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2017.04.20 Thu 監視しあう社会は孤独で悲しい暴力。「共謀罪」法案の成立をゆるしてはいけない。

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 「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、衆院法務委員会での本格論戦が19日スタートしました。
 最近は自民党が公明党との与党調整を終えた段階で法案が成立してしまうという、戦後の国会の歴史の中でも異常な状態になっています。これではかつての全体主義国家とかわりがなく、「めんどくさい」議論を重ねながら国会議事堂の外の国民の意見をくみ取り、審議を進める国会の役割を成していないも同然です。
 今の政権があやふやな支持率という「水戸黄門バッジ」をかかげ、森友学園問題の深い闇に隠された疑惑を解明する責任も努力もせずに過去のことにし、「テロ等準備罪」、そして緊急事態条項を憲法に組み込むことで政権の思うままに国の行方を決めてしまえるところまで駆け上がるのをとめられないとしたら、わたしたちの社会がもうすでに全体主義国家へと足を踏み入れてしまっている証明なのかも知れません。
 もちろん、それを止め本来の民主主義を取り戻そうと積極的に行動するひとびとが苦闘されていることもまた真実です。
わたし自身、黙っていれば国の施策に賛成するサイレントマジョリティとみなされ、国の思うままになるのをわかっていても、彼女たち彼たちのようにフットワーク軽く行動を起こせない自分自身を情けなく、その気持ちがますます無力感を深めるという悪循環に陥ってしまいます。
 わたしのように思っている人々がたくさんいるのではないか、そう思い始め、「わたしはこう思う」と書いてみようと、このブログやFACEBOOKに投稿するようになりました。
 思えば今「共謀罪NO!」と直接行動を起こしている人々もまた、街頭で集会でわたしのような「サイレントマジョリティ」に呼びかけているのですから、その「サイレントマジョリティ」自身が小さな勇気を振り絞り、「サイレントマジョリティ」に呼びかける方法として、このブログもあると思っています。

 さて、「共謀罪」や「テロ等準備罪」という言葉を聞いた時、わたしも含む多くの人々が自分とは無縁の犯罪集団、反社会的集団から自分を守ってくれる法案と思うのではないでしょうか。まさか、自分が知らない間に犯罪集団、反社会的集団の一員とみなされるとは思わないでしょう。
 しかしながら、戦前戦中の苦難の時代をくぐり抜けてきた人々の証言は、それをひっくり返すに十分すぎるものがあります。
 わたしの母は1911年(明治44年)、香川県に生まれました。勉強が好きで高等小学校に行きたかったらしいのですが、貧乏なのと女は勉強しなくてもいいということで断念せざるを得ず、広島の大店に一年間の年季奉公に出されました。それからの彼女の人生をくわしくたどることはできませんが、母親とともに大阪に出てきて、しばらくして海外航路の船員さんと結婚、夫がほとんど家に帰らない生活で、彼女は若くして大阪港近くの繁華街でカフェを営んでいました。
 しかしながら、経済的な基盤を支えていた夫が病死し、お店も親戚にとられ、戦争が近づく中でわたしと兄が育った今の摂津市に疎開しました。戦争が終わり、戦前のたくわえでタンスの着物を質屋に入れるタケノコ生活を経て、料亭旅館の仲居をしていた時にお客さんだった妻子あるわたしの父親と出会いました。彼女は兄とわたしを生み、しばらくの間は父親が家にやって来ましたが、父親の援助を受けず、焼き芋屋からはじめ、大衆食堂を営みながらわたしと兄を育ててくれたのでした。そして、わたしが小学生になる前に、「子どもの教育に悪いから」と、父親ときっぱり別れました。
 私と兄を育てるためだけに、女性としての幸せをすてて母親として生き続けた彼女の人生が幸せだったのかはわたしにはわかりませんが、母と兄とわたしが身を寄せてその日その日を食いつなぐ赤貧の日々もまた、わたしにとっては懐かしくも切ない思い出として今でもくっきりと焼き付いているのですから、きっと母にとってもまた幸せな日々だったと思いたいのです。
 「福祉の世話になったらあんたたちが肩身の狭い思いをする」と、髪振り乱し、片手に余るぐらいの薬を飲みながらわたしと兄を高校に行かせてくれた母親の深い思いに、晩年に十分に恩返しできなかったと後悔する一方で、わたしは彼女を誇りに思うのです。
 
 そんな彼女は、私と兄に政治の話は全くしませんでしたし、わたしたち子どもが話すと、「シッ!めったなことをいうもんじゃないよ。特高が聞き耳を立ててるかも知れないよ」とたしなめるように言うのでした。わたしが「おかあちゃん、もう特高警察なんかないよ」といっても、絶対に信じませんでした。
 わたしは子ども心に戦前戦中を生き延びた人々がわたしの想像もできないトラウマを抱えて戦後も生きているのだと感じました。戦後民主主義とか民主教育とかをそのままうのみにできない個々の心の澱み、教育勅語でこの国が天皇のものと教わり、治安維持法でいつ危険な人物とみなされ逮捕されるかも知れないという恐怖と、こんなに一生懸命子どものためにと必死に生きている女性が国に見守られるのではなく監視されているというマインドコントロールから抜け出せないでいることに、とても悲しく、怒りにも似た切なさを感じたものでした。そんな彼女だから、自民党を支持しているのかなと思っていたのですが、ある日「ここだけの話でいいふらしてはいけないよ」といいながら、当時の社会党を支持していることを知りました。
 わたしが「共謀罪」の施行を絶対に許してはいけないと思うわけは、ひとつはわたしたちを「守られるべき国民」とそれに危害を加える危険人物と分けることと、その選別と監視を国家ではなく、ひとりひとりの国民に押し付け、監視しあう社会にしてしまうことです。思えば昔も今も障害者は「保護し見守る」という名のもとに監視の対象となっています。ナチのユダヤ人大虐殺の前に障害者が毒ガス室に放り込まれたように、障害者は炭鉱のカナリアよりも過酷な歴史を経験しています。
 ひとりひとりが見張りあいをする社会は、看守がいなくても囚人が見張られていると思い、自分の行動を規制するのと同じだと思うのです。
 それは、本来、他者と出会うことで自分が何者かを知り、コミュニケーションと想像力で生きる喜びや助け合おうと思う気持ち、武力ではなく言葉と心のふれあいと身体のぬくもりで共に生きる社会や世界の平和をつくるあらゆる努力を根こそぎ捨ててしまう、悲しい暴力なのではないでしょうか。

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2017.04.19 Wed 能勢町議会議員選挙はじまる!大平きよえ「能勢を未来する、里山井戸端会議」

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 豊能郡能勢町の町議会議員選挙が始まりました。昨日18日の告示から23日の投票日まで、ふだんは静かな能勢町も街宣車でにぎわっています。
 わたしは4年前は引っ越してきたばかりで彼女の選挙にはかかわらなかったのですが、それから後、すでに決まっていた学校の統廃合計画を思い直してくれたらという思いをブログに書いたところ、妻にすすめられてその文書の体裁を変えた要請文を能勢町の全議員に送りました。もともと返事を期待などしていなかったのですが、大平さんはそれにこたえてくれました。
 その後、この問題を主に財政面で問題を指摘した請願をもとに町議会が開かれた時、共産党の中西議員と大平さんの二人だけが意見を述べ、あとの議員は意見も何も言わず問答無用と玄関払いをしました。
 その時に大平さんの意見は、わたしが出した要請文書で書いた「統合することで競争ができ、学力向上が図れる」とする教育が、はたして21世紀をになうこどもたちの未来を明るくすることなのか」というものでした。こどもの未来を今の大人の社会の価値観で決めてしまうことへの逡巡を持ち、思いまどう中から施策を決定する勇気が、教育行政にもそれを策定する議会にも求められているとわたしは思います。
 それ以後、わたしは大平さんという議員が能勢町にいることがとても大切なことと思うようになり、彼女がもっとさまざまな問題に「思いまどう」ために、いろいろな情報を届けるようになりました。今年2年目を迎える「ピースマーケット・のせ」の実行委員に誘ったのもそんな思いからでした。
 当初、「いろんなフリーマーケットがあるけれど、ただ買い物するだけで終わり、思いを語り、つながっていかない」と批判的でしたが、5時間も話した末に、「買い物かごの中にも民主主義も自由も希望も夢もつまっている」と意気投合しました。
 そして、バザーが開かれるには平和でなければならない。そして、バザーにさまざまなひとびとが集うことが、平和をつくる遠くて近い道なのだと…。

 今回、わたしはリーフレットづくりに参加させてもらいましたが、そこでも作成を急がなければならない中で、「女性の視点を町行政に!」というところで、深夜に及ぶ議論をしました。彼女は議員になる前の三年間、男女共同参画を推進する「クレオ大阪東」の館長もされていたのですが、国や行政のいう男女共同参画が、長年能勢町の農業を支え、守ってきたひとびとの実感に届かないと言いました。もちろん能勢町だけではなく日本社会全体がまったく男女共同とは程遠く、わざわざ「女性がかがやく」と言わなければならない惨状なのですが…。
 わたしもまた国政でも自治体行政でも「女性の視点を行政に!」と声高に言われることに少し抵抗がありました。それはもちろん、わたしが(異性愛の)男であることと無縁ではないのかも知れませんが、「女性の視点」といった段階ですでに「男性社会」の支配を許し、男性社会が認める範囲でしか女性の視点を受け入れないということのように思えたのです。
 一夜明けた翌日、公約ともいえるマニフェストに彼女は次のように書いてきました。わたしはこの文章を読み、理論よりもはるかに現実的で、実際に社会を変えていくプロセスを見据えたものと共感しました。
 それが次の文章です。

「女性の視点が行政に!」
長い歳月をかけてつくりあげられてきた「男性社会」の仕組みでは、視点に偏りがありました。上下関係が大事、実力や能力を重視、効率の良さ等が物事の基準となっていました。その結果、幼な子や高齢者、ハンディキャップを持った人たちが取り残されることも少なくありませんでした。こうした人たちが置き去りにされない社会にするには、「男性社会」に女性たちの視点を交錯させる「複眼」の社会こそ望まれます。
広範多岐な町の課題にしなやかに豊かに女性の視点を生かしていきます。

 この文章はわかりやすいですが、とても深い文章だと思います。「男性社会」自体をつくってきた人間社会そのものへの変革は、女性だけではなく、「幼な子や高齢者、ハンディキャップを持った人たちが取り残されない社会」への変革で、それはかつて「人権」というお題目からしか始められなかった「人権運動」へのわたし自身の反省をこめて、「女性の視点」から始める前にさまざまな人間の視点から始めようという大平さんの意志を素晴らしいと感じました。その意志はまた能勢町民のみならず、世界のひとびとに向けた意志なのだと思います。
 そして、地域のさまざま課題をさまざまな住民と話し合い、語り合い、問題を分ちあい、その切ない思いや願いを議会に届ける「能勢を未来する、里山井戸端会議」を開くことを決心し、約束する大平さんを応援します。oohira1.jpg


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2017.03.19 Sun 学校が限りなく「調教」の場ではなく、「学びあう場」でありますように。森友学園問題に想うこと2

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 ほぼ毎日、5月14日のピースマーケットスペシャルコンサート「友部正人」の情報宣伝と、チケット預けのお願いに明け暮れていますが、その間にも3月11日、森友学園問題の集会に足を運びました。
 豊中市曽根駅の近くに旧市民会館の建て替えでできたばかりの豊中市立芸術文化センターの多目的室で開かれたこの集会は瑞穂の国小学院問題を考える会が主催したもので、この問題が明るみになるきっかけとなった豊中市会議員・木村貢さんの報告と、「日本会議の研究」の著者・菅野完さんの講演という時の人おふたりの話が聴けるということで、わたしも友人と会場に足を運びました。
 この集会が企画された時からあれよあれよという間に次々と新しい事実が発覚し、国会での野党の追及とマスコミ報道があふれる渦中で、しかもこの日に森友学園の籠池理事長が小学校の申請を取り下げ、理事長をやめるというニュースも伝えられたこともあり、早くに会場に向かったのですがすでに会場は満席で、わたしもふくめて50人以上の人が入れませんでした。
話が聴けなかったのは残念でしたがこの問題がたくさんの人々の関心を呼び、今の政権の危うい暗闇が明るみになり、政権の暴走を止めるきっかけになればいいと思います。
 あの日からますます新事実が出て、ついに安倍首相が森友学園に100万円の寄付をしたという籠池氏の発言によって、それまでかたくなに籠池氏の証人喚問を拒絶していた自民党も積極的に証人喚問を求め、誰が真実を語り誰が嘘をついているのか物事の決着をつけようというところまで来ています。
 ただ、問題の本質は国の当初の鑑定価格9億5600万円より大幅に安い1億3400万円で売却されたという許しがたい事実をはじめ、国には過大な建築費で建築への助成金を高くし、大阪府へは認可を得やすいように過小な建築費で財政的な懸念を払おうとしたことなどの事実が、森友学園の働きかけがあるたびに実現したことに政治家の関与があったのか、もしなかったとしても安倍首相夫妻や稲田防衛大臣など国家の最高権力者が関わっている法人への配慮、忖度が働いたのかが問われています。
 首相からの100万円の寄付行為があったとしても、また森友学園とのかかわりに法的な問題がなかったとしてもそのことを利用した寄付集めや入園、入学の勧誘があったという事実に道義的な責任があることは間違いないわけで、だからこそそのかかわりや寄付行為を否定せざるを得ないのでしょう。
 安倍首相も稲田防衛大臣も自民党も、証人喚問で籠池氏の嘘や虚言癖(?)を認めさせて森友学園とのかかわりを否定することで幕引きを狙っているのでしょうが、あくまでも本質は8億円も値引きして特定の法人に土地を売り渡した信じられないことがなぜ起きたのかを明らかにすることだと思います。

 それはそれとして、わたしが心配なのは多くの方が指摘されているように、森友学園が運営する塚本幼稚園での教育勅語の暗唱などいわゆる右翼的な教育を受けている子どもたちの未来です。
かつてある思想家は「近代国家にとって学校と刑務所はまったく同じである」と言いました。近代以前は処刑・刑罰してきた罪人を、近代国家は刑務所で調教することで国家に従順な人間に作り変えるようになり、その考え方を子どもたちにも適用し、学校がつくられたというのです。
 こんなことを言えば、子どもたちの未来をより良いものにするために一生懸命の先生など、教育に従事されている真摯な方々に叱られるでしょうが、実際のところ学校がほんとうに子どもたちの学びあう場として存在することはまれで、国家による調教という教育システムが子どもたちを管理していることもまた事実だと思うのです。
 また、刑務所の例は極端かもしれないですが、多かれ少なかれ大人もまた国家の管理システムの中でしか「与えられた自由」を獲得できていないのかも知れません。
 わたしはどもりの対人恐怖症で、集団の中で一つのことをみんなと同じようにする社会性がなく、泣きわめいて幼稚園に行くのを拒否しただけでなく、小学校の1年は3学期しか行かず、2年、3年も休みがちで、今で言う不登校の引きこもりでした。どもりを笑われた記憶はいまだに心の奥に隠れていて、わたしが言葉にこだわるのも、またまとまった話をマイクを持って話したりできないことも、子ども時代のトラウマから逃れられないのが原因です。
 ですから、塚本幼稚園の子どもたちがこれから長い人生を生きていくうえで、この幼稚園で刷り込まれた「教育」という名の「調教」がどれだけ心の重荷になっていくのかと思うと、とても心が痛むのです。マインドコントロールがとけないまま、自分は周りの人よりも「すぐれた人間」と思って他人を差別したり、トラウマから脱出できないでもがき苦しんだり、ひとによって絶望の果てに自ら命を絶ってしまうひともいるかも知れません。
 わたしは塚本幼稚園や、つくるはずだった瑞穂の国記念小学校が「右翼教育」を子どもに押し付けていることだけが問題ではなく、そもそも大人が子供を自分の思うままに支配し、理解できるとは思えない「教育勅語」を丸暗記・唱和させること自体の暴力を絶対に許してはいけないと思うのです。しかしながらそんな「偏った」ことができるのは、国家が子どもたちの「学びあう場」を保障するのではなく、刑務所の調教システムと変わりない「教育」システムを子どもたちに押し付けているからなのだということを、忘れてはいけないと思います。
 そして一般には子どもたちは卒業することで学校から解放されますが、障害をもった子供たちの多くが学校を卒業してからまたもうひとつの訓練の場で「卒業」のないまま生きざるをえない現実もあります。
 障害を持たない子どもたちにも一生卒業できないかも知れない塚本幼稚園での特別な教育(彼らの主張では素晴らしい教育)から子どもたちが自分を取り戻し、卒業できるように、わたしたち大人は長い時間をかけて彼女たち彼たちの未来を(干渉せず)見守って行かなければと思うのです。

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2017.03.03 Fri 森友学園問題に想うこと

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 わたしは20代初めの頃、庄内の小さな工場で働いていました。庄内駅から名神高速道路と阪神高速道路の地下の工場に通う途中に問題の場所がありました。わたしが工場に通っていた1965年から22年の間、特に前半の10年は「輝かしい」高度経済成長の真っただ中にあり、この町があたかも日本の高度経済成長の負の部分をみているようでした。
 空港の騒音が鼓膜をゆらし、空港騒音保障でその頃ではまだ珍しかったエアコンの室外機が並び、防音の窓は閉めたまま、そして毎日といっていいほど人々が立ち退いた後のフェンス張りと「国有地」という看板が増えていきました。
文化住宅やアパートがひしめき合い、こちらも残業して帰るころ、スレート張りの土間で出前のうどんを食べる機械工場のひとびとは深夜近くまだ働いていたと思います。
 その時代の野田町という町はそれでもほかの庄内地区と同じように子どもたちの歓声にあふれ、せつなくも活気ある町でした。
いま、森友学園問題でテレビに映る「瑞穂の國記念小學院」を建設中の土地から掘り出されるごみは、かつてここで暮らしていた家族や、町工場で12時間働いていたひとびとの切ない夢の残骸なのだと思います。地上げ屋と変わらない国が文句のあるやつは出て行けと追い出し、半世紀の間封印してきた人々の切ない夢や希望や絶望の記憶は、めぐりめくってこの地を利権の草刈り場にしようとする国や大阪府や政治家や利権教育ビジネスへのしっぺ返しとして、魑魅魍魎のようによみがえったのだと思います。
 思えば国の所有となったこの土地のどこを掘り起こしても、なんの未練も躊躇もなく問答無用で踏みにじられ捨てられた無数の記憶があふれ出ることでしょう。
 「学校」という、子どもたちと日々接する、ある意味もっとも危険な場所、もっともデリケートに子どもたちの未来を子どもたち自身によって獲得することのむずしかしさを感じなければならない場所、大人が大人の都合で子どもたちの未来を決めてはならないことを肝に銘じなければならない場所を踏みにじる利権教育ビジネスに退場していただくのはもちろん、高度経済成長に翻弄されたこの土地の切ない記憶をわたしたちの記憶としてもう一度振り返らなければと思います。

森友学園(大阪市淀川区)と大阪・豊中の国有地 情報集約
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2016.12.10 Sat 沖縄を植民地とする「本土」の民主主義の罪と危機 坂手洋二作・演出、燐光群公演「天使も嘘をつく」

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 12月8日、伊丹のアイホールで坂手洋二作・演出、燐光群公演「天使も嘘をつく」を観ました。基地に囲まれた沖縄の状況を告発し、与那国、石垣、宮古、奄美大島に国が強引に進める自衛隊基地建設計画に反対する市民の運動の行方を模索する映画づくりと現実の運動が連動するドキュメント(メイキング)を演劇にするという、刺激的なものでした。
 舞台は南西のある島。メガソーラー計画に疑義を呈する母親たちの会が、瀬戸内のある町のメガソーラー計画のことを撮影したドキュメンタリー映画の上映会をするために、その映画の監督クリモトヒロコ(竹下景子)、カメラマン(猪熊恒和)を島に呼ぶところからこの劇は始まります。
 竹下景子演ずるクリモトヒロコ監督はそのドキュメンタリー映画を撮りながら、メガソーラーが完成したら、かねてから念願の劇映画の制作に着手し、ヒロインがその上を飛ぶシーンを夢見ていました。彼女が撮ろうとした映画「天使も嘘をつく」は「冷戦期のアメリカB級表現に於ける核恐怖」という設定で、「冷戦期」のアメリカB級SF映画の多くが、ソビエトや核兵器への恐怖心からうみだされたとする仮説に基づいています。「共産主義という名の全体主義」や「核兵器」への脅威が、多くの場合、アメリカの片田舎の街が未知の力や未確認生物に支配されるという展開をとらせるのです。一つの街が、宇宙からの生命体に乗っ取られようとする土壇場で、見渡す限り銀色に輝くメガソーラーを滑走路にして天使が飛び立ち、世界を救う…。しかしながら、映画の主人公のマナ(馬渕英里何)がパラグライダーで飛行中に墜落死し、映画は未完成のままになっていたのでした。
 島にやってきたクリモトヒロコは、反対運動のメンバーのひとり小百合がマナにそっくりなのに驚きます。
 そして、メガソーラー計画を隠れみのにした自衛隊基地の配備計画が明るみに出ます。
 映画のカメラが入ることで、住民もまた国の権力と立ち向かうことにおびえ、萎えてしまう心を奮い立たせます。映画作りと現実の運動が重なり、島の住民はその境界を行き来しながら、現実の運動も映画も芝居ものっぴきならないところへと追い込まれていくのでした。
 この芝居のモデルのひとつである「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」は子育て中の母親たちが結成した会で、平和のこと、憲法のこと、そして自衛隊配備のことなどを一緒に勉強しながら、一人一人の中にある不安や希望を共有できたらきっとよりよい未来をつくっていけるはずと、映画会や学習会や住民説明会をたびたび開き、粘り強い運動をつづけています。
 11月30日には沖縄県庁を訪れ、安慶田副知事に対し先島諸島への自衛隊の新基地建設に反対するよう強く求め、「先島諸島への自衛隊配備に反対する要請書」を手渡しました。宮古と石垣の自治体では自衛隊配備への反対決議が採択されています。また、彼女たちは宮古の住民にとどまらず、石垣島の「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」などそれぞれの島の住民たちともつながり、大きな交流会に参加したり、高江で共闘のアピールをしたりと、粘り強くしなやかなその活動は宮古から石垣、沖縄本島、そして全国の市民に静かな共感を広げていきました。
 
 彼女たちの切実な願いと言葉はほとんど脚色されずに登場人物たちの言葉や叫びとなっているのですが、芝居という物語、フィクションの中でそれらの言葉や叫びはその物語の中から生まれたように現実から一人歩きしていきます。そして、現実よりも先に自衛隊基地の建設がすすめられようとする時、カメラマンの写し取るドキュメンタリー映像はクリモトヒロコの頭の中にしかなかった映画「天使も嘘をつく」そのものとなり、映画のシナリオのラストシーンに向かって登場人物は森の中のバリケードへと追い込まれていきます。
 迫りくる自衛隊基地も国の暴力も、映画の中ではアメリカのB級映画さながらの宇宙人で、最後の砦で地球人は最後の抵抗の準備をします。
 この先絶望の未来が待ち受けているとしても、天使が嘘をつき、今日の希望と勇気を人間にくれるのだとしたら、島の平和な暮らしを支えてきた森の中で国の暴力に毅然と立ち向かわなければいけないのは舞台の登場人物だけでなく、映画のメイキングを見届けてきたわたしたち観客も、そして現実の沖縄のひとびとだけではなく日本人全体と、坂手洋二がこだわってきた戦後民主主義そのものではないでしょうか。
 映画の完成を待たずに死んでしまったマナと小百合は合体し、見えない羽根があっても飛べなかったマナと一緒に小百合とクリモトヒロコは両手を広げ、地球を救うために飛び立とうとします。みんなが、「あっ、浮いている」と叫び、芝居は終わります。

 2時間ぶっ通しで叫び続ける役者の言葉の数は大変な量で、実際のところ未消化の言葉によるアジ演説のように理解できない部分があったり、演出意図なのでしょうが劇映画とドキュメンタリー映画とそのメイキングとしての演劇という3重構造が魅力である一方で、どうしても現実の運動の方に引っ張られてしまう傾向もあったかもしれません。
 しかしながらわたしは、現実の運動のリアリティだけでは届かないサイレントマジョリティへの問いかけが、もしかすると映画や芝居や歌などのフィクションなら越えることができるのかも知れないという希望を感じました。
 そして映画「天使も嘘をつく」が実はこの芝居そのものだったのだと気づいたとき、この劇場・アイホールが森の中のバリケードで、この劇場の外には宇宙人がぎっしり戦列を組んで今にも突入しようとしているのではないか。そしてわたしもまた沖縄を植民地とする「本土」の日本人として戦後民主主義をむさぼりくってきたのではないか。それゆえに危機に瀕している戦後民主主義を救うために、このバリケードから飛び立つ勇気を持たなければと思いました。
 それにしてもそうそうたる役者を扇動し、観客のわたしにまで「お前はどうする」とせまってくる坂手洋二という人は、演劇によって世界を時代を現実を変えることができると固く信じていて、最近の小劇場のような予定調和的でこじんまりした芝居とは似ても似つかぬ骨太で心を波立たせる痛い芝居をつくるひとだとつくづく思いました。

FBページ「てぃだぬふぁ-島の子の平和な未来をつくる会」
この会のメンバーの石嶺香織さんは若い頃に豊能障害者労働センターのスタッフだったことがあり、今は宮古島で子どもたちに平和で安心できる未来を用意しなければと、子育てなど暮らしの中から切実な活動をしています。彼女自身のさまざまな体験から現在の活動をされているのですが、彼女が若かった頃に障害者運動を共にしてきたことが少しは現在の活動につながっていることを誇りに思います。

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