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2015.01.12 Mon 都はるみと島津亜矢「涙の連絡船」

 1月7日のBS朝日「日本の名曲 人生、歌がある」に出演した島津亜矢は、「帰らんちゃよか」、「山河」につづき、この番組の特徴の一つであるコラボレーションのコーナーで、都はるみの代表曲「涙の連絡船」を都はるみ本人と歌いました。
わたしとひとつ違いの年齢の都はるみは1964年、16才で衝撃的なデビューをし、後にはるみ節と言われたうなるようなこぶしと長く深いビブラートで歌う独特の歌唱力で歌謡界を席巻し、少し前にデビューした北島三郎とともに新人歌手とは思えない圧倒的な存在感で聴く者の心をわしづかみにしていました。
 わたしも決してきらいではなく、スマートさもしゃれた感じもなく、ステージの上ではなく黑い地面の上で歌っているような大衆性と爽快感と潔さと泥臭さがけっこう好きでした。今から思えば高度経済成長の3合目ぐらいの、今日よりも明日きっといいことがあると想えた時代にぴったりの歌手として現れたのだと思います。それはちょうど、戦後すぐの荒廃した大地に立ち、ひとびとを自分自身を、そして戦後の日本社会をはげまし続けた美空ひばりと呼応しつつ、まだ日本が金融資本主義とバーチャルなネット社会に変わる前の、「顔の見えるアナログ経済」が機能していた時代の寵児だったのだと思います。
 デビューした年に出した3作目が星野哲郎作詞・市川昭介作曲の「アンコ椿は恋の花」で、この歌がデビュー曲とまちがうぐらいの鮮烈なヒットとなります。この歌のエピソードは有名で、市川昭介が都はるみを連れて星野哲郎宅へ押しかけ、松山恵子の「アンコ悲しや」を都はるみに歌わせた。2人がお茶も飲まずに引き揚げたその夜、市川昭介が家に帰る前に星野哲郎はこの歌を作詞し、電話で読み上げたそうです。市川昭介はその詩を書きとめながら曲を着想し、徹夜でつくりあげたということでした。
 このエピソードは知ってはいましたが、わたしは星野哲郎が島津亜矢を発見した時に、逆の提案をしたのではないかと思います。そう考えると、畠山みどり、都はるみ、水前寺清子と島津亜矢はこの二人の歌作りの匠の創造力を掻き立てられずにいられない存在として、一本の糸でつながっていたのではないでしょうか。
 関沢新一作詞・市川昭介作曲の「涙の連絡船」はその翌年となる1965年に発表された大ヒット曲ですが、わたしはこの歌に限らず、都はるみもまた自分のオリジナル曲へのこだわりは人一倍強い人だと思ってきました。というより美空ひばりにあこがれて歌い始めた彼女もまた、その天賦の才能ゆえに「歌うことに呪われた」人生をおくってきたひとで、そんなにファンではなかったわたしでさえ同時代の空気感を感じ、ひたむきに熱唱する都はるみの歌が人生の節目節目で何度も聴こえてきた気がします。
 こうして、あらためて都はるみのことを調べていくと、島津亜矢の先達として共通したものがたくさんあることに驚きました。わたしは島津亜矢を通して美空ひばりのすごさを知りましたが、ここでもまたわたしと同じ時代を伴走していた都はるみを今になって好きになりました。
 それもこれも、今回の番組で一緒に歌った「涙の連絡船」がきっかけです。以前この番組で島津亜矢とキム・ヨンジャが「かもめはかもめ」を歌った時、目をつむって聴くと一人の歌手が歌っているような一体感でこの歌を歌い上げたことを思い出しますが、今回の都はるみとの共演ではどこかアドリブの緊張感のあるデュエットを聴いているようでした。
 都はるみがどの程度島津亜矢を知り、その存在を認めているのかはまったくわかりませんが、歌に対しても自分に対しても他人に対しても正直で真剣勝負のようにのぞむ都はるみですから、一番を独唱するときは長年声量と歌唱力で歌い続けてきた自負から、かつてのような声が出ない中で何十年も歌ってきたこの名曲を島津亜矢に仕掛けてきたように思いました。自分が歌い終わると歌っていた場所を島津亜矢に指さし、「さあここで歌うのよ」と言わんばかりのしぐさが印象的でした。リハーサルの段階で都はるみは島津亜矢がどんなふうにこの歌を歌うのかをよくわかっていて、たった数分間の間に島津亜矢を認め、この歌を単なるそれぞれの独唱で終わらせず、都はるみにとっても新鮮な出会いの緊張感と親密感から生まれる「もうひとつの涙の連絡船」にする意志が読み取れたように思いました。
 島津亜矢が歌い出すとずっと彼女を見つめ、「口パク」で一緒に歌いながら、都はるみの表情がどんどん変わって行く気がしました。都はるみの独特の目の動きと相槌を打つようなしぐさは、16才から歌いつづけてきた自分の波瀾万丈の人生をふりかえり、奇しくも同じ16才でデビューした島津亜矢もまた決して平たんではなかっただろう歌の道を歩き続けてこの場に立っているという境遇に似たものを感じたのではないでしょうか。
 そして、もっともわたしが心を震わせたのは2人で歌った場面でした。50年も歌ってきた都はるみの方が島津亜矢の表情を読みとり、その歌に自分の歌を合わせようとし、島津亜矢もまた都はるみの独特の歌回しに必死に耳をかたむけ、2人で一糸乱れぬ斉唱を聴かせてくれたのでした。
 この歌のサビの部分はもちろんのこと、「今夜も汽笛が、汽笛が、汽笛が」と、来るはずもない男を1パーセントもない「もしか」にすがる心の叫びを歌にしてしまう市川昭介メロディーの真骨頂を、島津亜矢ほど都はるみをリスペクトしながら歌ったひとはいなかったのではないでしょうか。
 こうしてお互いを見つめ合い、相手の歌を聴きながら自分の歌を合わせていく緊張感とともに、コラボが最高に成功した時に必ず現れる第三の神の声が降りてくる瞬間に立会えた幸運を感謝したい気持ちです。
 たった3分間の歌の間にお互いの心の中でどれだけの言葉が交わされたのでしょうか。歌い終わった後、都はるみが島津亜矢の手を取り、抱くように体を寄せて耳元で何を言ったのか、わたしには知る由もありませんが、先輩から後輩に「良かったよ」とか「頑張ったね」とかいう気持ちよりも、「ありがとう、これからもよろしくね」といったような気がしてならないのです。おそらく、都はるみはこの番組でほんとうに島津亜矢の才能と人柄にあらためて出会ったのだと思います。気性がまっすぐで情に熱く心意気に感じる彼女は後輩の面倒見の良い人であることが知られていますが、今回の番組を機に島津亜矢を助けてくれる頼りになる先輩になってくれることを切望します。
 都はるみのことを調べていたら、46歳の若さで惜しくもこの世を去った芥川賞作家・中上健次とつながりがあったことを知りました。中上健治は都はるみがいったん引退した1984年に雑誌の対談がきっかけで知り合い、1987年には「小説・都はるみ 天の歌」を発表した他、プライベートにおいても深い交友があったようです。都はるみは美空ひばりの死をきっかけに再度歌手として復帰することを決意したそうですが、中上健治の後押しもあったようです。
思えば畠山みどりには寺山修司、美空ひばりには竹中労、藤圭子には五木寛之、山口百恵には平岡正明、青江三奈には相倉久人、そして都はるみには中上健治と有田芳生と、かかわりの深さには濃淡があるものの、数々の作家の後押しや評論、小説、伝記が発表されていますが、島津亜矢にもそんなひとがいたらいいのにとつくづく思います。
たとえば、阿久悠とも交友が深く、島津亜矢についても何度か書いておられる小西良太郎氏あたりから「島津亜矢・伝」などが発表されたらいいなと思います。
 ここまででいっぱいいっぱいになり、その後の吉幾三との「かあさんへ」についてはパスすることにしました。ただ、五木ひろしも話していましたが「演歌」のジャンルでただ一人のシンガー・ソングライターである吉幾三は貴重な存在で、以前から親密な関係にあると聞く彼に楽曲提供を頼むことも島津亜矢チームに考えてもらいたいと思います。
 「電話ではいえぬ 手紙では遅い 故郷に残る 母への書いた詞(うた)」…。吉幾三の歌詞にはよくも悪くも今の日本にはすでになくなっているかも知れない、そしてこれから違う形で構築しなければならない共同体へのノスタルジーにあふれていて、島津亜矢が歌うともっとも説得力を持つのではないかと思います。

島津亜矢「涙の連絡船 」
この映像は20才前後のものだと思うのですが、この島津亜矢の歌には涙がでてきます。ちょうど都はるみとほぼ同じ年頃ですが、歌唱力はもちろんのこと、この歌の切ない物語を見事に表現していますね。この歌を聴けば、今回の放送での素晴らしいパフォーマンスも当たり前だと思います。しかながら、それから年を重ね、実人生でも歌手としても経験を積んだ今の島津亜矢の歌にはにおい立つ色気と誰にでもあるだろう後悔やかなわなかった夢を抱いて、それでもひたむきに生きる女の心情にあふれていると思います。それにしても、この時にすでに島津亜矢には天の声がおりてきていたのですね。

都はるみ「涙の連絡船」1965年紅白
都はるみ17才、この歌が世に出た年の紅白の映像です。新人歌手らしく初々しい姿と歌声ですが、とびぬけた歌唱力で歌っていて、島津亜矢が進む歌の道のはるか前に、美空ひばりとともに都はるみもいるのだと再認識しました。
美空ひばりから都はるみへ、都はるみから島津亜矢へと歌のリレーのバトンは渡されてきたのだとつくづく思います。
そして、今の都はるみはこの頃のようなみずみずしい声はなくなったものの、かえって歌に対する覚悟や潔さはより増し、この歌に対する解釈もより深まっているように感じます。いつか島津亜矢もそんな時が来るはずで、その時に都はるみの鬼気迫る歌への姿勢が励みになることがあるかもしれません。

吉幾三「 かあさんへ」
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TARK5 : URL

2015.01.12 Mon 20:00

tunehiko様 こんにちは

鋭い視点の物語ありがとうございます

3分間の共演を
過去から現在、現在から未来へと
壮大な物語にしてしまう、
あなたの企画力、視点の確かさ、
文筆力に驚嘆してしまいます。

小西良太郎さん、期待したいです。

tunehiko : URL

Edit  2015.01.12 Mon 20:21

TARK5様
さっそくのコメントありがとうございます。
いえいえ、自分でもあざとくて我田引水でいやになることもあります。
それでも昔、紙に印刷される記事を書いていた時よりも、ブログは気楽で、その分慎重さにも欠けるなと思います。
でも、TARK5様と同じように日記代わりにこのブログをはじめましたので、少しの勇足はおゆるしください。

S.N : URL 「かあさんへ」もよかったですね

2015.01.14 Wed 01:19

tunehiko様
本年もどうぞよろしくお願い致します。
「恋する経済」の記事をいつも楽しく読ませていただいております。
私も都はるみさんと歌われた「涙の連絡船」に一番感動しました。
吉幾三さんのキーに合わせて歌われた「かあさんへ」もよかったです。
「かあさんへ」は、子供から母への思いを歌った歌だと思いますが、
島津亜矢さんの歌を聞いていると亡き母が亜矢さんの歌声を通して、やさしく歌ってくれているような気がしました。
島津亜矢さん歌には、不思議な力があると思いました。
新歌舞伎座のコンサートが本当に楽しみですね。

tunehiko : URL 今年よろしくお願いします。

Edit  2015.01.14 Wed 23:52

S.N様
今年もよろしくお願いします。
そうですね。「かあさんへ」についてももっと書こうと思ったのですが、力尽きてしまいました。
言われるように、高いキーで性格かつ情感いっぱいに歌われていましたね。
亜矢さんはコラボの時、野球でいえばキャッチャーのようにまず相手の投げるボールを受け止めるところが素晴らしいと思います。

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