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2019.05.03 Fri 「愛するのもみな他人 覗くのは僕ばかり そこに見てはいけない 何があるのか」 唐組「ジャガーの眼」

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-肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない-
この言葉とともに、あの「ジャガーの眼」が帰ってきた!
物語は、しがない青年・しんいちが、肉体市場で角膜を購入し、移植したことから始まる。
その角膜が、かつての持ち主の恋人のくるみを呼び寄せ、青年を平凡な日常から、冒険的な非日常へと導く。
サンダル探偵社の田口は、助手くるみの依頼を受け、“幸せのリンゴ”を追って路地に立つ。
その前に現れた男・扉の押す車椅子には、田口がかつて愛した等身大の美しい人形・サラマンダが乗せられていた……。
外科病棟で移植手術を繰り広げる、肉体植民地・Dr.弁。
所有者の人生に関与し、人の体で三度も生きる“ジャガーの眼”はそんな彼らを取り込んで鋭く輝いてゆく……。
(唐組第63回公演「ジャガーの眼」パンフレットより)

 平凡な男しんいちのもとに不思議な女探偵くるみが現れる。肉体市場で角膜を購入し、移植した角膜のもとの持ち主の妻だったというくるみと出会うことで、しんいちは角膜に違和感を覚え始める。角膜を追うくるみと接するうちに、うずく角膜に導かれるように、しんいちのなかで婚約者との平凡な未来を生きようとしていた自分が捨ててしまったものが湧きあがる。一方、くるみの上司である探偵・田口は、くるみが来る前に共に生きたダッチワイフのサラマンダーの幻想に悩まされつつ、部下のくるみを追うのであった。

 1980年代、臓器移植は「脳死」の判定や倫理上に大きな問題を含みながらも、臓器の提供を待ち望む人の切羽詰まった願いから制度化され、現在はドナー登録を募る啓発広告がテレビで放映されるなど、社会的認知を得るところまで来てしまいました。
 寺山修司は「臓器交換序説」という演劇論をのこしていて、唐十郎が三面記事から時代の空気を芝居に取り込んだのとは対照的に、その時代のアカデミックな「ブーム」に潜む社会的な問題を彼の演劇装置の中で増幅・伝染させるような、社会や街の劇場化を試みる実験をしていました。その点では演劇への影響力とは反対に、社会的な影響力は唐十郎よりも大きく、彼が試みた街の劇場化は、例えば最近ではオーム真理教の地下鉄サリン事件などの劇場型犯罪や小泉劇場から始まる劇場型政治などを予言しました。
 サンダル探偵社の田口の「死ぬのはみな他人ばかり」から始まる歌が終わり、寺山修司に覗かれたとする長屋の住人たちとのドタバタ掛け合いの後、しんいちと婚約者の夏子が登場するところから物語が始まります。
 寺山修司が機械の部品が交換可能なように、人間の臓器も交換可能になる社会を予見し、そんな社会において「わたしやわたしの肉体」は個人に帰するものではなくなり、わたしの精神もわたしの人生すらも交換可能なのではないかと想像力を膨らませるのに対して、唐十郎は移植された角膜が今の持ち主の言う通りにはならず、前の持ち主の人生を生きようとする物語を膨らませていきます。
 前の持ち主の妻だったくるみが現れ、しんいちは夏子との平凡な日常の愛とくるみがもたらす非日常の激しい愛の間で引き裂かれ、次第にくるみにひかれていくのでした。
 しかしながら、くるみとの愛の暮らしを交通事故による死で引き裂かれた前の持ち主の眼もまた角膜移植された眼で、最初は元の持ち主はわからないのですが、人の体で三度も生きる「ジャガーの眼」が、かつて少年倶楽部の小説やテレビドラマの世界で、ジンギスカンの秘宝を求めてアジア大陸を疾走した冒険の記憶を呼び起こし、しんいちとくるみを日常では許されない激しい愛へと掻き立てます。
 肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない臓器交換の現実に抗い、死者の肉体の一部が別の肉体の一部として生き、新しい持ち主に逆らい、やがて新しい持ち主の人生までも変えてしまうという切ない物語は、そうはさせまいとする退屈な現実と激しくたたかいながら、やがて紅テントの彼方のもうひとつの暗闇へと去って行きます。
 怪優・辻孝彦が亡くなり、赤松由美が退団するなど、個人的にとても残念な思いですが劇団の離合集散は避けられるものではなく、若い役者を育てながら劇的空間を維持することはとても大変だと思うのですが、個人的には今回の芝居は切なさだけが膨張した、すこし寂しい芝居だったように思います。
 しかしながら、この芝居は唐十郎が寺山修司にリスペクトした芝居で、唐十郎本来のドラマツルギーとは少し違う異色の作品だったことから、そう感じたのかも知れません。
 ラストになって、田口はジャガーの眼の最初の持ち主であったことを打ち明け、くるみがしんいちをおいかけたように、田口もまた自分の眼の新しい持ち主・くるみの夫とくるみの愛の生活を覗き見していたことを打ち明けます。そして、くるみが幸せのりんごという愛の記憶を探す依頼を田口にするように仕向け、助手として雇い入れたのも、くるみを愛していたからでした。
 それはまた、住民の悪感情から今でいうバッシングを浴びせられた寺山修司ののぞきという行為が、「愛するのもみな他人、覗くのは僕ばかり」と、「みてはいけない何か」を見てしまうエロスなのだと、唐十郎は田口にいわせるのでした。
 思えば演劇では、寺山修司は唐十郎に嫉妬していたのだと思います。唐十郎が芝居を始めた時から、寺山修司は嫉妬という形で唐十郎を最大限に評価し、援護してきました。寺山修司が天井桟敷を旗揚げすることになったのも唐十郎の影響からで、それがゆえに唐の劇的空間とは違うアプローチをしてきたのだと思います。
 そして、唐十郎もまたそんな寺山修司を、ほんとうはとても深いところで共にたたかう兄貴分の同志と慕っていて、寺山が亡くなって2年と言うタイミングで寺山修司をきちんと評価し、心の中で別れを告げたのではないでしょうか。
それがゆえに40年の時を隔てた今、唐組の若い役者たちはこの芝居を必要以上にノスタルジックに感じたのかもしれません。

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2019.05.02 Thu 死ぬのはみな他人ならば 生きるのもみな他人・唐十郎が寺山兄貴に贈った棘のある花束「ジャガーの眼」

 唐組「ひみつの花園」

 一年ぶりにまた、唐組の芝居を観に行きました。
 色あせた布一枚で下界と隔てられた紅テントの中はお客さんが続々と入ってくるのに従って少しずつ空気を換え、気が付くとひしめき合うお客さんの熱気と期待が渦巻く悪夢の劇場へと変貌していました。
 ああ、またここへ帰って来た…、開演間近になると、いつもわたしは思います。1974年の状況劇場「風の又三郎」以来、もう40年以上もここから唐十郎のたくらみに乗せられ、「こことちがうもうひとつの場所、もうひとりのわたし」を探しに暗闇をさまよってきたことだろうと…。
 ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、たとえば新聞の三面記事から立ち上がり、悪意と忘却が渦巻く現実に翻弄されながら必死に何者かになろうと自分を探しつづける少年少女の純愛が、国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の近・現代史の暗闇を呼び起こし、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍が歴史のるつぼで再構成され、葬られた理不尽な出来事をよみがえらせるのでした。
 そして紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わると少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのですが、わたし自身も行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年に行方不明になったわたしとわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
 「ジャガーの眼」は1985年に状況劇場が初演して以来、唐組をはじめいくつもの劇団が再演する状況劇場後期の名作です。
この芝居は寺山修司が1983年に亡くなった2年後、唐十郎が兄貴と呼んでいた寺山修司へのオマージュと追悼を込めたつくりあげた作品です。
 わたしは唐十郎の前に高校生の頃から寺山教の信者で、彼の「家出のすすめ」に突き動かされて家出をしようと試みたことがあるほどでした。こう書けばとても前向きに思われるでしょうが、実際はわたしの高校時代は暗黒の年月でした。というのは、中学3年生でどもりが再発し、それなりのいじめに遭い、本当は経済的に行けるはずもなかった大学を断念して工業高校に進みましたが、ほんとうは学校をやめて誰ともしゃべらなくていい仕事につき、細々とくらしていけたらと思っていました。自分のそんな情けなさを隠すように世の中がどうだとか、サルトルやマルクスの名前を連ね、数少ない友だちと授業をさぼり、デパートの屋上でいきがっていたどうしようもない高校生でした。兄とわたしを高校だけには行かせたいと片手に山盛りの薬を飲み、朝5時から深夜1時まで働いて死んで行った母に、本当に申し訳なかったと今では悔やんでも悔やみきれないでいます。
 ともあれ、実際は彼自身も「不言実行よりは有言不実行が社会を変革する」といった虚言をばらまくけっこうさびしい人間だったと知り、今では「なあんだ」と思う一方、ますます寺山教の信者OBになっています。
 寺山修司が巷の言葉を拾い上げ、彼特有のこじつけでその言葉に新しい意味を植え付けるアフォリズムの才能は際立っていますが、その中でも口癖のごとく好んだのが「死ぬのはみな他人ばかり」というマルセル・デュシャンの言葉でした。
 誤解と偏見を楽しみ、罵倒ですらオマージュとする寺山修司に最大の賛辞を送りながらも、唐十郎はよく比較されてきたお互いの演劇論を視野に入れた唐版寺山修司というべき芝居を試み、演じて見せたのが「ジャガーの眼」だったのではないでしょうか。

この路地に来て思いだす
あなたの好きなひとつの言葉
死ぬのはみな他人ならば
生きるのもみな他人
死ぬのはみな他人
愛するのもみな他人
覗くのは僕ばかり
そこに見てはいけない 何があるのか
「ジャガーの眼」挿入歌 唐十郎作詞・小室等作曲

 幕が開くと、そこは唐の芝居でおなじみの、さびれた街の忘れられた袋小路。並ぶ長屋の中央の路地からけたたましく現れる大きなサンダルに振り落とされまいとしがみつく一人の探偵・田口が歌う歌には、「死ぬのはみな他人ばかり」と「私という内面」の否定を逆手に取り、三つの肉体を渡り歩く「ジャガーの眼」と共振しながら路地の向こうになくしたリンゴと言う真実を探す物語として、寺山が三面記事をにぎわしたのぞきを芝居に組みこんでいます。
 寺山の「私と言う内面」からの超克はデカルトからサルトルまでの人間主義にもとづいた近代からの超克を意味していて、寺山修司の演劇論でもあるのですが、唐十郎は「覗くのは僕ばかり、そこに見てはいけない何があるのか」と、さびしい男・寺山修司ののぞきをいわば「哲学化」して見せたのではないでしょうか。
 わたしはこの事件を新聞で読み、のぞかれたと主張する住民たちの悪意を感じる一方、次回の作品のための路地の研究とする前衛の立場からの擁護にも違和感を覚えたことを思い出します。実際、わたしは路地や袋小路や三段先が暗闇になる地下室、向かいの窓に映る人影やベランダでなまめかしくゆれる洗濯物に見てはいけないものを感じてどきどきするのを告白しなければなりません。
 「見られるのは嫌だが見るのは好き」という感情は現代ではSNSの普及でますます増幅されています。唐十郎は30年も前にそのことを「哲学化」し、のぞきのアナキスムを紅テントの密室に持ち込むことで登場人物はおろか、観客にまで「のぞきの悦楽とさびしさ」を味合わせ、去り行く彼女彼らとともに「ジャガーの眼」の収集不可能な旅へと向かわせたのでした。
 寺山修司と唐十郎という、わたしの人生の存在証明となる2大アイコンを語ろうとすると、それほど深い見識もないわたしには荷が重く、一回の記事では芝居の中身にも入れませんでした。
 許しを乞いつつ次回につづきます。

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2019.04.30 Tue Yさんとわたしの出会いは、「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」・島津亜矢と唐十郎

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 4月28日、毎年恒例の「唐組」公演に行きました。今年の芝居は「ジャガーの眼」で、1983年に亡くなった寺山修司の追悼を込めて1985年に状況劇場で初演した芝居です。高校時代から今も、いわゆる寺山教の信者だったわたしにとって感慨深い芝居でしたが、芝居のことは次の記事とするにして、その前に同好の士・岡山のYさんご夫婦とたっぷり3時間飲みながらいろんな話ができた大事件について書いておこうと思います。
 Yさんは岡山の大学の先生で、ふつうなら全く出会うはずもなかったのですが、数年前になるでしょうか、わたしの島津亜矢に関するブログをごらんになり、メールをいただいたのがきっかけで、ブログとフェイスブックで交流してきました。
 しかも島津亜矢だけでなく、わたしが唐組の芝居を毎年楽しみに観に来ていて、Yさんもまた毎年わざわざ岡山から唐組の芝居を観るために大阪に来ていたという、あまりにも不思議な偶然が重なり、もう何十年も前からの親友のように思ってしまいました。
 わたしが島津亜矢の存在を知りファンになった10年前は、長い歌手歴がありながらまだ演歌のジャンルの小さな枠の中で不遇ともいえる環境の中、熱烈なファンに支えられ、地道に歌手の道を一歩一歩その足跡を確かめながら突き進んでいた頃でした。
 それから現在に至るまでの進化はめざましく、そんな彼女の進化をYさんとわたしはお互いのことを知らないまま共に見届けてきたのだと思うと、あらためて驚きとともに誇りにさえ感じました。
 島津亜矢の熱烈なファンというだけでも、きわめて特異な同志だと思うのですが、なんと唐十郎の追っかけを何十年も続けてきたということになると、不思議な偶然を通り越した運命的な出会いとしか言いようがありません。しかも、お話を聞くと1970年代からと言われていて、わたしもまったく同じころからのファン歴で、積もる話どころではありませんでした。
 わたしの人生の中で唐十郎と寺山修司は特別な兄貴分で、彼らを知らない人生などありえず、いわば現実の人生とは別のもうひとつの人生、空想の人生で、わたしは何者か、何者になりえるのかと問いつづけ、彼らの後を追いかけてきたのでした。
 Yさんもまた青春時代に唐十郎の芝居と出会い、もうひとつの人生をひた走って来られたのでしょう。
 そう思うと、Yさんとわたしの出会いは、シュールレアリスムにならえば「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」ほどの偶然と宿命がないまぜになった奇跡、大事件だと思います。
 3時に唐組の紅テントの前で待ち合わせし、天満宮の近くの飲み屋さんに入りました。
わたしはここ数年、前の職場の同僚だった女性の友だちと唐組の芝居を一緒に見に行っていて今年も彼女と一緒だったのですが、Yさんも連れ合いさんと来られていました。
4人とも島津亜矢と唐十郎のファンという不思議が重なり、他の人たちとは話題にならない会話を延々と3時間もしながらもまったくあきることがありません。
その上に、Yさんの連れ合いさんがまた素敵な人で、Yさんの話では大学院生の時にYさんが見染め、それからずっと今も連れ合いさんに恋しているのがわかり、Yさんが連れ合いさんと共に生きてきた人生が、唐十郎と島津亜矢によって彩られている「もうひとつの人生」なんだと、とてもうらやましく思いました。
 わたしはといえば、ほんとうに奇跡といえるYさんと連れ合いさんとの出会いに酔いしれてしまい、いまとなっては何を話したのかもはっきり覚えていないほど舞い上がってしまったひとときでした。
 ほろ酔い気分でテントにもどり、世界のもうひとつの暗闇と薄皮一枚でつながっているテントの空間で繰り広げられるもう一つの現実にたましいがさらわれたまま、幕が下りた芝居の外でYさんとお別れしました。
 来年も逢いたいなと思いながら、また少し寒くなった春の風にほほを打たれながら帰りました。
 唐版「ジャガーの眼」と寺山修司については、次の記事とします。

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2018.05.03 Thu 闇夜の中で唐十郎がただひとつ「希望」をくれるとしたら少年少女の純愛。唐組「吸血姫」

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 「愛染病院の皆様方!お久しゅうございます。そして、本日はありがとうございます。よくお出でくださいました。」
 唐組・第61回公演【唐組30周年記念公園第一弾】、「吸血姫」は、高石かつえを演じる銀粉蝶の圧倒的な存在感と華やかさとあざとさにあふれた口上で始まりました。
 毎年この時期にやって来る唐組の芝居を観るのを楽しみにしてきました。わたしは状況劇場の時代の60年代後半の芝居は見逃してしまい、1974年の「唐版 風の又三郎」から毎年見てきましたが、1988年の状況劇場解散後、唐組旗揚げから30年になるのですね。
 状況劇場から唐組へと紅テントの演劇空間は微妙に変わってきましたが、唐十郎の芝居には目の前で繰り広げられる物語の展開の裏側に日本の近・現代史の暗闇が広がり、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍がその暗闇の歴史のるつぼで再構成され、テント小屋の密室空間にせり上がってきます。
 テント小屋は母親の胎内のようですが、暖かかくて居心地の良い所ではなく、現在と過去が交錯し、かつてどこにでもあったはずの忘れられた場所、記憶の中にかくれていたもうひとつの町へと引きずり込まれる、なつかしくもおそろしい暗闇でもあります。
 わたしたちの日常で起こる理不尽な出来事や裏切り、新聞の三面記事に仕組まれた悪意が増殖し、現実原則から解放された物語は起こらなかった歴史のらせん階段を昇っては堕ちながら、少年少女の純情な夢を切り裂き、分け入ることで反歴史と呼べるもうひとつの歴史を呼び覚ますのでした。
  「吸血姫」は、1971年に状況劇場によって初演された芝居で、唐組による47年ぶりの再演でした。わたしは2002年に「新宿梁山泊」によって再演された舞台を観ています。その時は唐組の稲荷卓央、鳥山昌克、また状況劇場の怪優・大久保鷹が客演し、近藤結宥花、小檜山洋一など、当時の梁山泊の役者たちとともにこの芝居の奥深い荒野に身をゆだねるような刺激的な芝居だったと記憶しています。
 唐十郎の芝居にはいくつもの物語が同時進行し、それらが交錯しながらやがて一つの物語に収れんし、最後の最後にその物語さえもテントの密室から解放され、夜の闇に消えていくのですが、「吸血姫」の場合も1937年から38年にかけて一世を風靡した小説と映画「愛染かつら」を導入部としています。海の底に沈む「愛染病院」、そこは心の闇を抱えた者と死んだ人間たちが「あっち」というもうひとつの現実を生きつづけていて、献血車を差し向けては現実の街から歴史の生き血を何千年も吸い続けているようなのです。

 江ノ島愛染病院に働く高石かつえ(銀粉蝶)と白衣の天使隊は歌手デビューを目指し国際劇場で歌うことを夢見ている。病院長浩三と旧知のマネージャー花形は、かつえで一山当てようと目論んでいたが、かつえは徐々におかしくなっていく。そこに謎の引越し看護婦・海之ほおずき(大鶴美仁音)が人力車で登場し、天職を探す少年(福本雄樹)を保護する。彼女は関東大震災で焼け出された人々の姿が忘れられずさすらいをつづけていた。
 長期間不在であった病院長(大鶴佐助)は人妻(藤井由紀)を連れて戻る。狂言回しの中年男(久保井研)はある時は大陸浪人川島浪速となり、時間と空間の引っ越しをつづける引越し看護婦ほおずきは、関東大震災や満州の荒野を経て、古賀さと子、川島芳子と化身しながら永遠の少女に回帰していく。その過程で失われる「青春、愛、挫折、希望」。

 この芝居の最初の見どころは一幕の終わりに、謎の引っ越し看護婦・海之ほおずきが人力車に乗って登場する場面です。それまでの高石かつえを中心にした芝居が一瞬にして止まり、まったく異次元の芝居が突如現れます。この役を演じる役者は演じるというよりは芝居の始まる前からすでに謎の引越し看護婦・海之ほおずきに乗り移られているのです。
 生電球の照明のもとで純白の白衣を着たほおずきのどこか切羽詰まっていて、この芝居の行方を知ってしまったような冷たく透明なセリフ回しにわたしたち観客は思わず息をのみます。2002年の新宿梁山泊の芝居では近藤結宥花が演じ、わたしは一目で彼女のファンになったものです。伝え聞くところによると、状況劇場の初演はやはり李礼仙で、おそらく彼女は決してこの役を他の役者に譲ることはなかったでしょう。
 今回、この役を演じたのは唐十郎の長女の大鶴美仁音で、ときおり他の役者に押されてしまう場面もありましたが、時代を引っ越す少女の初々しさがせつなく記憶に残る演技でした。そして、びっくりしたのは院長の浩三を演じた唐十郎の長男の大鶴佐助で、役者・唐十郎のDNAを存分に発揮した演技だったとわたしは思います。
 この芝居の初演が1971年だったことは象徴的だと思います。70年安保の荒々しく暴力的な時代の波が足早に通り過ぎ、若者たちをはじめひとびとがそれまでとはちがう別次元の価値観に戸惑いながら、おそるおそるもう一度街に出始めた時代でした。街の至るところにあった「戦後」は少しずつその影さえも消えていき、右も左も高度経済成長という巨大なジェットコースターに振り落とされそうになるのを必死でこらえながらサラリーマンになっていった時代でした。
 わたしのように政治的関心の乏しい者であっても、70年安保が残していった宿題の大きさにどのように向かい合うのかと心をざらつかせていたころ、世の中はそんなことはまったくなかったかのように欲望をかりたて、わたしたちを孤独な牢獄にとじこめていくのでした。わたし個人もヒッピーのような暮らしから脱出し、絶対にありえないと思っていた結婚をし、まだ町工場に近かった会社で働き始めました。
 そんな時代の裂け目に、唐十郎は切ない青春も、無垢な愛も、言い訳ができる挫折も、人間が最後にかかる病気と言われる希望も、由比正雪の戯曲ではありませんが「てけれっつのパ」と笑い捨ててしまいました。
 彼は静かになっていく街のいたるところに赤テントという異空のシェルターをつくり、戦後の民主主義の下でアスファルトに固められたがれきの底から、1923年の朝鮮人虐殺を引き起こした関東大震災を呼び起こし、1931年の満州事変のまっただ中の暗い幻想にわたしたちを放り投げるのでした。それらはこの日本社会が封印してきた病の歴史で、愛染病院に蓄えられた血と暴力と犯罪の歴史なのだと思います。
 そして、闇夜の中で唐十郎がただひとつ、わたしたちに「希望」をくれるとしたら、彼の芝居に必ず登場する少年少女の純愛で、それこそが歴史をたがやす鍬であることでしょう。
 唐十郎の初期作品の劇中歌は小室等・作曲が多く、名作が数多くあります。おそらく「吸血姫」の劇中歌は小室さんだと思うのですが、わたしが大好きな歌があります。ひとつは「ほおずきの歌」、もうひとつは「夏の海辺に」で、ほおずきの歌は「唐ゼミ」公演のユーチューブがありました。この芝居のテーマ「夏の海辺に」は適当な音源がなく、歌詞を紹介します。

夏の海辺に行った時
まだ見たこともないものを見た
遊びなれた砂浜に
病院が一つ立っていた
門という門は閉ざされ
窓という窓にクギ
塀を乗り越えやさしい花々の咲き匂う
中庭に降りると
そこに俺の見たものは一面の墓
花々に囲まれた墓石ばかり
しかも
白ずくめの看護婦たちが
あたりをさまよい
おいらの希望を愛に染めた

《劇中歌集》8.ほおずきの歌 劇団唐ゼミ

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2016.05.02 Mon 唐組「秘密の花園」・人さらいならぬ心さらい

唐組「秘密の花園」

 4月29日、大阪南天満公園で唐組の芝居「改訂の巻『秘密の花園』」を見ました。
 毎年この時期にやって来る唐組の芝居を観るのを楽しみにしていて、ふりかえるとはじめて観た状況劇場の「唐版 風の又三郎」が1974年でしたから、状況劇場解散後、1988年の唐組旗揚げをへて現在まで、40年以上も唐十郎の芝居を観てきたことになります。しかも、いつまでたってもどの芝居でもほとんど物語の展開すらわからず、なんのことやらさっぱりわからないまま薄汚れた紅テントの中に引きこまれるのでした。
 このひとの芝居はおどろおどろしく見えて実はとてもせつない純情な物語ばかりです。その時々の役者が時にはエロチックに、時には悲劇的に演じ、体の奥の奥からせり上がるセリフと諧謔に満ちた笑い、狭い舞台を縦横無尽にかけめぐる役者の肉体と肉体のぶつかりあい、それらすべてが一筋のか細い純情な物語を綴るのでした。
 姉と弟、兄と妹の近親相姦を越えた深い絆、孤独な少年の夢から立ち上る日本の暗闇、看護師の白衣に隠された陰謀と裏切り、何世紀もの夜を通りぬけてきた純愛…。
 ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、新聞の三面記事に仕組まれた悪意に満ちた世界に抗う少年少女の純愛で、その純愛は国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の歴史の暗闇に見捨てられた理不尽な出来事をよみがえらせるのですが、充満する紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わるとともに少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのでした。そして、芝居を見ているだけのはずのわたし自身も彼女たち彼たちの幻影と妄想とともに行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年のわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
 さて、今年の芝居は「改訂の巻『秘密の花園』」。1982年に下北沢の本多劇場の杮落とし公演として行われた伝説的な作品で、それから何度も再演され、「改訂版」とついたのは1998年に書き直したものらしいです。
 舞台は東京・日暮里。坂の多い、沼や森も在る謎めいた町。駅前には、漆の大木が一本。不用意に触った人はかぶれてしまう。古アパートに住むキャバレーホステスの一葉(いちよ)に、アキヨシは毎月、自分の給料を届けている。アキヨシは一葉にプラトニックな思いをいだいていた。夫の大貫もアキヨシの割込みを容認。奇妙な三角関係は二年続いている。一葉とアキヨシの「手を握るだけで妊娠してしまう純愛」は、生まれる前の港で契りをかわしたからだと信じている。「きっと一緒だよ、向うに着いてもきっとね」と。
 訪ねて来たアキヨシは、駅前まで実姉と一緒だったがはぐれてしまったと言い、漆の木にかぶれたらしいと腕を見せる。暫くすると、実は縁談話があり、関西に転勤しなくてはならない、と切り出すアキヨシ。一葉は、お幸せにねと言い残し、共同便所に消える。しかし、いつまで待っても戻らない。様子を見に行ったアキヨシは、首吊り自殺している一葉を見付けるのでした。
 戸口に一葉に瓜二つのアキヨシの実姉・双葉(もろは)が立っていたのが一幕の終わりだったか二幕の始まりだったかおぼえていませんが、幕間にブラームスの弦楽六重奏がかかかり、不思議にこの芝居のためにつくられたようにぴったり合っていて、悲しくて切なくて美しい旋律がこの純愛悲劇の結末を暗示します。
 「一葉さんの中に、私を見たんでしょ。」と突き放した様子で言う双葉。(一葉と双葉を藤井由紀さんが演じています。)姉の双葉と一葉が入れ替わり、アキヨシが人妻一葉と純情な三角関係をつづけなから、姉の双葉と兄弟以上の恋愛感情を持ち、ここでも奇妙な三角関係にあったことがわかります。
 このあたりから唐十郎の妄想に次ぐ妄想がビュンビュン飛び、死んだはずの一葉とアキヨシが洪水に乗じてボートに乗り、「生まれる前に結ばれていた向こう岸」に行こうとします。一葉の夫もまた生まれる前の二人の純情に加担するように応援してすぐに、このひともまた便所で首をつってしまいます。物語の向こうに行こうとする一葉とアキヨシと、そこに猥雑な悪巧みでそれを阻止しようとする連中とのどたばたは、夫の首吊りをきっかけに時間が止まり、向こう岸とこちらとの間に結界のように糸がひかれ、純愛をたどる物語はふたつにひきさかれてしまうのでした。
 暗転の後、やはり古いアパートの一室。姉はアキヨシの縁談をすすめようとしますが、アキヨシはそこをはなれようとしません。「森の中の古いアパートの一室、あの秘密の花園があったはず…」。
 やがて妄想なのか幻想なのか姉・双葉は一葉にすれかわり、純愛の指輪を菖蒲に通す間にと便所に行った一葉は戻ってこず、便所の扉を開けると漆の木が立っていた…。アキヨシにかかった魔法が解けたように紅テントが解体され、彼方に一葉が美しい横顔をアキヨシと観客に見せながら、夜の闇に消えていくのでした。
  「これはなんだ、さっぱりわからん」とお叱りを承知で物語をたどってみましたが、わたし自身冒頭に書いたように「さっぱりわからん」のです。それでも魅かれてしまうのは、時代が変わり、街がさまざまな厚化粧を繰り返してもこの街の地下に、この地面の下にいくつもの見えない穴があり、そこでは決して忘れない、わすれてはいけないもの、決して変わらない、変わってはいけないものにあふれていて、唐十郎はそれらの事件や歴史をいくつもの物語、芝居にしてよみがえらせてくれるからなのです。彼の脳内実験室で培養されたそれらのすべてといっていい物語の数々は、忘れたはずのわたしたちを温かく迎えてくれて、いつまでも笑いながら手を振ってくれるのでした。
 こうして唐組の紅テントの切ない旅は突然掻き消え、わたしはまた大阪の街の闇に心をさらわれてしまいました。南天満公園は明日の統一行動の後、街頭パレードの行き先のひとつで、明日わたしは消えてしまった紅テントのあった場所に見えない穴を探すことになるのですが、決してその穴は見つからない事でしょう。
 それにしてもこれがあの「秘密の花園」なのか、似ても似つかない物語のように見えながら、少年少女が10年も封印されていた秘密の花園を見つけ、おとなたちのサビのついた現実認識を越えて新しい世界をつくり出す姿はどこかこの芝居と通じるものがあり、強いて言えば「秘密の花園」はちょうどシールズをはじめとする若い人たち行方を照らしてくれそうなのに対して、唐十郎の「秘密の花園」は決してその行方が決して希望に満ちたものではないかもしれないことを示唆しているようにも思います。

唐組「ひみつの花園」

ブラームス:弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 Op.18 第2楽章
クラシックを知らないわたしは、亡くなってしまったKAさんと新宿梁山泊が演じる唐十郎の芝居を見に行った時、有名らしいクラシックが挿入されていて、彼女はすぐに「あれは・・・」と教えてくれました。そして、唐十郎の芝居の根底を支える文学や音楽、さらには歌謡曲まで幅ひろい憧憬の深さに触れるのも、唐十郎の芝居の楽しみのひとつだねと話したのを思い出します。
この芝居の場合も奥村チヨの「ごめんね…ジロー」と「岩崎ひろみの「すみれ色の涙」がブラームスと混ざり合い、なんとも甘酸っぱく切ない純愛物語に浸ってしまうのでした。
奥村チヨの「ごめんね…ジロー」
唐十郎の芝居で挿入される歌謡曲は芝居の水先案内人の役目を果たしていて、その時の時代の空気感を漂わせています。この歌も「秘密の花園」の純愛を彩る歌になっています。
岩崎宏美 「すみれ色の涙」
この歌の場合は「秘密の花園」の物語そのままに、当時の岩崎ひろみの清楚で一途な歌には少女のせつなくあわい恋心があふれ、年寄りの私の胸もキュンとなり、ろっ骨に涙が落ちるのでした。

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