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2015.07.19 Sun 第3回憲法カフェ・能勢

 7月18日、3回目の「憲法カフェ能勢」が開かれました。
今回は16日に安保法制が衆議院で自民党の強行採決で可決された直後で、参加人数に期待しましたが、やはり宣伝不足は否めず、13人の参加にとどまりました。
 集団的自衛権の行使を認めた昨年7月の閣議決定以来、「戦争をする国にしていいのか」とたくさんのひとたちが反対し(わたしも細々ながらそのひとりですが)、その思いが形になっていままでとは違うあり方で抗議行動がくりひろげられてきましたが、自民党の圧倒的多数のもと、国会はまるで別の国のドラマを見るようにあっさりと戦後70年の資産を捨ててしまいました。しかも、安倍政権は後藤田正晴氏など「戦争をしない国」を支えてきた自民党の保守の歴史をも葬り去ってしまったと言えるでしょう。

 今回も、最初の一時間は「明日の自由を守る若手弁護士会」の遠地靖志弁護士をプレゼンテーターとして、プロジェクターを使った「憲法クイズ」でまずは場の雰囲気をゆるやかなものにしつつ次第に集団的自衛権へと問題を広げ、後の一時間は参加の意見や質問で盛り上がりました。
 遠くは京都からの参加者もおられ、積極的に発言されました。
中でも今回は戦前戦中をくぐりぬけた方が2人も参加され、戦争体験を話されました。戦争は始めるのは簡単だが終わらせることが難しい、先の戦争を指揮していた政府と軍部が敗北を認めもっと早くに戦争を終わらせていたら沖縄の人々が死ぬことはなかったし、2つの原爆であんなにたくさんの命が失われることはなかったと、ひとりの人は言いました。かつて国家が赤紙一枚で国民の命を思いのままにした反省もせず、自分は安全な所にいて自衛隊だけでは戦力が足らないと思ったら簡単に若いひとを赤紙一枚で引っ張る、それが集団的自衛権の行使によって始まろうとしている。
 またもうひとりの女性は能勢にもアメリカの軍機から焼夷弾が落とされたことや、「もう降伏しなさい」というチラシがばらまかれたこと、何度も防空壕に逃げたことなどを話されました。
 多くの憲法学者が違憲とする安保法制が国会での数の力によって安倍政権が強行採決してしまうのも、彼らが戦争を体験していないからで、戦争体験を持つ戦中派の政治家がすくなっていることも原因の一つだとされていますが、身近な市井の人の戦争体験からお話しされる、「だから戦争は絶対にやってはいけないし、自衛隊を世界のどこにでも派遣し、戦争に巻き込まれる可能性が高い集団的自衛権には絶対に反対」という言葉には格別の説得力がありました。
 わたしは戦後すぐの生まれですが、その頃の大人たちがよく戦争体験を話していたことを思い出します。その話の中には中国人に対する差別感や軍隊の暴力的な規律など、子ども心にとてもいやな思いをすることが多く、いつのまにかそんな戦争体験を聞くことをさけたまま大人になったような気がします。
 しかしながら今になって、戦争へとひた走る国家に翻弄され、愛する家族のためにと戦地に赴き、生死の境をくぐりぬけてきた大人たちの話の端々に、二度と戦争に巻き込まれたくないという思いがかくれていたこともたしかな真実だったのだと思います。
 人を傷つけ殺し、傷つけられ殺されることが一人の人間にとっては最大の事件であり犯罪であることが、国家の名の下では英雄になったりする理不尽さを身に染みて体験した戦中派の人々の話はとても悲惨で、だからこそ今の動きに戦後のわたしたちよりも敏感に「戦後70年を新しい戦前にしてはいけない」という切実な思いがあるのだと感じました。
 子どもの頃から「お前も殴られたら殴り返すだろ。国も同じだ、攻めてきたら報復する戦力を持たなければいけない。憲法9条は理想であって現実ではない。理想だけでは国も国民も守れない」と、周りのひとによく言われました。そして、「ソ連がせめてくる」というのがその根拠でした。
 その論理から行けば集団的自衛権は「殴られる前に殴りに行く」ということになります。その相手は今度は中国と北朝鮮で、とくに中国の軍事プレザンスにアメリカとともに対抗する武力行使をする姿勢を示すことなのでしょう。
 わたしもまた長い間、「殴られたら、攻めてこられたら」と問い詰められ、話し合いによる紛争の解決などは平和ボケの甘っちょろい理想論だというまわりの意見にきちんと反論することができませんでした。
 しかしながら、豊能障害者労働センターの活動を通じて国家がいう国民の中に障害者が入っているとは思えなくなり、そこから過去を振り返れば国家は国体を守るけれど、国民は守らない、むしろ国家のために国民を捨石にすることがしばしばあったことを学びました。
 そして、2001年にアメリカでの同時多発テロとアメリカ軍のアフガニスタンへの報復という怒りと悲しみのさ中、アフガニスタンで現地の住民とともに井戸を掘り、水路を整備し、長い内戦で瓦礫と化した大地をたがやす活動を地道に続けている中村哲医師とペシャワール会の活動を知りました。
 中村さんが「現地の人たちは日本の憲法は良く知らなくても日本人は武器を持っていないことを知っている。その信頼があるから、武器を持っている他国のNGOは何度も襲われるけれど、われわれは攻撃されないのだ。国内にいたら憲法は空気のようで特に意識しないだろうが、われわれのように紛争の真っただ中にいると、丸腰であることが武器をもっているより安全であることを実感する。憲法9条がわれわれの平和と安全を守ってくれていることがよくわかるのです」と話しているのを聞き、わたしは目から鱗が落ちるようでした。
 武器を持つことで得られる平和はいつも他者を抑圧し、いずれはその抑圧が力の均衡をやぶることは歴史が証明しているのではないでしょうか。実際、今回の法改正によって自衛隊の活動範囲が大きく広げられるとともに、自衛隊員の危険も大きくなっていくと思います。
 狼少年の話ではないですが、中国の脅威を喧伝され、自分の命とささやかな財産が脅かされないようにと戦力を増強し、まずは自衛隊によって守ってもらおうと安保法制に賛成するのか、それとも「戦争ができる国」となって武力を増強することが周辺諸国を刺激し、かえって戦争や紛争を起こす危険をもたらすものと考えるのか、わたしたち国民の選択にかかっています。わたしは世界に平和国家としてのメッセージをより強く広く伝え、中国をふくむ東アジアの平和と安定に努力することの方を選択することを強く願っています。
 武力による抑止力が国土と国民を守るという考えは米ソ冷戦時代の遺物であり、「理想、理想」といわれてきた「武力の放棄」が中村さんたちの支援活動を支えているという現実は、地球よりも重いいのちが何百万も何千万も失われた戦争への反省から、どの国家も二度と理不尽な暴力を行使せず、平和的で助け合う世界の実現を夢みてつくられた日本国憲法は一国の憲法を越えて、人類の夢でありつづけることでしょう。わたしはそれを過去形にせずこれからもその大きな夢に向かって現実の行動を考えていきたいと思うのです。
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