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2016.04.18 Mon 島津亜矢「別れの一本杉」・新BS日本のうた

島津亜矢

 4月14日から続く熊本県を中心とする大地震で、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。また今も続く余震と言うには大きすぎるゆれの中、避難所や車の中で暗い夜を過ごされている11万人に達する方々の辛労辛苦は日が経つにつれて我慢の限界を超えてしまいそうな状況で、一日も早く普通の暮しに戻られることを祈ります。
4月17日は島津亜矢と水樹奈々をゲストに迎えたNHKのど自慢が愛媛の新居浜市で開かれましたが、地震の影響で生中継を中止し、公開録画として後日放送することになりました。わたしは水城奈々が島津亜矢に匹敵する歌唱力を持つことと出発点が演歌であったことなど、刺激し合える共通点をもっていることなどから以前から注目していました。そんなわけで今日のステージがどんな様子だったのか、後日の放送を楽しみにしています。
 一方、NHKBSプレミアムの「新BS日本のうた」のスペシャルステージに島津亜矢が水森かおりと共演しました。この番組は一か月前ぐらいに公開録画されたもので、会場におられたファンの方々から楽曲リストもふくめて報告を聞き、今日の放送を楽しみにしていました。
 水森かおりとのスペシャルステージは、島津亜矢がその5月にはじめて座長公演をした2012年の冬、愛媛県松山市での共演以来の2回目となります。この時の森山直太朗の「さくら」と「瞼の母」の熱唱は今も心に残っています。
 それからもう4年もたっているのかと、年とってからの時の立つ速さにびっくりしますが、ステージの二人はいつまでも若く初々しく、とくに島津亜矢がリラックスしていて、共演する水森かおりの人柄の良さに助けられているのがよくわかる、とても楽しいステージでした。水森かおりが「応援合戦」と言って島津亜矢が思わず話をそらしたほど、多少客席の応援が目立ったところがありましたが、それもまた2人をこよなく愛するゆえのことでしょう。
 最近はこの番組のスペシャルステージもバラエティ化していて、他の出演歌手が「お笑い」をとるように登場することが続いていましたが、今回は2人だけで競演する本来の構成で戦後すぐから1960年代までの歌謡曲をじっくりと聴かせてくれました。
 その中でまずは島津亜矢の「別れの一本杉」について書いてみようと思います。もちろん、「哀愁列車」、「岸壁の母」もすばらしい歌唱でしたが、これらの曲は以前に聴いていますが、「別れの一本杉」を歌っているのを聴いたことがありませんでした。

 「別れの一本杉」は春日八郎の数々のヒット曲の中でも彼の代表曲のひとつとなった名曲で、すでに多くの歌手がカバーしています。作詞は高野公男、作曲は船村徹で、大学在学中に知り合った二人が「新しい歌謡曲」をめざしたもののヒットに恵まれず、苦しい時代に夢を分け合い、かたい絆を育んだ友情は翌年に惜しくもなくなってしまった高野公男を悼み、映画にもなったほどです。
 1955年、高野公男と船村徹の新人コンビによる「別れの一本杉」の大ヒットは春日八郎を歌手としての地位を確固たるものにするのに貢献しただけでなく、まだ戦争の傷跡を色濃く残す古賀政男、服部良一の叙情歌謡やジャズ・ブルース歌謡から決別する様に、その後の高度経済成長を背景に農村から東京に出てきた若者たちの戸惑いや希望や絶望など切ない心情を歌う望郷歌謡の時代をつくりました。
 以前に船村徹の特集番組で船村徹が語っていました。モーツアルトやベートーベンなどクラシックの勉強をしていた船村徹に、「今を生きるひとびとの心情を歌い、ひとびとをはげます歌謡曲をいっしょにつくろう」と高野公男が誘ったのだそうです。そして世に出す道もないまま夜おそくまで歌づくりに明け暮れていた頃を時には涙を流しながら話していました。高野公男と船村徹の友情の深さは他人が推し量れるようなものではなく、わたしたちは彼らが孤高の淵からつくりあげた名曲に触れることしかできません。
 「おれは茨城弁で詩をつくるから、おまえは栃木弁で曲をつくれ」といった高野公男の名言から「別れの一本杉」は生まれたといいます。歌詞にある「一本杉の 石の地蔵さんのヨー 村はずれ」の一節に、「もっと栃木弁に」と言われてた書き直したというエピソードは、地方から東京に出てきた若者2人が彼ら自身も日本社会もすでに故郷を捨てることで「取り返しのつかない」未来がやってくることを予感していたことを物語っていると思います。都会的な雰囲気を持つ春日八郎がこの歌を歌うと、都会から牛追いの農村までの実際の距離以上に故郷との心の距離が増幅され、都会でうごめくひとびとの望郷の思いをより募らせたことでしょう。

友よ 土の中は寒いのだろうか 
友よ 土の中には 夜があるのだろうか
もしも 寒いのならば 俺のぬくもりを わけてあげたい
もしも 夜があるのならば 俺の手で灯りを ともしてやりたい
友よ 俺の高野よ こおろぎの よちよち登る
友の墓石
(昭和四十三年秋 船村徹)

 わたしは、島津亜矢が稀有の歌手であるのはその天性の声と並外れた歌唱力で、いつの時代にもぎっしり詰まっているその時代を生きたひとびとの悲鳴や叫びや悲しみや、時には怒りや絶望をいとおしくすくい上げ、傷ついたいくたの心を慰め癒す「希望の歌」を歌えるところにあると思ってきました。
 ですから、三橋美智也の「哀愁列車」や春日八郎の「別れの一本杉」など、1950年代から60年代の薄明るい時代、地方から都会への人口移動、出自や貧富など、高度経済成長の波にまぎれこみ、成長のひずみをのみこむ時代のうねりに翻弄されるひとびとの心情を歌った「昭和の歌謡曲」は島津亜矢のもっとも得意とするところです。
 島津亜矢が自分の生まれる前の時代の空気を感じ、その時代を生きた生々しい人間の心のひだを歌うことができるのは、歌がその時代の鏡であるだけではなく、時代を記憶する力をもっているからなのだと思います。そして、いくつかの歌が時代を越えて歌い継がれるのは、その歌の記憶を自分の心と体で感じ、体験する稀有の歌手がたしかにいるからで、島津亜矢はそんな時代の巫女になることができる数少ない歌手のひとりであると確信します。今回の放送で、彼女はそのことを証明してくれました。
 それにしても最近の彼女はやり過ぎにならないか心配するぐらいの複雑なテクニックで、この歌の一節一節を、言葉のひとつひとつをていねいに歌っていて、歌い切ってしまうことよりも聴く者の心に歌い残し、記憶させる歌唱力は見事です。いまだ進化の途上にあるのなら、これからの一日一年が彼女をどれだけの歌手に育てていくのか想像できません。
 6月の大阪新歌舞伎座の特別公演がますます楽しみになりました。ちなみに今回は早い段階で「ぴあ」はすでに売り切れで、新歌舞伎座で直接買うと千穐楽が取れました。すこしずつ島津亜矢がビッグになっていく予感があります。
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