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2016.08.23 Tue 島津亜矢「糸」と、親友K君の思い出 

島津亜矢「syinger3}

 今年のお盆はプライベートに小さな事件があったり、8日に大腸検査をした後あまり体調もよくない日が続いたりと、何かと落ち着きませんでした。
 もっとも、昨年は働いていた基金団体の大きなイベントでお盆どころでなかったものの、いままでは働いていましたので世間と同じ「盆休み」がありました。
 仕事をやめて一年がたち、今年はじめて「盆休み」ではないお盆だったこともとまどった一因だったかもしれません。その意味では今年はじめて、今は亡き人たちを迎え、また送るという「お盆」の儀式がわたし自身のものになったのかもしれません。

 夢を見ました。親友だったK君の夢でした。2009年になくなったK君はわたしに島津亜矢を教えてくれたひとでした。
 暗い3年間をくぐり抜けた高校時代、数少ない友人の支えで何とか卒業したわたしでしたが、一人で暮らしていく勇気がなく、卒業と同時に友人2人と共同生活を始めました。そのうちの一人がK君でした。
 わたしは「隠れ家」を探していたのだと思います。その後一度は一人暮らしをしますがすぐにK君をふくむ6人で共同生活をはじめました。6人の暮らしは今でいうシェアハウスをみすぼらしくしたもので、生活費を削りながら、いつかは自分たちで共同事業を始めたいという甘い夢をみていたのでした。そして、世間に吹き荒れた70年安保闘争の終焉と時を同じくして共同生活は終わり6人はばらばらになりましたが、K君との友情は途切れませんでした。
 1970年、わたしとK君は妻の父親の会社に就職しました。彼は後年ベトナム難民の受け入れを会社に働きかけた関係で、ベトナムの合弁会社の経営に力を尽くしました。
 2008年暮れ、ベトナムでの健康診断で肺がんが見つかり翌2009年1月に帰国、大阪の病院に入院したと聞き、妻と見舞いに行きました。すでに末期で最先端の治療を受けましたが、甲斐なくその年の秋に逝ってしまいました。
 彼が入院しているときにCDを届けようと思い、何がいいか尋ねると、島津亜矢のCDを持ってきてくれと言いました。わたしは妻の母親と同居していて歌謡曲の音楽番組を見ていましたのでかろうじて島津亜矢を知ってはいましたが、なぜ演歌の中でもそれほど知られていない島津亜矢なのか不思議に思いました。
 彼が言うには、日本から遠く離れたベトナムでNHKの「歌謡コンサート」を見ていて、時々出演する島津亜矢の歌に心が震えたそうです。彼女の歌がどれだけ遠く深く異国で生きる日本人に届いているかを証明する話で、彼に導かれるようにわたしは島津亜矢のファンになったのでした。
 夢の中に現れたK君はとてもはっきりしていたので、びっくりしたわたしは「K君、どうしたんや、死んだんとちゃうんか」と訊くと、「いろいろあってな、別のところで生きてたんや」というのでした。そうか、よかったよかったと喜んだのもつかの間、夢から追い出され、身体を縮ませて号泣していました。やはり、盆なのでしょう。彼が逝って7年もたってこんなにはっきり言葉を交わしたのははじめてでした。
 2009年の紅白で「いきものがかり」は、「さよならは悲しいものじゃない、それぞれの夢へと僕らをつなぐYELL」と歌いました。わたしはこの歌が大好きですが、卒業していく中学生の背中を押す言葉ではあっても、死んでいったK君のことを思うと悲しくて到底歌えないと思っていました。
 しかしながら、死んでしまった友との友情もまた「僕らをつなぐYELL」であり、今もわたしに生きる勇気を届けてくれることを、夢の中のK君が教えてくれたのでした。 わたしが島津亜矢の魅力にとらわれてしまい、友人たちから「いつ飽きるかな」と言われながらますます深みにのめりこんでいくのも、K君との友情のおかげなのかもしれません。

 「SINGER3」について書くつもりが、前置きとは言えない長い前置きになってしまいました。このアルバムから何曲か取り上げ、感じたことや思い出を書くつもりでしたが、全15曲を順番に聴いてみて、中にはそこは個人的には違うかなと思う歌唱もありますがどの曲も素晴らしいので、長い短いはあるものの順番に書いていこうと思います。
 一曲目は「Saving All My Love For You」。ホイットニー・ヒーストンがカバーした曲で、妻子のいる男を愛してしまった女性の哀しさを歌った曲です。美しいメロディとホイットニーのとびぬけた歌唱力で大ヒットしました。
 島津亜矢はホイットニーの「I Will Always Love You」をカバーして大きな反響を呼びましたが、「Saving All My Love For You」も見事に歌っていて、島津亜矢のファンの方々に叱られますが、実人生で経験があるのかなと思わせるほどの説得力です。
 島津亜矢はホイットニー・ヒーストンがとても好きなのだと思います。ホイットニーが出た時、その圧倒的な歌唱力に世界中のひとびとが驚きと賛辞を贈りましたが、島津亜矢の場合は洋楽のバラードを歌うお手本の役目もしていたのかもしれません。
 ホイットニーの歌人生も実人生も華やかな頂点から不幸が重なり、悲しい死を遂げました。島津亜矢はホイットニーの歌だけでなく、その悲劇までも受け止める歌唱で、派手さはないもののじんわりと心にしみわたっていくような歌になっています。
 2曲目は前回書いた「ダンシング・オールナイト」、3曲目は中島みゆきの「糸」です。
 この曲は1992年、結婚のお祝いにつくられた曲で、その後数多くの歌手がカバーしています。
 この歌に限らず日常風景の小さな場面で、特に女性の心のひだや切ない心情を深い比喩で表現した詩と、どこか昔のはやり歌のような懐かしい曲調が響きあう中島みゆきの歌を聴くと、同時代の誰もたどりつけない新しい歌謡曲の鉱脈を掘り当てたような複雑な感情がわいてきます。
 振り返ると、阿久悠がその作詞を通して時代を表現するだけでなく、3分間の歌で時代を変え、時代をつくるために悪戦苦闘していた1970年代から出発した中島みゆきは、まさに時代の申し子として、阿久悠の野心を実現させたと言えるでしょう。
 個人的にはわたしはデビュー当時から1979年の「親愛なる友へ」、1980年の「生きていてもいいですか」の2つのアルバムの頃が大好きです。この頃はその才能は高く評価されたものの、暗い歌が多いと敬遠されるところもありました。それ以後シンガー・ソングライターとして、また数多くの歌手に楽曲を提供する作詞・作曲者として大ブレークした中島みゆきですが、わたしは華やかで明るい歌の歌詞や曲の中に70年代にあった暗さというか、時代をつらぬく傷のようなものが含まれていて、そこが彼女の楽曲の魅力でもあり、本人以外がカバー曲として歌いこなすのが難しいところでもあります。
 島津亜矢もまた知る人ぞ知る時代の申し子でもあり稀代のボーカリストとして、中島みゆきのカバーソングを好んで歌ってきました。「糸」は数多くの歌手が競って歌っていますが、わたしはほとんどの歌手が「絆」ソングとされる歌詞を表面的にとらえ、メロディの美しさに騙されて歌唱力だけを披露するのにとどまり、この歌の深さと暗さにまでは届いていないと感じています。
 さて、島津亜矢ですが「絆」ソング、癒しのバラードとしてだけではなく、中島みゆきの「怖さ」や「鬼気」までも受け止めて、この歌のもっとも深い所から歌っています。ただそれが少し行き過ぎて、2番の歌唱では出自である演歌のうなりを入れてしまいましたが、わたしはそこもふつうに歌ったほうが良かったと思います。もっとも、この歌は2番の歌詞がもっとも深く、そのことを知っているからこそ思わずうなってしまったのかもしれません。
 ともあれ、中島みゆき本人が「オールナイトニッポン」で、Jポップの並みいるボーカリストのカバーを差し置き、わざわざ島津亜矢の「糸」をかけ、「このひとは景気がいいですよね。いいです。あの方の雰囲気好きですわ。」とコメントしたことで、島津亜矢の歌唱の素晴らしさが証明されたのではないでしょうか。やはり中島みゆきはこの歌を単なるバラードの名曲として歌われることに少し違和感を感じているのかもしれません。
 阿久悠が晩年に島津亜矢の歌唱力を認めていたことや、阿久悠にオリジナルを提供してもらうチャンスを逸したことを思い返し、島津亜矢のチームには中島みゆきに楽曲提供の依頼をしてもらいたいと強く思います。
 名実ともなうボーカリスト・島津亜矢の誕生がすぐそこまで来ている今、中島みゆきや宇多田ヒカル、桑田佳祐、小椋桂など、Jポップとは一線を画す歌の作り手による野心作を島津亜矢が歌えば、ほんとうのメガヒットが生まれる予感がします。

島津亜矢「糸」(中島みゆき オールナイトニッポンより 中島みゆきのコメントあり)

中島みゆき「糸」
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    身の回りに広がる現実を言葉で聞き取ることで、私たちの身体は安心を得る。そのような機構が人間の身体に備わっているとすれば、そこに現代の新聞、テレビ、あるいはインターネットがなりたっている、といえます。 拝読ブログ: 金のバド松友が持つ勝敗「超越し... 哲学はなぜ間違うのか - 2016.08.25 22:15