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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

2019.02.19 Tue 「瞼の母」と「ボヘミアン・ラプソディ」 島津亜矢にフレディ・マーキュリーの魂が下りてくるか

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 今夜7時半放送のNHK「うたコン」で、島津亜矢がデーモン小暮とのコラボでQUEENメロディを歌うとのことです。
 出演者リストを見ると、五木ひろし、CHEMISTRY、ジェジュン、島津亜矢、デーモン閣下、天童よしみ、広瀬香美、水森かおり、May J、山内惠介、山田姉妹、フラッシュ金子、MUSIC CONCERTOと相変わらずの総花的で、なかなか落ち着いて島津亜矢のQUEENメロディを聴くという雰囲気にはならないかもしれません。
 しかしながら今年になっても映画「ボヘミアン・ラプソディ」の上映延長など、社会現象が収まらないQUEENを、デーモン小暮はともかく島津亜矢に歌わせるこの番組の制作スタッフの大胆さと、実は緻密な戦略で島津亜矢のボーカリストとしての真価を問う冷徹さに、とにもかくにも恐れ入るといったところでしょうか。
 彼女彼らにしてみれば、いくらQUEENが再ブレイクといっても、島津亜矢のファンをふくめて演歌ファンにほんとうに浸透しているのかといえばそれほどでもないと見ているところもあるように思えます。
 また、ロックやポップスファにとっては、最近演歌歌手でありながらポップス歌手を凌駕する歌唱力を見せつける島津亜矢であっても、さすがにQUEENは無理があると思っていることでしょう。事実、島津亜矢は今までたとえばビートルズやエルビスを歌うこともありましたが、どちらかと言えばまだ縦揺れのロックには波長が合わず、R&Bやソウル、ゴスペル、ジャズなど、横揺れのリズムの方が向いているという印象があります。
 だとすれば、たとえこけたとしてもどちらにも言い訳ができる演出で、島津亜矢本人の力不足や向き不向きで説明できるわけです。
 しかしながら、彼女彼らの賭けが成功し、島津亜矢が信じられない歌唱力と歌を詠む力で圧倒したら、今回の冒険はこの番組のコンセプト以上に思わぬ化学反応を起こしたことになります。
 実際、他の出演者を見ればCHEMISTRYやMay Jなどに歌ってもらう方が無難だという判断は素人でもわかります。しかしながらよくも悪くも、そんな予定調和をこわしてでもこの番組にも島津亜矢にも音楽的冒険を望んだという意味で、番組のスタツフが島津亜矢のボーカリストとしての可能性をいかに高く評価し、期待しているかがよくわかるのです。
 さて、わたしは島津亜矢がQUEENの歌唱を通して、ロックにも翼を広げてくれることを願っています。それほどロックに詳しいわけではありませんが、最近、特に日本でロックが低調で、かろうじてわたしはグリム・スパンキーが大好きですが、彼女彼らのような古いロックがかかると60年代から70年代の、ロック音楽を通して若者が社会を変えていく可能性があった時代があったことを思い出します。
 島津亜矢の演歌は「歌い切るから歌い残す」へと進化したことですでに至高点にたどり着いたと思っているのですが、一方で「瞼の母」、「人生劇場」、「影を慕いて」など、若き青年の心の震え、青ざめた絶望を歌う一連の股旅ものや青春の暗闇を歌う時、そこには個人の愛や欲望や裏切りを越えた時代のカタルシスがあり、翻ってQUEENとフレディ・マーキュリーのロックとつながっていると思っています。
 フレディ・マーキュリーの抱えていた底なしの絶望は彼だけのものではなく、時代そのものの絶望であったわけですが、島津亜矢のように実人生ではそんな暗闇をもっていないかも知れないけれど、歌や音楽にはそれ自体が時代の記憶を背負っていて、島津亜矢はその歌の持つ記憶に突き動かされて歌うことで、時代の暗闇と立ち向かわざるを得ないのです。実のところ、わたしは島津亜矢が歌の記憶に押しつぶされてしまわないか、心配になることがあります。
 ともあれ、QUEENとフレディ・マーキュリーは、政治的な革命が挫折した後に政治的な革命ではない、寺山修司が演劇の可能性としてめざした想像力という回路、人間の多様な回路を通る革命を垣間見ていたと思います。後のスタジアムロックと言われた数十万の人びとの前でフレディーが、半パンに上半身裸で赤いスカーフというかなりかっこ悪い姿でこぶしを上げながら叫び歌うロックは、後の1989年のベルリンの壁崩壊の前の東欧諸国での来るべき革命を予感していたのだと思います。
 あの人々は何を想い、フレディと共に歌い、そしてどこへ行ったのでしょうか。
 島津亜矢が歌う「瞼の母」の番場の忠太郎が時代にも母親にも拒否され、ぎりぎりのところで刃を抜かなければならなかったテロリストの瞼を支配する母親という権力としての家族観を捨て去る時、そこに広がるのはフレディ・マーキュリーの圧倒的な孤独とつながる荒野なのではないでしょうか。
 島津亜矢が誰のために歌い、誰の人生を語り歌うのかというその一点で、QUEENとフレディ・マーキュリーのロックとまったく同じルーツを感じます。
 開けてびっくり、とても緊張しますが、今日の島津亜矢は特別な島津亜矢になることでしょう。おそらく、番組は話題作りのバラエティ感覚満載という騒々しい雰囲気の中で、島津亜矢のQUEENを通り過ぎようとするでしょうが、島津亜矢にとってはそんなものではない、大きな冒険であることでしょう。
 とても短い時間だと思いますが、島津亜矢のファンとして、彼女のボーカリストの翼がQUEENのロックへとつながって行くのか行かないのかを見届け、聞き届け、立ち会いたいと思います。

Queen - Bohemian Rhapsody (Official Video)

QUEEN - We Are The Champions

島津亜矢「瞼の母」

島津亜矢「影を慕いて 2001」

島津亜矢「船頭小唄」
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2019.02.16 Sat リアルな体験から想像力による体験・朗読劇「忘れない吹田空襲1945Vol.2」

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 2月11日、吹田市のメイシアター小ホールで開かれた、朗読劇「忘れない吹田空襲1945vol.2」を観に行きました。2104年に発足した「吹田の空襲を語り継ぐ会」の上演によるもので、戦争の記憶を引き継いでいきたいと、吹田の戦跡を訪ねたり戦中体験の聞き取りなどの活動とともに、朗読劇をさまざまな所で上演されてきました。
 能勢のピースマーケットでも上演していただいたのですが、スタッフのわたしは観ることができずにいました。
 開演後、ゲストの長野たかしさんと森川あや子さんのライブがありました。この日は別のイベントでも声がかかっていて、かけもちで大忙しだったようです。
 長野さんたちのフットワークの軽さは、主催者の思いの深さからくるものなのでしょう、とても自然体で、世の中を憂いながらも道ばたの草花がくれる小さな希望をいとおしくすく上げる歌に心が救われるようでした。
 いつも歌われる「コップ半分の酒」は森川あや子さんが亡くなられたお父さんのお話を歌にしたもので、戦争によって傷ついたひとりの人間の心と体を通り過ぎてきた肉声は、どんな戦争の記録よりもなまなましく、時代も世代も超えて今も戦争は終わっていないことを実感しました。
 
 休憩をはさんで、いよいよ朗読劇が始まりました。この劇は戦時中、中学校教諭だった山内篤編「吹田空襲の記録-大阪空襲と吹田-」に収められた証言と吹田警察署長の日誌をまとめた冊子を原本にしています。1937年に制定された防空法は戦局がきびしくなるにつれて改訂され、「空襲から逃げるな、火を消せ」など、不条理で理不尽な命令を国家と軍部が強制する中、空襲の被害に至る吹田の人びとの暮らしぶりが克明に記録されているこの冊子の証言が、会の代表の真木みさおさんの作・構成・演出による朗読劇によって再構築され、次の世代へと受け継がれていくのでした。
 戦後生まれのわたしは、どこか戦前戦中の暮らしと切り離された感覚があり、リアルな戦争体験がないまま戦後の混乱期の記憶しかないのが実情です。
 わたしの母は戦前天保山の遊郭のそばで喫茶店を営んでいましたが、戦後すぐにJR千里丘駅の近くに引っ越して、料亭の中居さんをしているときに知り合った男との間に兄とわたしを生み、その後シングルマザーとして高校卒業までわたしと兄を育ててくれました。
 それが妄想なのか記憶なのか、今でもはっきりしないのですが、母がわたしを背負い、東海道本線のJR吹田から東淀川あたりの線路に入り、貨物列車が落としていったコークスを拾いに行くのですが、真っ暗なトンネルに入ると親子心中を試みるという悪夢が長い間わたしに付きまとっていました。母にそれとなく聞くと、実は私の兄がその頃不治の病と言われた結核性脊椎カリエスにかかり、片足を切断しなければならないという時に、わたしが裸電球の明かりが頼りなく揺れる部屋で、何本も蚊取り線香に火をつけ「おかあちゃん、部屋が明るなったやろ」と無邪気に笑うのを見て、親子心中を思いとどまったそうです。
 わたしが高校を卒業する時、どちらかというと悲しくて切なくて、いい思い出がほとんどなかったJRの沿線を離れ、大阪の岸の里近くのアパートを借り、高校時代の友人と共同生活を始めましたが、それも長続きせず、一人暮らしを始めた場所がJR吹田駅近くのアパートでした。
 朝早く、アパートの2階の窓を開けると吹田操車場へと続く貨物線路があり、蒸気機関車が車両の入れ替えなどをしていたと記憶しています。真っ青な空にもくもく白い煙が立ち上る風景は、人生への一歩もまだ踏み出せず、立ち往生していた足元の青春の青い淵から転落しないように必死に不確かな未来にしがみついていた19歳のわたしがいました。
 
 今回の朗読劇の舞台はわたしの子ども時代と、断続的につながる青春時代をつらぬいていて、出てくる地名は昔慣れ親しんだものばかりでした。
 そして、わたしの切なくも悲しい物語が詰まったこの沿線の戦後の向こう側に、吹田空襲へとつながる戦前のひとびとのさらなる悲しい物語がいっぱい詰まっていて、戦前戦中戦後という歴史の年表ではすくい上げられない人々の無念と、子どもの頃のわたしの悲しみが深くつながっていることを教えてくれました。
 そんな思いでこの劇を見ていると、遠い昔の出来事と思える戦争体験や大阪大空襲、吹田空襲が過去の出来事ではなく、ほんの70年前の出来事で、がれきと煙に包まれた吹田とその周辺でかつて胸膨らませていた子どもたちのたましいが今もこの場所とわたしの心に漂い、立ち消えてしまった小さな希望を追い求めているように感じました。
 朗読劇という表現は初めての経験で、ダイアローグでもなくモノローグでもなく、時には群像になり、時には一人一人になり、表面的には無味乾燥な記録の言葉が血塗られたり泥まみれになったりして、セリフとは言えない役者の言葉が観客に突き刺さります。
 しいて言えば、観客とのダイアローグといったところでしょうか、その表現の力がベースとなった冊子の記録から、伝えなければならなかった真実を今の時代に再構築してくれるのでした。
 リアルに戦争体験を語れる人々が高齢になり、数少なくなってきている今、フィクションの力と想像力によって世代を越えて戦争体験が受け継がれ、2度と同じ道を歩いてはいけないと、この朗読劇から学びました。
 「吹田空襲を語り継ぐ会」のみなさん、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

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2019.02.12 Tue  「わたしたちは勝ちたいのではありません。負けることができないのです」ボヘミアン・ラプソディ

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先日、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。
 ご存知のように昨年秋に公開されたこの映画は異例のヒット作となり、今も興行収入の記録を塗り替えるほどの社会的現象となっています。世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いたこの映画は、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけています。
 わたしはクイーンの熱烈なファンとは言えないのですが、後でくわしく書きますが、選挙が苦手なわたしが唯一関わった選挙運動で、1988年から2003年までの元箕面市議会議員・八幡隆司さんの選挙と1991年から2007年までの元豊中市議会議員・入部香代子さんの選挙の時、クイーンの「伝説のチャンピオン」をわたしたちの応援歌とし、歌詞の一節を街頭演説で使用した特別な思い出があります。
 クイーンは、イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンドで1973年にデビューし、これまでに15枚のスタジオ・アルバム、その他多くのライブ・アルバムやベスト・アルバムを発表。アルバムとシングルのトータルセールスは1億7000万枚以上とされています。1991年にフレディ・マーキュリーが死去してからも、残されたメンバーによるクイーン名義での活動は断続的に続き、2005年から2009年までポール・ロジャースと組んで「クイーン+ポール・ロジャース」として活動、その後はアダム・ランバートを迎えた「クイーン+アダム・ランバート」としての編成での活動もあり、今もまだ人気の衰えのないスーパーバンドです。
 映画は1985年の20世紀最大のチャリティコンサート・「ライブ・エイド」の舞台裏からクイーンがステージに登場するシーンで始まります。そこからフィードバックし、若かりしフレディ・マーキュリーがブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンと出会い、野心と冒険に満ちた音楽を次々と発表し、世界的名声を得ながらも、孤独と絶望と悲しくもいとおしい愛の苦悩に悶々とする内面を丁寧に描いています。事実関係の違いを指摘されるところも多々あるようですが、そんな違いなどどうでもよいクイーンの音楽的冒険の現場に観客を立ち会わせ、稀有なロックバンドの軌跡をスクリーンに定着させることに成功しています。
 そして、何といってもタンザニア生まれのインド系の出自を持つフレディ・マーキュリーが音楽への夢をかなえていく強い野心と精神力をもつ一方、少年の純情とバイセクシャルという性的指向に揺れ動く無垢な心が音楽によって救済されたことや、音楽を通して他のメンバーとの深い友情で結ばれた幸運がクイーンの音楽性を高めたことが見事に描かれていると思いました。
 フレディ・マーキュリーが作詞・作曲した1975年発表の「ボヘミアン・ラプソディ」は、ヨーロッパがアフリカやアジアの移民によって成り立ち、彼女彼らが民族的な偏見や差別を越えて新しい風を持ち込んだ果てに結実した音楽です。そして、イギリスがEUから合意なき離脱するかしないかの正念場にある今、この歌の先見性に驚くとともに、新しい時代の空気をまとい始めているのではないでしょうか。
 クイーンがビートルズやローリングストーンズと違う所は、正統派のブリティッシュ・ロックの外側で世界が憎悪に満ちた理不尽な暴力と報復を繰り返す中、さまざまな民族と個性が分かち合い、遠い平和を願う切ない希望を耕すのもまた、ロック音楽であると気づかせてくれたことかも知れません。
 後にスタジアムロックともいわれる何万人、何十万人の観客を動員し、フレディが観客を鼓舞し、会場にいる全員が一緒に歌う様子に心が震えます。フレディは何万、何十万のマジョリティに向けて歌ったのではなく、何万、何十万のマイノリティに向かって歌っていたのだと思うのです。まさしく、音楽は愛を必要とする心から生まれ、愛を必要とする心に届く…、それがクイーンのロックでした。
 映画の最後は最初のシーンのライブエイドにもどり、伝説となったパフォーマンスを正確に再現して終わります。
 
 1991年11月24日、フレディ・マーキュリーは45歳という若さで亡くなりました。その前日にエイズを公表したばかりでした。
 1992年4月20日、フレディ・マーキュリー追悼コンサートが「ライブエイド」の会場だったウェンブリー・スタジアムで開かれました。エイズ撲滅のためのチャリティーとして開かれたコンサートの最後に、全員で「伝説のチャンピオン」を歌いました。

それはすべての人類に対するきびしい挑戦といったほうがいい
だから決して負けるわけにはいかないのだ
ぼくたちは頑張り続けなければなければならない
ぼくらはチャンピオン 愛しき友よ
ぼくらはたたかいつづける 最後まで (ウィー アー ザ チャンピオンズ)

 1977年に発表されたこの歌もまた、歌が個人的にも政治的にも文化的にも現実のはるか前に予見でき、時には現実を変えることを証明してくれました。時代背景やロック歌手としての矜持から、フレディーは自分がエイズであることを死の直前まで公表しませんでしたが、自らが意識する10年前に、彼は自らもふくめて社会的異端者とされる世界に点在する人びとに愛と勇気を送ってくれていたのだと思います。
 くしくもわたしは1992年、八幡さんの2度目の箕面市議会選挙にむけて準備をしていました。社会的にマイノリティとされる障害者にとって、数を競う選挙はもっとも苦手な分野だと思います。しかしながら、政治がもしわたしたちの今と未来をデザインするものならば、社会的異端とされる障害という個性が切り開く未来があり、その未来はマジョリティとされる人々にも等しく降り注ぐ恵みの天の雨であることを、フレディが教えてくれていると思いました。
 もちろん、選挙は「これをすれば大丈夫」というような簡単なものではありません。とくにわたしが担っていた「裏選対」というところはそんなにきれいごとだけではありませんでした。選挙運動しながらわたしがもっとも傷ついてしまうことは、日常で数の暴力にさらされているわたし自身が、理不尽にも八幡隆司に一票を入れてくれるのかそうでないのかと、ひとを色分けしてしまうことでした。そんなことで落ち込んでしまうわたしに勇気をくれる言葉が、フレディの強烈なメッセージだったのです。
 最初はこのメッセージは、豊能障害者労働センターの機関紙「積木」にわたしが書いた小さな記事でしかなかったのですが、8月の選挙活動のさ中、街頭行動を担当していた人が発送中だった機関紙「積木」のこの言葉に反応し、それ以後街頭演説に採用してくれたのでした。
 「わたしたちは勝ちたいのではありません。負けることができないのです」
 箕面の暑い夏に命を絞るように叫ぶせみたちの鳴き声は、志半ばで逝ってしまった友人たちの声のようで、わたしはフレディ・マーキュリーとクイーンのメンバーたちがバンドのリーダーを決めず、ロックバンドには珍しい「民主的なバンド」としてそれぞれの個性と才能をぶつけたり摺り寄せたりしながら稀有の高みにまで自らの音楽をつくりあげたことの意味をもっとも学ばなければならない人間としてすぐ隣にいたことが誇りでし た。
 いま振り返ればわたしにとって「ボヘミアン・ラプソディ」の至高のコーラスは、4年に一度の選挙の夏の、セミの合唱だったのかも知れません。
 「わたしたちは勝ちたいのではありません。負けることができないのです」というメッセージは、豊中で車いすを利用する女性議員として活躍した入部香代子さんの選挙でも採用されたと聞きました。わたしが幸運だったのはクイーンの応援歌に勇気をもらい、誇りにできる候補者のためにできることをすべてやりきり、議会に送り込めたことでした。

Queen - Bohemian Rhapsody (Official Video)

QUEEN - We Are The Champions

2012.12.02 Sun フレディ・マーキュリーとアダム・ランバートと島津亜矢
この記事は約6年前の記事ですが、まさか19日のNHKの「うたコン」で島津亜矢がクイーンのカバーを歌うことになるとは思いませんでした。でも、単純にNHKが無茶ぶりをしたのではなく、島津亜矢のボーカリストとしての評価を持っているからこその起用でしょう。しかも、聖飢魔Ⅱのデーモン小暮とのデュオということらしいです。デーモン小暮はすでに「ボヘミアン・ラプソディ」をカバーしています。デーモン小暮が島津亜矢とどうコラボするかかが注目なのと、島津亜矢が最近封印している高音がどのように爆裂するのかが楽しみです。

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2019.02.04 Mon オリジナルに限りなく近づいたカバーアルバム「SINGER5」



 年末から約一か月、風邪をこじらせて寝床で安静にしていました。若い頃なら少し無理をしてでも仕事に行きましたが、年金暮らしの今はずぼらというか、テレビばかりを見てぼんやりと過ごす悪癖が再発し、ほんとうに無駄な時間をたっぷりと過ごしてしまいました。もっとも、それが71歳のわたしのもう一つの健康法でもあります。
 そんなわけで、ブログの記事もまったく書けないままでした。
 思えば2011年の3月の東日本大震災とともに開いたこのブログですが、一か月以上も更新しなかったのは初めてで、おかげでスポンサー広告が出てしまいました。
 しかしながらやっと体調も戻り、気力も少しずつ回復しましたので、また徒然なるままに記事を書いていきます。誰に催促されるわけでもなく、また仕事にしているわけでもないですから、気楽に始めていきたいと思います。
 さて、1月5日に紅白歌合戦での島津亜矢の「時代」について書きました。ブログ再開にあたって、沖縄の辺野古基地の問題や今年のピースマーケットのこと、また昨年、わたしの音楽観を変えた川口真由美さんのミニライブ、昨日の玉本英子さんのシリア・イラク現地報告会など書いておきたいことがたまってしまったのですが、やはりここは島津亜矢さんの記事から始めたいと思います。

 昨年秋に発表されたポップス曲を収録したカバーアルバム「SINGER5」は、折しもJポップ分野のテレビ番組への進出と相まって、これまでの「SINGER」シリーズともども注目され、昨年レコード大賞企画賞の受賞につながりました。
 2010年からのファンであるわたしにとっては遅きに失した受賞で、本来は2011年のアルバム「悠悠~阿久 悠さんに褒められたくて~」を発掘できなかった音楽業界に失望したものでした。
アルバム「悠悠~阿久 悠さんに褒められたくて~」は、阿久悠の未発表の遺作を8人の作曲家が作曲した10曲を収録した野心作でした。Jポップでは当たり前で、アルバム先行でオリジナル曲ばかりを収録したこのアルバムは島津亜矢にとっても特別な意味をもっていたはずです。
 このアルバムをしっかりとプロモートできなかったことが、彼女のブレイクを7年も遅らせる結果となってしまったとわたしは思っています。
 その意味においてはカバー曲であっても、はじめて彼女のアルバムをレコード大賞が評価してくれたことを素直に喜ぶべきかも知りません。やっと彼女の存在が演歌・歌謡曲というジャンルを越えてJポップの分野でも知られるようになったのですから…。

 アルバム「SINGER5」に収録された16曲は次の通りです。
1.THROUGH THE FIRE 2.DESIRE-情熱- 3.ごめんね… 4.リバーサイドホテル 5.メロディー 6.STAND BY ME 7.22才の別れ 8.Forever Love 9.LULLABY OF BIRDLAND 10.やさしいキスをして 11.大空と大地の中で 12.ルージュの伝言 13.木蘭の涙 14.奏(かなで) 15.First Love 16.誕生
 第一印象は極めつけかつ総花的で、彼女の歌の地平が一気に広がり、歌の翼がどこまでも飛んでいきそうな勢いです。
 「SINGER」から「SINGER2」までは恐る恐るで、そのためにカバーアルバムが陥る「名曲」主義が垣間見えていましたが、「SINGER3」から少しずつアルバム全体のコンセプトが感じられるようになりました。
 そして、「SINGER4」で今まで感じられた逡巡を捨て、ポップスシンガーとして勝負をかけた野心がはっきりと表現されていました。それでも、好みがあることを承知で言えば「jupiter」などはオリジナル歌手に引っ張られた名曲主義の歌唱で、わたしにはやや鼻についたものでした。
 ところが、今回のアルバムはどうでしょう、わたしにははっきりと名曲主義とは決別したように聴こえました。それがこのアルバム全体を音楽的な野心とともに、Jポップの楽曲に島津亜矢の歌心がほとばしる刺激的なものになっているのではないでしょうか。
 実際、洋楽からフォーク、さらに驚いたのがXジャパンの「Forever Love」までをレパートーに入れてしまうすごさは、いわゆる名曲をドヤ顔でうたうこととは真逆の、彼女がほんとうに「いい歌」と思う楽曲を、カバーアルバムでありながらオリジナルアルバムにまで昇華しようとする島津亜矢のボーカリストとしての覚悟と矜持を強く感じます。
 何回も書いてきましたが、村上春樹のエッセイにアメリカの友人から勧められてスタンダードジャスのアルバムを聴き、最初はいいと思ったもののだんだんとどこか癖があるのが鼻について誰が歌っているのかと思うと、美空ひばりだったというエピソードがあります。
 わたしは村上春樹が好きですが、このエピソードから村上春樹の小説にも音楽の趣味にもよくも悪くも無国籍の匂いがして、わたしは彼の感じ方とは全く違い、その「癖」にこそ美空ひばりの音楽的アイデンティティを感じるのです。
 島津亜矢もまた、演歌歌手らしくないポップスの歌唱力を高く評価されるようになりましたが、わたしは少し違った感想を今は持っています。たしかに、演歌の特徴といわれる「こぶし」を限りなく消し去ることも彼女には簡単にできると思いますが、それではあまたのポップス歌手のひとりになるだけです。彼女の立ち位置は出自である既成「演歌」でもなく、といって既成のポップスでもない独自の道を目指すところにたどりついたところではないでしょうか。実際このアルバムを何度も聞いているうちに、あの美空ひばりがたどりついた地点に島津亜矢が立っていることを強く感じるのです。
 彼女に最も足らないものは何でしょうか。それは歌です。彼女が歌うニューポップス、彼女が歌う新生演歌がまだないのです。彼女が一生けん命に努力している間、演歌はエンドレステープのように手あかに汚れた歌を増産し、ポップスには直接的な恋に心をちぢませる切ない歌があふれ、何万人という動員を誇るライブはあっても時代のかなしみを歌い、同時代の航行を共にできる「大きな歌」はなくなってしまいました。
 アルバム「SINGER5」はそれでもまだ時代の輝きをもっていたかつてのヒットソングに彩られ、島津亜矢は今ある精いっぱいの歌心で見事に歌っているものの、実は「歌の危機」、「歌の崩壊」を感じさせる深いアルバムでもあるとわたしは思います。
 個別には「First Love」に宇多田ヒカルとの共振を感じる他、「Forever Love」、「リバーサイドホテル」、「誕生」が好きですが、一方で「DESIRE-情熱-」は少し違い、島津亜矢はどうも中森明菜の歌の深淵にはまだ届いていない気がしました。
 次回はそれらの個別の歌について書いてみようと思います。

島津亜矢「First Love」 (2018.12.30 OA) 第60回 輝く!日本レコード大賞 企画賞アルバム「SINGER 5」

島津亜矢「誕生」 中島みゆきリスペクトライブ歌縁2018・東京公演



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2019.01.05 Sat 島津亜矢の「時代」は大みそかの夜、誰に届いたのか。NHK紅白歌合戦



今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

 昨年のNHK「紅白歌合戦」で島津亜矢が「時代」を歌いました。
 YOSHIKIとサラ・ブライトマンのステージの次にNHKの音楽トーク番組『おげんさんといっしょ』の星野源ファミリーが入ったおかげで、ワンステップ置いた落ち着いた舞台が用意されました。
 アカペラからピアノ、それからフル演奏と、この曲にぴったりの伴奏で始まった彼女の歌唱は、それまでのバラエティ色にあふれたにぎやかな舞台とは一線を画し、多くの人びとの心に残ったものと思います。
 演歌歌手でありながらポップスを見事に歌い、その歌唱力と声量に高い評価が集まったこともまた事実でしょう。しかしながら、そんなあたりまえの評価にとどまらない彼女の歌唱に、涙を流したひとも少なからずいたはずです。わたしもそのひとりでした。
 わたしは紅白に特別な想いはないのですが、根っからのテレビ好きのわたしにはジャンルを越えてその年に流行った歌や人気の歌手を一堂に観ることができる紅白は世相を映し出す鏡のようで、それなりに楽しむことができるのです。
 ずいぶん前、イッセー尾形が「紅白歌合戦」という一人芝居をしていました。
 昔はちゃぶ台に家族全員が座り、紅白歌合戦を見ていたのが、今は父親一人がちゃぶ台に座り、「おーい、誰それが出てるぞ」とか、妻や子供たちに話しかけても、誰も聞いてくれないしテレビを見ない。紅白がすでに国民的番組ではなくなったことと、父親が家の中で居場所がないことが重なり、笑いながらも身につまされる芝居だったように記憶しています。
 時代はそこからさらに進み、すでに年末の音楽バラエティ番組となった紅白の事情は少し変わりました。若いJポップの歌手が武道館どころか東京ドームを満席にできるエンタテイメント業界が闊歩し、そのライブシーンから一部のファンの熱烈な支持を獲得できる時代になりました。紅白もまたその流れに沿った出演者が登場するようになり、若いひとにほとんど見向きもされなくなった演歌歌手の出番はどんどん少なくなっていきました。
 その結果、イッセー尾形の芝居に登場した父親のような中高年者は演歌歌手が出なくなったことに愚痴をこぼし、中には紅白をまったく見なくなったひとも増えていることでしょう。
 しかしながら、国民的番組ではなくなったとはいえ、大みそかの夜に働きながらさまざまな想いを抱えてラジオに耳を傾けるひとや、非正規雇用でいつ追い出されるかもしれない寮で焼酎などを飲みながらテレビを見ているひと、病院で年を越さなければならないひとなど、自分の一年をふりかえり、親や子供や兄弟や恋人やともだちを想いながら、必死に「自分はここにいる」と心で叫びながら紅白を観たり聴いたりしているひとたちがいることもまた事実ではないでしょうか。
 何度か書いていますが、わたしが島津亜矢のファンになったきっかけは、10年前に亡くなった親友・Kさんが「島津亜矢のCDを買ってきてくれ」といった一言でした。高校からの友だちで、いっしょに暮らしたり同じ会社で働いたこともあるKさんは、わたしが豊能障害者労働センターでお金稼ぎに悪戦苦闘していたころ、クリスチャンだったことからわたしも働いていた会社にベトナム難民を受け入れ、住まいを用意し、プライベートでもいろいろなサポートをしていました。その縁で会社がベトナムに子会社をつくることになり、Kさんは社長として長い年月単身赴任でベトナムに暮らしていました。
 そんな彼がガンを患い、日本に帰国し入院することになりました。わたしは青春時代、共にビートルズのファンだった彼から演歌歌手・島津亜矢のCDを頼まれるとは思いもしませんでした。祖国から遠くはなれたベトナムの地でNHKの衛星放送から流れる島津亜矢の演歌は、彼の長い単身赴任をささえ、心を奮い立たせるものだったとわたしは思います。
 今回の紅白で島津亜矢が歌った「時代」は中島みゆきの1975年の楽曲で、個人の人生の様々な悲しみや痛みを引き起こすその時代の理不尽さを鋭いナイフでえぐる彼女の初期の名曲の一つです。かつて阿久悠が時代背景から個人の痛みを歌ったあざとらしさもなく、一方でその後のJポップのバラードのように個人の事情が個人で自己完結してしまうものでもない、その意味ではニューミュージックという称号にふさわしい楽曲です。
 この頃の楽曲は「暗い」とよく言われたものですがその後、中島みゆきはドラマの主題歌などポップス路線でその暗さをエンターテイメント化することで大化けし、幅広くたくさんのひとたちに受け入れられるヒットメーカーになっていきました。
 ともあれ「時代」は静かな曲でありながら、とても深い悲しみを内包していて、そのかなしみの深さを癒すのは自分でも他者でもなく、たとえばらせん階段のてっぺんから現在を眺望し、立ち止まったまま動けない心に「だいじょうぶ」と慰める未来の自分という他者を生み出す他にないのです。青春とは未来の他者としての自分を隠す、時のマジックなのかも知れません。
 わたしは世間でいうところの「平成最後の紅白」には興味がありませんが、どうしてもお祭り騒ぎの演出にならざるを得ない長時間の番組の中で、島津亜矢の「時代」を前半の紅組の終わりとした構成担当者の意図通り、彼女の歌は会場全体を鎮め、ひとつの時代の終焉をわたしたちに感じさせてくれました。一部に力が入りすぎという意見もありましたが、わたしはそうは思いません。
 たしかに今まで、島津亜矢は中島みゆきの歌になると力が入りすぎることもありましたが、今回の歌唱はそうではなく、前半のバラエティー色の強いステージが続く中で、心のこもった歌を必死に聴く人たちに届くようにと、震える心で彼女は歌ったのだと思います。それはそのまま、ソングライター・中島みゆきの心だとわたしは思うのです。
 こんなに思いを込めたパフォーマンスを成し遂げた島津亜矢は、今年からどんな歌を歌えばいいのでしょうか。ほんとうに今回の歌唱曲「時代」をはじめ、紅白でもカバー曲を歌わざるを得ない島津亜矢を、ソングライターの方々は放置していいのでしょうか。
 わたしは彼女を正しく評価すれば、演歌であろうとポップスであろうと、歌唱力と声量はもちろんのこと、その先にある「歌を詠み、歌を届け、歌を残す」未曽有の才能と努力に応えられる魂のこもった歌、演歌の王道のひとつとされる教訓ものではなく、ひとりの女性の繊細な心、同時代を生きるひとびとの傷つきやすい心、怒りや悲しみを希望へと変える切ない心を時にはなにげなく、時にはアニメソングのように大時代的に、立ち止まらない彼女に応えられる歌をつくっていただきたいと思うのです。
 そうでなければ、あまりにも島津亜矢がかわいそうで気の毒で、涙が出てしまいます。

中島みゆき「時代」(ライヴ2010~11・東京国際フォーラムAより)

島津亜矢「時代」( 2013)
この歌唱で十分なのですが、今回の紅白の歌唱はさらに奥行きのある深さと、思いつめたような心の震えが会場全体に広がる、特別な歌になっていたと思います。

島津亜矢「誕生」(詞・曲:中島みゆき/中島みゆきリスペクトライブ歌縁2018・東京公演)
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