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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2020.10.28 Wed 大阪市の廃止は、自立障害者の生きる権利を脅かす

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 大阪の障害者団体が、大阪市を廃止して4つの特別区にする、いわゆる都構想に反対して街頭活動を続けています。
 10月7日は市役所前に車いすを利用する障害者ら約200人が集まり、反対集会を開きました。「重度訪問介護」サービスを利用してヘルパーの介助を受けながら1人暮らしをする障害者にとって、大阪市が廃止され、自分が居住する特別区で今まで通りのヘルパー派遣が認められるかは不明で、特別区の財政力によってサービスに格差が出る恐れがあります。
 大阪市の障害者団体のネットワークは毎年、大阪市の福祉セクションだけではなく、他のセクションを含めたオールラウンド交渉を粘り強く続けてきました。
 この交渉によって自立障害者へのヘルパー派遣の充実や、全国に先駆けてけん引してきた共に学ぶ教育運動によって、地域の学校に障害のある子もない子も共に学ぶ教育保障を実現してきました。
 大阪市の障害者福祉や障害者の人権施策は、そのまま近隣の市町村行政にも影響を与えてきました。わたしは1980年から2003年まで、箕面市の障害者運動の一員でしたが、箕面市でもオールラウンド交渉を始めることができたのは、大阪市の障害者団体と大阪市行政が協働して問題解決を進めていることがお手本となったからでした。
 大阪市を廃止して4つの特別区に再編することは、住民サービスに格差が生まれる可能性が懸念されることもさることながら、人口270万人の政令指定都市・大阪市が廃止されると長年共に築いてきた大阪市との協働がなくなり、その影響は大阪市内にとどまらず大阪府下の市町村に住む障害者と障害者団体、そして各市町村行政の障害者施策にも大きな影響を与えることが必死です。
 その意味においても、「都構想」の問題は大阪市のみのことではなく、大阪府下の市町村と隣の県とその各市町村、さらには全国の障害者の生活と人権に大きな影響を与えることになるのです。
 大阪維新の会の松井代表は、参議院議員の木村英子さんが議員活動の介護保障を求めたのに対して、「政治家は個人事業主だから、事業主の責任で(費用支出に)対応すべきだ」と発言しました。
 また日本維新の会の音喜多議員は、同じく参議院議員の船後靖彦さんが「人工呼吸器を装着しており、感染症にかかると命に関わる現状。医療者からの助言も踏まえ、欠席という苦渋の決断をした」という声明を出して欠席した時、ツイッターで「その分の歳費は返納されないと国民の納得を得るのは厳しい」と発信しました。
 どちらも障害者に対する差別と偏見から発言されただけでなく、多くの人々がそう思って賛成するはずだという差別意識を生み出し拡散するもので、維新の会の人権感覚を疑わざるを得ません。
 そんな人権感覚しか持っていない大阪維新の会だからこそ、大阪市が廃止され、4つの特別区に組み込まれた障害者施策がどうなっていくのか、本当に心配です。 

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2020.10.28 Wed わたしたちはいつになれば「成長神話」の呪縛から解放されるのか。 大阪都構想の悪夢

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 大阪市を廃止して4つの特別区に分割する、いわゆる都構想の是非を問う住民投票は、いよいよ11月1日の投票日まであと数日となり土壇場に来ています。
 当然のことながら大阪市民にしか投票権がなく、大阪府の北端の能勢町住民にはなんの発言権もなく、また大阪市民以外は他の街のことで無関心なのが実情で、大阪維新の会の「大阪の成長」という喧伝と吉村知事への勘違いも甚だしい異様な人気と相まって、かえって自分たちの町には大阪府からいいことが来るのではないかと思われる人もいるかも知れません。
 しかしながら、わたしは想像します。たとえば、能勢町のように京都府や兵庫県北部に隣接した大阪府の北端にある町では大阪府行政はとても遠い存在で、住民サービスや公的な助けをほんとうに必要としたときにかけこむのはやはり身近な地方自治体である能勢町行政に頼ることになります。身近な自治体で顔の見える関係で問題を解決していき、そのバックで身近な自治体を支えるのが大阪府の役割ではないでしょうか。
 大阪市の住民はまさしくそんな身近な自治体で独自の予算と権限を持つ政令指定都市・大阪をうばわれてしまうかもしれません。そうなれば権限も予算も著しく少ない特別区に頼っても、大きな権限を持つ広域行政の大阪府に判断を仰ぐことが多くなり、実際に住民サービスの低下は避けられないでしょう。
 当事者の住民である大阪市民にとっては2000億円もの市民の財源を大阪府に奪われ、政令指定都市の権限をなくしてしまう都構想は、冷静に考えれば反対以外に考えられません。大阪維新の会の言う「二重行政の解消」の裏では2000億円をうばわれた末に、住民サービスの低下が付きまとうことになると思います。
 多くの市民が「二重行政の解消」で経済成長すると信じているならば、成長神話に迷い込ませた罪は大きいと思います。
 戦後のどん底の暮らしから這い上がってきた感覚を捨てられないわたしたち高齢者にも、すでに年収200万円を得るのにも事欠く若い世代にも、「成長」という甘美な誘惑を捨てることができない心情があります。
 思えば戦後民主主義は高度経済成長という媚薬を振りかけられ、50年もの間「成長こそが幸福への道」として「遠く速く」と社会も個人も走り続けてきました。
 そして、それが行き詰った後も今に至るまで、わたしたちは成長神話の牢獄に閉じ込められたまま、未だに高度経済成長時代に思い込んでしまった「明日はいいことがある」という根拠のない妄念が捨てられず、暮らしが悪くなる現実から逃げ続けてきたのだと思います。
 アベノミクスが結局は非正規雇用を増やし、日本を格差社会にした後を引き受け、大阪維新の会は、副都心計画という東京追随型・大都市集中型の成長神話で大阪を、そして日本社会を席巻しようとしています。
 それが可能なのもまた、わたしたち大阪人をふくめてこの国の多くの人々にかけられた「成長神話」の魔法が解けないまま、成長に代わるわたしたちの社会共通の希望を見いだせないからなのだと思います。
 その意味において、大阪市民に突きつけられた選択は、大阪市を廃止するしないかという大阪市民の未来を選択するだけでなく、日本社会がこのまま成長神話というカンフル剤を打ち続けて身体を壊していくのか、さらには広域行政による批判を受けつけない意思決定がミニファシズムを呼び込むのか、それとも二重行政どころか多重行政による身近な地域に密着した顔の見える経済と私有経済でも公的経済でもなく、共有経済によるささやかでも豊かな経済を無数の地域で実現しながら、助け合いと、誰ひとり傷つき取り残されることのない新しい21世紀型の民主主義を選ぶのかという、重大な選択を迫られているのだと思います。
 大阪市のみなさん、そんな重大な選択を大阪市民にだけ迫ることになったことに申し訳ない気持ちと共に、この最大の危機の中で2000億円を万博やカジノではなく、自分たちの幸せのために奪われないでいただきたいと、切実に願っています。

悲しい色やね 上田正樹('83)

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2020.10.25 Sun  島津亜矢の「This Is Me」は「瞼の母」で爆発させた魂の叫びが時を越え、ジャンルを超えて届けられた。

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 先日、NHK・BSプレミアムで再放送された「映画音楽は素晴らしい」で、久しぶりに島津亜矢の歌を聴きました。島津亜矢のコンサートもコロナ禍の影響で春の大阪新歌舞伎座も秋の京セラドーム公演も中止になり、わたし自身も2か月以上テレビの歌番組も見ず、この番組の本放送も見逃していました。
 久しぶりに歌番組を見ていると、コロナ禍以前にはなんとなく習慣で見ていた頃とはちがう、どこか切なく、それでいて心安らかにいられる自分をとても幸運に思います。
実際、感染症にかからないまでも体調をくずされたり仕事を追われたりと、歌どころではない切迫した毎日を送られている方もたくさんおられることでしょう。
 ひとはパンのみで生きられないといえども、歌舞音曲のたぐいは不要不急の最たるもので、今年のショービジネスの世界では過酷な選別にさらされ、数多くの才能がうずもれたまま消えてしまうかもしれません。
その中で島津亜矢もまた、彼女の最大の活動の場であるコンサートの相次ぐ中止はとても痛手で、歌を届けられないばかりではなくマネージメントも大変だと思います。

 この番組で彼女は「I Will Always Love You」と、「This Is Me」を歌いました。「I Will Always Love You」は、島津亜矢の洋楽歌唱がはじめて注目された曲です。この曲はバラードの名曲として数々のボーカリストが競って歌っていますが、わたしは島津亜矢がホイットニー・ヒューストンの悲劇的な最後に想いを寄せ、ホイットニーへの追悼歌として歌い続けてくれることを望みます。久しぶりの歌唱はより豊かなものになっていて、島津亜矢のとどまらない努力を感じました。
 驚いたのは「This Is Me」でした。この楽曲は2017年アメリカ映画「グレイテスト・ショーマン」の主題歌で、ゴールデングローブ賞を受賞しました。
 わたしは大阪の北端・能勢町に引っ越してから、緑地公園駅近くに住んでいた頃は頻繁に見ていた映画をほとんど見なくなってしまいました。鉄道が通っていない能勢では一時間に一本あるかないかのバスで最寄りの駅に出なければならず、車を運転できないわたしには大阪に出ていくことは以前ほど簡単ではなく、ついつい見たいと思う映画も見逃してしまうのです。
 まして、わたしはハリウッド映画のようなメジャーな映画は好みではなく、いわゆる単館ロードショーにかかる映画ばかりを見てきましたので、この映画もわたしのアンテナには引っかからずで、この映画の主題歌「This Is Me」も一度も聴いたことがありませんでした。
 ヒュー・ジャックマンの主演最新作「グレイテスト・ショーマン」は、ショービジネスの原点を築いた伝説の興行師、P.T.バーナムをモデルにしたミュージカル映画です。
 この映画では小人、巨人、髭の生えた女性、毛むくじゃらの少年、黒人などこれまで蔑みの目を向けられていた個性の強いメンバーによるサーカスショーが繰り広げられます。
 当時も、そして今でも、人前に出るだけで差別を受け、迫害される彼女彼らのコンプレックスを魅力へと昇華させたバーナムのショーは人気を博します。バーナムは彼らを「みんなと違うから面白い」と、いわゆるオンリー・ワンの個性を持つ人々として讃えていきます。一方で、それを不快な見世物として上から目線で批判するマスコミや、さらには彼らを激しくののしり迫害するひとたちも登場します。障害者を見世物にする興行はかつて日本でも盛んにおこなわれていましたが、まさしく障害者差別以外の何物でもなく、今はなくなりました。
 障害者のサーカスショーの映画と言えば、1932年の問題作「フリークス」を思い出します。この映画では実際の障害者自身が登場し、直視できない観客が次々と席をたったと言われています。 
 わたしは「フリークス」を国際障害者年の一年前だったか、当時の京大西部講堂で障害者運動が主催した「国際障害者年をぶっつぶせ」という企画で、原一男監督作品「さよならCP」との二本立てで視覚障害者の女性と観に行きました。
 彼女彼らの主張は「障害者に対する差別は健全者社会に深く刷り込まれていて、その元凶といえる国や行政主導の『道徳』ではなくなるどころかより陰湿化する」、というようなものでした。このすばらしい企画による映画会は、わたしの人生を変えた大きな事件でした。また、「見られる」障害者差別から「見せる」という反時代的な舞台表現で国家や社会への反逆を試みた寺山修司率いる劇団天井桟敷の初期作品「青森県のせむし男」や「大山デブコの犯罪」を思い出します。
 ハリウッド映画のすごいところは、このようなマイノリティといわれる人々の問題を圧倒的な説得力でエンターティンメント化できるところにあるのでしょう。
 島津亜矢が歌う「This Is Me」を聴いていて、心が震えました。その震えは彼女がいわゆる名曲とされる歌を見事な歌唱力で歌い上げることにあるのではなく、彼女の歌唱ではじめて聴くこの歌にぎっしりつまっている何かが、わたしの心を動かしたのでした。
以前、島津亜矢が座長公演をしていた時の演出家・六車俊治が、「島津さんの歌声に感じる悲しさ、しかし、明るい力強さ、そして、そのまっすぐな心」と、島津亜矢を絶賛した言葉を思い出しました。
 歌怪獣と呼ばれるほどの歌唱力が広く認められるようになった今でも、彼女が歌うポップスも洋楽もややもするとどんな歌でも歌いこなすことにのみに関心が向けられる傾向があります。
 しかしながらわたしは唐十郎がきっかけで演劇の世界に入ったという六車俊治がいみじくも言った「悲しさ」、たったひとりの人間の悲しさを時代の悲しさへと普遍化し表現できる才能こそが、オールラウンドなボーカリストへと進化しつづける島津亜矢の真骨頂だと思います。
 「This Is Me」はまさしく、かつての「瞼の母」で爆発させた魂の叫びが時を越え、ジャンルを超えて届けられた島津亜矢の珠玉の一曲でした。
 映画「グレイテスト・ショーマン」がどんな映画なのか、また「This Is Me」がどんなシチュエーションで歌われたのか、おくればせながらこの映画を見たいと思います。

島津亜矢「This is me」

The Greatest Showman Cast - This Is Me (Official Lyric Video)

ヒュー・ジャックマンも感涙!映画『グレイテスト・ショーマン』「This Is Me」ワークショップセッションの様子
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2020.10.19 Mon 時代の重い扉の向こうに新しい風が 難波希美子さんの町議会議員選挙

人は皆 山河に生れ 抱かれ 挑み
人は皆 山河を信じ 和み 愛す
そこに 生命をつなぎ 生命を刻む
そして 終には 山河に還る
(小椋佳「山河」)

 10月18日に投開票された能勢町長選挙と同時に行われた町議会議員補欠選挙において、難波希美子さんに1287人のひとびとが投票してくれましたが、大阪維新の会の候補が2441票を獲得し、託してくださったみなさんの想いと夢を議会に届けることができませんでした。わたしたちの力がおよばなかったことをお詫びします。
 棚田100選にも選ばれている長谷の棚田の裾野にある「きねんだ」という一等地の農地に水耕栽培のスプラウト工場をつくる計画を知り、自然をこわしてまでもコロナ禍でより不確実になった経済成長の夢にすがりつくのではなく、かけがえのない自然を生かした、顔の見える豊かな経済を能勢の未来に届けたい。町が企業誘致に走る背景にある後継者不足に悩む農林業従事者への思い切った支援と、移住希望者への積極的な働きかけと定住支援の充実、また能勢でも農作物の被害や土砂災害がつづく待ったなしになった気候危機への対応などを町と町民が共に考えていくことを求め、難波希美子さんは町議会議員選挙に立候補しました。 もちろん、これらの問題は能勢町という枠組みだけで解決できないことばかりですが、だからこそ能勢という辺境といえる地域で考え、話し合い、できることを実行しながら、大阪府や国に提案していくことが地域創生時代の市町村の役割とわたしたちは考えます。

 今回の難波希美子さんが立候補した選挙は、能勢町の「大事件」でした。
 空気を読んだり、口当たりのいい言葉や名前の連呼で有権者におもねるではなく、「自然と共生するゆるやかな縮小経済」など反発されるかも知れないことも率直に訴える彼女の姿勢は、能勢のひとびとを信じるがゆえのことでした。
 選挙活動の中で、能勢の町の姿が変わっていくのが実感できました。「きねんだ」の問題を、ざら半紙に白黒で印刷された、けっして見やすくはないチラシを数多くの方々が読んでくださり、「このチラシではじめて知った」、「何が問題なのかわかった」と言ってくださったり、街頭アナウンス車に仕事の手を止めて応えてくださったり、スポット演説を最後まで聞いてくださり握手を求めてこられたりと、日を追うごとにそんなうれしいことが次々とおこりました。
 難波さんのことは能勢町ではそれほど知られてなくて、一か月前から準備を始めた時間に追われる選挙でしたが、わたしたちの想いは確実に広がり、後ろを振り返ると50代、40代の就農者のひとたちがわたしたちを後押し、支えてくれるようになっていきました。
 推薦はがきを書いてくれたり、難波さんの提案を同世代の仲間に知らせてくれました。
若いひとたちだけではなく、80歳を超える高齢の方も「能勢は変わらないと」と隣近所はもとより、友人にも電話してくれて、推薦はがきもたくさん書いてくれました。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの大阪維新の会公認候補が、告示の10日ほど前に立候補を決めたにもかかわらず2441票も獲得できたことは維新の会の人気がすさまじいものであることを改めて感じさせました。すでに能勢の中に熱烈な支持者がたくさんいて、いつでも選挙ができる体制が出来上がっていることを痛感しました。
 それには及ばなかったことは現実ですが、それでもなお、難波希美子さんの場合はほとんどゼロから積み重ねて1287人の請託をいただいたこともまた、たしかな現実です。
 終わってみれば、時代がまだ難波希美子さんに追いついていなかったということでしょう。能勢の未来からの使者ともいえる難波希美子さんのこれからの活動は、今回出会った人たちの力を借りて、彼女彼らと共に現実を未来の輝かしい時代にふさわしいものに変えていくことなのだと思いました。
 応援してくださったすべてのみなさん、日常の仕事をやりくりして選挙の事務仕事をになってくれた能勢農場と能勢産直センター、北摂協同農場、北民連の若い人たち、農業・林業に携わる若い人たち、そしてなによりも、難波希美子さんに大切な一票をくださり、夢を託して下さった1287人の方々に感謝します。ありがとうございました。
 選挙を勝ち負けで語るのではなく、時代の重い扉を開くチャンスとした今回の選挙は、たくさんの宝物を難波希美子さんとわたしたちに授けてくれました。
 少しだけこじ開けた時代の重い扉の向こうに、新しい風に吹かれる能勢の未来が垣間見えた選挙でした。

島津亜矢「山河」 小椋佳作詞 堀内孝雄作曲

ボブ・ディラン「時代は変わる」( The Times They Are A-Changin' )
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2020.10.06 Tue 木村充揮のブルースは人生を語る方言としての大阪弁の復権。能勢Cafe気遊での木村充揮とヤスムロコウイチ

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 10月4日の夜、能勢のCafe気遊で、木村充揮とヤスムロ一コウイチのライブがありました。8月15日にも同じく気遊にて金森幸介と有山じゅんじのライブがあり、2か月もたたないうちに素敵なライブが続きます。
 今回のコロナショックは単に一時の災禍にとどまらず、社会の在り方や生活の在り方が変わり、やむをえず三密を避け、マスクをし、自宅にいる時間が長くなる傾向は続くと思います。そうなると事態の鎮静化しても、自分と他者との距離感や、自分を俯瞰するもう一人の自分との距離感などが絶えず意識され、無条件の一体感を感じるようなカタルシスに酔えず、醒めた心がいつも存在するように思います。
 しかしながら小さなライブハウスやカフェやバーなどで続いてきた弾き語りのライブは、肉声による生の空気感と息遣いや表情など、音楽を身体全体で受け止めるディープな興奮と感動を呼び、今までより一歩踏み込んだ音楽の冒険ができるのではないでしょうか。
 また、演奏するブレイヤーにはごまかしのきかないパフォーマンスを求められますが、そのぶん一度の演奏で深く受け止めてくれるファンを産むチャンスにもなっています。
 運営的に苦しいところはあると思うので、ただ珠玉のライブを楽しむだけのわたしたちももう少しのチャージ料金を負担するべきだと思いますが、気遊さんのライブはこれからの音楽の楽しみ方のひとつの方向だと思います。

 さて、開演時間ちょうどに、ヤスムロコウイチのライブが始まりました。
 このひとの歌をはじめて聴いたのは2年前の「祝春一番」の時でした。春一番はわたしが知らない歌うたいを発見する楽しみがあり、毎年参加していたのですが、その中でもヤスムロコウイチは衝撃的でした。
 このひとのブルースは歌謡曲でもあり、時代の片隅で生きるひとびとの言葉にならない心情を歌っていて、歌謡曲が大好きなわたしは一気に60年代の青い時へとさかのぼり、人並みに恋をし、わけのわからないフランスの思想家の本をぼろぼろになるまで読んでいた甘酸っぱくもほろ苦い日々を思い出すのでした。
 その頃、男3人女3人の6人で共同生活をしていました。周りのみんなはビートルズのファンで洋楽のポップスやロックを聴いている中で、わたしは森進一や青江三奈が大好きな歌謡曲人間でした。
その頃流行ったドロップアウトやヒッピーのような文化も持たず、傍から見るほど退廃的なにおいもなく、共同生活はできるだけお金を使わずに暮らしていくための生活の知恵でした。世の中は70年安保闘争で吹き荒れていて、大学生の運動家が時々隠れ家のようにわたしたちの家に泊まりに来ました。そのうちのひとりはわたしを梅田のジャズ喫茶に連れて行ってくれて、ジョン・コルトレーンの「至上の愛」のB面をお店にリクエストして、曲が終わると「細谷君もそのうち、立ち上がる時がくるよ」といい残し、京都に戻っていきました。わたしが始めて聴いたジャズでした。
歌という歌が恋歌であるように、ヤスムロコウイチの恋歌は切なくて、心の中の独り言のように直接届けられるそのメロディーは、わたしにはるか50年前にビル街のはざまの商店街から聴こえてきた青江三奈の「恍惚のブルース」を思い出させるのでした。メランコリックな歌詞も曲も歌声も、世の中の悲しみをすべて流してしまう激しくて切なくてやさしいギターの音に身を任せてわたしは、わたしにもあったはずの「青春」の風景を思い出していました。このひともまた歌でなければならない歌を歌う、蛇使いならぬ「歌使い」だと思います。

強くなくていい 負けてばかりでいい
ぼくと君にしか 見えないものがある
それが痛みでいい 悲しみでかまわない
雨が上がるまで 二人でずっと夜を見てた
(ヤスムロコウイチ「夜を見てた」)

休憩をはさんで木村充揮が現れ歌いだすと、今度は一気に大阪の下町の、アスファルトやコンクリートに覆われる前の土の匂いのするブルースが立ち上がりました。におい立つということばがぴったりの彼のだみ声はわたしの心の奥深くにどこまでもしみこみ、今度はわたしを青い時からさらにさかのぼり、小学校の頃の風景にわたしを連れて行ってしまうのでした。
歌っているのと同じくらい、ダジャレを連発しながらつづく客との掛け合いは、実はメロディーやリズムがなくてもそれもまたトーキングブルースなのだと思います。
彼のブルースは大阪の街にあふれるたくさんの大阪弁をコラージュしたいくつもの物語をつくり、遠く離れたアメリカ大陸の土着のブルースを引きはがし、大阪にしかない土着のブルースとなって帰ってくるのでした。
大阪と大阪のひとびとを見つめるやさしいまなざしと、国家や社会的な権威や、何ものにも依存しないアナーキーな心を隠し持つ彼のブルースを聴くと、大阪弁が方言であることを思い出します。いつからか、おそらくジャニーズよりも深く広く全国の行政に入り込み、今の芸人による翼賛体制を着々と推し進める吉本グループによって、大阪弁はもう一つの標準語になってしまったかのようです。
 木村充揮のブルースは、方言としての大阪弁の復権を感じます。かつて寺山修司が「標準語は政治や経済を語る言葉になってしまった。人生を語るに足るのは方言しかない」と言いましたが、彼はまさにエセ標準語に成り下がった大阪弁を取り戻し、方言によって人生を語るブルースを歌い続ける抵抗の詩人だと思います。もっとも、こんな思いはわたしだけの妄想で、彼にちゃんちゃらおかしいと笑われることでしょうが…。
 もうひとつ、誤解に誤解を重ねると、今隆盛を極める維新の会はエセ標準語による都構想で、方言としての大阪を完璧に壊そうとしています。かつての大阪人は東京なんて軽蔑する都市でしかなく、大阪が日本から独立してもいいぐらいの気概で商売をし、つらいことを笑い飛ばし、独自のかけがえのない文化をつくってきました。
大阪人の経済は新自由主義とは程遠い、「儲かりまっか」「ボチボチでんな」と声を掛け合う顔の見える経済で、肩ひじ張らずに助け合う素晴らしい経済でした。ゆめゆめ「副都心」計画など東京への劣等感丸出しの維新の会の野望とは程遠いと思います。東京が諦めかけている「成長神話」と、土光臨調から面々と続く公務員いじめをしている間に、それに乗せられてきたわたしたち大阪人は、肩を張らずにおせっかいすぎるほどの親切な心を忘れかけているのかも知れません。
 この日、木村充揮が歌ってくれた「天王寺」を聴くと、ほんとうに涙が出ます。この歌にあふれる人情の町・大阪を、維新の会は壊そうとしているのだと改めて強く感じます。ダムによってひとつの集落が存在しなくなったように、大阪の街が400年にわたって記憶しているすべてが消えてしまったことを後悔することのないようにしたいものです。いやすでにかけがえのないたくさんの風景と匂いと思い出がなくなってしまいましたが…。

大阪ミナミの玄関口は 通天閣がそびえ立つ天王寺
坂を下って新世界 動物園に茶臼山
おっちゃんおばちゃんアベツクさんと
家族連れまで気楽に過ごす
これがオイラのふるさと天王寺
(木村充揮「天王寺」)

ヤスムロコウイチを呼んでの掛け合いは漫才のようで、ヤスムロコウイチはほんとうに木村充揮を尊敬しているのだなと思いました。
 ヤスムロコウイチのギターはソロの時よりもたたみかけるギターの音色が木村充揮のブルースにピッタリ寄り添っていて、とても気持ちが軟らかくなりました。
 アンコールの「胸が痛い」は圧巻で、涙が止まらなくなりました。
 木村充揮さん、ヤスムロコウイチさん、素敵な時間をありがとうございました。
 また、これだけ声質の違う声のそれぞれの個性を消さずにバランスをとる村尾さんのPAはさすがでした。ありがとうございました。
そして音楽を底抜けに愛し、音楽のすばらしさをいつも教えてくれる気遊のマスター・井上さんとお店のスタッフの方々に感謝します。

ヤスムロコウイチ「夜を見てた」


木村充揮&大西ゆかり@天王寺 祝春一番2008

木村充揮/胸が痛い

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