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2017.07.30 Sun 障害者と健全者が対等なパートナーになることを阻む福祉・相模原事件から1年。

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 昨年の7月26日未明に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件から1年が過ぎました。
 犯行後も「障害者は死んだほうがいい、安楽死させるべきだ」、「重度の重複障害者は殺すべきだ、いなくなったほうが社会のためになる」と障害者差別発言を繰り返し、実際の犯行に及んだ容疑者の非人道性と残虐性は極まっています。
障害者施設「津久井やまゆり園」は1964年に設置された定員160人の知的障害者の入所施設で、4月末時点で19歳から75歳の人たちが個室に1人か2人が入所し、約40人が60歳以上とみられ、全国の障害者施設と同様に重複障害を含む重度化と高齢化が進んでいました。
 一年たった今も、家族による障害者の生い立ちや職員による施設での暮らしの一端が報道され、「死んでいい命などひとつもない」と、犯行に及んだ加害者への強い憤りが噴出する一方で、家族への配慮を理由に殺害された障害者の実名は公表されず、いのちを奪われたひとりひとりの障害者が生きていたことすら暗闇の中の19という数字でのみ済まされる理不尽さにこそ憤りを感じるのはわたし一人ではないと思います。
 事件後、神奈川県はやまゆり園を建て替える方針を決め、当初は現在とほぼ同じ約150人規模の施設を再建する案を示しました。これに対し、障害者団体などから「社会との隔絶につながる」などと異論が噴出し、県が設置した専門部会では、障害者がグループホームなどを利用して地域で暮らす「地域移行」を進める前提で議論が進み、建て替え後の 施設を現在より小規模化する案が検討されているそうです。
 高度経済成長期に障害者を排除するために収容施設をつくり、障害者を家族からも友人からも働く場からも生活の場からも隔離してきた福祉施策そのものが、「障害者は社会に役に立たない邪魔な存在」として殺害に及んだこの残虐な加害者の背中を押し、犯罪に加担したと指摘する障害者の声が反映され、障害者を地域に返す方向へと進んでいるとすれば、理不尽にうばわれた19のいのちへのこの社会の謝罪とせめてものたむけになるのかもしれません。
 「誰でも生きる権利がある」といいながら一部の障害者を閉じ込めたり、社会の健全者幻想で障害者を拘束するのではなく、彼女たち彼たちが帰るべきところに帰り、「障害者を必要とする社会」へとこの社会が変わらなければ、誰もが平和に暮らせる社会はやってこないのではないでしょうか。
 わたしは1981年の国際障害者をきっかけにはじめて障害者の問題を身近な暮らしの中で考えるようになりました。それまで障害者の様々な問題は本人が障害を持っていることが原因としか思っていなかったわたしは、「障害という際立った個性を持っているというだけで当たり前に学ぶことも当たり前に働くことも当たり前に夢見ることも当たり前に生きることも拒む」社会の方にこそ問題の原因があることを、また「ある社会がその構成員をいくらかでも締め出すような場合、それは弱くてもろい社会である」という言葉に目からうろこでした。
 そして、日本の障害者が長い歴史の暗闇の中でどんな差別と理不尽な仕打ちに耐えながら生き、死んでいったのかということも…。
 国際障害者年をきっかけに、ノーマライゼーションという聞きなれない言葉が少しずつ世の中に浸透し、インクルージョン、バリアフリー、ユニバーサルデザインなど、カタカタ語の氾濫とともに日本の福祉は模様替えをしてきましたが、今回の事件でその底流にあるものがあまり変わっていないことも露呈されました。

 くしくも7月27日、旧衛生保護法のもとで強制的に不妊手術を受けさせられた宮城県の知的障害といわれる女性が手術の記録を県に求めたのに対し、県が26日に、この女性が15歳の時に手術を受けたことなどを記した「優性手術台帳」を開示したとマスコミ各社が報じました。この女性が中学3年の時にくらしていたのが親元なのか施設なのかは記述されていませんでしたが、親族は中学3年で受けさせられていたことを知らなかったと報じています。
 1948年に制定された旧優生保護法のもとで「不良な子孫の出生を防止する」として、同法が廃止される1996年まで男女とも約1万6500人が強制的に不妊手術を受けさせられ、同意を得た上での不妊手術・中絶を含めると約8万4000人が犠牲になったとされます。
 つい20年前まで続けられた女性障害者への不妊手術は、障害者差別と女性差別の極みで、役に立たない障害者を地域社会から隔離し閉じ込めるだけでは飽き足らず、障害者を生まれてきてはいけない存在として抹殺してきた「国家の犯罪」以外の何物でもなく、今回の犯罪の加害者とどこが違うのでしょうか。
 1960年代後半から70年代にかけて障害者の親が子供を殺す事件が相次ぎ、障害者施設が無いゆえの悲劇として同情的に報じられ、減刑嘆願運動の末に無罪や減刑判決が出ました。そして障害者施設の建設による介護者の負担軽減が必要と受け止められました。
 それに対して、脳性麻痺者協会・青い芝の会は、障害者は殺されても当然の存在とみなし、「本来生まれるべきではない人間」、「本来あってはならない存在」とする健全者社会の方にこそ問題があり、そうした健全者社会の差別に対して強烈な異議申し立てをしました。
 その活動は社会から「過激」とされ、マスコミにも取り上げられ、社会問題となりましたが、一方で彼女たち彼たちの活動に勇気を得た若い障害者やその仲間たちが、青い芝の運動をひとつのバイブルとして障害者運動をはじめるきっかけにもなりました。
わたしが参加していた豊能障害者労働センターもその活動の端っこにありました。
 1990年代に、青い芝の会の一員の横田弘さんが大阪に来られて発言された言葉が忘れられません。
1990年代には障害者の運動の成果として自立生活運動が確立しはじめ、障害者自身が経営を担う障害者事業所や作業所も全国に少なからず生まれ、活動を活発化させていた頃でした。
 障害者とその友人の健全者が協働しながら障害者の人権を獲得しようという時代に、青い芝運動の「健全者は敵だ」とか、「愛と正義を否定する」とか、「問題解決の道を選ばない」というのは、時代遅れではないかという質問に対して、「自立生活センターができたとか、障害者の働く拠点ができたとか、障害者の運動が成果を出しているというのは幻想ですよ。この国は昔も今も、いつでもわたしたち障害者を殺す準備をしていることを、決して忘れてはいけません」…。
 わたしが横田さんのお話を聞いたのはその時が最初で最後でした。わたしはこの障害者運動の伝説的存在の横田弘さんの言葉が遺言のように聞こえました。
 相模原事件を知った時、この言葉が真実であることを実感しました。国家自身が手を下さなくとも、国の障害者施策そのものが差別を増殖させ、このように事件がまた起こるのではないかと心配です。
 そして、その心配は障害者だけに向けられるのではなく、この閉塞した時代を生きるわたしたち誰もに向けられるものであることを、安倍一強と言われる今の政治状況が教えてくれているように思うのです。

旧優生保護法 知的障害者に不妊手術 開示記録で裏付け 毎日新聞

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2017.07.14 Fri 憲法9条は世界の平和の道標 君島東彦・「六面体としての憲法九条-脱神話化と再構築」

戦後風景

 7月9日、豊中市福祉会館で君島東彦さんの講演会がありました。
 君島東彦さんは立命館大学教授で、2009年に論文「多面体としての憲法九条-脱神話化と再構築」(その後「六面体としての憲法九条-脱神話化と再構築」と改題)を発表し、施行70年を迎える憲法九条を日本社会の中での護憲改憲論議でなく、グローバルかつ人類史の中に位置づけ、再構築する試みをされてきました。
 5月3日、安倍首相は自民党改憲案を引っ込め、「9条1項2項を維持しつつ3項に自衛隊を明記する」という、公明党、民進党との合意をとりつけやすい現実的な戦術に切り替え、衆参両院の与党をふくむ改憲勢力が衆参両院で3分の2の議席数がある間に何が何でも改憲を実現しようとしています。
 一部リベラル派も自衛隊を憲法上に明記することで自衛隊の違憲論議に終止符を打ち、より厳しいシビリアンコントロールによって自衛隊を規制する方がよいとしてのみ込まれる状況になっていくことでしょう。
 それでもなお9条を改正しない方がよいとすれば、それはなぜか?
 君島さんは、9条を変えないで現状維持が良いと主張する護憲派に説明責任が移ったと言います。
 護憲神話が通用せず時間が残されていない中で、憲法を変えない主張の根拠は何か? 
 その問いに直接こたえてくれるものではありませんでしたが、日本国憲法の成り立ちから70年の施行の歴史を人類史の中に位置づける「六面体としての憲法9条」論は、憲法9条をその成り立ちと70年の施行の果実をおおむね6つのアクターから見つめなおす試みで、とても刺激的で示唆に富むお話でした。

君島さんは憲法9条を人類史的に俯瞰し、次の六つの視点を提示しました。
1. ワシントンからの9条を見る
2. 大日本帝国から9条を見る
3. 日本の民衆から9条を見る
4. 沖縄から9条を見る
5. 東アジアから9条を見る
6. 世界の民衆から9条を見る

 わたしは今まで、憲法は戦後民主主義の基本的な教科書で、もう二度と戦争をしてはいけない、ひとがひとを傷つけてはいけないという人類の願いがこめられたものという、ある種悲壮感を持った一面的な理解にとどまっていました。
 しかしながら君島さんは、その成り立ちから現在までの70年間、おおむね6つの角度からの力学が絶えず働き、影響しあい、長い年月とたくさんのひとびとのたたかいの結果として「変わらない憲法」があったこと、そのバランスがくずれ憲法が変えられる瀬戸際にある今、「憲法を変えない力」の歴史と今のありようを検証し、憲法9条の未来とその可能性を「憲法9条の哲学」として提示されたのでした。
 講演の内容も論文もなかなか難しく、少ない紙面でお伝えできないことがもどかしいですが、お話の中で特に目からうろこになったところや改めて考えたことなどを書いてみます。
 
 戦後、憲法9条は敗戦国日本の武装解除とともに天皇制の存続と昭和天皇の戦争責任を問わないことと連動していたことや、サンフランシスコ講和条約により沖縄が切り離され、日米安保条約のもとで沖縄の米軍基地が確保されたこと、その後現在まで、憲法9条を変えないまま再軍備が行われてきたことなど、あらためて戦後70年を振り返ると、韓国、台湾、そして沖縄が軍事的な最前線の役割を果たしたゆえに守られてきました。
 しかしながらその一方、わたしたちは自ら勝ち取ったものではなく、あてがわれた憲法9条を戦後の世界の平和の拠り所としてきました。当初はパワーバランスがつくった空っぽの箱だった9条に、70年かけて平和の真の意味を問い、非戦の誓いという中身をつめてきたといえます。
 改憲によって自衛隊を憲法に位置づけようとする勢力にとって、武力行使を禁ずる憲法9条はテロが頻発する世界の現実を顧みない無責任な空想で、国民の生命や財産を守るための自衛の戦力を充実・発展させることは国家の責任で、その主張はかなりのひとに受け入れられてきたのだと思います。
 しかしながら、もし憲法9条が存在しなかったら日本は戦争責任に思いもはせず、北朝鮮ほどではないにしても何の疑問もなく戦後70年の経済成長の果実を軍事力に費やしたことでしょう。そして、性懲りもなく核兵器すら原発の応用で持っていたかもしれません。
 憲法9条があるために、歴代の政府は自衛隊の行動が武力の行使でないことを弁明しなければなりませんでした。戦後日本が非武装を宣言し、憲法9条を堅持してきたことによって日本の帝国主義によって多大な犠牲を強いられた東アジアの国々も一定の理解を示し、国際社会の一員として世界に認められるようになったこともまちがいないと思います。
 その国際的信用は、わたしたち以上に世界の人々の間ではとても有効で、アフガニスタンで活動するペシャワール会の中村医師も証言しています。
 憲法9条の国際的信用が、戦後の日本の民衆が積み重ねてきた平和への願い、「二度と武器を持って他者を撃ってはならない。二度と戦争をしてはならない」という非戦の誓いによって得られたものならば、わたしたちは悪貨が良貨を駆逐するように仕方がないと思ってしまう現実に9条を近づけるのではなく、9条に現実を近づける努力をするべきではないかと思います。
 その努力はわたしたちが暮らすこの国・日本だけではなく、戦火とテロと人権侵害で命までも奪われる危険と隣り合わせに生きる世界のひとびとにとっても、安心して平和に暮らせる未来に近づくことを約束することでもあります。

 最近の若い人の中で改憲に賛成する人が多いとも聞きますが、若者に限らずサイレントマジョリティと言われる人々が「国に守られる側」にいると思い込まされていることが理由の一つではないでしょうか。その意味で安倍政権をはじめとする改憲派のプレゼンが成功しているのだと思います。
 憲法9条を相対化するのが改憲派で絶対視するのが護憲派という図式からいけば、国民投票でも改憲の方向に行く危険が高いと思います。
 君島さんのお話を聞き、戦後民主主義が憲法から始まったのではなく、憲法が戦後民主主義のひとつのツールであったことをあらためて確認できました。
 そして護憲派と色分けされるわたしたちにこそ、憲法を人類史的に俯瞰する6つの視点から憲法を再発見し、相対化した上で行動することが求められていると感じた講演でした。

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2017.06.20 Tue 奪い合うより助け合い、疑うよりは信じあえる社会

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 共謀罪法案(「共謀罪」の成立要件を改めたテロ等準備罪を創設する改正組織犯罪処罰法)が6月15日早朝成立し、7月中に施行されることになりました。
 これからの日本社会の行方を大きく決めてしまう重要な法案を、国会の最大の役目である徹底議論をさけ、目前の政局とスキャンダル封じのために数の論理で押し切ってしまった政府・与党の暴挙は、それを許してしまったわたしたち国民すべての過ちとして、次の時代を担う子供たちの未来に取り返しのつかない傷跡を残してしまいました。
 政府は「共謀罪」の創設が2000年11月に国連総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」に批准するための措置であり、また東京オリンピック・パラリンピックを前にしてテロや犯罪防止に必要としています。
 しかしながら、条約の批准に「共謀罪」が必ずしも必要でないことが明らかになりましたし、また共謀罪の法を持つイギリスやフランスで多発するテロを防げなかったことをみても、この法律でテロが防げると本当に政府と与党が信じているとは思えません。
  「共謀罪」とか、「組織的犯罪集団」と聞けば、ほとんどのひとがその対象に自分がなることはなく、反対に政府が説明しているように「わたしたち一般市民をテロや犯罪から守ってくれるありがたい法律だと思われるかも知れません。
 しかしながら、わたしたちの身の周りで起きる理不尽なことは、なにも暴力団やテロ集団だけが起こすとは限りません。むしろ原発事故で今もまだ避難生活を続けるひとびとへの偏見や差別、米軍基地や自衛隊の基地を配備し沖縄を「国を守る」ための前線基地にしてしまう国家、森友学園や加計学園問題の数々の疑惑に応えることも明らかにすることもせず、真実を伝えようとするひとびとを愚弄し人格攻撃をする政府…、
 昔流行った鶴田浩二の歌ではありませんが「何から何まで真っ暗闇だ」と叫びたくなる理不尽な出来事が日常茶飯事となってしまっている現実があります。
 もちろん、すべてのひとが平和で豊かで幸せに暮らせる社会を実現するには遠い道のりを必要とするのかも知れません。しかしながら、わたしたちそれぞれが抱える問題は個別であるとともに、形はちがえども他のひとびとが抱える問題と重なっていることもまた、わたしたちは知っています。人類史上最大の死者と最悪の被害を出した第二次世界大戦の教訓から、日本社会も国際社会も暴力ではなく話し合い、奪い合うよりも助け合いによって平和で豊かな社会をつくりだす努力を積み重ねてきたことも真実ではないでしょうか。
 その道は時には行く手をはばむ霧に覆われ、寸断されることもたびたびありましたが、それでも一筋の光を求めて這い上がり、手をつなぎながら生きる大切さをわたしたちは学びました。
 戦時中の治安維持法のもとで隣同士や家族まで「信じること」より「疑うこと」を押し付けられ、国が認める人間にならなければならなかった先人たちの切ないメッセージこそが、曲がりなりにも戦後の民主主義を支えてきたのだとわたしは思います。

 ミシェル・フーコーは、「監獄の誕生~監視と処罰~」の中で、近代に入ると罪人の身体への直接的な体罰から、「罪人を隔離し、教育しなおす」という監獄のシステムが誕生したと書いています。そして、監視と矯正、調教というシステムは近代教育に適用され、犯罪を犯さず、社会に有用な人間に調教することを学校教育に求めるようになりました。
 フーコーはまた「狂気の歴史」で、社会に適応しないひとびとをかつてのように「阿呆船」に乗せて追放するのではなく、社会の周辺に精神病院をつくり、病者だけでなく政治犯や社会に適応できないひとびとを監視、調教するようになったと書いています。
 最近、朝日新聞でも取り上げられましたが、フーコーは近代の管理システムの起源をパノプティコンに見い出しました。
パノプティコンとは、イギリスの思想家ジェレミー・ベンサムが理想として設計した円形の刑務所施設で、フーコーはその仕組みを次のように説明しています。
 この刑務所の構造は中央に監視塔を設け,その周囲に円状の収容施設を配置します。囚人は他の囚人とたちきられ、常に監視者に姿をさらしているのですが、自分の方から監視する人間を確認できないようにされています。
 そこには監視する者を必要とせず、「いつも監視されている」と囚人が思うことで服従する究極の監視体制が実現できるのです。
 共謀法や通信傍受法、特定秘密保護法など、国を守るためとか、犯罪から一般市民を守るという名目で国家が個人を疑い監視する社会では、国家が監視することよりも、わたしたち国民自身が「助け合う」ことよりも「うたがう」ことによって分断され、疑心暗鬼の不安と恐怖にさいなまれる、社会全体のパノプティコン化と言えるでしょう。
 ほんとうに恐ろしいのは国家の暴力ではなく、その暴力のもとで身をかがめ、わたしたち自身が監視しあい、自分らしく生きることに絶望してしまい、いつのまにか「国家に守られるべき善良な国民」の側にしがみつくことにあくせくするようになることだと思います。
 ここまで突き進んだこの政権がやり残したことは、憲法を変えることだけでしょう。読者のいない小説、観客のいない一人芝居、相手のいないボクシング…、最後は強行採決で決めてしまえる圧倒的な力を持ってしまった孤独な政権は、助けてくれる友も相談できる友もないまま、1億2674万人の「自分らしく生きることを放棄した」わたしたちをどんな暗闇へと案内してくれるのでしょうか。
 政権末期に特有の数々のスキャンダルによって政権交代がなされてきた自浄作用が利かなくなってしまった今、国民の声が断末魔となり、かき消されてしまう前に立ち止まり、国家もわたしたちも殺戮と弾圧を繰り返してきた世界の歴史から学ばなければならないと思うのです。

「どんなに自由をうばわれても人間には最後にひとつだけ自由がのこる。それは自由になろうとする自由です。」(竹中労)

天童よしみ「風が吹く」(作詞・竹中労)

中島みゆき「異国」

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2017.05.22 Mon 自由を広げるための想像力が国家の監視の道具になる共謀罪の恐怖

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瀧口修造とアンドレ・ブルトン

 シュルレアリスムを日本に紹介し、アンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンなど現代芸術の先駆者と交流を持ち、戦後は大岡信、草間彌生、武満徹など他分野に渡り数多くの作家を育てた瀧口修造は1941年、シュルレアリスムの前衛思想を危険視され、治安維持法違反容疑で特高に逮捕、拘留されました。
 わたしは高校生の時、絵を描かない美術部員で「美術手帖」を愛読し、戦後の芸術をけん引した瀧口修造にあこがれていました。そして、その瀧口修造を危険人物とした特高とその背後の国家に、過去の事ながら恐怖を感じました。
 シュルレアリスムの理論的支柱だったフランスの詩人アンドレ・ブルトンは、当時の政治的変革をめざす国際共産主義に共鳴しながらも、政治的変革だけでは人間は解放されず、その政治的な力が人間を抑圧すると、後のスターリニズムを予言していました。
 瀧口修造もまた、政治的な変革よりも人間解放をめざす芸術に夢を膨らませていたのだと思います。当時の特高は共産主義革命による国家転覆を恐れていたのですが、彼らの監視の刃が政治的活動だけではなく、瀧口修造などの芸術家にまで向けられたことを、あらためて思い返さざるを得ません。
 今、さまざまな理由をつけて「共謀罪」を成立させようとしているこの国は、またしても国家に異議申し立てをしたり、国家の望む道徳律からはずれる自由な国民を危険人物とみなし、人間の心を牢獄に閉じ込めようとしています。
当時の国民の大半がおそらく知らなかっただろう瀧口修造を逮捕・拘束する国家の「想像力」にわたしは恐怖します。
わたしは共謀罪の本当の恐ろしさのひとつは、本来人間を解放する道具であるはずの「想像力」が監視の道具として国家にはく奪され、利用されることにあると思っています。
 そして、想像することが犯罪になるかも知れないという不安と恐怖は、わたしたちから想像力を奪い自由を奪うのと引き換えに、友人や親や妻子にすら猜疑心を持ち、自分の思いを他者に話さない、いや話せないまま口をつぐみ、国が用意する「善良な国民」という牢獄に閉じこもることになるのでした。
 芸術の中でも大衆芸術としての歌謡曲や芝居に押し寄せる抑圧は、大政翼賛会運動や国家総動員法のもと、軍による検閲や自主検閲により表現行為が狭められて行きました。
 共謀罪のターゲットは「危険な集団」で自分は守られる側にいると思っていたら、いつのまにか自分自身が「危険な人物」とされているという笑えない喜劇は、すでにはじまっているのだと思います。

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2017.04.28 Fri 核抑止力より 仲良くし力  ピースマーケット音頭ができました!

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 「ピースマーケツト・のせ」のテーマソング、ピースマーケット音頭(世界仲良し音頭)ができました!
 「ピースマーケット・のせ」の実行委員会委員長・清州辰也さん(94歳)が作詞し、神戸のシンガーソングライター・加納ひろみさんが作曲しました。
 昨年の5月、わたしたちは心と物と夢が行き交う市場「ピースマーケット・のせ」を開きました。
それは能勢町内の新聞に折り込まれた一枚のチラシから始まりました。そこには高齢者住宅に住む清州辰也さんが、「孫や次の世代に戦争のない平和な世界を残したい!!」という、いのちを削ってまでも訴えようとする平和の願いが綴られていました。
清洲さんは1943年、20歳の時に学徒出陣し。南方軍に配属されました。1944年、フィリピンからベトナムへの輸送中、ボロ船のただ一隻の輸送船の機関が故障し漂流2週間、1000人余りの乗員が一滴の水も一粒の米もない絶飲食を強いられました。
敗戦をベトナムで迎え半年間の俘虜生活をへて1946年3月に帰国。大阪駅からは大阪城だけしか見えず、ひろがる一面の焼け野原に立ち、「戦争だけは二度としてはならない。」と強く決意したといいます。
戦後70年、第二次世界大戦による死者は5000万人とも8000万人ともいわれ、日本の地でもアジアの地でも理不尽に奪われたいのちが帰るべき故郷もなく、寄る辺ない夜と朝を漂泊しているというのに、世界は今また次の戦争の準備をし、他国の民を傷つけています。
軍事力を背景にした脅しの外交が国を守り平和への近道と考えた過去の過ちを忘れ、すべての国民を監視し、「国(国体)を守る」ためには多くの国民や一部の地域を犠牲にしてもかまわないと「前線基地」を沖縄に配備するわたしたちの国の姿は、戦争で犠牲になったおびただしいたましいが願い、清洲さんをはじめとする戦争を体験した人々が望んだ「未来」と言えるのでしょうか。
 軍事力を持たなければ国を守れないという観念にとりつかれた北朝鮮の止まらない暴走と、強大な軍事力で朝鮮半島を極度に緊張させるアメリカ…。その許しがたい行為の元で、数多くの人々が心を固くし、不安と恐怖の夜を過ごしていることに、心が張り裂けそうになるのはわたしたちだけでしょうか。
 世界で唯一の被爆を体験し、世界に先駆けて「二度と戦争をしない」と宣言したわたしたちの社会、東アジアの当事者としてなによりも話し合いで緊張を和らげようと呼びかけるべきわたしたちの国が、即座にアメリカの軍事戦略に積極的に参加し、北朝鮮の軍事力行使の標的となる道を選んでしまっていることを、わたしたちは許してしまっていいのでしょうか。
 わたしたちの国は沖縄を植民地としただけでなく、この国全体がアメリカの植民地になったと錯覚してしまうほどです。そしてバラエティと化した昼のニュース番組を他人事のようにぼんやり見ている自分自身の姿にうすら寒くなるのです。
 緊迫感と無力感に覆われる今だからこそ、わたしたちは「ピースマーケット・のせ」を開く意味がますます深くなったと思っています。
 
世界各地で紛争やテロが絶えない一方で、武力だけに頼らず紛争やテロをなくそうとする必死の努力もまた、日本をはじめ世界の人々によって進められていると信じています。
日本だけでなく、世界各地で異議申し立てをするひとびと、自由を求めて活動を続ける人々がいます。わたしたちもまた、「誰も傷つかない、誰も傷つけない」平和で安心できる社会を願って、彼女たち彼たちと青い空と心を共にしたいと思うのです。
「そんな甘い考えで、家族も国も自分も守れない」という声が大きくなっています。しかしながら、わたしは思うのです。
1962年、キューバに核ミサイル基地の建設が明るみになり、アメリカがカリブ海で海上封鎖、アメリカ合衆国とソビエト連邦との緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達したキューバ危機が避けられたのは、最終的には当時のケネディ大統領とフルシチョフ首相との書簡のやりとりによる話し合いにあったことを…。
 ロバート・ケネディは著書「13日間 キューバ危機回顧録」で、「キューバ危機の究極的な教訓は、われわれ自身が他国の靴を履いてみる、つまり相手国の立場になってみることの重要さである。」と書いています。
 「武力なしで平和は守れない」という声高で乱暴な主張がもてはやされますが、武力によって平和が守られたことがないということもまた真実なのです。
そして、なによりも武力を行使してはいけないのは、その後の話し合いで平和が実現しても、一部の、いや多くの人々のいのちがその最初の武力によって奪われ、人々を傷つけてしまうことなのです。その事実を「多少の犠牲は仕方がない」と言い放つことは、決して許されないと私は思います。
 5月14日の「ピースマーケット・のせ」まであと2週間になりましたが、緊迫した状況の中で、里山能勢から声を限りに叫びたいと思います。

核抑止力より 仲良くし力
武器抑止力より 仲良くし力
21世紀は 仲良くし力
PEACE MARKETは 仲良し力
のせからのせのせのせまくれ
あっちでもこっちでものせまくれ
世界全部をのせまくれ のせまくれ
ハァイ ソレ ヨイショ

>「ピースマーケット音頭(世界仲良し音頭)」
作詞・清州辰也 作曲・加納ひろみ




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