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2017.12.18 Mon 「難破船は中森明菜の復活を願う祈りの歌 島津亜矢「SINGER4」

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 紅白歌合戦で島津亜矢が何を歌うのか、NHKが何を歌わせるのか、ファンの間では様々な予想が沸騰しています。
 わたしは本来、島津亜矢が紅白に出演してもしなくても、それほど重く感じていません。というのも、島津亜矢という歌手の進む道がどうやら目先の人気では語ることができない彼女独自の新境地へとつながっていると思っているからです。
 16歳でデビューした島津亜矢は不運を引き受けざるを得ませんでした。ひとつは若くして群を抜く歌唱力と声量が絶賛される一方で、今までの予定調和的な演歌ファンから敬遠されるところもあったのではないでしょうか。
 そんな彼女にとってベテランの演歌歌手の存在にやや陰りが出てきたと同時に、島津亜矢のとてつもない才能が顕在化したというべきでしょうか、ふと周りを見ると年齢的には若いにもかかわらず、いつのまにか若手というよりは演歌界をけん引する存在になり、彼女につづく若い演歌歌手のために固く重いドアを開く役目を担わなければならなくなりました。
 わたしは今の演歌は実は1970年代にフォーク、ニューミュージック、Jポップへと歌謡曲が分裂した後に残されたジャンルで、今の形のままではいずれは消滅してしまうのではないかと深刻に思います。
 一方で没後10年という節目の年でもあり、たびたび阿久悠の特集が音楽番組に組み込まれたり、第一線で活躍する松本隆やシンガー・ソングライターの水野良樹などは作詞家が詞をつくり作曲家が曲をつくり、信頼すべき歌手が歌いこむという作り方への回帰を提案しています。その背景にはシンガー・ソングライターの自作自演はそのアーティストの世界観を表現するにはいいのですが、技術的にも内容的にも自分の歌いやすい歌ばかりになってしまい、閉塞感から抜け出せない現実があるからだと思います。
 くしくもヒップホップブームに先駆けてJポップの女王であり続けた安室奈美恵の引退、さらには今年の紅白に出場する竹原ピストルのようにアコースティックギター一本の弾き語り、中高年を励ます応援歌を歌うロックバンド・エレファントカシマシなど、1970年代の再来とまではいきませんが、大衆音楽のアナーキーなカオスの中から来るべき新しい歌謡曲ルネサンスがすぐそこまでやってきていると確信します。
 その時にこそ、島津亜矢がかつての美空ひばりのように大衆音楽の歌姫として来るべき時代を担うことになるでしょう。その時のためにも、目先の紅白出場だけにとらわれず、彼女の音楽的冒険を最大限に生かしたプロデュースを切望します。

 さて、「SINGER4」に収録された楽曲の中で、「YELL」に次ぐショックを受けたのは「難破船」でした。
 当初は正直、少し違和感を感じたのですが、何度も聴いているうちにカバーで歌うには最高難度のこの曲に、島津亜矢がカバーで終わらせない新しいいのちを吹き込んだと思いました。
 わたしは中森明菜が好きでこの歌もリアルによく聴いていました。この歌は加藤登紀子が1984年に発表し、その後加藤登紀子本人のすすめで1987年に中森明菜が歌ったとされます。
 1982年にデビューした中森明菜は同時代に人気を二分した松田聖子が明るく清純なイメージに対して、暗くてやや不良少女的なイメージを背負わされていました。
 わたしは美空ひばりと同じように、島津亜矢のカバーを聴いてから松田聖子のすばらしさを知った人間ですが、リアルな頃は断然明菜派でした。この歌い手さんは実はとても明るく純情で、世間やまわりの人が彼女に望むことを素直に受け入れようとする人だと思いました。そしてまた、結構早くから衣装や振り付けや楽曲にも自分の意見を言い、デビュー当のアイドルからアーティストへと変貌しました。
 「難破船」は中森明菜のベストヒット曲というわけではないのですが、ほかの歌とはまったくちがう、鬼気迫る歌唱が今も心に突き刺さります。
 原作者の加藤登紀子が歌うとこの恋は歌詞通りにすでに終わっていて、とても悲しく孤独でどうしようもない心の行方が見定まり、歌が語り部となって聴く者の追体験をも慰めてくれるようです。
 中森明菜の場合は、リアルな時も今も、わたしは心落ち着いて聴いていられません。イントロや間奏の間、彼女の目線の先に何があるのか、とても繊細でおどおどしているようで、つぶやくように歌う低い声とせつせつと歌う仕草は、どうしても歌の中の世界ではなく、彼女自身の心のありようがあふれ、身につまされてしまうのです。
 中森明菜の「難破船」ではまだ恋は完全に終わっていない、今まさに恋が彼女の目の前からかき消される瞬間で、彼女が歌い終わった時、ほんとうに恋は終わってしまうのでした。そこでは悲しみを通り過ぎた孤独が待っていて、彼女は心も体も命も削るように歌っています。その類まれな歌唱力と独特なステージパフォーマンスでファンを虜にしたスーパースター・中森明菜もまた、どこか不幸の影を身にまとい、時代に翻弄された歌姫でした。松田聖子が時代を恋人にした永遠のアイドルだとしたら、中森明菜は時代の愛人にされたマッチ売りの少女と言えるのかもしれません。
 くしくもこの歌が発表された2年後の1989年、当時交際をしていた近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし、中森明菜は芸能活動を約一年間休止します。その後、さまざまなバッシングや彼女自身の体調不良などで活動休止があり、テレビなどの音楽シーンには登場しなくなりました。
 島津亜矢の「難破船」は、オリジナルよりもかなりスローなテンポで、最初はほぼオリジナルを踏襲しているのですが、後半のサビあたりからすでに中森明菜の歌ではなく、島津亜矢の「難破船」になっていくのでした。
 島津亜矢の「難破船」は今まさにこの恋が終わったところで、悲しみと孤独は崩れ落ちるガラスのがれきのように冷たく光りながら彼女の心の行方をふさぐようです。
 これ以上立ち直れないところで彼女の歌は、わたしたち聴く者に届く前に彼女の心の中で泣き叫んでいます。わたしたちは彼女が思いっきり泣いた後に、それでも生きていってと背中を軽く押すことしかできません。
 島津亜矢は中森明菜の「難破船」が行き惑う荒海で、行き先をなくした恋心を粉々にする白い牙と黒い岩にぶつかり、とうとう座礁してしまうのを見守るように歌います。そこでは「難破船」という歌は中森明菜の復活を願っているような祈りの歌へと昇華しています。
 この歌の王道は、やはり加藤登紀子の挽歌か中森明菜の絶望的なつぶやきなのだと思いつつ、島津亜矢は「難破船」を祈りの歌として、新しくよみがえらせました。
 この曲に限らず島津亜矢のカバーは決してオリジナルから離れず、オリジナルを羅針盤にして船出するように歌いますが、オリジナルの航海を見届けたところから島津亜矢の「もうひとつのオリジナル」が、カバー曲に新しいいのちを吹き込み、よみがえらせます。
 「難破船」がその中でも最も高みにたどり着いたカバーとなったのは、ピアノ伴奏だけの編曲にし、自らピアノを演奏した吉田弥生の助けがあったからだと思われます。
 この組み合わせは「SINGER3」の「わかってほしい」以来だと思いますが、その時は一発同時録音で収録され、その緊張関係が素晴らしい演奏になったと記憶していますが、もしかすると「難破船」も同録だったのかもしれません。
ずいぶんゆっくりしたテンポといい、島津亜矢のボーカルと泣けそうなピアノの繊細な絡みが素晴らしく、説得力のある歌唱につながったのでしょう。
 「SINGER4」には刺激的な歌が多く、次回は「命の別名」について書いてみようと思います。

中森明菜「難破船」作詩&作曲・加藤登紀子

加藤登紀子「難破船」 
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