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2019.12.29 Sun フィクションでもドキュメンタリーでもなく、「もうひとつの現実」を生み出すミュージカル 劇団「天然木」

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 ずいぶん前になりますが、12月1日、豊能町希望ヶ丘集会場で、くまもとの家族劇団「天然木」がやってきました。
 「天然木」は熊本県の山都町を拠点に熊本県内はもとより全国各地を回り、「出前ミュージカル」を上演するユニークな家族劇団です。脚本づくりから舞台美術、音響、照明までのすべてを家族プラスαで自作自演するだけでなく、日々の暮らしとミュージカルがつながっていて、毎年の新作も暮らしの中で家族一人一人が感じていることを話し合って芝居がつくられるようなのです。
 芝居のテーマのレンジは広く、平和のこと、憲法のこと、地球で共に生きるいのちのこと、環境のことから、山の暮らし、海の暮らし、里のくらしなど、すべてが日々の暮らしとつながってあることをミュージカルで表現します。そのため「天然木」のミュージカルは特別なシチュエーションや派手な舞台の上で演じられるのではなく、観客であるわたしたちの暮らしの場から立ち上がるので、わたしたちは「ただ見ているだけ」では許してもらえないのです。
 期待されるフィクションでも現実をえぐり出すドキュメンタリーでもなく、ミュージカルそのものが「もうひとつの現実」を生み出し、私たち観客はその現実を前に役者と一緒に笑い、泣き、怒り、悲しみ、歌いながらその現実を生きることになります。
 わたしたちは、たとえば憲法のことや政治的な問題をテレビで見たり新聞を読んだり講演を聞いたりして情報を得ますが、時としてわたしたちの暮らしに深くかかわる大切な情報であっても専門的であったり他人事としてとらえたりしてしまいがちです。情報の洪水の真ん中で自分の気に入った情報だけを取り入れてわかったような気持ちになり、不都合な情報はなかったことにしてしまうことがよくありますが、「天然木」のミュージカルのように生活の中から立ち上がる「もうひとつの現実」としてのフィクションの力は、かたくなな心をやわらげてくれます。
  昨年はしずくさんと凛さんのふたり芝居でしたが、今年は本来の形である家族と大ちゃん、客演の役者全員によるミュージカルで、場所柄もあって舞台装置もなく平場で演じられたものの、見事な劇的空間が生まれました。
 出し物は「わけありなゴミ」で、登場人物は分別されたそれぞれのゴミが分別の過程でそれぞれの物語を生きていきます。それらひとつひとつの悲喜こもごもの物語はわたしたちが生きる現代社会の矛盾をえぐり出すように同時進行で進んでいくのでした。
 そして、分別されたそれぞれのゴミがさよならを告げる時、原発の廃棄物など処理できないゴミたちは悲痛な叫びをあげながら自分の宿命を呪い、地球環境の危機をわたしたちに訴えるのでした。

 さて、短いミュージカルが終わると、「悪い予感」が的中し、見るだけだと思っていたワークショップを観客全員で試みることになりました。
 あれよあれよという間にグループ分けされてしまい、逃げ場がなくなったわたしはほんとうに何十年ぶりでつたない身体表現をする羽目になりました。
 4つのグループごとに用意された紙の空き箱を使って物語をつくり、表現するという課題でしたが、わたし自身は赤面物でしたが、それでもどのグループもユニークな物語を演じました。
 空の箱というと、村上春樹の短編集「神の子はみな踊る」の最初の物語「UFOが釧路に降りる」を思い出します。この短編集は1995年の阪神淡路大震災に直接遭遇していない人々の人生が、未曽有の震災をきっかけに大きく変わってしまう物語を寓意的につづった傑作集です。
 実際、この年の震災とオウム真理教事件はわたしたちの社会そのものを大きく変えてしまいましたが、「UFOが釧路に降りる」では、妻が朝から晩までテレビの震災ニュースを見続けた後突然実家に帰り、そのまま一方的に離婚されてしまった男が休暇を取り、同僚から「妹にとどけてほしい」と小さな箱を渡され、同僚の妹が住む北海道へ小旅行する物語です。
 村上春樹の短編はエッジのきいた偶然が重なりつながりあい、すでに宿命として用意されていたかのように謎めいた物語(寓話)の中に吸い込まれていくところが特徴で、わたしは好きなんですが、この物語では主人公の男は頼まれた箱の中身は空っぽだと同僚の妹の友人から知らされます。そのことは、理不尽な出来事によって社会も個人もとりかえしのつかない大きな喪失感に見舞われ、社会の再建・再生が修復不可能であることを空っぽの箱が教えてくれるのでした。
 今回、「天然木」が課題とした空の箱から4つのチームがつくった物語はそれぞれアプローチがちがいながら、くしくも「喪失」がテーマになりました。
 1995年以降、個々の人間にとっても日本社会にとっても大きな喪失感に覆われた時代が過ぎていったことをあらためて感じさせてくれたワークショップでした。
 他の社会から見れば飽食で、世界の限られた資源や利益を暴力的に消費する社会で暮らし、一部の者たちが作り上げたがんじがらめの政治・経済システムの牢獄の中で息を凝らし、2万人を越えるひとびとが耐えきれなくなって死んでいく社会を変えることは簡単なことではないでしょう。
 しかしながら、だからこそ「天然木」がミュージカルによってわたしたちの心を解放してくれるように、わたしたち自身もまた社会を解放する「大きな物語」を必要としているのではないでしょうか。
 ほんとうに、いろいろなことを想う貴重な時間をすごしました。
 そして、隣町の豊能町の人たちと知り合い、仲間になるきっかけをつくってくれたことに感謝します。

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ワークショップ風景

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最後は日本国憲法前文に素敵なメロデイーがついた歌をみんなで歌いました。
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2019.11.26 Tue どうにも止まらない芝居力・音楽力 劇団でこじるしーと楽団まぜこぜん

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 11月24日、第9回劇団でこじるしー「拳法学園~宇宙編~」が箕面メイプルホール小ホールで上演され、妻と箕面の友人たちと見に行きました。
 「劇団でこじるしー」は箕面市障害者生活と労働推進協議会が運営する放課後等デイサービス&地域交流センター「さんかくひろば」から生まれた劇団です。
 障害者の芝居というと、その内容が愛と感動に満ち溢れたいわゆる「感動ポルノ」になりやすいところですが、この劇団にはそんな予定調和的な台本も演出もなく、障害を持つ役者のそれぞれの役割が実に絶妙で、日常性と非日常性が行ったり来たりしながら、日常も非日常をも超える超現実が垣間見えるわくわく感が芝居全体にあふれています。
 「さんかくひろば」の卒業パーテイで寸劇上演をしたことがきっかけで、利用者とスタッフの有志、地域の人が参加し、2013年に旗揚げ公演をして以来、とくに障害のある子どもたちの飽きることのない芝居への情熱によって年を追ってパワーアップしてきました。
 そこではすでに、「障害者の自己表現」とか「障害のある人もない人も共につくる」という当初の劇団のコンセプトから大きく逸脱し、「どうにも止まらない」彼女たち彼たちの「芝居力」、「表現力」によって100人を超える観客を劇的空間に誘い込むのでした。
 また、彼女彼らの日常に氾濫する流行り言葉とゲームなどの「戦闘ごっこ」を越えて、悪の集団と対決する「正義と友情」の物語がバトルありアクションありダンスありのドタバタ劇で演じられるのでした。
 今年の演目は2014年に上演した「拳法学園」の宇宙編ということでしたが、正直に言えば上演時間から考えて物語が少し複雑すぎたようにも感じましたが、劇団員の「まずはじめに肉体ありき」という「特権的肉体」が爆発的に躍動し、スピードのある劇的空間をつくっていました。
 現実の人間社会がそうであるように単純に正義と悪が用意されるのではなく、積み重ねられた「小さな悪意」と対決する「埃まみれの友情」が裏切りや嫉妬を赦しあい、諦めや絶望を分かち合う時、わたしたち人間は話し合いと助け合いによって共に生きる勇気を持てることをこの芝居から学びました。
 それにしても、この劇団の役者たちの進化はすさまじく、わたしにとって春の「唐組」と、秋の「劇団でこじるしー」は見逃せない芝居になりました。
 ところで、今回の公演は「劇団でこじるしー 楽団まぜこぜんの逆襲」というサブタイトルにあるように、同じく「さんかくひろば」から生まれた「楽団まぜこぜん」との合同公演で、芝居の前に「楽団まぜこぜん」のライブがありました。
 ドラムスとボーカル、ギター、クラリネット、サックス、ピアノの5人編成のこのバンドは「楽団」という名にふさわしく、どこかなつかしいジンタのようで、ストリート音楽の趣きがあります。この楽団の魅力はなんといっても音楽への並々ならぬ渇望にあふれていることで、とくにボーカルとドラムスを担当するTさんの音楽を愛する想いがストレートに聴く者の心をわしづかみにしてしまいます。
 この楽団の演奏を聴いていて、人間が言葉によるコミュニケーションを学ぶ前に、音によって気持ちを伝えたり合図を送ったりするところから音楽が生まれたのだと実感しました。
かつて肉体と心の区別がなかった時代から、風の震えと大地の地響きが音とリズムを生み出し、枯葉が心の階段を舞い降りるように音符が踊り、歌となっていく…。
 音楽は愛を必要とする心から生まれ、愛を必要とする心に届くことを「楽団まぜこぜん」は教えてくれました。
 この日は久しぶりにたくさんの箕面の友人たちと会いました。なつかしくもありましたが、箕面を離れてすでに15年という長い年月の間に街も時代も大きく変わり、思えば嵐のような日々の彼方へと遠くはなれ、年老いたわたしたち夫婦の今があることをあらためて思いました。

 前日の23日は、大阪市の長居公園で開かれた「東北⇔関西⇔九州ポジティブ生活文化交流祭」に行きました。このお祭りはわたしがゆめ風基金でお世話になっていた2011年からつづくお祭りで、東日本大震災を機に大阪の障害者のグループが発案し、始まりました。
 障害者のグループといっても多種多様で、それまでとくに東北の障害者のグループとはそれほどの交流がなかったのですが、被災障害者の支援活動と並行して東北の障害者を招いて顔の見える関係となり、その後に起こった災害から九州をはじめ全国各地の障害者と次々とつながってきたきっかけとなったこのお祭りも、来年で10年になろうとしています。
 わたしはゆめ風基金を退職してからなかなか参加できないでいたのですが、2年ぶりに参加するとここでも懐かしい顔がたくさんありました。声をかけてくれる人たちも多く、透き通る青空のもとで心まで青く輝くようで、とても楽しい一日でした。

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終演後、左端の役者におんぶされているのはわたしの孫です。

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ポジ祭のステージ。加納ひろみさんと箕面の仲間。
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2019.05.03 Fri 「愛するのもみな他人 覗くのは僕ばかり そこに見てはいけない 何があるのか」 唐組「ジャガーの眼」

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-肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない-
この言葉とともに、あの「ジャガーの眼」が帰ってきた!
物語は、しがない青年・しんいちが、肉体市場で角膜を購入し、移植したことから始まる。
その角膜が、かつての持ち主の恋人のくるみを呼び寄せ、青年を平凡な日常から、冒険的な非日常へと導く。
サンダル探偵社の田口は、助手くるみの依頼を受け、“幸せのリンゴ”を追って路地に立つ。
その前に現れた男・扉の押す車椅子には、田口がかつて愛した等身大の美しい人形・サラマンダが乗せられていた……。
外科病棟で移植手術を繰り広げる、肉体植民地・Dr.弁。
所有者の人生に関与し、人の体で三度も生きる“ジャガーの眼”はそんな彼らを取り込んで鋭く輝いてゆく……。
(唐組第63回公演「ジャガーの眼」パンフレットより)

 平凡な男しんいちのもとに不思議な女探偵くるみが現れる。肉体市場で角膜を購入し、移植した角膜のもとの持ち主の妻だったというくるみと出会うことで、しんいちは角膜に違和感を覚え始める。角膜を追うくるみと接するうちに、うずく角膜に導かれるように、しんいちのなかで婚約者との平凡な未来を生きようとしていた自分が捨ててしまったものが湧きあがる。一方、くるみの上司である探偵・田口は、くるみが来る前に共に生きたダッチワイフのサラマンダーの幻想に悩まされつつ、部下のくるみを追うのであった。

 1980年代、臓器移植は「脳死」の判定や倫理上に大きな問題を含みながらも、臓器の提供を待ち望む人の切羽詰まった願いから制度化され、現在はドナー登録を募る啓発広告がテレビで放映されるなど、社会的認知を得るところまで来てしまいました。
 寺山修司は「臓器交換序説」という演劇論をのこしていて、唐十郎が三面記事から時代の空気を芝居に取り込んだのとは対照的に、その時代のアカデミックな「ブーム」に潜む社会的な問題を彼の演劇装置の中で増幅・伝染させるような、社会や街の劇場化を試みる実験をしていました。その点では演劇への影響力とは反対に、社会的な影響力は唐十郎よりも大きく、彼が試みた街の劇場化は、例えば最近ではオーム真理教の地下鉄サリン事件などの劇場型犯罪や小泉劇場から始まる劇場型政治などを予言しました。
 サンダル探偵社の田口の「死ぬのはみな他人ばかり」から始まる歌が終わり、寺山修司に覗かれたとする長屋の住人たちとのドタバタ掛け合いの後、しんいちと婚約者の夏子が登場するところから物語が始まります。
 寺山修司が機械の部品が交換可能なように、人間の臓器も交換可能になる社会を予見し、そんな社会において「わたしやわたしの肉体」は個人に帰するものではなくなり、わたしの精神もわたしの人生すらも交換可能なのではないかと想像力を膨らませるのに対して、唐十郎は移植された角膜が今の持ち主の言う通りにはならず、前の持ち主の人生を生きようとする物語を膨らませていきます。
 前の持ち主の妻だったくるみが現れ、しんいちは夏子との平凡な日常の愛とくるみがもたらす非日常の激しい愛の間で引き裂かれ、次第にくるみにひかれていくのでした。
 しかしながら、くるみとの愛の暮らしを交通事故による死で引き裂かれた前の持ち主の眼もまた角膜移植された眼で、最初は元の持ち主はわからないのですが、人の体で三度も生きる「ジャガーの眼」が、かつて少年倶楽部の小説やテレビドラマの世界で、ジンギスカンの秘宝を求めてアジア大陸を疾走した冒険の記憶を呼び起こし、しんいちとくるみを日常では許されない激しい愛へと掻き立てます。
 肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない臓器交換の現実に抗い、死者の肉体の一部が別の肉体の一部として生き、新しい持ち主に逆らい、やがて新しい持ち主の人生までも変えてしまうという切ない物語は、そうはさせまいとする退屈な現実と激しくたたかいながら、やがて紅テントの彼方のもうひとつの暗闇へと去って行きます。
 怪優・辻孝彦が亡くなり、赤松由美が退団するなど、個人的にとても残念な思いですが劇団の離合集散は避けられるものではなく、若い役者を育てながら劇的空間を維持することはとても大変だと思うのですが、個人的には今回の芝居は切なさだけが膨張した、すこし寂しい芝居だったように思います。
 しかしながら、この芝居は唐十郎が寺山修司にリスペクトした芝居で、唐十郎本来のドラマツルギーとは少し違う異色の作品だったことから、そう感じたのかも知れません。
 ラストになって、田口はジャガーの眼の最初の持ち主であったことを打ち明け、くるみがしんいちをおいかけたように、田口もまた自分の眼の新しい持ち主・くるみの夫とくるみの愛の生活を覗き見していたことを打ち明けます。そして、くるみが幸せのりんごという愛の記憶を探す依頼を田口にするように仕向け、助手として雇い入れたのも、くるみを愛していたからでした。
 それはまた、住民の悪感情から今でいうバッシングを浴びせられた寺山修司ののぞきという行為が、「愛するのもみな他人、覗くのは僕ばかり」と、「みてはいけない何か」を見てしまうエロスなのだと、唐十郎は田口にいわせるのでした。
 思えば演劇では、寺山修司は唐十郎に嫉妬していたのだと思います。唐十郎が芝居を始めた時から、寺山修司は嫉妬という形で唐十郎を最大限に評価し、援護してきました。寺山修司が天井桟敷を旗揚げすることになったのも唐十郎の影響からで、それがゆえに唐の劇的空間とは違うアプローチをしてきたのだと思います。
 そして、唐十郎もまたそんな寺山修司を、ほんとうはとても深いところで共にたたかう兄貴分の同志と慕っていて、寺山が亡くなって2年と言うタイミングで寺山修司をきちんと評価し、心の中で別れを告げたのではないでしょうか。
それがゆえに40年の時を隔てた今、唐組の若い役者たちはこの芝居を必要以上にノスタルジックに感じたのかもしれません。

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2019.05.02 Thu 死ぬのはみな他人ならば 生きるのもみな他人・唐十郎が寺山兄貴に贈った棘のある花束「ジャガーの眼」

 唐組「ひみつの花園」

 一年ぶりにまた、唐組の芝居を観に行きました。
 色あせた布一枚で下界と隔てられた紅テントの中はお客さんが続々と入ってくるのに従って少しずつ空気を換え、気が付くとひしめき合うお客さんの熱気と期待が渦巻く悪夢の劇場へと変貌していました。
 ああ、またここへ帰って来た…、開演間近になると、いつもわたしは思います。1974年の状況劇場「風の又三郎」以来、もう40年以上もここから唐十郎のたくらみに乗せられ、「こことちがうもうひとつの場所、もうひとりのわたし」を探しに暗闇をさまよってきたことだろうと…。
 ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、たとえば新聞の三面記事から立ち上がり、悪意と忘却が渦巻く現実に翻弄されながら必死に何者かになろうと自分を探しつづける少年少女の純愛が、国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の近・現代史の暗闇を呼び起こし、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍が歴史のるつぼで再構成され、葬られた理不尽な出来事をよみがえらせるのでした。
 そして紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わると少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのですが、わたし自身も行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年に行方不明になったわたしとわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
 「ジャガーの眼」は1985年に状況劇場が初演して以来、唐組をはじめいくつもの劇団が再演する状況劇場後期の名作です。
この芝居は寺山修司が1983年に亡くなった2年後、唐十郎が兄貴と呼んでいた寺山修司へのオマージュと追悼を込めたつくりあげた作品です。
 わたしは唐十郎の前に高校生の頃から寺山教の信者で、彼の「家出のすすめ」に突き動かされて家出をしようと試みたことがあるほどでした。こう書けばとても前向きに思われるでしょうが、実際はわたしの高校時代は暗黒の年月でした。というのは、中学3年生でどもりが再発し、それなりのいじめに遭い、本当は経済的に行けるはずもなかった大学を断念して工業高校に進みましたが、ほんとうは学校をやめて誰ともしゃべらなくていい仕事につき、細々とくらしていけたらと思っていました。自分のそんな情けなさを隠すように世の中がどうだとか、サルトルやマルクスの名前を連ね、数少ない友だちと授業をさぼり、デパートの屋上でいきがっていたどうしようもない高校生でした。兄とわたしを高校だけには行かせたいと片手に山盛りの薬を飲み、朝5時から深夜1時まで働いて死んで行った母に、本当に申し訳なかったと今では悔やんでも悔やみきれないでいます。
 ともあれ、実際は彼自身も「不言実行よりは有言不実行が社会を変革する」といった虚言をばらまくけっこうさびしい人間だったと知り、今では「なあんだ」と思う一方、ますます寺山教の信者OBになっています。
 寺山修司が巷の言葉を拾い上げ、彼特有のこじつけでその言葉に新しい意味を植え付けるアフォリズムの才能は際立っていますが、その中でも口癖のごとく好んだのが「死ぬのはみな他人ばかり」というマルセル・デュシャンの言葉でした。
 誤解と偏見を楽しみ、罵倒ですらオマージュとする寺山修司に最大の賛辞を送りながらも、唐十郎はよく比較されてきたお互いの演劇論を視野に入れた唐版寺山修司というべき芝居を試み、演じて見せたのが「ジャガーの眼」だったのではないでしょうか。

この路地に来て思いだす
あなたの好きなひとつの言葉
死ぬのはみな他人ならば
生きるのもみな他人
死ぬのはみな他人
愛するのもみな他人
覗くのは僕ばかり
そこに見てはいけない 何があるのか
「ジャガーの眼」挿入歌 唐十郎作詞・小室等作曲

 幕が開くと、そこは唐の芝居でおなじみの、さびれた街の忘れられた袋小路。並ぶ長屋の中央の路地からけたたましく現れる大きなサンダルに振り落とされまいとしがみつく一人の探偵・田口が歌う歌には、「死ぬのはみな他人ばかり」と「私という内面」の否定を逆手に取り、三つの肉体を渡り歩く「ジャガーの眼」と共振しながら路地の向こうになくしたリンゴと言う真実を探す物語として、寺山が三面記事をにぎわしたのぞきを芝居に組みこんでいます。
 寺山の「私と言う内面」からの超克はデカルトからサルトルまでの人間主義にもとづいた近代からの超克を意味していて、寺山修司の演劇論でもあるのですが、唐十郎は「覗くのは僕ばかり、そこに見てはいけない何があるのか」と、さびしい男・寺山修司ののぞきをいわば「哲学化」して見せたのではないでしょうか。
 わたしはこの事件を新聞で読み、のぞかれたと主張する住民たちの悪意を感じる一方、次回の作品のための路地の研究とする前衛の立場からの擁護にも違和感を覚えたことを思い出します。実際、わたしは路地や袋小路や三段先が暗闇になる地下室、向かいの窓に映る人影やベランダでなまめかしくゆれる洗濯物に見てはいけないものを感じてどきどきするのを告白しなければなりません。
 「見られるのは嫌だが見るのは好き」という感情は現代ではSNSの普及でますます増幅されています。唐十郎は30年も前にそのことを「哲学化」し、のぞきのアナキスムを紅テントの密室に持ち込むことで登場人物はおろか、観客にまで「のぞきの悦楽とさびしさ」を味合わせ、去り行く彼女彼らとともに「ジャガーの眼」の収集不可能な旅へと向かわせたのでした。
 寺山修司と唐十郎という、わたしの人生の存在証明となる2大アイコンを語ろうとすると、それほど深い見識もないわたしには荷が重く、一回の記事では芝居の中身にも入れませんでした。
 許しを乞いつつ次回につづきます。

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2019.04.30 Tue Yさんとわたしの出会いは、「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」・島津亜矢と唐十郎

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 4月28日、毎年恒例の「唐組」公演に行きました。今年の芝居は「ジャガーの眼」で、1983年に亡くなった寺山修司の追悼を込めて1985年に状況劇場で初演した芝居です。高校時代から今も、いわゆる寺山教の信者だったわたしにとって感慨深い芝居でしたが、芝居のことは次の記事とするにして、その前に同好の士・岡山のYさんご夫婦とたっぷり3時間飲みながらいろんな話ができた大事件について書いておこうと思います。
 Yさんは岡山の大学の先生で、ふつうなら全く出会うはずもなかったのですが、数年前になるでしょうか、わたしの島津亜矢に関するブログをごらんになり、メールをいただいたのがきっかけで、ブログとフェイスブックで交流してきました。
 しかも島津亜矢だけでなく、わたしが唐組の芝居を毎年楽しみに観に来ていて、Yさんもまた毎年わざわざ岡山から唐組の芝居を観るために大阪に来ていたという、あまりにも不思議な偶然が重なり、もう何十年も前からの親友のように思ってしまいました。
 わたしが島津亜矢の存在を知りファンになった10年前は、長い歌手歴がありながらまだ演歌のジャンルの小さな枠の中で不遇ともいえる環境の中、熱烈なファンに支えられ、地道に歌手の道を一歩一歩その足跡を確かめながら突き進んでいた頃でした。
 それから現在に至るまでの進化はめざましく、そんな彼女の進化をYさんとわたしはお互いのことを知らないまま共に見届けてきたのだと思うと、あらためて驚きとともに誇りにさえ感じました。
 島津亜矢の熱烈なファンというだけでも、きわめて特異な同志だと思うのですが、なんと唐十郎の追っかけを何十年も続けてきたということになると、不思議な偶然を通り越した運命的な出会いとしか言いようがありません。しかも、お話を聞くと1970年代からと言われていて、わたしもまったく同じころからのファン歴で、積もる話どころではありませんでした。
 わたしの人生の中で唐十郎と寺山修司は特別な兄貴分で、彼らを知らない人生などありえず、いわば現実の人生とは別のもうひとつの人生、空想の人生で、わたしは何者か、何者になりえるのかと問いつづけ、彼らの後を追いかけてきたのでした。
 Yさんもまた青春時代に唐十郎の芝居と出会い、もうひとつの人生をひた走って来られたのでしょう。
 そう思うと、Yさんとわたしの出会いは、シュールレアリスムにならえば「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」ほどの偶然と宿命がないまぜになった奇跡、大事件だと思います。
 3時に唐組の紅テントの前で待ち合わせし、天満宮の近くの飲み屋さんに入りました。
わたしはここ数年、前の職場の同僚だった女性の友だちと唐組の芝居を一緒に見に行っていて今年も彼女と一緒だったのですが、Yさんも連れ合いさんと来られていました。
4人とも島津亜矢と唐十郎のファンという不思議が重なり、他の人たちとは話題にならない会話を延々と3時間もしながらもまったくあきることがありません。
その上に、Yさんの連れ合いさんがまた素敵な人で、Yさんの話では大学院生の時にYさんが見染め、それからずっと今も連れ合いさんに恋しているのがわかり、Yさんが連れ合いさんと共に生きてきた人生が、唐十郎と島津亜矢によって彩られている「もうひとつの人生」なんだと、とてもうらやましく思いました。
 わたしはといえば、ほんとうに奇跡といえるYさんと連れ合いさんとの出会いに酔いしれてしまい、いまとなっては何を話したのかもはっきり覚えていないほど舞い上がってしまったひとときでした。
 ほろ酔い気分でテントにもどり、世界のもうひとつの暗闇と薄皮一枚でつながっているテントの空間で繰り広げられるもう一つの現実にたましいがさらわれたまま、幕が下りた芝居の外でYさんとお別れしました。
 来年も逢いたいなと思いながら、また少し寒くなった春の風にほほを打たれながら帰りました。
 唐版「ジャガーの眼」と寺山修司については、次の記事とします。

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