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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

2019.06.13 Thu 再録 「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」 2011.08.27 Sat

「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」
小室等さん、こむろゆいさん

「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」
2011.08.27 Sat

 ライブは永六輔さんのトークから始まりました。永さんはパーキンソン病になられてからも、それを受け入れながらリハビリをするプロセスをラジオやトークイベントで話してこられました。永さんのお話は悲しい出来事でもおかしさがあふれていたり、理不尽なことへの怒りがかくれていて、その語りにたくさんの人々が笑い、泣き、勇気付けられてきました。
 この日も交通事故にあった時のお話やリハビリの話などを永さんが語り始めると、身を乗り出すようにお客さんが聞き入り、大笑いされていました。手話通訳のひとを本来の役割をこえた共演者として話され、手話を通じてコミュニケーションの楽しさも伝わってきました。
 永さんはこの日の打ち合わせで、日が落ち始めたころから小室さんの歌がはじまるように気配りをされていたのですが、そのとおりの演出であたりが暗くなり始め、照明の光がやわらかく仮設の舞台を包みかけた頃、永さんに呼ばれて小室さんが登場しました。
 
けれども どこかで
おまえは待っていてくれる
きっと おまえは
風の中で待っている
「だれかが風の中で」 作詞:和田夏十 作曲:小室等

 「この歌はテレビドラマ『木枯らし紋次郎』のテーマソングで、作詞は市川昆監督の妻で脚本家の和田夏十さんでした。ずいぶん前の歌ですが3.11以後、この歌詞の意味をかみしめています」。最初に歌った後、小室さんはしみじみと語られました。
 2003年NHK金曜ドラマ「蝉しぐれ」のテーマソングだった「遥かな愛」、「黄昏のビギン」、そして永さんが作詞し、三波春夫の最後の歌となった「明日咲くつぼみに」を歌った後、「三波春夫さんは声を張り上げてきたので、そうじゃないように歌ってほしいと、お手本として小室君のCDを渡したんだよ」と永さんがこの歌のエピソードを話されると、みんな爆笑してしまいました。
 「上を向いて歩こう」と坂本九との思い出を永さんが語り、お客さんも一緒になって歌ったりしながら、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。
 途中から、やはり雨が降ってきました。用意してあったビニールカッパをお客さんに配りました。お客さんは誰ひとり去らず、みんな「ありがとう」とカッパを着ました。
 その風景を後ろから見ていると、涙が出てきました。この仮設住宅に入られている方々は大方が津波で被災された方々で、ここに来られるまでにご家族、お友達をなくされた方もたくさんおられることでしょう。
 実際、後ろで立ってご覧になっている方に座席にご案内しようとすると、「あと少しで行かないといけないので。でも永さんのラジオは何十年も聞いていて、さっき握手してくださって感激です」と言われた後、津波が来た時、非難している後ろから津波が追いかけてきて、もう一分遅かったら命がなかったこと、友達が10人もなくなったことを話してくださいました。
 あらためて、永さんと永さんのラジオ番組のリスナーが、固い絆で結ばれていることと、今回の震災がより強い絆をつくったことを知らされました。
 永さんのお話と小室さんの歌が、それをほんとうに待ち望み、必要とするひとたちに届けられたのでした。そして、その稀有の瞬間に立ち会うことができたことを、永さん、小室さん、そしてお客さんに感謝します。
ライブの後、ゆめ風基金のスタッフが永さんにお礼を言うと、「ぼくたちの方がゆめ風基金の活動に助けてもらっているのだよ」と言われたと聞き、その言葉に感謝しながら勇気をいただきました。
 現地での支援活動を毎日粘り強く続けている被災地障がい者センターに敬意を表しつつ、わたしたちは現地の活動を全面的にバックアップし、全国のみなさんに彼女、彼たちの奮闘と、永六輔さん、小室等さんの期待に応えるべく、日々の活動を続けていこうと思います。
 最後に、永六輔さんと小室等さん、ほんとうにありがとうございました。

 翌朝、被災地障害者センターみやぎのすぐそばの喫茶店で、このイベントのことを一生懸命話されているグループがおられました。
 「市民会館や立派なホールよりも、仮設住宅であったあの催しの方が何倍もよかった。感動した。最初に挨拶した車いすの女性のあいさつも、すごくよかった」と、この催しのチラシを大切そうにクリアファイルに挟み、話されている声を聞き、ほんとうにうれしく思いました。

 「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」
永六輔さん、小室等さん、手話通訳の方

「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」
途中でやはり雨。でもお客さんは一人も席を立ちませんでした。
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2019.06.13 Thu 再録  「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」

2001年8月23日永六輔・小室等ライブ準備
「永六輔さん・小室等さんと話そう会 IN 長町」
2011.08.27 Sat

 8月22日、23日、24日、被災地仙台に行ってきました。
 8月23日の夜、わたしがいま短期的に手伝っている被災障害者支援・ゆめ風基金と被災地の障害者センターみやぎとの共催で開かれた永六輔さんと小室等さんのライブのスタッフとして、参加することになったのでした。
 以前にも書きましたが、ゆめ風基金は1995年の阪神淡路大震災の時、大阪を中心に全国の障害者団体が参加した「障害者救援本部」の活動をへて、その後の息の長い支援とこれからの災害に備えて基金の呼びかけと災害時の支援ネツトワークとして誕生しました。
 永六輔さんはゆめ風基金の呼びかけ人初代代表として10年間、幅広い人脈とラジオ番組、著作、講演などを通じてゆめ風基金のことを伝えて下さった他、多忙な日程をかいくぐるようにゆめ風基金が開くイベントに出演してくださいました。10年の活動をへて、呼びかけ人代表を小室等さんに託されてからも変わりなく、ゆめ風基金をささえてくださっています。
 現代表の小室等さんも当初からの呼びかけ人で、永六輔さんと同じくゆめ風基金のライブに出演してくださり、音楽を通して全国各地の障害者の活動を応援し、ゆめ風基金をささえてくださっています。
 8月23日のイベントは、6月11日のとっておきの音楽祭に小室等さんがゲスト出演され、その後に被災障害者センターみやぎに来て下さって仙台の障害者と交流されたことから、永六輔さんを誘ってくださったのでした。
 
 お二人が来て下さることになり、さて会場は?となった時、被災地障害者センターみやぎのひとびとは近所に建てられた仮設住宅の広場にしようと思いました。それはこの町の市民としてあたりまえに暮らすことから遠ざけられてきた障害者が、それでも町を愛し、困難を共に分かち合い、共に生きていこうとする決意のあらわれでもありました。そこには仮設住宅で仮住まいをする被災市民のひとりひとりの心の傷に寄り添い、たった2時間のイベントの間、少しでも心をひとやすみしてほしいと願う彼女たち、彼たちの切ない願いがこめられていたのでした。
 130ほどある仮設住宅の一軒一軒を訪ね、障害者を中心とする支援活動をつづけながらこの催しがあることを伝えると、「楽しみにしている」という言葉が返ってきたそうです。その声は心のとても深いところから聞こえてきて、仮設住宅のひとびとがこの催しに切実な期待を持ってくださっていることに、心強く思ったといいます。
 
 わたしたちは前日から現地に行ったのですがあいにくの雨で、天気予報は23日も終日雨の予報でした。それでも時々雨がやむ時が比較的長く続くと、「明日もこれぐらいならなんとかなるんだけれど」と、祈るように曇天を見上げました。
 会場の仮設住宅の広場は砂利が敷き詰められ、車イスを利用されている方には動きづらく、また仮設住宅には杖をついたりカートを押して歩く高齢の方が目立ち、これじゃ危ないなと思いました。
 これまでゆめ風基金のイベントで雨が降ったこともありましたが、今回だけは集会室では60人がやっとだし、またイベントの途中で雨が降ってきたらどうしようと、とても心配でした。被災障害者みやぎのスタッフが打ち合わせの度に「雨は降りません」と言いつづけていましたが、その時点ではほぼ絶望的に天気予報は雨、何の根拠もないような彼の言葉に何の根拠もなくその言葉を信じることにしました。

 そして当日、雨は時々止むもののほぼ降り続けでした。今度ばかりはもうだめかと思った時、天気予報の降水確率が夜になるほど低くなりました。午後になると雨も止み、空も少し明るくなってきました。これはなんとかなりそうと、根拠のない確信が根拠のある確信になっていきました。
 夕方4時、永六輔さん、小室等さん、小室ゆいさん、そして永さんのお孫さんが現地に到着しました。「天気が心配なんですが」とわたしが言うと、小室さんは言いました。「だいじょうぶ、ぼくは晴れ男だから」。
 そして、5時半ちょうど、ライブが始まりました。
                                               つづく

誰かが風の中で 16月5日、仙台市とっておきの音楽祭

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2019.06.13 Thu 再録 何度でも、生まれ変わる。小室等音楽活動50年周年ライブ~復興~

小室等50周年記念ライブ
「事実は議事堂の中で捻じ曲げられ 真実は交番の中に逃げ込む」
                         「寒い冬」(1980年小室等作詞・作曲)

 2011年7月11日、新宿・全労災ホールスペースZEROで開かれた「小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」は、李政美(イ・ジョンミ)、梅津和時、及川恒平、太田恵資、鬼怒無月、こむろゆい、坂田明、さがゆき、佐久間順平、佐藤允彦、鈴木大介、竹田裕美子、田代耕一郎、田中邦和、谷川俊太郎、谷川賢作、渡嘉敷祐一、林英哲、八木のぶお、吉野弘志、四住佳子、そしてサプライズで井上陽水という超豪華な出演者が集まり、谷川賢作さんのプロデュースのもと、次から次へとすばらしいセッションをくりひろげました。
 1曲目の「寒い冬」は、田中邦和さんのサックスと小室さんの弾き語りのシンプルな編成で、30年も前の歌とは思えないライブ感でシャウトする小室さんは、最近の風貌からはうかがい知れない激しい人であることを、あらためて思わされました。
 2曲目の「おはようの朝」は、谷川俊太郎さんの作詞で、「いま生きているということ」におさめられているのですが、同時にゆめ風基金の呼び掛け人である山田太一さんの名作ドラマ「高原にいらっしゃい」のテーマソングでもありました。

 3月11日にこのライブの打ち合わせを終えた直後に地震が発生。報道によれば小室さんはしばらくは、「自分のことで浮かれている場合じゃない」と思い悩み、その後はライブを行っても、「心ここにあらずだった」といいます。「愛だの恋だの、プロテスト(異議申し立て)だのメッセージだのっていうものが通用しないって気分。自分のやってきた音楽、表現が震災の前に力を失った。舞台に立ち、人に向かって何かを発信する根拠が、波にさらわれたんです」
そこから自分はどう立ち直っているか。被災地の復旧に役立ちたいという思いと同時に、ミュージシャンとしての「復興」が大きなテーマになったそうです。
 当日のパンフレットにはこう書かれていました。チャリティコンサートにはしない。あくまでも50周年を貫く。ただし、これまで手伝って来たゆめ風基金と日本チェルノブイリ連帯基金のPRを、このライブの広報活動と連動させ、側面からのバックアップに関しては積極的に行う。

 小室さんは自分を妥協なしのごまかしのできないところに追い込み、そこから立ち上がる音楽を友人たちと分かち合おうと願い、かけつけた友人たちもまたゲストとして小室さんの50年を祝うだけではなく、小室さんの呼びかけに応えて新しい冒険を試みたこのライブは、まさしく「波にさらわれた」後の音楽の誕生をわたしたちにプレゼントしてくれました。
 音響にしても残響をほとんどつかわず、音量もすごく計算されていて、ボーカルも楽器も対等でくっきりとした音が溶け合うのではなくひびきあい、そのためにわたしたちは手をのばせば届くようにその音楽が聴こえるのでした。

 小室等さんは1961年、17歳のときにギターを弾き始め、「自分の歌は自分で作る」フォークソングの黎明期を1971年の「出発の歌」(上條恒彦と六文銭)の大ヒットで確立し、Jポップへとつながるミュージックシーンをけん引してきました。
 その50年の活動が見事に再現されたステージの最初から終わりまで、出演者の方々のさまざまな組み合わせで時にはスリリングに、時にはやさしく、時にははげしく、超満員のお客さんの心をふるわせたこれらの歌たちは3月11日の震災の前に作られた歌なのですが、どの歌も震災を経験したからこそあらためて心に響く歌たちでした。
 梅津和時さんが作曲した「Vietnamese Gospel」、「老人と海」、「雨のベラルーシ」、「翼」、「鉄腕アトム」、井上陽水さんと歌った互いの曲「雨が空から降れば」と「結詞」、さらに谷川俊太郎さんの詩朗読…、 そして、最後の2曲、谷川俊太郎作詞・武満徹作曲「死んだ男の残したものは」、谷川俊太郎作詞・小室等作曲「いま生きているということ」でエネルギーは最高に達し、大きな悲しみを希望へと変えてくれる約束の場所へとわたしたちを連れて行ってくれました。
 そこにつらぬかれていたものは、とてつもなく大きな「祈り」だったのだと思います。最後の最後に全員で演奏された、おそらくこのライブが初公開の小室さんの新しい曲「何度でも」は、その祈りそのものでした。

 何度でも、生まれ変わる。何度でも、生まれ変わる。何度でも、生まれ変わる。何度でも、生まれ変わる。

 ステージの間で小室さんは日本チェルノブイリ連帯基金とともに、ゆめ風基金の活動を何度も紹介してくださったのですが、会場にはゆめ風基金の呼びかけ人初代代表の永六輔さんが来られていました。「ぼくはいまリハビリ中で、まっすぐ歩く練習をしているんだけど、(外国人の)その先生にね、日本では<上を向いて歩こう>という歌があるんだけれど、あなたはその歌を知ってるかと聞かれた」と、うそのようなほんとうの話をされて、会場が爆笑につつまれました。

 こうして特別なライブが終わり、後片付けをして近くの中華料理店に入った時はすでに11時前でした。すぐ隣のテーブルに佐高信さんがおられたのですが、帰り際に「今日は小室のために来てくださってありがとうございました」と声をかけられました。
 こちらがあわてて「大阪から来ましたゆめ風基金です」と言いましたが、佐高信さんはきっと隣にいたわたしたちが小室さんのライブを聴きにきた一般のお客さんと思ってあいさつされたのだと思います。ささいなことですが、「小室のために」といった佐高さんの短い言葉に小室さんへの友情がこめられていて、とてもうれしく印象的でした。

 小室さんの50周年ライブとはいえ、そのために東京まで行くのは体力的にも金銭的にも、そして引っ越し前と言う状況での精神的にも、勇気がいることでしたが、ほんとうに行ってよかったと思いました。 
今回のライブの模様を収録した記念のアルバムが10月頃リリースされる予定で、この感動を「何度でも」再現できると思うと、今からわくわくします。そして、このライブに立ち会えなかった方々にもCDによってこの感動を伝えることができることがとてもうれしいです。

小室等/雨が空から降れば (1971年)
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2019.06.13 Thu 再録  「歌にできることは少ないけれど、歌だけにできることもある」小室等50周年ライブ

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再録  「歌にできることは少ないけれど、歌だけにできることもある」小室等50周年ライブ
2011.07.09 Sat

 7月11日、東京の全労済ホール・スペースゼロで開かれる小室等さんの音楽活動50周年記念ライブを聴きに行くことになりました。
 わたしは今、以前からかかわらせてもらっている被災障害者支援・ゆめ風基金の事務局のアルバイトスタッフとして働かせてもらっています。
 小室等さんがゆめ風基金の呼びかけ人代表であることから、このライブの会場でお客さんにゆめ風基金のリーフレットを配布してくださり、会場ロビーではゆめ風基金の紹介コーナーを用意していただけることになりました。ゆめ風基金では代表理事の牧口一二さん、副代表理事の河野秀忠さんの他、事務局スタッフ全員が参加し、被災障害者支援活動の紹介パネルを展示する他、永六輔・谷川俊太郎作詞、小室等作曲のゆめ風基金応援歌CD「風と夢・伝えてください」や防災提言集などの物品販売と募金箱も置かせてもらうことになりました。
 わたしは会場スタッフの立場では会場の中で小室さんのライブを楽しむことはできないため、チケットを購入し、お客さんとして参加しながらゆめ風基金の展示コーナーにも顔を出すことにしたのでした。そして、豊能障害者労働センターも小室さんには長年お世話になっていることもあり、今回は豊能障害者労働センターのスタッフも同行してくれることになりました。

 今回の震災では小室等さんはゆめ風基金への募金をよびかけてくださったり、新しい呼び掛け人のご紹介もいただきました。
また、6月5日の仙台の「とっておきの音楽祭」では、無理を承知でお願いしたにもかかわらずストリートライブを引き受けてくださっただけでなく、被災地障がい者センターみやぎにも来てくださり、被災地の障害者を勇気づけてくださいました。
ひとはパンのみで生きることもできるが、夢なくしては生きていけないと言われますが、歌もまた、わたしたちの悲しみをなぐさめてくれたり、勇気をくれたりするものであることは確かなことだと思います。小室さんの歌を聴くとこの大震災で被災されたすべてのひとに、そしてどんなに遠く離れていても被災地とつながるわたしたちの心に沁みます。
「歌にできることは少ないけれど、歌だけにできることもある」
このメッセージはとても奥が深い言葉です。
 よく「歌には力がある」といわれますし、それはそうなのかも知れません。しかしながら、時としてその言葉がとてもむなしく遠い言葉に思えることがあります。50年という長い間、全国各地の小さな町や小さな村の小さな会場にもギター一本で訪れ、それぞれの大地のぬくもりや風のおしゃべりや森の吐息や海の記憶をいとおしくだきとめ、静かに歌いだす小室さんの歌は決して歌の力をふりまわさず、それでいて歌を必要とするひとの心に届けられてきました。
 今回のライブの企画準備中に震災が発生し、急遽「復興」という祈りをこめたライブとなったそうです。理不尽な災害のさなかにあって、ひとがひととつながることでしかこの困難を乗り越えることかできないことを知ったとき、わたしたちにとっての復興とはごくシンプルに障害のあるひともないひとも、すべてのひとの希望をともにたがやす社会をつくりだすことに他ならないと思っています。共に生きることも助け合うことも決して心やさしいだけではないこともまたほんとうのことで、わたしたちは、わたしたちひとりひとりが他者の存在を認め、他者の夢を想像し、他者のために何ができるのかを問うことからはじめたいと思います。
 今回のライブでは、小室さんならではの特別なゲストの方々が小室さんの音楽活動50周年を祝い、スーパーセッションを繰り広げてくださることでしょう。そして、小室さんの静かな歌がゆっくりと立ち上がり、ふたたび全国各地の愛を必要とする心へと歩きはじめるのを、わたしたちは聴くことでしょう。

「共に生きる勇気」を復興の鍬として、すべてのひとの希望をたがやすために

小室等 死んだ男の残したものは
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2019.06.13 Thu 再録  心に深く、大地に広く、歌は流れる・・・。 2011.07.08 Fri 小室等さんのこと

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再録  心に深く、大地に広く、歌は流れる・・・。
2011.07.08 Fri

伝えてください あの日のことを
語ってください 何が起きたかを

2005年6月19日、大阪・中の島、中央公会堂で開かれた「ゆめ風であいましょう~震災から10年感謝と希望の集い」は、ゆめ風基金応援歌のひとつ「伝えてください」からその特別な時間がはじまりました。ほんとうにこの日のために、ゆめ風基金の3人のスタッフは走り回り、そして大阪を中心とした障害者団体から当日100人のボランティアスタッフと1000人のお客さんが会場をうめつくしたのでした。
 10年間呼びかけ人代表としてゆめ風基金をいっしょうけんめい支えてくださった永六輔さん、これからの10年呼びかけ人代表を引き受けてくださった小室等さんをはじめ、出演者もお客さんも、会場にいたすべてのひとが、特別な時間を共有したのでした。

 この日、会場の大阪中之島公会堂に入ったぼくは、控室と舞台裏でこのイベントの進行約を担当していました。
 震災後10年で、永六輔、小室等、紙ふうせんにくわえて、趙博、おーまきちまき&のむらあき、加納浩美、岡本光彰&ザ・ひょうたんなまズと、ゆめ風基金を支えてきたミュージシャンがこの日のためにかけつけてくださいました。
 出演者の数も多く、また「障害者市民防災アイデアコンテスト」の応募者のプレゼンテーションと審査発表、この日に合わせて完成した「ゆめ風基金応援歌」の発表とお客さんも一緒になった合唱、これを予定時間内におさめるのはとても無理に思えました。
 そこでぼくはゆめ風基金の事務局長の橘高さんに同行して、前日に大阪のホテルに入った小室さんに相談しに行きました。
 小室さんはあっさりと、「ぼくの出番の時間をうんと短くしよう」と言いました。小室さんの持ち時間を削るなんて考えもしなかったぼくは、その提案に感謝しました。
 当日は準備段階で音響のトラブルがつづき、リハーサルが大幅に遅れました。午後の本番に向けて時間がほとんどなくなってしまいました。
 趙博さんが出演者同士の時間調整をしてくれて、小室さんも「ぼくは音合わせだけでいいよ」と言ってくれました。それでなんとか本番に間に合いました。
 永さんが会場に来られ、最後の打ち合わせをしました。ぼくは「これだけの内容を時間内に収めるのはむずかしいです」と言うと、永さんは時間短縮のために「ここはこうしよう」とプログラムの進行を整理してくれました。
 そして、永さんもまた「ぼくの持ち時間を大幅に短くします」と言いました。
 本番が始まりプログラムが進行するにつれて、スピーディーに行きすぎて時間があまりそうな気配となりました。ぼくは小室さんにそのことを告げると、「それじゃあ、ぼくの方はこのままでいいから、永さんの持ち時間を元にもどそう」と言いました。
 それを受けて今度は永さんに小室さんの提案を言おうとするとその前に「それじゃあ、ぼくの方はこのままでいいから、小室さんの持ち時間を元にもどそう」と言われてしまったのでした。
 ぼくは困惑しましたが、もとより現場合わせで細かく時間を見ながらイベントを成功させる天才の永さんと小室さんのことだから、もうふたりにまかせる以外に仕方がありませんでした。
 そして、とうとうプログラムの終演となり、やはり時間が余ってしまいました。いつもの永さん、小室さんなら、たしかにこんなことはなかったと思います。
 小室さんは呼びかけ人代表としてこの10年、先頭に立って来られた永さんを思いはかり、永さんはその思いをひきつぐにあたいする小室さんを思うばかりに時間をゆずりあった結果、こうなってしまったのでした。
 この時だけではありません。毎年何回かのイベントに出演された小室さんといい、永さんといい、このお二人に接していると、出演者としてではなくぼくたちと同じスタッフの立場で共に考えてくれることにいつも感激しています。舞台裏を担当することが多かったぼくは本番中、何回涙をかくしたかわかりません。
 そのことがよく伝わっているからだと思うのです。ゆめ風基金のイベントに来るお客さんは、とてもやさしい。ぼくたちスタッフが行き届かず、普通なら怒られるような場面でも、かえって「ごくろうさま」と声をかけて下さるのです。
 こうして、このイベントは終了しました。ゆめ風基金を支えてきてくれたたくさんの人びとに感謝し、明日からの活動を自らに約束した一日となりました。
 後日、ゆめ風基金のスタッフに聞くと、終演後打ち上げに向かうタクシーの中で、ふたりともかなりの落ち込みようで、「間延びしてしまった、今日は失敗だった」と言っておられたそうです。この話を聞いて、ぼくはさらに感激してしまいました。呼びかけ人であるからとは言っても、ここまで出演者が主催者の立場で「失敗だった」と落ち込むお二人に、ただただ頭が下がる思いです。そこまでの思いを持ってステージを一緒につくってくださるお二人の気持ちが、お客さんに伝わらないないはずがありません。
 ゆめ風基金のイベントのお客さんは日常でお金を送金しながら、一年に一度か二度、事務局が案内するイベントに足を運び、お二人を始めとする出演者、スタッフ、お客さん同士がかもしだすやさしい風を心に吹きこみ、それをだきしめることで、ゆめ風基金とのつながりを確認されているのだと思います。
心に深く、大地に広く、歌は流れる・・・。

Hitoshi Komuro (小室等) - いま生きているということ
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