2011.11.04 Fri 能勢妙見山を登りました。

少し前の10月24日、能勢妙見山を登りました。能勢に引っ越してから、時々妻に連れられて能勢めぐりをしています。妻の母がデイサービスに行っている間、午前10時くらいから午後4時ぐらいまでのコースを妻が探し、わたしは後ろをついて行くだけで申し訳ないのですが…。
今回は「1時間ぐらいで登れて、平坦地が多い」と、気楽な感じで出発しました。
後でわかったのですがそれはまったくのまちがいで、初谷川をひたすら登っていくコースで、途中で弁当も食べて2時間半のコースでした。
初谷川は妙見山からはじまりわたしたちの住んでいる所を流れている大路次川に合流している川で、とてもきれいな川でした。
最初は前に住んでいた箕面の滝道のような風景で、高い木に囲まれ、整備された道を歩くのですが、野鳥の宝庫でもあり、鳥のさえずりが秋のさわやかな空に響いていました。

しばらく歩くと、いよいよ渓流をのぼっていき、途中がけ崩れが何か所かありました。
川のはじまりがほぼ頂上で、すぐに着くと思いこんで登って行ったのですが、一時間歩いてもなかなかつきません。まあ、歩く速度が遅いだけかなと思いながら登っていくと、案内板が立っていて、まだ3分の1ぐらいとわかりました。これはたいへんと少し歩く速度を上げて行きましたが、少しずつ川幅がせまくはなるのですが、なかなか川のはじまりにたどり着きません。
しばらく歩いたところで、山から降りてきた二人連れに出会い、「あとどれぐらいですか」と聞くとまだ1時間はあるということで、予定では頂上でご飯を食べるつもりでしたが途中で済ますことにしました。
冷たい水で手を洗い、川のそばでご飯を食べているとほんとうに気持ちが良かったです。
そこからまた歩き始めたのですが、ご飯を食べたらよけいにしんどくなり、どこまで歩いてもたどりつかない頂上めざし、へろへろよたよた歩きつづけました。

やっと頂上付近の初谷川のはじまりに着き、妻は覗きに行き、水の冷たさを味わいましたが、わたしはかなりいっぱいいっぱいで、早く頂上に着きたい一心でした。
頂上に着くと、以前わたしたちが利用したケーブルとリフトを乗り継いだひとたちがけっこういました。
ここでゆっくりしていると妻のお母さんが帰って来るのに間に合わなくなるので、そうそうにリフトとケーブルで里にもどりました。
前回の三草山と同じく、どちらも初心者コースと書かれていますが思ったよりはきついコースで、お互いに体力が落ちたのを痛感しました。それと、やはりもう少し装備して登らないといけないなと思いました。
けれども、能勢に引っ越してきた甲斐あって、秋の気配が山の緑を微妙に変えるのを見ながら初谷川の源流にさかのぼる小さな旅行を楽しめました。
2011.12.04 Sun 短い秋を追いかけて

先月の28日、能勢の妙見山に行きました。
前回は初谷川をのぼる長い距離のコースでしたが、今回は一番短い新滝コースを登りました。
能勢電車の妙見口からケーブル乗り場まで歩くと、駅の右側に新滝コースの入り口がありました。ケーブルの線路を見上げるとさすがに高く、その横をほぼ平行に登るのかと、最初から溜息が出てきました。
しかしながら、歩きはじめると紅葉にかこまれた登りやすい道で、秋の能勢を満喫しながらゆっくりと登って行きました。
夏に能勢に引っ越して、家の周りも里山に囲まれ、さまざまな色合いの緑を楽しむことができましたが、能勢の秋は早く、あっという間に色づきはじめ、紅葉のように真っ赤ではないですがオレンジ色に染まってしまいました。
引っ越す前は緑地公園の植物園のそばに住んでいましたので、それなりに緑が多くありましたが、どうしても公園はつくられたものでちまちましていました。
能勢に引っ越してきて、四方八方どこに目を向けても山また山の季節の贈り物にあふれた暮しはほんとうにすばらしいと感じています。
ただし、能勢の秋はとても短く、ここ何日か、用意していたようにすでに冬の風が胸をさす感じです。

足早に過ぎて行く能勢の秋を味わう最後のチャンスと思い、この日妙見山にでかけたのですが、天気は曇り空で晴れた時のようにあざやかな紅葉ではありませんでしたが、登る道のあちらこちらですりガラスのような空にとけていく紅葉もまた、おだやかで静かな秋の気配を漂わせ、来てよかったと思いました。
石の鳥居をくぐり、古い民家のたたずまいを眺めたりして谷を登ると、白龍神社をへて雄滝行場に着きました。沢の水が流れ落ちる滝が修行場になっているようで、山全体が信仰の地であることを実感しました。
このあたりのちがう場所で、それぞれ手入れをしたり掃除をしたりしている2人の男のひとがおられました。無償のボランティアでされているようで、「ここを手入れすることをこれからのライフワークに」と話されていて、ほんとうにたくさんひとが妙見山を守ってこられたのだと実感しました。
さすがにこのコースは短く、わたしたちのゆっくりとした足取りでも2時間で山頂の駐車場に着きました。妙見さんの大きな鳥居をぬけて石段を上がると茶店があり、そこできつねうどんを食べました。それから山頂にあがり、すぐに舞い戻ってぜんざいを食べてしまいました。
ほんとうはお酒を飲みたかったのですが、帰りはリフトとケーブルなので断念しました。
ささやかなハイキングで、しかも能勢電の山下駅からのパスが1時間に1本なので、けっこう急いでもどらなければならないのですが、能勢に来た楽しみのひとつになりました。
これから冬の間はケーブルもリフトも運休でなかなか動けませんが、正月の間運転している間に一度初詣に行こうと思っています。
また、今の間に桜のあるところをチェックしているのですが、春の能勢がどんな色をみせてくれるのか、とても楽しみです。

2012.01.01 Sun 今年もよろしくお願いします。
新しい年が始まりました。
今年もよろしくおねがいします。
こんな年賀状を書きました。

楽しい色も悲しい色も
あざやかな色も沈んだ色も
なかよくみんな手をつなぎ
不思議な夢をかくしている。
昨年はたくさんのひとが大きな悲しみにつつまれ、いまもなお苦しい時を過ごされています。
地球がうめき声をあげている嵐の季節に、娘夫婦に子どもが生まれました。世界の未来として生まれてきたたこどもたちの瞳には希望の光が宿っているようです。
7月には能勢に引っ越しました。春夏は鶯が歌を競い、秋冬は漆黒の闇に星がきらめき、昼間は緑、オレンジ、茶色など、移り気な色たちが心を惑わせます。どうやらこの地が、わたしたちの終の棲家になりそうです。
今年もよろしくおねがいします。
こんな年賀状を書きました。

楽しい色も悲しい色も
あざやかな色も沈んだ色も
なかよくみんな手をつなぎ
不思議な夢をかくしている。
昨年はたくさんのひとが大きな悲しみにつつまれ、いまもなお苦しい時を過ごされています。
地球がうめき声をあげている嵐の季節に、娘夫婦に子どもが生まれました。世界の未来として生まれてきたたこどもたちの瞳には希望の光が宿っているようです。
7月には能勢に引っ越しました。春夏は鶯が歌を競い、秋冬は漆黒の闇に星がきらめき、昼間は緑、オレンジ、茶色など、移り気な色たちが心を惑わせます。どうやらこの地が、わたしたちの終の棲家になりそうです。
2012.01.06 Fri 今年はじめての妙見山

妙見山頂上から見る
今日は妻と妙見山に行ってきました。いつもならばハイキングコースを登るところなんですが、今年はじめてということで初詣がわりにと能勢電の妙見口からケーブル乗り場まで歩き、1月9日までの特別運転中のケーブルに乗りました。(3月16日まで運休です。)
そこからリフトに乗るところを、頂上までは歩いて登りました。
このあたりは一昨日に少しまとまった雪が降り、その雪がずっと溶けないままで、わたしの家の周りも夕方まで雪が残っていました。妙見山のあたりはさすがにもっと降っていたのでしょう、頂上へと登る道は雪で覆われている所が多くありました。
雪を踏み踏み歩いていると、木の枝に残った雪のかたまりがいたるところにあり、そこからひっきりなしに小さな雪の粒が光りながら落ちてきます。それはほんとうにきれいで、まるで光の粉のようにちりちり、ちりちりと舞いおちるのでした。
そして、その音をかき消すように、雪の固まりが落ちる音が聴こえます。ところがその音はどさっというような大きな音ではなく、まだとけはじめたところのみぞれのようで、焚火の木がはじけるような、びしっ、びしっという音なのです。

雪道を歩いたのもほんとうにひさしぶりですが、そういえば子どもの頃はたびたび大雪が降って、軒先にはつららが何本も朝の光に輝く中を学校に通ったものでした。
長い時がすぎ、いまこうして冬の雪道を歩いていると、自分がたどってきた人生をもう一度訪ねて歩くようで、少しばかり感傷的になります。人生を語るにはまだまだ青臭いとは思いつつ、やってきたことや多少とも成し遂げたと思いこんでいることよりも、できなかったこと、出会わなかった友、実現できなかった見果てぬ夢を誰かに無性に話してみたくなるのです。老いの入り口に立ち止まり、これからはゆっくりと歩きながら、いままで聴こえなかった音たち、いままで見えなかったものたちと仲良くなっていこうと思いました。
とかなんとかいいながら、お宮参りというより頂上の売店できつねうどんとおでんを友にしてビールを妻と二人で飲み、下に降りてからはぜんざいを食べるという、およそ風情というものとは程遠い今年の初詣でした。

自宅の庭から・1月4日の午後になって雪が降り、またたく間に雪景色になりました。
2012.04.08 Sun なつかしかった服部緑地の桜

能勢のあたりはまだ桜が咲いていないのですが、一年前まで住んでいた服部緑地のあたりはなんとか桜も咲いているであろうと、タクシーにお願いして前の家のすぐそばの植物園と墓参りに妻のお母さんと妻と3人で行ってきました。
お母さんは今日は久しぶりに意識がしっかりしていたこともあり(こんな風に外出する時にタイミングよく元気になることはめずらしいのです)、車の窓から見える桜に大喜びしているうちに、服部緑地のお墓につきました。 彼岸のころはとても寒くて来れなかったのですが、今日は暖かくて、ゆっくりとお参りができました。
それから、植物園に回ってもらいました。能勢にくる前は植物園のすぐそばに住んでいて、春から秋まで年中何回となく植物園に来ていたもので、今日は目当てのしだれ桜も満開で、ほんとうに来た甲斐がありました。
今は妻の弟が管理している家には寄らず、植物園から見えるかつての我が家をふしぎな感じで観ていました。我が家には猫がいるのですが、ここに住んでいた時にはもう一匹、娘の猫がいました。二匹の母と娘の猫は性格がまったくちがい、母猫は外に出るのがこわくて家の中にばかりいたのですが、娘猫は野性的で、いつも外にばかり出ていました。
そして、植物園の休園日には必ず朝から晩まで植物園に行ったきり帰って来ませんでした。
一昨年の12月のある日、その猫が帰って来ず、それ以後探し回ったのですがとうとう帰らないままでした。妻は特別に可愛がっていたものですから、何度も近所を探しまわっていたのですが、一週間後、近所の知人が「もしかすると一週間前に、車にひかれた猫がいて、そばのドッグカフェのひとが動物病院に連れて行ったことがあるよ」と教えてくれました。うちの猫に間違いなく、その病院に行くと、とてもいい先生で手厚く弔ってくれていました。
それから後、特に妻は何日も悲しんで、よく号泣していました。それからすでに一年半ちかくすぎ、能勢にも来てようやく忘れていましたが、植物園に来て一気に思い出してしまいました。
しだれ桜も満喫し、今度は服部緑地の東南の入り口の川沿いにある桜並木を歩きました。ここの桜並木は毎年見事に花を咲かせ、わたしたちもそうでしたが近所のひとたちがいつも楽しみにしているスポットです。今日も家族ずれのひとたちがたくさん訪れていました。
能勢の冬は寒く、3人とも冬眠状態でしたが、いよいよ能勢も少し遅れて春になります。
来週の日曜日は、猪名川あたりの花見に行こうと思います。
