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2015.12.02 Wed 橋口亮輔監督作品「恋人たち」

映画「恋人たち」

 橋口亮輔監督作品・映画「恋人たち」を観ました。
 わたしはこの監督の映画のしつこいまでの人物描写と、ひとりごとなのか心の中のうめき声なのか、映画の中のだれかに語っているのか観客であるこのわたしに語っているのかわからない言葉、そして彼女たち彼らをある時は奈落の底に突き落とし、ある時は生きる力を与える時代背景の映像に焦がれていて、なかなか映画を撮らない、撮れないこの監督の新作映画を待ちつづけている一人です。この社会や時代の底に流れる理不尽な現実の過酷さにあたふたする「かっこ悪い」登場人物の日常を切り取った、いわゆる「重たい」とされてしまうテーマもさることながら、昨今ますます人気漫画や小説を原作にした映画が多い中、自ら脚本から演出までを担い、「望まれる映画」ではなく「撮りたい映画」をつくる橋口亮輔の映画はおよそコマーシャリズムに乗りにくい監督さんだと思います。それゆえに、この監督さんが映画をもっともっとつくることのできる時代をのぞまずにはいられないのです。
 本人もゲイであることをカミングアウトされていますが、彼の映画ではしばしばゲイのひとが登場します。わたしは異性愛者で同性愛者の心情が自分のものとしてはわからないのですが、長編2作目の「渚のシンドバット」を観て、愛の告白が同性愛のカミングアウトを伴うことや、拒絶が同性愛そのものに向けられる悲しさを垣間見ることができました。
 さまざまなセクシャリティを認め合うという理念だけでは決して乗り越えられない、もっと直接的な相克に心も体もさらされてしまうことがどれほどの心の傷みを伴うものなのか、わたし自身もそうですが暴力的で粗野な異性愛者が支配抑圧する社会が気づくことはとても困難なことなのだと、橋口亮介監督の映画を観るたびに気づかされるのです。

 1992年、初の劇場公開映画「二十才の微熱」で衝撃のデビュー、1995年、2作目となる渚のシンドバッドはロッテルダム国際映画祭グランプリ、ダンケルク国際映画祭グランプリ、トリノ・ゲイ&レズビアン映画祭グランプリなど数々の賞に輝き、国内でも毎日映画コンクール脚本賞を受賞しました。2002年、人とのつながりを求めて子どもを作ろうとする女性とゲイカップルの姿を描いた3作目の「ハッシュ!」は第54回カンヌ国際映画祭監督週間に出品され、世界69カ国以上の国で公開され、また文化庁優秀映画大賞はじめ数々の賞を受賞しました。2008年、「ハッシュ!」から6年ぶりの新作となった4作目の「ぐるりのこと」は「橋口亮輔の新境地」と各界から絶賛を浴び、報知映画賞最優秀監督賞、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(木村多江)、ブルーリボン賞最優秀新人賞(リリー・フランキー)など数多くの賞を受賞しました。
 そして、本作「恋人たち」は「ぐるりのこと。」以来、7年ぶりとなる長編映画です。

 橋梁点検を仕事にしているアツシは、3年前に最愛の妻を殺された過去を持っています。妻を殺した犯人を極刑にすることだけを生きがいにしてきたアツシですが、親身になってくれる弁護士もなく、次第に社会そのものに恨みをいだくようになります。
 男に心が揺れ動く主婦、瞳子。埼玉県の郊外に暮らす瞳子は、小説を書く事が趣味で皇室ファンの平凡な主婦です。そりが合わない姑、自分に関心をもたない夫との暮らしの中である日、パート先で知り合った野性的な男・藤田に惹かれた瞳子は肉体関係を持つようになります。そして、養鶏場の経営を夢見る藤田の誘いに、瞳子は家を出る決意をします。
 エリート弁護士で同性愛者の四ノ宮は、年下の恋人がいますが、学生時代からの親友・聡を思い続けています。何者かに階段から突き落とされて入院した際、見舞いに来た聡の一家に喜ぶ四ノ宮でしたが、四ノ宮が聡の息子の耳たぶに何気なく触れたことで、二人の間に亀裂が生じていきます。
 幸せを求めながら理不尽で過酷な現実を彷徨い続ける3人の“恋人たち”の人生がかすかに交錯し、やがて深い悲しみに苛まれていきます。
 どんなに絶望的な世界であっても肯定し、ささやかな希望を胸に再び歩き出す滑稽で、哀しくも愛おしい彼らを見つめる橋口監督のまなざしは、どこまでもやさしく、そして、あたたかい。映画「恋人たち」は、明日に未来を感じることすら困難な今を生きるすべての人に贈る、絶望と救済の物語です。
 前作「ぐるりのこと。」は生まれたばかりの子供の死をきっかけにうつ病となった妻と、彼女を全身で受け止めようとする夫が苦しみを乗り越え、決して離れることのない絆を通じてささやかな希望の行方を追う珠玉のラブ・ストーリーです。その背景にはバブル崩壊後、阪神淡路大震災とオウム真理教事件をへて9.11アメリカ同時多発テロに至るまでの約10年の夫婦を取り巻く日常と、法廷画家として日常と地続きにある大きな犯罪を目撃する夫の仕事を通して、大きく変質しゆがんだ日本社会があぶり出されていました。
 今回の映画「恋人たち」では、その背景となる日本社会のゆがみはより複雑に深くなり、もしかするともう取り返しのつかないところへと変質してしまったといわんばかりで、絶望的な日常と明日を生きる意味も持てない登場人物たちの視線の先には、すでに「希望」などないかのようです。
 それはまさしく、2011年の東日本大震災と原発事故がもたらしたものであることはまちがいなく、経済成長プログラムは終焉したにもかかわらず、いまも成長神話を忘れられない日本社会ですが、子どもの貧困率が16%、シングルの母子・父子家庭では60%、毎年3万人のひとが自殺し、非正規雇用が4割を越える数字の大きさ以上に現実はますます速度を速めながらひとびとの家族を、仕事を、暮らしを破壊しつづけています。そして資本主義が最後にたどり着くわたしたちの「身体」への侵略はサプリメントから覚せい剤までその領土を広げ続けています。わたし自身のことを言えば、今はまだ「下流老人」とはいえませんが、その領域にいつ陥ってもいい不安を抱えながら暮らしています。
 
 映画の中で何度もくりかえすアツシの悲惨な言葉は、ある時は年の片隅のアパートの部屋で、ある時は弁護士事務所で、ある時は福祉事務所で語られ続けますが、だれも彼の話を聞こうとしません。彼の話を聞いてしまえば、自分もまたすでにいけにえにされているかも知れないこの社会の理不尽さに気づいてしまうのが怖いからなのです。
 瞳子もまた、日常と化した夫とのセックスよりは多少は性的興奮も快楽も得られたのかも知れない藤田とのセックスにはじまり、金を巻き上げるための嘘とも見える藤田の養鶏場を経営する誘いをきっかけに「死ぬまで変わることのない日常」から這い上がり、「もうひとつの人生」を生きようとしますが、日常の呪縛から自由になるために必要な若さも夢も希望も体力も気力も、おそらく金もないことに気づくしかないのでした。
 橋口監督の映画では必ずといっていいほど女性の登場人物がとても魅力的に描かれるのですが、「ハッシュ!」の時は主人公の義姉がブラジャーをつける後ろ姿の中年の肉付きを出すために、ふんした秋野暢子を太らせた橋口監督でしたが、この映画の瞳子の場合は見事で、どう見ても性的な対象と見られることがないような平凡な女性が、ちょっとしたきっかけでさながらアダルトビデオの熟女女優に変身し、中年太りした腰つきと垂れた乳房が、きれいで若い女性とはちがう扇情的で肉感的でくたびれていて悲しく、とてもいとおしく思いました。
 四ノ宮もまた、優秀な弁護士病からくるのでしょうか、恋人を見下し、相談者を見下すことでしかゲイである自分を保てないでいるようです。そんな彼が学生時代からの友人である聡を思いつづけ、彼と「ともだち」でいるために自分の恋心をかくして生きてきた心情を、切られてしまった携帯を耳に当て、延々と語りつづけるシーンを観ていて、マイノリティに対する日本社会の陰湿な差別がどれだけ彼を痛めつければ気がすむのかと、胸にこみ上げてくるものがあります。
 このようなテーマの映画やドラマ、小説ではしばしば主人公が「目には目を」と、ある時は特定の相手に、またある時は無差別に暴力を行使し、復讐する展開が多いのですが、この3人は最後までそうしなかった…。アツシの場合は何もかも腹立たしく切なく悲しくしくなり、自傷行為を試み、号泣することはあっても、福祉事務所の職員や弁護士に暴力行為に出ることはありませんでしたし、瞳子の場合も夫や姑や藤田や藤田の愛人に対して怒りをもつことすらしなかったし、四ノ宮もまたやさしく人権感覚を持つと自認する聡やその妻を罵倒することもありませんでした。
 理不尽な現実や陰湿な差別に取り囲まれていく彼女たち彼たちが暴発しないのは、実はこの映画そのものが、そして橋口亮輔監督のまなざしが、限りなくやさしいからなのです。
 映画は時には理不尽な現実に切り込み、映画そのものの暴力によって登場人物を救おうとすることもありますが、この映画は反対に登場人物の決してわかられないはずの心情を温かく丁寧に掬いだし、ただやさしく抱きしめることによって救済しようとします。
 とても痛い、どこまでも痛い映画ですが、限りなくやさしい、どこまでもやさしい映画「恋人たち」は、どんなに追い詰められ、希望などまったくない彼女たち彼たちに、それでも映画という「希望」をプレゼントしたのでした。
 アツシが自暴自棄になって仕事を休んだ時、上司で若い時の政治闘争で片腕をなくしている黒田が訪ねるシーンでは、「妻を殺した犯人を殺したい」と叫ぶアツシに、黒田を通じて監督が言います。「殺しちゃだめだよ。殺しちゃうとさ、こうやって話できないじゃん。俺はもっとあんたともっと話したいと思うよ」…。友だちでいることがとてもむずかしい社会に生きているからこそ、黒田の言葉はアツシだけでなく、観ているわたしの心にも届くのでした。
 まさしく、希望は人間のかかる最後の病気であったとしても、ひとは理不尽な現実からささやかでもほこりまみれでもいい、生きる希望を持つことができるのだということをこの映画は教えてくれました。

映画「恋人たち」公式サイト
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