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2016.03.14 Mon 絡まった心の糸を解く、小椋佳の歌と語らい。歌紡ぎ「闌(たけなわ)の会」

小椋佳

 3月13日、能勢の淨るりシアターで小椋佳のコンサートがあり、娘の夫と友人と4人で行きました。2年前に大阪フェスティバルホールにやはり娘の夫と行きましたが、リニューアルしてからはじめてのフェス体験で、さすがに音はすばらしいものでした。会場内に広がる適度な残響がすべての音をしっかりと際立たせていて、中央にすわったままで淡々と歌い語る小椋佳にはぴったりという感じでした。
 その年の9月にNHKホールで開かれた「生前葬コンサート」では4日間で100曲を歌い上げ、テレビでも放送され、反響を呼んだことを思い出します。

 幕が上がるとキーボード、ベース、琵琶、ウクライナの民族楽器バンドゥーラの4人のシンプルな構成で演奏が始まりました。ごめんなさい、後方のキーボードとベースの奏者の名前を聞き逃してしまいましたが、前方の舞台左手は小椋佳の息子さんの連れ合いで琵琶奏者の神田亜矢子、右手にはバンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーでした。わたしはバンドゥーラという楽器をはじめて知りましたが、60弦もあるハープに近い楽器でとても自然で柔らかく、どこかなつかしい音色でした。
 そして、小椋佳が登場し、デビューアルバム「青春 ~砂漠の少年」の中の「潮騒の詩」からコンサートが始まりました。
 先ほども少し書きましたが、小椋佳の演奏スタイルは大きなバンド構成でも今回のような小さな構成でも変わらず、舞台中央の椅子に座り、一曲ずつのはじめと終わりにマイクをずらして頭を下げ、それからまたマイクを中央にして歌い、語るというスタイルを始めから終わりまで変えません。観客であるわたしたちは彼が舞台に登場する時と退場する時しか立ち姿も歩く姿もみることができません。
 たしかにすでに72歳になる彼が歌って踊るどころか立って歌うこともままならないのかなとも思いますが、ほんとうはそれだけではなく小椋佳の場合はコンサートという形態ではなく、どこか演劇の舞台裏のような、または脚本の読み合わせのようでもあり、さらに思うには彼の心の舞台裏で演劇でもなくミュージカルでもなく、もちろんコンサートでもない不思議な空間に迷い込む官能的な体験をさせてくれるのでした。
 その不思議なステージがどこから来るのかと調べたところ、ずいぶん前からミュージカルのブロデュースや楽曲をしてきたことを知りました。そして、もしかするとそのきっかけになったのが東京キッドブラザースの今は亡き東由多加との出会いだったことを、今回のコンサートではじめて知りました。
 東由多加といえば、寺山修司が劇団・天井桟敷を結成した時の最初のメンバーで、天井桟敷の初期の2作を演出した後、1969年に東京キッドブラザーズを結成しました。当初はアメリカからやってきた「ヘアー」に感化されロックミュージカルを上演していましたが、1970年代半ばからずいぶん長い間小椋佳が音楽を担当していたようです。
 小椋佳もまた寺山修司との出会いから音楽活動をはじめたこともあり、そのあたりでつながって行ったのでしょう。東由多加は「ぼくのミュージカルに影響を与えたものが二つある。ひとつはミュージカル『ヘアー』、そしてもうひとつ、それが小椋佳の音楽であった」と証言しています。事実、この劇団を語る上で下田逸郎とともに小椋佳の曲は切っても切れないものだったようです。
 今回のコンサートは2013年に発表した「闌(たけなわ)」にちなんで「歌紡ぎ『闌の会』」というタイトルで、アルバム「闌」に収録されている歌を何曲か歌いましたが、その中で「このアルバムは新曲ばかりを収録しましたが、ただ一曲、どうしても入れたい一曲があった」と紹介したのが「次の街へ」でした。1978年に上演された東京キッドブラザースのミュージカル「失われた藍の色」で歌われた曲で、この曲をふくめてすべての歌を小椋佳がつくったということでした。
初めはしろ 次に青、ころがっていた愛(藍)
赤く燃えて燃え尽きて灰色、そしていつかどろどろ 見失った愛の色
たったひとつの言葉で傷つくこともあれば
たったひとつの愛で生き残ることもある   (「次の街へ」)

 この歌を聴いていて、初期に世間一般にはニューミュージックのジャンルの中に収められていた小椋佳がひとつのジャンルにはおさまりきれない多彩な才能にあふれていたことや、彼の歌作りのルーツに演劇的なにおいが漂っていたことが伺いしれて、とても心が揺さぶられました。そして、はるか遠く青い時に大阪府豊中市の庄内駅近くにあった「ダイエー」の野外の特設売り場で小椋佳のデビューアルバム「青春 ~砂漠の少年」を発見し、当時は三上寛にはまっていたにも関わらず、どこか同じ匂いを感じたことを思いだしていました。
 琵琶奏者の神田亜矢子による「愛しき日々」の琵琶節や、バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーに小椋佳が提供した歌(題名を忘れてしまいました)も、そしてこの二人を登場人物とし、小椋佳が語る「おとぎばなし」も、後から振り返ってみるとこのコンサート自体が一幕物の芝居のようでした。

 それにもまして、やはり小椋佳の一番の魅力は詩にあるのではないでしょうか。「山河」や「函館山から」など数えきれない歌になった彼の言葉にある繊細な心の動きの背後には、時代の空気が隠れています。今回のコンサートでも「潮騒の詩」、「愛しき日々」、別の詩をつけて歌った「さらば青春」など、言葉そのものが薄明い光を放ち、せつなくもなつかしく戻らぬ時が残していった青春のかけらを拾い集める独特の抒情を歌ってくれました。
 デビュー曲ですでに「失くしてしまった時」を歌い、はるか遠くに逝ってしまった青春を歌ってしまった小椋佳は、それからずいぶん長い年月をかけてその失われた青春を取り返しのつかない時代の叙事詩へと書き換えてきたのだと思います。
青春の夢にあこがれもせずに、青春の光を追いかけもせずに、
流れていった時よ、果てしない海へ
消えた僕の若い力、呼んでみたい  (「潮騒の詩」)

 小椋佳は2000曲もの歌を世に出し、300人の歌い手さんに歌を提供したということで、もう歌づくりにくたびれたと言いましたが、わたしは今でも島津亜矢のためにこれぞ小椋佳という一曲をつくってくれたらと願っています。最近島津亜矢はまた小椋佳が提供した「歌路はるかに」をコンサートで歌っているようです。この曲はもっと注目されてもいい名曲で、彼女にとってもわたしたちファンにとっても、そして日本の音楽シーンにとっても貴重な曲として後世に歌い継がれる曲になるはずです。
 その上で、過ぎ去った青い時と時代の移り変わり、そして春夏秋冬の日本の大地と海と空を薄明るい幻燈のように映し出すような、小椋佳の世界を島津亜矢に歌ってほしいと思うのです。

 島津亜矢が体調を崩し、ようやく回復に向かっているというニュースを知りました。昨年の秋からずっと忙しくしていて、その上にコンサートの数も減らさずアクセルを踏みっぱなしだったと思います。少しゆっくりしてほしいと思いますが、それは誰もがいうことですし、本人をはじめこのチーム全体がよくわかっていることでしょうから、ただただ元気になってくれることを祈るばかりです。



小椋佳「しおさいの詩」 

東京キッドブラザース 「失われた藍の色」 ・「次の街へ」小椋佳作詞作曲

過去の記事 2012.12.31 Mon 島津亜矢の「函館山から」・「BS日本のうた7」その1

島津亜矢「函館山から」
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