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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2019.07.20 Sat あきらめない精神と夢見る力 2019年参議院議員選挙

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 わたしは選挙活動が苦手で、今回はそれでも山本太郎さんと大椿ゆうこさん(この2人は比例区でかちあっていて、結局妻と分け合うことしました)、選挙区はたつみコータローさんを応援していますが、実際の行動はチラシまきと自宅にポスターを張るぐらいしかできないでいます。
そんなわたしでも箕面で4回、豊中で3回でしたか、それぞれの市会議員選挙にかかわったことがあります。「選挙をする側」になると知り合いからはじめて会う人まで、極端に言えば投票用紙という一枚の紙きれに見えてしまうことに耐えられないこともありました。
 もとより、ひとそれぞれの生身の体と思いまどう豊かな心は、一枚の紙きれになんかにおさまるはずもないのです。
 それでも、わたしたちは「市民である前に市民になる運動」をせざるを得ない障害者の問題を通じて、だれもが当たり前の市民としてともに助け合って生きる街づくりをかかげ、箕面では障害者の友人の健全者を、豊中では全国初だったと思うのですが、車いすを利用する女性障害者を市議会に送り込んだのでした。
 そのころ、クイーンの「We Are the Champions」の歌詞の中の「I consider it a challenge before, the whole human race And I ain't gonna lose」を、わたしなりに「それは人類の歴史に対する最後の挑戦なのだ、だからわたしは負けるわけには行かないのだ」と訳し、わたしたちの選挙のキャッチフレーズのひとつにしました。
 「わたしたちは勝ちたいのではありません、負けるわけには行かないのだ」と…。
 わたしはバイセクシャルでエイズでなくなってしまったフレディ・マーキュリーの心からの叫びを、障害者の運動をつづけるわたしたちへのエールととらえていたのでした。
1991年11月24日、フレディ・マーキュリーは45歳という若さで亡くなりました。その前日にエイズを公表したばかりでした。

それはすべての人類に対するきびしい挑戦といったほうがいい
だから決して負けるわけにはいかないのだ
ぼくたちは頑張り続けなければなければならない
ぼくらはチャンピオン 愛しき友よ
ぼくらはたたかいつづける 最後まで (ウィー アー ザ チャンピオンズ)



 フレディーは自分がエイズであることを死の直前まで公表しませんでしたが、自らが意識する10年前に、彼は自らもふくめて社会的異端者とされる世界に点在する人びとに愛と勇気を送ってくれていたのだと思います。

 わたしは時代を越え、さまざまな敗北を越えて今、大椿ゆうこさんと山本太郎さん、たつみコータローさん、党派を超えてこの3人に共通しているあきらめない精神と夢見る力で時代を変える3人にこの歌を託したいと思うのです。

それはすべての人類に対するきびしい挑戦といったほうがいい
だから決して負けるわけにはいかないのだと…。

あるひとは車いすで、あるひとは杖で
あるひとは自転車で、あるひとは本を持って
あるひとは走りながら、あるひとは歌いながら
それでもだめならはっていこう
障害のあるひともないひとも
だれもがあたりまえにくらせる
わくわくする町のとびらをさがしにいこう
生きることが夢みることなら

We Are The Champions

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2019.07.18 Thu 山本太郎とわたしたちのたたかいはいま始まったばかり 2019年参議院選挙

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 こんなにわくわくする選挙が今まであったでしょうか。失礼ながら、「選挙をする側」で活動する人たちは別にして、一般の有権者であるわたしがどきどきするのは、今回が初めてです。今までわたし自身も何度か選挙にかかわったことがありましたが、選挙をする側にとっては非日常ですが有権者はどちらと言えば白けていて、幾分暗い表情で街頭演説の前を足早に通り過ぎていくのが常でした。わたしもまた、そのうちのひとりでした。
 そんな選挙風景を一瞬にしてかき消してしまったのが山本太郎と「れいわ新選組」でした。
六年前に参議院の東京選挙区から立候補して当選した山本太郎は、国会の中でそのしゃべり口も行動も、いわゆる「議員先生」らしさがまったくなく、「議員先生」の方々からは失笑されていたのが現実ではないでしょうか。しかしながら国会中継やSNSでは圧倒的な支持を得ていることもまた確かな真実です。それは、彼がわたしたちと同じ日常の言葉で怒り、憂い、語っているからだと思います。
 そんな山本太郎が2期目としてかなりの確率で国会にもどれるはずの従来の選挙戦略を捨てて、「れいわ新選組」という名のグループをつくり、まったく新しい選挙活動・政治活動をはじめました。唐突とも思えたその時から山本太郎はわたしたちに大きな合図を送っていたのだと、後から気づきました。
 安倍一強のもとで疲弊の極みとなった「政治」に辟易し、「この国はすでに壊れている、このままでいいのですか?もういいかげん、我慢しないで。今怒らないでいつ怒るの」と、彼は他ならぬ有権者のわたしたちに鋭い問いを突き付けたのでした。
 そして、まずは寄付金と言う形でわたしたちが意志を表明することを求め、次に壊れているとも言えるこの国でいつも自己責任という暴力にさらされる人びと、もっとも生きづらく、困難な暮らしを強いられる多様な問題の「当事者」と言われる人たち10人の候補者を擁立しました。重度身体障害者、性的少数者、派遣労働者、コンビニ加盟店ユニオンの労働運動家、公明党の方針に異を唱える創価学会員など、社会的弱者といわれる人びとを中心に集結した10人の候補者は「当事者」の問題を訴えるだけではありません。当事者としてさまざまな苦難を通り過ぎた果てに、自分だけの特殊な問題と思ってきたことが、実はこの国の人びとのだれもが抱えている問題であり、だれもが抱く「幸せになりたい」と願う心と深くつながっていることを実感している10人なのです。
舩後靖彦さん・元日本ALS協会千葉県支部運営委員 介護サービス事業会社副社長
木村英子さん・全国公的介護保障要求者組合書記長
山本太郎さん・参議院議員、れいわ新選組代表
蓮池透さん・北朝鮮による拉致被害者家族連絡会元副代表
安冨歩さん・東京大学東洋文化研究所教授
三井義文さん・コンビニ加盟店ユニオン元執行副委員長
辻村ちひろさん・環境保護NGO職員
大西つねきさん・IT企業社長、元JPモルガン銀行員
渡辺てる子さん・元派遣労働者、レイバーネット日本運営員
野原ヨシマサさん・創価学会員
 あなた方の問題提起は、わたしたちの社会の未来を希望で描く縮図なのだと思います。
 しかも、山本太郎はその中でも重度障害者の舩後靖彦さん、木村英子さんの2人を、最優先して当選者にする比例区特定枠に指定しました。その結果、山本太郎は300万票取らなければ落選になります。
 今年から設けられたこの制度は、島根県と鳥取県、徳島県と高知県が合区となったために、それぞれの比例区で2人あふれてしまうことを助けるために自民党が姑息にも要求してできたものらしいです。山本太郎は自民党の意図とは正反対に、自らが落選してもこの2人を参議院に送り込みたいと自らの退路を断ち、排水の陣でこの選挙に臨んでいることがわかります。こんな政治家、今までいたでしょうか。
 そして、特定枠ではない残りの8人もまた、山本太郎に負けない強い志を持って自分の選挙をたたかうことが同時にまず2人の障害者を参議院に送り込むことになるという、対等で潔くわかりやすい選挙運動を繰り広げています。
 政治や選挙がいつのまにか専門家の道具と化してしまった今、民主主義を取り戻すのはわたしたちひとりひとりであることを痛烈に感じさせる「れいわ新選組」は、劇場化した政治の舞台からも観客からもロビーからもあふれ出て、わたしたちの日常のど真ん中でわたしたちの怒りと愛と夢と希望を共に語り、共に未来をつくろうと呼びかけるのでした。
 ここでも、山本太郎の本気、覚悟は、それを受けと止めるわたしたち有権者の本気、覚悟を求めているのだと強く感じます。
消費税の廃止、奨学金徳政令、最低賃金全国一律1500円、公務員の増員など、自民党政治や規制の経済学者や大企業などからは財源を考えないポピュリズム、無責任な人気取りだと非難されますが、一部の人にだけ恩恵がつぎ込まれ、それを政治経済の常識とする牢獄からの解放が空想ではなく、わたしたちの選択にかかっていることを教えてくれました。大企業の法人税や高額所得者の所得税を優遇するお金が、消費税で賄われているという話は説得力がありますし、高等教育の授業料もさることながら、奨学金という借金をしなければ大学で学べないという現実をすべてチャラにするという一見乱暴な主張も現実的な政策として実現できることだと思います。
 アベノミクスで経済を立て直したと豪語しても、毎年自殺するひとが2万人を越えるこの社会が「豊かである」はずはなく、「死なないでくれ、生きてくれ」と叫ぶ山本太郎と、どちらが正しくて真の政治家なのか、はっきりしていると思うのです。
 3日後に投票日を迎え、街頭やSNSや草の根民主主義の盛り上がりだけでハードな組織力を持たない「れいわ新選組」が躍進するというのは難しいことかもしれません。しかしながら少なくとも比例で舩後靖彦さんの当選は確実と言われる中、木村英子さんも参議院に送り込めたらすごいことだと思います。もちろん、それ以上に山本太郎をはじめ次々と当選する夢は見つづけたいものです…。
 山本太郎と仲間たちのたたかいはいま始まったばかり、そしてわたしたちのたたかいもまたはじまったばかり、この勇者たちは著しく傷つけられた「多数決」という名の数の暴力ではなく、この社会の誰一人取り残さない、たった一粒の涙も無駄にしない政治、民主主義をとりもどすために、いま立ち上がったところなのだと思います。

20190712 山本太郎(全国比例) 街頭演説 「れいわ祭」品川駅港南口 参議院議員選挙
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2019.07.16 Tue 大椿ゆうこさんは今を生きるすべてのひとにとってのジャンヌ・ダルク 参議院選挙比例候補

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 参議院選挙も大詰めの一週間に入りました。今回の選挙ではなんといっても山本太郎さんと「れいわ新選組」の選挙活動が加速度的に注目を集めていて、投票日前日までの街頭行動とSNSの拡散によってどこまで支持がひろがっていくかにあります。
 わたしは山本太郎さんの身を切るどころか身をけずり命をけずる呼びかけに全面的に応援しているのですが、その一方で地道に非正規雇用が4割を占め、働く人々を使い捨てにしてきた国の政策を指弾し、若者も女性も外国人も安心して働ける社会をつくろうと呼びかける大椿ゆうこさんも応援していて、山本たろうさんと大椿ゆうこさんの両方の推薦ハガキを書いた他、両方のチラシも地域に巻き、自宅にポスターも張りました。
 山本たろうさんについては後で書くとして、まずは大椿ゆうこさんについて書いておきたいのです。
このたび、社会民主党の比例区公認候補となった彼女の後ろには、働く人の4割といわれる非正規雇用で働く人々をはじめ、長年の組合活動を通じて出会い、共にたたかってきたひとびとの悲しみ、怒り、叫びがあります。
 1950年代から60年代にかけて時代をけん引したかつての労働組合運動から遠く長い時を経て、高度経済成長からバブル崩壊、新自由主義とグローバリズムがもたらした格差社会によって生存権すら脅かされる人びと、「明日への希望よりも今日のパン」を求めて劣悪な環境で働かざるを得ないたくさんの人びとのための労働組合運動が今、この社会のセーフティーネットの役割を果たしていることを実感する大椿ゆうこさんだからこそ、その体験から得た切実な提案を実現するために国会議事堂に送り込まなければならない、とっておきの人だとわたしは思います。
 わたしは労働組合のある企業に行ったこともなくリタイヤの年齢になりましたが、1982年に箕面に誕生した豊能障害者労働センターの一員として、労働組合の方々にお世話になってきました。もちろん今もそうですが、国からの後ろ盾もないまま「福祉の牢獄」に閉じ込められてきた障害者が町に社会にあたりまえの市民として生きることが絶望的だった時代、重度と言われる障害者が一般企業に就労することはとても困難なことでした。
 「企業が雇わないなら、障害者が自ら起業し、経営と労働の両方を担おう」とはじまった労働センターは、皮肉にも「労働」を主張するために当時の箕面市においても「福祉団体」とは認められませんでした。それは当方としても認めてもらいたくなく、ただ一般企業が決して雇わない重度障害者の就労の場への助成制度が国にも府にも市町村にもつくられるべきではないかと主張する中で、前代表の河野秀忠さんの努力もあいまって、箕面市には箕面市障害者事業団がつくられ、事業団の障害者雇用政策として労働センターへの雇用助成制度が実現しています。しかしながら、国の労働政策は依然として箕面市のような障害者雇用制度(障害者の社会的雇用とも言われます)はつくられていません。
 そして、当時も今も、労働組合から「社会的弱者」への支援はもらってきましたが、障害者の就労運動について大きな共闘ができてきたのかといえば、(わたしが知らないだけかも知れませんが)あまり例はなかったと思います。当時わたしは、彼女彼らに「あなた方はすでに就労している労働者のための活動はされているが、就労の場にたどり着かない労働者としての障害者に思いをはせているとは言い難いのではないか」と議論を吹っ掛けたものでした。そして、企業に就労をはばまれ、障害者年金ではひとりで生活していけない障害者は年老いた親に生活援助だけではなく、経済的援助も受けなければ町で暮らせないのだと訴えました。
そして、その絶望的な状況を打ち破るために、豊能障害者労働センターは「障害のあるひともないひとも共に働き、給料をわけあう」活動をしているのだと…。
 そこから理解を示してくれた市役所のひとや「共に学ぶ教育」運動を進めている教員、さらには誰もが暮らしやすい地域をつくろうと集まった市民のひとたち、一般企業でつとめる人びとが応援に来てくれて、まだ公的介護保障がまったくない時代に無償で泊まり介護をしてくれました。
 その中に、2009年に結成された大阪教育合同労組で活動することになる人びとが、少なからずいました。それは箕面だけでなく、大阪各地の障害者自立生活運動を進めるグループともかかわってくれたことでしょう。そのことをわたしは決して忘れません。
 そんなわけで、時代は代替わりしていますが、障害者を「福祉」にとじこめることに異議申し立てをし、障害者を働く仲間と認めてくれた大阪教育合同労組から国会に突き進もうとする大椿ゆうこさんは労働者だけでなく、障害者をはじめいまを生きるすべてのひとにとっても大切な大切な宝物だと思います。

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2019.07.11 Thu 「わたしたちは自由であるだけでなく、自由に呪われている」(ジャン=ポール・サルトル) 「第14回ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの 自由」

ぼくはムギを知らない 粉のムギしか知らない
ぼくはムギを知らない 粉のムギしか知らない
(作詩・及川恒平/作曲・小室等「ぼくはムギを知らない」)

 7月6日、東京の板橋区立グリーンホールで開かれた「第14回ゆめ風であいましょう 近くて遠きもの 自由」のボランティアスタッフとして参加させていただきました。
 この催しは被災障害者支援「ゆめ風基金」とカタログハウスの学校共催で、2002年から毎年開かれているイベントで、大阪を拠点にするゆめ風基金にとって東京方面での認知度を高める大切なイベントです。
 1995年、阪神淡路大震災を機に設立されたゆめ風基金の呼びかけ人を永六輔さんから引き継いでくださった小室等さんとカタログハウスの並々ならぬ想いと、時代の空気がよどみ、影をつくらない鈍い光に引き込まれる危うさに抗う切迫した感受性がなければ、このイベントがこれほど長く続くことはなかったでしょう。
 障害者市民のための基金活動が根底にあるものの、毎年その活動を通してあぶりだされる時代の危さに警鐘をならしてきたこのイベントは、今年もご来場くださったひとびとの心に深いメッセージを届けることができたと思います。

 第一部は小室等さん、及川恒平さん、四角佳子さん、こむろゆいさんによる新生「六文銭」のニューアルバム「自由」の発売記念コンサートでした。
 わたしは昨年の11月の大阪、今年の1月の京都につづき、3回目のライブでしたが、今まで小室さんのライブを観客としても関係者としても長く聴いていて、いまがいちばん「旬のバンド」と思います。
 というのも、小室等さんの場合はある意味で時代の証人のナレーションのおもむきがあり、及川恒平さんの場合は個人的な愛や恋や悲しみを時代の路地でよみがえらせる吟遊詩人のおもむきがあり、時にはまったく相いれない2つの個性がぶつかりもせずに溶け合い、ちょうどいい按配に混じりあう瞬間に今、立ち会っていることに興奮します。
 そして、わがまま坊やのような2人の無茶ぶりにも動ぜず、四角佳子さんとこむゆいさんがみずみずしいハーモニーでこの不思議なバンドが織りなす音楽を大きく包み込むのでした。
 ほんとうは4人とも、音楽的冒険を繰り返してきて、その中でつながったり別れたりしながら長い時を蓄えてきているはずなのですが、そんな過去や記憶の重い荷物はどこかに置いてきてしまい、真新しい音楽と身軽な心で時代の地平線に向かって歩き出す、そんな初々しさとアナーキーさと少しの異議申し立てと静かな抵抗を心に秘めて、「さあ、行こうぜ」とわたしたちの心を急がせる…。今まさに六文銭という事件がやって来たのでした。
 生まれた年も育った環境も違っていながら、それでも行き先のわからない同時代を共に生き抜く勇気と楽器と歌たちを拾い集め、彼女彼らはわたしたちをどこに連れて行こうとしているのでしょうか。
 実際、世の中がきびしい方向へと突き進む中で、「たかが音楽に何ができるのか」と自問自答することもたびたびあるのかも知れないけれど、「アーティスト」という予定調和的な称号をかなぐり捨てて歌いだす姿はとても凛々しく、六文銭の音楽がある限り世の中まだまだ大丈夫と思わせるのでした。
 かつて若松孝二が「俺は映画でたたかう」と言いましたが、六文銭もまた「われらは音楽でたたかう」と、わたしたちに強いメッセージを送ってくれているのだと思います。

てんでばらばら てんでばらばら
電動ミシンのうなり声が響く 路地の乾いた呪文よ
ここから先は海であり 海にひそむ民族であり
梅雨どきのトタン壁にしがみつく蔦の濃緑!
に目を射られてかがみこむほどの暑さだ!
いっそ裸足で歩いて 頭に長靴でもかぶせたらどうだ
(詩・佐々木幹郎/作曲小室等「てんでばらばら~山羊汁の未練~」)

 第二部はアーサー・ビナードさん、小室等さん、牧口一二さんの3人が、「自由」について語り合う鼎談でした。
 アメリカの大学で英文学を学び、卒業と共に来日、日本語で試作をはじめた詩人のアーサー・ビナードさんは、わたしたちが曖昧さの中でごまかしてしまう切実な感覚や本音、社会的な行動への意志や思想を日本語できちんと表現されていて、日本人と日本社会が言葉をもっと大切にしなければ滅びてしまうと警鐘を鳴らされていました。
 牧口さんはとても身近な出来事から、世の中が当たり前とする現実原則に鋭く異議申し立てをすることで、社会が自分を束縛するために押し付けてくる公用語としての日本語を、自分の感性を表現するための生きた言語に作りかえて来られました。
 この2人が「自由」について語る時、それはお互いの感性のするどさがジャックナイフのように光り、まとめ役を担われた小室さんはどこに行くのかわからない話の行方をさぐるのにとても苦労されたように思います。
 「自由」という言葉が「何々をする自由」といった卑近な使い方から、「何々を拒む自由」へとたどりつく時、六文銭の「自由」というアルバムが「プロテスソング」であることとつながったように思いました。
 手あかにまみれたように思われる「自由」という言葉が、実は世の中が今とてもキナ臭く生きづらくなり、自己責任という言葉でわたしたちの心を固く萎縮させてしまうことに抗い、異議申し立てをする勇気を育てる言葉であることに気づかせてもらいました。

「わたしたちは自由であるだけでなく、自由に呪われている」(ジャン=ポール・サルトル)

 珠玉の時間はあっという間に過ぎ、イベントは盛況のうちに終わりました。
 準備から後片付けまで、「障害児を普通学校へ全国連絡会」やわらじの会、ひょうたん島などのボランティアのみなさん、そして大活躍だったカタログハウスの若いひとたちに混じって、貴重な体験をさせていただいたゆめ風基金に感謝します。

 明くる日は永六輔さんの命日で、牧口さん、橘高さんと一緒に永さんのお墓参りに行きました。実家である浅草のお寺の墓地に眠る永さんのお墓は、永さんの直筆で「上を向いて歩こう」と彫られていました。案内してくださった方が永さんの妹さんで、言われてみれば目元など永さんにそっくりで、おもわず涙がこぼれそうになりました。
 ゆめ風基金だけでなく、数えきれないほどのグループや人々を励まし、生きる勇気を注ぎ続けてくださった永さんのお墓は限りなく優しく清楚で、今も大きなオーラでわたしたちの行方を教えてくれているようでした。「だいじょうぶ」…。

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2019.06.26 Wed 歌謡曲ルネッサンスでよみがえる美空ひばりと「波止場だよお父つぁん」・島津亜矢

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 6月23日に放送されたNHK-BS放送「新・BS日本のうた」に島津亜矢が出演しました。この日のスペシャルステージは没30年になる美空ひばりの特集ということで、島津亜矢にも声がかかったというわけです。
 いままでは演歌の大御所やベテラン歌手が「演歌歌手・美空ひばり」の名曲を総どりし、島津亜矢は「柔」に代表される「男歌」を歌ってきましたが、ここ直近のNHKの「うたコン」でもBS放送でも、いよいよ島津亜矢が前面に出てくるようになりました。
 最近の音楽シーンでは一段と「演歌」の退潮が著しく、「演歌のプリンス」として人気が高い氷川きよしまでもがアニメソングをはじめとするJポップに進出し、演歌歌手がJポップを歌う民放の特集番組「演歌の乱」が話題になるなど、ベテランも若手も演歌歌手がポップスを歌うことが多くなってきました。昨今の島津亜矢の「成功体験」が他の演歌歌手に焦りにも似た緊張と刺激を与えていると言えるでしょう。
 しかしながら、島津亜矢の場合は若い頃から国内外のポップスを地道に孤独に歌いこんで今に至っていて、その意味ではNHKの「うたコン」での島津亜矢の挑戦はめざましいものがあり、島津亜矢とNHKの音楽番組担当チームとの長年の音楽的冒険が「BS日本のうた」から「うたコン」に舞台を移したのだと実感します。
 さて、今回の放送では、織井茂子の「黒百合の花」、それから美空ひばり特集として「波止場だよ、お父つぁん」、「竜馬残影」の三曲を歌いました。
 直近の放送で島津亜矢がある覚悟をもって「美空ひばりを歌い継ぐ」と宣言し、NHKの音楽番組もまたそれを認知・証明するようなプロデュースをしました。それを受けて今回の放送がどのようになるのかとても楽しみでしたが、実際のところ半分はがっかりでした。というのも、五木ひろしの出演で忖度番組になることは予想できたものの、少しやりすぎの感がありました。
 しかしながら一方で、長年「演歌」の枠組みに閉じ込められてきた美空ひばりの偉大な全体像がよみがえる、没30年の節目にふさわしい番組でもあったと思います。
 この番組で歌われた美空ひばりの歌は例外もあるものの1950年代の歌が多く、この時代の歌こそ「歌謡曲ルネッサンス」と呼ぶにふさわしく、鉄条網とがれきの山から戦後の闇市まで、日本社会が希望と絶望の雲間を不安定なグライダーのように旋回していた時代、高度経済成長へと突入する前夜のうす明るい暗闇でうごめく暮らしの中で生まれた歌がひとびとをなぐさめ、はげました時代でした。
 そして、この時代の歌謡曲の中に記憶として封印された戦後日本とその時代を生きたひとびとの切ない夢こそが美空ひばりの遺産であり、美空ひばりを歌い継ぐとは世の中の空気がキナ臭く行き詰まり、長い戦後がいつのまにか戦前になるかもしれない不安が渦巻く今、美空ひばりの歌にかくれているひとびとの願いや祈りをよみがえらせることだとわたしは思います。
 その意味では、島津亜矢が「波止場だよお父つぁん」を歌ったことはとても意義深いことで、かつてNHKの「思い出のメロデイー」で彼女が歌った「東京だよおっかさん」とともに、船村徹が「右の立場(?)」から戦後社会を憂い、政治の回路ではなく個人の情念の回路から戦争で傷ついたたましいへの挽歌として世に送り出した歌なのだと思います。

 1956年発売の「波止場だよお父つぁん」は、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「私は街の子」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」などとともに1950年代に発表された膨大な楽曲のうちの一つです。戦後の政治・文化を席巻した「左の立場」の学者やジャーナリズムから「ゲテモノ」とののしられ、ものまねと蔑まれながら、美空ひばりはひとびとの圧倒的な支持によって「もうひとつの戦後民主主義」を体現していきました。
 船村徹もまた、盟友・高野公男とともに音楽のアカデミズムを批判し、「俺が茨城弁で詩を書くからお前は栃木弁で曲をつくれ」といった高野公男の名言の通り、大衆の声なき声を歌にしてきたのでした。
 この歌は一番の歌詞に「めくら」という差別語があるため、現在では歌われることが少なくなりました。ここで、差別語に関するわたしの思いを先に書いておこうと思います。わたしは障害を持つ人と出会う前は、たとえば「アホ・バカ」という言葉も相手との親密度によっては使ってもいいと考えていました。しかしながらその言葉によって傷つくひとたちの存在を想像できず、排除していることに気づき、使うことができなくなりました。そして、社会的な正義を標榜する人たちが無自覚に「狂っている」という言葉を使う時、とても悲しい気持ちになるのです。これらの差別語を使わなければ伝えられないものは何一つなく、かえってその言葉を使ってしまうことで物事の核心を逃がしてしまうとわたしは思います。
 その上で「波止場だよお父つぁん」の歌詞は、「めくら」や「おし」、「かたわ」という差別的な言葉を平気で使っていた時代の障害者差別もさることながら、戦前戦中を船員として生き延び、おそらく心も体もぼろぼろになったしまった父親の深い悲しみと隠された憤りまでもがこの歌の背景にあるように思うのです。あの戦争で民間船員は根こそぎ戦時動員され、記録されているだけでも6万2000人の先輩船員たちが過酷極まる戦場の海で戦没したそうです。その上で父親を「めくら」としたのは、傷痍軍人があふれていた世間の同情を得るために設定されたとしか思えません。そのために現在はほとんど歌われなくなってしまったこの歌のもっとも大切なメッセージが届けられなくなったのはとても残念です。
 それでも、「川の流れのように」や「乱れ髪」、「悲しい酒」など、だれもが歌われることを期待したであろう「演歌の名曲」ではなく、番組全体をほぼ1960年までの歌を選び、その中でも時代の空気を隠した「波止場だよお父つぁん」を島津亜矢に歌わせた演出は、死してなお美空ひばりの無限の可能性を求め、ほかならぬ島津亜矢に「歌謡曲ルネッサンス」を託したNHKの音楽番組チームの覚悟を感じるものでした。
 そして島津亜矢もまた、新しい演歌の息吹がこの時代から吹いていることを若い頃から感じているからこそ、この歌を美空ひばり本人にささげたのだと思います。
 「東京だョおっかさん」については、以前の記事を載せておきます。それぞれ理由はちがいますが、船村徹のこの2曲およびその一部が放送禁止になったのもまた偶然ではないのかも知れません。

島津亜矢「波止場だよ、お父つぁん」

美空ひばり「波止場だよ、お父つぁん」

島倉千代子「 東京だヨおっ母さん」

過去の記事2015.08.14 Fri 島津亜矢「東京だョおっ母さん」

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