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2017.11.26 Sun 祝!島津亜矢紅白出場。しかしながら島津亜矢の冒険に値する歌を、もっと歌を。

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島津亜矢の紅白出場が決まり、ほんとうにうれしく思います。
 今年は「金スマ」、「音楽の日」、「UTAGE」とTBSの人気番組や特番の出演で、独自のコンサート活動を除けば本来の演歌番組以上にポップスの番組での歌唱が話題となりました。今まで島津亜矢の存在を知らなかったポップスファンに彼女のポップス歌唱が届き、その圧倒的な歌唱力に驚愕と絶賛が寄せられたことはほんとうにうれしい出来事でした。
 さらに、ポップスのカバーアルバム「SINGER4」の発表とそれに合わせた「SINGERコンサート」の開催、映画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突ルウム会戦』の監督の肝いりで服部隆之作曲によるテーマ曲「I CAN'T DO ANYTHING -宇宙よ-」の歌唱と、今までの地道ながらオールラウンドの活動が実を結び、ファン以外のひとびとにも届くメジャーな情報が相次ぎました。
 しかしながら、こんなことを書くと関係者やファンの方々に叱られることを承知で言えば、彼女の本来の活動の場である「演歌」のジャンルでは今年は「いのちのバトン」と「心」と異例の2曲を制作しましたが、わたし個人の感想ですが「いのちのバトン」は少し冒険したものの、「心」ではまた先祖返りをしてしまい、2曲発売する意図もよくわかりませんでした。
 これらの楽曲を製作する作家さんたちは演歌畑ではすでに巨匠の域にある方たちですがわたしには新鮮味が感じられず、この製作チームが島津亜矢の音楽的冒険の行方をプロデュースするよりは、がちがちの守りに入っているとしか思えませんでした。
 演歌のジャンルがよくも悪くも氷川きよし一人におんぶにだっこという状況が何年もつづき、ますます演歌ファンの市場が小さくなる中で、例えば今年紅白初出場の丘みどりなど魅力的な若い歌手が出てくれば、島津亜矢の紅白出場もいつ途絶えるか不安になります。
 わたしは本来紅白出場を当選、不出場を落選と呼ぶ風潮がかなり嫌いで、また視聴率という「税金」を取る準国営放送・NHKの国民的番組であるがゆえの紅白への批判の論議にも関心がありません。
 ただ、世の趨勢も大いにありますが、従来から年に一度のお祭りとして紅白が果たしてきた役割からして、歌の番組でありながらもバラエティ番組としての様相が濃くなるのはやむをえないことだと思います。また、大きくは演歌・歌謡曲とポップスの割合が1970年代以後ポップスの歌手の出演が増えたのも、音楽シーンの劇的な変化を反映しているだけで、今でも冷静に見れば演歌・歌謡曲の割合が多いぐらいでしょう。
 紅白出場を辞退しても何の影響もない大物と言われるアーティストもたくさんいますが、以前ほどではないといっても40パーセントの視聴率を持ち、翌年のセールスに影響を持つと言われる紅白の出場は、若いアーティストたちにとってもうれしいことのようです。
 演歌歌手の場合は紅白への出場が特に影響があると言われているようですから、島津亜矢にとっても紅白出場は熱心なファンのためにも格別の願いであったことでしょう。
 歌唱力のある実力歌手というだけでは紅白出場は指定席とはならないと思いますので、来年はヒット曲がほしいところです。ちなみに、市川由紀乃はもとより、もしかすると丘みどりにしても新曲のCD売り上げが島津亜矢の新曲よりも多いような気がします。
かろうじて、CDのアルバムは「SINGER4」がテレビ出演の効果で演歌歌手としてはよく売れたのではないかと思いますが、ポップスも含めた全体ではJポップスの楽曲とは桁数がひとつもふたつもちがうのが現実ではないでしょうか。コンサートの動員数にしても演歌界ではトップクラスだと思いますが、ポップスのセールスとは別次元としか言いようがありません。
 今年に限って言えば紅白出場を確保した今、TBSをはじめとする年末の音楽フェスへの出場があるかどうかに注目しています。
ともあれ、島津亜矢のポップス歌唱の実力とは別に、ポップスのセールスとしてはまだ途上の段階で、一方本来の演歌のジャンルでのセールスも今までの地固めという段階から抜け出せず、どちらもが島津亜矢のボーカリストとしての行方を引っ張りあっている状態で、活動の領域が広がった分プロデュースが難しく、結局、従来の演歌路線に逆戻りしているような気がするのです。
 そんな中で、氷川きよしが来年からポップスに進出し、ポップスのライブやCDセールスなどを計画しているというニュースが入りました。氷川きよしは2000年のデビュー以来、演歌の救世主と言っていい活躍で若いファンをはじめ新しい演歌ファンを開拓してきた演歌界のオピニオンリーダーです。
 その彼が40歳になり、新しくポップスに進出しようとしているのには2つの理由があると思います。ひとつは、先細りの演歌のジャンルに甘んじていては演歌とともに滅びるのではないかという危機感、もう一つは手前みそですが島津亜矢のポップス歌唱が音楽のメインストリームで高い評価を得たことで、自他ともに許す演歌界のトツプスターのポップス進出が大きな起爆材になるだけでなく、日本の音楽シーンでより確固とした存在になる可能性を見出したからではないでしょうか。
 おそらくたくさんのスタッフによるプロデュースで作詞・作曲にポップス界の名手を起用し、緻密な戦略でセールスをかけるでしょうし、彼のもともとのファンは「素直に」彼のポップスを受け入れることでしょう。
 わたしは島津亜矢チームがこの動きに乗じて積極的に島津亜矢のポップス歌唱を真剣にプロデュースしなければ、今まで地道に努力してきたポップス歌唱の努力をそっくり持っていかれると思います。
 むしろ、この動きに乗じて演歌界の悪しき慣習を破り、ポップスの作り手や、演歌界でもポップスの名曲をたくさん作曲している浜圭介など、思い切った起用とコンセプトで新しいポップスのオリジナルアルバムやシングルの製作に踏み切ってほしいのです。
 そして、演歌もまたオールラウンドのボーカリストとしての島津亜矢を理解してもらい、ポップスの作り手による大胆な演歌・歌謡曲を製作してほしいと思います。
 時はそう長く待ってくれません。来年も同じプロデュースなら、おそらく紅白は望めないと思います。また、わたしのように紅白に重きを置いていないファンに対しても、そろそろ島津亜矢が時代を背負って歌うべき演歌やポップスを彼女に手渡し、新しい彼女のファンを生み出してほしいのです。そうすればおのずと、島津亜矢の紅白出場は後からついてくると思うのです。

島津亜矢「命の別名」 詞・曲:中島みゆき/歌縁2017・東京公演
中島みゆきが知的障害といわれるひとびとに捧げた歌で、わたしは最近島津亜矢の「地上の星」よりもこの歌唱が好きです。

島津亜矢「時には母のない子のように」寺山修司作詞・田中未知作曲
この歌は寺山修司が黒人霊歌「時には母のない子のように」にインスパイヤされてつくった歌で、「うたコン」の母の名曲というコンセプトとはまったくちがう歌ですが、島津亜矢はもともとリズム&ブルースを歌える歌手なので、カルメン・マキのヒット曲の裏に隠れている黒人奴隷の悲しみをよく表現していると思います。

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2017.11.25 Sat 「ジャズと青春は手をつなぐ」 大塚善章ジャズライブ・桜の庄兵衛にて

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 11月19日は大阪府豊中市・岡町駅から商店街を通り抜けてすぐの「桜の庄兵衛ギャラリー」のライブに行きました。
 「桜の庄兵衛ギャラリー」は江戸時代に庄屋さんだった旧家で、阪神淡路大震災で壊れてしまった屋敷の一部を修復再生するにあたり、本来客間だったところを地域に開放されたギャラリーにされました。ここで年に何回か催されるライブは落語からクラシック、ジャズなどジャンルにかかわらず、和室の大広間の梁や柱と白壁にはさまざまな音楽がしみこみ、いつも演奏者とお客さんを静かに待ってくれているようです。
 間近で演奏される和の空間は大きなコンサート会場では味わえない手触り感と珠玉の時間を用意し、演奏するプレイヤーにとってもお客さんにとっても毎回心に残るライブとなっています。
 92回を迎える今回は、日本のジャズの草分け的なピアニストで83歳になられる大塚善章さんを迎え、第一部では1991年にご本人が作曲された組曲「面(OMOTE)」の演奏を、第二部ではウェストサイドストリーから3曲、ビートルズナンバーから4曲を演奏されました。
 また、第一部では特別ゲストとして能面打の増田豊春さんが演奏に合わせて能面の展示をされたり、休憩時間や終演後に能面の解説をしてくださいました。増田さんは古楽器バード・フラジオレット(笛の一種)の製作もされていて、第2部では製作されたフラジオレットの紹介もしてくださいました。

 第一部の開演時間となり、大塚善章さんは柔らかな物腰で登場し、ピアノの前に座りました。1950年代から活躍されている大塚善章さんの演奏を、実は私は一度も聴いたことがありませんでした。ただ、プロフィールを見て、古谷充と「The Freshmen」を結成したメンバーの一人と知り、古谷充のサックスは何度かテレビで聴いていたので、大塚さんのピアノも聴いていたのかもしれません。
 83歳という年齢と活動歴62年ということで、やわらかなタッチの老練なプレイヤーと勝手に想像していたのですが、ひとたび鍵盤をたたくととんでもない、とても若々しくどちらかといえばハードというか厳しいというか、硬質で宝石のようなきらきらしたピアノで、あっという間に大塚さんの世界に入りこんでしまいました。
 組曲「面(OMOTE)」はかねてより能楽を通じて増田豊春氏の能面に魅せられた大塚さんが作曲を思い立ち、獅子口(ししぐち)、小面(こおもて)、邯鄲男(かんたんおとこ)、三光尉(さんこうじょう)、癋見悪尉(べしみあくじょう)の5つの能面を選び、それぞれのイメージを音楽で表現し、組曲にしたものです。
 プロローグは荘厳で、能の世界へいざなう幽玄な結界からすぐに一曲目の獅子口へとつながっていきました。わたしは能の世界は全くわからないのですが、ややもすると和の世界をモチーフにした異ジャンルの音楽はそのモチーフに引っ張られることが多いと感じるのですが、大塚さんのジャズはそこがちがいました。彼は自分の信ずるジャズのありようがあるみたいで、妥協のないジャズの曲として作曲し、演奏されていました。
 それはおそらく、彼が能の舞台に惹かれてこの組曲を作っただけではなく、能面の裏側には面(おもて)だけを見せる光の塊のような能舞台をそっくり裏替えしたネガの世界があり、ハレの舞台を覗きながら演ずる役者の息遣いを想像して能面師が面を打つ(彫る)作業そのものにジャズを感じたからではないかと、勝手に思いました。
 ともあれ、まるで現代音楽のような張り詰めたピアノが空間を引き裂き、その裂け目からまぶしく透明な光がわたしたちを包むような、素晴らしい音楽でした。

 休憩をはさんで第二部はとってかわったようにリラックスしたピアノで、第一部の緊張感がうそのようでした。大塚さんのピアノは、わたしがよく聴いているフリージャズのような激しさではなく、誰もがよく知っているスタンダードな名曲をジャズにアレンジされた演奏で、軽やかで優しいメロディーとリズムに心が弾みました。
 ポップスやシャンソンや映画音楽がジャズになっているのはたくさんあり、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」などが有名ですが、大塚さんもさまざまな映画音楽やスタンダードをジャズにアレンジされていて、演奏や作曲の才能だけでなく、独自のアレンジとアドリブに特別の才能を感じました。
 今回のようにそれぞれの曲の演奏時間を短くしなければならないミニコンサートでは、特にアレンジの力が必要で、全体をメロディー化し、曲と曲との間をアドリブかどうかわからないのですが短くつなぎ、ジャズのだいご味を感じました。
 わたしはリアルなビートルズファンでしたから、「ノルウェイの森」、「ミシェル」、「サムシング」、「イエスタデイ」はとてもうれしく聴きました。
 とくに素晴らしく感じたのは「サムシング」です。この曲は1969年、ビートルズの実質のラストアルバムとなった「アビー・ロード」に収められた、ジョージ・ハリスンの最高傑作と言ってもいい楽曲です。ビートルズ時代、彼の楽曲はそんなに多くはないのですが、このアルバムを聴いた時、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの良くも悪くも煮詰まった楽曲の間にあって、さわやかでナイーブなこの曲に救われた感じがしました。
 ジョン・レノンはこの曲を「アビイ・ロード」で一番の曲とコメントし、フランク・シナトラはこの曲を「20世紀最高のラヴ・ソングだ。」と絶賛したそうです。
 大塚さんのアレンジは川の流れのようで、アンコールで弾かれた「慕情」とともに素晴らしい演奏でした。 
 「落ち葉踏む小春日和の大塚善章ジャズライブ」、夕方の4時半から始まったライブでしたが、終演の時には外は日が沈み、暗くなっていました。第一部と第二部、それぞれ違った風景を見せてくれたジャズライブでした。
 昔、セロニアス・モンクが「ジャズと自由は手をつなぐ」といったそうですが、大塚善章さんのピアノを聴いていると、「ジャズと青春は手をつなぐ」という言葉が浮かびました。ジャズはいつまでも若く、年を取らないのだとつくづく感じた一夜でした。

Tonight 大塚善章グループ
2013年9月13日 大塚善章(Pf)、中山良一(Bs)、御薬袋一男(Ds)
この日に演奏された「Tonight」の別会場での音源です。 
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2017.11.02 Thu 水野良樹は平成の阿久悠。島津亜矢「SINGER4」・「YELL」

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 10月29日のNHK-BS放送「新BS日本のうた」に、島津亜矢が出演しました。この日は久しぶりに出演した北島三郎特集で、島津亜矢は山内恵介と共に司会も担当しました。81歳の北島三郎は音楽番組に出演することが少なくなりましたが、生涯現役の気構えは衰えず、この日もその歌魂を存分に発揮しただけでなく、若い歌手たちひとりひとりを温かく見守る姿に会場のお客さんはもちろん、テレビ画面を通して観ていたわたしも思わず涙がこぼれました。
 島津亜矢はおそらく言葉にならない思いで心の中をいっぱいにして、涙を流しながらも番組から与えられた役割を越えた自分自身に課した使命感で司会をつとめました。
 歌の方もソロで「なみだ船」、「川」を熱唱しました。それに加えて私が感動したのは北島三郎と大江裕と「北の漁場」を歌った時でした。北島三郎を師と仰ぎ、苦難の道のりを歩んできた彼女は、若い頃はあこがれの北島三郎の胸を借りて思い切り絶唱していたのですが、今回の放送では恩師星野哲郎とともに見守ってくれた北島三郎に恩返しをするように、こみ上げる涙を胸で押さえながらの熱唱でした。

 本題に入り、「SINGER4」に収録された15曲の中から、まずはわたしが島津亜矢にいちばん歌ってほしいと思っていた「YELL」について書こうと思います。
 わたしはジャンルを問わず星の数よりも多い有史以来の歌をつなぎ、今生きているわたしに届けられる壮大な叙事詩・「にんげんのものがたり」の歌があるとすれば、島津亜矢はその歌を歌える数少ない歌手の一人だと思っています。
 今は死語と化したかもしれない「純なる無垢のたましい」から発する稀有の声質と歌唱力、心のひだの底からかすかに聞こえる叫び、「もし明日世界が滅びるかもしれない」夜の闇でそれでも歌い続ける希望の歌、有史以来歌い継がれてきた切なくも心震える民衆のための民衆の歌…。
 歌うことの宿命を背負い、数々の苦難を乗り越えて彼女が歌うべき、歌い残すべき歌を待ち続ける歌手・島津亜矢は貪欲に歌と出会い、音楽的野心を燃やしながらいろいろな人と出会うことを求めてやめない歌手人生をまっとうすることでしょう。
  「YELL」は「いきものがかり」の水野良樹が2009年のNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲として依頼され、作詞・作曲したものです。当初は元気なアップテンポの曲を依頼されたのですが、水野良樹は15歳の頃の深く思い悩んでいた自分を思い返し、アップテンポの曲とは別にもう1曲を制作しました。それが「YELL」で、最終的にこの曲が課題曲に採用されたということです。
 「いきものがかり」は2006年に「SAKURA」でメジャー・デビューした時からずっと好きなグループでした。その頃も今も、Jポップが若者たちの電脳空間の中かライブ会場の高揚した空間の中でのみ共振し、音楽や歌がその閉鎖された空間の外にある街中に広がることのないまま次々とヒット曲が入れ替わっていくのに絶望していた時でした。
 「いきものがかり」の歌は若者らしいエッジの利いた歌でもなく、Jポップのクールなシーンとは縁遠く、若者たちの「音楽のための音楽」ではなく、その外にある街中に溶け込む歌を歌い続けてきました。
 狭い意味のJポップではなく、歌謡曲といった方がいいその歌は同世代の若者には受け入れられないのではないかと思いましたが、なんと若者たちから圧倒的な支持を得ただけでなく、その後のNHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」のヒットで幅広い年齢層の支持を獲得しました。
 水野良樹は、音楽好きなひとにだけ通じる歌ではなく、昔の歌謡曲のように街の中で誰がつくったのか気にもされないのに多くの人が口ずさむ曲をつくりたいと話しています。
 路上ライブで通りすがりの人の足を止めさせるために、歌い始めの一節にその歌のすべてを表現する彼は、平成の「阿久悠」といってもいいかもしれません。
 事実、先日NHK-ETV特集「いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話」で、「混沌とした時代に、いろんな人がいろんな正義を言って戦いあっていて、歌に自分の思いを込めるとか自分の考えをこめるとか、そんな単純な考え方だけで分かり合えないひとと分かり合うことができるのか、もっと別の違ったやり方があるのではないか…」と自分の歌づくりの在り方を模索しているといいます。
 そして、いしわたり淳治、糸井重里、小西良太郎、飯田久彦、秋元康にインタビューし、1970年代に時代の飢餓感を受け止め、歌によって時代を変えることができると信じ、数々の名曲を生み出した阿久悠の駆け抜けた道をたどりました。
 水野良樹はJポップ世代ながら、歌は巷にながれてこそ時代を変える力を持つことを阿久悠に学び、新しい時代の「歌謡曲ルネッサンス」をけん引するソングライターへと大きく進化することでしょう。
 わたしは島津亜矢のオリジナルが今までのセオリーにとらわれず、Jポップの分野で歌謡曲をめざす水野良樹に曲作りを依頼できたらと思ってきました。たとえば小椋佳が美空ひばりと出会うことで「函館山から」というワールドミュージックをつくったように、水野良樹もまた島津亜矢との出会いから新しい歌づくりの道を探してもらいたいと思います。
 さて、「YELL」ですが、わたしは水野良樹がつくった歌の中で一番好きな歌です。

「“わたしは”今 どこに在るの」と 踏みしめた足跡を何度も見つめ返す
枯葉を抱き 秋めく窓辺に かじかんだ指先で 夢を描いた

 15歳の少年少女にとって秋から冬の季節は、新しい出発への夢と別れの切なさが交錯する季節で、卒業ソングとして数々の歌がつくられました。
 わたしの15歳のころはなんといっても舟木一夫の「高校三年生」でした。中学と高校のちがいはありますが、この歌は別れの寂しさよりも新しい未来を讃えあう応援歌でした。というのも、この歌は高度経済成長のただ中で成長と豊かさの神話に包まれ、いろいろな問題をすべて経済成長で吹き飛ばす時代の夢と希望にあふれた歌でした。
 時代は変わり、「YELL」では彼女たち彼たちを待つ未来が明るいとは言い難く、「高校三年生」のような青春群像ではあり得ない孤独な夢へと歩く、ひとりひとりの過酷な未来に戸惑う心を歌っています。その時、共に過ごした日々の友情は未来に向かうための後押しになりつつも、「いつかまた巡り合う」その日が来るかどうかはわからず、ありのままの弱さと向き合う強さを持って生きることに誇りを持つ、切ない別れの決意が歌われています。

サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL

 こんな厳しい別れしか少年少女たちに用意できない時代をわたしたちは生きているのだと胸が痛みます。
 島津亜矢と水野良樹は出自も歩んできた音楽的冒険も違いますが、孤独を抱きしめ、悲しみを歌えるアーティストとして今、二人の道が交錯しようとしているのではないでしょうか。実際、島津亜矢の「YELL」はオリジナルの吉岡聖恵よりもさらに歌の気配を隠し、孤独を抱え立ち止まる15歳の青春を見事に再現していると思います。
 わたしは「いきものがかり」と島津亜矢には特別な思いを持っています。
 というのも、わたしがブログを書くきっかけになった高校時代からの親友だった加門君が肺がんを患い、入院した時に何かCDを持って来ようと思い、「いきものがかり」はどうかと聞くと、「細谷、島津亜矢を持ってきてくれ」と言われたのでした。
 わたしが島津亜矢のファンになったきっかけをつくってくれた加門君は、一年後に亡くなりました。わたしは15歳の別れには未来があるけれど、死に別れてしまった友におくる「YELL」はないとその時思っていました。
 しかしながら、それからずいぶん時がたち70歳になったわたしは、この歌は生き残ったわたし自身におくってくれた「YELL」なのだとわかったのでした。
 まだ30代の水野良樹が40年も長く生きているわたしにこの歌をおくってくれたのだとしたら、彼が稀有の才能を持ったソングライターであるだけでなく、歌そのものが力をもっているのだとあらためて思うのです。
 1970年代の阿久悠が時代と格闘したように、水野良樹が電脳空間の外側のちまたに届ける心の物語を、時代を耕す島津亜矢のためにつくってくれることを願ってやみません。

いきものがかり「Yell」 Live Yokohama 2015

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2017.10.27 Fri 「政治を通さない日常の現実原則の革命」としての大衆音楽の可能性。島津亜矢「SINGER4」

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 島津亜矢のポップスカバーアルバム「SINGER4」には、これまでの3作以上に刺激的な楽曲が収録され、島津亜矢は超多忙な日程の間を縫って20曲以上をレコーディングし、そこから15曲を厳選したようです。
 出来上がったアルバムを聴くと島津亜矢がギアを入れ直し、時にはトップギアで歌いきり、ただひたすら疾走するその音楽的冒険に心が震えます。今回のアルバムはこれまでの3枚のアルバムに比べて島津亜矢チームも島津亜矢本人も力の入れ方が尋常でなく、ライブとは違い自分自身との闘いという孤独なレコーディングでありながら、その場にいないリスナーのひとりひとりの心に届けたいという祈りさえ感じられるせつなさがありました。
 ポップスのジャンルへの本格的なデビューを果たし、演歌とポップスの両ジャンルをクロスオーバーしながらその歌唱力、声量・声質に加えて、歌を詠む力を身に着けたボーカリスト・島津亜矢がステージや音楽番組で充分に歌えない歌、彼女が今いちばん歌いたい歌を収録するこのアルバムには、進化し続ける歌姫の「現在」がぎっしり詰まっています。
 それだけに9月30日に開かれた東京オペラシティコンサートホールでの後援会主催の「シンガーコンサート」を一般の公演スタイルにして、わたしの住む大阪や名古屋、福岡などでも開いてくれないものかと思っています。特に、今年のようにポップスのジャンルでのブレイクに応えるためにも、全国のファンが望んでいるのではないでしょうか。
 わたしはジャンルにかかわらず島津亜矢のいくつかの歌唱のタイプの中で、「大利根無情」、「風雪ながれ旅」、「度胸船」、「瞼の母」、「兄弟仁義」、「旅愁」、「山河」、「想い出よありがとう」、「さくら」(森山直太朗)、「恋」(松山千春)、「恋人よ」、「歌路はるかに」などを歌うときの島津亜矢がもっとも好きで、コンサートでこれらの歌を聴くと決して順風満帆ではなかった自分の人生をふりかえり、かなわぬ恋や取り返せない失敗、だれかを裏切ってしまった後悔、それでもこれでよかったのだと自分の人生を抱きしめてあげたいと思う不思議な感情に襲われ、涙があふれてきます。
 というのも、女性の演歌歌手が歌う、耐え忍ぶ女や、待ち続ける女、失恋の旅に出る女など男の身勝手に翻弄される女性像に、実はうんざりしてしまっていました。もちろん、どんなジャンルにしても恋の歌はたくさんありますが、それを演歌の定番にすることで、歌詞にも曲にも歌唱法にも全く新鮮さや音楽的冒険というものを感じることができないのです。
 オリジナルも含め、島津亜矢にはほとんどそういう歌がありません。少し前まではそれに抗するものとして「男歌」の達人と称され、本人も「男歌」を好んでいました。
 わたしは特にフェミニストではありませんが、シングルマザーの母のもとで育てられたこともあり、男らしさや女らしさとか主人とか奥さんとか、特に「異性愛」を絶対化する日本の家族像にはなじめず、演歌に多い「男歌」に違和感を持っています。
 そんな事情で、島津亜矢の「男歌」にも抵抗があり、どこかで彼女が歌わなくてもいいのではないかと思っています。手あかのついた「男らしさ」という既成概念を頼りにした楽曲は他の演歌歌手にまかせ、島津亜矢には欧米のジェンダーフリーとは一線を画した大衆音楽のジャンヌ・ダルクとして新しい時代を切り開いてほしいと思います。
 寺山修司の言葉を借りれば、政治的革命は人間の革命の一部に過ぎず、「政治を通さない日常の現実原則の革命」としての大衆音楽の可能性は、ポピュリズムの危険をはらみながらも政治よりもダイレクトにサイレントマジョリティの心に届くのではないかと思うのです。
 横道にそれてしまいましたが、わたしにとって島津亜矢は純情でひたむきで切なくて悲しくて、世の中のさまざまな差別や偏見や不条理や理不尽のただなかで、「わたしはここにいる。わたしはひとりではない。あなたもひとりではない」と、静かに手を差しのべる友情こそが人生のすばらしさと教えてくれた「時代の歌姫」なのです。
 例えば「瞼の母」、過酷な世間の冷たい風を時には暴力によってしか切り裂くことができなかった男が自分を捨てた母親の叶わぬ愛を乞い焦がれるという物語は戦後の混乱期はもちろんのこと、日本の社会が子どもを捨てたり売り買いしてきた暗黒の民衆の歴史を背景にしています。
 わたしは島津亜矢が「おっかさん」と叫ぶテロリスト・忠太郎のとてつもない悲しみを歌うとき、彼女が立つ場所はすでにステージの上でもコンサート会場でもなく、時と場所を離れ、切ない夢を持ち、その夢をかなえることができずに死んでいった無数の屍で埋め尽くされた日本列島に遍在する海岸や半島に立ち尽くし、それらの無数のいのちとともに、それでも見果てぬ夢を見ながら「わたしはここにいる」と心で叫び、振り袖を翻す彼女の姿がにじんで見えるのでした。
 ともあれ、アルバム「SINGER4」の世界は、島津亜矢がまたひとつ新しい荒野の入り口で、この時代に想いまどうわたしたちに「大丈夫」と手招きして共にその荒野に足を踏み入れる勇気をくれるものでした。
  カバーアルバムの中でも突出した情熱が込められたこれらの歌の群れがどこにいくのか、わたしにわかるはずもないのですが、音楽がグリコのおまけや商店街のタイムセールスの応援歌になった感がある危機的状況の中で、ある意味時代に逆行した島津亜矢の切羽詰まった歌唱は、人気とか評判とかブームとは縁がないかもしれませんが、時代の金太郎あめをめくりめくったその先にある時代の真実、わたしが生きてきた意味を教えてくれているように思えてならないのです。
 時期的に年末の話題が増えていますが、わたしは今年こそ、波及力はなくなったもののレコード大賞でこのアルバムや、ガンダムのテーマ曲が受賞することを願っています。阿久悠のアルバムを見逃したレコード大賞の審査員チームのリベンジに期待します。
 そして、島津亜矢と島津亜矢のチームに望むのは、カバーのアルバムで島津亜矢のオリジナリティを発揮するにはこのアルバムが限界のように思います。
 やはり、オリジナル曲によるシングル、もしくはアルバムで島津亜矢のポップスを世の中に届ける時がきたのではないでしょうか。製作・宣伝・販売コストと兼ねあうヒットに恵まれるか難しい選択でしょうが、歌の作り手はこのアルバムのアーテイストを中心に依頼し、思い切った製作をぜひチャレンジしてほしいと思います。
 それは、時代が追いつくことができずにいる稀有のボーカリスト・島津亜矢が人生をかけて待ち続けている恩に報いる最初の一歩であると確信します。
 この文章を書き始める時は収録されている楽曲から、まず「YELL」から書こうと思っていたのですが、またまた前段で終わってしまいました。
 次回は「YELL」について書きます。

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2017.10.09 Mon 演歌・歌謡曲とJポップにまたがるボーカリスト。「SINGER4」

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 島津亜矢のアルバム「SINGER4」が発表されました。ポップスのカバーアルバムで「SINGER」(2010年)、「SINGER2」(2013年)、「SINGER3」(2015年)につづいて4作目になりました。
 島津亜矢がかつてNHKのBS放送で演歌をはじめJポップの名曲を見事な歌唱力で歌い、「カバーの女王」という異名をとったことはすでに伝説になっていますが、それらの数々の名歌唱の内、主に演歌の楽曲を改めてレコーディングした果実が8作にもおよぶアルバム「BS日本のうた」シリーズです。
 しかしながら、彼女のレンジの広さはポップス、ロック、ジャズからシャンソン、R&Bにまで及び、その幅広い音楽性を表現する場は音楽番組では数少なく、出自の演歌を中心に構成する彼女のコンサートにおいて、ドレス姿でポップスの何曲かを歌うのにとどまっていました。
 演歌・歌謡曲においては20代後半にほぼ完ぺきな歌唱力を認められていた島津亜矢でしたが、ポップスも歌える歌手としても評価されるようになったのは、2000年に最初のアルバム「SINGER」を発表する前後からだと思います。
 それまでは演歌歌手とは思えない本格的なポップスを独自の表現力で歌っていましたが、なかなかポップスの聴き手に届かなかったこともまた事実です。
 島津亜矢はこのアルバムで、演歌とはちがってのびのびと歌を歌う喜びを感じていたと思います。というのも、演歌のジャンルでは毎年の勝負曲をシングルで発表し、アルバムはそれまでの代表曲を収録した全曲集でしかなく、ポップスのボーカリストやシンガー・ソングライターのオリジナルアルバムのようにテーマやコンセプトを持った音楽的冒険とは無縁です。
 その意味では唯一、「悠々~阿久悠さんに褒められたくて~」は特筆もので、アルバムが先行し、そこから「恋慕海峡」と「一本釣り」がシングルカットされました。すでに亡くなっていたとはいえ、稀代の作詞家・阿久悠の遺稿から選ばれた10曲を8人の作曲が書き下ろしたこのアルバムには、制作にかかわったひとたちの熱い思いが込められています。島津亜矢はこの珠玉10曲を一曲ずつ違う表情で彩り、豊かに肉付けしました。
 わたしはこのアルバムから、島津亜矢を演歌歌手にはあまり言わないボーカリストと呼ぶにふさわしいと思うようになりました。実際、このアルバムの一曲一曲はもとより、全体がひとつの組曲のように、悲しみや切なさや潔さがないまぜになった10人の女性の愛の物語がボーカリスト・島津亜矢によってよみがえり、語られるのでした。
 わたしはこのアルバムが発表された2011年のレコード大賞がこのアルバムを認知できず、どんな賞も与えなかったことはとても残念で、その不明を恥じるべきと思っています。
 それに対して「SINGER」シリーズは、ポップスのカバーアルバムではありますが、すでにそれぞれの時代の巷に流れ、わたしたちの記憶の底にまどろむ歌のかけらを掬い上げ、新しい物語として島津亜矢が語りなおし、歌いなおす「もうひとつのオリジナルアルバム」といっても過言ではありません。
 それだけに、どの歌を選び、どの順番に歌うのかがとても重要で、どんな歌でも歌ってしまう天才・島津亜矢だからこそ「こんな歌も歌えます」という安易な選曲ではなく、厳しいプロデュースと歌唱力が問われるシリーズだと思います。
 とはいえ、無数にある楽曲から十数曲を選ぶのですから、演歌歌手・島津亜矢が、ポップスを稀有の歌唱力で歌い上げるのにふさわしい、いわゆる「名曲」のカタログ主義が先行する選曲になっていたことも否めないと思います。
 実はそれが、ポップスを発表する場が少ないことと合わせて、演歌の出自を離れたボーカリストとしての島津亜矢がなかなか認知されなかった理由でもあるのかなと思います。
 もっとも、演歌歌手として30代にはすでに完成され、その後さらに熟成されたワインのように深く歌を詠む力と豊穣な表現力と、それを裏付けるテクニカルな歌唱力が認知されたのもごく最近のことではないかと思いますが…。
 ともあれ、「SINGER」シリーズは島津亜矢の多彩な才能に心酔し、彼女の音楽的冒険を望むひとたちの願いを叶えてくれるもので、わたしもそのひとりでした。
 1つのアルバムに15曲収録されていますので、今回の「SINGER4」で、すでに60曲のポップスのカバーを世に問うたことになります。
 今回の「SINGER4」はプロデュース、歌唱ともとくに力の入ったものになっています。
 一曲目から最後までの選曲は当初からがらりと変わり、没になったものも含めるとこの2倍近くの楽曲を歌い、そこからグレードを上げるために何曲も差し替えられ、この15曲になったようです。曲順、オリジナル歌手、発表年を記すとこのラインアップになります。
1.命の別名 中島みゆき 1998年
2.最後の雨 中西保志 1992年
3.じれったい 安全地帯 1987年
4.Honesty ビリー・ジョエル 1978年
5.難破船 加藤登紀子 1984年 中森明菜 1987年
6.落陽 吉田拓郎 1973年
7.YELL いきものがかり 2009年
8.はがゆい唇 高橋真梨子 1992年
9.恋人よ 五輪真弓 1980年
10.浅草キッド ビートたけし  1994年
11.サイレント・イブ 辛島美登里 1997年
12.見上げてごらん夜の星を 坂本九 1964年
13.魂のルフラン 高橋洋子 1997年
14.さよならの向こう側 山口百恵 1980年
15.Jupiter 平原綾香 2004年

 選ばれた楽曲は1970年代から2000年代までの日本を代表するボーカリストのヒット曲で、島津亜矢はオリジナルの歌唱が強く印象に残る楽曲にあえて挑戦するように意欲的、刺激的に歌っています。
 おそらく最近の島津亜矢の音楽シーンでの立ち位置から、本人もチームもこのアルバムがポップスのメインストリームに届けられる可能性を視野に入れて制作されているのではないかと思います。
 全体的にはその意気込みがうまくいったと思いますが、少し力みすぎで彼女には珍しく歌を読み違えているのかなと思う楽曲もあるように思います。もちろん、その印象はわたしの個人的な好みの問題で、おおむねそれはそれで新しい解釈による優れた歌唱と受け止められると思いますが…。
 ともかくも、このアルバムから伝わる島津亜矢の熱気は本物で、Jポップの分野に本気で足を踏み入れる覚悟が感じられ、演歌・歌謡曲とJポップにまたがるボーカリストとして広く認知されるきっかけになるアルバムだと確信します。
 それぞれの楽曲については、次から書いていこうと思います。

島津亜矢「SINGER4」
視聴できます。

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