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2020.06.26 Fri ソーシャルディスタンスと母の手のぬくもり。島津亜矢の「かあさんの歌」

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おててつないで 野道をゆけば
みんなかわいい 小鳥になって
歌をうたえば くつが鳴る
晴れたみ空に くつが鳴る

 1997年夏、わたしは母の手をにぎりながら、何十年ぶりかにこの歌をくちずさみました。病院の窓からは、山にへばりついた家々の灯がにじんでゆれていました。
 その半年前に脳梗塞で入院し、やっと退院し、車いす生活になれようとしていた矢先のことでした。退院後数日で母はまた救急車で運ばれ、同じ病院に入院する羽目になりました。86才という年齢から言っても今度は何が起こるかわからないと医者に言われ、数日間病院で寝泊まりしました。
 頻繁に呼吸が止まり、わたしは思わず彼女の動かない手をにぎりしめました。
 つないだ手と手のすき間から、「ずきん、ずきん」と脈が伝わってきます。心臓へとたどりつく血の鉄道は体の地平をかけめぐり、皮膚をつきやぶるような熱いリズムを刻んでいました。消えそうになったとたん、老いた胸をふくらませたかと思うと、とつぜんからだ中の長いトンネルをくぐりぬけ、鼻から口から風が吹く。日常とはちがう思いつめた静けさの中で、長い間忘れていた「いのち」の歌がきこえてきました。
 女ひとりで一膳めし屋を切り盛りし、必死で生きてきた母と兄とわたしの、いまはもうなくなってしまった子ども時代の風景。それぞれの人生はそれぞれであるしかないように、ひとは自分で幸せになるしかない。そう思って高校卒業してすぐ、ひきとめる母をふりきり家を出ました。やがて兄もわたしも大人になり、それぞれの「家」を持った時、「2人の子どもを育てあげた」ことの他に、どんな時とどんな風景とどんな幸せが彼女の人生にあったのか、わたしには知るよしもありませんでした。
 人間は歌うことをおぼえて人間になったというひとがいます。
 人間は前足が手にかわった時から歴史をつくったというひとがいます。
 もし、そうならば、人間は手をつなぐことで愛することをおぼえ、音楽を発明したのかも知れません。そしていのちの彼方とこちらをつなぐ手と手が、歴史の誕生と歌の誕生がひとつのものだったことを教えてくれます。
 その歌は演歌でもロックでもジャズでもクラシックでもない、手をつなげば小鳥になり、くつが鳴る。にじんだ夜空にくつが鳴る。
 長い間、こんなせつない歌を歌い、聴いたことがありませんでした。
 その日の朝早く、ひときわ強く雨が降り、雷がとどろきました。付き添いのベッドで眠ってしまったわたしが目を覚ますと、母はわたしのほうに顔を向けていました。口からは、いつもとちがう「ぶるぶる」という音とともに、つばがあふれ出ていました。おかしいと思いつつ一時間はたったでしょうか。突然またつばがあふれ、顔の血の気がすっとなくなりました。わたしの前から、母のいのちは遠くへ旅立っていきました。
 8月1日には86才の誕生日を迎えるはずの1997年7月13日、日曜日でした。病室の窓から何度も見た箕面の山々は降りしきる雨にぬれてぼんやりとくもり、その下に広がる街並みは、一日の生活をはじめようとしていました。

 新型コロナウィルス感染防止のため、外出自粛とともに3密を避けることを求められた時、なぜかわたしは母と手をつないで口ずさんだこの歌を思い出しました。あれから23年、働きつづけたその手のいとおしいぬくもりが切ない別れとともによみがえりました。
ひとは一人では生きられず、そしてパンのみでは生きられないとしたら、どんなに危ないことであったとしても手をつなぐことをやめられないとしたら、たったひとりの友や恋人に声を限りに伝えたいと思う心があるとしたら、血でつづられた歴史ではなく歌いつがれた歴史があるとすれば…、わたしは母の手のぬくもりを決して忘れてはいけないと思いました。
 島津亜矢の母もののうたと言えば「感謝状~母へのメッセージ~」や「かあちゃん」がありますが、わたしの生い立ちからくるのでしょうか、ほんとうのところ彼女に限らず歌謡曲で語られる親子の情愛や絆などステロタイプの家族感や母親像にどこかシックリこないものを感じます。
 けれども、今回のユーチューブの歌怪獣チャンネルで島津亜矢が歌った「かあさんの歌」は心に痛く刺さりました。1950年代半ばという時代背景から誕生したこの歌は、作詞・作曲した窪田聡が文学を志して家出した当時、母親から届いた小包の思い出や、戦時中に疎開していた長野県の情景を歌ったとされています。
 うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まったほか、劇団わらび座の舞台でも歌われ、またダークダックスやペギー葉山によって取り上げられて大ヒットし、NHKの「みんなのうた」でも放送されてより広い層に知られるようになりました。
わたしは子どものころ、学校に行かずに従妹たちが熱心に読んでいた「平凡」や「明星」の歌謡曲の歌詞集や童謡・唱歌の歌詞集で国語と音楽の勉強をしていました。
 ですから、美空ひばりの「悲しき口笛」や「りんご追分」と童謡の「里の秋」や「かあさんの歌」は、シングルマザーの母親の元で子どもなりに自分の家族が友だちの家族とはちがうことを知っていたわたしの心の友でした。
 当時の歌声喫茶などで歌われた「かあさんの歌」には、戦後の若者の希望と果てしない夢が隠れていたのでしょうが、集団生活が苦手なわたしにはどこか踏み込むことができないものを感じていました。のちにわたしの人生の「先生」となった寺山修司が「演歌は合唱に向かない」といったように、確かにわたしは美空ひばりや畠山みどりの方に傾倒し、一番身近な社会としての「家族」から逃げ出すことは考えても、歌によって世の中を変えようとする歌声運動の方に向かうことはありませんでした。
 しかしながら今、島津亜矢がアカペラで歌う「かあさんの歌」を聴くと、歌にはその歌が生まれた時代を記憶する力があり、敗戦から10年が過ぎ、絶対的な貧困のもとでの生活再建へと歩き始めた頃、労働運動を通して戦後の民主主義を支え、「二度と戦争はしない」という約束を歌によって確かめ合った、当時の働く青年たちの切なくも熱い思いがよみがえってくるようです。
 島津亜矢の歌にびっくりさせられるのは、歌怪獣という異名をとるまでになったジャンルを問わない歌唱力と声量はもちろんのこと、オリジナル曲でもカバー曲でもひとつひとつの歌とのめぐり逢いから一気にその歌の生まれる時代背景にたどりつく彼女独特の「歌を詠む力」の豊潤さにあり、その尽きることのない歌心はユーチューブというメディアを得てより花開こうとしているのだと思います。
 さて、9月の末にはなんとかなるのではないかと思い、ロームシアター京都で開催予定のコンサートの座席チケットを確保しました。少しの間コンサートから遠ざかっていましたので、とても楽しみです。

島津亜矢『かあさんの歌』

島津亜矢『いのちのバトン』

美空ひばり「悲しき口笛」
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2020.05.30 Sat 管楽器でも弦楽器でもない、玉置浩二の歌唱は繊細な気鳴楽器 島津亜矢の「メロディー」

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 島津亜矢という歌手はわたしにとって「歌姫」というよりは「シャーマン(巫女)」で、島津亜矢がいま歌いたい歌はどんな歌なのか、歌うことを宿命づけられた歌はどんな歌なのか…、コンサートであれ音楽番組であれ、CDの収録であれ、カバー曲であれオリジナル曲であれ、その歌がつくられる(歌いなおされる)瞬間に立ち会いたいと願う数少ない歌手の一人です。
 その曲がカバー曲の場合、ひとつひとつの楽曲には歌自身が隠している記憶があり、そのひとつひとつの記憶をたどり、その記憶を追体験しながら今の時代の新しい物語を作り出す力、それを歌唱力と呼んでもいいのかもしれません。
 歌の記憶をたどり、歌が生まれる瞬間に降り立てば、すべての歌は歌われた瞬間からオリジナル歌手の肉体からも書かれた譜面からも遠く離れた歌の荒野に解き放たれ、ある歌は忘れ去られ、ある歌は時代を越えて歌い継がれるのだと思います。
 はるか遠く、人間が言葉を発明する前に川のせせらぎや鳥の鳴き声とともに、自らの肉体から声という音をだすことで他者に自分の存在やメッセージを伝えるところから、音楽が生まれたといわれます。若かりし唐十郎の演劇論ではないですが、歌をつくるのは作詞家や作曲家ではなく、歌手の特権的肉体によって歌われ、つくられてきたのだとしたら、わたしにとって島津亜矢は歌うことを宿命とされたこの時代のシャーマンだと言えるのかもしれません。
 そういえば、小椋佳は島津亜矢のためにつくった「歌路遙かに」で、「歌の一つで心洗われたりもしませんか 歌のひとつで命救われたりしませんか」と歌わせています。

あんなにも好きだった 君がいたこの町に
今もまだ大好きな あの歌は聞こえてるよ
あのころはなにもなくて それだって楽しくやったよ
メロデイーいつのまに 大切なものなくした

 さて、今回は玉置浩二の「メロディー」について感じたことを書こうと思います。わたしは彼女のポップスの歌唱はたしかに完成しているものもたくさんあると思いますが、いまはまだエチュードの段階だと思うものも少なからずあります。
 もとより、人それぞれの個性と才能、向き不向きがあるのは承知していて、島津亜矢もその例外ではありえないでしょう。また、わたしの好みや感じ方もあり、そういう意味では歌の善し悪しなどは突きつければ歌詞と楽曲はもとより、歌い手の声質や声量や表現とあわせて、聴く者の好みやその歌と出会ったシチュエーションで決まるものなのかもしれません。ですから、わたしがこの歌に限らず玉置浩二の楽曲を歌いなおしてほしいと思ったとしても、それぞれの感じ方の問題と割り切ってしまえばいいのかもしれません。
 「メロデイー」は日本一のボーカリストといわれる玉置浩二の歌の中でも特に難しい歌だと思います。島津亜矢は玉置浩二が好きで、いままでこの歌の他にも「行かないで」、「じれったい」、「田園」、「ワインレッドの心」などをカバーしています。いずれも名曲といわれる歌ばかりですが、実は玉置浩二が歌うことで名曲になったというのがほんとうのところだと思います。その中でも「メロディー」は短くてシンプルで音域も高くないのに、ひとつひとつの言葉が心にしみわたる楽曲で、たしかに彼以外には歌えないと言われるゆえんです。
 しかしながら島津亜矢がボーカリストとして演歌と同じかそれ以上に多くの人々を魅了する天賦の才能と実力を備えた歌手と確信するわたしにとって、この歌はまだ完成していないエチュードで、玉置浩二とはちがった場所で音楽的冒険をつづける島津亜矢の旅の途中で立ち止まり、彼女の進化を測る貴重な楽曲だと思います。
 というのも、以前からわたしは島津亜矢の管楽器のようにやや硬質でナチュラルな声質が魅力と思っていて、演歌では「影を慕いて」や「悲しい酒」、ポップスでは森山直太朗の「桜」や、「帰らんちゃよか」以来、新解釈で島津亜矢のオリジナルとして完成させた「時代」など、弦楽器系の声質では表現しにくい直接性と、歌でなければ伝えられない切実さが彼女の声質を生かしていて、ジャンルにとらわれずたくさんの歌を彼女が歌える理由のひとつになっています。
 ところが、玉置浩二の場合は管楽器でも弦楽器でもなく、強いて言えば彼の喉と身体全体が気鳴楽器といわれるアコーディオンやバンドネオンの蛇腹のふいごのように膨らんだり縮んだりする空間楽器になっていて、そこから来る独特の歌唱は歌詞も曲もとてもシンプルなのに、のどから外に出るビブラートではなく、のどから体の中で震えるビブラートがかすかに漏れるような繊細さといとおしさで歌い語り、やさしい沈黙までもが心に届けられるのです。
 もう二度と帰らない青春、大人になることでなくしてしまった夢と友情と恋、もしかすると、大切な友人や恋人が亡くなったと知らされ、通夜や葬儀で心の中で弔辞を一言、また一言かみしめて読んでいるような、悲しみと、もしかするとちょっとした裏切りと、懐かしい人と町、そこに流れる青ざめた時をいつくしむように聞こえてくる歌は…。
 願わくば島津亜矢の管楽器的で官能的な刃のような発声法に加えてあとひとつ、玉置浩二の気鳴楽器のような発声法を加えたら、存在感を増す肉感的な低音がより生かされ、これまでやや不得手だったかも知れない楽曲へのチャレンジも可能になり、フィールドが一気に広がるのではないかと想像します。
 これも最近、強く感じることですが、島津亜矢の演歌の歌唱はずいぶん前に完成していたはずが、すでに10年ほど前から獲得したゾクッとする肉感的な低音がポップスの歌唱によって磨きがかかり、最近の彼女の演歌歌唱はかつてのような若さに任せて(それもまた魅力的でしたが)歌い切るのではなく、歌い残すことで聴く者の心にいつまでも甘美なやけどを残します。
 演歌で獲得できた歌を詠む力をポップスで発揮するようになるには、あと少しの時間が必要なのかもしれません。歌に隠された記憶と物語を引き出すために、演歌・歌謡曲とは比べ物にならない無数の楽曲を歌うことで、もう一度丁寧に歌を詠む力と新しく多彩な発声法にチャレンジしてほしいと願っています。
 もちろん、今の歌唱でなにか問題があるのかと言われれば最終的に好みの問題とされるでしょうし、たしかに今のところ彼女がどれだけ努力をしてもいまだに「演歌歌手・島津亜矢」のレッテルをぬぐえないのも事実で、それならば演歌歌手のポップスとして高い評価を得ていることで満足すべきなのかもしれません。
 彼女の小さな成功例が刺激となったのか、最近の若い演歌歌手がポップスを歌う機会が増えましたが、ファンのひいき目からくる失礼方を承知で言えば、かろうじて市川由紀乃を除いてほとんどは島津亜矢のポップスとは似て非なるもので、かつては島津亜矢もそうであったかもしれない「演歌歌手のお座敷芸」の域を出ないと思います。それだけでなく彼女彼らがポップスを歌う姿勢に「演歌歌手は何でも歌える」といったある種の思い込みを感じて、がっかりしてしまいます。
 その意味でも「孤高の歌手・島津亜矢」の苦闘はまだまだ続きそうで、だからこそ音楽の女神にいざなわれ、道なき道を歩く島津亜矢をいとおしく見守り、あとを追いかけようと思うのです。

島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル

島津亜矢『メロディー』

玉置浩二 『メロディー』Live at Tokyo International Forum 1997/11/22

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2020.05.10 Sun アカペラは歌が誕生する場所に立ち返ること 「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」 

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 前回に引き続き、YouTubeチャンネル「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」について、書こうと思います。開設以来、登録数が増え続け、前回の記事の時点から1000人も増え、1.5万人に近づいています。
 以前から彼女の軌跡を辿る映像がYouTubeで残されていて、その歌唱は素晴らしいもので、ファンの中にはこれらの映像で島津亜矢を発見した人も数多くおられることでしょう。
 わたしもまた、2009年の秋に今は亡き友人に教えてもらったのがきっかけで、翌年の2010年は主に島津亜矢が出演するNHK「BS日本のうた」で彼女が歌う演歌・歌謡曲のカバーを聴いていました。その頃はNHK「うたコン」の前身の「歌謡コンサート」には今ほど出演させてもらえず、また出演した時もベテランの歌い手さんにとても気を配っているように思えたり、彼女の歌唱曲にも歌唱時間にも不満が残り、にわかファンのひいき目から近い将来きっと彼女が音楽シーンをけん引する時代がやってくるという確信に囚われていたことを思い出します。
 あれからずいぶん年月が過ぎ、時代の潮目が変わる時というのは突然やってくることを痛感するこのごろです。もちろん、ここまで来るために島津亜矢がどれだけの地道な努力とどれだけの時間を費やしてきたのかと思うと感慨深いものがあります。
 今回、島津亜矢自身が開いたYouTubeチャンネルは、もちろん新型コロナウイルス対策として非常事態宣言が発出され外出自粛要請が続く中、数多くのアーティストや芸能人が家で楽しめるさまざまなパフォーマンスを届けていて、島津亜矢もまたその一人として何かしなければという思いから始めたのでしょう。
 もちろん数多くのアーティストの動画配信はファンサービスでもあると同時に、外出自粛の啓発キャンペーンという要素も強くあります。ロックダウン、都市封鎖というような強い強制を発動する欧米諸国とはちがい、自粛要請という形で国民が自主的に行動変容することを期待するわたしたちの国では、芸能人やアイドル、アーティストたちの呼びかけが有効な啓発のひとつなのでしょう。
 それらはたしかに成功していて、わたしたちが外出を控え、忍耐強く家から出ないでいる効果が少しずつ現れてきていることも事実で、いまだにPCR検査が受けられないために救える命が見放されるなど、政権の対応のまずさや不実がコロナウイルスによる死者だけでなく、町の経済が壊れたために死者が増えてしまう理不尽を許せないとしても、強権発動によらずにコロナとの共生を模索する民主主義的な手法は評価される面もあるのかもしれません。
 しかしながら、その一方でアイドルグループを中心に連発されるこれらの啓発動画を見ていると、とても危険なにおいを感じます。というのも、テレビだけでなくネットの世界でも今回のような外出自粛の呼びかけが本来の純粋な気持ちからだけではなく、背景に同調圧力が働いているからで、その圧力がわたしたちの社会をとても息苦しくしていると思います。少し前までならSNSどまりであったものが緊急事態宣言や外出自粛要請が出るなかで、店舗にいやがらせの貼り紙をしたり感染した人や医療従事者への差別など、相互監視と他者へのバッシングで自分の身を守ろうとする鎖国社会がわたしたちの心をむしばみ、ほほえむファシズムがわたしたちの心にしみこんでいく恐怖を覚えます。
  「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」の場合、アイドルやその事務所発の啓発バスに乗り遅れまいという焦りも刹那的な同調圧力もまったく感じず、彼女の人間性がそのまま現れていて、ファンのみならず数多くの人たちの心が慰められることを確信します。
 前回の記事でうまく表現できなかったのですが、彼女の場合は今回のことがきっかけで純粋に彼女の歌を直接届ける新しいメディアを獲得しました。
 旧来のイベント会場やCDなどの物理的な制約や「音楽・芸能業界」での気配りを必要とせず、セルフプロデュースで歌いたい歌を歌い、歌を必要とするひとに直接届けられる手紙のような肌触りを持つリアルなライブチャンネルとして、これからの島津亜矢の音楽的冒険をけん引していく強い味方になるでしょう。
 コロナ以後の世界がどう変わるのか、数多くの人が予測していますが、AIやバーチャル技術など、あらゆるジャンルでデジタル化が進み、他者との関係もこれまでとは違ったものになることでしょう。わたしはAIなど進化し続けるデジタル技術では決して肩代わりできないものは結局のところ、人間の孤独やさびしさではないかと思っています。
 それゆえに、ネット配信などデジタル化が進めば進むほど孤独になっていく心に届く肉声のメッセージとパッションが、わたしたち人間が長い間忘れていた救済の音楽・祈りの歌・癒しのリズムを再生することになるでしょう。
 島津亜矢が他の才能あふれたボーカリストと決定的に違うところがあるとすれば、それはたぐいまれな歌唱力にあるのではなく、同時代の箱舟に乗り合わせたわたしたちの孤独に手を差し伸べ、さびしさに寄り添うことを宿命づけられた歌手であることでしょう。時にはセンチメンタルに、時にはテロリスティックにたましいの救済と鎮魂歌をわたしたちの心に直接届け、歌い残す危険な歌手でもあります。例えば「瞼の母」や「一本刀土俵入り」、「函館山から」や「YELL」や「影を慕いて」など、時代を越えて海山を越えて言葉を越えて、彼女の歌は愛を必要とする孤独な心に染み込んでいくのです。
  「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」では「歌路遥かに」と「想い出よありがとう」、「故郷」、「仰げば尊し」をアカペラで歌いました。他のメディアではさわりはあっても2コーラスをアカペラで歌うことはほとんどないでしょう。このチャンネルライブのだいご味はこんなところでも発揮されます。アカペラはとても勇気のいることで、ちょっとしたお慰みならまだしも、残酷なまでに歌唱力がそのまま現れてしまいます。彼女の音程のたしかさとメロデイーのゆらぎというか、歌に込められたパッション・激情がそのまま歌に表れ聴く者の心にぐさりとささります。いまやプロでなくてもカラオケでそれなりの歌唱を発揮できる時代に、アカペラで歌うことは島津亜矢にとって特別なプレッシャーを自らに課す覚悟を持って、歌が誕生する場所に立ち返ることでもあるのでしょう。
 わたしはかつて、浅川マキが亡くなる一年前ぐらいに深夜の京都でその日4回目となるステージを踏んだライブにいったことがあります。この時、浅川マキはゲストのギターリストを迎えた一曲二曲を除き、すべてをアカペラで熱唱しました。「セント・ジェームス病院」や「朝日楼(朝日の当たる家)」をアカペラで聴くことがこれほど贅沢なものかと思ったものです。島津亜矢のアカペラはそれに劣らず、肉感的でエロティシズムさえ感じさせ、一度聴くと癖になりそうなのです。
 「歌路遥かに」は小椋佳の作詞作曲で2011年1月に発売されました。わたしがはじめて島津亜矢のコンサートに行ったのもこの年の2月で、それまでは演歌歌手のコンサートに行くこともまったくなかったわたしが、長渕剛がすきだという車いすを利用するKさんと、リズム&ブルースやロックしか聴かない30歳も年下のIさんの3人で行ったのが昨日のことのようです。
 この時は「歌路遥かに」が新曲キャンペーンの真っ最中でした。この時から約10年たちますが、発売当初は歌手の道を究めたような小椋佳の傑作を歌うにはまだ島津亜矢が若すぎたように思い、ほんとうは今のタイミングならよかったかなとあらためて思います。
  「想い出よありがとう」は同じ年の6月に発売されたアルバム「悠々~阿久悠さんに褒められたくて~」に収められた楽曲です。この年の後半のコンサートはこのアルバムの全曲を歌ってくれました。また、このアルバムが出たために「歌路遥かに」からこのアルバムの「恋慕海峡」に新曲キャンペーンが移ってしまいました。
 日本の演歌・歌謡曲の巨匠といえる2人の楽曲を同じ年に歌うことになった理由はわかりませんが、今でももう少しちがった打ち出し方があったように思い、残念でたまりません。アルバム「悠々~阿久悠さんに褒められたくて~」は阿久悠の未発表の作品10曲を8人の作曲家によって楽曲にしたものです。時代の寵児だった天才作詞家・阿久悠が、おそらくは音楽シーンの先頭を走り切った果てに訪れた人生の黄昏に、ふとよみがえる子ども時代の夕暮れや、真っ青な青春のきらめきとはかなさ、時代の裏側でまどろむ切ない夢…、そんな落日に書き残したであろう「もう一つの遺書」のようで、言葉を追いかけるだけでもおもわず涙がこぼれそうになります。その中でも「想い出よありがとう」は都志見隆が作曲した珠玉の一曲で、わたしはなぜかこの歌を聴くと映画が大好きだった阿久悠らしく、フランス映画の一シーンでイブ・モンタンが古ぼけた鉄製のベッドに座っている後姿が目に浮かびます。「セラヴィ(C'est la vie !)」、それも人生だと…。
 とても長い記事になってしまいました。ごめんなさい。
 ともあれ島津亜矢のアカペラとライブチャンネルとの相性は抜群で、いつものステージでの振袖姿とちがい、普段着のラフな姿で歌う島津亜矢はほんとうにすてきです。

島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル

島津亜矢『想い出よありがとう』

島津亜矢『歌路遥かに』

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2020.05.01 Fri 島津亜矢のもうひとつのコンサート会場。 「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」(YouTubeチャンネル)

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 島津亜矢がYouTubeチャンネル「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」を開設しました。
新型コロナウイルス感染症の影響で開催予定だったコンサートや新歌舞伎座の座長公演も中止もしくは延期となり、全国各地のコンサートが主な活動である島津亜矢は表現行為が著しく制限されてしまいました。
 連休明けに緊急事態宣言の解除はほぼ絶望的な状況で、よりいっそうの我慢を強いられることで「自粛疲れ」が限界になり、感染症への恐怖がさまざまな差別言動や虐待や暴行がさらに頻繁に起きると予想される中、いろいろな歌手など芸能人やスポーツ選手が独自のYouTubeチャンネルで外出自粛をよびかけています。
 島津亜矢もまた、コンサートに参加予定だったファンに直接メッセージを届ける手段として、さらには外出自粛を余儀なくされているひとの心が少しでも慰められるならばと、YouTubeチャンネルの開設に踏み切ったのだと思います。
 3月末に開設、「糸」からはじまり、「眦(まなじり)」、「帰らんちゃよか」、「上を向いて歩こう」、「海鳴りの詩」、「アイノカタチ」、「感謝状~母へのメッセージ~」、「おきな草」、「想い出よありがとう」、「歌路遥かに」と、すでに10曲の生歌を聴くことができます。
どの歌も彼女らしい素晴らしい表現力で、これから楽しみがもうひとつ増えたというのが本心ですが、今回のコロナショックを機にYouTubeチャンネルを開設したことは、おそらく島津亜矢本人はもちろんのこと彼女のプロデュースチームにとっても大きな転機と振り返る時が来るのではないかと思います。
 今までは全国各地で開いてきたコンサートや座長公演、テレビやラジオ出演などの露出によってファンを増やし、CDの販売につなげる形で活動を続けてきました。その活動の成果のバロメーターのひとつとして、演歌・歌謡曲部門のCD販売のランキングがありました。
 しかしながら、ずいぶん前からCDの販売数は歌手の人気を測るものではなくなってしまいました。AKBのファンのようにひとりで何百枚も買うことでお目当てのアイドルと握手する権利を得るといった、ファン心理を助長するツールにするのは例外としても、販売促進のための特典付きでCDを販売することが多くなっているからです。
 音楽配信によるネット化が進み、それもダウンロードから定額の配信サービスへと変りゆく中、女性アイドルグループやジャニーズグループ、EXILE、韓流アイドルたちが若い人たちをターゲットにし、音楽市場を席巻しています。さらに、そもそも音楽そのものが何か別のサービスの「おまけ」になってしまっている場合もあり、テレビドラマやアニメドラマ、バラエティー番組、映画などとのタイアップなくしてはヒットはおろか、制作コストも単独では成立しないようになっているのではないでしょうか。
 Jポップをはじめとする音楽全体が疲弊する中、かつてのようなレコード会社によるギルドからは生まれない刺激的で冒険的な楽曲が若い才能から生まれ、今また音楽ルネッサンスの到来を思わせる新しい時代への期待を感じさせるのもまた事実です。
 その中で島津亜矢は出自の演歌歌手のフィールドからポップスにまでつばさを広げ、テレビの音楽番組に出演する機会も飛躍的に多くなりました。2015年、14年ぶりに出場した紅白で熱唱した「帰らんちゃよか」をマキタスポーツが絶賛、彼から「歌怪獣」という称号を与えられ、それ以後NHKの「うたコン」やTBSの「UTAGE!」などに出演し、数々のミュージシャンとの共演で圧倒的な支持をえるようになりました。
 しかしながら、毎年制作する新曲CDは必ずしもその努力、実力に見合うものにはなっていないのが現状ではないでしょうか。おそらくそれは彼女のますます幅広くなる歌手活動をはかる人気のバロメーターとしては従来の演歌・歌謡曲部門のCD売り上げでは測れなくなったからだと思います。
 一方、Jポップを支持する若い人たちの生活スタイルをビッグデータとして取り込み、彼女彼らに寄り添うように新しい歌手を売り込み、楽曲からライブまでをプロデュースする大手の芸能プロダクションの戦略とはまったく無縁の島津亜矢の場合、テレビの音楽番組でのポップスの歌唱がその意外性も含めて高く評価されても、持続的なプロデュースがないため、その場限りのパフォーマンスで終わってしまいがちです。もちろん、オリジナルのポップス曲がないことは、どれだけ歌唱力があっても「はやり歌」のメインストリームの埒外になってしまいます。
 歌手としてのレンジの幅が広くなるほど、演歌ファンには「オリジナルの演歌を求められ、ポップスファンにはいわゆる「ポップスの名曲」を求められるジレンマがあります。
 どれだけ多彩であっても生身の体は一つしかない以上、限られたスペースと時間で演歌ファンにもポップスファンにも満足してもらうは至難の業で、島津亜矢の魅力と彼女の音楽的冒険を最大限に発揮するにはどうすればいいのでしょうか。
 わたしは今回のYouTubeチャンネルの開設はその答えの大きな一歩になると確信します。彼女はこれまでにブログをリニューアルし、インスタグラムも始めるなど、遅ればせながらネット配信に参画してきましたが、今回のYouTubeチャンネルの開設はコロナショックのさ中でやむを得ない事情があったものの、いままでの活動を存分に生かせる「もうひとつの島津亜矢劇場」を得たことになると期待しています。
 この仮想劇場では演歌もポップスもジャズも、あらゆるジャンルの歌も自在に歌うことができます。もちろん、新曲の情宣も、テレビ番組で好評だった歌唱をすぐに再現することも可能です。視聴者も番組での歌唱を気に入った歌手で検索しますから、誘導が可能になります。いつもテレビに露出するわけでもなく、またコンサートに出向くこともないひと、CDやDVDを買うところにまで行かない人たちに、島津亜矢のあらゆる魅力をダイレクトに届けられるのです。YouTubeチャンネルでの表現は、彼女をとても身近な存在にしてくれますし、演歌もポップスもほぼ同時に聴きたいひとにリアルタイムで歌を届けられるもっともコストパフォーマンスの優れたメディアで、ここでなら大手の芸能プロダクションと対等に渡り合うことができると思うのです。
 もちろん、このチャンネル自体の認知を進める情宣は欠かせませんが、同時にCDの売り上げではわからない、島津亜矢の人気と注目度がかなり率直に現れるメデイアなので、ここでは既存のメデイアやライブでは実現できないことを果敢に実行してほしいと思います。ちなみに、以前から開設している歌手は別にして、今回のコロナショックで開設したYouTubeチャンネルでは、さすがに坂本冬美が一か月ほどで5.6万の登録者数を得ている他では、島津亜矢の登録者数は約1.3万と実際の人気度を測れるものになっています。
 彼女のチームがこのメデイアを最大限に生かしたプロデュースをしてくれることを切に望みます。
 次回の記事でアカペラの2曲、「想い出よありがとう」、「歌路遥かに」について書こうと思います。

島津亜矢“YouTubeチャンネル”開設のご挨拶~『糸』

島津亜矢『桜』(島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル)


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2020.04.22 Wed ヒッピーに捧ぐ 忌野清志郎と渡辺大知

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検死官と市役所は君が
死んだなんて言うのさ   
明日また楽屋で会おう
新しいギターを見せてあげる
(「ヒッピーに捧ぐ」RCサクセション「シングル・マン」収録)

 わたしはラジオを聴いたり、ネットの音楽配信やCDをいつも聴くというほどの音楽好きでもなく、音楽に詳しいわけでもありません。
 ただ子どものころ、戦後の日本全体が不安定なグライダーのように低空飛行を続けていた時代、大衆食堂を一人で切り盛りして兄とわたしを育ててくれた母が大好きだった三橋美智也の「おさげと花と地蔵さんと」や広沢虎造の浪曲「森の石松」、美空ひばりの「波止場だよお父つぁん」や春日八郎の「別れの一本杉」が中古ラジオから流れてくると、子ども心に「いつか世の中もぼくの家族も貧乏から抜け出せる」という根拠のない希望がふつふつと湧き上がってくるのでした。
 青春時代を迎えても森進一や北島三郎など昭和の流行歌がわたしの心の友でしたが、突然ビートルズがやってきて田舎育ちのわたしの心にもポップスやロックやリズム&ブルースやジャズなど、ワールドミュージックが届くようになりました。
 それからすでに半世紀、人生の黄昏をかみしめる年齢になっても、実人生で出会うミュージシャン以外はもっぱらテレビの音楽番組やドラマの主題歌などで若い才能と出会うたびに老いた心を震わせています。
 4月4日にNHKBSで放送された「忌野清志郎トリビュート! ~ナニワ・サリバン・ショー2020~」で、そんなわたしの決して感度の良くないアンテナをなぎ倒した若者が歌っていました。音楽を良く知る人なら何をいまさらと思われるでしょうが、その若者とは渡辺大知でした。
 彼が歌った「ヒッピーに捧ぐ」は忌野清志郎へのリスペクトというよりは、ぺんぺん草が生える心の荒野と青ざめた空を隔てる時代の地平線を走り抜けた忌野清志郎のたましいが乗り移ったようでした。
 青春が、時代が明るいとだれにも言わせまいと行き先のない悲しみと孤独をこの歌につめこんで、もう決してやってくるはずのない朝を夜の空にしまい込んだ若かりし清志郎のたましいの歌…、もし歌うことをやめたら清志郎のたましいと共振する無数のたましいも忘れ去られてしまう切羽詰まった叫びが、長い時をへて渡辺大知の心と体からあふれ出すのを見ました。

 「ヒッピーに捧ぐ」は1976年に発売されたRCサクセションの3枚目のアルバム「シングル・マン」に収められた楽曲です。1970年にフォークグループとしてデビューした彼らが1980年にロックバンドとしてあっという間に日本の音楽シーンを席巻するまでの不遇の時代にレコーディングされた「シングル・マン」は発売にこぎつけたもののすぐに廃盤になっていましたが、ロックバンドとして注目されるようになり、1980年に再発売されました。ちなみに、このアルバムにはあの名曲「スローバラード」も収録されていて、80年代の日本の音楽シーンを突っ走ることになるRCサクセションが、すでにロックバンドになっていたことを教えてくれます。
 彼らがビッグになる夢を見ていたヒッピーというあだ名のサブマネージャーの死を悼んだこの歌には、数少ない理解者をなくした大きな悲しみと、周りにも世間にも受け入れられない絶望がひとつひとつの言葉とメロディーに刻印されていて、もうひとつの挽歌「まぼろし」とともに何度聴いても曲の最後に涙があふれてくる名曲です。
 もちろん、RCサクセションの楽曲はとても明るくポジティブで、傷つきやすい心を励ましてくれる曲が圧倒的に多いのですが、わたしはこのアルバムに詰め込まれている怒りや途方もない悲しみから、彼らのロックが始まったのだと思うのです。
 「ヒッピーに捧ぐ」は実話そのもので、現実の悲しくショッキングな出来事の一つ一つを忌野清志郎が歌にしなければその現実を乗り越えられなかった切実さがあります。この歌に限らず忌野清志郎がつくる歌詞は日常会話でふつうに使う言葉がそのまま歌となって聴く者の心に届けられ、その直接性がシンプルなロックになっていきます。
 戦後長い間、「日本語でロックは歌えない」という通説がありましたが、「ハッピーエンド」が道をつくり、RCサクセションによって日本語でしか歌えないロックが生まれたのだと思います。力強く骨太でノリのいい演奏と、繊細で切なく無垢な愛を歌うバラード、ソウルフルなヴォーカルが合わさってつくられる彼らのロックンロールは、これからも若い人たちに影響を与え続けることでしょう。

 新型コロナウイルス感染症予防のためと、音楽イベントに限らず劇場など表現行為の場が自粛に追い込まれている今、ひとがひとであるためにもっとも大切なだったはずの「人と人とのふれあい」をなくすことが求められます。今は仕方がないと暗闇を迷いながら通りぬけた果てに、わたしたちは元の居場所に戻れるのでしょうか。
 以前にうつ病の手前まで行った時、音楽が癒しになるどころか、かすかすのスポンジになってしまった私の心を潤すこともかないませんでした。どんな言葉もどんな音楽も届くことがないと絶望していたわたしに届いた唯一の音楽は、たまたまテレビのドキュメント番組で沖縄のいくつもの島でライブツアーをしていた「モンゴル800」の「小さな花」でした。その時、わたしは号泣し、かすかすのスポンジの心が涙で満たされました。
 そして毎年開催してきた「ピースマーケット・のせ」が中止になり、当面の目標をなくしてしまった今、渡辺大知に乗り移った忌野清志郎の「ヒッピーに捧ぐ」はわたしの心を激しくたたきました。そして、大人になったわたし自身に裏切られた青春のうれしい復讐におろおろしながら、わたしは号泣してしまいました。

カーラジオから
スローバラード
夜露が窓をつつんで
わるい予感のかけらもないさ
ぼくら夢を見たのさ
とてもよく似た夢を
(「スローバラード」RCサクセション「シングル・マン」収録)

「ヒッピーに捧ぐ」RCサクセション

『抱きしめさせて』渡辺大知

「スローバラード」RCサクセション

「傘がない」忌野清志郎・井上陽水・高中正義
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