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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2022.05.05 Thu 大椿ゆう子さんとわたしたちのあつい夏 憲法記念日に

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 憲法記念日の3日は、大阪扇町公園で開かれた憲法集会の後、大椿ゆう子さんのキックオフ集会に参加しました。ロシアのウクライナ侵攻により、日本でも「平和を守り、国を守る武力が必要」と、憲法を変えるのに賛成の人が反対を大きく上回る結果になりました。
 武力を持つことでしか平和は守れないと多くの人々が思い始めたら、世界は核兵器も含めて際限のない軍拡競争へと後戻りしてしまいます。地球よりも重いいのちが何千万も失われた戦争への反省から、二度と理不尽な暴力を行使せず、平和的で助け合う世界の実現を夢みてつくられた日本国憲法は、一国の憲法を越えた人類の宝物なのだと思うのです。
 さらには今回のロシアのウクライナ侵攻は、かつてわたしたちの国家もまた朝鮮半島から中国、東南アジアを侵略し、無数のいのちを奪ったことを忘れないためにこそこの憲法があることをあらためて教えてくれました。
 いま、戦争を体験したひとたちが、自分の家族や恋人、友人を守るためと言い聞かせて、自分の命までも差し出さざるを得なかったかなしみを受け止める政治家がどれだけいるでしょうか。いままたその大きなかなしみをわすれ、同じ轍を踏もうとする力に対置しなければ、数多くのつらい証言を残してこの世を去って行ったひとたちにも、これからの時代を担うひとたちにももうしわけがたたないと思います。
 わたしもふくめて戦争を知らない世代がほとんどになった今、社民党の存続をかけた今度の参議院選挙は、まさに武力に頼らず平和な世界をめざす日本国憲法を守り、先人たちの涙を無駄にしないための選挙でもあります。
正規労働者の雇止めを経験した当事者として労働者の使い捨てを許さない大椿ゆう子さんは、同時に国家のためにひとびとを使い捨てにしない政治を実現しようとする稀有の政治家のひとりだと思います。
 集会は大盛況で、たくさんのひとたちが大椿ゆうこさんに切ない夢と希望を託し、日々活動されていることを実感しました。わたしも、その中の一人になりたいと思います。
 大椿ゆう子さんとわたしたちのあつい夏は、もう始まっています。

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2022.05.04 Wed バラの花咲く街角はどこにある? 唐組「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」

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 誰か知る相愛橋のある横丁。すえたドブ川の袂にあるうらぶれの傘屋に、今、聖にして醜怪な万年少女が、おちょこの傘さし飛んでくる。傘屋を営むおちょこは修理を頼みに来た客・石川カナを慕い、彼女に「メリー・ポピンズの空飛ぶ傘」を持たせたいと願う。そのため居候・檜垣を相手に日々飛行実験を繰り返している。
 カナはかつて起こした大物歌手とのスキャンダルにより妄想と現実を彷徨い、今夜この街を去ることを告げに傘屋にやってくる。不在のおちょこの替わりに対応した檜垣は、カナが、以前自分が担当していた歌手のスキャンダルの元凶だと気がつく。果たしておちょこはメリー・ポピンズの傘で、バラの花咲く街角へカナを誘うことができるのか?

 5月1日、神戸湊川公園で上演された唐組第68回公演「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」を観に行きました。新型コレラ感染症は終結までにあと何年かかるのか見当もつかない上に、ロシアによるウクライナ侵攻により理不尽にも奪われる無数のいのちと、破壊つくされる街の映像が心を深く傷つけてしまう…。今、わたしたちが生きる世界は遅すぎた世紀末なのでしょうか早すぎた歴史の終わりなのでしょうか。暮らしが、人と人とのつながりが、世界が、取り返しのつかないところに来てしまったと誰もが感じていることでしょう。
 唐組の赤テントに一年に一度潜り込み、あっちの世界とこっちの世界をつなぐ迷路をさまよいながら、失くした夢と拾った夢を抱きしめてきたわたしは、これまでになく遠い空にこれまでにない悲惨な夢をこれほどまでに哀しい希望に変える錬夢術を、唐組の芝居「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」に激しく求めました。世界を埋め尽くす暗い墓場からバラの花咲く街角へ、わたしたちも世界中の人々も飛び立つことができるのでしょうか。
 1976年に状況劇場で初演されたこの芝居は、森進一が婚約不履行で訴えられた事件に着想を得ています。法廷で争われたこの事件は、原告女性の事実無根の妄想と虚言であることが明らかにされ、森進一の全面勝訴でおわっています。
原告女性の訴えによると、森進一の熱烈なファンだったこの女性は無理やり関係を迫られ、その結果、彼の子供を妊娠したと主張していましたが、森進一本人とは一度も面識がなく、結婚したいがための妄想と虚言であったということでした。そして、裁判の途中に森進一の母親が自殺しました。原告女性が入院していた母親の見舞いに押しかけ、親しくなったことが妄想を抱くきっかけになったことを苦にしてのことといわれています。
 この芝居はその後日談として女性・カナと、彼女が去ろうとする相愛橋の横丁の傘屋・おちょこ、大物歌手の元マネージャー・檜垣たちが織りなす、愛と妄想の一夜の物語です。
 おちょこ傘とは、突風で傘の骨がひっくり返り、おちょこのようにしぼんでしまうことをいうのですが、その女性、石川カナに傘の修理を頼まれた傘屋・おちょこは彼女に片思いをしていて、彼女のためにメリーポピンズの空飛ぶ傘をつくろうと試行錯誤しているのでした。その傘を自分のためにつくろうとしているおちょこの心を抱いて、カナはバラの花咲く街角に行けるかも知れないと夢見るのですが、一大スキャンダルの当事者であった彼女は過去の妄想にとり憑かれ、元マネージャー・檜垣も巻き込まれていきます。
 そこでは彼女の真実は妄想なんかではなく、その真実を覆い隠され、抹殺してしまった大物歌手と母親、そして妄想と片づけ、忘れてしまう世間に真実を明らかにしたいという切ない願いと恨みが彼女を暗闇の過去に引きずり込むのでした。
 唐十郎の芝居に必ずといっていいほど立ちあらわれるいくつもの妄想は、いりこの鏡のように新たな妄想を際限なく産み続け、いつしか行方不明の真実をよみがえらせるのですが、この芝居では一方は世界をも埋め尽くす暗い記憶と妄想の墓場、もう一方はまだ見ぬ夢のバラの花咲く街角と、そのふり幅が最も広がっていて修復不可能なように思います。
 それがゆえに、カナとおちょこと檜垣の顛末はとても悲しいものでした。
 それは今、ウクライナで起こっている理不尽な悲劇と奇妙に重なっているようにわたしは感じました。この修復不可能でいびつになった世界は彼女の妄想というもうひとつの真実を保健所という国家の檻に閉じ込めてしまうのですが、わたしもまた事の真実や正義とは遠く離れた牢屋の中で、作為的にも思えるテレビやSNSの映像を見ているのでした。
この過酷で心えぐられる暴力のるつぼのような袋小路で、おちょこの純情な心だけが傷つきながらも死んでしまった檜垣を抱えて空に飛び立つ姿は、壊れてしまった世界でそれでもなお誰も傷つかず誰も命を脅かされることのないかがやく明日を願うわたしたちの切ない希望なのかも知れません。

 もしなんだったら檜垣さん、あんたもカナさんの町へ行かねえか?な、僕はとうからそのつもりでいたんだよ。もしかしたら、あの人より先に、バラの花咲く街角に着いちゃうかもしんねえな。さあ、ゆこうよ、檜垣さん。

 唐十郎の芝居ではその時その時のはやり歌と、唐が作詞し、古くは小室等が作曲したテーマソングが物語を支えているのですが、今回の芝居では森進一の「冬の旅」とフィル・オクスの「No more song」の出だしの「ハロー、ハロー」が効果的に使われています。
 とくに「No more song」はこの芝居の匂いを醸しだすだけでなく、取り返しのつかないまま世界の果てまで落ちていく悲劇の水先案内人の役目を果たしていました。「さようなら、このハローが別れの言葉だなんて……」、檜垣の最後のセリフを聴きながら、思えば芝居の最初から流れていた「ハロー、ハロー」がカナとおちょこと檜垣の哀しい運命を暗示しているようでした。
 フィル・オクスはボブディランと肩を並べるプロテストソングを歌うシンガー・ソングライターでしたが、この芝居の初演の年、1976年に自殺しました。この年の一年前にベトナム戦争は終結し、それまでの10年のすさまじい熱風が通り過ぎた後の一瞬の静けさの中で、世界も日本もわたしたちも大きな転換期を前に、次の時代へのそびえたつ大きな扉の前でたちつくしていました。日本では経済の高度成長から安定経済へと移り変わる時にロッキード事件が発覚し、政治に対する不信感が現在までつづくことになりました。
 物哀しいこの歌は時を越えて今、殺戮と破壊が繰り広げられているウクライナの大地へと流れて行く一方で、わたしたちの足元に迫る軍靴の響きと共鳴するかのようでした。
 唐組公演は昨年から大阪から神戸にうつりましたが、演出を担当する久保井研によると、昨年から大阪市が公園使用を許可しなくなったようです。大阪市も大阪府も公園の民間活用を進め、おしゃれなカフエなどがつくられるなど、公園の私有化を進めていますが、大阪に住む者として、テント芝居を許可しない行政を恥ずかしく思います。

フィル・オクス「No more song」

森進一「冬の旅」
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2022.03.29 Tue 身捨つるほどの祖国はありや どれだけの人が死ねば平和になるの?

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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
(寺山修司)

 ロシアによるウクライナ侵攻という暴挙から1か月、わたしはブログにもフェイスブックにも記事を書くことができませんでした。もちろん、ウクライナ各地で市民の命がうばわれることに憤り、すぐさま抗議の行動をおこした近くの友人たちに気後れしつつシンパシーを感じました。
 同時多発テロで始まった21世紀は、誰もが思い願ったはずの平和と人権の世紀とは程遠く、世界各地でのテロと国家による暴力で塗り替えられ、ついには冷戦時代に逆戻りするかのような侵略という形で、「国家」が自分に都合のいい正義に言い換えて人々の命を蹴散らしていく…、そのひとひとつがかけがえのない愛おしいたましいであることなど、国家を支配する権力にはなんの意味も持たないのでしょう。
 暮らしと街と家々を破壊され、家族や友だちの命を奪われ、今この瞬間にも自分のいのちさえ危ぶまれる状況にいるウクライナの人々が、「祖国」を守るために武器を持ち、戦場と化した街で戦い続けようと思うのは、あたりまえのことなのでしょう。たとえ武器を持って戦うことでさらに多くの命を奪い、自分の命さえも奪われるかもしれないとしても…。
事実、ウクライナ国民の半数が「国を守るために戦う」という報道もあります。
 遠く離れた安全な場所で何を言っても無責任だと無力につつまれる中、それでも誰もがそうであるようにひとりの独裁者の野望から始まったとされるこの戦争をどうすれば止められるのか、これ以上の犠牲者を出さないためにどうすればいいのかと、思いまどい考えこんでしまうのはわたしひとりではないと思うのです。経済制裁で止めることができるのか、というより、ロシアの人々が困窮して独裁政権を倒すことを期待してしまっていいのか、国家としてのウクライナの「正義の戦争」のために武器を提供し、ロシアの撤退を実現することで戦争を止められるのか、ウクライナの大統領が言うように、ウクライナの戦いを支援することが世界の「自由と人権と民主主義」を守ることなのか…。
 この一か月の間、家族のために、祖国のために戦うウクライナの人々に心揺さぶられる一方で、徹底抗戦する勇気を讃える報道に息苦しくなります。報じられているようにロシアの人々にこの戦争の真実が伝わっていないとしたら、わたしたちもまたバイアスのかかった情報を真実と思い込んでいないのかと、自分自身を疑ってしまうのです。ゼレンスキー大統領の異例の国会演説が行われ、国会議員がスタンディングオベーションする光景を見ていて、今までにない同調圧力に恐怖さえおぼえ、屈折した感情はますます深く広がっていく一方です。
 シリア、パレスチナ、ミャンマー、香港、イエメン…、世界各地の内戦や紛争について、わたしたちは今回のようにたくさんの情報を得ようとしてきたのでしょうか、おびただしい命が奪われ続けている現実に向き合ってきたのかと思うと心が寒くなります。
 世界戦争になるかもしれないウクライナの危険な現実を前に、他人ごとではないと日本の防衛力を強化し、憲法を変え、核の共有をも検討すべきだとするひとたちが声高に発言しています。とくに、チルノブイリ原発をロシアが攻撃したことから、原発の防御の脆弱さが指摘されていますが、原発にミサイルが落とされたら大惨事になることはわかっているのですから安全保障上、真っ先にすべきことは原発を即時廃止すべきなのではないでしょうか。それから後でもこの人類の負債をかえしていくために100年単位の時間が必要なのですから。
 そして、起こされてしまった戦争を人道上に立って止める呼びかけをロシアのプーチン大統領にできる日本独自の外交はなかったのでしょうか。安倍晋三氏が首相時代にプーチン大統領と20数回も会談した間柄なら、侵略行為をやめるように進言することはできなかったのでしょうか。それができない彼のロシア外交は何の意味も持たなかったことをきびしく検証すべきだと思います。
 今回のロシアの暴挙は、新自由主義とグローバリズムで一掃されかけたと思える「国家」という暴力装置が冷戦後も確かに存在し、世界はベルリンの壁の崩壊から実は変わっていないことを証明しました。ベルリンの壁の崩壊を「社会主義」の崩壊としてしまった西側の「自由と民主主義」もまた、そこから崩壊の道を歩んできたのではないかと思います。あの時、「西側」の人々は壁の向こうから押し寄せてきた人々を自分たちのシステムにはめこむことで迎え入れてしまったけれど、ほんとうは彼女彼らから学ばなければならないことがあったのではないかと思います。社会主義の夢はすべて悪夢であったとは言い難く、新自由主義の夢もまたいい夢ばかりではなかったのですから。世界中で膨大な死者と飢餓を引き起こし、格差が人々を苦しめてもまだ成長神話が豊かな自然を荒野と化していく…。
 わたしたちはかなわぬまでももう一度1989年に立ち戻り、社会主義の夢を貶めてしまった全体主義・国家主義からも、自己責任という言葉で簡単に人の一生をきりすててしまう新自由主義からも解放された新しい世界のあり方を探さなければならない時代を生きているのだと思います。
 日本政府はウクライナの避難民を受け入れることを決定しましたが、これを機にあらゆる地域の難民の受け入れと外国人労働者への差別的な政策をあらため、彼女彼らから新しい日本社会の在り方を学ぶきっかけになればいいと思います。
ふりかえれば私が生きてきたこの75年の間ですら、世界でも日本でもおびただしい数の命が奪われ、子どもたちの悲鳴がたえることはなかった。ましてや、わたしが生まれる前のずっと昔から、どうしてこうもわたしたち人間は武器を持ち暴力を振るい、他者をきずつけ自分もきずつけることをやめられないのかと、暗澹たる思いになります。
 また、気候危機のただ中で大きな自然災害が起きるたびに、「ひとは助け合わなければ生きていけない」と何度も何度も思い知らされるのに、どうしてこうもそのことを忘れ去り、「助け合うこと」や「ともに生きること」や「平和に生きること」は取るに足らない甘い幻想・理想と片づけてしまい、誰も助けてくれないし、誰も助けられないうすら寒い「厳しい現実」を掲げ、「自己責任」という牢獄に自らを閉じ込め、それに従わない者には命までも危うくなるような見えざる正義という暴力を平気でふるってしまうのでしょうか。
 失われた命と失われた未来、失われた夢と失われた希望がたどり着くはずだった行く先に思いを巡らし、この理不尽な現実を教訓にどんな社会をめざし、つくりだすのかは、今を生きるわたしたちの役割ではないかと思います。

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2022.02.21 Mon 死にゆくための民主主義・映画「蕨野行(わらびのこう)」 追悼 恩地日出夫監督

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 1月20日、映画監督の恩地日出夫さんが亡くなられたと知りました。恩地日出夫さんは東宝青春映画を代表する監督でしたが、テレビドラマでも活躍し、特にオープニング映像が話題となった「傷だらけの天使」の萩原健一、水谷豊をはじめ、若い俳優を育てた方でした。
 少し時間がたってしまいましたが、恩地日出夫さんが監督された「蕨野行(わらびのこう)」の箕面での上映会に関わったことがあり、追悼の思いを書かせていただきます。

 2003年に発表された「蕨野行(わらびのこう)」は、芥川賞作家・村田喜代子の同名小説を映画化したもので、構想から8年、山形で1年に及ぶ長期ロケを敢行した渾身の力作でした。
 江戸中期、ある地方の寒村、その村には隠された掟がありました。60歳を迎えた者は家を出て、人里離れた原野に移り住まなければならないのです。そこは蕨野と呼ばれ、老人たちは里へ下って村々の仕事を手伝うことでのみ、その日の糧を得ることができます。この過酷で理不尽な掟は、数年に一度必ず訪れる凶作を乗り切り、若い者の食料を確保するために定められた昔からの知恵なのでした。
 60歳になったら身分や貧富などのどんな条件もなく、老人たちはわが身を蕨野に捨てに行きます。体力のないものからひとりふたりと死んで行きます。その過酷な状況の中で、老人たちは不思議なコミューンをつくっていきます。
 死んでいくための厳しい共同生活なのに、なぜかしら老人たちの心が解放され、助け合って生きるさまや、正直でこっけいで美しく、生き生きとした姿が目に痛いほどの自然の美しさに溶けていきます。とても悲しい物語なのに、映画は観る者の心をぐっと突き上げ、深い感動を残してくれます。
 恩地さんの盟友でもあった市原悦子さんや石橋蓮司さんなどベテランの俳優が出演し、オーディションにより1200人の応募者から選ばれた清水美那さんがその瑞々しい演技力で山路ふみ子新人女優賞に輝きました。
映画「わらびのこう 蕨野行」は、福祉が進んだといわれる現代にするどい問題をつきつけていると思います。福祉関係者にも高齢者にも受け入れがたいと拒否されるかも知れません。
 日本に伝えられる棄老伝説もヨーロッパにおける阿呆船も、不都合とされたひとびとを追放し、棄てるのは社会の方です。ところが「蕨野行(わらびのこう)」においては、追放し棄てることを決め、実行するのが他ならぬ老人たち自身なのです。長老達はこれから村を経営してもらわなければならない若い者たちに生きてもらい、自分たちは死んでいくことを選びます。
 思えば近代はこんなことがないようにと産業を興し、福祉を進めてきたのだと思います。障害があるから、年老いたからといって死ななければならないのは理不尽なことです。しかしながら高齢者の思いとかけはなれた福祉施設を充実し、保護することで、彼女彼ら自身が人生を設計し、生と死と向き合う勇気をも奪ってきたのかも知れません。この棄老物語は、福祉の充実そのものが当事者を不幸にしてしまう場合があることを気づかせてくれるのです。
 老人たちが死ぬ前に実現したコミュニティーは、人間の最後の希望ではありますが、蕨野のコミューンは、いわば死ぬための民主主義だったこともまた悲しい現実です。
 だからわたしたちの民主主義は生きるための民主主義でありたい。蕨野の近代化ではなく社会の蕨野化、蕨野を社会の周辺に作るのではなく社会のいたるところに蕨野という、人生を再設計し再発見する休憩場所を用意する福祉システム、どんな状況になっても助け合って生きていける本当に強くて豊かな社会こそが望まれるのではないかと思うのです。
 恩地日出夫監督はこの作品を発表された当時、「“介護”という考え方でしか、老人の死をとらえない社会常識は間違っていると思います。老人を“優しく扱う”ことが本人のためというより、老人を見送る側の人のために行われている。死んでいく人たちの意思や誇りについて考えるべきです」と語りました。

 2005年、わたしは当時在住していた箕面で開かれたこの映画の上映会に関わりました。実は、豊能障害者労働センターの黎明期から応援して下さった恩人の一人、Hさんの娘さんが恩地監督の連れ合いさんで、Hさんより映画が完成する前からこの映画の製作撮影の経過を伺っていて、箕面で上映会をすることを計画していました。
 このころのわたしは高齢者の問題を家族介護から介護保険による制度としての介護の問題として語られてしまうことで、当事者である高齢者・老人の居心地が悪くなっていくことに疑問を持っていました。
 そんな想いから「老いることはいけないことなのか」と問い、「森の中の淑女たち」と「午後の遺言状」の上映会を開き、「人生は謎」と語る映画の中の老人たちにシンパシーを持ちました。
 しかしながら、山田太一のテレビドラマ・男たちの旅路シリーズの「シルバーシート」で、バスジャックをした笠智衆が鶴田浩二に「あんたはまだ若い、20年たったらわかる」といった言葉がずっとひっかかっていました。あれから17年、今年75歳になるわたしは、少しだけあの名言がわかりかけたような気がします。

 2005年10月22日(土)、映画「蕨野行(わらびのこう)」上映会は盛会で、恩地監督は記念の講演会も引き受けてくださいました。
 上映会の実現に力を下さったHさんは亡くなられましたが、箕面の桜ケ丘のご自宅に月に一度ほどお招きいただき、お茶をいただきながらいろいろなお話を聞かせてくださった時間は、今でも心に残るわたしの宝物です。
 恩地日出夫さんの訃報を知り、たくさんの思い出が次々と蘇ります。
 ここに心よりご冥福をお祈りしますとともに、いまさらながら改めて、この映画の上映会にご協力をいただいたことを感謝します。

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2022.02.12 Sat 河野秀忠さんの遺言とベルリンの壁をこわして獲得した「自由」の行方と「ヘイ・ジュード」

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 NHKプレミアムカフェ「世紀を刻んだ歌-ヘイ・ジュード・革命のシンボルとなった名曲」を見ました。この番組は2000年に放送され、大きな反響を呼んだ番組のアンコール放送でした。わたしはリアルにこの番組を見たひとりですが、今回改めて見るとその当時の熱気を思い出しながらも、いろいろなことを考えさせられました。
 ソ連の民主化の動きは東欧の社会主義諸国にも波及し、1989年にポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどで相次いで共産党政権が崩壊しました。そうした「東欧革命」の頂点が東西冷戦の象徴だったベルリンの壁の崩壊でした。ソ連・東欧の共産主義独裁体制もその年崩壊へと向かい、戦後の世界を東西に二分してきた冷戦体制が終わりました。世界はこれから自由と人権が尊重される民主主義と市場経済によって平和で豊かな時代に入ると、多くの人は思ったことでしょう。
 冷戦が終わり、ソ連と東欧諸国が市場経済に組み込まれることで、世界市場が一気に拡大し、今日に至るグローバリゼーションが始まりました。かつての西側諸国の多くは、当時のレーガン米大統領やサッチャー英首相をはじめ、共産主義諸国の政治体制の崩壊を資本主義の勝利だと言いました。そして、共産主義を国家主義・全体主義と同一視し、共産主義そのものが民主主義と対極にあり、国家によって個人の自由が制限され、時には人々の命さえ奪われてしまう社会と決めつけてきたように思います。
 あれから30年たった今、確かにロシアや中国、北朝鮮という全体主義もしくはそれに近い強権国家が国内の人々のみならず、香港の人々への人権抑圧など武力によるプレザンスを誇示しています。一方で「民主国家」を名乗るわたしたちの社会ではますます共産主義イコール恐怖政治・全体主義というステロタイプな印象操作が極まり、「新冷戦時代」が始まっているのでしょう。
 しかしながら、共産主義かどうかよりも、全体主義国家はそれ以前も以後もさまざまな時代に世界のさまざまなところで誕生し、無数の命を今も奪っています。ほんの少し前のわたしたちの社会もその例外ではありませんでした。(わたしが子どもの頃、明治の最後の年に生まれたわたしの母は、「政治のことは家族同士でもしゃべってはいけない。特高警察に連れていかれる」と、そのトラウマは消えることはありませんでした。)
 そして今、30年前のバラ色に思えた資本主義や民主主義はすっかり色あせ、行き場のない袋小路から抜け出せず、とても危険な橋を渡っていると思うのはわたしだけではないでしょう。我が世の春とばかりに自らを正義とする新自由主義は、豊かな者は自分の能力や権力を誇示し、貧しいものを自己責任と決めつけ、「共産主義より優れている」はずの社会の中で格差と分断が取り返しのつかないところまで来ています。その結果7人に1人の子どもが貧困で、心休まるはずの家庭では虐待が絶えず、小学生までもが自ら命を絶ってしまう理不尽で悲惨な現実と、ヒステリックで刹那的な社会をつくりだしました。
 こんな社会を、30年前のわたしたちは望んでいたのでしょうか。
 30年前、そのことに警鐘を鳴らした河野秀忠さんの言葉を何度も何度も思い出します。ベルリンの壁が市民の手によって壊され、世界が歓喜に包まれたと報じられたその時に、ベルリンの壁をハンマーで壊す市民が手にする自由が、同時に障害者を差別してきた暗い歴史をも内包していると鋭く論じた河野さんが見すえた世界のありようは、昨今の世界と日本の現実そのものだと思います。1989年の天安門事件とベルリンの壁崩壊という、歴史上の大事件の余震が続く1990年1月、河野さんは次のように書いています。

 わたしたちが呼吸している、時代と歴史というナンギなシロモノは、どうしてこうも「赤い血」を要求したがるのだろうか。中国で流された多くのひとたちの血は、それが歴史を選択したひとたちの意志であったとしてもいたましい。
「共産主義VS民主化」という構図で語られている、激動のヨーロッパや、日本以外の諸国の動きが、流された血の重さとは関係なくひとり歩きしているように思われるのは、うがち過ぎのカングリだろうか。共産主義イコール悪、民主化イコール善という、日本人好みの勧善懲悪論で語られる程、コトは簡単ではなかろう。
 では、民主化は正しい方法なのか、当然生活者たるひとびとの生活の中から生まれたチエとしての、方法選択として民主化があり、その方法が批判と反批判のシステムを持ち、自らを変革し続ける限りにおいて、おおむね正しいといわねばならない。しかし、自己を変革する意志を放棄すれば、例えそれが民主化であろうと、ひとびとの頭上に君臨するだけだろう。
 障害者運動は、いつもそこのところを主張してきたといっても過言ではない。
 障害者といわれるひとびとが、単に「資本の能力主義」によってのみ疎外されてきたのなら、コトは簡単で、資本の論理のみが敵として、ひとびとによって打倒されればいいのだから。
 だが、障害者を疎外する差別の論理は、資本のみにあらず、ひとびとのあらゆる生活場面に根づき、リキを持ち、ひとびとの支持を獲得している事実がある。
 愛とやさしさの名において、障害者を「普通の社会」から放逐してきたのは、他ならないひとびとなのだから。歴史の論理として、そういうひとびとは、打倒されなければならないとわたしたちは、考えるのだがいかがなものだろうか。
 その際に流される血は、健全者社会を構成するひとびとの側から出るのではなく、放逐され続けてきた障害者側から流されてしまうことを防ぐのが、わたしたちの「運動」というものだ。
                    (豊能障害者労働センター機関紙「積木」1990年年頭所感(抜粋) 河野秀忠)

 そんなことを思い出しながらこの番組をあらためて見ていると、なぜか涙が止まらなくなりました。30年前、ソ連をはじめとする一国社会主義の牢獄に閉じ込められ、長い苦しみとたたかいの果てに、ベルリンの壁のがれきから立ち上がった人々が夢見た社会は、エリートや特権階級を利するだけで不平等を拡大するばかりの新自由主義に支配される社会ではなかったはずです。あの時、彼女彼ら、そしてわたしたちは共産国家からあふれ出た人々の自由への切望と民主化が「こちら側」で終わるのではなく、実はわたしたちの社会のありようもまた変わらなければならない始まりだったことを学び損なったのでした。
 時代の扉が開き、光が差し込む朝にひと切れのパンとともに獲得した自由は、ひとびとがあたりまえに暮らし、安全で平和で、だれもがこの世界のかけがえのない個性を持ち、民族や性別や性的思考や出自などをアイデンティテイにとどめず、ちがいを力として助け合う、そんな数世紀を渡って途切れそうになりながらつないできた切ない夢を実現するためにこそ、わたしたちに手渡されたものなのだと思います。
 そんな大きなクエスチョンを飲み込んだ上で、それでもこの番組から改めて聴こえてきたビートルズの「ヘイ・ジュード」も、マルタ・クビショヴァの「ヘイ・ジュード」も、わたしの心を激しく突き動かしました。流れる涙には悲しさと希望が入り混じっていました。
 革命のシンボルとなった「ヘイ・ジュード」は、たったひとりのひとのために歌われたラブソングだからこそ、若きマルタの心の奥深くに届いたのだとわたしは思うのです。
 わたしに「歌には力がある」と確信させ、「音楽は必要とする人の心に届く」ことを教えてくれたのは、この番組で流された「ヘイ・ジュード」でした。
 そして、すべての革命歌はラブソングであることも…。

Paul McCartney - Hey Jude(Live)

Hey Jude -- by Marta Kubišová
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