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2011.05.19 Thu 新しいいのちが誕生することは大事件

 プライベートなことですが、今朝わたしの娘が男の子を出産しました。
 わたしの娘は1973年生まれで、今年の8月で38才になる高齢出産でした。

 わたしの娘が生まれたとき、わたしは会社員でごく普通の家庭だったのですが、1983年には妻が、1987年には私自身が豊能障害者労働センターの運動に参加し、二人とも夜遅くにならないと帰ってこない生活になってしまいました。そのため、家事のほとんどをまだ中学生だった娘がしてくれました。
 高校を出て短大に入ったのを機会に彼女は家を出て、いまわたしたちが同居している祖母の隣の家で2年間をすごすことになりました。
  短大を卒業後、彼女は社員食堂などを経営する会社に就職し、東京から茨城、福島と転勤した後、また大阪に帰って来ました。
それから今日まで介護派遣事業を仕事としてきましたが、働き仲間の夫さんと結婚しました。かれは車いすを利用する障害者ですが、車の運転ができるので島津亜矢を八尾に観に行ったときも、長渕剛を大阪城ホールに観に行った時も井上陽水を観に行った時も、いつも彼の車で連れて行ってもらっています。
 彼女は結婚するまでに、当然ながらいくつかの恋をして、その中にはつらい恋もあったようですが、わたしたち親には一言も打ち明けたことはありませんでした。東京や福島にいる時も、彼女の友だちでわたしとは働き仲間の女性から彼女の様子を教えてもらっていて、冷たい親だなと思ったりもしました。
何も事情を聞かない親でよかったと言ってくれた彼女の言葉が偽りとは思わないのですが、もっと親密な親子であってもよかったのかなとも思います。妻は昔のことを思い出して「なんてひどい親だったんだ」と、時々号泣しています。
そんな関係も彼女が結婚し、夫さんともつきあいはじめることで少しずつ関係がかわってきました。
娘が、子どもをほしがっていることも、やはり友だちから聞きました。長い間不妊治療を受けてきて、もうこれでだめなら終わりにしようと決めた最後にやっと成功し、出産できたのでした。
今日一日病院に行って赤ちゃんの顔を見たり娘と話をしたりしていると、つくづく新しいいのちが誕生することは大事件なんだと思いました。わたしは直接出産には立ち会わなかったのですが、本人はもとより、夫さんも母親であるわたしの妻も、その場に立ち会った人間はその大事件のただ中で、生れようとするいのちの力におどろきたじろぎ、感動したそうです。
 わたしは自分に孫ができたというように思うことはなくて、努力しても赤ちゃんが生まれない場合もたくさんあって、そのことで悲しい思いを持ち続けておられる方のことを思うと、そして娘たちもまたそうであったかも知れないと思うと、少し複雑な気持ちを持ちます。
 しかしながら、娘の赤ちゃんだけでなく一緒に並んだ数人の赤ちゃんが、いまほっとしたような安らかな眠りに抱かれている姿を見ると、ひとは誰でもこうして生まれてきたのだ、幸せになるために生まれてきたのだと実感します。
 そして、赤ちゃんが子どもに、子どもが大人になっていく中で「幸せになる権利」が奪われていくことはあってはならないのだと感じました。たとえば障害を持つことで、たとえば戸籍で、たとえば性別で…。
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