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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

2018.08.24 Fri 「サム・フランシスの色彩」展 アサヒビール大山崎山荘美術館

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 8月22日は久しぶりに妻と二人で出かけ、アサヒビール大山崎山荘美術館に行きました。妻の母親が亡くなって4か月が過ぎましたが、その間、わたしは箕面のチャリティコンサートの準備に追われ、妻はのっぴきならない事情で近所のお家を40万円でゆずりうけ、リサイクルショップと週に一度の昼ご飯やさんやくつろぎスペースやちょっとした会議や文庫など、地域に開放できるようなフリースペース「SE-NO(せーの)」(仮)を開く準備をするのと自治会の用事で超忙しくしていました。
 そんなことでお店の準備で身動きが取れずにいて、せめて日帰りで出かけようと相談していたところ、「サムフランシスの色彩」展が大山崎美術館で開かれていると知り、お互いに高校時代に慣れ親しんだ作家だったことから、ようやく重い腰を上げ、出かけることになったのでした。
 妻はここ数年、長い間の無理がたたり、関節炎というのか、両膝がいたくてまともに歩けない状態になっています。医者嫌いの彼女にしては珍しく、近所のお医者さんで週に2回リハビリに通うようになって少しは楽になっているようなんですが、長い距離歩くのができず、杖かカートの助けを借りて外出しています。そんなわけでカートをささえにしてゆっくりと、大山崎に向かいました。
アサヒビール大山崎山荘美術館は12年ほど前に行ったことがあります。
 とても雰囲気のある建物で、居心地がよかったことを覚えていたのですが、今回特に驚いたのは、なんでも2010年に改修したようで建物の中がすべてバリアフリーだったことです。もともとは山荘で段差がたくさんあってふつうなのに、建物の中は完璧なバリアフリーで、それがこの歴史的建物にすっかり溶け込んでいて、いろいろなひとを迎え入れたいとするこの小さな美術館の姿勢があらわれていて、とても気持ちよい空間でした。
 サヒビール大山崎山荘美術館は、関西の実業家・故加賀正太郎氏が大正から昭和初期にかけ建設した「大山崎山荘」を創建当時の姿に修復し、安藤忠雄氏設計の新棟「地中の宝石箱」などを加え、1996年4月に開館しました。
 太郎氏の没後、加賀家の手を離れた大山崎山荘は、平成のはじめには傷みが激しく荒廃寸前となっていました。さらに周辺が開発の波にさらされるなかで、貴重な建築物と周囲の自然の保護保存を求める声が多くあがりました。
 加賀氏は、ニッカウヰスキーの設立にも参画し、アサヒビールの初代社長であった故山本爲三郎と同じ財界人として深い親交がありました。京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社は、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として再生したのでした。
 小さな美術館の特徴を活かしたユニークな企画をされていて、「サム・フランシスの色彩」展も、アサヒビール社のコレクションからアメリカの抽象画家サム・フランシスの作品を10点ほどですが初めて公開するほか、素材の微妙な調合により釉薬を生みだした河井寬次郎と濱田庄司のやきものや、筆触分割による色彩の組みあわせで光と影を捉えようとした印象派以後の絵画など、色彩にまつわる多彩な作品を展示していました。
 私と妻が出会ったのは高校生の時で、学校はちがったのですがどちらも美術部員で、今でいう合コンでした。場所は大阪中之島にあった「グタイピナコテカ」でした。グタイピナコテカは関西で活動していた具体美術協会の創設者・吉原治良所有の明治時代の土蔵を改修した展示施設で、現代美術を紹介する場としても注目されていました。
 ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、イサム・ノグチ、ジョン・ケージなどもしばしば訪問し、活発な交流が行われていた施設で、わたしたちのあこがれの場でもありました。サム・フランシスの作品も、おそらくここで見たのが最初だったと思います。
 わたしは絵を描かない美術部員で、ポップアートやネオダダ、そしてシュールレアリスムにかぶれた軽薄な高校生でした。わたしにとってその時代は音楽や演劇よりも美術の時代でした。たしかにビートルズがあらわれたりと、ロックの方がすでに世界の若者の心をつかんでいたのでしょうが、歌謡曲派のわたしにはロックはまだ敷居が高く、むしろ美術手帳をバイブルに、現代美術の冒険に心を奪われていたのでした。
 そんなわたしの青春の1ページに、サム・フランシスも存在していました。
 今回、少し勘違いをしていて大きな美術館の展覧会のようにもっと作品がたくさんあると思っていましたが、この美術館が所有している8点ほどの作品が展示されていただけなのですが、がっかりするどころか、はじめてこのひとの作品と出会ったように感じました。
 壁一面の大きさのキャンバスにアクリル絵の具による鮮やかな色彩は、世界中の色という色をかきあつめたようでもあり、また日常ではさまざまな色がグレーがかっているというか、生々しさを形・フォルムが隠しているのですが、その形や器から解放され、本来の質感と肉感が直接わたしの前に立ち現れるようなのです。
 そして、日本びいきの彼らしく、飛沫やにじみをいかす余白であったはずの「あざやかな白」が色彩として自己主張する様は、すでに半世紀をすぎても色あせることがありません。
 高校生の時に心ときめかせ、ただがむしゃらに作品の前を通り過ぎてしまったサムフランシスの「初めに色彩ありき」の世界観を、半世紀を経てほんの少し感じ取ることができました。
 「サム・フランシスの色彩」展は9月2日で終了し、9月15日から12月2日までは「谷崎潤一郎文学の着物を見る」展という、またユニークな展覧会があります。
 建物自体を味わうだけでも素敵なところですが、9月3日から14日までは休館になるようです。

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2018.08.21 Tue 「平和は夢に過ぎないのではありません。平和は骨の折れる努力なのです。」 映画「コスタリカの奇跡」

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 8月19日の「コスタリカの奇跡」上映会は2回上映で合計80人の方々のご参加を得ました。直近になって毎日新聞と朝日新聞で紹介していただいたこともあり、問い合わせの電話も数件ありましたので少し手ごたえはありましたが、なにぶん交通の便がよくないので心配しました。
 しかしながら今回は約半数が能勢の住民で、また隣町の豊能町からも10人ほど来ていただき、その他池田、箕面、尼崎、猪名川町、川西、大阪市など近隣の町からも、また遠くは京田辺市、芦屋市、河内長野市からもご参加いただきました。ありがとうございました。
 1948年に軍隊を解体したコスタリカの70年という年月の間、ニカラグアとの国境紛争や内乱など、危機は一度や二度ではなく、時の政権が常備軍を持つことを選ぼうとした時もありました。そのたびにコスタリカの人々はそれを否定し、政府もまた国連などの国際機関を通じて、さらにはその加盟国に直接働きかけ、武力ではなく話し合い外交によって危機を乗り越えてきたことを、そして不要になった軍事費を社会福祉や教育に注ぎ、多くの人々が豊かさを実感できる社会をつくってきたことを映画は丁寧に描いています。

 わたしたちの国もまた、「二度と戦争はしない」という切ない誓いを憲法9条で宣言した数少ない国の一つですが、戦後すぐから始まった冷戦のさ中、1950年の朝鮮戦争勃発により、アメリカはアジア地域の共産化をおそれ、日本に警察予備隊をつくらせました。後に1952年に保安隊、そして1954年に自衛隊に改組されます。
 この頃からでした。いつの間にか国(自分たち)を守る軍隊を持つことに賛成するひとびとが増えてきました。子どもだったわたしは、戦前戦中と日本軍が大陸を侵略することから悲劇がはじまったことを知りませんでしたが、学校で学ぶ民主主義や平和主義とは真逆の、アメリカの武力の傘に入り自らも武力を持つことでしか平和は保てないと教えられたのでした。「話し合いで紛争を解決するべき」とか、「憲法にも武力を持たないと書いてあるやんか」と口答えをすると、きまって「そんな甘い考えは学校だけにしとけ」とか、「お前ら戦争を知らんからそんな理想をいうんや」と、「殴られたら殴り返す。目には目を」とする武力を持つことが現実的で、憲法の平和主義と武力のダブルスタンダードが本音と建て前となっていきました。
 「軍隊がなくて、どこかの国が攻めてきたときどうするの?」という問いに対して、実はコスタリカでは国家の非常事態の際には国会議員の3分の2の賛成投票により、徴兵制実施及び軍隊の編成権限が大統領に与えられています。また、警察の武力を軍事力とみなし、コスタリカは非武装国家ではないという意見もあります。
 しかしながら、いざという時に軍事力を持つことを憲法に定めながら実際には軍事力を持たず、国際法に基づく外交努力によって紛争を解決するというのがコスタリカの国家戦略なのです。それは憲法で軍事力を持たないことを明記しながら、実際には自衛のための軍事力を強化し、いまや集団的自衛権のもとで「戦争ができる国」となった日本と対照的です。
 同じ時代にそれぞれの理由で軍隊のない国をかかげ、70年の時を歩んできたコスタリカが日本と真逆の歴史をつくりえたのはなぜなのでしょう。この映画はそのことを丁寧に描いたドキュメンタリーで、軍隊を持たないと国を守れないとアメリカの傘に入り、中国や北朝鮮と軍事的に対峙する東アジアの軍拡競争の端っこで、軍事予算を増やしてはアメリカの武器を買い求めるわたしたちの社会を見直すきっかけを用意してくれる貴重な映画だと思います。
 映画を観終わってあらためて強く感じることは、わたしたちの国では軍隊を持たないで国を守るなんて言うのは甘い夢想やユートピアとされてしまうのですが、コスタリカでは隣国ニカラグワとの国境紛争をはじめ何度か再軍備を検討されながらも非武装を選び、国際法と外交によって紛争を収める不断の努力によって平和を希求する極めて現実的な政策だということです。
 そして今、コスタリカもまた大きな危機を迎えていることもこの映画は伝えています。グローバリゼーションの嵐の中で社会保障の充実だけでは追いつかない格差の問題はわたしたちの国が直面しているもので、それはまた世界が直面している問題なのだと思います。その上にラテンアメリカ固有の麻薬取引の問題がのしかかっています。
 コスタリカに学ぶべきことはたくさんあるものの、同時にグローバリゼーションによって社会の基盤を破壊されていく世界のひとびととの海の底を渡るネットワークともいうべきつながりから、暗闇の向こうにひとすじの「希望」が見いだされるのかはこの映画は教えてくれません。それは映画を観た後の、世界市民としてのわたしたち自身にゆだねられるのだと思います。

「平和は夢に過ぎないのではありません。平和は骨の折れる努力なのです。平和はわたしたちの誰もが選択し、忍耐強く保持していかなければならない道。それはわたしたちが周囲の人々との小さな日毎のもめごとを平和的な方法で解決していくことなのです。平和はわたしたち一人ひとりから始まるのです。」
コスタリカ元大統領オスカル・アリアス・サンチェス(1987年ノーベル平和賞授与)

9月8日(土) 箕面グリーンホールで上映会があります。

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2018.08.13 Mon 島津亜矢は荒野の子。悲しさ、しかし、明るい力強さ、そして、そのまっすぐな心

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 久しぶりにNHKの「うたコン」や「BS日本のうた」を観ていると、昨年からの若手の演歌歌手台頭の流れが加速していると感じます。とくに市川由紀乃、丘みどりの露出が目立ち、山内恵介にいたっては氷川きよしにつづく人気を獲得しているように思います。
 演歌・歌謡曲のジャンルにあったギルドが緩くなり、新人や若手の歌い手さんの活躍を番組の作り手もリスナーも後押しする感じで、下克上も相まって百花繚乱の様相にも見えます。
事実、市川由紀乃&横山剣(クレイジーケンバンド)の異色コラボによる「雨に濡れて二人」や竹島宏の「恋町カウンター」、水野良樹と亀田誠治という「いきものがかり」のヒットメーカーによる石川さゆりの「花が咲いている」など、演歌・歌謡曲のジャンルにおいても意欲的な冒険が試みられるようになりました。
 もちろん、音楽シーン全体からみれば小さなムーブメントにすぎませんが、大衆音楽がすでにメガヒットを求めなくなり、「流行歌」という言葉が過去のものになった今、いろいろなジャンルの住みわけが可能になり、営業・興行などのマネージができる範囲で既成イメージを壊す戦略は新たにファンを獲得できる試みなのでしょう。
 そんな状況の中、島津亜矢はまたしても孤独な旅を始めることになったとわたしは思います。昨年6月の「金スマ」出演をきっかけにTBSの「音楽の日」と「UTAGE!」などのJポップ本流の音楽シーンに登場し、演歌・歌謡曲のジャンルとはその数も音楽的嗜好もちがうファンに認知されるようになりました。ただの一ファンにすぎないわたしは事情筋の裏情報などを知る由もありませんが、これらの番組に出演を決めたのは島津亜矢本人の強い意志からと思っています。もちろん、島津亜矢チーム全体が彼女のプロデュースにかかわっているわけで、チーム全体としてその方向性を見定めたうえでのことでしょうが…。
 事実その方向性から、昨年の東京オペラハウスでのSINGERコンサートが実現し、今年も開催されるとのこと、チームとしての意志をはっきりしめしてくれたことをうれしく思います。願わくばせめて大阪や名古屋でも開いてくれたらと切実に思います。
 そして、CDセールスと通常のコンサートでは演歌歌手としての姿勢を変えずにいるのもまた、若手の台頭をはじめとする演歌界を見据えたプロデュースだとは思いますが、他の演歌歌手がJポップの旗手とタッグを組んだ楽曲やパフォーマンスに取り組んでいるのに比べてあまりにもオーソドックスで、なんとかならないものかと思います。
 彼女彼らの最近の動きは石川さゆりは別格として本人の意向というより、それぞれのチームがしのぎを削っているという様相で、失礼ながら島津亜矢のチームがその「たたかい」の場にまったく入らないプロデュースを漫然としていることが不思議でなりません。費用の問題があるのかも知れませんが、本来はここ一年ばかりのJポップの旗手たちとの交流や共演を果たした島津亜矢にこそ、演歌の枠組みの中にあっても思いがけないコラボが実現するはずとわたしは思います。
 また好評の「SINGER」シリーズでもカバーだけでなく、松本隆や水野良樹、桑田佳祐などJポップの旗手たちによるオリジナルのポップスを1、2曲制作し、それをシングルカットすることも可能なのではないでしょうか。
 たしかにJポップのジャンルに進出することで、既存の演歌枠にとどまることは難しくなると思われます。いまが一番どっちつかずの状態かも知れませんが、こんな時こそリスクを拾ってでもJポップの旗手たちのプロデュース&作詞作曲による新しい演歌やポップスを島津亜矢が歌う大胆なプロデュースを望みます。

 前置きが長くなってしまいました。今回の記事からしばらく、「UTAGE!」でのパフォーマンスについて書こうと思っています。
 この番組はTBS系列で2014年4月21日から2015年9月28日まで月曜『テッペン!』枠にレギュラー放送されて、2016年以降は不定期特別番組として放送されている音楽バラエティ番組です。他の音楽フェス番組とちがい、番組名どおり歌手たちの宴という設定でさまざまなヒット曲を何人かの歌手による異色のコラボで通常はありえない音楽的冒険にチャレンジするというのがこの番組のコンセプトです。
 何日かのリハーサルを経て、本番ではやり直しができない一回限りのパフォーマンスに全力で取り組むことで隠れた才能が発見されたり、歌手同士の交流が思わぬ表現を生んだりすることがあります。
 古くは「THE夜もヒッパレー」での安室奈美恵やSPEEDがブレイクしたように、「UTAGE!」から島津亜矢がブレイクする可能性がないとは言えません。
 今年の「音楽の日」は島津亜矢の出演がなく、またNHKの夏の「紅白」ともいわれる「思い出のメロディー」の出演がなかったことはとても残念ですが、「UTAGE!」は昨年の秋から今年の3月と6月の3回連続出演し、島津亜矢のポップスの可能性を見せつけました。
 昨年の秋はケミストリーの堂珍嘉邦とのコラボで「美女と野獣」、今年の3月には同じくケミストリーの川畑要とのコラボでコブクロの「桜」、松本明子、元SPEEDの島袋寛子、元モーニング娘の高橋愛とのコラボで槇原敬之の「遠く遠く」、リトルグリーンモンスターのあみん、BENI、高橋愛とのコラボで宇多田ヒカルの「First love」、6月の放送では松本明子、高橋愛、AKBの峰岸みなみ、NMBの山本彩とのコラボで中島みゆきの「ファイト!」、川畑要とのコラボで山下達郎の「RIDE ON TIME」、AKBの柏木由紀とのコラボでいきものがかりの「じょいふる」と、組み合わせも歌のバリエーションも島津亜矢のコアなファンでも想像できないコラボで、到達度の高い音楽を聴かせてくれました。
 NHKの「BS日本のうた」や「うたコン」とはまったくレベルのちがうコラボで、これこそ待ち望んでいた島津亜矢の質の高い音楽的冒険だと言えます。
 もちろん歌唱力で言えば演歌歌手のレベルは相当高いとは思うのですが、わたしの偏見かも知れませんがどうしても演歌界でのランクやギルドなどが邪魔をして、「共演」というより「競演」になりやすく、そのさまざまな気配りがせっかくの共演をありきたりで予定調和的な表現で終わらせてしまいがちなのです。
 それに比べて「UTAGE!」でのコラボにはそんな遠慮がなく、また島津亜矢が年齢やデビュー年からも先輩であることが多く、当たり前のパートナーとして受け入れられていることをとてもうれしく思います。コラボする島袋寛子やかれん、BENIなど、ポップス界では歌唱力が抜群に高いことで有名な歌手と対等どころか、メインボーカルをつとめる島津亜矢に、ポップスファンは度肝を抜かれたに違いありません。
 また、島津亜矢自身もとても柔らかい心と確かな歌唱力でそれぞれのコラボでの音楽的到達度を楽しんでいる様子で、ああ、彼女が若い時にこんな風に音楽を楽しめる仲間がいればよかったのにと、つくづく思います。
 ともあれ、こんな書き方はよくないかもしれませんが、島津亜矢が少し片足を離した演歌・歌謡曲のジャンルにはすでに若手の歌手たちがうごめいていて、もしかすると彼女は前のままの居場所には戻れないかもしれません。
 しかしながら、その何十倍もの期待が彼女に注がれるポップスのジャンルでは、「大型の新人」で、彼女の歌唱は宇多田ヒカルとともにポップスの在り方も変える大きな可能性を秘めていると思います。
 座長公演の演出家・六車俊治氏が言うように、「島津さんの歌声に感じる悲しさ、しかし、明るい力強さ、そして、そのまっすぐな心」こそが、演歌にしてもポップスにしてももっとも必要とされるものならば、「UTAGE!」での貴重な体験はいずれボーカリスト・島津亜矢を生みだすと信じています。
 次回は、「ファイト!」について書こうと思います。


島津亜矢with 松本明子 高橋愛 峰岸みなみ 山本彩・「ファイト!」( UTAGE!)

大竹しのぶ「ファイト!」

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2018.08.01 Wed 映画「コスタリカの奇跡」上映会にご来場をお待ちしています。

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映画『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』上映会
2018年8月19日(日) 能勢町淨るりシアター小ホール
11:00上映(10:30開場) 13:30上映(13:30開場)
運営協力費 800円(大学生以下無料)
主催 「コスタリカの奇跡」上映実行委員会 能勢から未来を考える会

 わたしが子どもだったころ、戦争のきずあとが町のいたるところに残されていました。焼け崩れたまま廃墟となった建物、もつれてしまった鉄条網、目的をなくしてしまった焦げたやかんとぼろ切れになった服…。近所の小高い丘に放置された戦争の足跡は子どもの心にもなまなましく忌まわしく付きまとっていました。
 さすがに墨塗の教科書の世代ではないものの、学校では「自由」と「権利」、そして「平和」がどれだけ大切かを連日教えてもらったものの、地域の大人たちはといえば戦争の自慢話に花咲かせていました。子ども心に、自慢話がほんとうなら戦争に勝ってるはずやと思いました。それでも大人たちは戦争の話の最後にいつも「戦争はこりごりや」と本音をつぶやくのでした。
 戦後すぐから始まった冷戦のさ中、1950年の朝鮮戦争勃発により、アメリカはアジア地域の共産化をおそれ、日本に警察予備隊をつくらせました。後に1952年に保安隊、そして1954年に自衛隊に改組されます。
 この頃からでした。大人たちは「ソ連が攻めてきたらどうする。家族が殺されるぞ」と、いつの間にか国(自分たち)を守る軍隊を持つことに賛成していました。子どもだったわたしは、戦前戦中と日本軍が大陸を侵略することから悲劇がはじまったことなどまだ知りませんでしたが、学校で学ぶ民主主義や平和主義とは真逆の、アメリカの武力の傘に入り自らも武力を持つことでしか平和は保てないと教えられたのでした。
 「話し合いで紛争を解決するべき」とか、「憲法にも武力を持たないと書いてあるやんか」と口答えをすると、きまって「そんな甘い考えは学校だけにしとけ」とか、「お前ら戦争を知らんからそんな理想をいうんや」と、「殴られたら殴り返す。目には目を」とする武力を持つことが現実的で、憲法の平和主義と武力のダブルスタンダードが本音と建て前となっていきました。
 わたしは大人になり、ガンジーやキング牧師の非暴力主義にシンパシーを持ちました。一方、国はソ連の次は中国、北朝鮮と次々と「仮想敵国」を変えながら、ここ数年武力の増強が加速しています。だれのための、なんのための武力なのか、子どもの心に持った疑問は解決されないままです。
 そして長い年月をかけてわたしたちは「軍隊がないと国を守れない」という共同幻想を受け入れ、執拗で大きなマインドコントロールの網に掛けられてきたのだと思います。

 アメリカの裏庭といわれるコスタリカが軍隊を持たないで国を守ってきたと知った時、そんなことができるのかと、単純に疑問を持ちました。
コスタリカも日本もほぼ同じ時に国内外に「軍事力を持たない」ことを宣言しました。
それから今までわたしたちの国では「攻めて来られる」不安が現実のものになることはありませんでしたが、コスタリカでは現実に紛争が起きたり、何度か起きそうになっても国の常備軍としての軍隊を持たないで警察力と粘り強い話し合い外交によって解決してきたことを知り、わたしたちの国の防衛力はなんのためにあるのだろうと、強く思いました。
 そして、戦後73年もの間マインドコントロールされてきた「国を守るには武力が必要」という常識を疑ってみることが大切なのだと思いました。
 わたしたちが遠い理想としてきた「軍隊を持たない平和」を現実のものとしてきたコスタリカのたどった73年を、わたしたちがこんな選択もできたはずの「もうひとつの歴史」として検証することは、今まさに憲法を変える変えないという「国の未来」を見定める岐路に立つわたしたちにとってとても大切なことだと思います。
 そしてまた、コスタリカが軍隊を廃止した背景に内乱を防ぐ目的があったことも、映画は教えてくれます。革命によって樹立した時の政権は、まずは反対勢力が握っていた軍隊を解体し、それから革命軍自体も解体したのでした
 わたしたちの国の歴史においても、軍隊が国民を守るためよりも国体を守るためにあったことをさまざまな証言が教えてくれます。そのことは今も変わらず、沖縄に対する国の仕打ちなどが証明してくれます。近い将来、自衛隊と防衛省が武力をわたしたち国民に向けることがないといえるのでしょうか。
 その意味においてもコスタリカが軍隊を廃止し、そのコストを福祉と教育、社会資源の育成に向けることはとても理にかなったことでした。振り返って日本では、軍事力を高めることで何を生み出せるというのでしょう。
 映画「コスタリカの奇跡」は、コスタリカの73年がわたしたちと全く縁がないどころか、同じ世界史を歩んできた2つの国で同時代を生きてきたわたしたちとコスタリカのひとびとの、かけ離れているように見える現実と夢が交錯する一瞬を用意し、わたしたちが立ち止まる機会を作ってくれる映画だと思います。
 ぜひ、違う世界ののぞきからくりをみるような気軽さで、映画をごらんになりませんか?

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2018.07.29 Sun 島津亜矢の新しい演歌は日本のクレオール文化から生まれる。NHK「うたコン」・「海の声」

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空の声が聞きたくて 風の声に耳すませ 
海の声が知りたくて 君の声を探してる

 先日のNHKの「うたコン」で島津亜矢が歌った「海の声」は、彼女がまたひとつ、大きな進化を遂げたことと、わたしの想像を越えてさらなる進化を予感させるとても刺激的な歌唱でした。
 島津亜矢のファンになってかれこれ10年、先輩のファンの方々のディープな想いにはおよばないものの、彼女の歌の軌跡に伴走出来る楽しさを一人でもたくさんの方々に知ってもらおうと記事を書いてきましたが、ここ数年加速度的に変幻・進化する彼女の歌の軌跡に追いつけなくなってしまいました。
 というのも、一人のファンとして島津亜矢にこんな歌手になってほしいとかこんな歌を歌ってほしいとか、ファンならではの無茶ぶりと思える妄想と願望が次々と実現するだけではなく、まさかと思える歌をまさかと思える歌唱で次々と歌ってしまう島津亜矢に、わたしはとんでもない歌手を好きになったものだと半分は自負し、半分はこれから彼女がどうなっていくのか期待と少しの恐怖すら持ってしまうのです。
 それもこれも、彼女の稀有の才能はもちろんのこと、若くしてデビューしたことで歌手としての円熟・成熟にはまだ10年は早く、持ち前の努力と好奇心で音楽的冒険をする時間がたっぷりあるからです。また、彼女のデビューから現在まで、出自である演歌の分野では不遇であったことがあらゆる分野の歌を歌う機会をつくったとも言え、最近のポップスの分野でのブレイクと呼んでいい状況が生まれたのだと思います。
 しかしながらそれゆえに、NHKの「うたコン」ですらJポップのカバーを求められることが多く、演歌は「BS新日本のうた」をはじめとするBS放送の演歌・歌謡曲番組に限られるようになりました。この現実を好ましく思わないひとも少なからずいて、島津亜矢本人にしても演歌の固定ファンを無視できず、特にCDを中心にプロデュースする新曲発表は今のところ演歌に限られ、それも演歌の王道と言える「ひとの道」を説くような歌になっています。
 正直のところ、根強いハードなファンを持っているとはいえ、いまや5パーセントにも満たないマーケットと言われる演歌の分野では、この小さな市場に島津亜矢がとどまる時代は終わってしまったのかも知れません。というより島津亜矢は現代演歌という、1970年以降に大衆音楽が大きく別れて行った後に残された偏狭なジャンルには収まらない立ち位置を、彼女自らが探しつづけなければならない宿命を背負っているのだと思います。
 それはまた、島津亜矢のファンになったわたしが彼女を通して現代演歌と出会い、明治政府の音楽教育によってゆがめられたところから生まれた「歌謡曲」の歴史の中に「日本の歌」のルーツを探す旅でもありました。
 最近気づいたことですが、過去へ過去へとさかのぼり、余分に思える要素を捨てたりはがしたりして原石を見つけるのではなく、日本固有の、そして日本国内それぞれの地域の、さらには海の向こうから押し寄せる世界の多様な音楽が混じりあい、融合してきた歴史をたどることから、島津亜矢が歌うべき日本の音楽を探し当てることができるのではないかと思うようになりました。
 海の向こうのブルースもジャズもレゲエもアフリカから奴隷として連れて来られた黒人たちが過酷な労働を強いられながら言葉や習慣を融合させ、支配階級の文化とアフリカのの文化とアメリカ大陸の文化を融合させて生まれたものでした。虐げられ貧困を押し付けられ人間としての誇りを奪われてきた奴隷たちの怒りや悲しみを内包しながら、西洋音楽と黒人音楽があらゆるところでまじりあい、世代が変わるたびに融合・混合・混血の文化、いわゆるクレオール文化が育ち、豊かな音楽が生まれたのです。
 わたしは日本でもクレオール文化が育ってきたと思うのです。たとえば在日朝鮮人の中には日本の植民地時代に自分の意志ではなく日本に来た人たちや植民地となった祖国で暮らせなかった人々、そして戦後、朝鮮半島の内乱や朝鮮戦争によって祖国に帰れなかったひとたちが数多く日本で暮らしています。ネットでは「韓国や北朝鮮に帰れ」という記事が飛び交いますが、彼女彼らの一世ですらすでに故郷はなく、また日本で生まれ、日本で育った二世以降のひとびとにとって故郷はよくも悪くも日本なのだと思います。
 日本は植民地時代に極端な日本化(皇民化)政策で朝鮮文化を抑えつけたため、日本化された朝鮮文化が隠れています。そこから日本でもなく韓国・朝鮮でもない在日の新しい故郷をアイデンティテイとするクレオール文化が花開き、日本文化を豊かにするとわたしは思います。
 一方で沖縄もまた、朝鮮戦争をきっかけに米軍が朝鮮半島に出動するための米軍基地を要求し、本土の反対運動からほとんどの基地を沖縄に移し、今に至っています。沖縄は日本の一地域でありながらアメリカの植民地のように扱われ、米軍兵による理不尽な犯罪が後を絶たないというのに、今また国はアメリカの要求通りに普天間の代替として辺野古に基地をつくる工事を進めています。(それに異議申し立ての叫びをあげる沖縄の人々の苦しみ、悲しみをわたしたちは見て見ぬふりをしていないでしょうか。)
 その中で、沖縄の風土とアメリカと日本の文化が混じりあうクレオール文化が育ち、本土をしのぐ数々の名曲が生まれました。
 「海の声」は2015年のauのCMソングです。作詞はau三太郎シリーズのCMプランナーで電通の篠原誠、作曲はBEGINの島袋優で、ユーチューブの視聴回数が一億を越える大ヒット曲になりました。
 BEGINはデビュー当時から音楽的な要素、歌詞の構成、何よりもその土地の暮らしの中から滲み出たような歌のあり方から、ブルースと沖縄民謡の大きな共通点を見出していました。
 デビュー10周年の2000年、自らのルーツである「沖縄」を見つめ直し、島唄のアルバム『オモトタケオ』を制作。この時、森山良子に提供し、その後夏川りみ他、多くのアーティストにカバーされている「涙そうそう」も生まれており、「島人ぬ宝」や「かりゆしの夜」など、沖縄の風景や島の暮らしが描かれた故郷のぬくもりを感じさせるBEGINの代表曲となる楽曲が次々とつくられました。BEGINもまた沖縄の伝統音楽とJポップを融合させるクレオール音楽の旗手にまちがいありません。
 島津亜矢が歌う「海の声」には、この歌の作詞者・篠原誠も作曲者・島袋優、そして役者でありながら見事な歌唱力でこの歌を人々の心に届けた桐谷健太による、完成されたオリジナル歌唱と一味違う歌の心があります。
スマートホンなどの通信手段を手に入れたわたしたちは、会えない人に会いたいと願い続ける時間をスマートホンに奪われてしまったとも言えます。わたしたちはポケットやカバンにスマートホンという「孤独」を持ち歩くことでしか、会いたい誰かと出会えなくなってしまったのかも知れません。「海の声」がスマートホンのCMソングを越えて大ヒットしたのは、そのことを教えてくれたからなのかも知れません。
 島津亜矢の「海の声」は、その孤独な心をやさしく抱きしめる海の深さをわたしたちの心に届けてくれるラブソングだと思います。
 彼女が今、Jポップといわれるジャンルのカバー曲を歌うことは、海の底や星空に眠っている無数の歌たちをよみがえらせて、新しいクレオール・混血の音楽を生み出す壮大な実験なのだと思うのです。そして、島津亜矢の新しい演歌・歌謡曲が生まれる場所もまた、その壮大な実験の彼方にあると思うのです。

島津亜矢「海の声」

「海の声」 フルver. / 浦島太郎(桐谷健太)


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