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2016.05.02 Mon 唐組「秘密の花園」・人さらいならぬ心さらい

唐組「秘密の花園」

 4月29日、大阪南天満公園で唐組の芝居「改訂の巻『秘密の花園』」を見ました。
 毎年この時期にやって来る唐組の芝居を観るのを楽しみにしていて、ふりかえるとはじめて観た状況劇場の「唐版 風の又三郎」が1974年でしたから、状況劇場解散後、1988年の唐組旗揚げをへて現在まで、40年以上も唐十郎の芝居を観てきたことになります。しかも、いつまでたってもどの芝居でもほとんど物語の展開すらわからず、なんのことやらさっぱりわからないまま薄汚れた紅テントの中に引きこまれるのでした。
 このひとの芝居はおどろおどろしく見えて実はとてもせつない純情な物語ばかりです。その時々の役者が時にはエロチックに、時には悲劇的に演じ、体の奥の奥からせり上がるセリフと諧謔に満ちた笑い、狭い舞台を縦横無尽にかけめぐる役者の肉体と肉体のぶつかりあい、それらすべてが一筋のか細い純情な物語を綴るのでした。
 姉と弟、兄と妹の近親相姦を越えた深い絆、孤独な少年の夢から立ち上る日本の暗闇、看護師の白衣に隠された陰謀と裏切り、何世紀もの夜を通りぬけてきた純愛…。
 ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、新聞の三面記事に仕組まれた悪意に満ちた世界に抗う少年少女の純愛で、その純愛は国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の歴史の暗闇に見捨てられた理不尽な出来事をよみがえらせるのですが、充満する紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わるとともに少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのでした。そして、芝居を見ているだけのはずのわたし自身も彼女たち彼たちの幻影と妄想とともに行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年のわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
 さて、今年の芝居は「改訂の巻『秘密の花園』」。1982年に下北沢の本多劇場の杮落とし公演として行われた伝説的な作品で、それから何度も再演され、「改訂版」とついたのは1998年に書き直したものらしいです。
 舞台は東京・日暮里。坂の多い、沼や森も在る謎めいた町。駅前には、漆の大木が一本。不用意に触った人はかぶれてしまう。古アパートに住むキャバレーホステスの一葉(いちよ)に、アキヨシは毎月、自分の給料を届けている。アキヨシは一葉にプラトニックな思いをいだいていた。夫の大貫もアキヨシの割込みを容認。奇妙な三角関係は二年続いている。一葉とアキヨシの「手を握るだけで妊娠してしまう純愛」は、生まれる前の港で契りをかわしたからだと信じている。「きっと一緒だよ、向うに着いてもきっとね」と。
 訪ねて来たアキヨシは、駅前まで実姉と一緒だったがはぐれてしまったと言い、漆の木にかぶれたらしいと腕を見せる。暫くすると、実は縁談話があり、関西に転勤しなくてはならない、と切り出すアキヨシ。一葉は、お幸せにねと言い残し、共同便所に消える。しかし、いつまで待っても戻らない。様子を見に行ったアキヨシは、首吊り自殺している一葉を見付けるのでした。
 戸口に一葉に瓜二つのアキヨシの実姉・双葉(もろは)が立っていたのが一幕の終わりだったか二幕の始まりだったかおぼえていませんが、幕間にブラームスの弦楽六重奏がかかかり、不思議にこの芝居のためにつくられたようにぴったり合っていて、悲しくて切なくて美しい旋律がこの純愛悲劇の結末を暗示します。
 「一葉さんの中に、私を見たんでしょ。」と突き放した様子で言う双葉。(一葉と双葉を藤井由紀さんが演じています。)姉の双葉と一葉が入れ替わり、アキヨシが人妻一葉と純情な三角関係をつづけなから、姉の双葉と兄弟以上の恋愛感情を持ち、ここでも奇妙な三角関係にあったことがわかります。
 このあたりから唐十郎の妄想に次ぐ妄想がビュンビュン飛び、死んだはずの一葉とアキヨシが洪水に乗じてボートに乗り、「生まれる前に結ばれていた向こう岸」に行こうとします。一葉の夫もまた生まれる前の二人の純情に加担するように応援してすぐに、このひともまた便所で首をつってしまいます。物語の向こうに行こうとする一葉とアキヨシと、そこに猥雑な悪巧みでそれを阻止しようとする連中とのどたばたは、夫の首吊りをきっかけに時間が止まり、向こう岸とこちらとの間に結界のように糸がひかれ、純愛をたどる物語はふたつにひきさかれてしまうのでした。
 暗転の後、やはり古いアパートの一室。姉はアキヨシの縁談をすすめようとしますが、アキヨシはそこをはなれようとしません。「森の中の古いアパートの一室、あの秘密の花園があったはず…」。
 やがて妄想なのか幻想なのか姉・双葉は一葉にすれかわり、純愛の指輪を菖蒲に通す間にと便所に行った一葉は戻ってこず、便所の扉を開けると漆の木が立っていた…。アキヨシにかかった魔法が解けたように紅テントが解体され、彼方に一葉が美しい横顔をアキヨシと観客に見せながら、夜の闇に消えていくのでした。
  「これはなんだ、さっぱりわからん」とお叱りを承知で物語をたどってみましたが、わたし自身冒頭に書いたように「さっぱりわからん」のです。それでも魅かれてしまうのは、時代が変わり、街がさまざまな厚化粧を繰り返してもこの街の地下に、この地面の下にいくつもの見えない穴があり、そこでは決して忘れない、わすれてはいけないもの、決して変わらない、変わってはいけないものにあふれていて、唐十郎はそれらの事件や歴史をいくつもの物語、芝居にしてよみがえらせてくれるからなのです。彼の脳内実験室で培養されたそれらのすべてといっていい物語の数々は、忘れたはずのわたしたちを温かく迎えてくれて、いつまでも笑いながら手を振ってくれるのでした。
 こうして唐組の紅テントの切ない旅は突然掻き消え、わたしはまた大阪の街の闇に心をさらわれてしまいました。南天満公園は明日の統一行動の後、街頭パレードの行き先のひとつで、明日わたしは消えてしまった紅テントのあった場所に見えない穴を探すことになるのですが、決してその穴は見つからない事でしょう。
 それにしてもこれがあの「秘密の花園」なのか、似ても似つかない物語のように見えながら、少年少女が10年も封印されていた秘密の花園を見つけ、おとなたちのサビのついた現実認識を越えて新しい世界をつくり出す姿はどこかこの芝居と通じるものがあり、強いて言えば「秘密の花園」はちょうどシールズをはじめとする若い人たち行方を照らしてくれそうなのに対して、唐十郎の「秘密の花園」は決してその行方が決して希望に満ちたものではないかもしれないことを示唆しているようにも思います。

唐組「ひみつの花園」

ブラームス:弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 Op.18 第2楽章
クラシックを知らないわたしは、亡くなってしまったKAさんと新宿梁山泊が演じる唐十郎の芝居を見に行った時、有名らしいクラシックが挿入されていて、彼女はすぐに「あれは・・・」と教えてくれました。そして、唐十郎の芝居の根底を支える文学や音楽、さらには歌謡曲まで幅ひろい憧憬の深さに触れるのも、唐十郎の芝居の楽しみのひとつだねと話したのを思い出します。
この芝居の場合も奥村チヨの「ごめんね…ジロー」と「岩崎ひろみの「すみれ色の涙」がブラームスと混ざり合い、なんとも甘酸っぱく切ない純愛物語に浸ってしまうのでした。
奥村チヨの「ごめんね…ジロー」
唐十郎の芝居で挿入される歌謡曲は芝居の水先案内人の役目を果たしていて、その時の時代の空気感を漂わせています。この歌も「秘密の花園」の純愛を彩る歌になっています。
岩崎宏美 「すみれ色の涙」
この歌の場合は「秘密の花園」の物語そのままに、当時の岩崎ひろみの清楚で一途な歌には少女のせつなくあわい恋心があふれ、年寄りの私の胸もキュンとなり、ろっ骨に涙が落ちるのでした。
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