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2014.12.12 Fri ライブが一番!八尾プリズムホール・島津亜矢コンサート

 昨日になってしまいましたが、12月11日、八尾のプリズムホールで開かれた島津亜矢コンサートに行ってきました。
 今年は12日の尼崎がラストコンサートで、わたしは尼崎の方が近いのですが仕事があるため、八尾の方にしました。
 ライブで島津亜矢を聴くのは新歌舞伎座以来で、その後はファンサイトからの情報と音楽番組を観るのと、11月に発売されたアルバム「BS日本のうた8」を毎日何回も聴きながら、今日のコンサートを楽しみにしていました。特に今回のコンサートでは、わたしが直近に感じていることが単なる勘違いなのか、それとも当たらずとも遠からずなのかを確かめたいと思っていました。
 というのも、このブログでつい最近に書いたように、わたしはごくごく最近に島津亜矢の歌が大きく変わったように感じていたからです。もう少し正確に言えば、すでに30代で完成された歌唱力と稀有の声にとどまらず、「歌いきる歌」から「歌いのこす歌」へ、「語る歌」から「詠む歌」へと、歌の荒野をひた走ってきた彼女は、長い時間をかけて演歌の常識と言われる歌唱法に満足せず、「新しい演歌」を探してきたのだと思います。
 そして今、彼女独自のコブシと言葉の余韻を残すような歌唱、さらには何人かの合唱曲を聴いているような奥行きと広がりを獲得し、ひとつの歌がすでに数分の時のくびきから解き放たれ、聴く人の心の銀幕に人生の哀楽と時には100年の時代の夢を一瞬に映し出してくれる「新しい歌謡曲」、「島津演歌」が、いよいよわたしたちに届けられようとしているのではないか、さらには後世の歌手たちがリスペクトするにちがいない「伝説の歌姫」へと大きな一歩を歩み始めたのではないかと思うのです。
 それを確かめるにはライブしかないと思っていたわたしは、いつものコンサート以上に心躍らせ、わくわくしながら開演を待ったのでした。
 そして、わたしは確信しました、彼女の歌はやはり大きく変わったことを…。
 音楽の専門的なことを知るはずもない私にとって、その変化は歌唱力にあるのではなく、「自信」や「信念」や「覚悟」や「潔さ」や「祈り」といった、彼女の歌手としての心持や心境の変化としてしかとらえられません。逆説的に言えば、歌える才能を持っているのではなく、「歌うことに呪われている」宿命を背負ってしまった天才歌手が、天才であるがゆえに悩み苦しみ、嵐のような季節を何度も通り過ぎた果てに、まるで霧が晴れたように自分の進むべき大きな道の足元に立ち、歌の女神が彼女を導いてくれることを確信した一瞬があったのだと信じてやみません。
 実際、今回のステージほどみなぎる自信とあふれる勇気に満ち溢れた島津亜矢を感じたことはありませんでした。座長公演をはじめとするさまざまなステージに比べれば、今回のコンサートはそれほどの冒険があったわけではありませんが、なによりもポップスと昭和歌謡をのぞき、ほぼすべて彼女のオリジナル曲を歌ったことがそれを証明してくれました。
 ほんとうのところを言えば、わたしの好みかも知れませんが決していいPAとは言い難く、彼女の魅力である高音がもう少しクリアだったらと思う気持ちもありましたし、これは音響技術ではどうもできないしわたしの勘違いかも知れませんがホールの壁か天井に響く音がとても気になりましたが、ぞくぞくとする低音から思い切り張り上げたマックスの高音まで、いくつもの声の色彩というべきか陰影というべきか、おそらく芝居で覚えたのではないかと思われる懐の深い歌を次から次へとたたみかけるように繰り出す姿はとても美しく、天賦の才の持ち主にしか降りてこない「憑き物」が垣間見えました。
 個々の歌でいえば、「大器晩成」、「出世坂」、「度胸船」、そして「海で一生終わりたかった」と星野哲郎の歌心を全身に受け止めた島津亜矢の気迫がびしびし伝わった後、「少年時代」、「酒と涙と男と女」、「ニューヨーク・ニューヨーク」とポップスのカバーを3曲歌いました。わたしはカバー曲とオリジナル曲をわけて考えることはありません。聴く者にとって、それはあまり意味が無く、それよりも「この歌を島津亜矢ならどう歌うか」ということに興味を感じてしまうのです。その意味ではJポップスのボーカリスト・鈴木雅之が「オリジナル曲であっても、ぼくが最初の観客となったカバー曲と思っている」といった名言があるように、島津亜矢はまさしくそれを体現していて、歌に対する真摯な姿勢に裏付けされた彼女のカバー曲は、オリジナルの歌手を越える越えないというのではなく、ヒット曲であっても埋もれた歌であっても彼女のオリジナル曲としてよみがえるのでした。
 今回のステージでは特に「少年時代」が心に残りました。一般的には島津亜矢ともっとも対極にあるように思われる井上陽水の歌はこの歌に限らず、実は新しい歌謡曲の先駆者と言ってもいい陽水の歌がうまれる音楽の泉にまでたどり着ける才能が彼女にあることを証明しています。
 そして、「戦友」…。この歌については以前にこのブログで書きましたが、渾身の歌唱でした。この歌については、さまざまな想いをお持ちの方がたくさんいらっしゃることでしょうが、ひんしゅくを浴びることを覚悟の上で、今の時代を生きる者としてのわたしの思いを少し踏み込んで書くつもりです。
 2部の始まりは「品川心中~お染」で、この歌を生で聴くのは初めてで、ほんとうにこのひとはどこまで歌の翼を広げることができるのでしょう。芝居で培われた軽快なセリフ回しが絶品で、そういえば「BS日本のうた8」に収録された「嵐を呼ぶ男」のセリフ回しがよく似ていて、どんなことでも芸の肥やしにしていく彼女に拍手したいと思います。
 その後の「昭和歌謡メロディー」では「赤い夕陽の故郷」や「哀愁列車」、「ガード下のくつ磨き」、「下町育ち」など、ひとつひとつの歌にわたしの思い出がぎっしりつまった歌を歌いながら客席周りをするのですが、握手の連続と時には小走りに会場を駆け巡りながら音をけっして外さないプロの凄味を感じました。
 そして、実はわたし、待望の握手をしたんです。今回はもしかするとと思える席でしたので内心かすかな期待をしていました。ほんとうはとてもミーハーで、今回のコンサートは握手できただけで大事件でした。もっとも握手と言っても少し手がふれた程度でしたが、正面から間近にみた彼女の顔が忘れられません。AKBの握手会に押し寄せる若いひとたちの気持ちが少しわかったような気がしました。
 そして、「かあちゃん」、「感謝状」、「瞼の母」の3曲では、またまた涙腺のしまりが悪く、涙でステージがぼやけてしまいました。
  「かあちゃん」は以前に聴いた時よりもはるかに歌い込んだ、すばらしい島津亜矢のカンツォーネになっていました。
  「瞼の母」は、以前「BS日本のうた」で水森かおりとのスペシャルステージで歌ったのが最高と思っていましたが、今回のステージが今のところ最高だったと思います。この歌でのセリフと少し違いますが、なんといっても映画「瞼の母」の中村錦之介がわたしは最高と思っていまして、その映画での中村錦之介の名演に匹敵する歌とセリフでした。

 こうして、あっという間に時がすぎました。このホールは思い出深いホールで、2011年の冬に、わたしがはじめて島津亜矢のコンサートに来たホールでした。あれからでもすでに長い時が過ぎたことをしみじみ感じながら、家路に向かい八尾駅にもどりました。2011年の時は車で連れてきてもらったのでわからなかったのですが、プリズムホールの横、八尾駅前には西武百貨店がありました。1983年の5月、寺山修司が死に、寺山修司の演劇集団「天井桟敷」の最後の公演となった「レミング」が上演されたのが八尾西武ホールだったことを思いだしました。
 わたしはこの公演には行けなかったのですが…。

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島津亜矢「戦友」

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加藤泰監督・映画「瞼の母」中村錦之介
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池 勝男 : URL 戦友

2014.12.12 Fri 11:42

今日は。

今年もあとわずかです。
亜矢さんのコンサート今年は8回行く事が出来ました。
仰有る様に初めて行った横浜、2年8ヶ月前から先日の中野

歌の強弱P、F、表現法、理解度、随分変わってきた。
と言うより、進化、成長です。
円熟の境地でしょうか・・・。

特に「戦友」「瞼の母」
昔、アイ ジョージこの歌ギター弾き語りで上手かった。
やっぱし、経験、努力ですね~

元気溌剌も素晴らしいですが、語りかける様なバラードも良いですね。
東京だと、結構亜矢さんのコンサートいっぱい行けます。
歌の好きな人・・・亜矢さんの歌堪りませんね~

tunehiko : URL うらやましいです。

Edit  2014.12.13 Sat 00:21

池勝男様

いつもコメントありがとうございます。
今年8回コンサートに行かれたのですか。
わたしは新歌舞伎座を含み3回でした。
来年は亜矢さんの30周年で大きなリサイタルもあるようですので、3回は行きたいと思います。

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