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2017.03.03 Fri 森友学園問題に想うこと

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 わたしは20代初めの頃、庄内の小さな工場で働いていました。庄内駅から名神高速道路と阪神高速道路の地下の工場に通う途中に問題の場所がありました。わたしが工場に通っていた1965年から22年の間、特に前半の10年は「輝かしい」高度経済成長の真っただ中にあり、この町があたかも日本の高度経済成長の負の部分をみているようでした。
 空港の騒音が鼓膜をゆらし、空港騒音保障でその頃ではまだ珍しかったエアコンの室外機が並び、防音の窓は閉めたまま、そして毎日といっていいほど人々が立ち退いた後のフェンス張りと「国有地」という看板が増えていきました。
文化住宅やアパートがひしめき合い、こちらも残業して帰るころ、スレート張りの土間で出前のうどんを食べる機械工場のひとびとは深夜近くまだ働いていたと思います。
 その時代の野田町という町はそれでもほかの庄内地区と同じように子どもたちの歓声にあふれ、せつなくも活気ある町でした。
いま、森友学園問題でテレビに映る「瑞穂の國記念小學院」を建設中の土地から掘り出されるごみは、かつてここで暮らしていた家族や、町工場で12時間働いていたひとびとの切ない夢の残骸なのだと思います。地上げ屋と変わらない国が文句のあるやつは出て行けと追い出し、半世紀の間封印してきた人々の切ない夢や希望や絶望の記憶は、めぐりめくってこの地を利権の草刈り場にしようとする国や大阪府や政治家や利権教育ビジネスへのしっぺ返しとして、魑魅魍魎のようによみがえったのだと思います。
 思えば国の所有となったこの土地のどこを掘り起こしても、なんの未練も躊躇もなく問答無用で踏みにじられ捨てられた無数の記憶があふれ出ることでしょう。
 「学校」という、子どもたちと日々接する、ある意味もっとも危険な場所、もっともデリケートに子どもたちの未来を子どもたち自身によって獲得することのむずしかしさを感じなければならない場所、大人が大人の都合で子どもたちの未来を決めてはならないことを肝に銘じなければならない場所を踏みにじる利権教育ビジネスに退場していただくのはもちろん、高度経済成長に翻弄されたこの土地の切ない記憶をわたしたちの記憶としてもう一度振り返らなければと思います。

森友学園(大阪市淀川区)と大阪・豊中の国有地 情報集約
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