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2015.01.19 Mon 阪神・淡路大震災20年と「満月の夕」

伝えてください あの日のことを
語ってください 何が起きたかを
永六輔・谷川俊太郎作詞・小室等作曲「ゆめ風基金応援歌 伝えてください」

 阪神淡路大震災から20年が過ぎました。
 わたしは当時、箕面市に住み、豊能障害者労働センターに在職していました。私が住んでいた箕面市も被災地に指定されたものの、大地震の暴走がぎりぎり止まった地点でしたので、大阪府下でも多大な被害を受けた豊中市の隣でありながら、かろうじて小さな被害ですんだ町でした。
 次の日からは、わたしは豊能障害者労働センターの一員として阪神地区の障害者の支援活動へとアクセルを踏み続ける毎日を過ごすことになりますが、地震発生直後は無防備にただ築20年は過ぎていただろう一階建ての3軒長屋の茶色い天井を見つめながらふとんにくるまり、はげしいゆれがおさまるのをただじっと待つしかなすすべもありませんでした。
 その頃、わたしの家と豊能障害者労働センター元代表のKさんとの家はお向かいで、「大丈夫か。すごいゆれやったな」と声をかけてくれました。また、その頃は息子が同居していて、「Yちゃん、どこにいる」と叫ぶと、妙に落ち着いた声で「だいじょうぶや、テーブルの下や」と答えました。その頃京都の大学に通っていた息子はわたしたち夫婦よりも早く起きて、自分で朝食を食べて家を出ていたのですが、朝食の準備中に地震になり、すぐにガス栓を止めてテーブルの下にもぐっていたそうです。我が子ながら、なんと冷静でしっかりした奴やなと感心する一方、うろたえているわたしの方が情けないと思いました。
 それからしばらくすると、豊能障害者労働センターのKさんの介護者だったNさんから電話がかかってきました。その頃Kさんは近くの豊能障害者労働センターの事務所に仮住まいをしていて、わたしたちセンターのスタッフとボランティアのひとたちが泊まり介護をしていたのでした。障害者の自立生活支援制度がほとんどなく、毎日交代でボランティアのひとたちが完全無償で来てくれていました。
 食器棚がたおれ、台所が割れた食器がいっぱいだったけれど、掃除はしておいたこと、幸いそれ以外の被害はなかったこと、自分は学校に行くので(Nさんは隣の池田市の学校の先生でした)、後はよろしくということでした。
 「わかりました。ご苦労様でした」と受話器を置いたものの、またふとんにもぐりこもうとするわたしに、「早よ事務所に行かなあかんやろ、Kさんがまってるやんか」と妻に催促され、ようやく服に着替えて家を出て、事務所に向かいました。今思い出しても、なんとふがいないやつだと反省する一方で、いざとなるとすぐに行動に起こせないわたしのダメな性格は今もなおってないと感じています。
 事務所に着くと、玄関の上り口で身を乗り出すようにKさんがいました。Kさんは脳性まひ者ですが、その頃はまだ若く元気で、両腕でこぐように這って移動していましたから、両腕は筋肉隆々でした。豊能障害者労働センター設立時からのスタッフで、もともと中学卒業後の箕面市役所への就労運動がきっかけで出会いました。ずっと前に母親が心臓病でなくなり、その後は行政的なフォローもなく、金銭的にも介護者さがしにもあまりに非力だったわたしたちはかろうじて事務所の一室を仮住まいとして提供し、Kさんはほそぼそと綱渡りのような生活を送っていたのでした。
 根は陽気で楽天的なKさんでしたが、若いころにくらべてだんだん口数が少なくなっていたのですが、この時ばかりはわたしが行くと「ワオー」と喜んでくれました。その間にも頻繁に起こる余震のたびに「ワオー」と叫びながら、2人で抱き合っていました。
 今もまだそのままの事務所はプレハブで軽く、それが地震には強いと後で聴きましたが、そのかわりに余震のたびに「ガタガタ、バンババン」とけたたましく音が響き、余計にわたしたちをおびえさせました。
 とりあえず朝ごはんを食べに行くことにして外に出ると、隣の家の外壁が完全に倒れ、おばあちゃんが、「大丈夫やった?」と声をかけてくれました。(そのおばあちゃんはそれから一週間たったころに亡くなってしまいました。)
 市役所の方に向かうと、市役所の窓ガラスはすべて割れていました。とんでもない事が起こってしまった非日常と、いつもと同じような日常の朝が奇妙にまじった、不思議な風景でした。
 幸いマクドナルドがやっていて、そこでハンバーガーを食べている間も余震がつづき、そのたびに心だけでなく胃までもが縮む思いでした。
 それから事務所に戻り、青ざめた顔でやってきたスタッフが集まり、これからどうするか話し合いました。生き残ったことが反対にもっと大きな地震が来るのではないかという不安と恐怖を掻き立て、何もする気力がわきませんでした。
まわりの道路が車でうまり、近くの公衆電話に長い列ができ始めた午後、次々と届けられる阪神地区の甚大な被災を知り、恐怖と不安から逃れたいという本音もふくめて、何か自分たちにできることをすぐに始めようと心が動き始めました。
 被害が少なく被災地にもっとも近い所にいることで、豊中から伊丹、そして宝塚、西宮、芦屋、神戸の被災地の障害者の救援活動をすすめられると思いました。
 それからの活動については以前に書いた記事にまかせるとして、20年前の1月17日をふりかえり、わたしの体験など何ほどでもなく、いくらマスメディアで語られても(それもほんとうに少なくなってしまいましたが)阪神地区をはじめとする被災者の語りつくせぬ過酷な体験から20年、それぞれの大きな悲しみをかかえたまま生きてこられた人々が数多くいらっしゃるはずです。
 なんの理由もなく奪われた6343の無念のいのちと生死を分ける理不尽な境界のこちら側に生き残ったこと、ただそれだけのことがいまだに整理されないまま、わたしはこの20年を生きて来ました。
そして…、あの時の悲しみ、恐怖、怒りと、亡くなったたましいのひとつひとつの「止まってしまった時」と、彼女たち彼たちの見果てぬ夢たちとともに動き始めた「もうひとつの時」の行方を、残り少なくなったわたしの人生の中で探しつづけようと思います。
 
 そんなことを思いながら17日の夜、友人に誘われてソウルフラワーユニオンの中川敬の弾き語りライブに行きました。中川敬さんたちは神戸の被災地でのライブ活動の中で、障害者の支援活動でもお世話になっていて、長田神社でのゆめ風基金のイベントにもよく参加してくれました。わたしの友人たちの中には熱烈なファンが多く、去年の石巻で開かれた障害者のイベントにも来てくれました。わたしは実はちがう場所のスタッフだったこともあり、あまりきっちりと彼の音楽と親しむことがなく、今に至っていました。
 その日は休憩をはさんで3時間、コアなファン80人の前で歌いつづけましたが、神戸の障害者をはじめ、数多くの友人たちが彼の熱烈なファンである理由があの地震から20年もたってようやくわかりました。
 彼の歌はステージやどこかのスタジオで生まれるのではなく、その町に吹く風や移りゆく風景と取り残された夢、記憶の海に沈むひとびとの願いがぎっしりと埋まった大地から生まれていて、とても埃っぽい土の匂いがしました。
 少し乱暴に聞こえる彼のトークの中には無尽蔵なやさしさが隠れていて、聴く者の心をやわらかくしてくれるので、歌い出すと実は奥深い歌詞といい意味の「ざれ歌」、「歌謡曲」の曲調で語りかける彼の歌が上からでも下からでもなく、等身大の目線で対話しているように心に入ってきました。
 そして、彼の代表曲のひとつといっていい「満月の夕」がこの20年、彼によってもまたたくさんの人びとに歌われ続けてきたのも、この歌がうまれた場所が突然未来を奪われた無数のたましいの上の地面に立ち、瓦礫と炊き出しと焚火と冬の夜風と生き残った人々とともに中川敬が吸ったとてつもなく大きな悲しみからこぼれ落ちた歌だからにちがいありません。
 震災の記憶が風化するとよく言われますが、「満月の夕」という歌はこれからも誰かから誰かへと歌い継がれ、歌い継がれることによってあの地震と、東日本大震災をはじめとするさまざまな災害の記憶をいつまでも生々しく伝え続けることでしょう。
 わたしたちはややもすれば簡単に「歌の力」といいますが、もし歌に力があるとすれば歌が「記憶する力」を持っていて、ひとびとの記憶が消えていったとしても時代そのものの記憶としての歌は後世に残されるのだとわたしは思います。ロックバンド・ソウルフラワーユニオンの中川敬が被災地の空気を吸い込み、同じくロックバンドのヒートウェイヴの山口洋と共作した「満月の夕」はまさしく、そのことを教えてくれる歌だと思います。

ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」

ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」2018年

HEATWAVE「満月の夕」
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TARK5 : URL

2015.01.20 Tue 14:19

tunehiko様 こんにちは

1.17が来るたびにあの日の混乱を思い出します。
私は普段当たり前の「水が出る」「明かりがつく」
「トイレが出来る」事が当たり前でない時に
その人間の本性が表われるものだと思いました。

その人その人の1.17を毎年同じ文章でも良いから
語り、書いていけば次の世代に伝わるのでは?
と思っています。

中川敬さん
初めて聞くお名前です。tunehikoさんは色々な音楽シーンに
立ち会ってこられているのですネ。私は音楽は分かりません。

中川敬さんをWikipediaで調べると、まだ若くて、中々私好みの
経歴の持ち主ですネ(笑)

来週の新歌舞伎座とても楽しみです。

TARK5 : URL

2015.01.23 Fri 09:15

tunehiko様

お願い事が有ってtunehikoさんの
ブログのメールアドレスにメール
差し上げました。
ご一読ください。

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