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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2022.06.26 Sun 音楽もまた傷つき、悲鳴を上げながら避難してきたのだと…。デュオ フェイギン 桜の庄兵衛コンサート

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 6月23日、豊中市岡町駅の近くの「桜の庄兵衛」ギャラリーで開かれた演奏会に行きました。2015年、ドイツで活躍する友人のヴィオラ奏者・吉田馨さんが出演した演奏会に参加した縁で、定期的に開かれる演奏会にたびたび訪れるようになって7年の月日が流れました。
 クラシックの室内楽が中心の演奏会で、わたしはそれまで(実は今も)クラシックをほとんど聴かない暮らしでした。とは言っても今年で75歳になる年月を重ねればある程度のたしなみは持っていても当然ですが、わたしの場合は恥ずかしながらクラシックの演奏会に行ったことは数えるほどで、テレビなどで流れている聞き覚えのある曲のこともまったくわからない始末です。そんなわたしがこのごろたまにテレビのクラシック番組を見るようになったのも桜の庄兵衛さんのおかげと感謝しています。

 桜の庄兵衛さんから案内が来るたびに、今度はどんな人がどんな音楽を届けてくれるのかとわくわくしながら会場へと急ぐわたしですが、江戸時代に建てられたお屋敷の門をくぐると四季折々に姿をかえるお庭に迷い込む風がさわやかな前奏曲を奏で、ギャラリーへと招き入れてくれるのでした。
 今回のプログラムはドミトリー フェイギンさんのチェロ、新見フェイギン 浩子さんのピアノで、ご夫婦のお二人はソロはもちろん、デュオでも活躍されていて、今回の演奏会は桜の庄兵衛さんと縁の深い「堀江ファミリー」とのつながりで実現したのでしょう。

 ドミトリー フェイギンさんが静かに登場し、バッハの「無伴奏チェロ組曲6番ニ長調」を弾き始めました。沈黙を突き破る初めの一音でクラシック音楽を全く知らないわたしでも心がかきむしられるような激しい感情におそわれました。
 といって、演奏自体はあざとい感情移入もなく、天賦の才能と長い演奏経験がなければコントロールできないはずの音楽空間をチェロの奏でる一音一音でつくりだす現場の息づまる緊張感に包まれながら立ち会うことができたのでした。
 わたしたちは、いつ終結するのかわからない新型コロナ感染症と、4か月に及ぶウクライナ戦争、しかもこの日は沖縄追悼の日でもあったこともあり、どうすればこれからを生きる世界の子どもたちに平和で安心できる未来を用意することができるのか、どんな希望と願いと切ない夢がわたしたちを待っているのかと思いまどう毎日を過ごしています。
 演奏する人も演奏を聴く人も、忘れてはいけない悲惨な歴史と世界が直面する理不尽な現実を避けることができない状況の中で、それでも音楽は今、立ち尽くすわたしたちの心に奇跡的に届けられたのでした。
 ロシアとウクライナのどちらにもルーツを持つドミトリー フェイギンさんの心情がどれほどのものかと軽薄に推し量ることほど失礼なことはありませんし、彼もまたその状況におもねるような演奏やコメントを排し、凛として音楽への渇望に徹した素晴らしい音楽を届けてくれました。実際のところ、なんとなくチェロは低音で癒やしの楽器と思っていましたが、これほどまでに激しく優しく悲しく聴く者の琴線を奏でる楽器なのだと教えていただきました。そういえばチェロはちょうど人が抱きとめるような大きさで、演奏者が楽器を弾くというよりは楽器のたどってきた音楽の歴史を演奏者が聴き入るような、不思議な楽器なのだと気づきました。
 それがゆえにわたしは、フェイギンさんによってあふれ出るチェロの音のつぶたちが、はるか遠くの紛争の地から逃れてきただけにとどまらず、バッハがこの楽曲を紡いでから約300年、時と場所は世界各地に散らばっていても、無数のチェロと無数の人々がこの楽曲を演奏し、その演奏を聴きながら生き、そして去っていった、いわば人々の深い願いそのものように思えたのでした。
 突然わたしは悲しくなり、涙があふれそうになりました。今この会場にあふれる至福の音楽と、彼方の地で死んでいく無数のいのちたちが最後に聴いたはずの爆音と地鳴りと悲鳴とが共存している。それが現実なら、わたしたち人間はいつまでこんなことをくりかえすのだろう。銃をかまえる兵士たち、爆弾を落とす兵士たち、長い夜のカーテンに身をかくす市民たち、彼女たち彼たちは今どんな音楽を聴き、どんな歌を歌っているのだろう。
 傷ついた人々を音楽が癒やしてくれるのではなく、音楽もまた傷つき、悲鳴を上げながら避難してきたのだと…。

 新見フェイギン 浩子さんのピアノが加わり、1部の後半と休憩をはさんだ2部の前半はブラームス、その後はファリャのスペイン民謡組曲、マルティネスの「ロッシーニのテーによる変奏曲」と、ドラマチックで情熱的なふくらみのある演奏を聴かせていただきました。
 ピアノとのデュオがチェロにとってベストマッチなのでしょうか、バッハの独奏とは全く違うチェロの楽器のたおやかで奥深いメロディーがピアノに溶けていく至高の音楽に感動しました。
とくにブラームスは、たとえば純情な恋であるがゆえの激しさが、ちょうど荒れる前の波打ち際に押し寄せる波のようであるように、瑞々しいチェロとピアノのハーモニーに胸が高鳴りました。美しい楽曲と美しい演奏に、「それでもわたしたちはだいじょうぶ」と心豊かに希望の光を見つけたような、幸せな気持ちになりました。
 会場に来られたみなさんもおそらく同じような気持ちを持たれたようで、一曲終わるたびに声を上げそうになるのをこらえて精いっぱいの拍手で感動を伝えておられるようでした。ちなみにわたしが桜の庄兵衛さんで初めて聴いたのもブラームスでした。

 わたしは武満徹の言葉をかみしめながら、会場を出ました。
「国家がその権力において個人の<生>を奪いつづけるかぎり、<音楽>が真に響くことはない。私たちは<世界>がすべて沈黙してしまう夜を、いかにしても避けなければならない。」(武満 徹)

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2022.06.16 Thu 「音楽もまた風化しない希望の物語」 長野たかしさん・あやこさん エスペーロ能勢ライブ

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5月11日、カフェ「エスペーロ・能勢」で長野たかしさん&あやこさんのライブがありました。
 「エスペーロ・能勢」は、最近能勢に次々とできる古民家カフェの先輩にあたる店ですが、いわゆる古民家カフェとは一味違うすてきなお店です。もともとフェアトレードのお店をしていた箕面の友人が能勢の東地区に開いたカフェで、世界の多様な文化に親しみ、平和を願うひとびとの心のよりどころとして、能勢にかぎらず近隣の街からも愛されています。その上、丁寧な心づくしのランチがコーヒー付きで1000円という安さで、友人のTさんが唯一認めるおしゃれな「大衆食堂」です。
 「エスペーロ・能勢」では、数年前から長野たかしさんと森川あやこさんのライブが開かれてきました。それはちょうど、安倍政権下で「安保法制」が成立し、自衛隊の海外派遣も可能とした集団的自衛権の容認など、この国が「戦争のできる国」へと大きく舵をきった2016年、長野さんたちがプロテストソングによるライブ活動を始めた頃でもありました。
 「遠い世界に」など数多くのヒットを出し、当時の若者に多大な影響を与えた「五つの赤い風船」のベーシストでもあった長野たかしさんは、1960年代の吹き荒れる時代の風に惑い、抗いながら、今につづく遠い地水道から生まれる音楽と、もう一度出会うことになったのでしょう。そして、ご自身もアルバム「希求」の中で書かれているように「今、心許ないこの国の行く末に不安を感じ、表現者として、ふたりでできることで、自分たちの意志を示しておこう」と、強い決心をされたのだと思います。最後の最後まで移りゆく時代の行方を歌い続けたあのピート・シーガーのように…。
 
 いつ収束するのか見当もつかないコロナとウクライナ戦争のただ中で、助け合うことよりも傷つけあうことしか学べないわたしたちはどこに行こうとしているのか、何に向かって声を上げ、誰に会うために時を待ち、どんな夢をこの理不尽な現実に描けるというのでしょうか。希望は遠ざかるだけなのか、歌はどれだけの屍の上で眠りつづけるのか、長野さんたちのライブはそんな重い空気をゆっくりと持ち上げるように始まりました。
 実際、今回のロシアのウクライナ侵攻から湧き上がる「武力・核の抑止力」を声高に主張するひとたちが、「武力のない平和」を甘い夢想と吐き捨てることに、わたしは強い違和感を覚えます。もし「武力を持たない平和」が夢物語とするなら、「武力による平和」こそがかつてどれだけのいのちを奪い、傷つけ、憎しみと悲しみをもたらしたのかという歴史の現実にしっぺ返しされることでしょう。

 思えばワシントン行進からビートルズと、政治的にも音楽的にも若者のムーブメントが世界を席巻したあの頃、わたしは高校を卒業して友人と共同生活をはじめたものの、就職した会社を半年でやめてしまいました。夢と希望と不安をないまぜにし、ボブ・ディランの「時代は変わる」と森進一の「命かれても」に心を引き裂かれたあの頃、路上に出れば70年安保のデモ行進が街を塗り替え、同じ世代の若者が彼方の「自由」へと石を投げ続けていました。あの時に巷から聴こえてきたフォークソングはただ単に同時代の若者たちの青春の証だけではなく、未成熟で多感なわたしの心の重い扉をこじあけ、真っ白な光に包まれた何の根拠もない「明日」の荒野へと一歩踏み出す勇気を与えてくれたのでした。
 あれから半世紀をすぎた今、時代はまたフォークソングを必要としているのだと思います。芸能人の不倫騒動やおぞましい戦争ゲームの解説に明け暮れるマスコミ報道の陰で、「死にたい」とSNSに書き込む匿名の叫び、繰り返される理不尽な事件…、全国に点在する無数の孤独な心が「わたしは何者か?」と思いまどう時、歌は時代の予言者としてわたしたちの心の奥深くに忘れられた荒野に舞い降りることでしょう。
どんな武力でも倒せない歌の魔力に恐怖する時の権力者は、歌を自らの権力に取り込もうとしてきました。しかしながら、歌はまた、いつの時代も人々の閉じられた心の扉を開き、歴史の教科書には記述されない「もうひとつの歴史」を語り伝え、わたしたちをはげましてくれたのでした。

明日も陽は昇り 新たな時を刻む
変わらない私と 生まれ変わる私
東の窓を開けたなら
光の中へ 飛び立とう
長野たかし作詞・作曲「REBORN-再生」

 今回のライブでも歌われた「REBORN 再生」に込められた長野さんたちの想いの深さは、コロナとウクライナ戦争によりもう前には戻れない、やり直せないところに来てしまった世界へのメッセージとなる一方で、新しい世界のありようを探す旅をはじめるわたしたちの応援歌でもあることでしょう。
長野たかしさん、あやこさんの歌を聴きながら、マスコミの扇情的な情報の洪水と同調圧力に振り回されず、この社会の暗闇を見抜くことの大切をあらためて強く思いました。そして、コロナ前に戻れると信じることやロシアの侵攻で、世界と日本がますます成長飢餓と暴力信望に暴走することを拒み、国家が二度と侵略と虐殺を繰り返さないために憲法9条が万感の思いで生まれたことを忘れてはいけないと思いました。
 ますます色濃く閉そく感に押しつぶされそうになる身の回りから空を見上げれば、わたしたちの歴史の失敗を学び、世界を変えようと走り始める若者たちが世界中にいることを実感します。一瞬の瞬きの間に世界が変わることもまた、人間の長い歴史は教えてくれます。
 ライブの最後はサービス精神がいっぱいのお二人らしく、五つの赤い風船時代の名曲「遠い世界に」をお客さんと大合唱しました。
 かつて映画監督の大林宣彦が「映画は風化しないジャーナリズム」と名言を言いましたが、「音楽もまた風化しない希望の物語」であることを実感したライブでした。

長野たかし作詞・作曲「REBORN-再生」
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2022.06.01 Wed 縦12.8センチ、横8センチの願いの彼方へ 社民党と亡き母の秘密

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 5月28日、社民党の党首・福島みずほさんの国政報告会があり、いたみホールに行きました。斎藤幸平さんがオンラインでゲスト参加し、短い講演の後、福島みずほさんとの対談も用意されていました。
 斎藤幸平さんのお話は著書「『人新世の「資本論」』でも展開されましたが、新自由主義のもとであらゆるものが商品化され、持てる者と持たざる者の格差が広がってしまったこと。人が生きるために必要な住居、公共交通機関、電気、水、医療、教育、これら公共財産(コモン)を市場任せにするのではなく、地方自治体や国がしっかり管理・提供する方がいいのではないか。「脱成長社会」はまったなしの気候危機への対処とともに、世界の人々がささやかな夢を分かち合い助け合える、平和で豊かな社会なのだと話されました。絶望的な現実に目を奪われず、日本の若者も含めて世界の若者たちがその新しい社会のあり方を教えてくれているとも…。
 福島みずほさんもまた、世界で社会民主主義が説得力を持ち始めていること共感し、社会民主党の危機は侵略戦争の加害者であったことへの反省と世界でただ一つの被爆国であることの上に立って戦後70年、平和と人権を支えてきた憲法の危機であること。そして、かつて国家による戦争によって幾多のいのちが奪われ、がれきの中で飢えをしのいだわたしたちの親の世代の苦しみを、未来を担うこどもたちに負わせてはいけないと話されました。
 そして、今回の参議院選挙に、福島みずほさんとともに立候補を予定している大椿ゆうこさん、秋葉忠利さん(元広島市長)、服部良一さんが登壇し、切々かつ凛々しく社民党に結集しようと呼びかけました。参議院選挙を前に、社民党の存亡をかけた選挙への決意を会場に集まった参加者が共有する貴重な時間になりました。

 明治生まれだったわたしの母はシングルマザーで、わたしと兄を育てるためだけに生きた女性でした。香川県の農家に生まれた彼女は教師になるのが夢でしたが、経済的にも「女は勉強より良い嫁に」という封建的な世相から断念せざるを得ませんでした。
近所の工員さん相手に大衆食堂を朝早くから夜遅くまで働き、高校進学率がまだ高くなかった時代に兄とわたしを高校に行かせてくれたのも、自分の夢をこどもに託し、「子どもに教育だけは」と願う母の切ない想いが込められていたのでした。
 親子3人が身を寄せ合って暮らしたバラックのお店の奥、6畳一間の杉板一枚の壁には節の穴が何か所かありました。母は「政治の話は家族でもしたらあかん、特高が来ているかもわからへん」というのが口癖で、わたしと兄がそれは戦前の話やと言っても聞いてくれませんでした。
わたしは高校を卒業してすぐ、家を出て友だちと大阪岸里のアパートに住みましたが、月に一度は実家に帰っていました。わたしが初めて選挙権を得た時、母から「はがきが来てるよ。投票しに帰って来るんやで」と言いました。「そのためにわざわざ帰るのもなぁ、投票しないのも意思表示やし」とわたしがいうと、「選挙に行くのは国民の義務や」と怒りました。わたしは今になって母の言葉にはそれよりもっと深い想いが込められていたのではないかと思います。
戦後、女性に参政権が与えられ、はじめて投票所に行ったとき、母はどんな思いで投票したのでしょうか。それを思うと今でも母でありながら愛おしい一人の女性として抱きしめたくなるのです。苦労だけが団体でやってくる毎日を潜り抜け、子どもの成長だけをいきがにいして生きた彼女は、ある時ぽろっと、ずっと社会党に投票してきたことを告白しました。
大椿ゆうこさんが街頭演説で、「投票できないひとの人の一票も持って投票しましょう」と訴えるとき、いつも亡き母のことや、投票権を奪われたままの在日外国人、介護が必要で投票所に行けないひとたち、そして自分たちの未来に深くかかわることなのに投票権のない子どもたちのことを想い、胸が熱くなります。
縦12.8センチ、横8センチの小さな紙きれには、さまざまな想いが綴られていると思います。そのことに思いを馳せ、そのひとつひとつを受け止め、共に国会にまで持っていってくれるひとだから、大椿ゆうこさんと書かれる一票一票はかけがえのない重い一票であることでしょう。ブルドーザーのような集票マシンでは集められない一票かも知れません。
しかしながらある時、その重い一票がミレーの落穂ひろいのように次の時代の実りのための大きな数になり、大阪の日本の世界の景色が変わる瞬間を生み出すことを信じてやみません。

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2022.05.31 Tue ふたつのラブソング 槇原敬之と金森幸介  その2・金森幸介

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いいこと悪いことみんな
思い出に変わって良かった
やさしい風が吹いて
いつの間にか日が暮れて
金森幸介「いいこと」

槇原敬之のライブの余韻が残る28日の夜、能勢のCafe気遊さんへ金森幸介のライブに行きました。1970年代からわたしは三上寛、小室等、友部正人と、なぜか東京のフォークばかりを追いかけていて、不明にも関西フォークの草分けのひとりである金森幸介のことは知りませんでした。
 能勢のCafe気遊で彼の音楽に触れ、とうに70をすぎても新しい音楽に心を奪われてしまう自分におどろきました。そして残りの人生を金森幸介の歌と伴走できる幸運をくれた気遊さんに感謝しました。ほんとうに、金森幸介の50年に及ぶ歌の旅の現在地に間に合ったことはわたしにとって奇跡に近いことでした。
 どうやら、彼の音楽はエンターテインメントとは無縁というか、まったく違う音と言葉の泉から生まれあふれてくるようです。ギターが心に閉じ込めた激しい熱情と渇望と悔恨を語り叫ぶ中を、歌は嵐が通り過ぎた後の静けさに取り残された言葉の破片を拾い集めるのでした。その歌はたとえば風の破片、森の秘密、川のつぶやき、海の沈黙、遠い記憶、記述されなかった歴史、取り返せるはずもない青春、語られることがなかった愛の物語、置き忘れてしまった青春の瑞々しい心のふるえであったりするのでした。
 そのひとつひとつの言葉、独り言のような語りに隠れている、過ぎ去ったものへの愛と圧倒的な自己肯定感、だいじょうぶと励ましてくれる静かな勇気…、金森幸介が愛おしくすくいあげる途方もない長い時は、わたしたち同時代の叙事詩なのだとおもいます。
 1970年代から「遠く早く」とせかされたきたつけがあらゆるところに蔓延し、わたしたちも世界もとても疲れてしまいました。ブレーキもハンドルもままならず、誰も望まないであろう袋小路に驀進する途上にいて、今ならまだ華やかだった景色に帰ることでできるとカンフル注射を打ち続けながら絶望的な箱舟に乗るわたしたち…。
金森幸介が「もう引き返せない」と歌ったのは、わたしたちが暴力的で扇情的な嵐の時代のスタートラインに立っていた時でした。金森幸介もわたしたちも半世紀という人生のほとんどをかけて、黒い土の上をのたうち回った貧困と切ない夢と流行り歌とちぎれた鉄条網と幸福幻想が破裂寸前に詰まっていたあの頃に戻ってきたのだと思います。
 わたしたちはまた、そこからちがう物語を紡ぐことになるでしょう。
願わくば今度こそはこの黒い土からもう一度歩き始め、ささやかな夢やつつましい願いがどんな暴力によっても踏みにじられない未来に開かれていますように…。
「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう」と歌った詩人のように、わたしたちも「また来る春」をあらためて信じようと思ったライブでした。
 最後にいつものことですが、こんな音楽に我が身を預けられる場を提供してくれた能勢のCafe気遊の井上さんと、スピーカーを通さないような生音に聞こえるクリアでやさしい音響でライブを豊かにつつんでくれた村尾さんご夫婦に感謝します。

夢は色褪せてく 僕は年老いてく
でもまだへこたれちゃいない
夕陽を追いかけてく奴の歌が聞こえる
   金森幸介「もう引き返せない」

「心のはなし」 金森幸介

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2022.05.30 Mon ふたつのラブソング 槇原敬之と金森幸介  その1・槇原敬之

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 5月24日、槇原敬之のコンサートに行きました。わたしは彼のファンというわけでもなく、たまたま行く予定の友人が行けなくなり、急遽堺東の近くのコンサートホール・フニーチェ堺にもう一人の友人と行くことになったのでした。
 槇原敬之が2020年2月、覚醒剤取締法違反などの疑いで逮捕され、同年8月3日、懲役2年・執行猶予3年の判決を受けたニュースはまだ記憶に生々しく、1999年につづく2度目の逮捕は、長い間寄り添って生きてきた同性の恋人との別れなど私生活をもさらされることになりました。世間の厳しい批判の中、当面の活動を休止していましたが、昨年の9月、「やはり私には音楽しかない」と活動を再開しました。
 わたしが行ったコンサートは、再起を期したアルバムを携えたツアーの大阪公演のひとつでした。実際のところ、ファンでもないわたしにとってそれほど期待していたわけでもなく、一緒に行った友人もまた同じで、あまり気乗りがしないまま行ったという感じでしたが、聴いてびっくり、素晴らしく感動的なコンサートでした。
 コロナ禍というより、彼の個人的な事件により再起不能とも言われていた中で、世間の批判も覚悟でステージに立てたことへのうれしさと申しわけなさと感謝が入り混じり、腰が折れるぐらいにお辞儀をする槇原敬之と、それでも彼を深く愛し、ただひたすら彼が帰ってくる日を待ち望み、客席を埋め尽くした2000人のコアなファンとの強いつながりが、このコンサートをいつもとは違うものにしたのでした。
 槇原敬之の歌はドラマのテーマソングやCMソングなどでわたしでも一度はきいたことがある流行り歌が多く、その歌作りはオーソドックスかつシンプルで、たとえばほのかな片思いや切ない別れ、人生の岐路に立った時の心の震えなど、小さな日常の小さな事件を切々と歌いあげるラブソングばかりで、ある意味あきれてしまうほどですが、聴いているわたしたちは自分自身の甘酸っぱい記憶を呼び起こされ、肋骨にしみるような涙の一滴一滴をかみしめるのでした。
「好き」という言葉がすぐ隣で聴こえながら、心の果てからざわめくように遥か遠くから聴こえる彼の歌は、それがゆえにたくさんの人たちの心に届き、立ち尽くすひとたちがまた一歩を歩き始める応援歌なのでしょう。
 ライブで彼の歌を聴き、しばしば甘っちょろく軟弱だと思っていた歌が、実はとても切実な愛と勇気の歌で、時には誰かの死を思いとどまらせるほんとうに政治的で社会的な祈りの歌なのだと思いました。そんなことを感じてつい涙ぐみながら、いつのまにか槇原敬之のファンになってしまいました。
 そういえば、「どんなときも」も「遠く遠く」も、「世界でひとつだけの花」も、彼自身の壊れてしまいそうな心から奇跡的に生まれた歌なのかも知れません。
 暴力と妬みが暗い闇をむさぼり、ひとりひとりの心の小さな日常やささやかな幸せがあっという間に踏みにじられてしまいそうになる世の中で、彼の歌がその危険な道に抗うラブソングでありつづけることができるのか、そして渇望と恐怖と絶望が彼の心を壊さないでいてくれるかどうかは、まさしくわたしたちの生きる同時代の「炭鉱のカナリヤ」としてあることでしょう。
 歌うことでしか償えず、歌うことでしか生きられない、ひとりのいとおしい歌手を、2000人の人が抱きしめた、そんな特別な夜でした。

槇原敬之 - 宜候 [Music Video]


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