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2019.05.03 Fri 「愛するのもみな他人 覗くのは僕ばかり そこに見てはいけない 何があるのか」 唐組「ジャガーの眼」

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-肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない-
この言葉とともに、あの「ジャガーの眼」が帰ってきた!
物語は、しがない青年・しんいちが、肉体市場で角膜を購入し、移植したことから始まる。
その角膜が、かつての持ち主の恋人のくるみを呼び寄せ、青年を平凡な日常から、冒険的な非日常へと導く。
サンダル探偵社の田口は、助手くるみの依頼を受け、“幸せのリンゴ”を追って路地に立つ。
その前に現れた男・扉の押す車椅子には、田口がかつて愛した等身大の美しい人形・サラマンダが乗せられていた……。
外科病棟で移植手術を繰り広げる、肉体植民地・Dr.弁。
所有者の人生に関与し、人の体で三度も生きる“ジャガーの眼”はそんな彼らを取り込んで鋭く輝いてゆく……。
(唐組第63回公演「ジャガーの眼」パンフレットより)

 平凡な男しんいちのもとに不思議な女探偵くるみが現れる。肉体市場で角膜を購入し、移植した角膜のもとの持ち主の妻だったというくるみと出会うことで、しんいちは角膜に違和感を覚え始める。角膜を追うくるみと接するうちに、うずく角膜に導かれるように、しんいちのなかで婚約者との平凡な未来を生きようとしていた自分が捨ててしまったものが湧きあがる。一方、くるみの上司である探偵・田口は、くるみが来る前に共に生きたダッチワイフのサラマンダーの幻想に悩まされつつ、部下のくるみを追うのであった。

 1980年代、臓器移植は「脳死」の判定や倫理上に大きな問題を含みながらも、臓器の提供を待ち望む人の切羽詰まった願いから制度化され、現在はドナー登録を募る啓発広告がテレビで放映されるなど、社会的認知を得るところまで来てしまいました。
 寺山修司は「臓器交換序説」という演劇論をのこしていて、唐十郎が三面記事から時代の空気を芝居に取り込んだのとは対照的に、その時代のアカデミックな「ブーム」に潜む社会的な問題を彼の演劇装置の中で増幅・伝染させるような、社会や街の劇場化を試みる実験をしていました。その点では演劇への影響力とは反対に、社会的な影響力は唐十郎よりも大きく、彼が試みた街の劇場化は、例えば最近ではオーム真理教の地下鉄サリン事件などの劇場型犯罪や小泉劇場から始まる劇場型政治などを予言しました。
 サンダル探偵社の田口の「死ぬのはみな他人ばかり」から始まる歌が終わり、寺山修司に覗かれたとする長屋の住人たちとのドタバタ掛け合いの後、しんいちと婚約者の夏子が登場するところから物語が始まります。
 寺山修司が機械の部品が交換可能なように、人間の臓器も交換可能になる社会を予見し、そんな社会において「わたしやわたしの肉体」は個人に帰するものではなくなり、わたしの精神もわたしの人生すらも交換可能なのではないかと想像力を膨らませるのに対して、唐十郎は移植された角膜が今の持ち主の言う通りにはならず、前の持ち主の人生を生きようとする物語を膨らませていきます。
 前の持ち主の妻だったくるみが現れ、しんいちは夏子との平凡な日常の愛とくるみがもたらす非日常の激しい愛の間で引き裂かれ、次第にくるみにひかれていくのでした。
 しかしながら、くるみとの愛の暮らしを交通事故による死で引き裂かれた前の持ち主の眼もまた角膜移植された眼で、最初は元の持ち主はわからないのですが、人の体で三度も生きる「ジャガーの眼」が、かつて少年倶楽部の小説やテレビドラマの世界で、ジンギスカンの秘宝を求めてアジア大陸を疾走した冒険の記憶を呼び起こし、しんいちとくるみを日常では許されない激しい愛へと掻き立てます。
 肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない臓器交換の現実に抗い、死者の肉体の一部が別の肉体の一部として生き、新しい持ち主に逆らい、やがて新しい持ち主の人生までも変えてしまうという切ない物語は、そうはさせまいとする退屈な現実と激しくたたかいながら、やがて紅テントの彼方のもうひとつの暗闇へと去って行きます。
 怪優・辻孝彦が亡くなり、赤松由美が退団するなど、個人的にとても残念な思いですが劇団の離合集散は避けられるものではなく、若い役者を育てながら劇的空間を維持することはとても大変だと思うのですが、個人的には今回の芝居は切なさだけが膨張した、すこし寂しい芝居だったように思います。
 しかしながら、この芝居は唐十郎が寺山修司にリスペクトした芝居で、唐十郎本来のドラマツルギーとは少し違う異色の作品だったことから、そう感じたのかも知れません。
 ラストになって、田口はジャガーの眼の最初の持ち主であったことを打ち明け、くるみがしんいちをおいかけたように、田口もまた自分の眼の新しい持ち主・くるみの夫とくるみの愛の生活を覗き見していたことを打ち明けます。そして、くるみが幸せのりんごという愛の記憶を探す依頼を田口にするように仕向け、助手として雇い入れたのも、くるみを愛していたからでした。
 それはまた、住民の悪感情から今でいうバッシングを浴びせられた寺山修司ののぞきという行為が、「愛するのもみな他人、覗くのは僕ばかり」と、「みてはいけない何か」を見てしまうエロスなのだと、唐十郎は田口にいわせるのでした。
 思えば演劇では、寺山修司は唐十郎に嫉妬していたのだと思います。唐十郎が芝居を始めた時から、寺山修司は嫉妬という形で唐十郎を最大限に評価し、援護してきました。寺山修司が天井桟敷を旗揚げすることになったのも唐十郎の影響からで、それがゆえに唐の劇的空間とは違うアプローチをしてきたのだと思います。
 そして、唐十郎もまたそんな寺山修司を、ほんとうはとても深いところで共にたたかう兄貴分の同志と慕っていて、寺山が亡くなって2年と言うタイミングで寺山修司をきちんと評価し、心の中で別れを告げたのではないでしょうか。
それがゆえに40年の時を隔てた今、唐組の若い役者たちはこの芝居を必要以上にノスタルジックに感じたのかもしれません。

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2019.05.02 Thu 死ぬのはみな他人ならば 生きるのもみな他人・唐十郎が寺山兄貴に贈った棘のある花束「ジャガーの眼」

 唐組「ひみつの花園」

 一年ぶりにまた、唐組の芝居を観に行きました。
 色あせた布一枚で下界と隔てられた紅テントの中はお客さんが続々と入ってくるのに従って少しずつ空気を換え、気が付くとひしめき合うお客さんの熱気と期待が渦巻く悪夢の劇場へと変貌していました。
 ああ、またここへ帰って来た…、開演間近になると、いつもわたしは思います。1974年の状況劇場「風の又三郎」以来、もう40年以上もここから唐十郎のたくらみに乗せられ、「こことちがうもうひとつの場所、もうひとりのわたし」を探しに暗闇をさまよってきたことだろうと…。
 ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、たとえば新聞の三面記事から立ち上がり、悪意と忘却が渦巻く現実に翻弄されながら必死に何者かになろうと自分を探しつづける少年少女の純愛が、国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の近・現代史の暗闇を呼び起こし、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍が歴史のるつぼで再構成され、葬られた理不尽な出来事をよみがえらせるのでした。
 そして紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わると少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのですが、わたし自身も行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年に行方不明になったわたしとわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
 「ジャガーの眼」は1985年に状況劇場が初演して以来、唐組をはじめいくつもの劇団が再演する状況劇場後期の名作です。
この芝居は寺山修司が1983年に亡くなった2年後、唐十郎が兄貴と呼んでいた寺山修司へのオマージュと追悼を込めたつくりあげた作品です。
 わたしは唐十郎の前に高校生の頃から寺山教の信者で、彼の「家出のすすめ」に突き動かされて家出をしようと試みたことがあるほどでした。こう書けばとても前向きに思われるでしょうが、実際はわたしの高校時代は暗黒の年月でした。というのは、中学3年生でどもりが再発し、それなりのいじめに遭い、本当は経済的に行けるはずもなかった大学を断念して工業高校に進みましたが、ほんとうは学校をやめて誰ともしゃべらなくていい仕事につき、細々とくらしていけたらと思っていました。自分のそんな情けなさを隠すように世の中がどうだとか、サルトルやマルクスの名前を連ね、数少ない友だちと授業をさぼり、デパートの屋上でいきがっていたどうしようもない高校生でした。兄とわたしを高校だけには行かせたいと片手に山盛りの薬を飲み、朝5時から深夜1時まで働いて死んで行った母に、本当に申し訳なかったと今では悔やんでも悔やみきれないでいます。
 ともあれ、実際は彼自身も「不言実行よりは有言不実行が社会を変革する」といった虚言をばらまくけっこうさびしい人間だったと知り、今では「なあんだ」と思う一方、ますます寺山教の信者OBになっています。
 寺山修司が巷の言葉を拾い上げ、彼特有のこじつけでその言葉に新しい意味を植え付けるアフォリズムの才能は際立っていますが、その中でも口癖のごとく好んだのが「死ぬのはみな他人ばかり」というマルセル・デュシャンの言葉でした。
 誤解と偏見を楽しみ、罵倒ですらオマージュとする寺山修司に最大の賛辞を送りながらも、唐十郎はよく比較されてきたお互いの演劇論を視野に入れた唐版寺山修司というべき芝居を試み、演じて見せたのが「ジャガーの眼」だったのではないでしょうか。

この路地に来て思いだす
あなたの好きなひとつの言葉
死ぬのはみな他人ならば
生きるのもみな他人
死ぬのはみな他人
愛するのもみな他人
覗くのは僕ばかり
そこに見てはいけない 何があるのか
「ジャガーの眼」挿入歌 唐十郎作詞・小室等作曲

 幕が開くと、そこは唐の芝居でおなじみの、さびれた街の忘れられた袋小路。並ぶ長屋の中央の路地からけたたましく現れる大きなサンダルに振り落とされまいとしがみつく一人の探偵・田口が歌う歌には、「死ぬのはみな他人ばかり」と「私という内面」の否定を逆手に取り、三つの肉体を渡り歩く「ジャガーの眼」と共振しながら路地の向こうになくしたリンゴと言う真実を探す物語として、寺山が三面記事をにぎわしたのぞきを芝居に組みこんでいます。
 寺山の「私と言う内面」からの超克はデカルトからサルトルまでの人間主義にもとづいた近代からの超克を意味していて、寺山修司の演劇論でもあるのですが、唐十郎は「覗くのは僕ばかり、そこに見てはいけない何があるのか」と、さびしい男・寺山修司ののぞきをいわば「哲学化」して見せたのではないでしょうか。
 わたしはこの事件を新聞で読み、のぞかれたと主張する住民たちの悪意を感じる一方、次回の作品のための路地の研究とする前衛の立場からの擁護にも違和感を覚えたことを思い出します。実際、わたしは路地や袋小路や三段先が暗闇になる地下室、向かいの窓に映る人影やベランダでなまめかしくゆれる洗濯物に見てはいけないものを感じてどきどきするのを告白しなければなりません。
 「見られるのは嫌だが見るのは好き」という感情は現代ではSNSの普及でますます増幅されています。唐十郎は30年も前にそのことを「哲学化」し、のぞきのアナキスムを紅テントの密室に持ち込むことで登場人物はおろか、観客にまで「のぞきの悦楽とさびしさ」を味合わせ、去り行く彼女彼らとともに「ジャガーの眼」の収集不可能な旅へと向かわせたのでした。
 寺山修司と唐十郎という、わたしの人生の存在証明となる2大アイコンを語ろうとすると、それほど深い見識もないわたしには荷が重く、一回の記事では芝居の中身にも入れませんでした。
 許しを乞いつつ次回につづきます。

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2019.04.30 Tue Yさんとわたしの出会いは、「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」・島津亜矢と唐十郎

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 4月28日、毎年恒例の「唐組」公演に行きました。今年の芝居は「ジャガーの眼」で、1983年に亡くなった寺山修司の追悼を込めて1985年に状況劇場で初演した芝居です。高校時代から今も、いわゆる寺山教の信者だったわたしにとって感慨深い芝居でしたが、芝居のことは次の記事とするにして、その前に同好の士・岡山のYさんご夫婦とたっぷり3時間飲みながらいろんな話ができた大事件について書いておこうと思います。
 Yさんは岡山の大学の先生で、ふつうなら全く出会うはずもなかったのですが、数年前になるでしょうか、わたしの島津亜矢に関するブログをごらんになり、メールをいただいたのがきっかけで、ブログとフェイスブックで交流してきました。
 しかも島津亜矢だけでなく、わたしが唐組の芝居を毎年楽しみに観に来ていて、Yさんもまた毎年わざわざ岡山から唐組の芝居を観るために大阪に来ていたという、あまりにも不思議な偶然が重なり、もう何十年も前からの親友のように思ってしまいました。
 わたしが島津亜矢の存在を知りファンになった10年前は、長い歌手歴がありながらまだ演歌のジャンルの小さな枠の中で不遇ともいえる環境の中、熱烈なファンに支えられ、地道に歌手の道を一歩一歩その足跡を確かめながら突き進んでいた頃でした。
 それから現在に至るまでの進化はめざましく、そんな彼女の進化をYさんとわたしはお互いのことを知らないまま共に見届けてきたのだと思うと、あらためて驚きとともに誇りにさえ感じました。
 島津亜矢の熱烈なファンというだけでも、きわめて特異な同志だと思うのですが、なんと唐十郎の追っかけを何十年も続けてきたということになると、不思議な偶然を通り越した運命的な出会いとしか言いようがありません。しかも、お話を聞くと1970年代からと言われていて、わたしもまったく同じころからのファン歴で、積もる話どころではありませんでした。
 わたしの人生の中で唐十郎と寺山修司は特別な兄貴分で、彼らを知らない人生などありえず、いわば現実の人生とは別のもうひとつの人生、空想の人生で、わたしは何者か、何者になりえるのかと問いつづけ、彼らの後を追いかけてきたのでした。
 Yさんもまた青春時代に唐十郎の芝居と出会い、もうひとつの人生をひた走って来られたのでしょう。
 そう思うと、Yさんとわたしの出会いは、シュールレアリスムにならえば「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」ほどの偶然と宿命がないまぜになった奇跡、大事件だと思います。
 3時に唐組の紅テントの前で待ち合わせし、天満宮の近くの飲み屋さんに入りました。
わたしはここ数年、前の職場の同僚だった女性の友だちと唐組の芝居を一緒に見に行っていて今年も彼女と一緒だったのですが、Yさんも連れ合いさんと来られていました。
4人とも島津亜矢と唐十郎のファンという不思議が重なり、他の人たちとは話題にならない会話を延々と3時間もしながらもまったくあきることがありません。
その上に、Yさんの連れ合いさんがまた素敵な人で、Yさんの話では大学院生の時にYさんが見染め、それからずっと今も連れ合いさんに恋しているのがわかり、Yさんが連れ合いさんと共に生きてきた人生が、唐十郎と島津亜矢によって彩られている「もうひとつの人生」なんだと、とてもうらやましく思いました。
 わたしはといえば、ほんとうに奇跡といえるYさんと連れ合いさんとの出会いに酔いしれてしまい、いまとなっては何を話したのかもはっきり覚えていないほど舞い上がってしまったひとときでした。
 ほろ酔い気分でテントにもどり、世界のもうひとつの暗闇と薄皮一枚でつながっているテントの空間で繰り広げられるもう一つの現実にたましいがさらわれたまま、幕が下りた芝居の外でYさんとお別れしました。
 来年も逢いたいなと思いながら、また少し寒くなった春の風にほほを打たれながら帰りました。
 唐版「ジャガーの眼」と寺山修司については、次の記事とします。

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2019.02.16 Sat リアルな体験から想像力による体験・朗読劇「忘れない吹田空襲1945Vol.2」

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 2月11日、吹田市のメイシアター小ホールで開かれた、朗読劇「忘れない吹田空襲1945vol.2」を観に行きました。2104年に発足した「吹田の空襲を語り継ぐ会」の上演によるもので、戦争の記憶を引き継いでいきたいと、吹田の戦跡を訪ねたり戦中体験の聞き取りなどの活動とともに、朗読劇をさまざまな所で上演されてきました。
 能勢のピースマーケットでも上演していただいたのですが、スタッフのわたしは観ることができずにいました。
 開演後、ゲストの長野たかしさんと森川あや子さんのライブがありました。この日は別のイベントでも声がかかっていて、かけもちで大忙しだったようです。
 長野さんたちのフットワークの軽さは、主催者の思いの深さからくるものなのでしょう、とても自然体で、世の中を憂いながらも道ばたの草花がくれる小さな希望をいとおしくすく上げる歌に心が救われるようでした。
 いつも歌われる「コップ半分の酒」は森川あや子さんが亡くなられたお父さんのお話を歌にしたもので、戦争によって傷ついたひとりの人間の心と体を通り過ぎてきた肉声は、どんな戦争の記録よりもなまなましく、時代も世代も超えて今も戦争は終わっていないことを実感しました。
 
 休憩をはさんで、いよいよ朗読劇が始まりました。この劇は戦時中、中学校教諭だった山内篤編「吹田空襲の記録-大阪空襲と吹田-」に収められた証言と吹田警察署長の日誌をまとめた冊子を原本にしています。1937年に制定された防空法は戦局がきびしくなるにつれて改訂され、「空襲から逃げるな、火を消せ」など、不条理で理不尽な命令を国家と軍部が強制する中、空襲の被害に至る吹田の人びとの暮らしぶりが克明に記録されているこの冊子の証言が、会の代表の真木みさおさんの作・構成・演出による朗読劇によって再構築され、次の世代へと受け継がれていくのでした。
 戦後生まれのわたしは、どこか戦前戦中の暮らしと切り離された感覚があり、リアルな戦争体験がないまま戦後の混乱期の記憶しかないのが実情です。
 わたしの母は戦前天保山の遊郭のそばで喫茶店を営んでいましたが、戦後すぐにJR千里丘駅の近くに引っ越して、料亭の中居さんをしているときに知り合った男との間に兄とわたしを生み、その後シングルマザーとして高校卒業までわたしと兄を育ててくれました。
 それが妄想なのか記憶なのか、今でもはっきりしないのですが、母がわたしを背負い、東海道本線のJR吹田から東淀川あたりの線路に入り、貨物列車が落としていったコークスを拾いに行くのですが、真っ暗なトンネルに入ると親子心中を試みるという悪夢が長い間わたしに付きまとっていました。母にそれとなく聞くと、実は私の兄がその頃不治の病と言われた結核性脊椎カリエスにかかり、片足を切断しなければならないという時に、わたしが裸電球の明かりが頼りなく揺れる部屋で、何本も蚊取り線香に火をつけ「おかあちゃん、部屋が明るなったやろ」と無邪気に笑うのを見て、親子心中を思いとどまったそうです。
 わたしが高校を卒業する時、どちらかというと悲しくて切なくて、いい思い出がほとんどなかったJRの沿線を離れ、大阪の岸の里近くのアパートを借り、高校時代の友人と共同生活を始めましたが、それも長続きせず、一人暮らしを始めた場所がJR吹田駅近くのアパートでした。
 朝早く、アパートの2階の窓を開けると吹田操車場へと続く貨物線路があり、蒸気機関車が車両の入れ替えなどをしていたと記憶しています。真っ青な空にもくもく白い煙が立ち上る風景は、人生への一歩もまだ踏み出せず、立ち往生していた足元の青春の青い淵から転落しないように必死に不確かな未来にしがみついていた19歳のわたしがいました。
 
 今回の朗読劇の舞台はわたしの子ども時代と、断続的につながる青春時代をつらぬいていて、出てくる地名は昔慣れ親しんだものばかりでした。
 そして、わたしの切なくも悲しい物語が詰まったこの沿線の戦後の向こう側に、吹田空襲へとつながる戦前のひとびとのさらなる悲しい物語がいっぱい詰まっていて、戦前戦中戦後という歴史の年表ではすくい上げられない人々の無念と、子どもの頃のわたしの悲しみが深くつながっていることを教えてくれました。
 そんな思いでこの劇を見ていると、遠い昔の出来事と思える戦争体験や大阪大空襲、吹田空襲が過去の出来事ではなく、ほんの70年前の出来事で、がれきと煙に包まれた吹田とその周辺でかつて胸膨らませていた子どもたちのたましいが今もこの場所とわたしの心に漂い、立ち消えてしまった小さな希望を追い求めているように感じました。
 朗読劇という表現は初めての経験で、ダイアローグでもなくモノローグでもなく、時には群像になり、時には一人一人になり、表面的には無味乾燥な記録の言葉が血塗られたり泥まみれになったりして、セリフとは言えない役者の言葉が観客に突き刺さります。
 しいて言えば、観客とのダイアローグといったところでしょうか、その表現の力がベースとなった冊子の記録から、伝えなければならなかった真実を今の時代に再構築してくれるのでした。
 リアルに戦争体験を語れる人々が高齢になり、数少なくなってきている今、フィクションの力と想像力によって世代を越えて戦争体験が受け継がれ、2度と同じ道を歩いてはいけないと、この朗読劇から学びました。
 「吹田空襲を語り継ぐ会」のみなさん、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

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2018.10.14 Sun 劇団「でこじるしー」は管理からは生まれない友情と信頼が非日常をも超える超現実集団

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 10月27日、箕面市立メイプルホール小ホールで、「劇団でこじるしー」と楽団「まぜこぜん」の合同公演があります。
 「劇団でこじるしー」は箕面市障害者生活と労働推進協議会が運営する放課後等デイサービス&地域交流センター「さんかくひろば」から生まれた劇団です。
 「さんかくひろば」の卒業パーテイで寸劇上演をしたことがきっかけで、利用者とスタッフの有志、地域の人が参加し、「障害のある人もない人も集まってひとつの演劇作品をつくろう」というコンセプトをかかげたこの劇団は、2013年に旗揚げ公演をして以来、とくに障害のある子どもたちの飽きることのない芝居への情熱によって年を追ってパワーアップしてきました。
 障害者の芝居というと、その内容が愛と感動に満ち溢れたいわゆる「感動ポルノ」になりやすいところですが、この劇団にはそんな予定調和的な台本も演出もなく、障害を持つ役者のそれぞれの役割が実に絶妙で、日常性と非日常性が行ったり来たりしながら、日常も非日常をも超える超現実が垣間見えるわくわく感が芝居全体にあふれています。
 それはおそらく、学校の文化祭や福祉施設の発表会などとちがい、出演者が学校や福祉施設に管理されず、あくまでもその芝居を物語り、構成する登場人物を演じる役者としてわたしたち観客に圧倒的なパワーでせまってくるからです。
 身体表現と演技力もさることながら、役者全員が日常においても、また非日常の芝居においてもお互いを全面的に信頼していることが伝わり、この劇団がいい意味で徒党集団であることを証明しています。
 今回の芝居も、おそらく悪の集団と対決する「正義と友情」の物語が予想されますが、バトルありアクションありダンスありのドタバタ劇が繰り広げられることでしょう。

 今回の公演は楽団「まぜこぜん」との合同公演になっています。
 楽団まぜこぜんも「さんかくひろば」の利用者の「みんなで音楽をやりたい」という声をきっかけに活動をはじめた音楽サークルで、クラリネット、ハーモニカ、サックス、ピアノなど、それぞれの得意な楽器でさまざまなジャンルの曲を演奏します。楽団の名のとおり、いろいろな個性、いろいろな音色をまぜこぜにした楽しい楽団で、こちらもお楽しみいただけます。
 近隣の方で、お時間のあるかたはぜひご来場くださいね。

第8回公演劇団デコジルシーVS楽団まぜこぜん
2018年10月27日(土)14:30開場 15:00開演
参加協力金300円 小学生以下・介助者無料
箕面市立メイプルホール小ホール
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