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2018.03.20 Tue 差別される立場にある障害者もまた、自分よりも小さな命を傷つけてしまう不条理を歌う 島津亜矢「命の別名」

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 大阪フェスティバルホールでの島津亜矢コンサートの続きです。
 マネージャーともう一人のチームスタツフの献身的なサポートで会場まわりを終えた後、どの曲をどの順番に歌ったのかおぼろげですが、記憶違いはお許し願い、気になった楽曲について書いていきます。
 熊本地震の被災者への祈りの後、熊本関連として「思い出宝箱」と「帰らんちゃよか」を歌い、星野哲郎関連で「海鳴りの詩」、「感謝状―母へのメッセージ」、そして、最近のオリジナルで「独楽」、「心」など…。
 先の記事でも書きましたが、最近のポップスでの音楽的冒険と座長公演が演歌・歌謡曲の歌唱に計り知れない影響を与えたのでしょう。とても丁寧に、大げさではないこぶしが微妙に入り、ぞくっとする低音、声量のある高音と、これはむずかしいと思うのですが声量を抑えた高音がひとり合唱というか、ひとりオーケストラのようにこだまします。それはまさしく「木霊(こだま)」や「言霊(ことだま)」で、会場全体が大きな船の中で、島津亜矢の歌は人魚の幻のようにわたしたちを「ここではないところ」、「日常ではない非日常」の至福の岸辺へといざなうのでした。
 「歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。」と阿久悠は言いましたが、大きな舞台でたったひとり、たった4分間のフィクションでいろいろな人生を語り、競馬の一レース分の時間で「生き急ぐ時代」を疾走する島津亜矢は、優れた作詞家や作曲家の壮大な夢を自分の肉体のすべてを使って表現するアクターで、対極にあるようなヒップホップダンサーに匹敵する身体表現を実現していると、わたしは思います。
 ともあれ演歌・歌謡曲の歌唱については、ポップス、ジャズ、シャンソン、リズム&ブルースなどいろいろな「他流試合」をへて何度目かの黄金期にある島津亜矢は、2020年の東京オリンピック以後の時代に必要とされる「新しい演歌」の第一人者になることでしょう。
 わたしはスポーツ観戦を嫌いではないし、とくにサッカーファンですが、スポーツ選手やスポーツファンが望んでいるようには東京オリンピックをすきではありません。とくに、それを「復興オリンピック」と名付けて推進する動きにはとても乗ることはできないだけでなく、あたかもオリンピック招致のプレゼンで「放射能はアンダーコントロール」と言い放ち、原発の再稼働をすすめるこの国が原発事故の被災者を置き去りにすることで、日本社会を分断し、格差を固定化する怖さを感じます。
 東日本大震災における福島原発事故による放射の汚染被害はチェルノブイリの例を見てもこれからが日本社会の解決不能の大きな問題になっていくと思っています。
 そして、世界も日本も今グローバルな好景気と浮かれていますが、確実に経済が悪くなっていると証言する人たちも多く、長いスタンスで見て1990年代からのJポップの潮流から少年少女のアイドルの使い捨てを経て、新しい困難な時代の写し鏡としての歌謡曲、そして時代を変え時代をつくり、わたしたちに新しい生き方を指し示す歌謡曲が生まれる予感がします。その時、その誕生を最先端で受け止める歌手・島津亜矢もまた、新しく生まれ変わるとわたしは思います。

 2部の最初にドレス姿で歌った「命の別名」、「落陽」、「ローズ」は、まだまだ伸びしろのあるポップスの中ではほぼ完成した歌唱でした。「落陽」は吉田拓郎の名曲で、島津亜矢はさだまさしのカバーと同じ歌唱法というか、少し力を抜いてくだをまくような歌い方と言ったらいいのでしょうか、フォーク調の歌にはよく合っていると思います。
 「ローズ」は昨年の紅白歌合戦の歌唱曲です。ジャニス・ジョプリンをモデルにした同名の映画の主題歌で、主演のベット・ミドラーが歌い、日本でも数多くの歌手がカバーしています。その中で島津亜矢はもっとも自然に歌っていて、いわゆる名曲調の歌唱ではない淡々とした歌唱がベット・ミドラーを通したジャニス・ジョプリンの悲劇、歌うことと実人生で幸せになることが必ずしも一致しないことを感じさせました。もちろん、島津亜矢が幸せでないという意味では全くないのですが、時代もジャンルも違いますが、どこかジャニス・ジョプリンを思わせる島津亜矢自身の歌人生を思わせる歌唱でした。
 「命の別名」は1998年に発売された中島みゆきの35枚目のシングルで、同年に放映されたドラマ「聖者の行進」の主題歌として有名です。 「聖者の行進」は、1995年に知的障害者達が働く工場で国の雇用助成金をだましとったばかりか、日常に行われる彼女彼らへの暴力、性的虐待などが発覚した水戸事件をベースにした問題作でした。水戸事件の裁判は、警察・検察も知的障害者の証言が正確でないという理由で立件に消極的で、一部の詐欺・傷害罪のみの起訴にとどまり、その他の暴行・強姦については不起訴となったことから大きな社会問題となりました。
 障害者にかかわるドラマやドキュメンタリーが意味のない感動を仕組むことが、いわゆる「感動ポルノ」として障害当事者から厳しく批判されることがしはしばですが、このドラマでは実際の障害者差別・虐待事件を正確に描いたことで、一定の評価が得られたようです。
 中島みゆきはドラマの主題歌を作るとき、ドラマのテーマに沿いながらあと一歩踏み込み、ドラマが終わった後の社会や時代の風景を見させてくれる天才で、「地上の星」では高度経済成長を支えた人々の苦難の後の栄光をほめたたえながら、それでもなお脚光をあびることのないひとびとの寂寥感を歌いました。
 「聖者の行進」の主題歌「命の別名」は、「できない」障害者の悲哀を歌っているようにとらえることが多いように感じますが、わたしはまったくちがう印象を持ちます。この歌は健全者の目線でそういう立場に置かれている「障害者」からその健全者社会の理不尽さを射抜き、「石よ樹よ水よ 僕よりも 誰も傷つけぬ者たちよ 繰り返すあやまちを照らす灯をかざせ」と、すべての命と共生して生きる勇気を歌っているように思うのです。
 とくに差別される立場にある障害者もまた、自分よりも小さな命を傷つけてしまう不条理を歌うこの歌は、障害のある友だちとの少ない経験を持つわたしに、かわいそうでも優しくもない、当たり前の障害者がそれぞれの個性と言葉をもっていることをあらためて教えてくれるのでした。
 島津亜矢はその豊穣でせつないこの歌の物語を世間の障害者観に振り回されずに忠実に再現していて、中島みゆきもさぞかし喜んでいるのではないでしょうか。
 中島みゆきリスペクトコンサート「歌縁」で評判になったこの歌の歌唱もまた、島津亜矢のオリジナルカバー(わたしの造語です)の大切な一曲になったことに、あらためて感動しました。
 あと一曲、「一本刀土俵入り」はかつての歌謡名作シリーズよりもあっさりした演出でしたが、着流しの島津亜矢の潔い立ち姿は、今後もう少し芝居などで活かしてもらいたいと思いました。特別な思い入れのあるこの曲については以前に書いた記事をご案内するにとどめ、コンサートの感想はこれで終わりとします。
 録画してある音楽番組の歌唱について書くのが追いつけないまま、3月29日のTBSの音楽フェス「UTAGE」ではケミストリーの川畑要とコブクロの「桜」を歌うと聴き、昨年のケミストリーの相方である堂珍嘉邦とのコラボの高評価から今度は川畑要とのコラボと、少しずつこの番組の常連になりつつあることがとてもうれしく、放送が楽しみです。

島津亜矢「一本刀土俵入り」と長谷川伸(2011年5月23日の記事)

島津亜矢「命の別名」(中島みゆき・歌縁2017東京)

島津亜矢「一本刀土俵入り」(2013年)



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2018.03.15 Thu コンサートはお客さんに「お帰り」と「ただいま」を言える故郷 島津亜矢コンサート・大阪フェスティバルホール

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 3月13日、島津亜矢のコンサートが大阪フェスティバルホールで開かれ、行ってきました。昨年の6月に大阪の新歌舞伎座のコンサート以来のステージでした。
 フェスティバルホールは2015年、彼女の30周年記念リサイタルを開いた会場で、大掛かりな建て替えが終わった2012年からいろいろな歌手がコンサートを開いてきました。わたしはすでに井上陽水と小椋佳のコンサートツアーをこの会場で聴きましたが、  当時、島津亜矢は5000人規模の東京国際フォーラム、3000人規模の名古屋センチュリーホールにつづき、2700人規模のフェスティバルホールで30周年記念コンサートを開き、話題になっていました。
 というのも、そのころまでは彼女はまだ3000人規模の会場でのコンサートは珍しく、2000人クラスの会場を満席にするといった感じだったと思います。
 ところがこの5年の間、年を追うごとに観客動員数が増え、フェスティバルホールは特別な会場ではなくなり、今回も昼も夜も満席だったようです。
 開演時間になり、オープニング曲「亜矢の祭り」で幕が上がり、舞台中央で歌う島津亜矢がいました。なぜでしょうか、わたしは昨年とおなじようにとてもなつかしさを感じました。ひとつは以前のようにコンサートに行けなくなってしまい、一年ぶりに彼女の生歌を聴きながら、わたしの目まぐるしい一年がよみがえることがあります。
 もうひとつは、島津亜矢の最近の一年一年がとても充実していて、テレビの音楽番組への出演が増えただけでなく、彼女を取り巻く空気が変わり、一目置かれる存在になっていることと、特にポップスの歌唱力への評価が一気に高まっていることがあります。
 激しい時の流れの渦中にあって、島津亜矢はなんと自然体でわたしたちを待っていてくれたことでしょう。その懐かしさは今日のコンサートが彼女の出自である演歌を丁寧に歌うことになるという予感をともなっていたのでした。
 ほんとうに不思議なんですが、どちらかというと音楽的な冒険を求めたポップス系の歌の方が好きなわたしが、そして、ほかの演歌歌手のコンサートに行ったこともないわたしが、島津亜矢のコンサートでは演歌・歌謡曲に癒されてしまうのでした。
 そのあとのMCの後に、「なみだ船」を歌いました。(記憶力が悪くなり、曲順が違っていたらごめんなさい。)
 ここでわたしは、先ほど思った今日のコンサートのコンセプトがまちがっていないことを確信しました。というか、もう少し丁寧に言えば、島津亜矢は今、時速300キロのスピードで進化・大化けの頂点に向かう途上にあり、時代を追い越してしまった歌姫の未来像が彼女本人にもわたしたちにも見え始めてきたのではないかと思います。
 だからこそ彼女がもっとも大切にしてきたコンサートでは、その原点・出自である演歌・歌謡曲を大切にし、時代の写し鏡として同時代のわたしたちの心情を歌ってくれたのだと思うのです。
 一方で今の時代を覆う殺伐とした空気、一見これほど豊かなのに7人に一人の子どもが相対的貧困におかれ、身分保障が安定しない非正規雇用が4割をしめ、子どもたちが未来に希望を持てないと答える鬱屈した社会の中で、夜の暗闇に身をゆだね、明日を夢見る切ない心に聴こえてくる歌、「希望は人間がかかる最後の病気」と解っていても、根拠のない希望を育てる歌、島津亜矢が「ほんとうの演歌歌手」として歌わなければならない、歌うことを宿命づけられた歌…、時代が変わるきっかけをつくるあの歌が生まれる場所が、コンサートの会場であることを教えてくれるのもまた、確かなことなのだと思います。
 ポップスもふくむ音楽番組の出演回数が増えるほど、また演歌・歌謡曲のジャンルの番組においては若い歌手たちをけん引する役割をにない、ポップスの番組では昨年のTBSのUTAGEでのケミストリーの堂珍嘉邦とのコラボで「美女と野獣」を見事に歌い、中島みゆきリスペクト・歌縁に出演し、コンサートでも歌っている「命の別名」が評判となり、人気アニメガンダムのテーマソングを歌うなど、多彩な活躍が続く島津亜矢ですが、彼女にとってもコンサートは立ち戻るべき原点なのだとあらためて感じました。
 彼女のチームが積極的に動いているように思えないので少し残念ですが、少なくとも多方面からの声がかかるようになり、「他流試合」の趣がある冒険をすればするほど、コンサートでは「お帰りなさい」とお客さんを待ち、「ただいま」とお客さんに音楽的な挑戦や冒険を受け入れてもらうというサイクルがあるのだと思います。
 そのせいかどうか、彼女の立ち姿が無垢な少女のようで、いとおしく思いました。
 「なみだ船」とそのあとに歌った「漁場」は北島三郎の歌ですが、彼女の北島三郎に対する尊敬の気持ちは、二人の恩師・星野哲郎亡き今、並々ならぬものがあり、北島ファミリーの邪魔をしない気遣いをしながらも、北島三郎の歌を歌いつぐという強い意志が感じられました。わたしはいずれ、「なみだ船」と「風雪ながれ旅」を北島三郎が島津亜矢に託す時が来ると思っているのですが、それを予感するような「なみだ船」でした。
 そのあと、とても速い段階で客席周りであり、今回はすべてオリジナルの一番だけを歌いながら握手周りでしたが、その中でわたしの好きな「道南夫婦船」を聴けてうれしく思いました。
 何を歌い、その曲順も忘れてしまいましたが、「海鳴りの詩」、紅白で歌った「ローズ」、「心」、「落陽」、そして、最後の「一本刀土俵入り」が強く心に残りました。
 それらについては引き続き書くことにします。

島津亜矢「命の別名」詞・曲:中島みゆき/歌縁2017・東京公演

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2018.02.27 Tue 雪の静寂に影絵のように震える無垢な愛の歌。島津亜矢「雪の華」・うたコン

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 少し前になってしまいましたが、1月30日のNHK「うたコン」に島津亜矢が出演し、「雪の華」を歌いました。
 島津亜矢の歌を聴く楽しみのひとつは、彼女がまだ進化中で、同じ歌でもその進化の道のりが現在進行形で聴き分けられるところにあります。もちろん、その時々の体調や個々の状態で歌が変わるのは当たり前のことで、もっと時がたち年齢を重ねればどこかで衰えを感じる時が来るのも覚悟しなければならないのでしょう。
 しかしながら当面そんな心配は全くなく、未踏の高みに向かって一歩一歩彼女の歌が豊かに変わっていく様子をリアルタイムで見守る極上の楽しみはなにものにも代えがたく、彼女のファンであってよかったと思う瞬間でもあります。
 もちろん、オリジナルでもカバーでもその悦楽は変わらないのですが、世の中には何億以上の歌がうまれ、何年何十年もの間秘密の場所で眠っている歌たちを静かに、いとおしくよみがえらせるということでは、カバーの方がオリジナルよりもボーカリスト・島津亜矢の可能性が広がるのかもしれません。
 今回の「雪の華」は初めての歌唱のように思うのですが、数々のカバー曲の中でもとても刺激的な選曲だと思いました。昨年の紅白歌合戦の後の最初の出演なので、もしかすると紅白の歌唱曲だった「ローズ」かなと思ったのですが意外や意外の一曲で、島津亜矢がどう歌うのか、期待と興味も一段と膨らむ中での視聴でした。
 島津亜矢のカバーの歌唱はなによりも歌をどう詠むのか、その一点において失礼ながら他の歌い手さんとは違っています。彼女の場合、長い間その声量の豊かさのみを評価されてきたきらいがあり、またそれが批判的に見られたりしてきましたが、実はその頃すでに彼女はただ単に声がよく出るだけではもちろんなく、その声のレンジの広さと質感においてあまりにも他の歌い手さんとは全くレベルのちがう歌唱力をもっていました。
 ただ、あまりにもかけ離れた実力と、まだ演歌・歌謡曲のジャンルの中での歌唱であったたため、力強い「男歌」がよく似合う歌手としか理解されていなかったのだと思います。
 しかしながら、「現代演歌」が確立される1970年以前の歌謡曲にはクラシックの要素もジャズの要素も入ったものが多く、また野口雨情、北原白秋、西城八十をはじめとする日本の原風景を綴る作詞家や、中山新平にはじまり古賀政男、服部良一、万城目正など時代を彩る作曲家たちによって生まれ育ったそれらの歌謡曲は懐メロとかたづけてはいけない名曲ばかりです。日本古来の音楽と西洋音楽とが融合した大衆音楽は、戦前戦後の伝説的歌手たちによって血肉化され、時代の空気を吸い込み、吐き出しながら人々の心の奥に届いていったのだと思います。
 島津亜矢にとってそれらの歌との出会いはかけがえのないもので、歌を歌うのではなく、歌を詠み、歌に隠された物語を読み、イタコや瞽女のように口移し、口承による魂の叙事詩を語り継ぐ天命を得たのだと思います。
 実際、島津亜矢が「哀愁列車」や「船頭小唄」、「影を慕いて」などを歌うと、彼女が生まれるずっと前の歌なのに、歌が隠し持っている時代の記憶が解きほぐされ、歌でしか語れなかった言葉にならない切なさやかなしみ、恐れや不安、そして時代の地下水路を抜けた果てにあるはずの希望や夢がどっとあふれ出し、思わず涙が出てくるのです。
 さまざまな歌と出会い、歌い継ぐことで彼女の音楽的冒険は加速し、今ではJポップから洋楽にまでその冒険の荒野は広がりつづけ、その進化はとどまるところがありません。
 今回の「雪の華」も、島津亜矢の冒険心と探求心を駆り立てる一曲だと思います。

 「雪の華」は独特の雰囲気とミステリアスな風貌で我が道を行く中島美嘉が2003年、10枚目のシングルとして発表したヒット曲で、第45回日本レコード大賞金賞および作詩賞を受賞しました。たくさんの歌手がカバーしていますが、韓国でもドラマの主題歌に選ばれ、大ヒットしたようです。
 ドラマ好きのわたしは、2001年にフジテレビ系で放送された「傷だらけのラブソング」で彼女を知りました。この年のソニーのオーディションに合格した彼女はドラマのヒロイン女優のオーディションにもチャレンジし、3000人が参加したオーディションを勝ち抜いてヒロインに抜擢され、そこで制作されたのが「傷だらけのラブソング」でした。
 かつて売れっ子だった音楽プロデューサーがヒロインの彼女を歌手としてデビューさせる物語で、1971年に放映された五木寛之原作「なみだの河を振り返れ」のJポップ版のドラマでした。
 このドラマは中島美嘉の歌手デビューのメイキングとも言える設定で、彼女のデビュー曲「STAR」はこのドラマ主題歌でもあり、ドラマの中のデビュー曲でもありました。
 その頃から独特の個性が際立っていましたがデビュー曲から次々とヒット曲を出し、人気歌手になりました。声があまり出なくて歌唱力がないという意見もありますが、わたしは好きです。
 わたしのような年老いた男が言うのも変ですが、彼女の場合、歌はどこか遠く風の丘からヒューヒューと流れてきて、生きまどい恋まどう少女の可憐で繊細な心がもうひとつの心とつながることを願い、見守るものなのかもしれません。
 凍る夜空を見上げ、手をかざしながら遠い恋人や友だちを思い、思いあう少女(女性)たちの心情や心象風景を歌う中島美嘉は、安室奈美恵とはまたちがった立ち位置で圧倒的なシンパシーを持たれている歌手だと思います。
 さて、島津亜矢の「雪の華」ですが、中島美嘉とは正反対のあふれる声量を封印し、どこまでも降り続く雪が町の形も色もすべて純白に染めていく中で、愛する人との葛藤や行き違いや欲望までもが雪の白さに溶けていくさまを密やかに歌い上げました。
そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる。
今年、最初の雪の華をふたり寄り添って
眺めているこの瞬間(とき)に 幸せがあふれだす
島津亜矢がポップスを歌うとき、どうしても「ザ・熱唱」が求められ、いかにもという名曲を歌い上げることが求められる中、「雪の華」は名曲ではありますが、雪の静寂に影絵のように震える恋心や、ただそばにいるだけでいいと思う無垢な愛の歌で、声量のコントロールをより深くよりか細く、歌い上げないで、心でつぶやくような歌唱を聴かせてくれました。
 ここしばらく、またまた島津亜矢が目をみはる進化を見せてくれる時が来ているのではないでしょうか。彼女の場合、ポップスで培った表現力が演歌・歌謡曲に生かされ、たとえば別の番組で歌った「悲しい酒」や、もういい加減聴き飽きたと思われる「柔」でさえ、もう一段の高みにまでわたしたちを連れて行ってくれるのでした。

島津亜矢「雪の華」 (Utacon 2018.01.30)
彼女にしては珍しく、おそらくのどの調子があまりよくなかったのか、歌い始めの低音がかすれ気味になりましたが、そんなことはこの歌のグレードとはまったく関係なく、この歌は島津亜矢の新しい可能性を大きく広げたとわたしは思います。
中島美嘉 『雪の華』
中島美嘉は2010年10月22日、両側耳管開放症の悪化を理由に歌手活動を休止しましたが、翌年の春に復帰したものの、この病気は治らないということで、耳の障害を抱えながら歌い続けています。そのこともあり、音程が外れているとか言われていますが、わたしはだからこそ、「耳のせいにしたくない」と覚悟をもって歌いつづけている彼女の潔さに敬服します。そして、歌唱力が群を抜く島津亜矢がそうであるように、歌はいわゆるうまいへたではなく、もっと人の心にかかわるもの、勇気や希望や夢など、すぐには役に立たないと思われるものなのに、それがなくては生きていけないと思ってしまう人生の伴走者なのだと思います。


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2018.02.21 Wed 歌もまた時を駆け抜け、それぞれのひとのそれぞれの時を語り…。松井恵子さんのライブ

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 2月18日、大阪・中崎町のライブハウス「創徳庵」で松井恵子さんのライブがありました。この日は本来、末松よしみつさんとのユニットの予定でしたが、末松よしみつさんがインフルエンザで、急遽松井さんのソロライブになりました。
 実は松井恵子さんのライブは二十数年ぶりで、懐かしさとともに長い間ご無沙汰してしまったことへの申し訳なさとが混じった、ちょっとせつない気持ちで久しぶりの音楽を聴き入りました。
 ソロライブになったおかげで、本来のユニットでは聴けなかったかも知れない懐かしい曲をたくさん聴けました。リクエストさせてもらった「南風」や、「なくっちゃね」、「好奇心」、「月の裏側」などの名曲がわたしの心の中で一気によみがえりました。
 昨年の友部正人さんのライブの時にも感じたのですが、ある時期に濃密に音楽を聴く時があり、それ以後は音楽を聴く余裕のないまま目の前のことを一つずつクリアする毎日に明け暮れていて、知らぬ間にずいぶん長い時がたってしまったことを実感しました。
 松井さんの数々の名曲の中でもとびぬけたこれらの曲は、当時の世相から時の移り変わりを経てもなお今を感じる名曲で、歌もまた時を駆け抜け、それぞれのひとのそれぞれの時を語り、励まし、よりそって来たのでしょう。
 実際、久しぶりに聴いたこれらの曲は生まれたばかりの頃の瑞々しさを残したまま、弾き語るピアノもボーカルもより深く、より豊かな音を出してくれました。そして、松井恵子さんの楽曲の魅力の一つである言葉は時を越え、今の時代を生きるわたしたちの呟きや諦めや、ちょっとした勇気や切ない希望をやさしく抱きとめるように歌い、語ってくれるのでした。

 わたしが松井恵子さんを知ったのはおそらく1993年ごろだったと思います。わたしは箕面の豊能障害者労働センターに在職していたのですが、箕面市内のWさんという視覚障害を持つ青年に紹介されたのでした。Wさんはあの「24時間テレビ」で(昨年なくなった豊能障害者労働センターの元代表・河野秀忠氏のアイデアだと聞いていますが)、番組内で障害者が結婚式をあげる企画があり、その結婚式の新郎でした。
 彼は自分で作詞作曲し歌うシンガー・ソングライターとして、市内市外の小・中学校で障害者の問題を子どもたちに伝える人権講演&ライブを開いたり、いろいろな市民運動の集まりに呼ばれたりしていて、わたしはつたないPA(音響)を担当したこともあります。
 そんな彼から京都のライブハウスに行くサポートを依頼されました。誰のライブに行くのか聴くと、その人が松井恵子さんだったのです。その時は松井恵子さんのことは全く知らず、またサポートに選り好みができるわけでもなく、そのライブに同行することになりました。
 その頃は1990年から毎年桑名正博さんのコンサートを主催していて、その関係で桑名さんのライブに行く程度で、音楽といえばテレビの「ミュージックステーション」で聴くだけという暮らしでした。ライブハウスに行くのも20代の頃に白竜や三上寛のライブに行って以来でした。
 ライブハウスは閑散としていて、わたしたち2人をふくめても8人ぐらいのお客さんでした。松井恵子さんはもちろん、そんなことは気にせず、歌い始めました。
 Wさんのサポートで来ただけで、失礼ながらそんなに期待していなかったのですが、彼女の並々ならぬ音楽への情熱というか渇望というか、熱いものがあふれてきて、いつのまにか彼女の歌の世界に迷い込んでしまいました。
 彼女の歌は男に媚びる「かわいい女」の歌でもなく、かといって男と渡り合う「できる女」の歌でもなく、男社会で生きる平凡な女性の言葉にならない悲しさや孤独、失恋の痛みを友だちに頼らず自分ひとりで抱え込む女性、それでもまた新しい恋をさがし、切ない希望を心密やかに抱き続ける女性…。なぜか松井恵子さんの歌の中の女性像は、あこがれの対象でもなくまたどこまでも堕ちていく痛い女性でもなく、二十数年どころか100年過ぎても変わらない男社会で悔しい思いをしながら生きる女性たちの姿なのだと思います。
 今回のライブのMCで松井恵子さんはそれらの歌を「ダーク松井」と言いましたが、わたしが彼女の歌をはじめて聴いた時の驚きと不思議な感覚はその「ダーク松井」の歌たちだったのでした。キャピキャピした明るい歌の中にもその毒が隠れていて、わたしの心は平常心ではおれなくなり、毒矢が刺さるようにいつまでも彼女の歌が残っているのでした。
 1994年にはWさんと松井恵子さんのジョイントコンサートを開催し、それからしばらく豊能障害者労働センターのバザーの野外ステージに出演していただきましたが、わたしは2003年の暮れに豊能障害者労働センターを退職し、それからはずいぶんご無沙汰していました。
 ところが2年前にFACEBOOKをはじめ、松井恵子さんが今でも精力的に音楽活動をされていることを知りました。ライブのお誘いもいただいていたのですが、なにぶんわたしはいま能勢に住んでいて、夜のライブにはなかなか参加できませんでした。
 今回、昼間のライブでしたので参加することができました。
 ライブ会場の「創徳庵」は小さなどこか和風の小さな会場でしたが、オーナーさんなのかスタッフの方がPA(音響)をされていて、とてもいい音でライブを聴くことができました。残念ながら、3月いっぱいで締められるそうです。

2015 01 13 松井恵子と藤森るー at ブルーアイズ



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2018.01.27 Sat 安室奈美恵、小室哲哉の引退と島津亜矢・時代が変わる大きな潮目。

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 安室奈美恵の引退と小室哲哉の文春報道をきっかけにした引退。90年代を席巻したJポップをけん引した2人の引退は、時代の潮目が大きく変わろうとしていることを暗示していると思います。
 1970年代の阿久悠から80年代の松本隆を経て90年代の小室哲哉と、この3人はくしくも10年ごとに日本の大衆音楽を大きく変革した人たちですが、その中で小室哲哉はダンス音楽を持ち込むことで、まだ歌謡曲の域を完全には抜けきれなかったポップスに、世界に通じるまったく新しい若者文化を誘発したプロデューサーとしての才能が抜きんでた人だと思います。
 そして、小室哲哉の音楽が世間に躍り出ることになったのが安室奈美恵であったことを思うと、引退の理由はそれぞれ違い、特に小室哲哉の場合はすでにお腹いっぱいになっている「不倫騒動」が直接のきっかけになっているとしても、一つの時代がまた終わったという感があります。
 というのも、90年代は小室哲哉一色のように見えましたが、松本隆や松任谷由美など80年代の詩的でメロディアスな名曲が時代に溶け込んでいった時期でもあります。
そこから一方ではシンガー・ソングライターの本格的な台頭とバンドブームがあり、さらにはヒップホップが定着し、戦前から戦後の長い間、欧米の音楽に対するコンプレクスをばねにつくられてきた日本の音楽シーンがいい意味で自立し、成功体験はないものの世界の音楽シーンにデビューしたり、反対に世界を気にしないで自分の音楽を発表する若者が台頭してきました。
90年代末に現れた宇多田ヒカルによって自分の音楽的冒険が終わったと証言している小室哲哉はその時点でいつ引退してもおかしくなかったのだと思います。
 90年代の小室哲哉の音楽の巫女的存在だった安室奈美恵はリズム&ブルースやヒップホップなど、ブラックミュージックのにおいの強い音楽でトップスターになりました。実際は小室哲哉のプロデュースは1995年から2001年までで、それ以後は小室哲哉から離れてセルフプロデュースでヒット曲を連発するようになりました。
 引退ということで、いろいろなマスメディアが取り上げるのはどうしても小室哲哉プロデュース時代で、ほとんど彼女の歌についていけなかったわたし自身もなんとなくその時代に目が向きますが、今回彼女の活躍の歴史を振り返ると、むしろ小室哲哉から離れてからの方がその人気の絶大さもさることながら、音楽のクオリティもライブのパフォーマンスもはるかに優れていることを知りました。
 年代的にも15歳でデビューし、40歳までの25年間の中でも2001年からのセルフプロデュースの期間の方が長く、彼女の評価はすでに小室哲哉時代では測れないことを知りました。
 とくに、テレビへの出演をなくし、ライブ一本で活動を続けてきたことや、そのライブでもMCがなく、初めから終わりまで歌とダンスのパフォーマンスだけで桁違いの観客動員と、彼女の音楽に対するシンパシーを高め続けてきたことに、まさしく平成の歌姫と呼ぶにふさわしい存在であったことをあらためて知りました。
 引退表明後のベストアルバムもダブルミリオンとなり、史上初となる10代・20代・30代・40代の4つの世代でのミリオンを達成しました。
 わたしは島津亜矢のファンとして、どちらのファンの方々にもひんしゅくを買うかもしれませんが、ジャンルもファン層もセールスの規模もまるで違いますが、音楽に対する真摯な姿勢やライブを一番とする活動など、安室奈美恵もまた島津亜矢とつながる音楽の冒険の森にいたる果てしない道を歩んできたのだと思います。
 昨年の紅白への出場を最終的に受け入れたのも、引退のライブツアーに来れないファンためだとされていますが、そのあたりもファンへの感謝を持ち続け、決しておごらず愚直に歌を歌うことでしかその気持ちを表せないと考えるところや、ベストアルバムの収録曲を手抜きせずわざわざ歌いなおしたと聞くにおよび、島津亜矢の歌への覚悟と心情につながっていると思いました。ほぼ同時代をまったく違った道を歩いてきた安室奈美恵の歌心と音楽的冒険もまた、まだまだつづく島津亜矢の旅のリュックに大切にしまっていってほしいと思います。
 わたしはくわしく知る機会がないのですが、リズム&ブルースの奥底にある悲しみと怒りを感じる感性が安室奈美恵にあり、それは本土を守るために沖縄の人々を犠牲にし、戦後は沖縄を踏み台にした戦後民主主義の矛盾に育てられた少年少女の一人であったことと無関係ではないと思うのです。
 ともあれ、島津亜矢がたとえば「一本刀土俵入り」や「瞼の母」を歌う時、今までどちらかというと「男歌」としてとらえられてきましたが、わたしは生まれ育ちから決して「期待される親子像」や「期待される家族像」とは縁遠い人生を送らざるを得なかった青年(少年)、非情な世界で生きざるを得なかった青年のかなしさと、それでもなくさなかった純情を、凛とした立ち振る舞いと少し遠くを見つめる瞳にかくしてまっすぐに歌いきります。
 それはそのまま、これらの芝居を書いた長谷川伸の表現の核心でもあります。
 長谷川伸の世界から生まれ、語り継がれてきたこの物語は、島津亜矢の歌の中でもう一度、傷つきやすい少年時代の官能的とも言える心の叫びとなってよみがえるのでした。
 長谷川伸の描く義理人情の世界は、いつのまにかあまり表だったものではなくなりましたが、いまだに歌や大衆演劇などで語り継がれているのもまたたしかなことで、いま、もしかするとわたしたちの心の底で、もう一度長谷川伸を必要としているのかもしれません。
 島津亜矢の場合も安室奈美恵の場合も、受け継がれてきた先人たちの歌の中にある歴史を知らなくても、歌そのものが歌うひとにもその歌を聴くひとにもダイレクトに純な心に届けてくれるのだと思います。
 島津亜矢が最近また「一本刀土俵入り」をコンサートで歌っていると聴き、3月のフェスティバルホールで歌ってくれるかわからないのですが、とても楽しみにしています。
 先日のNHKのBS放送の「BS新にっぽんの歌」で久しぶりに「一本刀土俵入り」を歌いましたが、ユーチューブなどで若い頃から最近までの音源がたくさんありますが、今回の番組での「一本刀土俵入り」はより進化しているように思います。
 恩師・星野哲郎もそうでしたが、虐げられたり理不尽な悲しみに打ちひしがれているひとびとと同じ場所に立ち、その隠れた心情を歌うとき、島津亜矢の歌はもっとも輝き、もっとも遠くの心に届くとわたしは思います。

安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ

島津亜矢「一本刀土俵入り」

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