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2017.04.02 Sun いよいよ新しい時代の入り口に立った島津亜矢と「BS新日本のうた」

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 島津亜矢の3日連続出演の2番目は3月19日放送のBSプレミアム「新・BS日本のうた」で、この日はスペシャルステージで、なんと島津亜矢にとっては2回目目の「演歌名人戦」でした。この企画は地上波のNHK総合「うたコン」の前身・「歌謡コンサート」の人気の企画でした。島津亜矢は2015年2月3日にこの企画で出演し、地上波ではじめて「I will Always Love you」を熱唱して話題を呼んだ他、昨年の10月9日のBSプレミアム「新・BS日本のうた」のスペシャルステージ・演歌名人戦に出演しました。
 この時は、吉幾三、中村美律子、氷川きよし、島津亜矢が競演するという趣向でしたが、特に中村美津子と島津亜矢の「乱れ髪」は歌の心を知る二人ならではの熱唱で、中村美津子が島津亜矢の歌唱を絶賛されたのをよく覚えています。
 あれからまだ日が経っていないにもかかわらず、この企画に出演することになったのは、やはりこの番組の制作チームが島津亜矢を高く評価している証といって間違いないでしょう。
 彼女の20代後半から30代の頃の「BSの女王」と異名をとった時代に培われた信頼関係もあると思います。あの頃はBS放送がまだ普及しておらず、若手の実力歌手を求めていたニーズに島津亜矢がぴったりはまったのでしょう。地上波の番組のような波及効果がないことを逆手にとり、この番組チームは歌唱力も声量も抜群で勢いもあった島津亜矢に演歌・歌謡曲の名曲を次々と歌わせました。この頃の島津亜矢はまさに怖いもの知らずで、朗々と歌い上げる貴重な映像が残っています。島津亜矢のカバー曲の幅広いレパートリーと底なしの表現力はこの頃の番組スタッフの冒険によって培われ、番組で歌われた膨大な楽曲をレコーディングしたアルバム「BS日本のうた」も8シリーズを数えます。
 しかしながら、BS放送が普及する一方、とくに90年代からのJポップの席巻により演歌・歌謡曲が退潮を極めるようになるにつれて、ベテランの歌い手さんが続々とBS放送に参入し、島津亜矢の音楽的冒険の独壇場だったこの番組への出演回数も次第に少なくなってきました。わたしが島津亜矢のファンになった2009年にはすでにその状況が加速されていたと記憶しています。
 わたしの記憶違いか思い込みかも知れませんが、この頃は島津亜矢にとって、思いまどいながら新しい道に向かう準備の時期だったのかも知れません。というのも、若い頃のように有り余る声量とひとつの音程もはずさず、歌いあげる歌唱から、肉感的な低音を獲得し、「男歌」とか「女歌」とかにとらわれず、聴く者の心のひだにしみ込むように「歌い残す」歌唱へと進化する数年間であったと思います。既成の演歌の歌唱法のうなりやこぶしなどそぎ落とすだけそぎ落とし、よりシンプルに歌いながら西洋音楽の旋律に記された音と音の間に「日本の音」をよみがえらせる新しい演歌への模索、そのプロセスの中で彼女にとっての歌・大衆音楽は演歌の領域を一方では広げ、一方ではそれを越えた幅広いレンジのJポップやシャンソン、ジャズやブルースなど、世界のポップス音楽との出会いを用意したのでした。
 あの頃は若い時の声量で歌ってほしいという声も聞こえてくることもあったようですし、実際、若い頃のリサイタルの映像やユーチューブの貴重な映像で残されている、恐れるもの何もなしというような圧倒的な歌唱がなつかしいと話されるファンの方々もいました。
 ちょうどその時期から座長公演が始まり、それまでの名作歌謡劇場で極めた一人芝居に似た疑似演劇とは似て非なる本格的な芝居で、自分がすべて語り尽くすのとはちがい、たくさんの人たちと大きな物語を語り、つくりだす経験が、彼女の歌のスケールを大きくしました。また、座長公演の2部の歌謡ショーではそれぞれの演出家が島津亜矢の音楽的な可能性を広げ、さまざまな魅力を引き出そうと素晴らしいステージを構成・演出してくれました。それまでもポップスを数多く自分のレパートリーにしてきた彼女ですが、座長公演の歌謡ショーでより広く認知されたのではないでしょうか。ポップスの音楽評論家や音楽番組のパーソナリティから松山千春、マキタスポーツなど、影響力の高い論者やアーティストに高く評価されるようになったのもこのころからだと思います。残念ながら演歌・歌謡曲の論客では小西良太郎が高い評価をした以外にあまり記憶がありません。もっとも演歌のジャンルの退潮とともに演歌を論じ語る人もまた少なくなった事情もありますが…。

 そしてここ数年、島津亜矢がまた大きく変わったと思います。その前の数年の準備期間を経て、いよいよ新しい演歌・新しい歌唱へと少しずつ表現力を身に着け、とても刺激的な歌手・ボーカリストに変身しようとしています。
 いまだ途上ですが、たとえれば歌の荒野にただ一人立ち、荒野を走る風に耳を傾け、心をアナーキーな真綿の純白に浸し、何十年何百年何千年もの長い時の一瞬一瞬に生まれ消えていった何億という歌たちをいとおしくすくい上げる稀有の歌姫として、歌うことから逃れられない宿命を背負わされた者だけに降りてくる歌を、近い将来島津亜矢は歌い始めることになるでしょう。すでに歌がうまいとか、表現力が並外れているとか、声量のコントロールも音程も完璧だとか歌唱力で彼女を評価する時代は終わり、彼女の存在が歌の作り手にどれだけの想像力をかき立てるのか、作詞家は彼女の肉体を媒体にしてどんな風景と夢を描くのか、作曲家は彼女の心を媒体にしてどんな心情と希望を奏でるのかが問われるようになるでしょう。かつて美空ひばりが大衆音楽のミューズであったように…。
 その流れのひとつとして島津亜矢がこの番組にたびたび出演する機会が増えているとしたら、巡り巡って一段とビッグになって帰ってきた島津亜矢が、この番組の音楽的冒険を実現する役割を担うことになるでしょう。
表情も豊かに、長年の肩の荷をおろしたようにリラックスしている彼女はとてもチャーミングになりました。ハリネズミのように緊張していた以前にくらべて歌にも心にも余裕があり、その安心感が共演者にも伝わって、彼女をいわゆる「いじる」ことも増えてきたように思います。
 今回の記事では番組で歌われた「お吉」、「独楽」、「一本どっこの歌」について触れられないまますでに紙面が埋まってしまいました。私的な事情でなかなかブログが書けず、またそれに反比例するように島津亜矢の出演が立て続けにあり、とても追いつけない状態です。それでもあと少し、とくに「一本どっこの歌」については書こうと思っています。
 また、3月26日の「昭和の歌人-船村徹」は、先ほど亡くなられた船村徹の追悼番組として制作されたものではないと聞きましたが、出演歌手も制作スタッフも、この偉大な作曲家への感謝の気持ちと心から追悼する想いにあふれた素晴らしい番組でした。島津亜矢をはじめ、他の共演者のこともふくめて書いてみたいと思っています。
 そうこう思っている間に、本日4月2日のNHK・BSプレミアムの「BS新日本のうた」に早くも出演するとのことで、ますます記事が古くなってしまいますがおゆるしください。

島津亜矢「いっぽんどっこの唄」
この歌はわたしにとって思い出がいっぱいつまったもっうひとつの青春の歌です。できればこの歌の想いでなどを次回に書きたいと思います。

島津亜矢「お吉」
座長公演以前と後では、圧倒的にセリフの深みがちがうと思います。歌もまたいわゆる定型ではなく、お吉のはかなさ、くやしさ、そしてそれらすべてを人生の終わりに呑み込む「ゆるし」がセリフと一体となって聴く者の心を揺さぶります。

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2017.03.23 Thu 深呼吸にメロディがついているかのよう 島津亜矢

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 3月18日はテレビ朝日の「古館伊知郎ショー」、19日はNHKBSプレミアムの「新・BS日本のうた」、20日はBS日テレの「歌謡プレミアム」と、3日連続して島津亜矢がテレビ出演しました。
 テレビ朝日の「古館伊知郎ショー」は音楽番組ではなく、市川海老蔵と小池百合子、天海祐希と広瀬すずなど、何組かの組み合わせにそれぞれ古館伊知郎が加わり、話題の人物の心情・心境を引き出すという構成の中で、ゲスト2人に歌を届けるパフォーマンスゲストとして島津亜矢が登場し、美空ひばりの「川の流れのように」を熱唱しました。
 古館伊知郎が「演歌界のマリアカラス」、「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と形容し島津亜矢を紹介すると、天海祐希が歓声をあげました。
 そして、島津亜矢の歌声に聴き入るうちにみるみる目が潤みはじめ、大粒の涙を流しました。歌い終わると号泣寸前で、「とても素晴らしい歌を、ありがとうございました」と何度もいう天海祐希はほんとうに感動していて、興奮冷めやらぬという印象でした。
 16年前の父親と死に別れたことなどを話した後だったこともあり、美空ひばりの晩年の人生と切り離せないこの歌をいとおしくよみがえらせ、この歌のたましいのもっとも深い所へと降りていく島津亜矢の歌唱が稀代の女優・歌手の天海祐希の琴線に触れたのでしょう。
 美空ひばりの歌手人生の後半は「演歌」の領域にすっぽりとはまっているため、この歌も演歌の名曲と言われています。
しかしながら島津亜矢の歌唱は演歌の領域を大きくはみ出し、シャンソンにも似た奥行きのある歌になっていると思います。実は美空ひばりの歌唱もまた演歌の領域を越えていますが、美空ひばりの場合はブルースやジャズの匂いがします。
 わたしの想像の中では美空ひばりのブルースの領域から島津亜矢のシャンソンの領域へとこの歌のいのちが引き継がれ、バトンが渡されたように思います。
 事実この日の島津亜矢は、あきらかに昨年末の紅白歌合戦の時よりはずいぶんリラックスしていて、心なしか彼女本来の声ののびやかさと「歌を詠み、歌い残す」稀有の才能を存分に披露してくれました。
 わたしは今でも美空ひばりから手渡される歌のバトンがあるとしたら島津亜矢が受け取り、美空ひばりが果たせなかったさらなる歌の冒険を美空ひばりのいのちのゴールから走り出す宿命にあると思っています。しかしながら、それは何も演歌という、実は1970年代にJポップの抬頭から無理やりねつ造された「日本人の心の歌」を引き継ぐことではないと思っています。
 明治以来、強引に導入された西洋音楽の暴力に踏みにじられ、押しつぶされそうになりながら、それでも西洋の音階の一音から次の一音の間に日本独特の「うた」を忍び込ませ、楽譜にない「こぶし」や「うなり」を発展させてきた「日本の音楽・日本のうた」を、戦後のがれきの上のリンゴ箱をステージにして美空ひばりは歌い、よみがえらせてきました。
 日本が誇る世界のブルースの女王・美空ひばりの長い旅路の果てにリュックサックいっぱいに詰め込まれた歌という歌、言葉という言葉、メロディというメロディを受け取り、島津亜矢はその重いバトンを次の世代の誰かに手渡すために孤独な旅をつづける過酷な宿命を引き継ぐことになったのだと思います。
 かく言うわたしは音楽の専門家ではもちろんなく、また音楽のことをよく知る人でもないのですが、島津亜矢のファンになった2009年の秋以降、それまで漫然と演歌歌手のひとりとしか思っていなかった彼女の歌にはどこか演歌の枠にはまり切れないものを感じていて、それが何なのかをまだ理解できないのです。いつの時代もまったく新しい思想が世の中に定着するまでのあいだ、過去の時代を表現する思想と混在するように、大きく時代が変わる予感を歌はさりげなくわたしたちに教えてくれているのかもしれません。
 島津亜矢は1970年代以降の演歌を出自にしながらも、その予感を現実のものにする歌い手として恩師・星野哲郎や、出会えなかった阿久悠、もっと歌をつくってもらいたかった船村徹、若い才能をこよなく愛した美空ひばりなど、時代を背負い時代を歌い、時代を変えた歌詠み人たちのミューズとして降臨してきたのだと確信します。

 古館伊知郎もまた司会者でもキャスターでも解説者でもなく、言葉が時代を変えることができるのかを問い続ける言葉の狩人で、その意味では阿久悠が歌でやろうとした冒険をやり続けてきた人だと思います。この人の場合は、あらかじめ言葉をつくっておく脚本によるのではなく、自分の体と心にうずもれた言葉の破片をつなぎ合わせ、ひとつの出来事を言葉という「もうひとつの出来事」で語り尽くしたいという願望がとても強く、それが本人も思いもしなかった真実にたどり着く場合もありますが、不発に終わることもあるようです。
 今回の放送でもこの番組のすばらしい所なのかも知れないですが、ゲスト2人とあらかじめ筋書きをつくらず、古館伊知郎の振りにゲストが答えてくれず、ちぐはぐで間の悪い時間が流れ、その気まずさがまた次の気まずさを呼ぶという感じで、今のところ「報道ステーション」以後の自分のパフォーマンスを探しあぐねている印象でした。
 しかしながら、その中で「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と島津亜矢を讃えた言葉にはびっくりしました。彼がかつて得意とした異業種格闘技の時の言葉のパフォーマンスを彷彿させる名言でした。歌が人類誕生の時とほぼ一緒に生まれ、自然の様々な音とつながる呼吸に声帯の震えが重なって声が生まれ、メロディが生まれ、何かを伝えようと言葉を発見した人間の切実な歴史をたどる稀有の歌手・島津亜矢をこれ以上の言葉で語るのはむずかしいかも知れません。
 そして古館伊知郎が言葉で島津亜矢の底知れぬ才能を表現したように、天海祐希は同じく稀有のアーティストとして、感動の涙で表したのだと思いました。

島津亜矢「川の流れのように」

島津亜矢「函館山から」
美空ひばりのカバーではこの歌の島津亜矢が大好きです。小椋佳が美空ひばりに贈った最高傑作であり、世界に誇れる「日本の歌」のひとつと思います。戻らぬ青い時と、若さゆえに傷つけてしまう心とそれを悲しみでつつんでしまう心。この短い歌の中で書きなぐられる時のキャンバスに残された後悔だけが砂浜の石となって点在する…。過ぎてしまった青春を歌う詩人・小椋佳の到達の地点にたたずみ、美空ひばりの悲しみさえも包み込む包容力を、いつのまに島津亜矢は獲得したのでしょうか。

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2017.03.08 Wed 「うたコン」は島津亜矢に時代が追いつくための音楽的冒険の場

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3月7日、島津亜矢がNHK「うたコン」に出演し、「感謝状~母へのメッセージ~」を歌いました。
 今回の放送は東日本大震災6年の節目を迎え、「東北に届け!春を告げる歌の花束SP」
と題し、30分延長されて放送されました。
 演歌・歌謡曲の人気番組だった「歌謡コンサート」と、Jポップの人気番組「MUSIC JAPAN」が終了し、両者を合体させた「うたコン」が始まって一年が経ちましたが、この番組への批判の声は一向に収まりません。もともと、視聴者の大半が高齢者だった「歌謡コンサート」と、10代から20代が視聴者で、Jポップの新人の登竜門だった「MUSIC JAPAN」を一つにして、世代やジャンルを越えて新しい音楽体験を生み出そうというコンセプトは魅力的なものの、実際は日本の音楽シーンがここ10年劇的に変化し、季節ごとの大きな音楽フェスをメインとしたライブがメインとなったことと相まって、テレビの音楽番組もまた季節ごとの長時間番組にシフトし、週一回放送の音楽番組の制作がむずかしくなったことなどが背景にあると思います。
 また、年末の紅白歌合戦のときだけ、演歌・歌謡曲とJポップが混在する状況ではあっちがたてばこっちがたたずという感じで、また同じジャンルの中でも出演歌手をめぐってさまざまな批判が寄せられ、その結果を反映してか視聴率の低下が年々問題になっています。そこで、一年を通じて演歌・歌謡曲とJポップが混在する状況をつくりだすことは、NHKの音楽番組制作担当者にとって切迫した課題であったのでしょう。
 そんな事情から一年前に船出した「うたコン」ですが、やはり「NHK歌謡コンサート」の視聴者だった、主に高齢者を中心にした演歌・歌謡曲ファンの批判・不満が数多く寄せられた一年でした。
 この番組の視聴率は音楽番組ではJポップの超人気番組「ミュージックステーション」よりも高く、一年を通じて10パーセント以上を確保しています。この時間帯をはじめ、特番の音楽フェスを除いた音楽番組の中でダントツの視聴率を稼いでいるわけですが、その高い視聴率を支えているのは演歌・歌謡曲ファンで、歌謡コンサートの視聴者であった人たちです。ちなみに歌謡コンサートは超マンネリのお化け番組で12、3パーセントの視聴率を誇っていたわけで、合体した「MUSIC JAPAN」は土曜日の深夜ということもあり、5パーセントも行かなかったようですから、「うたコン」を支える視聴者は圧倒的に演歌・歌謡曲を望んでいて、「歌謡コンサート」に戻してほしいというのが本音だと思います。

 しかしながら、一年前にこのブログで書きましたが、わたしは島津亜矢のファンとして、「うたコン」は先祖返りして「歌謡コンサート」に戻らず、演歌・歌謡曲とJポップが混在する今のコンセプトをつらぬいてほしいと思っています。民放のようにスポンサーがいるわけではないので公共放送の利点を生かし、不人気であっても新しい試みをつづけてほしいと思うのです。
 かつてのNHK「歌謡コンサート」のようにベテランの演歌歌手が重用されるのではなく、現在では普段出会うことがなくなってしまった演歌歌手とJポップの歌手が顔を合わせ、お互いの歌を同じ舞台で歌い聴くことから、演歌・歌謡曲ジャンルでもJポップのジャンルでも新しい音楽的冒険が生まれる起爆剤となる番組であってほしいと思います。
 とくに島津亜矢の場合は以前の番組よりは彼女の活躍の機会が増えていくと思います。
演歌というよりは1950年代の歌謡曲の本流を現代によみがえらせる島津演歌はまだ途上とはいえ既成の演歌ファンが再発見、再評価する一方、新しい演歌ファンを引き寄せていますし、ポップスの領域でははじめて聴いたひとがびっくりし、一夜にして大ファンになってしまうという現象がここ何年も前から起きています。わたしもまた、そのうちの一人であることを告白します。
 しかしながら、彼女の自由な音楽活動を表現できる番組が極端に少なく、まだ無数のポップスファンが彼女のずば抜けた歌と出会っていないという問題があり、テレビではかろうじてこの番組がその役目を担ってくれそうなのです。今のところまだ番組構成が未成熟で、様々な試みをしている途上ですが、ライブ以外で彼女のポップスをシッカリと聴く機会はこの番組しかないのではないでしょうか。
 そう思うと、かえすがえすも以前の放送の秦基博とのコラボで「蘇州夜曲」を選曲したのは間違いで、とても残念に思いました。あのコラボでは、たとえば秦基博の「ひまわりの約束」とか、彼がカバーしている井上陽水の「氷の世界」を選曲していたら、島津亜矢のとてつもない大きな才能に観客や視聴者はもちろん、秦基博自身がびっくりし、きっと二人の間にシンパシーが生まれたはずです。彼の歌を作る潜在能力はなかなかのものですから、島津亜矢への楽曲提供への意欲を駆り立てたかも知れません。
 わたしはあえてこの番組では、彼女のポップスの歌唱力を伝えていただきたいと思うのです。そうすれば、かつて船村徹が美空ひばりにしか歌えない歌をつくったように、島津亜矢しか歌えないと思う楽曲を提供したいというJポップのソングライターとの出会いが必ずあると思います。もしかすると彼女のボーカリストとしての無尽蔵の才能に気づくのは、演歌・歌謡曲の作り手よりもポップス畑のソングライターのような気もします。
 今回の放送では「感謝状~母へのメッセージ~」を歌いましたが、せっかくスガシカオが出演していたのですから、カバーではあっても彼女のポップスを彼に聴いてもらいたかったなと思います。フルコーラスではなかったし、ファンとしては新曲の「いのちのバトン」とか鎮魂の心をこめて「千の風になって」とか、あと一曲歌ってくれたらと思いますが、番組構成上、やむをえなかったのかと思います。今回の放送でも批判はたくさんあるものの、スガシカオにして天童よしみにしても福田こうへいにしても、素晴らしい歌唱だったとわたしは思います。
 天童よしみはさすがに竹中労が見出しただけあって、歌に魂を込める歌手として他の歌い手さんたちとどこか肌合いというか気迫の違いを感じていましたが、演歌歌手の中でもっとも島津亜矢とつながっていて、島津亜矢は少し先を行く先輩歌手として天童よしみにすごく助けられていると思います。
 
 さて、肝心の島津亜矢の歌について何も書いていませんが、なによりも彼女がこの番組でやっと居所を見つけたようなリラックスした表情が伝わり、とてもうれしく思います。
 フルコーラスでないのは確かに残念なことではありますが、彼女はたとえワンコーラスでもその歌のもっとも柔らかく深いところにわたしたちを連れて行ってくれたのでした。
 この歌について書いた過去のブログを紹介させてもらって、今回は許してもらいたいと思います。
 「うたコン」については、特に演歌・歌謡曲ファンの方々の中でさまざまな批判があるでしょうが、どうか長い目でこの番組を見てあげてほしいと思います。

過去のブログ 2012.09.09 Sun 島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ」

島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ~」
この歌もまた若い頃から何度も歌っていますので、彼女の進化がよくわかります。最近の映像を紹介しましたが、若い頃の歌唱と比べる楽しみもあります。
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2017.02.17 Fri 島津亜矢と鳥羽一郎「BSにっぽんの歌」

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  2月12日、NHKプレミアム放送の「BS・新日本のうた」に島津亜矢が出演し、スペシャルステージで鳥羽一郎と共演しました。
 最近になってこの番組への出演がつづく彼女ですが、今回の放送ではスペシャルステージだけではなく、番組トップで他の歌手に囲まれて「ヒーロー(Holding Out for a Hero)」を歌いました。
 「ヒーロー」は島津亜矢のポップスのカバーアルバム「SINGER2」に収められた一曲です。すでに3枚になる「SINGER」シリーズにはこの曲に限らずポップスの名曲が数多く収録されていて、島津亜矢の歌唱力を知らしめた「I Will Always Love You」ファーストアルバムに収められ、「うたコン」の前身である「歌謡コンサート」で一気にブレイクしましたが、実は「BS日本のうた」で歌ったのが最初でした。
 歌番組でもコンサートでも歌う機会が少ないのが残念ですが、演歌・歌謡曲を出自とする島津亜矢のもうひとつの魅力がいかんなく発揮された素晴らしいアルバムです。
 その中の一曲をあたりまえのように、それも番組のトップで歌わせるこの番組の制作チームは、おそらく島津亜矢が「BSの女王」という異名をとったほど、BS放送がまだ普及していなかったころに培われた絶大なる信頼を彼女と育ててきたのだろうと思います。
 もちろんそのころは演歌・歌謡曲に特化したと言っていい番組で、若くて底なしの声量と歌唱力で他を圧倒してしまう彼女にある種の脅威を感じるベテラン歌手もいたことでしょうが、その物言わぬ圧力を跳ね返してこの番組の制作チームは、まだ普及途上のBS放送だから可能だった大胆な企画とともに、島津亜矢を押し上げてきたのだと思います。
 その後押しに励まされ、島津亜矢は演歌・歌謡曲のジャンルを越えたポップス、シャンソン、リズム&ブルース、ソウルなど洋楽にもチャレンジの幅を広げ、「マイ・ウェイ」や「I WILL ALWAYS LOVE YOU」、「ローズ」など数多くの洋楽の名曲を見事に歌いこなし、少なくとも演歌歌手の領域ではその実力が求められるようになりました。
 今回歌った「ヒーロー」ではオープニングに選ばれ、音楽番組がバラエティ化する流れもあるものの、出場者全員のバックパフォーマンスに囲まれて歌うという演出が実現したのも、長年の彼女のオールラウンドな歌手としての活動が身を結んだのだと思います。
 この流れが「うたコン」など地上波にもおよび、Jポップのジャンルで認められるようになればいいのですが、Jポップと演歌・歌謡曲が錯綜融合し、新しい大衆音楽の誕生をめざすとされた「うたコン」の現状はそれに程遠いと言えるでしょう。
 そして、返す返すも残念だったのはずいぶん前になりますが、島津亜矢と秦基博とのコラボの選曲が「蘇州夜曲」だったことです。この時は秦基博がとても緊張していて気の毒でした。島津亜矢もまた、いつもは共演者への気遣いから楽器でいえばベースのようにボーカルやギターを盛り立てる人で、現に今回の鳥羽一郎との共演ではその役目を見事に果たしていましたが、その時は彼女をもってしてもどうすることもできず、秦基博を引き立てるどころか、より緊張させてしまったようです。
わたしは秦基博が気の毒だっただけでなく、島津亜矢が若手の才能あるJポップのソングライターと幸せな出会いができなかったことがとても残念です。明らかな選曲ミスで、どちらの魅力も発揮されないままになってしまったあの時、たとえば秦基博のヒット曲「ひまわりの約束」や、もう少し冒険すれば秦基博がカバーしている井上陽水の「氷の世界」であったなら、秦基博は緊張することなく自分のパートを歌いこなしただけでなく、演歌歌手・島津亜矢のボーカリストとしての実力にびっくりしたはずです。島津亜矢の場合は、共演者の土俵に上がってこそその実力が発揮されるだけでなく、共演者との本当の出会いが実現するのです。

 「ヒーロー」は1980年代の大映テレビ制作のテレビドラマで、伏見工業高校ラグビー部をモデルにした「スクール☆ウォーズ」の主題歌でした。ボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」を麻倉未稀がカバーし、その圧倒的な歌唱力が熱血ドラマと呼応し、彼女の代表曲のひとつになりました。あまりにも麻倉未稀の歌唱イメージが強烈で、この曲をカバーするのは少し勇気がいるのではないかと思いましたが、時代はめぐりドラマと切り離せないものとなっている麻倉未稀バージョンからは自由になり、本来のボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」のカバーとして、ロックテイストの早いテンポのこの曲をドラマチックに歌っています。今回音楽番組での初披露になりますが、すでに自分の歌にしていますのでリラックスしたノリのよい歌唱で、番組のオープニングにふさわしいものになりました。しかしながら、

 スペシャルステージの鳥羽一郎との共演は、島津亜矢のまたちがった魅力を見せてくれました。鳥羽一郎が歌手である自分を棚にあげても彼女の歌唱力、歌と真摯に向き合う謙虚さ、歌を詠む力とその人柄すべてをこよなく愛し、島津亜矢もまた恩師・星野哲郎の愛弟子として先輩の鳥羽一郎を尊敬していることが、小さなテレビ画面からも熱く伝わってきます。2013年4月14日のこの番組のスペシャルステージでは、鳥羽一郎が島津亜矢のキーに落とし、自分の歌唱は二の次にして「無法松の一生」を島津亜矢に歌わせ、その歌唱力をほめたたえた様子は、今も記憶に残っています。
 今回は新しい試みで、場所が漁業の町・浜田市であったことから、地元の漁師さんたちが登場し、参加型のステージになりました。この番組のスペシャルステージでは以前は2人の歌手がガチンコで競演し、ぎりぎり緊張感の中で普段よりも素晴らしい歌唱を披露することが多かったのですが、最近はそんな緊張感あふれる歌唱を競うだけではなく、コントを入れたり出演者を2人に絞らず数人にしたりと、その時々でバラエティの様相が増えてきました。たしかに島津亜矢か出演する場合は歌をじっくりと聴きたいという要望が多く、今回のような試みには物足りないという評価もあります。
 しかしながら、わたしはただのバラエティではなく地元の住民や郷土芸能など、その地域のお客さんが参加するバラエティはこの番組では珍しく、とても良質の企画だったと思っています。
 島津亜矢はプロとしてのクオリティーを落さないまま、その企画に沿ったきめ細かい立ち振る舞いをしていて、とても好感を持ちました。また、鳥羽一郎はほんとうに海が好きで、漁師であった自分を誇りにしていて、地元の人たちを尊敬する純粋な心の持ち主であることも伝わり、涙が出そうになりました。
 そして、なによりも島津亜矢も鳥羽一郎もいつもよりも心がこもっていたというと誤解を受けますが、自分たちの歌がステージや劇場だけでなく、浜田の厳しい海や魚の匂いが立ち込める生活の中に届くような歌を歌いました。 今回のスペシャルステージでは2人の歌は少なかったけれど、歌がステージの上でもスタジオでも、ましてやコンピュータやAIが活躍する電脳空間でもなく、大地と海と山と川とひとびとの生活のただ中から、生まれることを感動と共に教えてくれたのでした。
 この企画の素晴らしいところは、ただ単に観客参加型のバラティだったのではなく、鳥羽一郎というかつて漁師だった歌手がいなければ成り立たない企画であると同時に、島津亜矢がそんな鳥羽一郎の思いを形にするためのステージ上のプロデューサー役を見事に果たしたところにあります。
 歌われたのは「兄弟船」、「愛染かつらをもう一度」、「おやじの海」、「演歌船」、「海ぶし」、「龍神」、「海の匂いのお母さん」、「帰らんちゃよか」、「北海夫婦唄」、「いのちのバトン」、「海の祈り」と、すべて二人のオリジナルでしたし、今回は「海の祈り」を一緒に歌う時、島津亜矢の方がキーをあわせていたように感じました。

 
 船村徹氏がお亡くなりになりました。親友だった高野公男の思い出を一生抱き続けて、、愛を必要とする心に届く歌を生み育てて来られたことに弔意と共に敬意を表したいと思います。星野哲郎をはじめとする作詞家との二人三脚、時には美空ひばりとの三人四脚で作曲家としてもまた歌手としても素晴らしい足跡を残されましたが、わたしはあえて原点であった高野公男の茨城弁による作詞と、船村徹の栃木弁による作曲で生まれた名曲「別れの一本杉」を代表曲としたいと思います。

島津亜矢・鳥羽一郎「海の祈り」 

春日八郎「別れの一本杉」

北島三郎「風雪ながれ旅」

島津亜矢「いのちのバトン」
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2017.02.11 Sat 島津亜矢「恋人よ」・彼女はをこの歌の持つ奥深い物語を特別な覚悟をもって歌った。

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 もうずいぶん過ぎてしまいましたが、1月29日のBSプレミアム「新・BS日本のうた」に島津亜矢が出演し、「恋人よ」を歌いました。
 今わたしは5月14日の「ピースマーケット・のせ」、その中でもわたしが発案した友部正人のコンサートの情報宣伝に忙しく、なかなかブログを書けないでいました。その間に妻の母親の緊急入院し、その後の経過がよく6日に退院しましたが、18日は仕切り直しで宝塚の専門病院で7センチもある腹部の動膜瘤のカテーテル手術が可能か診察を受けに行く予定です。
 お母さんは退院できたとはいえ、やはり体力と気力が落ちていて、90歳という年齢を考えると手術自体に体力が持つかどうか、また手術をして1か月ほど入院すれば、ほぼ寝たきり状態になってしまうのではないかと心配です。といって、そのまま手術しないでいたらいつ動脈瘤が破裂するかわからず、そうなるとほぼ命がないと言われています。
 そんな落ち着かない状態で島津亜矢が出演する番組のチェックも怠り、この番組を見逃してしまいました。もっともその週の土曜日と翌週の金曜日に再放送があり、わたしは土曜日も所用で外出しましたので、録画とユーチューブで聴くことができました。

  「恋人よ」は1980年の五輪真弓の名曲です。島津亜矢の場合、さまざまな演歌・歌謡曲・ポップスをカバーし、その歌唱力はオリジナルを越えたと評されますが、わたしはかねがねそういう風に思ったことはなく、その評価はオリジナルの歌手に失礼なだけでなく、なによりも島津亜矢自身に失礼だと思うのです。それほど、島津亜矢にとってカバー曲を歌うことはある意味、自分のオリジナル曲を歌うよりもその曲が生まれた秘密の泉を探るために、オリジナルの歌手と同じ場所に立たなければならない試練でもあるです。
 オリジナル歌手が導かれた歌の泉へとつづく道をたどることで、その歌は奇跡的に一瞬彼女にその美しい姿をさらし、歌の泉の底に沈むもっとも大切なもの、およそさまざまな芸術の根源といえるエロスを垣間見せます。その時、歌はすでに彼女の歌となり、より豊かな表現力でわたしたちを魅了します。
 それはちょうど宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でジョバンニがカムパネムラに「どこまでも一緒に行こう」と言ったあと、いつの間にかカムパネルラは消えてしまうその一瞬とよく似ていると思います。カムパネルラはすでに死んでいて、ジョバンニのカムパネルラに寄せるあこがれや少年の恋と呼んでもいい切ない想いに引き寄せられ、銀河鉄道の旅へとジョバンニをいざないます。その旅はカムパネルラの死の旅路であると同時に、カムパネルラに恋するジョバンニの孤独なたましいがカムパネルラの死を受け入れ、生きることへの怖れを受け止める生の旅路でもあるのでした。
 そしてその一瞬にこそ、歌は生まれます。いろいろな歌がこの世に生まれ消えていきますが、歌が歌であることの奇跡の一つが死者への挽歌、鎮魂歌であると思います。究極の別れがもたらす大きな悲しみはやがて孤独に生きる人々の勇気となってよみがえる、それが歌なのだと思います。
 五輪真弓の「恋人よ」は、そんな挽歌の極北に生まれた名曲です。島津亜矢はそのことを知り尽くしているのでしょう、いつになく緊張しているようでしたが、長い前奏の間にすでにこの曲の物語のすべてを読みつくした表情が印象的でした。
 
 「恋人よ」は、五輪真弓がデビューした当時のプロデューサーで、この年の春に交通事故死した木田高介の事を思ってつくった曲です。木田高介といえば伝説のロックバンド「ジャックス」のドラマーでした。わたしが最初にファンになった日本のロックバンド「ジャックス」のアルバムは今も持っていて、その中の「マリアンヌ」や「われた鏡の中から」、「裏切りの季節」、「 ラブ・ジェネレーション 」は1960年代後半のわたしの愛唱歌でした。
 葬儀での木田高介の妻の姿は五輪真弓にはあまりにも過酷で悲痛なものでした。どこかヨーロッパの古い街の公園のありふれた風景をつづることで、突然の恋人の死を受け入れられない女性(男性?)の、やり場のない絶望や寂しさや背丈を越える悲しさを歌うこの曲は、どこかシャンソンやニューミュージックのようでありながら、1950年代から60年代にそのルーツを求める日本の歌謡曲にもっとも近いと感じます。
 五輪真弓は、1972年にアルバム「少女」でデビューしました。当時としては珍しい海外録音で、キャロル・キングもレコーディングに参加したことから和製キャロル・キングと称され、女性シンガー&ソングライターとして松任谷由実や中島みゆきに先駆ける存在となりました。
 圧倒的な歌唱力は海外でも高く評価され、フランスからアルバム制作の申し出があり、全フランス語による「MAYUMI」が1977年に発売されるなど洋楽風の楽曲が多かった五輪真弓でしたが、フランスで活動中に「母国の音楽にこそオリジナリティがある」と気付き、生まれ育った日本の情緒をもっと音楽に取り入れたいと考えるようになったと言います。
 1978年、そうして生まれた歌謡曲風の「さよならだけは言わないで」がヒットし、「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」など多くの歌番組に出演するようになりました。彼女の歌謡曲への挑戦が結実した曲が「恋人よ」で、「この一曲を歌いきることで、他に何も歌わずとも満足するくらいに完成された歌で、多くの人が共感するだろうと確信していた」と語っています。
 1980年代は、作詞家と作曲者が歌手の肉体をメデイアにして歌をつくる時代から、「自分の歌は自分でつくる」というシンガー&ソングライターが日本の大衆音楽をけん引する時代へと大きく変化した時代でした。
 1970年代に阿久悠が「美空ひばりで完成した日本の歌謡曲」を壊し、新しい歌謡曲をつくろうと格闘してきた足跡は、シンガー&ソングライターによるニューミュージックから現在のJポップのアーティストたちによって乗り越えられてしまったといっていいでしょう。いずれまた書くつもりですが、80年代から席巻してきたJポップがしゃれたイージーリスニングやCMやドラマの添え物程度になり、少年少女のアイドルたちが口パクを交えて歌い踊るのがもてはやされるようになった今、阿久悠が志半ばであきらめてしまった新しい歌謡曲への見果てぬ夢は、たとえば歌い手では島津亜矢に引き継がれる可能性を秘めています。しかしながら一方で島津亜矢をメディアにできる作詞家や作曲家はなかなか見つからないのではないかとも思ってしまうのです。
 「恋人よ」は、五輪真弓が作詞作曲し、歌わなければ、愛する人を失う喪失感が歌に込められなかっただろうし、そもそも五輪真弓のシンガー&ソングライターとしての特別な才能と特別な悲劇が重ならなければつくられることも歌われることもなかったはずです。
 その意味では、今の日本の音楽シーンの閉塞感を突き破れるのもまたシンガー&ソングライターであると思われ、島津亜矢をメディアにした新しい歌謡曲を生み出すことができるとすれば彼女たち彼たちであると思います。

 枯れ葉散る夕暮れは 来る日の寒さを物語り
 雨に壊れたベンチには 愛を囁く歌もない

 島津亜矢は、この歌の持つ奥深い物語を特別な覚悟をもって歌ったのだと思います。彼女が獲得してまだ何年もたたない低音の歌唱力がこれほど身を結んだ歌も少ないのではないかと思われる導入部から、「恋人よそばにいて こごえるわたしのそばにいてよ」という心の底から絞り出した激しい感情表現へとつづく特別な歌唱力で臨んだ「恋人よ」は、まさしく後々に語り継がれる一曲になったのではないかと思います。そしてまた、島津亜矢の歌唱を通して久しぶりに五輪真弓の「恋人よ」を聴きなおし、五輪真弓の歌唱力とこの歌に込める深い想いをあらためて実感しました。

 明日はNHKBSプレミアムで放送される「BS・新日本のうた」のスペシャルステージに、島津亜矢が鳥羽一郎と共演します。2014年4月14日に放送された「BS日本のうた」の島津亜矢と鳥羽一郎の共演はまだ記憶に新しく、今回の共演はどんなステージになるのかとても楽しみです。

島津亜矢「恋人よ」
最近はコンサートでもあまり歌ってくれないのですが、島津亜矢はシャンソンを歌わせても絶品で、「恋人よ」ではそれが活かされていると思います。
五輪真弓「恋人よ」 
五輪真弓の歌づくりは昔も今もとても深いものがあり、商業的な野心からでもなく、またシンプルな自分の感情をぶつけるためだけではない、どこか人間の崇高さを生み出す歌をつくる人だとおもいます。
「恋人よ」はその意味でも最高傑作のひとつで、歌をつくることと歌を歌うことが幸せな蜜月にあり、彼女が歌ってこそはじめて歌になる歌なので、この歌のカバーは至難の業だと思います。島津亜矢はそのことをとてもよくわかっていると思います。
美空ひばり「恋人よ」
この歌唱には賛否両論ですが、わたしは美空ひばりのルーツがブルースにあり、その意味ではミスマッチだともいえるのですが、五輪真弓が歌謡曲としてこの歌を世に送り出したことを率直に受け止めた歌唱だと思います。少なくともこの歌のカバーでもっともちがいがわかるところは、あたかも失恋の歌になってしまうのか、死んだ恋人への挽歌になっているのかだと思うのですが、その意味では美空ひばりは自分の懐にこの歌を取り入れ、見事に挽歌として歌っていると思います。
島津亜矢はもちろん挽歌としてとても真摯に歌っているのですが、彼女の場合は五輪真弓の歌謡曲テイストにさかのぼるように、シャンソンに近い領域にのぼり詰めていて、そのハードな歌声は五輪真弓に近いと思いました。

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