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2014.12.06 Sat 林英哲ライブ Y氏と迷宮の鼓美術少年

 11月30日、神戸の王子公園駅の近くの横尾忠則現代美術館に行き、林英哲の太鼓を聴きました。
 今年の夏、高山のお寺で開かれた林英哲の太鼓と小室等、こむろゆいの歌のコラボを聴きに行きましたが、今回もわたしが今働いている被災障害者支援・ゆめ風基金とのかかわりで聴きに行くことにしました。
というのも、ゆめ風基金設立20年を記念して来年の8月16日に大阪中央公会堂で小室等、林英哲、坂田明という、日本を代表するミュージシャンによるコンサートを開くことになっていて、それまでに何度かこのビッグプレーヤーたちのライブに触れておきたいと思っています。
小室等さんについては1970年来のファンですし、坂田明さんについても山下洋輔の2代目のサックス奏者としても、またサックス一本でどんなコラボレーションにおいても存在感のあるプレイヤーとしてあまりにも有名です。そして、林英哲さんはあらゆるジャンルの音楽と和太鼓の出会いを求め、さらには国境を越えて和太鼓を国際的にも認知させたその活動はとても刺激的です。わたしは山下洋輔との共演を聴いて以来長い間機会がなく、高山でのライブにつづいて今回が実質2回目と言っていいでしょう。
 いまふりかえると、山下洋輔とのコラボは林英哲がソロになってまだ間もない頃だったのではないかと思うのですが、ある意味若さがよりラジカルな音楽的冒険を要求する形で、山下洋輔との強烈なバトルが繰り広げられたはずで、今聴けば感じる所がいっぱいあると思うのですが、不明にもその頃は今以上に音楽のことがよくわからなかったのでしょう、ふしぎなぐらいにおぼえていないのです。
 その頃から30年の月日がたち、いま62歳とは思えない林英哲の演奏には心を打つというありきたりの表現ではもどかしい凄味とかぎりない優しさにあふれ、その連なる音の彼方に海の深さと森の豊かさと風の記憶と、そして人の誕生と死が幾重にも重なっているようなのです。

 2012年に兵庫県立美術館王子分館をリニューアルして開館された横尾忠則現代美術館は、横尾忠則の芸術活動のコレクションを軸に、横尾と関わりのある様々な分野のアーティストや横尾作品に関連するテーマ展などを精力的に開催していて、もつと早くに行ってみたいと思っていたのですが機会を逃していました。
 今回、「林英哲ライブ Y氏と迷宮の鼓美術少年」と題したライブを機会に訪れることができました。ライブは6時半開場でしたので早めに美術館に行き、いま開催されている「記憶の遠近術 〜篠山紀信、横尾忠則を撮る」を観ました。横尾忠則は寺山修司、唐十郎とともにわたしの青春時代のイコンのような存在で、それから何十年もたっても彼の展覧会があれば必ず観に行きました。ですから、常設展のようなこの美術館にやっときたというのが実感でした。
 篠山紀信による写真展は、横尾忠則とその時代のアイドルや仕事をともにした小説家やデザイナーとのポートレートで、若いころに何度も雑誌などで観たなつかしい写真ばかりでした。アラカンこと嵐寛寿郎、高倉健、浅丘ルリ子、深沢七郎、鶴田浩二、春川ますみ、唐十郎、澁澤龍彦など、わたしが自分の人生を初めて歩き始めた1967年から70年はじめの青い時にちりばめられた時代のヒーロー、ヒロインたちと横尾忠則その人が時を越えてわたしとわたしの半世紀を見つめているのでした。
 
 いよいよライブの開演となりましたが、会場はこの美術館の一階のフロアーで、舞台背景は写真展の一枚で、横尾忠則の故郷の河原で同級生たちが並んでいて、そこから少し離れた場所で横尾忠則が笑いながら立っている向こうの陸橋の線路を一両の列車が走っている写真を拡大したものでした。
 いつものライブのような暗闇やお寺のような雰囲気はまったくなくて、ここで太鼓をたたくかと言う場所でしたが、林英哲はやんちゃでおちゃめな子どものようで、鼓笛隊さながら太鼓をたたきながら会場の端から正面の舞台を横切り、また引き返すといったオープニングを演出しました。若き日にグラフィックデザイナーを夢見て上京した林英哲にとって横尾忠則はカリスマ的存在で、太鼓を始めてからもいずれは美術の道へと思っていた「迷宮の鼓美術少年」・林英哲による横尾忠則へのオマージュでした。
 こうして始まった最初の演奏曲は「人生の岐路に立つ少年鼓手が大いなる横尾忠則の美術迷宮に巻き込まれ、いかに生き抜いたか」をテーマとして作品に仕上げたということでした。

 和太鼓はその勇ましさや派手なパフォーマンスに目を奪われてしまいがちで、わたしは長い間和太鼓のほんとうのすばらしさを知らないできました。たまたま仕事の関係で林英哲の太鼓を聴かせてもらい、はじめて和太鼓の無尽蔵の音の豊かさや広がりを身近に感じることができたのでした。
 たとえばドラムスが張り詰めた時を切り裂くことで音楽の地平線を切り開くとしたら、和太鼓は遠い記憶をすくい上げることで忘れられた音楽の荒野をよみがえらせる、とてもやさしい楽器なのだと思います。
 このひとの太鼓を聴いていると、本来メロディを奏でる楽器ではない太鼓の音が激しく大きくなったり、空気がとぎれとぎれにこすれるような小さなざわめきとなったり、息もつかせぬ前かがみのアップテンポから息絶え絶えのスローテンポまで、自由自在のバチさばきに圧倒されます。そして、太鼓の彼方からも太鼓そのものからも妙なる不思議なメロディが聴こえ、やがてそのメロディは林英哲そのひとの歌となってわたしたちの心に届けられるのでした。
 林英哲が大太鼓に向かいバチを垂直にかざす時、太鼓の周りから会場全体にさまざまな音、時をさかのぼりいくつの時代のひとびとの生きたあかしが隠れているさまざまな音の塵たちが浮遊し、彼が打つ太鼓の音に溶け込んでいくようなのです。
 それは時には森を走る風の音であったり都会の雑音にかき消される鳥たちの鳴き声であったり、大地の下でうごめく微生物の咀嚼の音であったり、光る海の彼方から静かに打ち寄せる波の音であったりすることでしょう。そして、そのさまざまな音たちは林英哲の打ち鳴らす太鼓の響きとなって、いつもは気づかないわたしたちの心臓の音と共鳴し、血の中に生きる力を注ぎこんでくれるのでした。
 林英哲の太鼓を聴きながら、わたしは長い間忘れていた寺山修司の詩の一節を思い出しました。

血がつめたい鉄道ならば
走り抜けてゆく汽車はいつか心臓を通ることだろう
同じ時代の誰かれが地を穿つさびしい響きをあとにして
私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のページをめくる男だ
心臓の荒野をめざして
たったレコード1枚分の長いおわかれもまたいいではないですか
                           (寺山修司「ロング・グッドバイ」1967年)
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