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2018.03.20 Tue 差別される立場にある障害者もまた、自分よりも小さな命を傷つけてしまう不条理を歌う 島津亜矢「命の別名」

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 大阪フェスティバルホールでの島津亜矢コンサートの続きです。
 マネージャーともう一人のチームスタツフの献身的なサポートで会場まわりを終えた後、どの曲をどの順番に歌ったのかおぼろげですが、記憶違いはお許し願い、気になった楽曲について書いていきます。
 熊本地震の被災者への祈りの後、熊本関連として「思い出宝箱」と「帰らんちゃよか」を歌い、星野哲郎関連で「海鳴りの詩」、「感謝状―母へのメッセージ」、そして、最近のオリジナルで「独楽」、「心」など…。
 先の記事でも書きましたが、最近のポップスでの音楽的冒険と座長公演が演歌・歌謡曲の歌唱に計り知れない影響を与えたのでしょう。とても丁寧に、大げさではないこぶしが微妙に入り、ぞくっとする低音、声量のある高音と、これはむずかしいと思うのですが声量を抑えた高音がひとり合唱というか、ひとりオーケストラのようにこだまします。それはまさしく「木霊(こだま)」や「言霊(ことだま)」で、会場全体が大きな船の中で、島津亜矢の歌は人魚の幻のようにわたしたちを「ここではないところ」、「日常ではない非日常」の至福の岸辺へといざなうのでした。
 「歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。」と阿久悠は言いましたが、大きな舞台でたったひとり、たった4分間のフィクションでいろいろな人生を語り、競馬の一レース分の時間で「生き急ぐ時代」を疾走する島津亜矢は、優れた作詞家や作曲家の壮大な夢を自分の肉体のすべてを使って表現するアクターで、対極にあるようなヒップホップダンサーに匹敵する身体表現を実現していると、わたしは思います。
 ともあれ演歌・歌謡曲の歌唱については、ポップス、ジャズ、シャンソン、リズム&ブルースなどいろいろな「他流試合」をへて何度目かの黄金期にある島津亜矢は、2020年の東京オリンピック以後の時代に必要とされる「新しい演歌」の第一人者になることでしょう。
 わたしはスポーツ観戦を嫌いではないし、とくにサッカーファンですが、スポーツ選手やスポーツファンが望んでいるようには東京オリンピックをすきではありません。とくに、それを「復興オリンピック」と名付けて推進する動きにはとても乗ることはできないだけでなく、あたかもオリンピック招致のプレゼンで「放射能はアンダーコントロール」と言い放ち、原発の再稼働をすすめるこの国が原発事故の被災者を置き去りにすることで、日本社会を分断し、格差を固定化する怖さを感じます。
 東日本大震災における福島原発事故による放射の汚染被害はチェルノブイリの例を見てもこれからが日本社会の解決不能の大きな問題になっていくと思っています。
 そして、世界も日本も今グローバルな好景気と浮かれていますが、確実に経済が悪くなっていると証言する人たちも多く、長いスタンスで見て1990年代からのJポップの潮流から少年少女のアイドルの使い捨てを経て、新しい困難な時代の写し鏡としての歌謡曲、そして時代を変え時代をつくり、わたしたちに新しい生き方を指し示す歌謡曲が生まれる予感がします。その時、その誕生を最先端で受け止める歌手・島津亜矢もまた、新しく生まれ変わるとわたしは思います。

 2部の最初にドレス姿で歌った「命の別名」、「落陽」、「ローズ」は、まだまだ伸びしろのあるポップスの中ではほぼ完成した歌唱でした。「落陽」は吉田拓郎の名曲で、島津亜矢はさだまさしのカバーと同じ歌唱法というか、少し力を抜いてくだをまくような歌い方と言ったらいいのでしょうか、フォーク調の歌にはよく合っていると思います。
 「ローズ」は昨年の紅白歌合戦の歌唱曲です。ジャニス・ジョプリンをモデルにした同名の映画の主題歌で、主演のベット・ミドラーが歌い、日本でも数多くの歌手がカバーしています。その中で島津亜矢はもっとも自然に歌っていて、いわゆる名曲調の歌唱ではない淡々とした歌唱がベット・ミドラーを通したジャニス・ジョプリンの悲劇、歌うことと実人生で幸せになることが必ずしも一致しないことを感じさせました。もちろん、島津亜矢が幸せでないという意味では全くないのですが、時代もジャンルも違いますが、どこかジャニス・ジョプリンを思わせる島津亜矢自身の歌人生を思わせる歌唱でした。
 「命の別名」は1998年に発売された中島みゆきの35枚目のシングルで、同年に放映されたドラマ「聖者の行進」の主題歌として有名です。 「聖者の行進」は、1995年に知的障害者達が働く工場で国の雇用助成金をだましとったばかりか、日常に行われる彼女彼らへの暴力、性的虐待などが発覚した水戸事件をベースにした問題作でした。水戸事件の裁判は、警察・検察も知的障害者の証言が正確でないという理由で立件に消極的で、一部の詐欺・傷害罪のみの起訴にとどまり、その他の暴行・強姦については不起訴となったことから大きな社会問題となりました。
 障害者にかかわるドラマやドキュメンタリーが意味のない感動を仕組むことが、いわゆる「感動ポルノ」として障害当事者から厳しく批判されることがしはしばですが、このドラマでは実際の障害者差別・虐待事件を正確に描いたことで、一定の評価が得られたようです。
 中島みゆきはドラマの主題歌を作るとき、ドラマのテーマに沿いながらあと一歩踏み込み、ドラマが終わった後の社会や時代の風景を見させてくれる天才で、「地上の星」では高度経済成長を支えた人々の苦難の後の栄光をほめたたえながら、それでもなお脚光をあびることのないひとびとの寂寥感を歌いました。
 「聖者の行進」の主題歌「命の別名」は、「できない」障害者の悲哀を歌っているようにとらえることが多いように感じますが、わたしはまったくちがう印象を持ちます。この歌は健全者の目線でそういう立場に置かれている「障害者」からその健全者社会の理不尽さを射抜き、「石よ樹よ水よ 僕よりも 誰も傷つけぬ者たちよ 繰り返すあやまちを照らす灯をかざせ」と、すべての命と共生して生きる勇気を歌っているように思うのです。
 とくに差別される立場にある障害者もまた、自分よりも小さな命を傷つけてしまう不条理を歌うこの歌は、障害のある友だちとの少ない経験を持つわたしに、かわいそうでも優しくもない、当たり前の障害者がそれぞれの個性と言葉をもっていることをあらためて教えてくれるのでした。
 島津亜矢はその豊穣でせつないこの歌の物語を世間の障害者観に振り回されずに忠実に再現していて、中島みゆきもさぞかし喜んでいるのではないでしょうか。
 中島みゆきリスペクトコンサート「歌縁」で評判になったこの歌の歌唱もまた、島津亜矢のオリジナルカバー(わたしの造語です)の大切な一曲になったことに、あらためて感動しました。
 あと一曲、「一本刀土俵入り」はかつての歌謡名作シリーズよりもあっさりした演出でしたが、着流しの島津亜矢の潔い立ち姿は、今後もう少し芝居などで活かしてもらいたいと思いました。特別な思い入れのあるこの曲については以前に書いた記事をご案内するにとどめ、コンサートの感想はこれで終わりとします。
 録画してある音楽番組の歌唱について書くのが追いつけないまま、3月29日のTBSの音楽フェス「UTAGE」ではケミストリーの川畑要とコブクロの「桜」を歌うと聴き、昨年のケミストリーの相方である堂珍嘉邦とのコラボの高評価から今度は川畑要とのコラボと、少しずつこの番組の常連になりつつあることがとてもうれしく、放送が楽しみです。

島津亜矢「一本刀土俵入り」と長谷川伸(2011年5月23日の記事)

島津亜矢「命の別名」(中島みゆき・歌縁2017東京)

島津亜矢「一本刀土俵入り」(2013年)


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