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2021.09.22 Wed 300年の時をめぐり、桜の庄兵衛に降り立つ希望・ヴィヴァルディの「四季」

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 9月19日、豊中の「桜の庄兵衛」ギャラリーで、横山亜美さんのヴァイオリンと武田直子さんのピアノによる、ヴィヴァルディの「四季」の演奏会がありました。ヴィヴァルディの「四季」といえば、クラシックとほとんど縁のないわたしでさえ、「春」の第一楽章の最初の一節を何度も聴いたことがある有名な楽曲です。
 ヴィヴァルディは今ではバッハが強く影響を受けたバロック音楽の天才作曲家とされていますが、長い間歴史の底にうずもれていたひとで、500曲以上の楽曲をつくりながら彼自身の生涯はとても悲惨な晩年だったようです。
 ヴァイオリン協奏曲「四季」は300年も前に作曲されましたが再評価されたのは第二次世界大戦後で、とくに1959年のイ・ムジチ合奏団の演奏が世界的なブームになり、CDの売り上げが累計300万枚近くに及んでいるそうです。クラシック音楽を広く大衆に広めた偉大な功労者であるとされる反面、その大衆性から芸術的評価を低くされる場合もあるようです。
 歌謡曲とジャズ、ブルースになじんできたわたしにとっては、「大衆性」と「芸術性」を相対立するような考え方にはついていけず、わたしがクラシック音楽となじめなかった理由の一つでもあります。
 それもまたわたしの偏見で、そのかたくなさを壊してくれたのが「桜の庄兵衛」さんでした。2016年、ドイツで活動している友人のヴィオラ奏者のコンサートで桜の庄兵衛さんを訪れて以来、この稀有の場で何度もクラシックの室内楽を聴かせてもらいました。
 そして、いくつもの時代を潜り抜け、戦火の中でも大災害に見舞われても、悲しみをいつか大きな希望へと変えるために、わたしたち人間は音楽を必要としてきたことを教えてもらいました。ヴィオラ奏者の友人と桜の庄兵衛さんに出会わなければ、わたしはクラシックの奥深さを知らないまま人生を終えることになったかも知れません。
 クラシック最大のベストセラーのひとつといえる今回の楽曲「四季」も、わたしは恥ずかしながら聴いたことは一度もなく、今回の演奏がはじめてでした。

 開演時間となり、司会者のあいさつの後、横山亜美さんと武田直子さんが登場しました。
普通ならそのまま演奏が始まるところですが、ヴァイオリン奏者の横山亜美さんがヴィヴァルディのことや「四季」のことを熱っぽく語り始めました。
 「演奏よりトークの方が長くて驚かれると思いますが」とご本人自らおっしゃるように、解説などとは言えないもので、この楽曲に添えられたソネットを朗読しながらまるで言葉でもうひとつの楽曲「四季」を演奏しているようでした。映画や芝居などでは「語るに落ちる」とか「ネタバレ」となるところですが、音楽の場合、とくに彼女の場合はどれだけ語っても語りつくせない「ヴィヴァルディ愛」と「四季」の風景がヴァイオリンとピアノ演奏の音の葉によって描かれて行くのでした。

 いざ演奏が始まると、わたしが何度も聴き流してきた「四季」のイメージを覆すものでした。それはすぐそばで生音を聴いているからだけではない、時代を越えて世界に遍在する人々の願いや祈りが託された、その「過激なやさしさ」に胸を突かれました。
 実際のところ「四季」の中でもっともさわやかでウキウキする「春」の演奏が始まったとたん、なぜかわたしは心が震え、涙がにじんできました。
 今回はじめて演奏者のすぐ横で、奥に窓で切り取られた庭が見える席にすわったのですが、秋になろうとしている窓から突然、満開の桜がこぽれました。
 わたしの心を埋め尽くした桜は、25年前に阪神淡路大震災で被災した神戸の障害者に救援物資を届けた時、まだがれきも片づけられず傾いた建物とやかんやテレビや生活用品が山と積まれた荒れ野に咲いていた桜でした。もうしわけなさそうに咲いていた桜を見て、その時わたしはどんなに悲しみが世界を覆っても季節は巡りゆくのだと思いました。
 今、コロナ禍で世界が沈黙する夜を何度もくぐりぬけ、能勢という緑あふれた里山の地に住みながらわたしの中で時間は止まり、季節はわたしの心を通らないまま過ぎ去っていたのでした。
 横山亜美さんと武田直子さんの演奏は、始まりの一音でわたしの凍てついた心を溶かし、25年後の「春」を届けてくれたのでした。
 実際、後日にさまざまな演奏の「四季」を聴きましたが、ヴァイオリンとピアノ、それもピアノの方はほぼ伴奏に徹する今回の演奏は、とても冒険的だったことがわかりました。
 もちろん、クラシックのことにまったく無知なわたしが語ることなど許されないことだと思いますし、演奏者のお二人にもとても失礼なこととお詫びした上であえて言わせてもらえれば、今回のお二人は「四季」を演奏したのではなく、「四季」をもう一度つくりなおしたのだと思います。
 演奏のすばらしさだけを言えば、アンコールに横山亜美さんのお姉さん・横山令奈さんが在住するイタリア・クレモナの病院屋上で演奏し世界のニュースにもなった「ガブリエルのオーボエ」だったと思うのですが、その一曲の演奏だけで十分すぎるほどです。
しかしながら、横山亜美さんは新型コロナ感染症がまん延し、亡くなったおびただしい魂とともに、世界中の人々が一日一日を生き延びる毎日を過ごす今、目に見えないがれきに覆われた世界の大地に立ち、粉々になったひとびとの「四季」を取り戻そうとしたのではないかと思うのです。
 それには彼女の思いに応える武田直子さんのピアノが必要で、お二人はまるで新しい楽曲を作曲し、プロデュースするように300年前のこの曲を全く新しい音楽に変え、世界中の悼む心を希望に変えてくれたのだと思いました。
 彼女のプロフィールを見ると、箕面市出身でおじい様もご両親も、そしてお姉さんもヴァイオリン奏者で、実家には100年前のおじい様の楽譜も残されているそうです。
 わたしも20年ほど箕面に住んでいて、箕面が第2のふるさとと言ってもよく、とても近しい存在に感じてうれしく思いました。
 そういえば、桜の庄兵衛さんを知るきっかけになったヴィオラ奏者の友人も箕面市出身で、不思議な縁を感じたコンサートでした。
あらためて、横山亜美さん、武田直子さん、そしてお二人の演奏の場を用意された桜の庄兵衛さんに感謝します。

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2021.09.07 Tue 自由より他に神はなし cafe「気遊」30周年記念フリーコンサート番外編2

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 わたしは関西フォーク・ロックと同時代を生きながら、彼女彼らの音楽をほとんど知らずに過ごしてきましたが、春一番と気遊さんのおかげで70の歳を重ねて恥ずかしながら初めて、「音楽」と出会うことができました。ほんとうに、間に合ってよかった。
 ヤスムロコウイチの皮膚がむせび泣くような愛の歌、ロケット・マツのシンプルで繊細でもの哀しいピアノ、吉元優作の路地裏から聴こえる懐かしい「だいじょうぶ」ブルース、光玄の神戸の震災のがれきから風に吹かれ聴こえるひとびとの歌たち、松井文のくせになる声が以外にも都会ではなく草いきれと風のにおいを感じさせる歌、NIMAのダンスと川崎知のフリージャズサックスが時の記憶のふたを開ける怖い快楽、大塚まさじの歌は長い時のページを今の時代の表紙にゆっくりと書きうつすようでした。
 そして、サプライズで現れた木村充揮の「天王寺」は、東京のような都市には決してならない大阪の街のワンダーランドを歌い、有山じゅんじは木村充揮とその後に登場する金森幸介と「自由より他に神はなし」とギターを響かせ、大切な宝物・音楽を愛おしい友と分け合えるうれしさをわたしたち観客に教えてくれました。
 そして、金森幸介。この人のことも全く知らないまま気遊さんでのライブではじめて聴き、驚きともにアッという間に彼の歌に引き込まれました。自問するような珠玉の言葉は「約束の地」へとおもむく青春の道しるべのようにわたしの心に残っています。
 渋谷毅はすっと現れピアノの前に座ると唐突に演奏が始まるのですが、演奏中まったく微動だもしないのにジャズ・ブルーズのグルーブ感にあふれ、骨太なのにしなやかなピアノを聴かせてくれました。小川美潮と金子マリは、渋谷さんのピアノで歌える幸運と信頼感から立ちのぼる音楽を聴かせてくれました。
 アンコールは渋谷毅、小川美潮、金子マリに加えて有山じゅんじ、光玄、金森幸介、大塚まさじが登場し、金森幸介の「もう引き返せない」を歌いました。ここでも有山じゅんじが先導し、繰り返しのパートを全員が少し戸惑いながら、この日の長いライブの最後をこんな素敵な場を用意してくれた「気遊」のオーナー・井上さんご夫婦にささげるように歌い、聴いているわたしも涙ぐんでしまいました。
 最後にあいさつされた気遊のオーナー・井上隆史さんが話されたように、わたしも人生の最後のステージをいっしょうけんめい生きようと思いました。
 勇気をいっぱい頂いた、素晴らしいコンサートでした。

♪夢は色あせていく僕は年老いていく でもまだへこたれちゃいない
 夕陽を追いかけていく 奴の歌が聞こえる
 もう引き返せない (金森幸介「もう引き返せない」)

もう引き返せない 金森幸介 with 有山じゅんじ

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2021.09.07 Tue 自由より他に神はなし cafe「気遊」30周年記念フリーコンサート番外編1 

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 9月4日、服部緑地野外音楽堂で、能勢cafe「気遊」30周年記念フリーコンサート番外編が開催され、時折激しい雨が何度も降る中約7時間、途中で帰るお客さんもほとんどありませんでした。新型コロナ感染症がまん延する中、感染防止対策を徹底し、来場者も普段なら前で踊ったり大きな掛け声を出すところを我慢しながらのコンサートでした。
 チスントリオ(李知承知・芳賀まさひろ・すだっち)、ロケット・マツ&松井文、吉元優作、ヤスムロコウイチ、光玄、大塚まさじ、長田taco和承、NIMA&川崎知、木村充揮、有山じゅんじ、金森幸介、渋谷毅、小川美潮、金子マリ…。「気遊」さんと縁の深い出演者の誰もが「気遊」の30年を祝う気持ちと、この30年の時の淵で別れていった数多くの大切な友の思い出とともに今、再びこの場所に帰って来られたことへの感謝と祈りと哀しみと切なさと喜びにあふれていました。
 cafe「気遊」の30年は、ライブもできるカフェとして強い発信力を持ち続けてきたとはいえ経営的にはきびしいと思うのですが、10年前に能勢に引っ越したわたしは日常の暮らしの中でcafe「気遊」が特別な場所であるだけでなく、年に何回かのとっておきのライブを用意してくれるオーナーの井上さんご夫婦に感謝するばかりです。
 かけつけた出演者のまわりには、この日出演がかなわなかった数多くのミュージシャンたちの心も集まっていて、歌われなかった歌たちと気遊さんへの祝福のメッセージが飛び交っていた時間でした。思えば4時頃まで降ったりやんだりで、3、4回は土砂降りになったと思ったらその後に少し晴れ間が見えるというこの日の天気もまた、悲しい涙だけでなくうれし涙を流していたのだと思います。
 歌いたい歌をつくり歌い、聴きたい歌を聴く…。彼女彼らの音楽には電波や市場に流通している音楽にはない、肉声でしか伝えられない言葉と、身体を震わせるライブ感があります。この日この時この人たちにしか共有できない音楽、それはひとがパンのみでは生きられないことを実感させてくれるわたしたち人間の宝物なのだと、あらためて思いました。

 個人的には、チスントリオがホン・ヨン・ウンの「親父の唄」を歌い出した時には涙がでました。彼の唄を「11PM」で聴き、ライブに出てもらおうと飛び込みで電話したら、「風呂屋に行ってる、もう少ししたら電話してくれ」といった親父さんの声を思い出しました。
 その時、もうずいぶん前ですが選挙の主役は住民なのだから、明るく元気に選挙に行こうと呼びかける「衆議院選挙まつり」を箕面の労働組合や障害者団体でつくった実行委員会から、客は組合が引き受けるからステージをつくってくれと頼まれていたのでした。今から思えば夜遅く、しかも面識もなく突然の失礼なお願いにもかかわらず、ホン・ヨン・ウンは出演を承諾してくれました。
 この時はバンドで来てくれて、パレスチナを歌う「緑の国」は素晴らしかった。ちなみにその時、1000人会場の箕面市民会館にはわたしの家族や近所の子どもなど20人足らずの客しか入りませんでした。それにもかかわらず、彼らはほんとうにいっしょうけんめい歌ってくれました。わたしは申し訳ないやら情けないやら腹立たしいやらで、心が折れてしまいました。そのうえ、後日に箕面市職の役員がやってきて、友だち価格で協力してくれた村尾泉さんの音響代金を払ってくれと言いに来て、どんな約束になっていたのかとわたしは開いた口がふさがりませんでした。間に入った友人が「そんなことをしたら、あんたらは二度と市民運動と一緒にやることはできないよ」と言ってくれました。
 わたしはそれ以後この会場での15回を含めてコンサートや映画会、講演会など数多くのイベントをしましたが、わたしは決して組織、とくに労働組合を信じたことは一度もありません。もっとも、そのかたくなさを溶かしてくれたのは言うまでもなく、今国政に出て行こうとする大椿ゆうこさんでしたが…。
♪どれだけの人に会い どれだけ 泣いただろ 酔えばすぐに 大きな声になる
 どれだけの人に会い どれだけ 笑ったんだろ 日本語では しゃべれない 夜もあったんだ  (ホン・ヨン・ウン「親父の唄」)

親父の唄 / ホン・ヨンウン(リマスタリング・ヴァージョン)

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2021.09.01 Wed わたしとあなたと、すべてのひとりひとりのために…。Cafe気遊30周年記念コンサート

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 先日、再放送のNHK「映像の世紀」で、アメリカの公民権運動からベトナム戦争までの激動史を観ました。
 1968年の夏、マーティン・ルーサー・キングとケネディの暗殺からまだ数カ月しか経っていないにもかかわらず、ベトナム戦争への反対と平和を呼びかけて、数万人ともいわれるひとびとがシカゴの民主党大会周辺に集まりました。警察と国家警備隊はデモ参加者をつぎつぎと追い詰め、無差別に傷つけました。
検挙されたひとびとが装甲車に乗せられる中で、ひとりの中年の女性が警察官が後ろののドアを閉めるのを必死に抑えながら声を震わせ、力の限りに歌を歌いました。
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday

ご存じのようにこの歌は1963年のワシントン大行進で20万人のひとびとが大合唱した有名な歌です。ピート・シガー、ボブ・ディラン、ジョ-ン・パエズなど数多くの歌手が歌い、そして歌い継がれている反戦運動・平和運動を象徴する歌となりました。
 当時ひねくれていたわたしは、どんないい歌でもみんなで歌うことに抵抗があり斜めに聴いていましたし、歌うこともありませんでした。
 しかしながら、この歳になってはじめてこの映像を見て、涙が止まらなくなりました。この歌に無数のひとびとが思いを込めてきたものが、一度にわたしの心のかたくなな岸辺に押し寄せてきたのでした。
 たった一人で、警察官に訴えるように声震わせる彼女の切なさ、悲しみ、それでもその若い警察官の心に届いてくれと必死に訴え、ドアを閉めるのを体で抑え、一節を歌い切りました。警察官もまた、その熱い思いに圧倒され、彼女が歌い切るまで待ってくれたのでした。
 自由を求め続ける音楽や美術や演劇表現と、大地の真ん中で自由と助け合いを求めつづける政治的な表現はつながっていると教えてくれたのは、ずいぶん前に亡くなったグラスルーツなミュージシャン・ピンクさんと、「今こそ世直しを市民連合」の人たちでした。

 同時代の大阪で、春一番コンサートが始まりました。このコンサートは一つの空でつなる世界中の若者が、「歌いたい歌を歌い、聴きたい歌を聴こう」という合図を受け取るように始まったのでした。ステージを用意するひともギターひとつで歌うひとも、他では聴けない歌を求めて集まってくるひとも、すべてのひとがその場に参加することだけで幸せになりました。「自由のほかに神はなし」、「自由になりたいと願う、最後に残された希望」を胸に…。春一番コンサートの長い歴史の中で出演したひとたちは、まさしくたったひとりで「We shall overcome」を歌ったシカゴの彼女と海を渡ってつながっていました。
交通アクセスがよいとは言えない緑の森に包まれた能勢の地で、Cafe「気遊」さんは関西一円はもとより、全国的にも知る人ぞ知るライブスポットとして30周年を迎えられました。春一番のスタッフとしても、また緑あふれる里山のグラスルーツな音楽の発信を続けてこられたオーナーの並々ならぬ努力と矜持に敬意以外ありませんが、「気遊」さんに定期的に来てくれるミュージシャンのひとたちが、今は休止している「春一番」のステージに久しぶりに現れます。
 9月4日土曜日、大阪服部緑地野外音楽堂にて厳重なコロナ感染対策のもとで開催されます。12時開演・18時終演のこのコンサートはフリーコンサートで参加費は無料です。お時間がありましたら、ぜひお立ち寄りください。

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2021.08.19 Thu 楽隊はあんなに楽しそうに鳴っている みのおチャリティーコンサート

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 8月15日、中西とも子さんの集いの後、急いで箕面駅近くの箕面文化交流センターに行きました。この日、日本とドイツで活躍中の音楽家たちによるチャリティーコンサートがあり、箕面の友だちと難波希美子さんと5人分予約していたのでした。
 この催しは箕面市出身で、ドイツで活躍されているヴィオラ奏者・吉田馨さんが子供時代を過ごした箕面に恩返しをしたいと毎年開いてこられたもので、その収益は高齢者施設や被災地の障害を持つ子どもたちの保養プロジェクト活動などに寄付されてきました。今回は、わたしも関わらせてもらっている被災障害者支援「ゆめ風基金」に寄付されます。
 ここ2年ほどはコロナも重なり開催できずに来ましたが、こんな時こそ不安な心をなぐさめ、明日への希望につながる音楽を届けたいと、感染対策を徹底して開催されることになりました。彼女彼らのチャリティーコンサートへの姿勢は徹底していて、交通費も宿泊費も手弁当で、会場費とわずかな費用だけで、一円でも多く困難な状況にある人に収益金を届けたいという熱い思いと、国内外の第一線で活躍する演奏家として妥協しない音楽を届けたいという矜持が相交じり、毎回素晴らしい演奏を聴かせてくれます。

 最初のプログラムは中井由貴子さんのピアノと田島綾乃さんのヴァイオリンで、ドビュッシーの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」でした。
 ほんとうにクラシック音楽についてはまったく知らないので、よくご存じの方から失笑されるのを覚悟していますが、田島さんのヴァイオリンはわたしがこの楽器に持っていたイメージとは違い、とてもアドレッシプで肉感的な演奏でした。中井さんのピアノもまたとても野心的で、予定調和的なハーモニーとは言えない力強さと心をかきむしられるような不安定さを併せ持った演奏でした。
 この楽曲は第一次世界大戦中に作曲されたドビュッシーの最後の作品と聞きましたが、「言葉が終わった後音楽が始まる」という名言通り、19世紀から20世紀へ扉が開かれたまさにその時代、その後もつづく戦争と殺戮の世紀になることを想像もしたくもなかったであろう、自由へのあくなき探求と愛への絶対的な信望、そして音楽への限りない野心に満たされた、とても切なくてとても幸せな楽曲でした。

 次のプログラムは増山頌子さんのチェロの独奏で、なんと黛敏郎の1960年の楽曲「BUNRAKU」を演奏しました。
 黛敏郎といえば後年の、浪花節からジョン・ケージまであらゆる音楽を届けるという「題名のない音楽会」のプロデュース兼司会と、同じく後年保守思想の持主だったことを思い出します。また、わたしのようにクラシックを全く知らない人間でも数多くの映画音楽をつくった方であることぐらいは知っていました。
 今回の増山頌子さんの演奏を聴いて、彼が戦後日本の最初の現代音楽家のひとりで、武満徹など数多くの作曲家を育て、支援してきたひとでもあったことを思い出しました。
 この曲がつくられたころは、彼が切り開いてきた音楽の冒険が次々と実を結ぶことになった頃で、ヨーロッパ志向の強い音楽界に、世界の前衛と日本古来の古典がお互いに居場所をつくりあう刺激的な楽曲でした。
 増山頌子さんの演奏は、そんなやや前のめりと思えるこの楽曲を若い演奏家とは思えない落ち着いた心持ちで、本来の三味線と義太夫のアンサンブルをチェロという楽器のもつ音の地平線を描くような美しく低い音と不規則な階段を駆け上がるようなリズムで絡み合い、避けることができない悲劇へと追い込まれていく「文楽」の世界の運命的な切迫感が会場に響きました。

 3番目のプログラムは、吉田薫さんのヴィオラ、飛田勇治さんのコントラバス、中井由貴子さんのピアノによる、ピアソラの「ラ・グラン・タンゴ」!
 わたしはタンゴの演奏を聴くとウォン・カーウァイ監督の1997年の香港映画「ブエノスアイレス」(原題:春光乍洩)を思い出します。この映画はレスリー・チャンとトニー・レオンが恋人役を演じ、アルゼンチンを舞台に繰り広げられる激しく愛し合いながらも別れを繰り返す男同士の切ない恋愛を描いたラブストーリーで、ピアソラのタンゴがスクリーンからこぼれ落ち、観客にこの映画の結末を予言するようでした。
 もともと「ラ・グラン・タンゴ」はチェロとピアノのための楽曲だったようですが、今回はヴィオラとコントラバスの低い音の組み合わせにピアノが入り、映画の雰囲気にピッタリの演奏でした。3人はこのコンサートの最初からのメンバーで、なんとかコンサートができたことへのうれしさがタンゴの調べに重なって、それぞれの楽器が奏でる以上の心のハーモニーを聴かせてもらいました。

 そして、最後は全員で、レイフ・ヴォーン・ウィリアムス作曲の「ピアノ五重奏 ハ短調」を演奏しました。今回は組み合わせを変えた意欲的なコンサートでしたが、最後に全員が揃うとそれまでの演奏がこの最後の演奏に集まってきて、「おかえり」と言ってるようでした。
 この楽曲の作曲者はイギリス人で、古き良きイギリスの草原が風になびくような、繊細でやさしい曲でしたが、それに加えて今回のコンサートに集まることができたそれぞれの演奏者の気持ちが込められた素晴らしい演奏でした。
 呼びかけ人の吉田馨さんはドイツで活動される中、いくつか変遷を得て約15年にもなる故郷・箕面でのコンサートは、だれひとり取り残されず傷つかない平和な世界を故郷から発信することと合わせて、彼女にとって演奏家としての人生を毎年振り返り、次の一年に向けて新しい人生を歩む大切な時間なのだと思います。
 それがゆえに、世界中で蔓延するコロナ禍のただ中にあっても、コンサートを開きたいと願う心に演奏仲間の人たちが共鳴し合い、一年前からすでに素晴らしいハーモニーが聞こえていたことでしょう。
 そしてコンサート当日、彼女彼らの祈りが妙なる調べとなって、わたしたちの心に届けられたのでした。

楽隊はあんなに楽しそうに、嬉しそうに鳴っている、あれを聞いていると、もう少ししたら、何のためにわたしたちが生きているのか、何のために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。(チェーホフ「三人姉妹」)

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