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2016.06.19 Sun 「わたしたちは勝ちたいのではありません。負けるわけには行かないのです」。三宅洋平とフレディ・マーキュリーと参議院選挙

三宅洋平

 参議院選挙を控えて、ここしばらく憲法のことや民主主義のことについての記事ばかりで、閉口されている読者もいらっしゃることと思います。今日はこれからシールズの街頭行動に参加し、21日には松井久子監督の「不思議なクニの憲法」を見に行くことになっていて、また昨日は自民党改憲草案の中でも9条よりもこわい「緊急事態条項」の学習会に行くなど、仕事をやめてからは暮らしとつながっている政治のことや憲法のことなどを考え、自分の考えを伝える活動を続けていて、このブログやフェイブックなどでも書いていくことになりました。
 曲がりなりにも友人とともに人生の長い時を越え、もうすぐ69才になる今、わたしの人生を空気のようにやさしくつつみ、支えてくれた憲法への恩返しと、次の世代に禍根をのこさないようにと、やや前のめりになっていることを承知しています。

 わたしはこのブログをはじめた5年前はできるだけ政治のことや選挙のことなどを記事にすることは控えめにしてきました。わたし自身、かつて何年間か大阪府の箕面市と豊中市の市会議員選挙のスタッフとして活動しましたが、選挙になると知り合いからはじめて会う人まで、極端に言えば投票用紙という一枚の紙きれに見えてしまうことに耐えられないこともありました。
 もとより、ひとそれぞれの生身の体と思いまどう豊かな心は、一枚の紙きれになんかにおさまるはずもないのです。
 それでも、わたしたちは「市民である前に市民になる運動」をせざるを得ない障害者の問題を通じて、だれもが当たり前の市民としてともに助け合って生きる街づくりをかかげ、箕面では障害者の友人を、豊中では全国初だったと思うのですが、車いすを利用する女性障害者を市議会に送り込んだのでした。
 そのころ、クイーンの「We Are the Champions」の歌詞の中の「I consider it a challenge before, the whole human race And I ain't gonna lose」を、わたしなりに「それは人類の歴史に対する最後の挑戦なのだ、だからわたしは負けるわけには行かないのだ」と訳し、わたしたちの選挙のキャッチフレーズのひとつにしました。
 「わたしたちは勝ちたいのではありません、負けるわけには行かない」のだと…。
 わたしはバイセクシャルでエイズでなくなってしまったフレディ・マーキュリーの心からの叫びを、障害者の運動をつづけるわたしたちへのエールととらえていたのでした。

 わたしは16年間働いた豊能障害者労働センターの活動を通して、1980年代のサッチャーイズム、レーガノミクス以降の市場原理主義・新自由主義と対決し、もうひとつの経済を育ててきた世界のさまざまな地域のさまざまな人々の活動を学びました。
 わたしたちは「それはきれいごとだ」とか「青臭い理想論」だといわれながらも、障害のある人もない人も共に働き、共に経営する事業で得たお金をみんなで分け合ってきました。たしかに貧乏で、昔も今も苦しいことや悲しいこともたくさんありますが、それ以上に助け合って暮らしていけることが何にも代えがたいものでした。
 いま、福祉予算や社会保障は聖域ではなく、財政再建のための削減が声高く叫ばれていますが、誤解を恐れずに言えばそもそも障害者が親元を離れなければならない時や高齢者が慣れ親しんだ家で住めなくなった時、本人が望まない場合でも居住施設に入ることが優先され、友人や仲間から切り離され孤立するためにたくさんのお金がつぎ込まれるのが福祉の充実になるのかと、ずっと考えてきました。
 わたしは豊能障害者労働センターでの日々の活動から、障害者が町で普通の市民として暮らし、障害のある人もない人も、男も女も性的マイノリティも、戸籍の書かれた文字によって理不尽な目に合う人もそうでない人も、大人も子供も、ひととひととが助け合い、物もお金も心さえも分かち合う「友情」を基盤にした「共に生きる社会」、「共に生きる福祉予算」こそが望まれ、少ないお金で多くの豊かさを作り出せることを実感していました。そんな思いから、このブログのタイトルを「恋する経済」とつけたのでした。

 3年前の参議院選挙では、東京都選挙区から立候補した山本たろうさんに呼応するように比例区で立候補した三宅洋平さんの選挙活動が日を追うにつれて大きく広がりました。ミュージシャンの彼は、街頭演説や街頭宣伝ではなく、音楽ライブをやる音響設備を携え、全国各地の仮のステージで語り続けました。
 「お前がひとり国会に行って何ができんのって? 何言ってんよ。俺が一人でやるんやないよね。俺を押し出したみんながやること。投票した人が公約したことができてなかったら、何かできることあったら手伝うよ、そういってくれるひとが俺の後ろにどれだけいるかが俺の政治力になるんよ。みんなで国会に行きましょうよ。」
 「何十万の人が家を失った原発事故の、たかだか2年ちょっと後に、平気でそれを外国に売って歩く国の国民にされてるから、それはいかん。ほんとうに、デモも嘆願も請願も陳情も院内交渉も官僚との交渉もみんなやったけど、全部持ち帰って検討するだったんだよ。」
 そして、残された最後の行動が参議院への立候補だったと語る三宅洋平さんのトーク(演説)と歌は彼の選挙スタッフもネット配信しましたが、それよりもその場に集まった人たちが同時にネット配信することで、彼が「選挙フェス」と呼ぶ各地の広場により多くの人たちが押し寄せるという形で多くの若者の心に響き、届いたのでした。
 わたしはたまたま東日本大震災に被災した障害者支援のための募金活動をしていた時に、一万円も募金してくれた若者から三宅洋平さんのことを教えてもらいました。
 失礼ながら動画を見るまでは少し浮ついたひとなのかなと思っていたのですが、とんでもない、このひとはほんものだと思いました。たしかに話している内容にすべて賛成というわけではないのですが、政治をふつうの言葉で語り続け、自分を特別な候補者として有権者にお願いするのではなく、聴衆も自分も一緒になって市民参加をとりもどそうという呼びかけに共感しました。
 わたしは三宅洋平さんの話を聞きながら、かつて西川きよしさんが選挙に出た時の演説や、国会での彼の質問に既成の政党の議員が失笑するたびにテレビ中継を見つめるおじいちゃんやおばあちゃんがより熱く西川さんを支持したことを思い出していました。西川さんもまた、政治を日常の言葉で語ってくれた人でした。
 日常の言葉で語られる三宅洋平さんの脱原発への必死な願いは、彼の語る事実に少しの間違いがあることを指摘する識者といわれるひとたちの批判よりも確かな真実として、ストレートにわたしの心にも届いたのでした。
 三宅洋平さんの語りはバブル崩壊後の失われた時代に生き、自分の人生にも世の中にも問題を感じながらもどうコミットすればいいのかわからないでいた数多くの若者の心を奮い立たせ、それを友達に伝えたいと思う必死さがツイッターや動画サイトへと情報をあふれさせたのだと思います。
 その結果は当選しなかったとはいえ、17万6000票という得票数に表れました。この得票数はもし彼が既成政党の候補者ならば当選していた数字です。もっとも、皮肉なことに既成政党の候補者だったらこんなに多くの得票数にはならなかったことでしょう。
三宅洋平さんが全国各地で何度も何度も語り、聴衆が圧倒的に賛同した言葉、「今までの政治の在り方ではだめだということを、時代はもう変わっていることをぼくたちは知ってしまったのだから、それを伝えにみんなで国会に行こう」というメッセージは、ネットとか若者文化という枠組みからあふれつづけ、すでに日本社会の地下水脈になっているのだと思います。
 どんなに強大な与党勢力が選挙で圧勝したとしても、議会の外で生まれ育つ魂のネットワークによる異議申し立てが大きなうねりとなることがあることを、ビロード革命といわれた民主化を実現したチェコや香港の雨傘革命、台湾のひまわり運動、そして日本のシールズなど、世界の民主主義は証言してきたのですから…。
 その意味では、奮闘努力の甲斐もなく、もしも今回の選挙の結果で改憲勢力が3分の2議席を取り、改憲へと一気に突っ走ろうとしても、それを跳ね返すチャンスはまだ残っていると思うのです。そのためにも今回の選挙を通して、どれだけ市民の手に民主主義を取り戻せるのか、単に議席数だけでなく、投票率と投票数に注目し、西川きよしさんではありませんが「小さなことをコツコツと」やれることをやり、悔いを悔いを残さないようにしたいと思うのです。
 わたしたちは勝ちたいのではなく、負けるわけにいかないのですから…。

三宅洋平

三宅洋平

【三宅洋平独演会】 2013.06.21 / 日本を僕ら色にちょっと染めたい

クイーン「"We Are the Champions」(アカペラ)
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