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2017.11.02 Thu 水野良樹は平成の阿久悠。島津亜矢「SINGER4」・「YELL」

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 10月29日のNHK-BS放送「新BS日本のうた」に、島津亜矢が出演しました。この日は久しぶりに出演した北島三郎特集で、島津亜矢は山内恵介と共に司会も担当しました。81歳の北島三郎は音楽番組に出演することが少なくなりましたが、生涯現役の気構えは衰えず、この日もその歌魂を存分に発揮しただけでなく、若い歌手たちひとりひとりを温かく見守る姿に会場のお客さんはもちろん、テレビ画面を通して観ていたわたしも思わず涙がこぼれました。
 島津亜矢はおそらく言葉にならない思いで心の中をいっぱいにして、涙を流しながらも番組から与えられた役割を越えた自分自身に課した使命感で司会をつとめました。
 歌の方もソロで「なみだ船」、「川」を熱唱しました。それに加えて私が感動したのは北島三郎と大江裕と「北の漁場」を歌った時でした。北島三郎を師と仰ぎ、苦難の道のりを歩んできた彼女は、若い頃はあこがれの北島三郎の胸を借りて思い切り絶唱していたのですが、今回の放送では恩師星野哲郎とともに見守ってくれた北島三郎に恩返しをするように、こみ上げる涙を胸で押さえながらの熱唱でした。

 本題に入り、「SINGER4」に収録された15曲の中から、まずはわたしが島津亜矢にいちばん歌ってほしいと思っていた「YELL」について書こうと思います。
 わたしはジャンルを問わず星の数よりも多い有史以来の歌をつなぎ、今生きているわたしに届けられる壮大な叙事詩・「にんげんのものがたり」の歌があるとすれば、島津亜矢はその歌を歌える数少ない歌手の一人だと思っています。
 今は死語と化したかもしれない「純なる無垢のたましい」から発する稀有の声質と歌唱力、心のひだの底からかすかに聞こえる叫び、「もし明日世界が滅びるかもしれない」夜の闇でそれでも歌い続ける希望の歌、有史以来歌い継がれてきた切なくも心震える民衆のための民衆の歌…。
 歌うことの宿命を背負い、数々の苦難を乗り越えて彼女が歌うべき、歌い残すべき歌を待ち続ける歌手・島津亜矢は貪欲に歌と出会い、音楽的野心を燃やしながらいろいろな人と出会うことを求めてやめない歌手人生をまっとうすることでしょう。
  「YELL」は「いきものがかり」の水野良樹が2009年のNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲として依頼され、作詞・作曲したものです。当初は元気なアップテンポの曲を依頼されたのですが、水野良樹は15歳の頃の深く思い悩んでいた自分を思い返し、アップテンポの曲とは別にもう1曲を制作しました。それが「YELL」で、最終的にこの曲が課題曲に採用されたということです。
 「いきものがかり」は2006年に「SAKURA」でメジャー・デビューした時からずっと好きなグループでした。その頃も今も、Jポップが若者たちの電脳空間の中かライブ会場の高揚した空間の中でのみ共振し、音楽や歌がその閉鎖された空間の外にある街中に広がることのないまま次々とヒット曲が入れ替わっていくのに絶望していた時でした。
 「いきものがかり」の歌は若者らしいエッジの利いた歌でもなく、Jポップのクールなシーンとは縁遠く、若者たちの「音楽のための音楽」ではなく、その外にある街中に溶け込む歌を歌い続けてきました。
 狭い意味のJポップではなく、歌謡曲といった方がいいその歌は同世代の若者には受け入れられないのではないかと思いましたが、なんと若者たちから圧倒的な支持を得ただけでなく、その後のNHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」のヒットで幅広い年齢層の支持を獲得しました。
 水野良樹は、音楽好きなひとにだけ通じる歌ではなく、昔の歌謡曲のように街の中で誰がつくったのか気にもされないのに多くの人が口ずさむ曲をつくりたいと話しています。
 路上ライブで通りすがりの人の足を止めさせるために、歌い始めの一節にその歌のすべてを表現する彼は、平成の「阿久悠」といってもいいかもしれません。
 事実、先日NHK-ETV特集「いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話」で、「混沌とした時代に、いろんな人がいろんな正義を言って戦いあっていて、歌に自分の思いを込めるとか自分の考えをこめるとか、そんな単純な考え方だけで分かり合えないひとと分かり合うことができるのか、もっと別の違ったやり方があるのではないか…」と自分の歌づくりの在り方を模索しているといいます。
 そして、いしわたり淳治、糸井重里、小西良太郎、飯田久彦、秋元康にインタビューし、1970年代に時代の飢餓感を受け止め、歌によって時代を変えることができると信じ、数々の名曲を生み出した阿久悠の駆け抜けた道をたどりました。
 水野良樹はJポップ世代ながら、歌は巷にながれてこそ時代を変える力を持つことを阿久悠に学び、新しい時代の「歌謡曲ルネッサンス」をけん引するソングライターへと大きく進化することでしょう。
 わたしは島津亜矢のオリジナルが今までのセオリーにとらわれず、Jポップの分野で歌謡曲をめざす水野良樹に曲作りを依頼できたらと思ってきました。たとえば小椋佳が美空ひばりと出会うことで「函館山から」というワールドミュージックをつくったように、水野良樹もまた島津亜矢との出会いから新しい歌づくりの道を探してもらいたいと思います。
 さて、「YELL」ですが、わたしは水野良樹がつくった歌の中で一番好きな歌です。

「“わたしは”今 どこに在るの」と 踏みしめた足跡を何度も見つめ返す
枯葉を抱き 秋めく窓辺に かじかんだ指先で 夢を描いた

 15歳の少年少女にとって秋から冬の季節は、新しい出発への夢と別れの切なさが交錯する季節で、卒業ソングとして数々の歌がつくられました。
 わたしの15歳のころはなんといっても舟木一夫の「高校三年生」でした。中学と高校のちがいはありますが、この歌は別れの寂しさよりも新しい未来を讃えあう応援歌でした。というのも、この歌は高度経済成長のただ中で成長と豊かさの神話に包まれ、いろいろな問題をすべて経済成長で吹き飛ばす時代の夢と希望にあふれた歌でした。
 時代は変わり、「YELL」では彼女たち彼たちを待つ未来が明るいとは言い難く、「高校三年生」のような青春群像ではあり得ない孤独な夢へと歩く、ひとりひとりの過酷な未来に戸惑う心を歌っています。その時、共に過ごした日々の友情は未来に向かうための後押しになりつつも、「いつかまた巡り合う」その日が来るかどうかはわからず、ありのままの弱さと向き合う強さを持って生きることに誇りを持つ、切ない別れの決意が歌われています。

サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL

 こんな厳しい別れしか少年少女たちに用意できない時代をわたしたちは生きているのだと胸が痛みます。
 島津亜矢と水野良樹は出自も歩んできた音楽的冒険も違いますが、孤独を抱きしめ、悲しみを歌えるアーティストとして今、二人の道が交錯しようとしているのではないでしょうか。実際、島津亜矢の「YELL」はオリジナルの吉岡聖恵よりもさらに歌の気配を隠し、孤独を抱え立ち止まる15歳の青春を見事に再現していると思います。
 わたしは「いきものがかり」と島津亜矢には特別な思いを持っています。
 というのも、わたしがブログを書くきっかけになった高校時代からの親友だった加門君が肺がんを患い、入院した時に何かCDを持って来ようと思い、「いきものがかり」はどうかと聞くと、「細谷、島津亜矢を持ってきてくれ」と言われたのでした。
 わたしが島津亜矢のファンになったきっかけをつくってくれた加門君は、一年後に亡くなりました。わたしは15歳の別れには未来があるけれど、死に別れてしまった友におくる「YELL」はないとその時思っていました。
 しかしながら、それからずいぶん時がたち70歳になったわたしは、この歌は生き残ったわたし自身におくってくれた「YELL」なのだとわかったのでした。
 まだ30代の水野良樹が40年も長く生きているわたしにこの歌をおくってくれたのだとしたら、彼が稀有の才能を持ったソングライターであるだけでなく、歌そのものが力をもっているのだとあらためて思うのです。
 1970年代の阿久悠が時代と格闘したように、水野良樹が電脳空間の外側のちまたに届ける心の物語を、時代を耕す島津亜矢のためにつくってくれることを願ってやみません。

いきものがかり「Yell」 Live Yokohama 2015
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