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2019.06.19 Wed 再録 谷川俊太郎・永六輔・小室等「少年期は戦争だった」

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谷川俊太郎・永六輔・小室等「少年期は戦争だった」
2015.01.24 Sat

 1月20日、東京の渋谷で被災障害者支援「ゆめ風基金」とカタログハウスの共催で「ゆめ風であいましょう 少年期は戦争だった」というトークイベントがあり、そのスタッフとして朝早くに出発し、昼ごろに渋谷に着きました。このイベントは永六輔さん、谷川俊太郎さん、小室等さん、そして、ゆめ風基金の代表・牧口一二さんが今の世の中のきな臭い空気を会場のお客さんと共有しながら、子ども時代に戦争と言う非常時をくぐり抜けてきた体験を語り合うイベントでした。
 声高に反戦や平和を訴えたり戦争の非合理と悲惨を語るのとはちがって、戦闘機のおもちゃに熱中した話やみんなが軍国少年だった話や、戦争が終わり疎開から戻ってくると瓦礫とともに死体が転がっていた話、ほとんどの文学や芸術が戦争に加担していったことなど、今につながる連続した日常の生々しさを淡々と語り合われました。
 そのなかでも永六輔さんのお話でしたが、戦争によって破壊された町は震災の瓦礫どころではなく、広大な瓦礫の荒野で、家々で防空壕を掘って空襲に備えていたのだけれど、その防空壕でひとびとが歌を歌っていて、瓦礫の下から歌が聴こえてきたというお話が印象に残りました。
 2部では小室等さん、こむろゆいさんが歌でつなぎながら、永六輔さんがます登場しました。ご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが、永六輔さんはパーキンソン病で車いすを利用し、しゃべりにくくなっても持ち前の「芸人」堅気でお客さんを笑わせながら、個人が国によって押さえつけられたり、時代を越えて伝えられてきた市井の文化が権威にゆがめられることに対しては徹底的に物申す姿勢は依然とまったく変わりません。
 そんな永六輔さんが20年前に阪神淡路大震災を機に設立されたゆめ風基金という、障害者をはじめとする市民の、市民による、市民のための被災障害者支援基金運動にいわゆる「官制」にはない可能性を見つけてくださり、惜しみない応援をしてくださったことに感謝の言葉がみつかりません。そして、どんなふうに自分が変わっても依然と少しも変わらない精神で人前に出て、「伝えなければならない」思いを精いっぱいお話されることに感動します。
 もうかなり有名な「ネタ」にもなっているお話があります。永六輔さんが病院の廊下の手すりにつかまって歩行するリハビリをしていた時、サポートする東南アジアから来た青年が「永さん、前かがみにならないで上を向いて歩きましょう、そうそう、日本にはいい歌があるではないですか、『上を向いて歩こう』という歌が。永さん、その歌を知りませんか」といいました。永さんが「知りません!」というと、廊下の患者さんたちが大笑いしました。お医者さんが「永さん、まじめな青年に嘘を言ったらだめですよ。ほんとうのことを言ってあげなさい」と忠告され、永さんが「あの歌はぼくがつくったんだよ」というと、「うそでしょ!」…。
 この話は何年も前から聞いているのですがどんどん進化していき、そのたびに新しい笑いが生まれるのですが、普通なら障害を持ち、それがどんどん進んでいくことからもう人前には出ないでおこうと考えても仕方がないところ(事実そんな風に思われたこともあるそうですが)、小室さんや谷川さんたちをはじめとする友人や、どんな状態になっても永さんをひたすら待ちつづけ、話を聞きたいと願う全国の数多くの人びとが永さんを励まし、永さんがそれに応えることでひのひとびともまた生きる勇気をもらっているのだと思います。
 次に登場した谷川俊太郎さんの前で、小室さんたちが「おはようの朝」を歌いました。この歌はわたしが小室等さんと谷川俊太郎さんのほんとうのファンになったきっかけとなった山田太一脚本の「高原へいらっしゃい」のテーマソングでした。
 小室さんもお話しされていましたが、「ゆうべみた夢の中で、僕は君をだきしめた はだしの足の指の下で なぜか地球はまわっていた」という歌詞が不思議な中にもかわいた切なさのようなものを感じる大好きな歌です。
 谷川さんはいくつかの詩を朗読されましたが、このひとは書く詩と読む詩と歌う詩とそれぞれちがったアプローチをされているように思います。他人の詩でも自分の詩でも谷川さんが朗読すると言葉がすでに歌となって歌い出し、ダンスとなって踊り出すようで、とても心地よく、そしてつらい感情までもが心にしみていくのでした。
 小室さんにうながされて最初に読んだ詩は、永六輔さんの歌詞でいずみたく作曲、デュークエイセスが歌った「ここはどこだ(沖縄)」でした。
 「ここはどこだ いまはいつだ なみだはかわいたのか ここはどこだ いまはいつだ いくさはおわったのか」。永さんの歌詞に込められた沖縄のひとびとの涙と怒りが立ち上がってくる朗読に、心が震えました。
 そして、谷川さん自身の詩で「戦争と平和」を朗読されました。わたしははじめてこの詩を知りましたが、戦争という名前の男と平和という名前の女の設定で、わかりやすい言葉で語られる、谷川さん流の「静かでひそやかな反戦詩」でした。この詩の最後を、「お腹の中の子は母親似であってほしい」という願いで綴られていました。
 その他、茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」を朗読されました。谷川さんは一部のトークとはちがい、2部では「戦争を絶対にしないために、ひとがひとにさべつされないために、ひとがひとをきずつけないために、自分の言葉をみつめ、発しなければいけない」という隠れた切迫感をただよわせていました。
 谷川さんにはこどもたちに伝えようとひらがな言葉でつづる数えきれない反戦の詩があり、大人が読んでも心にひびきます。わたしは小室さんも歌っている武満徹作曲の「死んだ男の残したもの」しか知らなかったのですが、谷川さんの場合は反戦平和の詩というような明示をする必要はなく、21才の時に発表された「二十億光年の孤独」から現在まで80冊以上の本に収められた数々の詩、歌となったたくさんの詩など、そのほとんどの詩が「戦争へと進む道」にたちはだかるように、個人の自由の発露としての言葉をさがし、とくに未来の世界をつくっていくこどもたちに託してこられた足跡なのだと思います。
 わたしは実は谷川俊太郎さんもまた、寺山修司から教わりました。寺山修司は歌人・詩人として活躍していた頃、「机の上で書かれた詩など、なんの意味もない」とか、「詩人は誰に向かって詩を書くのか」と挑戦的な批判を続けていました。彼の主張によると、「公衆便所の落書きや電話帳にも詩が存在する」というわけで、世の中が激動し、大人たちが社会の迷路に迷い込み、若者たちが荒野に立ちつく時、机の上でブッキッシュに書かれた「芸術的で詩的で難解な言葉が連なる詩」などなんの役にも立たないのでした。
 そんな彼がその頃唯一認めていたのが谷川俊太郎さんでした。その頃は先に書いたように生きまどう現代人の心に、わかりやすくやわらかい言葉で社会が押し付ける暴力を静かに拒否する谷川俊太郎の詩を評価していただけなのかと思っていましたが、実は誤解されることが多かった若き寺山修司の才能を早くから認め、病気がちだった寺山修司を励まし、仕事を世話したりしていたことなどを、昨年亡くなられた元妻で寺山修司の仕事だけでなく人生をささえてこられた九條今日子さんの「ムッシュウ・寺山修司」(ちくま文庫)で知りました。
 晩年の寺山修司との「ビデオレター」のことは知っていましたが、寺山修司の最後を看取った谷川俊太郎さんは、遠くから見ればあこがれのひとで、今回近くで見ると怖いほどのオーラを感じましたが、物静かなたたずまいの中にもとても気さくで、面倒見のいい方なのだと思います。
 戦後生まれのわたしは、戦前戦中のことをあまり知らないまま、戦後民主主義教育の中で育ちました。周りの大人たちはといえば戦争中の自慢話や苦労話で花が咲くという感じで学校の先生がいうこととまるでちがっていて、わたしは学校が正しく、「あんな大人になってはだめだ」と傲慢にも思っていた「軍国少年」ならぬ「戦後民主主義少年」でした。
 しかしながら、たとえば島津亜矢が歌う戦前の歌を聴いたり鈴木邦男や竹中労などの文章を通じて、わたしの生き方や社会に対する考え方には戦前戦中とのつながりが抜け落ちていることに気づかされました。
 今回の3人の方の話を通じて、少なからず軍国少年に染め上げられた当時の子どもたちが戦後を生き抜く中で、時代のつながりが途絶えないまま自分の人生を切り開いてこられたことを知りました。そして、「戦後民主主義」の空手形とともに「自由と権利」のバーゲンセールに翻弄されてきたわたしに決定的に足りなかったものが何かも教えてもらいました。戦争へと突き進んでいった時代から出発し、自分を確立し大人になり、いま戦争や平和を語る3人には、なによりも抑え込まれたりマインドコントロールされたものではない、たしかな肉声としての自分の言葉がありました。
 身近なところから政治や社会、そして世界の問題にいたるまで、自分で考え自分の言葉で語ることこそが他者の言葉や他者の考えにも心がおよぶことをつくづくと感じた一日でした。

坂本九「上を向いて歩こう」

上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト
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2019.06.18 Tue 再録 障害者の音楽的冒険・「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」 小室等さんのこと

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障害者の音楽的冒険・「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」
2014.11.27 Thu

 2014年11月16日、わたしが働いている被災障害者支援「ゆめ風基金」の障害者スタッフ・Fさんと滋賀県栗東のさきらホールに行ってきました。この日、ゆめ風基金の呼びかけ人代表の小室等さんが総合プロデュースされた「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」が開かれたのでした。
 糸賀一雄といえば、日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られ、「社会福祉の父」とも呼ばれています。1946年、戦後の混乱期の中で池田太郎、田村一二とともに、知的障害児等の入所・教育・医療を行う「近江学園」を創設し、また1963年「びわこ学園」を創設、東京の島田療育園とならんで重度知的障害児・者施設の先駆けとなりました。その時代、国家においても社会においてもまた家においても一人の人間とみなされなかった差別の中で生きざるを得なかった知的障害児・者に社会福祉や社会保障の光を当てたという意味で、その功績は広くに知られています。
 しかしながら時代が変わり、障害当事者の運動が盛んになる1970年代においては、教育においても市民生活においても雇用においても障害者の市民参加を保障することが求められるようになります。そして国際障害者年を機に、社会が障害者をありのまま受け入れ、共に生きる社会をめざす障害当事者をはじめとする市民の運動が広がって行きました。わたしもまたその運動の末端で、企業が雇わない障害者の雇用と所得保障をめざす豊能障害者労働センターの活動に参加していました。
 その頃は施設で暮らす障害者の音楽や美術などの芸術表現にたいして、少し斜めに見ていました。施設や養護学校(現在は特別支援学校)における障害者のさまざまな表現行為は「アウトサイダー芸術」として国際的にも評価の高いのは事実ですが、そのことで彼女たち彼たちの施設での暮らしが変わるわけではなく、自立生活へとつながっていかないことに疑問を持っていました。最近では才能のある障害者のアートを一般の美術市場で販売し、本人に正当な報酬を返す活動もありますが、それはそれでごく一部の人に限られています。結局のところ障害者の経済的な自立を保障するためにはその人個人の才能や「能力」に依存しない社会的な制度が必要なのだと思っていたのでした。
 そこで豊能障害者労働センターでは、世界をびっくりさせるほどの才能ではなくても、市場の開拓や企画内容によっては障害者の表現作品が少なからず人々に受け入れられ、その収益が障害者の雇用と所得保障につながる活動として、障害者のアートをデザインしたTシャツの販売をはじめました。わたしたちのコンセプトは障害者のアートTシャツの販売事業そのものを「アート化」し、障害者と経済をつなぐいわば「恋する市場」を開拓することにありました。この事業は想わぬ反響を呼び、カレンダーとともに豊能障害者労働センターの通信販売事業の柱となって現在に至っています。

 「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」は糸賀一雄記念財団が障害福祉分野で顕著な活躍をされている方に「糸賀一雄記念賞」と「糸賀一雄記念しが未来賞」を贈るのに合わせて毎年開かれている音楽祭です。障害者をはじめ、音楽やダンスが大好きな人たちが集い、人が根源的に持つ「表現することの喜び」をともにわかちあうお祭りです。
 プロのナビゲーターを迎えて滋賀県内の7つのワークショップグループと、さきらホールで活動する「さきらジュニアオーケストラ」と高齢者のワークショップグループ「今を生きる」が出演し、そして最後に糸賀一雄生誕100年を記念してつくられた谷川俊太郎作詞・小室等作曲の「ほほえむちから」を出演者全員と小室等さん、こむろゆいさん、そして客席の参加者も一緒に歌いました。ゲストミュージシャンとしてピアノの谷川賢作さん、パーカッションの高良久美子さん、バリトンサックスの吉田隆一さんが溶け込むように参加していて、会場はボーダレスな感動に包まれました。
 わたしはとくにオープニングの太鼓が印象に残っています。開演の前から総勢数十人の障害者たちが思い思いに大小さまざまな太鼓をたたいていました。それは開演となっても変わりなく、それぞれが自分勝手にばらばらにたたいているように思えるのですが、しばらくたつとそのばらばらの音の連なりの彼方から、ある意志を持った音の連なりが会場の空気を振動させ、わたしたち観客はフリージャズそのままに自由の風につつまれました。
 その至福の音とリズムは、わたしたちが日ごろある種の緊張感を共有することで成立している表現行為とはまったく真逆で、どこまでも自由でリラックスした人間関係からしか生まれないものなのでしょう。それは人類が誕生して以来、「おーい」と叫び、「わたしはここにいる」と伝えることから発明した言葉や楽器による原初的な表現そのものであることも…。その音楽が生まれる場所は平和を願い、ひとがひとを傷つけてしまう現実から、だれも傷つけない、だれも傷つけられない勇気と夢を育てる場所でもあることを、そしてアウトサイダーアーティストと言われる障害者にかぎらず、わたしたち人間はつながりを求めて言葉を発し、楽器を奏で、歌を歌うことをやめることができないことを、彼女たち彼たちが教えてくれました。そうですよね、人間は武器を持つこともできるけれど、楽器を持つこともできるのですね。
 その後、合唱やダンスや打楽器や太鼓など、次々と演奏やパフォーマンスが繰り広げられるのですが、どのグループもそれぞれの個性を生かしながら、「自由であること」とか「自由とは何か」とか、「自由をもとめる」ことがそれぞれの表現の根底にあります。
 この自由な表現はナビゲーターのプロの演奏家が「指導する」のではなく、彼女たち彼たちの表現行為の現場に立ち会い、その根源的な表現行為に感動し、そこからまだ見ぬ彼方へと手を携えながら進む音楽的冒険を彼女たち彼たちと共に体験しなければ実現しなかったのではないかと思います。それは総合プロデュースを担当された小室等さんにとってもまったく同じで、小室さんが真っ先に彼女たち彼たちの表現に圧倒され、感動され、ご自身の音楽的よりも底の深い表現行為なのではないかと自問自答されたのではないでしょうか。
 そして、200人を越えたかも知れない出演者たちを取り巻く現実は40年前とあまりかわらないのではないかと思いながらも、「表現すること」への希求や生きがいはそれぞれの人生においてかけがえのないものであることもまた真実なのだと思います。
 それぞれの夢も希望も現実もちがうけれど、同じ空気を吸い、同じ時を生きたことを宝物とするこの音楽祭の意義もまた深く、ゆたかなものであることはまちがいありません。
 フィナーレで登場した小室等さん、こむろゆいさんも加わり、出演者全員と共に「ほほえむちから」を歌っていると、自然に涙が出てきました。
 このお祭りの準備から最後まで、並々ならぬ努力をされてきた主催者の方々、関係者の方々、そしてプロの音楽家の方々、総合プロデュースをされた小室等さん、そしてなによりもすばらしい表現を実現させた出演者のみなさんに敬意を表します。
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2019.06.16 Sun 『第14回 ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの「自由」 』

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 7月6日、東京で開催される「第14回 ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの 自由」のスタツフとして、参加させていただくことになりました。
 阪神阿淡路大震災を契機に被災障害者の救援基金を立ち上げ、救援活動を続けてきたゆめ風基金は、全国の障害者のグループとの連携でイベントやシンポジウムなどを開催してきました。
中でも東京では2002年からカタログハウスのご協力により、ゆめ風基金の共催で「ゆめ風であいましょう」を毎年開催してきました。
 今年は呼びかけ人代表の小室等さん、及川恒平さん、四角佳子さん、こむろゆいさんによる新生「六文銭」が、2018年のプロテストソングをコンセプトにアルバム「自由」を発表されたのを機に、六文銭とアーサー・ビナードさんを迎えてライブとトーク・鼎談 と、盛りだくさんのイベントなので満足していただけると思います。東京方面の方、お時間がありましたら、お誘いあわせの上ご来場いただきますようお願いします。

『第14回 ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの「自由」 』
場所:板橋区立グリーンホール2階
地図 https://www.itabun.com/access/(板橋区栄町36-1)
東武東上線「大山」駅北口より5分
都営三田線「板橋区役所前」駅A3出口より5分
入場料:1500円、ペア割・二人で2000円、高校生以下500円
障害者:1500円(介護者一人無料)
2002年から、認定NPO法人ゆめ風基金とカタログハウスの学校が一緒に催してきた集いです。
これまで、災害、人権、戦争、平和、憲法などをテーマに語り合ってきました。
今回は1部では、「六文銭」 ライブ
2部では、詩人のアーサー・ビナードさん、小室等さん、牧口一二によるトーク
そして鼎談「自由について」を繰り広げます。
どんな展開になるでしょうか・・・・ご期待ください。

【お申込み・お問い合わせ】は・・ ・
「ゆめ風であいましょう参加希望」と明記のうえ、住所、氏名、電話番号、参加人数を、下記のいずれかの方法でお知らせください。
確認後、参加票をお送りします。
定員(200人)に達し次第、しめきります(入場料は当日精算)。
ウェブサイト:「カタログハウスの学校」で検索
電話:0120-545-450(平日の午前10時30分~午後5時)
FAX:03-5365-2298(24時間受付)
はがき:〒151-8674「カタログハウスの学校」
皆様のお越しを心からお待ちしています!

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2019.06.14 Fri 島津亜矢が歩んできた地道で厳しい努力 ソウルはソウルにしてあらず NHK「うたコン」

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 6月11日のNHK総合「うたコン」に島津亜矢が出演しました。この日の放送はコラボの特集で、杏沙子、石丸幹二、こぶしファクトリー、ジェジュン、島津亜矢、純烈、鈴木愛理、TiA、徳永英明、NEWS、野口五郎、氷川きよし、BEYOOOOONDS、藤あや子、三山ひろし、May J.、武田真治、フラッシュ金子、MUSIC CONCERTOなどの出演者がいろいろな組み合わせでコラボしました。
 島津亜矢はMay J.と鈴木愛理との3人で和田アキ子の「古い日記」を、石丸幹二とMISIAの「アイノカタチ」を、そしてアメリカで活動するソウルシンガー・TiAと「I Will Always Love You」を共演しました。 
 TiAは、日本の女性シンガーソングライターで、2004年にファーストシングル「Every time」でエピックレコードよりデビュー。続く2ndシングル「流星」が人気アニメ「NARUTO」の主題歌に抜擢されるなど、スマッシュヒットを連続。1stアルバム「humming」は日本ゴールドディスク賞を受賞しています。現在はニューヨークに拠点を移して活動し、また最近はカラオケ番組に出場し、その歌唱力が高く評価されています。
 「I Will Always Love You」は島津亜矢にとって、はじめてに近いソウルミュージックの歌唱で高い評価を得た曲ですし、TiAもまたこの歌をよく歌っているようです。
 その2人の共演ということで、少なからず期待が集まりましたが、他のコラボに比べると評判通りと言えるかも知れないでしょうが、わたし個人としては少し残念なパフォーマンスだったと感じています。
 わたしはファンの方々には叱られるかも知れないのですが、たびたび書いていますように、島津亜矢のポップスの歌唱は大きな可能性を持っていて、今はまだ長い道のりの途上だと思っています。
 若い頃の彼女の演歌の歌唱は声量を活かした朗々とした歌唱で、ややもするとハードに歌い切ってしまい、聴く者の心にやわらかく「歌を残す」には若さが邪魔をしていたと思います。最近の島津亜矢は声量でガンガン押し切るのではなく、まるで一本の映画や芝居を観ているようにしなやかでせつなくて、音程とリズムがしっかりしているのに歌のまわりを心が先を急いだり遅れたりしながら、音の葉となったひとつひとつの言葉が聴く者の心を震わせる、いわゆるセクシーで肉感的な歌を披露してくれます。
 彼女の長い歌手歴が残してきたオリジナル演歌の隠れた名曲をもう一度歌いなおしてもらえないかと思うぐらい、その音楽的な進化は目覚ましく、その最終段階としてポップスの歌唱の経験が彼女の演歌を大きく進化することでしょう。
 実際、彼女のオリジナル曲は人生訓を説く演歌が続いていて、わたしはもう少しプロデュースに工夫があればとも思うのですが、それでも今年の新曲「凛」を歌う彼女の歌唱は見事で、NHKまでもがポップスやクイーンなどのロックバラードを要求するほどになっても帰るべきところを見失わない島津亜矢の底知れない歌手魂を感じさえするのです。
 というわけで島津亜矢はポップスを歌うことで今までの演歌、1970年代から歌謡曲を極度にいびつな形にしてしまった演歌については、もうこれ以上の進化はないという高みにまでたどり着いたと思います。あとはもう少し年月をあたためれば、いつかはきっと新しい演歌・島津演歌が生まれると信じています。それはおそらく、ポップスをふくむ歌謡曲が「新しい日本の歌」へとすそ野を広げ、演歌もまたその荒野で新しい生命が吹き込まれることでしょう。
 まだポップス歌唱が途上とはいえ、バラードを中心とする名曲を歌うことから始まった島津亜矢のポップス音楽の冒険はずいぶん進化し、若い頃の演歌の歌唱のように声を張り上げたり、演歌のこぶしに似ているシャウトを不自然に入れてしまうことが徐々になくなってきました。
 その意味では、今回のTiAとのコラボでは、TiAの歌唱にはややあざとらしさが目立ち、いわゆるソウルっぽいというかゴスペルっぽいというか、「いかにもシャウト」や「タメ」を乱発するのに対し、いままでと変わらないアプローチでこの歌を「すなおに」歌ったのが印象的でした。
 もともとこの歌は1992年に映画「ボディーガード」の主題歌で、ホイットニー・ヒューストン最大のヒット曲となりましたが、実は1974年のドリー・パートンの同名曲のカバー曲でした。ドリー・パートンのシンプルな歌を、ホイットニーは映画と自分自身の実人生の物語を重ね合わせ、特別なソウルバラードに大きく変貌させました。それはたしかに見事としか言いようがないのですが、歌唱力を自他ともに認める歌手たちがこの歌を歌う時、こぞってホイットニーの歌唱をお手本にしていて、もっと違う歌い方があってもいいのではないかと思います。
 実際、この歌は愛するひとへの永遠の愛を誓う歌ではなく、ある意味不倫の恋を清算する歌だと思うのですが、ソウルシンガー・ホイットニーの独特の歌唱がそのまま見本となり、心から湧き出る感情表現としてではなく意味もなくシャウトしたりして、わたしには聴きづらいことが多いのです。今回あらためていろいろな歌手の歌唱を聴きましたが、かろうじて韓国歌手・Aileeの歌唱には独自の表現を感じました。
 というわけで、どちらかと言えば力の入ったTiAの歌唱に影響されないで歌い終わった島津亜矢は立派と思いました。しかしながらその分、コラボとしてのパフォーマンスはやや不協和音で終わってしまったのではないかと思います。
 今回の放送ではMay J.の活躍が目立ちましたが、この歌もMay J.とのコラボだったらもう少し違った歌になったと思います。
 島津亜矢以外では、ジェジュンの歌唱力が光った他、徳永英明と野口五郎がとてもよかったです。演歌歌手でデビューした野口五郎は、ある意味正統派の歌謡曲の可能性を教えてくれているように思います。三山ひろしは1950年代の春日八郎の映像とのコラボは少しかわいそうでしたが、三橋美智也よりも春日八郎のカバーがあっていると感じました。
 さて、これはまた違う方面から叱られそうですが、氷川きよしのポップスは「トップの演歌歌手はポップスも最高に歌える」という自負というより過信が感じられ、島津亜矢が歩んできた地道で厳しい努力は、その領域からはすでに解放されていることを痛感させました。
 他の人のことは置いておいて、島津亜矢のことですから、これからもいろいろな歌手との共演から多くのものを吸収し、自分なりのポップス、ロック、R&B、ソウル、そして演歌をつくりあげていくことでしょう。

島津亜矢 I Will Always Love You

Ailee- I will always love you .20140412

Whitney Houston - I Will Always Love You LIVE 1999 Best Quality
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2019.06.14 Fri 再録 あらためて、小室等さんのこと。「十得」にて

小室等2013年9月28日十得1

あらためて、小室等さんのこと。「十得」にて
2013.10.02 Wed

 9月29日、京都のライブハウス「十得」で小室ひとし&こむろゆいのユニット・Lagniapaとラグパパス・ジャグバンドのライブがありました。
 小室さんのことについてはこのブログでも書きましたが、わたしは障害者市民運動の関係で1986年、1994年、2007年と小室さんのライブを開かせていただいた他、いまアルバイトをさせてもらっている被災障害者支援・ゆめ風基金の呼びかけ人代表でもある小室さんとは、何かとお世話になってきました。
 小室さんを知ったのはおそらく、1971年の「出発の歌」だと思います。前にも書いていましたように、わたしが19才だった1966年から23才の1970年までの4年間、もし大学生だったとしても大学紛争や70年安保闘争などの学生運動に参加していなかったのではないかと思っているのですが、その同時代を3年間はビルの清掃員、後の1年は働きもせず、今でいうニートのように友だちと共同で借りていた家にこもりっきりの暮らしをしていました。
 街に出れば政治の季節風が吹き荒れ、タイガースなどのグループサウンズが巷の袋小路にまでなだれ込む、そんな時代でした。一緒に暮らしていた数少ない友人と、時々泊まりにくる学生運動家と話す以外は社会から果てしなく逃げ続けることだけを考えていました。
 そして、よく理解できるわけでもないサルトルの「存在と無」から、単純に「わたしはひとりだ」と納得し、寺山修司の「書を捨てよ、家を出よう」に、シングルマザーの母と私生児の兄とわたしを強く結びつける暗い絆を断ち切るための切ない手段を探していました。
 外国の歌などほとんど聴かなかったわたしのまわりでは、ビートルズ旋風が吹き荒れていて、わたしもとうとう畠山みどり、森進一からビートルズへと、演歌(?)からロック、ポップスへと川を渡ってしまいました。その一方で、寺山修司の影響もあって加賀てつやとリンド&リーダーズが好きになり、寺山修司の友人だった古川益雄がプロデュースしていたライブハウス「GT」に通うようにもなっていました。
 1970年、ビートルズが解散した年、よど号ハイジャック事件、日米安保条約の自動延長といった社会の出来事とはまったく関係なく、わたしは仕事を見つけ、妻との結婚を翌年に控えて生活を立て直さなければなりませんでした。そんな時にわたしを励ましてくれたのが三上寛の歌で、まだ小室さんの音楽との出会いはありませんでした。
 1971年、小室さんがフォーク・グループ「六文銭」として上條恒彦との共演による「出発(たびだち)の歌」が第2回世界歌謡祭でグランプリ・歌唱賞を受賞したのをテレビで見ていました。この時、はじめて知った小室さんが、すでに日本のフォークソングのカリスマであったことを後から知りました。
 1975年には吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげると「フォーライフ・レコード」を設立しましたが、アーティストが曲の制作から広報、営業まで強い権限を持つのは初めてのことで、レコード会社を中心とする音楽業界の反感は強く、さまざまな妨害があったと聞きます。
フォーライフ・レコードのその後は小室さんが望むようなものとはいいがたく、紆余曲折の末の解散という結末になりましたが、自分の歌いたい歌を歌い、自分でプロデュースし、世に出していくという音楽への想いと行動は多くのシンガー・ソングライターを勇気づけ、また大手のレコード会社やプロダクションに頼らない、自由な音楽環境をその後の若い人たちに用意し、いまのJポップへといたる道を切り開いた先駆者でもありました。
 1976年、山田太一作のドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌となった「お早うの朝」と挿入歌の「高原」を聴いてファンになったわたしは、この2曲が収録されている谷川俊太郎の詩によるアルバム「いま生きていること」を買ってきて、家に帰ると毎日といっていいほどこのアルバムを聴いていた時代があり、そこから小室さんの音楽との付き合いが始まったのでした。
 そして、唐十郎を座長とする「状況劇場」の音楽を長い間担当し、数々の隠れた名曲をつくってこられたことは、あまり知られていないかも知れません。
 わたしがはじめて状況劇場の芝居を観たのはかなりおそく、「唐版・風の又三郎」でしたが、大島渚の「新宿泥棒日記」などで垣間見たり、「現代詩手帳」で唐十郎の劇中歌が取り上げられたりしていました。どこで聴いたのかおぼえていないのですが1969年の「腰巻お仙~振袖火事の巻」の劇中歌「さすらいの唄」が大好きで、当時の豊能障害者労働センターの機関紙でよく引用したものでした。
 「ある夕方のこと 風がおいらに伝えさ」と、不敵に歌い出す唐十郎の声は世界の果てから聴こえてくるような不気味さといっしょに、一瞬にしてわたしを非日常のわくわくした世界にいざなってくれました。そして、この歌はもちろんのこと、小室さん作曲の数々の歌は唐十郎をはじめとする役者陣の声を通して、劇的であるだけでなく大地や海や森や沼や、薄暗い工場や便所の戸、袋小路の奇怪なお店にただようあやしげで胡散臭く、セクシーで純情な芝居の空気を見事にメロディーにしていて、今でもこれらの歌を耳にするとその時の芝居のセットから役者の表情までが浮かんできます。
 小室さんにとって唐十郎とつくりあげたこれらの曲は彼の主だったエリアではない、いわゆる「日本調」で、わたしは小室さんのもうひとつの才能が大きく花開いた歌作りだったと思っています。

 さて、最近の小室さんを見ていると、こんなすごい人なのにそんな過去はどうでもよくて、いま全国各地の小さなグループの依頼を受けてフットワーク軽くその地を訪れ、一緒に演奏するバンドのひとたちやお客さんと音楽の場を共に作り、楽しむことにとても貪欲で、名声などまったく邪魔でしかないような立ち振る舞いに感動してしまいます。
 29日のライブでも今年で70才になるとは思えないほど昔と変わらない声と独特の匂いを持った節回し、どこまでもやさしいけれど、決して世の中のあやうい風潮に妥協しない激しさも失わない小室さんを聴き、観ることができました。
 共演された「ラグパパス・ジャグバンド」は神戸を中心に活動されていて、ひとりひとりがそれぞれ自分のバンドを率いるベテランぞろいのユニットでした。
 ジャグ・バンドとはアメリカ南部の綿畑で働く黒人労働者が貧困のため、身近にある生活用具代用楽器にして音楽を楽しんだことが始まりとされています。そしてバンジョー、ハーモニカ、バイオリンなども加わり、当時の流行歌、ジャズ、ブルース、カントリー等々、身近に有る音楽を何でも取り込んで楽器に合わせたスタイルに消化して楽しむという懐の深さに大きな特色があるそうです。
 この日も、音楽は演奏するバンドだけでなく、お客さんもみんなで楽しむものだという気持ちがあふれ、わたしたち観客も思わず手をたたき、足を踏み鳴らしてしまいました。
 小室さんは、まるでいたずら小僧のように楽しくて仕方ないようで、このひとはほんとうにソングライターの前にシンガーであることが楽しいのだと、あらためて感じました。
 そして、京都のライブハウス「十得」はそんな音楽が誕生する場として、関西のみならず全国のアーティストやお客さんに愛されてきたことも感じた夜でした。

唐十郎作詞・小室等作曲・唐十郎「さすらいの唄」(2011年・大唐十郎展「21世紀リサイタル」より)
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