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2018.07.19 Thu 戦後のバラックとともにわたしたちは大切なものを捨ててしまったのかもしれません。わたしの焼肉ドラゴン

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 映画「焼肉ドラゴン」を観に行きました。昔はよく映画を観たものですが最近は「この映画だけは」と思う映画を観に行くのがやっとで、「焼き肉ドラコン」はまさしくそういう映画でした。
 監督の鄭義信は劇団「新宿梁山泊」の旗揚げに参加し、旗揚げ当初は黒テント出身の鄭義信が台本を書き、状況劇場出身の金守珍が演出するという、とても刺激的な劇団の誕生に心を躍らせたものでした。その後新宿梁山泊を離れた鄭義信は独自の演劇活動を続けるとともに、「月はどっちに出ている」、「愛を乞うひと」、「血と骨」などの映画の脚本家として活躍しています。
 この映画は2008年に日本と韓国で上演され、絶賛された演劇「焼肉ドラゴン」(2011年、16年再演)を映画化した鄭義信の初監督作品で、万国博覧会が催された1970年をはさんだ69年から71年までの3年間の在日韓国朝鮮人の家族の物語です。
 高度経済成長に浮かれる時代の片隅。 関西の地方都市の一角で、ちいさな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む亭主・龍吉(キム・サンホ)と妻・英順(イ・ジョンウン)は、静花(真木よう子)、梨花(井上真央)、美花(桜庭ななみ)の三姉妹と一人息子・時生の6人暮らし。 失くした故郷、戦争で奪われた左腕…。つらい過去は決して消えないけれど、毎日懸命に働き、家族はいつも明るく、ささいなことで泣いたり笑ったり。店の中は、静花の幼馴染・哲男(大泉洋)など騒がしい常連客たちでいつも大賑わい。
 「たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる―」。それが龍吉のいつもの口癖です。そんな何が起きても強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、次第に時代の波が押し寄せてくるのでした。

 この物語のモデルとなったのは伊丹市中村地区で、1935年、大阪第二飛行場の建設に従事した朝鮮半島出身者の飯場がつくられ、戦後も多くの在日韓国・朝鮮人が当地に留まり、集落を形成していたそうです。ところが大阪国際空港としての拡張工事をすすめる国は「不法占拠である」として立ち退きを要求し、住民は反対運動で応じましたが、2001年より伊丹市および兵庫県、国土交通省が住民と協議を行い、近接する桑津4丁目の市営住宅へ全員が転居することで合意が成立し、2009年(平成21年)に全世帯の移転が完了しました。

 1970年はわたしが高校卒業後、悶々とした青春をさまよった末に、豊中市の空港近くの小さな町工場に就職した年でした。何度か書いてきましたが60年代後半、70年安保闘争と大学紛争で騒然とした街で、社会性や政治性に乏しいわたしは、同時代の若者にシンパシーを感じながらもどうしても運動になじめず、鬱屈した心を持て余しながらヒッピーまがいの暮らしをしていました。
 70年に入ると町は足早に政治の季節をたたみ、何事もなかったように高度経済成長へと舵を切りました。わたしもまた学生運動をしていた同世代の若者とはまた違う形で荒ぶる青い時をくぐりぬけ、やるせない心をかかえながら工場で働き始めたのでした。
 わたしは「焼肉ドラゴン」を観るまで、伊丹市の中村地区の在日韓国・朝鮮人のことを全く知りませんでした。しかしながら次々と住宅が壊され国有地になり、後に森友学園問題で日本中に知られることになった豊中の空港周辺の町工場と「焼肉ドラゴン」の舞台となった中村地区が同じ時代に共存していたことに不思議なつながりを感じました。
 それ以上にわたしは映画が映し出すバラック長屋と黒い土の路地になつかしさとせつなさが入り交じり、涙があふれてしまいました。
 というのも、子どもの頃、朝早くから深夜まで母が切り盛りしていた食堂に集うおじさんおばさん、子どもたち、そして大盛りのごはんと生卵入りのどんぶり鉢いっぱいの味噌汁だけの朝食と、夕食を当てにした寮生活の工員たち…、1947年生まれのわたしの原風景ともいえる母と兄とわたしが暮らしていたバラックの家とあまりにも似ていたからでした。わたしの家もまた、女手ひとつでわたしたちを育てなければならなかった母の窮状を見かねた田畑の地主が道沿いの小さな土地を貸してくれて、そこにバラックづくりで建てたものでした。今から思えば不法建築なので、きちんとした家を建てることはできなかったのでしょう。(もっともそんなお金が母にあったわけではありませんが…。)
 戦後闇市の名残りもすでになくなり、在日韓国・朝鮮人の集落のバラックもまた、立ち退きを迫られ姿を消していったように、わたしたちの家もまた立ち退きを迫られ、お店をたたむことになりました。
 わたしは戦前からの在日・韓国人の苦難の歴史もその個人個人の痛みや怒りや悲しみや絶望を解るわけはなく、またそんなに簡単に日本人であるわたしが解ってしまうと思うのはおごりで、とても失礼なことと思っています。わたしができることといえば信頼できる在日の友人たちと共に生き、民族の過去の歴史も個人の痛みもかなわぬまでも共有しようと努力することだけです。
 反対にいつの時代もどの社会でも、出自や民族や心身の特徴や性的選択や性的志向などによって差別されたり抑圧されたり偏見を持たれたり自由を制限されたりするひとびとがその社会や時代をもっともよくわかるように、在日韓国・朝鮮人のひとたちもまた日本人であるわたしたち以上に日本社会をよく知る人たちなのではないかと思います。 そして、よくも悪くもこの日本社会で格闘し、生きてきた在日韓国・朝鮮人ひとりひとりもまた戦後の日本社会を支えてくれたひとたちなのだと思います。
 この映画はまさしくその普遍性を持っていて、この社会のマイノリティの小さな家族の小さな物語が日本社会の大きな歴史と時代そのものを描いていて、その普遍性から「わたしの焼肉ドラゴン」というべき物語をわたしに思い出させてくれたのでした。
 そう考えると、それぞれ違う事情で姿を消した戦後のバラックは、欲望と絶望と裏切りと正義がもつれ合いながらも、戦後民主主義の中でもっともキラキラした思想といえる「助け合い」と「まじりあい」の思想が、高度経済成長によってかき消されていった象徴のようにも思えるのです。
 わたし自身も子ども時代を暗く縁取るバラック建ての家族からニューファミリーへと、高度経済成長の渦の中に呑み込まれていった1970年、「明日は今日よりきっと良くなる」と信じて60年代後半の鬱屈した心を捨てた時、実はもっとも大切なものをも捨ててきたのかも知れません。
 映画「焼肉ドラゴン」のエンドロールが終わり、スクリーンから光が消えたその暗闇の中で、龍吉が引っぱり、荷台に英順が乗るリヤカーがバラックの路地を遠ざかるのをいつまでも感じながら、「わたしの焼肉ドラゴン」もまたその大切な何かを暗示しながら終わったのでした。

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映画「焼肉ドラゴン」公式サイト


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S.N : URL 焼肉ドラゴン観てきました

2018.07.29 Sun 01:05

tunehiko様
ご無沙汰いたしております。いつもブログを楽しみに拝見しています。『焼肉ドラゴン』を観てきました。奈良県では上映が終わっていましたので大阪の映画館で観てきました。私が1、2歳のころ近所に在日韓国・朝鮮人の綺麗な小さな姉妹がおられて、記憶にはないのですがいつも可愛がってもらっていたと亡き母に教えてもらったことがあります。私が物心ついたころには引っ越されていたので残念ながら覚えていないのですが・・・。亭主・龍吉(キム・サンホ)と妻・英順(イ・ジョンウン)が特によかったです。いい映画でした。観終わったあとしばらく余韻が残りました。これからも映画紹介をよろしくお願い致します。

tunehiko : URL ごぶさたしています。

Edit  2018.07.30 Mon 12:16

S.N 様
お元気ですか?「焼肉ドラゴン」観てくださったのですね。ちょうど「万引き家族」が大ヒット公開中で、陰に隠れた感じですが、それなりに評判がよく、とてもうれしいです。
島津亜矢さんも、大きく変わる途中で、ファンとしてはうれしいです。

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