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2017.03.13 Mon 震災6年、復興神話から目覚め、原発を止め、新しい日本の未来を。

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 東日本大震災から6年が過ぎました。この時期に報道される震災関連のニュースは6年目に入り、基調としては震災の傷跡が町にも人々の心にも深く残り、決して癒されるものではないとしながらも、一方で悲しみと絶望を乗り越えて力強い復興の道を進む被災地各地の未来への希望を語り、強調することがめっきり多くなりました。
 もちろん、破壊された町が復興していくのも真実で、6年という時はその道筋をつくるのに一定の役割を果たしたことは間違いないのでしょう。
 しかしながら、町が復興していく姿や被災地の人々の暮らしが再建されていく報道が流れるたびに、復興や再建を可能にできるひとと、それが難しいひととの間の分断や格差がはっきりと姿を現したのではないでしょうか。本当は発災直後からの「助け合い」や「絆」が叫ばれる影にも実はもともとあった経済格差や、震災後の再建を進められる人やもとの仕事に復帰できる人、新しい仕事に就ける人とそうでない人がいて、簡単に「被災者」とくくってしまうと問題を見逃すあやうさがありました。
 わたしは2011年から2015年まで、被災障害者を救援・支援する「ゆめ風基金」という基金団体の手伝いをしました。この団体はもともと阪神淡路大震災の時、全国の障害者団体が集まり、被災地の障害者を直接救援・支援しようと、故永六輔さんに呼びかけ人代表になっていただき、全国から寄せられた基金により、障害者の生活を再建する活動を始めました。その後、度重なる地震、風水害で生活の拠点が壊されてしまった障害者団体の再建にとどまらず、被災地の障害者団体が被災障害者の情報を集め、被災者ひとりひとりの生活を再生する活動を続けてきました。
 そして、東日本大震災という未曽有の困難に直面し、救援からも再建からも取り残される障害者の救援支援活動を続け、十分ではないにしても被災各地の障害者の生活拠点の再建に一定以上の成果を上げてきました。
 しかしながら、震災前までは家族に支えられる形で生きてきた障害者を襲ったのは支えてくれていた家族の死や、彼女たち彼たちのいのちの基盤であった家族の崩壊でした。
 家族介護をあてにした福祉サービスの貧しさを家族の絆という言葉で隠してきた日本の福祉制度を裏付ける東北地方における障害者を取り巻く現実は、過酷としか言いようがありません。
震災から6年、被災地の障害者にとって2017年は震災によって奪われた生活の基盤を再建することではなく、震災前に障害を持つというだけで理不尽な生き方を強いられてきた過去から立ち上がり、ひとりの人間としてあたりまえに生きる権利を同じ志を持つ友人・仲間たちとともに獲得する困難な「たたかい」の出発の年であるのでしょう。
 21000人という犠牲者の数、12万人を越える避難者の数、34000人の仮設住宅生活者の数、どれをとっても想像をはるかに超える数字は、「復興」や「再建」が被災者はもとより、わたしたちの実感とは程遠いものと感じざるを得ません。
そんな状況なのに、マスコミが「復興」や「再建」に焦点を当て、わたしたちもまた明るく希望を語る声にほっとする話題を求めるのは、単に誰もが幸せであってほしいと願う純粋な気持ちからだけでなく、その裏にあって、できるだけ早く復興という名の幕引きをしようとする国の思惑が見え隠れしています。

 それがもっともはっきりとわかるのは、原発事故による避難指示区域の解除ではないでしょうか。福島県では今月31日に浪江、川俣町と飯舘村で、4月に富岡町で、居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されます。
 避難指示解除が「やっと帰れるようになりました。よかったですね」というものではないことは、まず解除の条件が年間の被ばく線量が20ミリシーベルト以下としていることからはっきりしています。この基準は国際的な基準である年間1ミリシーボルトという被爆線量を無視したものです。
 日本の農業や酪農をささえ、先祖代々守ってきた大地や山や川を原発事故による放射能汚染で壊され、自主避難した人は国の対処の遅れを補ってくれたと感謝されてもいいはずのところを勝手に避難したと見捨てられ、強制避難させられた人々もまた大切に育ててきた作物も乳牛もすべてを棄てて避難生活を余儀なくされました。
 そして今、「帰れますよ」ではなく、「帰りなさい」と言い、自主避難したひとたちの住宅提供を打ち切り、来年には賠償金の打ち切りをする国の仕打ちは、シリア難民に課せられたものと同じ困難を福島の人々に課すことだと思います。福島の豊饒な大地と文化を壊した原発を再稼働し、一方で原発難民を生み出す「棄民」政策は、そのまま沖縄の人々にも刃を向け、さらに大きく見れば被災者全員を自己責任で暮らしを取り戻せという、「脅し」の政治だとしか思えません。避難先を追われて懐かしいはずの故郷に帰ろうと思っても、すでに帰るべき「故郷」はひとびとの心の中に怒りと悲しみと絶望と共によどみ、あったはずのコミュニティも大地も遠いかなたにかすむだけで、こんな状態で故郷に帰れるはずもないのでしょう。
 いま、全国の避難された福島の人々、とくに子どもたちへのいじめ、差別によって自殺するところまで追い詰められ、許しがたい人権侵害として大きな社会問題となっています。
 しかしながら、その原因を風評被害とするのはとてもまちがっていると思います。
風評被害は年間1ミリシーボルト以下の被爆線量なのに福島の人々を傷つけ、福島の作物を買わない時に初めてそう言えるのではないでしょうか。
 それならば、どうすればいいのか、わたしは福島県にとどまらず、近隣の地や、さらに言えば日本の大地全体の汚染をわたしたちがひとしく引き受けざるを得ないのだと思うのです。そして、そんな悲惨なことを招いてしまった原発の再稼働などもってのほかで即刻廃止し、もしエネルギー事情が本当に苦しくなるならば(わたしはそれは電力会社をはじめとする企業資本と国の喧伝の部分がかなりあると思っていますが)、それをわたしたちみんなで分かち合うことが、福島の人々の困難とほんとうにつながる一歩だと思います。
 そこから、はじめてこれまでとはちがうもうひとつの新しい暮らし、経済、文化、政治が始まり、あれだけの大きな代償を無駄にしない緩やかで柔らかく、成長することだけがすべてではない日本の未来の姿が垣間見えるように思うのです。
願わくばその未来の姿が、誰にとっても幸せでありますように…。
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