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2018.06.06 Wed まっちゃんのこと わたしの「極私的路地裏風聞譚・河野秀忠さんがいた箕面の街」 NO.6

 以前にも書きましたが、豊能障害者労働センターが最初の箕面市桜井の事務所を拠点に活動した5年は、ほんとうに貧乏ではありましたが豊かな年月でもありました。
 わたしたちみんながそうであったように箕面での河野秀忠さんにとっても、その年月は宝物であったことでしょう。それまで全国展開ですすめてきた障害者運動を、もっとも身近な地域で最初の一歩からつくりあげるプロセスには、運動もまた国家の暴力に対置するために暴力的になってしまうことが許されませんでしたし、理念だけでは障害者に対する差別と偏見を打ち破ることはできませんでした。
 誰が敵で誰が味方かもわからず、そもそも敵味方などという整然とした「たたかい」などは地域では無縁で、若い障害当事者もその親も、そのころにわかに現れたボランテイアのひとたちも、市役所にはためく「国際障害者年・完全参加と平等」の垂れ幕とはもっとも遠い地平で次々と起こる事件や問題に右往左往していました。
 木枯らしが遊んでは通り抜ける築30年の民家の破れ畳に座を構え、ビールを飲みながら古くは1950年代の三池炭鉱闘争から1970年代の青い芝や全障連などの障害者運動まで独特の語り口による河野さんの話はどれも新鮮で衝撃的で、真綿にしみ込むようにわたしたちの心に追記憶されていきました。
 その中でも、広島の「まっちゃん」こと松本孝信さんは埼玉の八木下浩一さんとともに、よく話に出る人でした。関西青い芝が論争の末に分裂し、松本さんは全国青い芝運動の一員で、組織的には河野さんとは袂を分かれたことになっていたのですが、心底では深くつながっている親友だったと思います。わたしたちも河野さんから「まっちゃん」の数々の武勇伝を聞いていましたので、まだあったことのないひとなのに松本さんをとても親しく感じていました、
 松本孝信さんにはじめて会ったのは1984年ぐらいだったでしょうか、そのころ河野さんが続けさまに障害児教育創作教材を執筆し、わたしたちはそれらの本を車に一杯積んで、全国の小・中学校などで自主教材として利用してもらうように障害者運動体からの働きかけをお願いしにまわっていました。
 その時も地域の教職員組合への働きかけを目的に広島に行き、厚かましくも松本さん宅に泊まらせてもらったのでした。
 わたしと豊能障害者労働センターの障害者スタッフの梶敏之さんと、今は被災障害者支援「ゆめ風基金」事務局長の八幡隆司さんの3人で松本さんの自宅にうかがいました。
 「よう来たな」といいながら、松本さんが介護者の青年に「おい、タンスを倒せ」と言ったので、私たちも介護者の青年も声をそろえて「タンスを倒すんですか?」と聞きなおしました。松本さんは「あたりまえやろ、はるばる大阪から客人がお見えなんや、おもてなしのテーブルにするんや」と言いました。
 そして、「タンスにゴン!これが俺の障害者運動や」といいました。河野さんから松本さんの人柄もなんとなく理解していたつもりでしたが、ウィットに富んだこの言葉を聞き、河野さんから聞いていた以上の松本さんのすごさに、河野さんがあんなに「まっちゃん」のことをいうはずや」と納得しました。1970年代、世間のすべてを敵に回しても「殺されてたまるか」と障害者運動の熾烈な闘いを通り過ぎ、今なお障害者の生きる権利を獲得する運動を繰り広げる松本孝信さんが放つ「タンスにゴン!」という言葉から、彼がその真っただ中にいた障害者運動の歴史と深い思いがあふれていました。
 そして、「大阪のやつはすぐに本やら何やらを持ってきよる。そらな、俺らは売るよ、売ったるけどな、いい加減にせえよ」と言った後、わたしたちがしばらく介護者の青年と話をしている間に電話をかけ、「今な、大阪からな、来てくれてんねん」と猫なで声で話す電話の相手は河野保子さんで、ほんとうにうれしそうで懐かしそうで、しばらく話した後に「河野はんおらんのか、よろしゅうな」と電話を切りました。
 そして、黙っている梶敏之さんに「裸の付き合いをしょうや」と上半身裸になり、梶さんも笑いながら裸になり、「名前何て言うの」と松本さんが聴くと、梶さんは「クックック」と笑いながら「カジ トシユキ」と言いました。「やっとしゃべってくれた」と松本さんも上機嫌でした。
 明くる日の朝、まだ寝床にいる私たちに「今日は神奈川青い芝の結成(?)年で、呼ばれてるから今から行くわ」と玄関からの逆光でシルエットから湯気のようなものが出ていました。というのも、その日は冬の寒い日で、八幡さんが「松本さん、昨日裸になって寒くなかったんですか?」と聞くと「何いうてんねん、寒くないはずないやろ、おかげで風邪ひいてしもたわ」…・。

 「松本さんが危篤やそうで、今から広島に行く」と、ゆめ風基金の橘高さんから電話をもらったとき、すぐにこのエピソードを思い出していました。
 去年、河野さんの通夜の時に、「喧嘩する相手がおらんようになって寂しい」と話された松本さんは、4月19日の「河野さんをしのぶ会」で牧口一二さんと対談する予定でした。急なことで、当日二人の写真の前で、似た者どおしの二人のエピソードで盛り上がったようでした。

 松本孝信さんが亡くなった同じ4月18日に妻の母親が亡くなり、わたしは河野さんをしのぶ会に参加はかないませんでした。

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いつだったかはっきり覚えていませんが1990年代はじめ、Fさんの結婚お祝いパーティーの時のキャベツ畑の厨房にて。
30年前ですから、みなさん若いです。
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