ホーム > 音楽 > 島津亜矢 > 島津亜矢と紅白 「帰らんちゃよか」

2015.12.28 Mon 島津亜矢と紅白 「帰らんちゃよか」

 島津亜矢が紅白歌合戦で「帰らんちゃよか」を歌います。
 30周年記念曲の「独楽」が日本作詩大賞のグランプリに輝いたことから、わたしもふくめてファンの間では「独楽」に決まったものと思っていましたので、意外な選曲でした。
 わたしは実は「独楽」だと、もしフルコーラスでなかったら歌っている時間が短いので、もう少し歌唱時間が長い歌の方が良いのではと思っていたのですが、そんなわたしでも作詞大賞受賞後は「独楽」以外に考えられませんでした。それは、島津亜矢のチームは信義に熱く、また演歌の王道ともいえるこの曲が作詞大賞受賞後またCDの売上も好調のようですので、歌の選曲がNHKとの間でどのように決まるのか知る由もありませんが、「独楽」を歌うのが順当なところかなと思っていたのでした。
 「帰らんちゃよか」を歌うことになり、作詞大賞を受賞された久仁京介氏には申し訳ないのかも知れませんが、この歌は演歌というよりはフォークソングに近く、島津亜矢の歌を聴いたことがない人たちに彼女の存在を知ってもらうにはよかったのかも知れません。
 そして、良かったことも悪かったことも過ぎ去った一年をふりかえり、新しい年を迎える心の準備をする大晦日の夜、中には離れ離れの家族を思いひとり正月を迎えようとしているかも知れない大晦日の夜、聴こえてくるこの歌は誰にとっても心にしみる歌なのではないかと思いますし、それが紅白の演出意図でもあるのでしょう。
 わたしは「帰らんちゃよか」についてこのブログで2回ほど記事にしました。くわしくはその記事を読んでいただければ幸いですが、ここで少し採録させていただきます。

「今や方言だけが人生を語れる」と言ったのは寺山修司ですが、島津亜矢が歌う熊本弁の歌詞のこの歌からは、帰るべき故郷はすでになく、都会もまた憧れの地ではなくなりつつある時代の悲鳴が聞こえてきます。その悲鳴にかき消されそうになりながら、「帰らんちゃよか、お前の思った通りに生きたらよか」と言うその言葉の裏に迫りくる老いを受け入れ、一生懸命に生きようとする父親の心情も…。
 この歌が聴く者の心の最も柔らかい場所にまで届き、多くの人々が涙を流し、時には島津亜矢自身が歌いながら涙を流してしまうのは、歌手になるために東京に行く彼女と母親を送り出してくれた彼女自身の父親への思いが込められているからなのでしょう。
                       (2013.09.16 Mon 島津亜矢「帰らんちゃよか」)

 しかしながら、さらに20年が過ぎた今、ふりかえるとその間に2001年の同時多発テロ、2011年の東日本大災害を経験し、世界も日本もすでに「帰らんちゃよか」と言ってくれる人がいた「ふるさと」をなくしつつあるのではないかと思います。とくに福島の原発事故は、福島で暮らしてきたひとびとにとどまらず、わたしたちひとりひとりの暮らしの基盤がとても脆弱であることを教えてくれただけでなく、政治的にも経済的にも文化的にも、日本社会全体が「帰るべきふるさと」を喪失してしまったのではないかと心配になります。
        (2014.10.09 Thu 島津亜矢「帰らんちゃよか」・10月7日歌謡コンサート)

 わたし自身、大阪府の北端の能勢町に引っ越して4年半が過ぎましたが、この町は大阪府の中で消滅してしまう町のベストテンに入っている町で、人口がどんどん減っています。
 先人たちが何百年もかけて残してくれた里山も荒れてきていますし、里山で暮らしていく生活の知恵をいっぱい持っている高齢者は伝えるべき若い世代を持たず、この町を出て行った若い人たちもまた「繁栄の中の貧困」にあえぐひとも少なくありません。
年老いていく親を案じながら都会で暮らす子どもに、「帰らんでいい、父ちゃんたちはなんとかここで暮らしていく、おまえは自分の思うとおりに生きていけ」と、寡黙な父親が手紙でつづるこの歌の物語はすでに崩壊しているのかも知れません。
 シンガー・ソングライターの関島秀樹がこの歌をつくった1995年という年はバブルがはじけた後の「失われた20年」のただ中で、しかも阪神淡路大震災があった大変な年でしたが、それでも社会もひとびともついこの間までの高度経済成長とバブルの時代が忘れられず、都会にばらまかれる幸福幻想と成長神話の再来を信じていました。
 それから20年が過ぎた今、非正規雇用が4割に達し、毎年3万人のひとたち(子どもから高齢者まで)が自殺し、6人に1人の子どもが貧困で、その中でもひとり親の子どもの貧困率は6割を越え、生活保護受給世帯が217万人を越える厳しい現実と向き合った改革よりも、本人の努力がたりないとする「自助努力」へと追い込み、格差を広げ続けるこの社会は、すでに帰るべき故郷をなくしてしまっているといわざるをえません。
 しかしながら、「帰るべき故郷」をなくしてしまったからこそ、「帰らんちゃよか」は数多くのひとびとの心に届き、愛を求めるひとびとの心の支えになっているのかもしれません。その意味ではこの歌は生まれてから20年の間に父が子どもを応援する歌から、「帰るべき故郷」をなくしてしまった日本社会全体への切ない応援歌となっているのだと思います。
 わたしは歌が時代を記憶するだけでなく、未来を予感する時代の写し鏡としてあることをこの歌が教えてくれているように思うのです。

 2年前の紅白で、泉谷しげるが「春夏秋冬」を歌いながら、「テレビの向こう側で、一人で紅白を観ているおまえら、ラジオ聞いてるおまえら、今年はいろいろあったろう。いろいろツライこともあっただろう。忘れたいことも、忘れたくないことも。今日は自分だけの今日にしろ、自分に向かってそっと歌え!」と絶叫罵倒し、ギターを投げたことがありました。
 おそらくたくさんのひとたちが批判、非難したことでしょうが、わたしは「よく言ってくれた」と思いました。彼は「粗暴で口が悪い」キャラクターを演じる、まれに見る心優しいひとで、また悪態をつくのがほんとうは上手でないために、伝えたいことをていねいに言えないひとでもあります。
 しかしながら、紅白という特別な日の特別な時間、それほど音楽を聴いたりしないひとたちもまたこの番組をみているわけで、泉谷しげるのメッセージをたしかに受け止めた人たちもまた、たくさんいたことでしょう。
 実際のところ、中には大みそかの夜に働きながらさまざまな想いを抱えてラジオに耳を傾けるひとや、非正規雇用でいつ追い出されるかもしれない寮で焼酎などを飲みながらテレビを見ているひと、病院で年を越さなければならないひとなど、たくさんのひとが自分の一年をふりかえり、親や子供や兄弟や恋人やともだちを思いながら、必死に「自分はひとりではない、自分はここにいる」と心で叫びながら紅白を観たり聴いたりしていることでしょう。
 島津亜矢の「帰らんちゃよか」は、そのひとたちのためにこそ届いてくれると信じています。
 
 紅白に出場とか不出場とか、なぜこの歌手が「落選」(失礼な言い方です)し、あんな歌手が出場するのかと、毎年世間で騒がれます。今回でいえばわたしも好きな水城ナナや、少しいいなと思うぱみゅぱみゅやモモクロなど、選考の条件としては申し分ない活躍をしたひとたちがなぜ外されたのかと騒がれています。NHKが準国営放送であるからこそ、また紅白が「のど自慢」とともに戦後民主主義を象徴する番組であったことからそういう批判が毎年出てくるのでしょう。
 しかしながら、わたしは紅白が背負ってきた社会的な役割は終わりにして、少し特別な音楽番組ぐらいになってくれた方がいいのではないかと思っています。
 ですから、番組の構成・演出をになうプロデューサーやディレクターが「新しい紅白」をめざし、最近とみにマンネリ化した民放の音楽番組にはない、「時代を予感し、時代をつくる」音楽番組の可能性を追い求めてほしいと思います。
 そのために島津亜矢はかけがえのない歌手であると信じてやみませんし、NHKの音楽番組の制作チームの中に必ずいるはずの音楽的冒険を求めるひとたちが音楽事務所やレコード会社の意向に屈せず、さらにはストリーミング元年といえる音楽配信からは程遠い歌手でもあるかもしれない島津亜矢に注目し、お座敷でもスナックでもスタジオでもイヤホーンの彼方の電脳空間でもない大地に立ち、肉声で聴く者の心のひだに沁みこみ、生きる勇気をそっと残してくれる島津亜矢を紅白のコンセプトに欠かせない歌手として出場を求めたことに敬意を表したいと思います。

2014.10.09 Thu 島津亜矢「帰らんちゃよか」・10月7日歌謡コンサート

2013.09.16 Mon 島津亜矢「帰らんちゃよか」

島津亜矢「 帰らんちゃよか」
先の記事の高橋優もまた、「帰るべき故郷」をなくした若者の歌を歌い続けていて、彼が最初に歌い始めた「失われた20年」の路上の冷たさと、島津亜矢の立つ恩師・星野哲郎の心のふるさとである荒海の岸壁のきびしさとはつながっているとわたししは思います。

ばってん荒川&島津亜矢「帰らんちゃよか」
今は亡きばってん荒川を抜きにして「帰らんちゃよか」は語れません。この歌はとてもピュアな関島秀樹の原曲を、ローカルであることを役者・芸能人の矜持としたばってん荒川によって方言で語る人生の応援歌となり、島津亜矢に舞い降りてきた奇跡の歌といってもいいでしょう。
2006年10月24日に熊本市内の葬儀場で行われた葬儀・告別式には、ビートたけし、たけし軍団、北島三郎、西川きよし、市原悦子、天童よしみら東京・関西の大物芸能人や水前寺清子、八代亜紀、石川さゆり、原田悠里、コロッケ、井手らっきょら熊本県出身の有名芸能人から供花が贈られました。そして、歌手としての代表曲「帰らんちゃよか」をカバーした熊本出身の演歌歌手・島津亜矢が遺影の前で「帰らんちゃよか」を熱唱しました。

関島秀樹「生きたらよか」
原作者の関島秀樹さんも我がことのように喜び、次のようなメッセージを寄せています。
【 紅白で“帰らんちゃよか”‼ 】〜 島津亜矢さんが歌います!!
青天のヘキレキ!ひょうたんから“独楽”ではなく『帰らんちゃよか』を選んでいただきました。関係者の皆様そしてファンの皆様、本当にありがとうございました。
『生きたらよか』として生まれたこの歌が、[ばってん荒川さん]から[島津亜矢さん]に歌いつがれ、21年の時を経ていよいよ大舞台で改めて皆さんに聴いていただける機会をいただきました。これもばってん荒川さんがこの曲を島津亜矢さんに託され、島津亜矢さんが大切に大切に長く長く歌ってくださって、そしてそれを大事に大事に応援して下さった皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。僕の節目の年にこのような嬉しいことが現実となり信じられません。本当に本当に多くのお世話になった方々に心より感謝を申し上げます。歌が生まれるきっかけとなった今年87歳の両親にも感謝します。最高の1年の締めくくりとなりました。これからも謙虚に真摯に、感謝の気持ちを忘れず、心に残る歌を作り、歌い続けて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。皆様もどうぞ良い年をお迎えください…   2015年12月21日  関島秀樹
関島秀樹オフィシャルサイトより
関連記事

web拍手 by FC2

Comments

name
comment
kinokazu : URL 言うことなしの歌唱でした。

2016.01.05 Tue 22:34

紅白出場なんて姫にとって意味のないこととも思っていましたが、すごい歌声を多くの方に聴かせることができて結果良かったと思います。
今回の姫は、着物、ヘアースタイル、表情すべてが、娘を想うお母さんでした。
本当に心を揺さぶれる今まで聞いたことのないレベルの歌唱でした。
2番を聞きたかったというのが本音です。
歌い終わった時は、慈母観音を思わせる、慈愛に満ちた表情で、魅力的でした。
何度繰り返し観ても飽きません。
この歌、年齢を重ねるごとに更に進化すると感じています。

comment form

Trackback

FC2Blog User

  1. Trackback