったことでしょう。
 それにしても、観客のほとんどは熱心な島津亜矢のファンの方々と思われますが、一部のステージでは「亜矢ちゃん!」という掛け声を自粛されていて、彼女はいいファンにめぐまれていると思いました。
 「SHALLOW」、「アイノチカラ」、「我がよき友よ」、「蘇州夜曲」などを見事に歌いましたが、その中で「リンダリンダ」、「行かないで」が特筆ものでした。
 「リンダリンダ」は伝説のパンクバンド、ザ・ブルーハーツのメジャーデビュー曲で、1987年の作品です。アルバム「SINGER6」にも収録されたパンクロックナンバーと島津亜矢と組み合わせは意外と思われるかも知れません。たしかに以前は横乗りのR&Bやソウルは得意とするものの、縦のりのロックは難しい印象でしたが、ロックバラードから練習し、今ではテンポの速いロックナンバーも歌いこなせるようになったのではないでしょうか。
 ただし、「リンダリンダ」に限らずですが、ザ・ブルーハーツの曲はとてもシンプルなロックでありながらボーカルの甲本ヒロトの個性があふれるかなりの難曲です。
 「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから…」。
 最初テレビには出なかった彼らがたまたまテレビでこの歌を歌った時、そのストレートな歌詞とヒロトの激しい動きに初めはびっくりしたものの、高校生だった時にあこがれたシュールレアリズムの詩人、アンドレ・ブルトンの「美は痙攣的である、さもなくば存在しない」という言葉とリンクし、涙があふれたことを思い出します。
 ザ・ブルーハーツ、とくに甲本ヒロトの歌心と島津亜矢の歌心はとても共通しているとわたしは思います。彼の歌は純情で直接的、一見暴力的に見えて実はとても繊細で心優しいパンクロックの王道を行く歌で、たとえば「瞼の母」の番場の忠太郎、「大利根無情」の平手造酒、「一本刀土俵入り」の駒形茂平など、純な心を抱きながら世間の風にさらされ、自分が望まない方へと進むしかない宿命を背負って散っていく若者の心情を歌う島津亜矢と重なっています。
 もっとも、島津亜矢の「リンダリンダ」は高校を舞台に女子高校生バンドの青春を描いた2005年の山下敦弘監督の映画「リンダリンダリンダ」に近い歌唱で、観客席も一体となり、会場が大いに盛り上がりました。
 一方、「行かないで」は玉置浩二の歌ですが、島津亜矢が好んで歌ってきた玉置浩二のカバー曲の中でもっともすぐれた歌唱だと思いました。
 あくまでもわたしの好みと感じ方と断った上で、彼女がポップスを歌う時、かつて演歌を圧倒的な声量と歌唱力で席巻していた時のように、歌いすぎて絶唱型になってしまう危険をはらんでいると思っています。たしかにそれを喜ぶ人たちもたくさんいるとは思うのですが、今はとにかく自由にいろいろな歌を歌える喜びにひたっている時で、それを通り過ぎた後にはじめて、「徹子の部屋」で黒柳徹子から手渡された彼女のお母さんの手紙にあったように、日本を代表する歌手のひとりとして、世界の舞台で活躍できる時がやってくると信じています。「行かないで」の素晴らしい歌唱は、その一つの兆しだと思います。
 歌い込まれ、ますます進化していく「I Will Always Love You」の余韻を残して一部のステージが終わりました。
 30分の休憩をはさみ、演歌のステージとなる2部については次の記事とします。

2019島津亜矢「時代」2019

ザ・ブルーハーツ「リンダリンダ」

玉置浩二「行かないで」

web拍手 by FC2

2019.10.07 Mon ポップスと歌謡曲が融合された新しい日本のブルースを求めて 演歌フエスティバル2019と島津亜矢

ayaomoide.jpg

 9月29日、NHKBSプレミアム放送の「演歌フェス」を見ました。この番組は9月9日、NHKホールで開かれた「演歌フェス2019」の模様を9月22日、29日、10月6日の3週間に渡って録画放送されたものです。
 初めての試みとして、演歌ファンに大いに期待されたイベントでしたが、予想通りの企画演出で、はっきり言ってこんなイベントが本当に求められているのかと疑問を感じました。もっとも、多くの演歌ファンは最近のNHKの音楽番組への違和感もあるかも知れず、こういういわば「ガス抜き」の番組を求めているのかもしれません。
 わたしは演歌ファンではありませんが、少なくともJポップとはちがう音楽的な冒険を求める「新しい演歌」が誕生することを待ち望んでいます。
 古くは明治の音楽教育のひずみをひきずったまま戦前戦後を潜り抜けてきた歌謡曲から1970年前後、フォーク、ニューミュージックなど自分の歌う歌は自分でつくり、また自分の聴きたい歌は自分たちが企画構成演出する草の根ライブなどの新しい風が吹き始めました。それまでのレコード会社を頂点とするピラミッドがくずれ、音楽事務所が大衆音楽をけん引することになり、Jポップへと音楽シーンが変遷し、今に至っています。
 その潮流の中で、1970年を境に「ニューファミリー」という共同幻想のもとで個人の幸福幻想と社会の経済成長幻想が手をつなぎ、「家族ファースト」と呼べる社会現象が広まると、それに盾突く文化もまた生まれました。
 「演歌」のルーツをどの時代に求めるかは諸説あるかもしれませんが、わたしは藤圭子に代表される70年安保前後に生まれたか、もしくは生まれ変わったのだと思っています。ちなみに60年安保の時は西田佐知子の「アカシヤの雨にうたれて」が象徴のように言われました。
 70年代はしいて言えば藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」があげられますが、むしろ藤圭子の存在を時代のアイコンとして、グループサウンズや高倉健、藤純子の東映任侠映画、アングラ文化、「明日に向かって撃て」などのアメリカン・ニューシネマなどが世界の若者のムーブメントとともに疾走し、70年安保の挫折と高度経済成長のベルトコンベアからふるい落とされた若者たちの鬱屈した精神的・文化的はけ口として「演歌」もその一端を担い、若者の心情に寄り添ったといえます。
 五木寛之や寺山修司、竹中労などの「左翼運動家」が演歌を好んだと言う人もいますがそれは誤解だと思います。彼らはいわゆる左翼運動家ではなく、社会的な現象を政治や学問で語るのではなく、演歌・歌謡曲や映画・アングラ演劇などの大衆文化から時代をとらえようとしたひとたちで、わたし個人は子供のころに親しんだ歌謡曲を、寺山修司によって一つの思想というか、生き方として教えてもらいました。
 寺山修司が挑発的エッセイ「書を捨てよ、町へ出よう」で、畠山みどりの「出世街道」の歌詞にこじつけて、地方から東京に出てきたどもりの若者が「口には出せず」を「口には出さず」と言い変え、自分の人生を変えようとする…、そこにはどんな革命理論よりも歌謡曲が手ごたえのある革命への道しるべになると言い放つ時、鬱屈したわたしはなぜか根拠のない勇気がわいてきたのでした。
 この時代に活躍し、「責任者出てこい!」の決めせりふが人気だった人生幸朗・生恵幸子の漫才は、歌謡曲・演歌の歌詞をネタにして世相を語るボヤキ漫才でした。今思えば寺山修司の歌謡曲論もほぼこの漫才とかわらないものでした。
 それからまた時代は変わり、歌謡曲や演歌の歌詞から世相を語る漫才も評論もなくなりました。大衆音楽が「大衆」から遊離し、個人的な恋や夢が時代的・社会的背景を気にせず直接的な感情を歌にする、のちのJポップへと移り、時代の鏡としての歌謡曲の役割が終わりゆくプロセスから、阿久悠や松本隆が時代にあらがって刺激的な歌謡曲をたくさんうみだしたのもまた70年代後半から80代のことでした。
 わたしが残念なのは、大きな潮流がJポップへと流れていく中で演歌は時代を映す鏡としての役割をなくし、耐え忍ぶ女と捨てる男というような女性差別も甚だしい時代錯誤な恋愛観を押し付ける歌や、70年代のような混然とした時代背景を描けないままに「男の正義」を押し付ける歌など、時代の移り変わりに無頓着で変化を求めなくなってしまったことです。昔の歌にはそれぞれの時代背景のもとで息づくひとびとの夢や希望や絶望を表現していて、懐メロと言われる以上の時代の記憶を持っていますが、最近の歌にはそれがなくなってしまったと言わざるを得ません。もちろん、それはJポップもそうで、大衆音楽全体が停滞し、それぞれのファンのためだけにライブや音楽配信を繰り返しています。
 演歌フェスはその状況を打ち破るどころか、演歌のジャンルに残るランクのようなもので演歌歌手を縛るだけで、フェスティバルと呼ぶだけの実験的な試みを貪欲にしようとする意気込みは感じられませんでした。
 演歌フェス全体についてはネガティブな間奏になってしまって申し訳ないのですが、島津亜矢自身は最近のポップスへの「道場破り」に疲れた心を休めることができたのかもしれません。これからまた異分野の世界に冒険を求め、求められる場に赴くことになる彼女にとって、振り返ると苦しい場面も多々あったもののやはり古巣に戻ったようで、とても楽しそうでした。
 演歌は短歌のような定型詩で、ルールに縛られることでより官能的な歌づくりの可能性を持ち、島津亜矢はその定型詩と特有のメロディーの拘束によって鍛えられ、蓄えられた才能をポップスの世界でも花開かせました。
 そして今、島津亜矢は今をときめくアーティストたちがひしめき合うポップスの世界で「歌を詠む力」をさらに育て、いつかはポップスと歌謡曲が融合された新しい日本のブルースを誕生させるとば口に立っていると思います。
 中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」の歌詞のように、「行き先を照らすのは、まだ咲かぬ見果てぬ夢、遥か後ろを照らすのは、あどけない夢、ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない、ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない」。
 旅はまだ始まったばかり、島津亜矢は稀有な声量と美しい声色、圧倒的な歌唱力があるかゆえに陥りがちな自己撞着、名曲主義、絶唱至上主義をかなぐり捨てて、かつて演歌のジャンルでさらなる時代の僻地にまで疾走したように、ささやかな泉で喉と体を潤し、音楽の荒野を駆け抜けていってほしいと切に思います。
 演歌フェス2019に話を戻すと、既成のゆるがないランクに縛られた構成では、若手の歌手の活躍をもぎ取っているようで、彼女彼らをかわいそうに思いました。
 確実に育っている若手の歌い手さんのためにも、またさらなる高みを求めるベテランと言われる歌い手さんのためにも、たとえばJポップのアーティストや作詞家・作曲家による演歌の新曲を演歌の歌い手さんが歌ったりコラボするなど、番組発で新しい演歌・歌謡曲の冒険のきっかけづくりになるような試みが求められていると思うのです。
 その意味では、NHKなので演歌フェスよりも「うたコンフエスティバル」のほうが可能性があるのかもしれません。

島津亜矢 ★大器晩成 作詩大賞(2005年)

web拍手 by FC2

2019.10.02 Wed 「楽隊は、あんなに楽しそうに鳴っている。生きていきましょうよ!」サクソフォン四重奏と桜の庄兵衛ギャラリー

sakura2019929.jpg

 9月29日、いつも楽しみにしている「桜の庄兵衛」ギャラリーのコンサートに行きました。
豊中の阪急岡町駅から商店街を通り抜けたところにある「桜の庄兵衛ギャラリー」は、和室の大広間の梁や柱と白壁が演奏者とお客さんを包み込み、ここで年に何回か催される落語からクラシック、ジャズなど幅広い催し物で、毎回特別の時間を用意してくれました。
今回もまた開演時間になり、いつものように日常の時の流れに逆らわないリラックスした雰囲気で、サクソフォン四重奏団「トゥジュール・サクソフォンクァルテット」が登場しました。
 ソプラノサクソフォンの辻本剛志さん、アルトサクソフォンの森下知子さん、テナーサクソフォンの岩本雄太さん、バリトンサクソフォンの山添悟さんによるサクソフォン四重奏が奏でる音は、わたしがサクソフォンに持っていた重厚で荒々しく、それでいて「すすりなくような」大時代的なイメージを破ってくれました。
 なんと軽やかで優しく繊細で楽しく時にはせつなく、その上にコミカルな音色が4本のサクソフォンから重なり結ばれ、励まし合い助け合い、気が付くと心がウキウキ、ワクワク、うれしい胸騒ぎまでしてくるのでした。
あれ、よく聴く弦楽四重奏やジャズとちがう? どこがちがうの?…、そんなことを想う間もなく、わたしは初めて聴くサクソフォン四重奏に心を奪われてしまいました。
 サクソフォン四重奏は4人のボーカリストがサクソフォンと合体した肉声で歌っているようで、それはアカペラによるハーモニーに近く、聴く者の心もまた歌いだし、歩き出し、踊りだしそうにさえなるのでした。これは楽隊なんだ!!と、わたしの心が叫びました。
 そして、サクソフォンという楽器があらゆるジャンルで重宝がられるのは、この楽器が人間の声にもっとも近い楽器の一つであり、それは金管楽器のようで実は木管楽器であるのとも関係があるのかなと、素人感覚で納得してしまいました。

 わたしがサクソフォンという楽器を知ったのはずいぶん昔、1968年ごろだったと思います。その頃、わたしはともだち6人で家を借り、共同生活をしていました。時代は大学紛争、70年安保闘争、ベトナム反戦運動と、同年代の若者による戦後体制への異議申し立ての街頭デモや街頭演説などが連日連夜行われていました。
 わたしといえばもっぱらその頃流行ったヒッピーにかぶれ、寺山修司の「政治革命は革命のほんの一部でしかない」というご託宣にしがみつき、結局のところ人前でしゃべる勇気も実力行動に出る覚悟もないまま過ぎていく時間に身をゆだねていました。
 そんなわたしでしたが、当時の学生運動の大学生が泊まりに来て、よく彼らのいう「革命」や政治状況について時には朝まで熱心に語りあったことを思い出します。
 そのうちのひとり、Iさんはわたしたちの家に泊まった翌日、決まってわたしを街に連れ出し、ジャズ喫茶に誘ってくれました。その店でIさんはいつもジョン・コルトレーンの「至上の愛」のB面をリクエストし、それがかかる順番を待ちながらわたしに言いました。「あんたらは腰が重いけど、一度立ち上がったら何かするひとたちと思うよ」…。
 コルトレーンのテナーサックスはわたしの心を抱きしめ、「だいじょうぶ」となぐさめてくれました。
 Iさん、その後どうしていますか? 風のうわさで故郷に帰り、おやじさんの書店を継いだと聞きました。わたしもまた、わたしの人生をそれなりには必死で生きてきたのですが、あなたの言った「なすべき何か」をしたという自信はありません。
 時がすぎ、あれだけ激しく吹き荒れた政治の季節風が微熱だけを残して去って行った1970年、わたしは豊中の庄内の町工場で働くことになりきした。近くに音楽大学があり、「ブルーノート」という喫茶店がありました。店の名前に惹かれてお店に入ると、店長のおじさんがお客さんと将棋を指していて、コーヒーを注文されるのが迷惑そうでした。お店の中にはウッドベースとサックスが置いてありました。古いレコードがたくさんあり、ジャズがかかっていました。
 何度かそのお店に入ったある日、わたしはおそるおそるおじさんに話をしました。わたしはそんなにジャズのことは知らないけれども、昔友だちに教えてもらったジョン・コルトレーンの「至上の愛」というレコードをかけてもらうわけにはいかないものかと…。
 すると、おじさんは言いました。「はじめて聴いたジャズがコルトレーンで、しかもこの曲だなんて、あんたはかわいそうなひとやな」。わたしが「なぜですか?」と聞くと、「こんなすばらしい曲を最初に聴いてしまったら、他の曲を聴く楽しみがなくなってしまう」。
 そう言いながら彼はにっこりと笑い、愛おしそうに古びたジャケットからレコードを取り出し、「至上の愛」をかけてくれたのでした。

 第1部は静かにサクソフォンの妙なるハーモニーを聞かせてもらいましたが、2部に入るとほんとうに楽隊が路上で歩きながら演奏しているようで、わたしの心もスィングしました。
 2部に登場したピアニスト・大島忠則さんの軽やかなおしゃべりに爆笑しながらも、4人の後ろから聴こえる彼のピアノ演奏はとてもしなやかでやさしく、ピアノが描く街並みを4人の楽隊がたくさんの街の人と、いま桜の庄兵衛さんにいるわたしたち90人を街の果てへと連れて行ってくれるのでした。
 2部の演奏曲は大島忠則さんの編曲で、どの曲もより楽しく軽やかでしたが、特に「日本縦断!どんなんでんねん?弾丸ツアー」は北から南へ日本の歌謡曲を吹きまくりました。短い一節からワンコーラスまで、サービス精神満載の演奏は、サクソフォンという楽器がどれだけ大衆の心をわしづかみにする稀有の楽器であるかを教えてくれました。

「楽隊は、あんなに楽しそうに鳴っている。
あれを聞いていると生きていこうという気持ちになるわ。
わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。
生きていきましょう、生きていきましょうよ!
もう少ししたら、なんのために私たちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。
それがわかったらねえ、それさえわかったらね!」
(チェーホフ「三人姉妹」)

web拍手 by FC2

2019.09.25 Wed 新しいフォーク演歌に思えた「昭和枯れすゝき」 島津亜矢と三山ひろし・「うたコン」

simazumiyama.jpg

 9月24日、NHK総合「うたコン」に島津亜矢が出演し、「宙船」を熱唱、そしてなんと三山ひろしと「昭和枯れすゝき」をデュエットしました。
 まずは「宙船」ですが音程やリズムの正確さはもとより、バックの大合唱とともにロック歌謡と言ったらいいのかこみ上げてくるパッションがほとばしり出る熱唱でした。
 「宙船(そらふね)」は2006年8月、TOKIOの35枚目のシングルで、中島みゆきが自身のオリジナルアルバム『ララバイSINGER』の製作中にジャニーズ事務所より依頼があり、TOKIOに提供したのだそうです。「宙船」は後に中島みゆきのアルバム『ララバイSINGER』にセルフカバー曲として収録されています。
 ただし、わたし個人の感じ方ですが、島津亜矢はどうしても北島三郎と同じく、中島みゆきの歌を歌う時は心が弾け、やや力が入りコントロールのできないまま歌い切ってしまう場合があると感じています。
 実際のところ、中島みゆきのバラードはわかりやすいのですが、こういう速いテンポでたたみかける歌の場合、表面的には荒々しく元気のいい歌に聴こえるのですが、実はとても深い悲しみや怒りを心の底に蓄えながら、声震わせ心震わせて歌をつくり歌っているとわたしは思います。そこがソングライターとしての凄みはもちろんですが、彼女のボーカリストとしての凄みで、天才と言われるゆえんとわたしは思います。
 島津亜矢は今回の出演で語っているように、まず彼女自身がその歌の虜になり、他の歌とちがって歌詠みが十分でないまま気持ちが先走ってしまうのでしょうか。たとえば「地上の星」の場合、高度経済成長を担ってきた人びとの栄光ではなく、ぼろきれのように捨て去られ、忘れ去られた何十万、何百万の労働者の悲惨と無念を歌っているとわたしは思います。中島みゆきの場合、いわゆるべらんめぇ口調の歌唱によってそれがより深く聴く者の心に歌い残されます。
 彼女の初期のアルバム「生きていてもいいですか」に収録されている「うらみ・ます」、「エレーン」、「異国」などはストレートすぎて暗い、重たいと、コアなファン以外は一般に受け入れられませんでした。その後歌手やアイドルに提供したり、ドラマのテーマソングとして依頼を受けたりする、いわば商業ベースの曲を多くつくるようになると、普通ならそこで予定調和的になっていくところ、中島みゆきの場合は彼女本来の思想と言うべきか時代への怒りや悲しみを歌の底に沈ませながらポップな楽曲に仕立て直されています。
 たしかに世間に一番受け入れられ、大ヒットする歌の特徴は表向きは明るく元気でテンポがよく、誰もに受け入れられやすい曲でありながら、その奥にある心の闇に聴き手が知らず知らずに迷い込んでしまい、忘れられないフレーズとメロディーがいつまでも心に残ってしまうのです。たとえば昨年大ヒットした米津玄師やあいみょんがそうですが、中島みゆきはその元祖と言っていいと思います。
 中島みゆきのカバーを歌う多くの歌手の中で島津亜矢は「時代」や「誕生」、「命の別名」など思い切り声を張り上げたくなるところ、歌を詠む力で声量をコントロールできていると思うのですが、「地上の星」がそうであったように、「宙船」もまた島津亜矢が中島みゆきを通してボーカリストとして大きく進化するエチュードになることでしょう。
 もちろん、ポップスのボーカリストとして今大きく羽ばたこうとする島津亜矢の歌唱力は「歌怪獣」という愛称で爆発的に知られるところですが、あえて言えば「歌怪獣」と称されている間にファンも関係者もリスナーも、そして本人の想像をもはるかに越える高みに上っていくプロセスを現在進行形で伴走出来る喜びは何物にも代えがたいものがあります。
 そして、素晴らしいパフォーマンスを届けてくれたのが、三山ひろしとのコラボによる「昭和枯れすゝき」でした。
 「昭和枯れすゝき」は1974年のさくらと一郎のシングルで、翌1975年に放送された「時間ですよ昭和元年」(TBS系列)の挿入歌として、細川俊之演じる十郎と大楠道代演じる菊との居酒屋の場面に効果的に使われたことにより、有線から火が付き、大ヒットしました。また、この歌をモチーフに脚本・新藤兼人、監督・野村芳太郎による映画も製作されました。
 「貧しさに負けた いいえ、世間に負けた」という歌詞で始まるこの歌が発表された時代は田中角栄のロッキード事件、ニクソン大統領のウォーターゲート事件、ベトナム戦争の終結など、世界も日本も激動の季節が通り過ぎた後、アクセル全開となる高度経済成長に取り残されまいと多くの人びとが労働に消費にふりまわされた時代でもありました。
 オイルショックが戦後の経済成長の踊り場をつくり、吹き荒れた政治の季節の微熱が醒める中、立ち止まって社会の行方を見直す機会でもありましたが、結局は大きな波にさらわれ、その後のバブルとその崩壊に身をゆだねてきました。
 大衆音楽は戦前からの歌謡曲から「演歌」というジャンルが生まれ、70年代にフォークやニューミュージックと混然とする中で、エッジの利いた演歌が花開きました。
 そこでは時代錯誤も甚だしく、嘲笑すらふくむコミカルな演歌として、「女の道」、「女の操」と続いたのち、「昭和枯れすゝき」が生まれました。先の2曲とちがい、男と女が手をつないで心中をほのめかすこの歌は、時代に取り残されたひとびと(その中にわたしも入っていたと思いますが)の恨み悲しみ言い訳裏切りなどなど、ひかれ者の小唄にふさわしい反歌と思っていて、昔から大好きな歌でした。少なくともわたしにとって「インターナショナル」や「君が代」よりもはるかにわたしの心情に寄り添い、なぐさめてくれる歌だったのです。
 この歌を三山ひろしとのデュエットで島津亜矢に歌わせたNHKはあっぱれだと思います。この歌は演歌には珍しくハーモニーがグッとくる歌で、わたしの感覚ではJポップに近いものがありますが、オリジナルとカバーが素直につながる名曲だと思います。
 三山ひろしの歌唱力にはきらりと光るものを感じますし、島津亜矢の場合は演歌でもポップスでも誰かと共演する方が彼女の才能を活かせることから、この番組のチームは意外性だけでなく「新しい演歌」をイメージしたのではないでしょうか。
 この歌を聴くと島津亜矢のポップスの歌唱努力が端的に現れていて、彼女が今ポップスを歌えば歌うほど演歌が彼女の歌でよみがえるようです。
 そこが昨今の演歌歌手のポップス歌唱が島津亜矢に追いつけないところで、彼ら彼女のポップスはわたしには演歌歌手のポップスとしか聞こえないのです。かろうじて中森明菜の「DESIRE」を歌った丘みどりがその中では一歩抜け出したように感じます。
 今回の放送で特別のパフォーマンスを届けてくれたのは、「シクラメンのかほり」で布施明と共演した新進のバイオリニスト・木嶋真優が圧巻でした。もともとバイオリンはメロディーラインを聞かせる楽器ですが、彼女のバイオリンはあたかもボーカリストが歌を歌っているようで、会場の目に見えない音楽の塵が幾万の天使たちとなって舞い降り、彼女のバイオリンを弾いているようでした。
 さて、「SINGER6」が発売されました。とても刺激的な楽曲が収録され、島津亜矢の「今」を感じられるこのアルバムをこれから注文しようと思います。

島津亜矢「宙船」(SINGER コンサート 2018)

地上の星 / 中島みゆき [公式]

昭和枯れすゝき
web拍手 by FC2