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2019.05.28 Tue 能勢高校生による「のせ未来Café」 ピースマーケット・のせ2019

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 5月26日の「ピースマーケット・のせ2019」は真夏日となり、来場者が熱中症にならないか心配しましたが、盛況のうちに無事終わることができました。
 今年で4回目となるこの催しですが、毎年さまざまな課題を抱えながら十分に解決の道を見つけられないまま開いてきました。
毎年そうですが、今年の場合は特に運営費が賄いきれず、初めて赤字になりそうです。運営費のめどが立たなければ今年で終了となる可能性もあり、今年の反省会で話し合うことになりました。
 一方で、高齢者住宅に住む清洲辰也さんの「武器を捨てて話しあう勇気と、大地と共に生きる希望と平和を分かち合おう」という呼びかけは実行委員会のメンバーを越えて大きく広がり、同じ思いを持つたくさんのひとたちがこの催しをささえてくださいました。
 里山能勢で平和を願う人びとがつどい、心と物が行き交う場として、わたしたちは庶民の買い物かごの中の夢と願いが行き交うフリーマーケット、大地から生まれ大地と共に生きる音楽、持続可能な地域づくりと世界市民とのつながりを求めて、という3つのテーマを持って活動を始めました。4回の開催を通じて、3つのテーマの取り組みはそれぞれがつながりながら里山能勢から世界へ、地理上の遠いへだたりを夢と想像力で補いながら、わたしたちの真上の空が世界各地で必死に生きているであろう子どもたちや大人たちが見上げる空とつながっていることを信じて毎年続けてきました。
 その中でも、持続可能な地域づくりと世界市民とつながっていこうという試みはおまつりの雰囲気の中でなかなか形になりませんでしたが、能勢高校の協力のもと高校生の参加によって少しずつ実現してきました。
 そして今年、ドイツにおいて電気、ガス、水道、交通などを地方自治体が町の事業として整備・運営するシュタットベルケに学び、能勢における持続可能な事業を進めるために、箕面市、豊中市、宝塚市の市民グループと縮小社会研究会の活動から能勢高校生が何を学び、何を感じるのか、対話と意見交換の場として「のせ未来Café」が開かれました。
 ロビーステージで行われた能勢高校生によるまとめの報告からは、大人たち・市民グループの話から勇気を得て、
「気候変動の問題で大人に任せていてはいけないと立ち上がる世界の高校生の存在をしり、自分たちのできることをもっとやっていける」
「選挙権が与えられ、表面的にしか投票しなかったけれど、自分が考えることの先に必要な候補者かどうか、もっと考えて投票に行こう」
ドイツのシュタットベルケを学びに行くが、それにとどまらず能勢高校の再生可能エネルギーの発電所をつくり、実践する」
「自分サイズでできることを発見した」
など、しなやかな心からどんどん能勢の未来への提案が飛び出し、大きな拍手に包まれました。
 参加した人から「生徒さんたちの真摯な姿勢に希望を感じました」、「生徒さんたちと学ぶ機会があればぜひ参加したい」、「素晴らしいの一言です。感激して胸がいっぱいになりました」という声があいつぎました。
学びの場「のせ未来Café」の大成功で、「ピースマーケット・のせ」を続けてきてよかったと思いました。
そして、能勢高校が豊中高校能勢分校であっても、わたしたちの住む能勢にとってかけがえのない高校であるとともに、その学び舎で世界とつながる能勢高校生のみなさんもまた、里山能勢の誇りであることをあらためて感じました。

 さて、催しのオープニングで、呼びかけ人の清洲辰也さんの息子さんで、京都の内科医の清洲早紀さんがあいさつしてくださいました。子どもの頃に戦艦大和の模型を作って清洲さんに見せたところ、粉々に壊されたという思い出から、父親の平和への強い思いを感じたと話されました。また勤めている病院で患者さんに戦争体験を語り継いでもらう取り組みをされていることと、最近は若者とアジアの人々の交流を通じて過去の歴史を認識してもらう活動をされているそうです。
  「ピースマーケット・のせ」は一年目よりライブステージを盛り上げてくれるミュージシャンにめぐまれてきました。わたしはミュージシャンが時には命をけずるように自分の音楽を探す毎日を渡りながら、「ピースマーケット・のせ」の舞台でその想いの丈を歌い、演奏してくれることに感謝してきました。ステージといっても路上と変わらない場所で、誰も用意してくれない、自分が歌い出さなければ生まれない「ステージ」で聴かせてくれる音楽はいつも最高のパフォーマンスを届けてくれました。
 彼女彼らがはるばる大阪から、神戸からお迎えの車も用意できないわたしたちに怒りもせず、交通費で消えてしまいそうなわずかな礼金で能勢に来てくれるのは、きっと平和でなければ歌いたい歌を歌い、聴きたい歌を聴く自由が奪われることを知っているからなのだとわたしは思います。ひとりひとりのミュージシャンがその人にしか歌えない歌を歌う場として、ピースマーケット・のせ」を選んでくれることに、どれだけ感謝しても感謝しきれません。ひとりひとりの歌を聴かせてもらいながら、わたしはかつて竹中労が言った言葉を思い出します。「人間はどれだけ自由を奪われても、たったひとつ残る自由がある。それは自由になろうとする自由だ」。
 音楽はまさしく、これから先に万一自由が閉ざされる時代がやってきたとしても、またそんな時代が来ないようにうごめきたたかうわたしたちの心の最後の扉を密やかに開けてくれるものだとわたしは信じています。その扉の向こうにあるものこそが「自由」なのだと思います。能勢の空が世界の子どもたちの頭上の空とつながり、能勢から世界の果てへと、平和と自由を願う心の叫びを彼女彼らが歌う時、聴く者の心もまた解放されていくのでした。
 かつて能勢で「青天井」という歌う場をつくり、若いひとを育てたミュージシャン・ピンクさんが切り開いた音楽の荒野に、随分長い年月を経ていま、わたしたちはいるのだと思います。今年はピンクさんの連れ合いだったMさんが会場に来てくれて久しぶりの再会でした。加納ひろみさんはピンクさんが歌った「パワー」をはじめ、ピンクさんが訳した歌をこの日も聴かせてくれました。

「めぐりあい」長野たかし&森川あやこ in お寺でライブ30
ピースマーケットに欠かせない長野たかしさん&森川あやこさんのオリジナル映像がありませんので、この映像を紹介します。

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2019.04.11 Thu 武器を捨てて手をつなぐ勇気と、大地と共に助け合って生きる未来を信じて 「ピースマーケット・のせ2019」

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Think,create,share,and enjoy Peace!
平和をかんがえよう! 分かち合おう! 創ろう! 楽しもう!
「ピースマーケット・のせ2019」
2019年5月26日(日)午前10時から午後3時30分
能勢町淨瑠璃シアター前広場・ロビー・小ホール・研修室・調理室

 それは能勢町内の新聞に折り込まれた一枚のチラシから始まりました。そこには高齢者住宅に住む清州辰也さんが、「孫や次の世代に戦争のない平和な世界を残したい!!」という切実な願いが綴られていました。
 清洲さんは1943年、20歳の時に学徒出陣し、南方軍に配属されました。1944年、乗っていた輸送船が故障し漂流2週間、1000人余りの乗員が一滴の水も一粒の米もない絶飲食を強いられました。敗戦をベトナムで迎え半年間の俘虜生活をへて1946年3月に帰国、大阪駅から大阪城しか見えない一面の焼け野原に立ち、「戦争だけは二度としてはならない」と強く決意したといいます。
 2016年、清洲さんの想いは「ピースマーケット・のせ」の開催へと結実しました。古来の市場(バザール)にならい、能勢の里山で平和を願うひとびとが集い、心と物と夢が行き交う市場(いちば)をつくりたいというわたしたちの想いは能勢町民をはじめ近隣の住民にも受け入れられ、1000人の参加を得ました。
 あれから4年すぎた今も鳴りやまない銃声と砲弾のもと、世界各地で貧困の末に命を奪われる子どもたちが後を絶ちません。それはまた遠い国の出来事ではなく、紛争地でもないわたしたちの社会でも7人の一人の子どもが貧困にあえぎ、毎年2万人を越える人びとが自らのいのちを絶つ現実があります。
 そのような危機の中、一方で「より早くより遠く」とひた走り続けてきた20世紀の町づくりから、「よりゆっくり、より近く」、誰もが安心して暮らせる心豊かな町づくりのありようもまた、世界各地で模索されています。足元を見れば介護の手立ても移動手段もなくて外に出られないひと、心の疲れから家に閉じこもるひとも数多く、誰もが安心し、助け合って暮らせる地域をめざすことと、平和な世界を望むことは、深くつながっていると痛感します。
 2015年9月に国連総会においてSDGs(持続可能な開発目標) が採択され、気候変動などの環境対策、貧困や飢餓の撲滅、ジェンダー平等など2030年までに達成すべき17のゴールで構成される全世界共通の目標としました。
能勢町も強い関心を持つドイツのシュタットベルケに学ぶ地域ネットワークづくり、能勢高校と住民の連携、町内の若手農家による農業振興など、地域の課題と夢が顕在化する今、この催しが人と人、人と自然の出会いをより広げ、深める契機になればと願っています。
 武器を捨てて手をつなぐ勇気と、大地と共に助け合って生きる未来を信じて、今年も「ピースマーケット・のせ2019」を開催します。
当日は世界のソウルフードや50店舗のフリーマーケットが並び、グラスルーツ音楽、アフリカ太鼓、朝鮮舞踊、ラテン音楽、レゲエなどが人気のライブステージも用意しています。
 能勢の5月、さわやかな風にこころをあそばせ、楽しい1日をすごしませんか?
 あなたのご参加を、心よりお待ちしています。

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2019.04.09 Tue 維新の会の圧勝は、わたしたちの心の中に巣くう「成長神話」を捨てられなかった結果



 大阪府知事・大阪市長選挙は大阪維新の会の圧勝になりました。
 「十年前の大阪に戻っていいのか」、「大阪の成長を止めるな」といった挑発的な言葉が思惑通りに浸透し、大阪の民意にされてしまいました。
 公務員たたきや、他者へのねたみを味方にした維新の会の政治手法は、民主主義を煽情的かつ刹那的なものにしました。その結果が今回の圧勝になったのでしょう。
 「身を切る改革」と言い換えて小泉政権の聖域なき構造改革も自らの手柄にし、インバウンドに支えられた「成長」も自らの実績とする維新の会のたくみさには恐れ入ります。
 しかしながら、大阪維新の会もその支持者も都構想が実現し、2025年の万博とカジノで大阪の経済がもっと良くなると信じているとしたら、そのことの方が恐怖と言わざるをえません。
 実際、丁寧に検証することよりも、東京へのねたみを利用する「大阪都構想」には2025年から始まるといわれる東京の停滞を意識したあざとさを感じるのはわたしだけではないでしょう。安倍政権の成長戦略のおこぼれを狙う「大阪の成長」はオリンピック以後の経済停滞に備えるどころか、アベノミクスの負債を背負うことにならないという保証はありません。日本経済の一段の停滞が現実になりつつある今、観光と浪費をあてこんだ万博イベントとカジノ・IR建設の地が、後の世にふたたびぺんぺん草に覆われた廃墟と荒野になってしまわないかとても心配です。
 わたしは安倍政権や維新の会の無茶な成長戦略を捨て、さけることができない人口減少と経済停滞の社会になっても、助け合いと分かち合いによって「こんな暮らしもありか」と誰もが思える構造改革を今から準備しなければと思うのです
 その意味において、今回の維新の会の圧勝は、戦後のがれきからさまざまな政治的バイアスを潜り抜けて、わたしたちの心の中に巣くう「成長神話」を捨てられなかった結果ともいえるのではないでしょうか。
 そうならば、維新の会を選択したひとびともいっしょに、

成長がなくても安心できる豊かな国や社会は実現できないのか
東京をはじめとする都市集中型の社会ではなく、小規模な町の「顔の見える経済・社会・文化」をゆるやかに築く地方分散型の社会はできないのか
「年老いることや介護を必要とすること」がいけないことと当事者に思わせる福祉サービスしか用意できないのか
学校が子供たちを調教する教育の場ではなく、さまざまな個性を持つ子どもたちが学びあう場になることは理想でしかないのか

 さまざまな問題や宿題をひとつずつ解決するために話し合い、助け合うことは、実はとても勇気のいることだけれど、今生きているわたしたちだけでなく、かつてこの町で生き、恋し、夢見てきた数多くのひとたちが残した記憶も、またこれからこの町で生きていくだろう子どもたちの切なく幼い夢も、このまち・大阪の路石の下にいっぱいつまっていることを信じて、ここから一歩踏み出して、あなたと出会い、話しあいたいと思うのです。

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2019.04.06 Sat 成長よりも助け合える町 シカゴ市に誕生した同性愛の黒人女性市長と大阪の未来


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 統一地方選挙の前半戦の投票日が明日にせまりました。とくにわたしの住む大阪では大阪都構想めぐって大阪維新の会と実質反維新との一騎打ちとなっています。
 大阪維新の会は、「大阪が10年前のようになっていいんですか」と、維新が身を切る改革を進めて実現してきた「大阪の成長を止めるな」と声高に喧伝しています。
 しかしながら維新の言う行政改革は公的サービスの民営化で、そのほとんどが関市長時代になされ、最近の地下鉄民営化も関市長時代の宿題でした。
 その意味では、わたしが思う維新独自の改革(?)の最たるものは、「教育行政基本条例」を制定し、行政から独立している教育委員会を知事の命令を受ける部局に、行政が介入できるようにしたことではないかと思います。これは親や市民や府民の「学校への不満」を背負い、戦前の教育が国の思いのままになったことの反省から作られた教育の独立性をうばってしまいました。公的なものは無駄が多く、民営化をすすめる新自由主義を生身の子どもたちが育つ学校に持ち込むことで、現場の教師たちを粛清し、萎縮させました。
 わたしはいつも思うのですが、学校は教育の場である以上に子どもたちが学ぶ場だと思うのですが、維新の「改革」をめぐる教育現場の混乱は学校に行かない子どもをつくり、いのちにかかわる重大な事件を引き起こすこともしばしばで、これから先、ますます苦しい想いに耐える子どもをつくらないようにしなければならないと思います。
 維新よりも先に改革に着手していた大阪が10年前に戻ることは時代が許さないですし、維新の主張する成長がほんとうのところ何を意味するのかよくわからないのですが、国政選挙ならいざ知らず、統一地方選挙で「成長」を声高に叫んでいるのは大阪だけです。
 それだけ、大阪維新の会が大阪都構想を成長戦略ととらえているからでしょうか。
 しかしながら、実のところ維新の会が大阪の政治をつかさどる中で、彼らのいう身を切る改革(誰の?)が進んできたのなら、その上なぜ都構想なのでしょうか。
 それは他ならぬ大阪府による大阪市の解体と合併でしかありません。簡単に言えば財政力が貧困で権限の弱い大阪府が政令指定都市の大阪市を呑み込み、大阪市の財源を確保し、権力を強めるという構想で、そこには東京に対置する副都心をめざすことと、すでに名古屋に抜かれてしまった経済力を取り返す野心があるのでしょう。
 しかしながら、わたしたちは一度立ち止まって考えないといけないのではないでしょうか。世界も日本国内の流れも、すでに20世紀型の経済成長はありえない中、一点集中が続いてきた東京ですら、2025年に人口減少がはじまると言われています。
 大阪維新の会が国の安倍政権と歩調を合わせるように成長神話を信じ、金融政策ももたず財政投資の原資を持たない地方行政で、国のお金も引き出しながらの万博誘致やカジノ・IRなどで元気な大阪の成長を夢見ているとしたら、それこそ以前の停滞した大阪以上の荒廃をよぶことになるでしょう。大阪が好きで、ずっと大阪に住みたいとねがうわたしたちは、そんなカンフル注射のような「成長」を望んではいないのです。
 むかしから東京は東京、大阪には東京にない「なにわ人情」があります。大阪は隣町の堺市をはじめ関西・近畿をゆるやかにつなぎ、政治的な制約を受けないで自由な文化を育てあってきた文化があります。
 維新の会は東京と張り合い、大阪を政治的な町にするため、関西の人権文化を切り捨ててきましたが、それがかえって大阪のひとびとをふるい立たせることにもなりました。
 大阪都構想は、そんな大阪のほんとうの元気の素を壊してしまうことでしょう。
 大阪の古くからの文化は、いわば地方分散・小規模な町がどこを中心とするのではないネットワークで「顔の見える経済・社会・文化」をつくることで、東京のような一点集中型の都市経済ではありません。安倍政権はオリンピックのつけを大阪にまわして幕引きを考えていると思います。決してその罠にはまらないように、わたしたちは庶民の庶民による庶民のための大阪を目指したいと思うのです。

 大阪市の姉妹都市で、全米3位の人口を誇るシカゴ市で2日、ローリ・ライトフット(Lori Lightfoot)氏が黒人女性同性愛者として初の当選を果たしました。
 先の中間選挙で女性議員が多数誕生したように、トランプ政権で人権侵害が多発する一方で、アメリカはやはり夢と希望を捨てない民主主義の国だと痛感します。トランプ大統領を生んだアメリカですから、女性の大統領が今度こそ誕生するかもしれません。
わたしはこのニュースを聴き、1990年代に豊中の入部香代子さんが車いすを利用する女性としてはじめて豊中市議会議員選挙に立候補し、当選した時のことを思い出しました。選挙運動が苦手なわたしがかかわった数少ない選挙でしたが、その時、わたしはいま共産党の山本一徳さんを応援している坂本洋さんに応援を頼みました。
 坂本洋さんは入部さんに会い、応援どころか選挙のプロデースからその後の政策ブレーンとしてもかかわってくれました。
選挙運動の初日の夜、坂本洋さんが言った言葉を別れられません。
 ある場所で、わたしたちの話をずっと聞いてくれていた人が遠慮がちに入部さんに声をかけました。「わたしの子どもが障害を持っていて、どこにも行くところがないんです、相談に乗っていただけませんか」。その時入部さんはじっくりとその親御さんの話を聞き、「相談してくれてありがとう。今は選挙運動が始まったばかりで1週間動きが取れないんです。申し訳ないですが、選挙が終わったらすぐに相談させてもらいたい」と、スタッフに頼んで連絡先をメモしてもらい、ごめんなさいと街宣車に乗りました。
 おそらく、坂本洋さんはできるだけ多くの場所で訴えるスケジュールを組んでいたでしょうが、「これはふつうの選挙ではない」ことを実感されたのでしょう。
 「数を問う選挙戦のさ中にあせるわけでもなく、数を問う選挙だからこそ少数者の思いをていねいに聴くことのできる入部さんのふところの深さに感激し、数ある候補者の中で入部香代子さんを候補者に持つわたしを誇りに思う」といいました。
 わたしはその時、百戦錬磨の坂本洋さんがそう思ってくれたことに感激し、勇気をもらったのでした。
 この時からわたしは、選挙の投票用紙がかけがえのない手紙で、名前を書くだけの投票用紙にはその時のひとびとの言葉にできないさまざまな思いが込められていることを教えてもらいました。
 飛躍しますが、そんな思いが時代と場所を越えてバトンとなり、黒人の女性で同性愛をカミングアウトするシカゴ市長の誕生になった信じ、姉妹都市の大阪でも経済成長を鼓舞する都市型の街ではなく、どこか懐かしい町の匂いがさまざまなひとを受け入れ、「成長よりも助け合える町」になる大阪を願い、目指したいと思うのです。

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2019.04.03 Wed 成長を止めてでも、立ち止まる勇気を! 維新の暴走を止める本気が試されている

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 大阪府知事選挙・大阪市長選挙の投票日まであと少しになりました。マスコミ報道では維新候補がどちらも優勢とのことです。このまま維新候補が勝利し、大阪都構想も実現してしまうのかと思うと暗澹たる思いです。しかしながら、まだ少しの希望があるならば、わたしは「大阪の成長を止めるな」と主張する維新自身に立ち止まってほしいのです。このままあなた方が突き進めば、きっとあなた方自身も後悔することになると思います。
 そうならないために、「反維新」といわれる勢力の本気と、わたしたち自身の勇気が試されていると思います。

 維新の会が「大阪の成長を止めるな」といい、「大阪を10年前に戻すわけにはいかない」と、あたかも正義が彼らにあり、抵抗勢力とずっとたたかってきて今の大阪の「成長」があるというのはあきらかに印象操作だと思います。先に書いたように、関市長時代の遺産で、すでにお大阪は10年前には戻りようがありませんし、大阪の成長を維新の手柄というのも、アベノミクスによって日本が成長路線を取り戻したかのように喧伝する安倍政権と同じ、やや無理があるとわたしは思うのです。
 どちらも、規制緩和による公共サービスを民営化することで民間業者の労働者に低賃金を押しつけ、サービスの量と質を落とすなどして見せかけの利益を生み出しているといえます。もちろん、たしかに賃金の上昇はありますが、それはリーマンショック以後の世界的な好景気と労働人口の減少による人手不足によるところが大きく、また失業率の低下は非正規雇用の労働者に支えられているといわれます。
 大阪の場合はそれに加えてインバウンド効果に支えられている事情があります。
 言ってみれば何のことはない、彼らが自慢する経済効果は外部要因に支えられ、政策によるものとは言い難いのです。そこでこの景気を長持ちさせるために東京オリンピックと万博誘致に力を注ぐというのが本音でしょう。
 安倍首相も本音を言いましたが、オリンピック以後景気が悪くなるという予想は保守層もふくめてコンセンサスになろうとしています。今現在もアベノミクス効果と呼ばれているものがほとんど機能せず、日銀は物価上昇率2パーセントを達成できないまま歴史的な低金利政策を続け、景気が悪くなった時に金利を下げるというカードを持てないままです。世界の投資家はすでに日本経済を見放して東京市場に資金をつぎ込むよりも資金を引き揚げる傾向にあり、それを補うための日銀による買い支えで株式市場は暴落を免れているありさまです。
 世界の流れは戦後長く君臨したアメリカから中国に移っていく途上で、かつてアメリカに次ぐ経済力を誇っていた日本は早々と抜き去られただけでなく、中国なくしては日本のグローバル企業は成り立たなくなっています。
 世界をびっくりさせたとされる日本の存在感はすでになく、あるとすれば世界がいずれ陥る超高齢社会がいち早くやってくる日本の社会実験のお手並みを拝見するというスタンスで日本を注視していると思います。
 しかるに、安倍政権も大阪における維新もかつての高成長はむりだとしても一定の成長力を取り戻せるとして、無理なカンフル剤を国と大阪に打ちつづけています。
 東京オリンピックから5年は、アベノミクスから万博に向けて「イシノミクス」によるインバウンドのさらなる膨張とインフラ効果、万博の後のカジノを含むIR事業を維新は目論んでいるのでしょう。そのために「二重行政の解消」とか「大阪の元気をとりもどす」とか、大衆におもねる印象操作で抵抗勢力を打ち破り、大阪市を解体し大阪府と一体化させ、その絶対権力を握る必要があるのです。
 その結果、国がどうなるのか、大阪がどうなるのか、維新も安倍政権もそこまで責任を持たないまま去って行く時が来るのではないでしょうか。
 わたしは何も成長を否定するつもりはありませんが、そのためのコストがわたしたちをふくむ一定の人びとの犠牲の上にあることも事実なのです。かつてのようにコストパファーマンスの良い社会ではなくなった以上、無理やりコストをかけて効率の悪い政策をするのはいかがなものかと思うのです。しかもそのコストは切なくていとおしくてかけがえのない大切なものを削ってしまってつくられるとしたら、そんな成長はない方がよく、たとえば少なくとも学力を伸ばして国際競争力をつけるよりは、たったひとりの子どもでも死ななくてよい教育環境を子どもたちに提供することに努力しなければならないと思うのです。
 もちろん、それは大人にもいえることで、この社会で生きにくい事情を抱えたひとが社会の助けを得られないまま次々と死んでいくことのない、だれもがこの国を社会を愛し、そしてこの国に社会に愛されるかけがえのない人間として生きる、そんな社会をめざすことからはじまる政治を必要としているのです。
 そして、戦後この国が経験したことがない高齢社会は、ほんとうに大変で貧困なだけの社会なのか、高度経済成長時代には思いもつかなかった「顔の見える社会」、誰もが誰かの助けになれる豊かな社会、明日何が起こるかわからない、わくわくした出会いがうれしい、そんな夢見る社会をみんなで助け合ってつくっていくことは、ほんとうに甘っちょろい理想論でしかないのでしょうか。
 わたしは安倍政権がオリンピック以後の経済停滞を予測するなら、GDPで測れない経済というか、成長しなくてもこわくない社会の枠組みについて、真剣に国民に提案してほしいのです。そして、ゆめゆめ最後のつけを大阪にもってくるのではなく、2025年には東京もまた人口減になると予想される中、外国人を移民として厚遇し、成長しなくてもいい安心できる社会を共につくる準備をしてもらいたいと思います。

 わたしたちはほんとうに長い間、立ち止まってはいけないという脅迫観念をもちつづけてきました。しかしながら、いまこそ立ち止まる勇気を持ちたいと思うのです。

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