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2017.07.07 Fri 島津亜矢は「柔」に閉じ込められた美空ひばりを解き放つ宿命を持つ稀有の歌手

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 6月27日、島津亜矢がNHK「うたコン」に出演し、美空ひばりの「柔」と、新曲「心」を歌いました。
  「柔」はこの番組の前身だった「歌謡コンサート」で何度歌ったことでしょう。この歌を歌ってくれる歌い手さんが少なくなり、「柔」は島津亜矢に歌ってもらうと決めている頑固な(?)番組スタッフがまだ健在でほほえましくもあります。
 古賀政男から船村徹、遠藤実を経て弦哲也、岡千秋、徳久広司などに代表されるような70年代以降の現代演歌が量産される今、アナログ音源と白黒フィルムのような古賀政男の歌は人々の心に届きにくくなっているのかも知れません。
 わたしの暴論ですが、美空ひばりの最大のヒット曲が「柔」であったことは美空ひばりにとっても日本の大衆音楽にとっても最大の不幸と思っています。
  「柔」は1964年、東京オリンピックから一か月後に発表され、190万枚という美空ひばりの最大のヒット曲となりました。
 東京オリンピックは戦後の奇跡といわれた復興の成果と、政治的にも経済的にも国際社会の担い手として、日本の存在を世界に認めさせる一大イベントでした。
 その目玉のひとつとして柔道が国際競技となり、金メダルをとってあたりまえという風潮のもと無差別級でオランダのヘーシンクが優勝し、会場の日本武道館の空気が凍り付き、静けさに包まれました。
 「勝つと思うな、思えば負けよ」と歌った「柔」は、講道館創始者の嘉納治五郎の柔道精神を歌う一方で、東京オリンピックの柔道無差別級の敗北を越えて、日本社会への応援歌としての一面も持っていたように思います。
 うがった見方をすれば、そもそも明治になって講道館がけん引した柔道は警視庁と学校教育に採用されることで国家体制の精神性の一翼を担ってきた歴史があり、「柔」は「柔道の敗北」による大衆の動揺を背景とした国家の意思、もしくは今流行りの言葉でいえばそれを歌謡界が忖度してつくられた、いわば国家高揚プロジェクトに近いものがあったのかもしれません。
 その一大プロジェクトにぴったりの歌手といえば、戦後の復興を担い、苦難の日々をくぐりぬけたひとびとの精神的な支えだった歌謡界の女王・美空ひばりしかいませんでした。
 また、戦前は自殺未遂まで経験してつくった「影を慕いて」で、迫りくる軍靴のもと壊れやすい青年の純な心を歌い、戦中は戦意高揚の歌を作らざるを得なかった古賀政男もまた、国策と世情に翻弄された戦前戦中の悲しい心情と決別し、日本社会の復権に第二の青春をかける、そんな骨太の歌をつくろうとしたのでしょう。
 かくして、古賀政男は聴く人の琴線にふれるせつなく儚い詩情を離れ、美空ひばりはブルージーで土着的な音楽を捨て、「日本人の心の音楽」としての現代演歌という新しいジャンルを作ったのでした。このプロジェクトは想像以上の成果をあげ、「柔」は美空ひばり最大のヒット曲となり、これ以後高度経済成長の急な坂道を昇るひとびとの応援歌となりました。
 わたしは最近の島津亜矢の「柔」を聴くと、若い頃の単純な歌唱とちがい、当時の時代背景と美空ひばりが感じたかもしれない違和感や時代の閉そく感にまで想像をめぐらしてしまうのです。まさに、歌は歌自体が時代の記憶をかくしていて、たとえその時代をリアルに体験していなくても歌の女神は島津亜矢を歌の誕生の地にいざなうのでした。
 つい先日、TBS―BS「名曲アルバム」で美空ひばり特集が放送されました。この番組はジャンルにとらわれず2、3組の合唱団による合唱がほとんどで、それにゲストとして今回の放送では天童よしみとともに島津亜矢が出演しました。わたしは時々この番組を見ていますが、クラシックに近い歌唱法で演歌・歌謡曲を合唱するとミスマッチぎりぎりのところで不思議になじんでいることがうれしくなります。
 とくに島津亜矢が歌った「柔」は、「うたコン」などでの歌唱とはちがい、ピアノの伴奏と合唱だけのアレンジも相まって、とても新鮮に聴くことができました。この歌に限らず、天性の透明でやや硬質の声を持つ島津亜矢はアカペラに近い形で歌うと素晴らしいものがあります。また合唱のゲストボーカルとして歌う場合、彼女がバックの合唱に注意深く耳を傾けながら歌っていて、本来メロディアスとは言えないこの歌のメロディを奥底から引き出した歌になっていました。
 二曲目の「りんご追分」は、「柔」以前の美空ひばりの最大の魅力だった日本の土着ブルースの代表曲ですが、合唱によってを解体され、再構築された歌を、島津亜矢は戦後のラジオからこの歌が流れた時代の記憶の破片を拾い集めるように、一段と丁寧に歌いました。
 この歌を聴き、日本のビリー・ホリデイとも言われたブルースシンガーでありながら、これぞ日本の歌としかいいようがない美空ひばりの広大な音楽の荒野に島津亜矢は導かれているのだと思いました。
 孤独を恐れぬ心が足を踏み込むその荒野には、心臓の鼓動から生まれた愛の歌と、戦火の後の悲鳴が降り注ぐ独特のこぶしと節回しが満ち溢れていることでしょう。
 そして、世界の音楽の系譜にまだ記述されていない美空ひばりの悲劇を受け取り、西洋音楽に支配されてもなお底流に流れる日本の音楽、「柔」に閉じ込められてしまった美空ひばりの音楽、現代演歌の彼方に隠れている1950年代の歌謡曲を解き放ち、「新しい日本の歌」(それを島津演歌と呼んでもかまわないのですが)を生み出す歌姫として、島津亜矢はその荒野の入り口に立っているのでしょう。

 たしかに、島津亜矢はいまかつてない大きな波の上にいることはまちがいありません。2年連続の紅白出場と中島みゆきトリビュートコンサート出演、NHK「SONGS」出演、そしてマキタスポーツの後押しからTBSの「金スマ」に出演したことなど、話題に事欠かずまた矢継ぎ早の露出は、島津亜矢を大きく認知させるのに十分でした。
 そうした番組出演により、天海祐希、古舘伊知郎、中居正弘、大竹しのぶなど、芸能界をけん引する多様な人たちと出会えたことはこれからの活動に大きな果実をもたらすことでしょう。とくにTBSの人気番組「金スマ」の波及効果は大きく、アカペラでポップスのさわりを歌っただけでポップスのアルバム「SINGER」シリーズが爆発的に売れ始めたほか、新曲の「心」もヒットチャートをにぎわしています。
 ここ数年の地道な努力がやっと報われ、一ファンとしてこんなにうれしいことはありません。もちろん、そのぶんだけ今までとちがうプロデュースが問われるようになり、売れたら売れたで悩ましいのがこの世界です。とくに、島津亜矢のようにレンジの広い歌手ほどほんとうに難しいと思います。
 ともあれ、ひとつの安全策としていままでの路線に沿った新曲「心」を発表し、大賞を獲得した「独楽」のように日本作詩大賞へのノミネートに期待が高まります。
 あとひとつ、星野哲郎の教え通り迷ったときは原点に戻るということで、身も心も引き締めて、いわゆる「演歌の王道」へとハンドルを戻したとも言えるでしょう。
 新歌舞伎座のコンサートでも原点回帰の姿勢が鮮明でしたし、それはそれで意味のあることでしょう。
 わたし個人の思いから言えば、島津亜矢にふさわしいもっと大きくて深い歌が生まれないものかと思っています。そのためにはいままでと違う、また新しい出会いが用意されなければならないのでしょう。

島津亜矢「リンゴ追分」 

島津亜矢「心」 

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2017.06.27 Tue 大竹しのぶ、クミコに学ぶところが多かった。島津亜矢「SONGS」出演

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 6月22日、NHKの「SONGS」に島津亜矢が大竹しのぶ、クミコと共演しました。
 いつか島津亜矢が「SONGS」に出演することを願っていたのですが、それが現実のものとなったことをとてもうれしく思います。演歌・歌謡曲の歌手の出場はとてもめずらしく、SONGSのスタジオに振り袖姿の島津亜矢が立つ姿に特別な感慨を持ったのは私一人ではないと思います。
 昨年のトリビュートコンサートに出演した流れからとはいえ、中島みゆきを愛するシンガーとして大竹しのぶ、クミコとともに島津亜矢を抜擢したSONGSスタッフに敬意を表したいと思います。
 番組では島津亜矢が「地上の星」(2000年)、クミコが「世情」(1978年、)大竹しのぶが「ファイト」(1983年)をそれぞれの曲への思いを語った後、熱唱しました。
 特に島津亜矢は20年近く歌いつづけている「地上の星」ということで、今回の放送では思い入れの強さから力が入りすぎていたように思います。
 わたしはかねがね、演歌のジャンル以外のアーティストとの共演を望んできましたが、クミコと大竹しのぶという、女優としても歌手としても女性としても大先輩の二人との鼎談は、想像以上の刺激を島津亜矢に与えたにちがいありません。
彼女たちの話やリハーサルの現場に立ち会い、島津亜矢は表現者として共感し、「歌を詠み、語り、残す力」の大切さを確認したことでしょう。
  「地上の星」はご存知のように2000年の春から2005年の暮れまで放送されたNHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」のテーマソングとして、中島みゆきがNHKに依頼されてつくった楽曲です。
  「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」は、戦後すぐから高度経済成長期まで、奇跡と言われた日本の復興と成長を実現し、モノづくりを支えたひとびとの苦難と成功をその当事者や関係者の証言を交えて紹介するドキュメンタリーで、そのサクセスストーリーは多くの人々の共感を呼びました。
 200年代初めと言えばバブルが崩壊し、のちに失われた20年といわれた頃で、日本社会全体が元気をなくしていました。企業戦士といわれ、男たちは家庭を顧みず、ひたすら会社のために深夜労働もいとわなかった高度経済成長のひずみがまだこの社会を覆っていますが、がれきから築いてきたその高度経済成長を支えてきたと自負してきた多くの「サラリーマン」がその誇りすらなくしていた頃でした。
 成長の神話からはね飛ばされ、終身雇用も終わり、リストラの嵐が吹き、自分が依って立つアイデンティティをなくしただけでなく、明日の暮らしに不安が付きまとうようになったこの頃、苦しかったけれど必死だった高度経済成長とその果実をなつかしく振り返るこの番組は、中・高年者に圧倒的に受け入れられたのでした。
 わたし自身の体験としてもその時代のだれもがさまざまなプロジェクトをになったわけではありませんが、ひとりの人間の力は小さくても日本社会全体の成長プロジェクトの一員であったという錯覚をたくさんのひとが持っていたことも確かなことでした。
 そんなひとびとの気持ちを中島みゆきは見事にすくい上げ、「地上の星」は番組をこえて100万枚の大ヒット曲になりました。
 「風の中のスバル 砂の中の銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく」と歌われるこの歌を聴きながら、どれだけのひとが自分の人生のささやかな栄光をかみしめたことでしょう。
 しかしながら、この歌にはNHKが依頼した以上のもっと深い思いもまた含まれていると思います。高度経済成長のジェットコースターに乗れなかったひとびと、乗ったものの途中で突き飛ばされたひとびと、高度経済成長の歯車になっただけでさび付いてしまったひとびと、「地上の星」はこの番組のサクセスストーリーに記述されないまま死んでいった無数のたましいに捧げるとも言えます。
 願わくば島津亜矢の「地上の星」がその無念の叫びと無数のたましいを鎮める鎮魂歌、彼女たち彼たちへの挽歌にまで進化することを願っています。
 島津亜矢は演歌のジャンルではすでに「歌を詠む力」も「歌を残す力」も獲得して余りある高みまで来ていますので、1970年代からのポップスやシンガー・ソングライターの楽曲に対しても「歌を詠み、語る」ところ、「歌の墓場」にまでたどり着くことでしょう。
 そのための一里塚として今回の大竹しのぶ、クミコとの共演が道標となることでしょう。
クミコの「世情」は、歌謡曲が映し出す風景とは一味違う時代の風景を今に届けてくれました。この歌が発表されたのは1978年でした。1970年代の激動の大波が遠くに去り、わたしは青春のシャツを70年代の空に干したまま、新しい上着を羽織って労働時間10時間の町工場で働いていました。
 「シュプレヒコールの波 通り過ぎていく 変わらない夢を流れに求めて 時の流れを止めて変わらない夢を 見たがる者たちと戦うため」。
 わたしは右だろうと左だろうと労働者だろうと経営者だろうと男だろうと女だろうと、時の流れを止めて変わらない夢を見る「権力」と戦うには、変わらない夢を流れに求める純情さとアナーキーさを必要とすることを、この歌で学びました。
 大竹しのぶの「ファイト!」は圧巻でした。彼女は若い頃に歌手デビューもしているのですが、女優として大きく進化した今、彼女の歌は、歌を職業としているひと以上の説得力で胸にせまってきます。それはおそらく、彼女にとって歌はステージの上で楽団とともにあるのではなく、芝居の「板」へとつづく路上の雑踏とともにあるからであり、憑りつかれたまなざしの先には、「ファイト!」をつくった時の中島みゆきの憤りと悲しさとやさしさが手招きしているようでした。
 1994年に発表された「ファイト」…。この歌は広島の尾道市で障害者解放運動の道半ばで死んでいった木之下孝利さんの愛唱歌でした。2000年の事でした。
 彼の葬儀に行ったとき、この歌がエンドレスで流れていました。
 「ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴ら笑うだろう ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ」…。木之下さん、あなたが広島の地から豊能障害者労働センターにいつもエールを送ってくれたことを忘れられません。
 この歌は中島みゆきが「オールナイトニッポン」のパーソナリテイをしていた時に届いた広島の女性の手紙から歌にしたものですが、大竹しのぶは中島みゆきのその思い入れを密やかに鎮め、オリジナルよりもずっと静かに淡々と歌いましたが、それがかえってこの歌で描かれている女性の感情が伝わってきて、同じ広島の木之下さんを思い出し、涙がでました。
 不確かな夢と後悔、無償とは言えない愛と裏切り、ひとの心をヒリヒリさせる熱情と絶望などなど、ひとりの女性の激情が時代の大きな物語と共振する中島みゆきの歌は、歌への情熱と並外れた声量と声質と歌唱力を持ち、「歌のこころ」を探し求める島津亜矢の、演歌とは違うもう一つの大きな目標であり続けることでしょう。
 そして、いつか島津亜矢のために中島みゆきが楽曲を提供してくれることを願ってやみません。

島津亜矢「地上の星」
今回の「SONGS」の映像です。共演者に刺激をうけたからか、2コーラス目からの「つばめよ地上の星はいまどこにあるのだろう」のところに思わずうなりがはいっています。好みがあり、ほとんどのひとは彼女の声量と歌唱力に圧倒されたと証言しているのですが、わたしは以前のように声を張り上げないほうが去りゆく者のへの挽歌らしくて好きです。

島津亜矢「時代」 
見事な歌唱です。この歌はシンプルで実はとても難しい歌ですが、島津亜矢の才能の一端が垣間見えます。この歌は中島みゆきのデビュー2曲目の歌で、1975年11月16日の『第6回世界歌謡祭』にてグランプリを受賞しました。
今回の「SONGS」では3人で歌いました。

クミコ「世情」
今回の「SONGS」の映像です。

大竹しのぶ「ファイト!」
今回の「SONGS」の映像です。圧巻です。



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2017.06.22 Thu 単なるコラボではない、アートが音楽を奏で、音楽がアートを描く 鬼武みゆき&渡辺亮の音絵物語 桜の庄兵衛ギャラリー

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 6月18日、「桜の庄兵衛」で開かれたコンサートに行きました。
 何度か紹介していますが、大阪府豊中市にある「桜の庄兵衛」さんは江戸時代から続く由緒ある建物で、1995年の阪神淡路大震災で一部が崩壊し、その修復にあたって文化の発信拠点として開設されたギャラリーです。
 そこには、江戸時代から地域のコミュニティを支えてきた先祖代々の思いを現代によみがえらせ、古いものと新しいものが融合された空間で質の良い文化を届けたいという当主の願いとそれに賛同するボランティアの方々の熱い思いが感じられます。
 大きな門から庭に入ると、四季折々の花や木が差し込む光と影にゆれ、大広間は昔の風情ただよう大きな柱と梁と白い障子戸、高い天井から暖かいライトがやさしくわたしたちを迎えてくれます。
 何年もの間奏でられた無数の音たちが幾重にも重なるこの空間は、また新しい記憶をたたむために静かにその時を待っているようでした。
 今回は「青田を渡るはつ夏の風コンサート」と題して、ピアノの鬼武みゆきさんとパーカッションの渡辺亮さんによる「Station to Station~音絵物語~ Vol.4」という少し変わったコンサートでした。

 開演時刻となり2人が登場すると、さっそく演奏が始まりました。軽快なピアノとパーカッションの掛け合いから二人の音楽に対する貪欲な姿勢と、限りない明るさと楽しさが伝わってきました。
 曲が終わり、鬼武さんがこのコンサートについて説明してくれました。
 画家でもある渡辺さんの絵からインスピレーションを得て彼女が作曲したり、彼女の曲から渡辺さんが絵を描いたり、またそのテーマについても偶然も味方にしたひらめきから、半ば即興に近い感じでお互いを刺激しあいながら表現し、その創作過程までも稀有な物語としてお客さんと共有するといった、どちらかというとアートイベントに近い冒険の場に観客のわたしたちは立ち会うことになります。
 実際のところ、聴く前はイージーリスニングに近い感じがして少し物足りないかなと思っていたら、とてもディープで複雑な迷路を駆け巡る爽快感がありました。というのも、ジャズであれなんであれ、音楽は悲しい事や楽しい事、切ないことやうれしいことを時間というキャンバスに染めていく物語性(タブロー)から抜け出せないところを、二人が作り上げる表現は創作過程・メイキングとしてすでに物語はあらかじめ届けられていて、わたしたち観客は二人に案内されながらその創作プロセスを後追いする、時間差ライブといっていいような不思議な体験をすることになります。
 鬼武さんのピアノが二人の創作プロセスを渡辺さんの絵画といういわば図形楽譜をたどって演奏し始めると、それを聴きながらわたしたちは渡辺さんの小さなキャンバスに描かれたタブロー画の中に体と心が吸い込まれ、いつの間にか二人の創作空間に迷い込むのでした。
 音楽を聴くだけでもなく、絵画を観るだけでもなく、また数々のワークショップで繰り広げられ、もてはやされるアートと音楽のコラボでもなく…、この感覚って何?
 わたしは演劇体験によく似ていると思いました。もちろん、演劇にしてもシナリオもなく物語性もないアートに近い演劇から、物語性を極限にまで広げる唐十郎などの芝居まで多種多様で一概には言えないのですが、鬼武さんのピアノと渡辺さんの絵が化学反応する刺激的で危うい空間に迷い込んだわたしたちは、二人が語る物語をたよりに暗闇の向こうに光る出口を探し求めるのでした。
 それは、下世話な例えで言えばお化け屋敷のようで、ピアノとパーカッションに導かれ暗闇の迷路をさまよった果てに会場の椅子に座る自分に立ち戻った時、この稀有な体験はあたかもわたし自身がその創作プロセスにかかわっていたような充足感とともに、この時この場に立ち現れた不思議な物語が遠い昔に体験したはずの記憶のように刻まれていることに気づきます。
 たとえば鬼武さんがフランスの世界遺産・モン=サン=ミシェルを訪れた時、まだ観光客が押し寄せる前のひとときの時間を修道院へと歩き、神の贈り物としか思えない一瞬の風景を日本にいる渡辺さんに伝えると、渡辺さんもまたその時の風景をイメージした絵を描いていたというエピソードを紹介してくれました。
 そこから生み出された少し長めの楽曲を聴きながら、一度も行ったことがなく、またこれからも訪れることはないはずのフランス西海岸・サン・マロ湾上に浮かぶ島とその上にそびえる修道院の風景が、風の粒のような鬼武さんのピアノの音たちと、全体のフレームを一枚のキャンバスに釘打ちする渡辺さんのパーカッションとともに、わたしの心に焼き付けられました。
 また、木々や花々に舞い降りる雨粒がきらきら輝くのを見て振り返ると虹がかかっていて、その虹から雨粒のきらめきを感じてつくった「レイン」という曲を聴き、わたしはずっと以前のある体験を思い出していました。
 それは、26歳も年下の友だちが、あることで深く傷つき人間を信じられなくなっていた時の事でした。わたしは少しでも元気になってもらいたいと願い、京都に連れ出し哲学の道を2人で散歩していました。まだ冬の終わりといった季節で、桜はつぼみをかたくとじていましたが、その日は雨で桜のつぼみや先端の小さな枝に雨粒が無数にとまり、きらきら光っていました。それはほんとうに小さな宝石のようにきらきら輝いていて、わたしたちははじめて見た雨粒の奇跡に感動しました。
 生きることの喜びを少しだけ、友だちが感じてくれた出来事でした。
 それにしても、鬼武さんのピアノも渡辺亮さんのパーカッションも見事な演奏でした。わたしは不明にもお二人ともこのライブではじめて知ったのですが、お二人とも素晴らしいプレーヤーであることはもちろんのこと、その前にお二人とも芸術の狩人と言っていいでしょう。
 そしてこのコンサートは、音楽を通して二人の深い信頼関係とともに、桜の庄兵衛さんとの信頼関係がなくしては実現しなかった珠玉のライブだったことを報告します。

 今回のライブには箕面の友人2人とピースマーケット・のせの実行委員の友人と4人で行きました。一緒だった友人もとても喜んでくれて、うれしく思いました。
 毎回、ジャンルを越えていつもわたしの知らないアーティストばかりのライブなのですが、おどろきと感動をもらえる桜の庄兵衛さんのプロデュースには脱帽です。
 次回はまた、クラシックの演奏会が8月にあるそうで、また友人を誘っていきたいと思います。

雲列車(ウタウ葦笛ライブ)

渡辺亮 「河の色」 渡辺かづき(Piano)

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2017.06.14 Wed 島津亜矢「いのちのバトン」と「夜がわらっている」

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 新歌舞伎座の感想の続きを書く前に、11日の「NHKのど自慢」と13日のBS-TBSの「名曲アルバム」に出演した島津亜矢について、少し書いてみようと思います。
 たしかに新歌舞伎座公演の頃から喉の調子があまりよくないと本人もブログに書いていることもあり、様々な感想が寄せられています。いつもより声量もなく、また少し緩慢な様子だったとか、周りに気を使って抑えめにしたとか、新曲「心」が発売されることで、キャンペーンとしてはこの歌と別れることへの感傷など…。
 わたしはここ最近まで音楽番組から遠ざかっていたことや、新歌舞伎座の時もすこぶる音響がよくなかった3階席でしたのであまりそのあたりの事情には疎く、反対にかなり素晴らしい歌唱だったと思っています。
 彼女の若い頃は聴く者が聴き入り、沈黙してしまうほどの圧倒的な声量と歌唱力が魅力でしたし、それを否定するつもりはありせんが、大人の女性となり数々のステージと座長公演を経験し16歳からの歌の道を経た今、島津亜矢の歌は大きく進化していることをあらためて実感します。
 それは、たとえばたくさんのひとに届く歌を歌いあげるのではなく、たくさんのなかのひとりひとりに届く歌を歌い残すことができるようになったことです。生身の人間ですから体調や声の調子が悪い時も必ずあり、そんなときでも最高のパフォーマンスをお客さんに届けようとする姿勢は若い頃も今も変わりませんが、ライブの時はもとより音楽番組に出演していても彼女は観客のひとりひとり、視聴者のひとりひとりに語りかけていると感じます。それは彼女の視線だけでなく、歌う言葉もしぐさも、まさにひとりひとりと握手し、ひとりひとりの顔を見ているように錯覚してしまいます。
 何度も書いてきましたが、座長公演の演劇体験によってもともと持っていた彼女の感性がよりとぎすまされたのだと思います。それまで高い評価を得てきた「名作歌謡劇場」がモノローグから相手が見えるダイアローグへと大きく豊かな表現に変わったように…。
 ともあれ様々な事情が本当であったとしても、それよりもわたしは今まで新曲として少し力が入るきらいがあった「いのちのバトン」がメリハリの利いた物語となり、親が子に託す願いがしみじみと伝わる歌唱だったと思います。
 今年は「いのちのバトン」に引き続き、「心」を発売することになりましたが、「いのちのバトン」がポップス調なので本来の演歌路線の新曲を出すことになったともいわれています。わたしは島津亜矢の露出が増えてきた中で、このチームがポジティブにもう一段の勝負をかけたのだと思っています。そもそも、「いのちのバトン」はわたしも当初ポップスと思っていましたが、よく聴きこむと演歌そのものなのではないでしょうか。
 来年のことはわかりませんが、できれば年の初めは本来の演歌・歌謡曲で、あと一枚を縁ができた中島みゆきや桑田佳祐、今活動休止中の水野良樹、あるいは以前に提供したもらった小椋佳に「山河」のような大きな曲か、「函館山から」のような珠玉の抒情歌を提供してもらい、発表してくれたらいいなと思います。

 13日のBS-TBSの「名曲アルバム」は時々見るのですが、BS日テレの「心の歌」のフォレスタとちがって、大学のサークルもふくめてアマチュアの合唱団がいろいろなジャンルの歌を歌います。そして、合唱団に交じってプロの歌手が何曲か歌うのですが、今回は星野哲郎特集で、島津亜矢と天童よしみがサプライズ出演し、島津亜矢は「感謝状~母へのメッセージ」と、「夜が笑ってる」を、天童よしみが「風雪ながれ旅」を歌いました。
 わたしの子どもが大学の時に合唱サークルに入っていて、定期演奏会に何度か行くことがあり、合唱の素晴らしさをはじめて知りました。
 この番組のように演歌を合唱するというのはめったにありませんが、不思議にどの曲も合唱曲として聴くことができました。とくに島津亜矢の「感謝状~母へのメッセージ」は、いつも聴き慣れているアレンジとちがい、合唱曲ならではのアレンジがかえって弦哲也の曲を引き立たせていましたし、何よりもポップスなどで培った島津亜矢のナチュラルな歌唱と稀有の声質が合唱とよくマッチしていて、いつもはべたに聴こえる星野哲郎の歌詞がより深く心に届きました。
 2曲目の「夜がわらっている」は「君の名は」、「黒百合の歌」が空前のヒット曲となった織井茂子の1958年の楽曲です。この時代の歌謡曲は歌唱力と有り余る声量で人気を博した歌手がたくさんいて、その中でも織井茂子の圧倒的な歌唱力は子どもながらによく覚えています。島津亜矢の「黒百合の歌」は貴重な映像が残っていて、その熱唱がたくさんの人々に驚きと感動を与えてきたことを物語っています。
  「夜がわらっている」には、わたしは少し違和感を持ちました。
 島津亜矢のカバー歌唱の特徴は、たとえばオリジナル歌手がペースメーカーとして並走するマラソンランナーのように、リスペクトをこめて最初はオリジナル歌手がその楽曲を受け取った時と同じところにたどり着きます。そこから先、オリジナル歌手がレースを離れた後にはじめて彼女独自の歌の解釈で、その楽曲が生まれた時代の風景とその時代の人々が抱きしめた夢までも解きほぐすように歌い、オリジナルを損なわないまま現代の歌としてよみがえるのです。
 もちろん、その歌い方だけがベストではなく、さまざまなアプローチでオリジナルをよみがえらせるカバーの達人と言われる歌い手さんがたくさんいます。
 その中でも、ちあきなおみのカバーは絶品で、彼女は最初からオリジナルとはかけ離れたところから独自の解釈と表現力で、オリジナルの歌が生まれたところに到達しています。
 今回の「夜がわらっている」は、どちらかといえばちあきなおみのアプローチに似ているなと思っていたところ、ちあきなおみの「夜がわらっている」を聞くと、かなりよく似た歌になっていました。
 島津亜矢にしてもひとつのアプローチに限ることもなく、「夜はわらっている」の歌唱はちあきなおみや浅川マキの表現力や歌の解釈を学ぶきっかけになるのかも知れません。
 それにしても「男はつらいよ」や「さようならは五つのひらがな」、「黄色いさくらんぼ」、「風雪ながれ旅」など星野哲郎の歌を合唱で聴くと、歌詞に込められた繊細な心情が見事によみがえりました。

島津亜矢「夜がわらっている

織井茂子「夜がわらっている」

ちあきなおみ「夜がわらってる」
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2017.06.12 Mon 青田を渡るはつ夏の風コンサート 桜の庄兵衛ギャラリー

 大きな門から広々とした土間を通り、庭につづくギャラリーの大広間に入ると昔の風情ただよう大きな柱と梁と白い障子戸、見上げると高い天井から暖かいライトがやさしく会場を包んでくれます。
 「桜の庄兵衛ギャラリー」に入るだけで心があらわれる気持ちになり、これから始まる演奏への期待を膨らませてくれます。
 桜の庄兵衛さんの会場も、企画されるひとたちも、演奏されるひとたちも、それを聴く人たちも、いままさに音楽が立ち昇る瞬間に立ち会い、一体となって音楽を楽しめる場、それが「桜の庄兵衛ギャラリー」だと思います。
 今回のコンサートにも、期待が膨らみます。

青田を渡るはつ夏の風コンサート
「Station to Station」~音絵物語~ Vol.4
鬼武 みゆき(作曲、ピアノ)
渡辺 亮(絵、パーカッション)
会場:桜の庄兵衛 (大阪府豊中市中桜塚2-30-35)
時間:<昼の部>開演13:00 <夜の部>開演16:30
料金:¥2,500
問い合わせ:06-6852-3270(桜の庄兵衛)

「Station to Station」第4弾!!
渡辺亮さんは、パーカッショニストですが、素晴らしい絵描きでもあります。
ただの絵と音楽のコラボではありません。
作品には、必ず時間の経過があります。そんな作品の裏側を、作品が生まれて来る経緯を様々な形で紹介したり、絵に香りや音が聞こえてくるように、音楽にも絵や、ストーリ−が見えてくる、それらをもっと具体化して皆さんの心に届けたい。子供たちだけでなく、大人の皆さんにも、日常が、もっと楽しくなるような、アートの世界からの贈り物、、、
曲は、全曲、書き下ろしです。乞うご期待!
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